「──見事だ」
キャスターの宝具を受けて、セイバーが遂に膝をついた。
全身は焼け爛れ 、鎧は脱落し、それでもなお、その聖剣と眼光は陰ることなく輝いている。その彼女の威容こそが、かつてブリテンを統べ、騎士王とも呼ばれた英雄たる所以であった。
「跡形もなく消し飛ばすつもりだったが、まさか倒しきれないとはな。奥の手が使えりゃまた違ったのかもしれねーが……。ったく、英雄としての名が泣くぜ」
キャスターが己の非力さを嘆いた。
やっぱ槍がねぇとな槍が、と呟いて自身の持つ杖を微妙な顔で眺める。
「アルスター伝説」にて語られる、アイルランドの光の御子クー・フーリンは多くの武勇を誇る英雄である。中でも彼の代名詞とも呼ばれるのが呪いの朱槍、ゲイボルグ。
槍さえあればセイバーだろうと打倒してみせる、とはここに来るまでの彼の言である。
「いいや。貴方の宝具は確かに私に届いている。この身体では、もはやまともに動く事も叶うまい。……もっとも、そこの三人の力があってこそだかな」
セイバーがオルガマリー、藤丸、マシュの順にその金色の瞳を向ける。
オルガマリーは一瞬ヒゥ、とたじろいだが、負けじとセイバーを強く睨み返した。
藤丸は一歩後ろに退きかけたが、心を奮い立たせてなんとかその場に踏み止まった。
マシュは酷く消耗し、もう立っているのもやっとという有様であったが、意志のこもった強い瞳をセイバーから決して逸らさなかった。
三者三様の反応を見て、セイバーがフッと息をついた。
「……結局、私一人では同じ結末を迎えるという事か。ならば、後は貴方達に託してみるのも悪くはない」
そう言ってセイバーがその手に取り出したのは、黄金の杯であった。
その杯は見る者すべてに、それこそ魔術師ではない藤丸立香にすら、途方も無いエネルギーを秘めている代物であるという印象を与えた。
「それは、聖杯!?」
ひどく驚きを隠せない様子のオルガマリーのその言葉に、セイバーが頷く。
「如何にも。だが心するがいい。これは、始まりに過ぎん。グランドオーダー────聖杯を巡る戦いのな」
「あ?どういう意味だそりゃあ。テメエ、何を知ってやがる」
キャスターがセイバーに詰め寄ろうとした。
その時だった。
「困るな、あまり勝手な事をしてもらっては」
「──ッ!?」
突如、セイバーの胸から腕が生えた。
セイバーは驚きに目を見開き、やがて力を失ったように手に持つ聖杯を取り落とした。
カラン、という音を立てて聖杯が地に転がる。
腕がゆっくりと引き抜かれる。
胸に穿たれた穴から血が噴水のように飛び散って、地面にできた血溜まりにセイバーがゆっくりと倒れ込んだ。
その光景に三人が凍りつく中、キャスターは冷静にその異常に対応した。
「アンサズッ!」
間髪入れず、キャスターがルーン魔術を撃ち込む。
放たれた炎弾が砲弾の如く殺到したが、その男はあろう事か、腕の一振りでそれを打ち払った。
そしてキャスターが次の一手を打つよりも早く、否、キャスターの最初の一手とほぼ同時にその手から放たれた魔弾がキャスターに飛来した。
「うぉ!?マジかよ!」
咄嗟に防壁を張るキャスター。その一瞬の合間に、男は手を握り込む事でキャスターに畳み掛けた。
キャスターの周囲の地面がドーム状に盛り上がり、彼を内部に閉じ込める。
何重にも折り重なる様にして地面が隆起と陥没を繰り返し、キャスターを完全に呑み込んだ。
あまりにも一瞬の攻防。
三人はただ、呆然とそれを眺めていることしか出来なかった。
「やれやれ、まさか君たちがここまでやるとはね。計画の想定外にして、私の寛容さの許容外だ」
炎の向こうから男が現れる。
男は聖杯を拾いあげて、手の中で弄ぶように何度か転がした。
特徴的な緑のスーツ、シルクハット、謎の装飾が施された禍々しいネクタイを締めたその男の名は──
「れ、レフ……!?」
「そうだよオルガ。元気そうだね、と言うのはいささかおかしいかな?なにせ君は──」
レフ・ライノールはオルガマリーに向かって微笑みかけた。
この場にそぐわぬその柔和な笑みが、彼の存在をより異質なものとして見る者に印象付ける。
レフはその笑みをたたえたまま、穏やかな口調で決定的な事実をオルガマリーに突き付けた。
「──既に死んでいるんだからね」
※
レフ・ライノールはその穏やかな表情とは裏腹に、内心はらわたが煮えくりかえるような思いだった。
聖杯を手の中で弄びながら、ゆっくりと生き残りの三人に歩み寄る。
マシュ・キリエライト、藤丸立香、そして、オルガマリー・アニムスフィア。
なんと言うことだろう。完全に予想外だ。
48番目はまだいい。何の障害にもならぬと、殺す事すら検討しなかったような小物だ。
だが、マシュ・キリエライトだと!?小賢しくもデミ・サーヴァントに覚醒して私の邪魔をするとは。……あれは慈悲だったのだ。あのまま大人しく死んでおけば楽になれたものを。
「レ、レフ……?それ、本気で言ってるの……?ウソよね!?私が死んでるのも!貴方が私を殺したのもウソよね!?ウソだと言って!」
そして、オルガマリー・アニムスフィア。この女はレイシフト適性を持たない筈……。いや、理解した。理解した途端、笑いが止まらなかった。なんて事はない。この女は、とっくに死んでいたのだ。死んだ事で適性を持たない肉体から解放されて、残留思念だけでこの冬木へとレイシフトするとは。
なんと哀れで、なんと滑稽な女なんだ、君は!
「本気も本気さ、オルガ。君は既に死んでいる。何せ私がこの手で、君の足元に爆弾を仕掛けたのだからね。もっとも、こうしてこの地にレイシフトしていたのは憤怒を通り越して愉悦すら覚えるよ!」
一瞬にしてオルガマリーに近づき、その首を締め上げる。そのままゆっくりと腕を持ち上げる事で、オルガマリーを宙に浮かせた。
「ウッ、く、あ……ッ」
オルガマリーが両手で自分の首を締め上げているレフの右手を掴む。
足は地に着かず、呼吸は苦しく、顔は絶望に歪んでいる。
この顔だ!なんて醜く、滑稽で、哀れな生き物なのだ!
だが足りない。もっと苦しみ踠いて、この女には死んでもらおう。
レフ・ライノールはアニムスフィアそのものを憎んでいた。
「人類の未来を保障する」という傲慢な在り方。そしてその傲慢さが、人類の未来そのものを滅ぼすと気が付けなかったこの女にも!
「所長!」
マシュと藤丸がオルガマリーを助けようと、レフに挑み掛かる。
レフは聖杯を持つ左手を振る事で二人を地に磔にした。
聖杯を使うまでもない。
キャスターであれ、デミ・サーヴァントであれ、レフ・ライノールの前では等しく無力である。
「か、身体が……動か、ない……!?」
藤丸が苦しげに呻いた。
レフは地に這いつくばった二人を無視して、オルガマリーの顔を鼻がくっつく程間近で覗き込んだ。
「その顔だよオルガ。その絶望こそ、罪深いアニムスフィアに相応しい。だが、まだ足りないな」
レフの意思に呼応して、聖杯が光り輝いた。
洞窟内の空間が歪曲し、次空を超えた先にあるカルデアスがこの地に現出する。
「カ、カルデアス……!?」
「そうさ。君のために時空をつなげてあげたんだ。見たまえ、あの赤色を!人類の存続を示す青色は一片もない!アニムスフィアの末裔よ、あれがお前たちの愚行の末路だ!」
オルガマリーの顔が一層歪む。
レフは喜色を隠しきれない声音で、オルガマリーの心を完全に折りにかかった。
「私からの慈悲だ。カルデアスに触れて、生きながら永遠の死を味わうといい」
レフの言葉にオルガマリーは硬直し、顔を落とし、そして再びその顔を上げた。
顔面は蒼白で、目には涙を浮かべ、唇は固く結ばれている。
だが、しかし。
レフ・ライノールはその様子に、妙な違和感を感じた。
……なんだ、その「目」は。
おかしい、おかしいおかしいおかしい。
何故だ、何故取り乱さない?何故泣き喚かない?何故絶望しない?何故、そんな顔ができる?
かつての彼女なら、みっともなく惨めに泣き喚いたはずだ。
そうでなくては、カルデアスを現出させたこの余興の意味がない!
「助けを乞え!怯声を上げろ!苦悶の海で溺れるがいい!」
レフはオルガマリーの首を絞め上げる力を強くして、声高らかに叫んだ。
※
オルガマリー・アニムスフィアはその絶望を含んだ表情とは裏腹に、内心はらわたが煮えくりかえるような思いだった。
彼女の視界の隅で、カルデアスが燃え盛る。
カルデアスとは地球の魂を複写する事で作る出された疑似天体、謂わば小さな地球のコピーである。
それが燃えているということは、トールが語ったように、人理は焼却されたという事を意味していた。
私のいたらなさが悲劇を引き起こした、とレフは言った。
自分の首を絞める、かつて自分の心の支えだった男を見る。
憎い、とは思わなかった。裏切られた事に対して、ああ、やっぱりか、という諦めばかりが心にひしめいていて、それがどうしようもなく悔しかった。
(ああ、どうして私は、こんなにも惨めなんだろう……)
まだ、誰にも褒められてない。
誰も、私を認めてくれてない。
みんな私を嫌っていた。
(生まれてからずっと、ただの一度も、誰にも認めてもらえなかったのに──!)
違う、と心の中で誰かが呟いた。
それは小さな声だったが、オルガマリーにははっきりと聞こえた。
ここまで、短いながらも共に歩んだ人々の声が聞こえてくる。
『よぉ、アンタ。いいツラ構えになったじゃねーか』
『──はいッ!わたしの背中、皆さんに預けます!』
『私が必ず、君を護ってみせる』
そうだ、違う。誰にも認めてもらえていない?違う!
藤丸とマシュとキャスターと、力を合わせてセイバーを打倒した。
あのテンションのおかしい迷惑な人狼、トオルは、危険も顧みずにこんな私を助けにきてくれた。
そこに、悪意なんて在りはしなかった。
誰もが対等で、誰もが力を合わせて共に戦った。
なのに私が私自身を否定してしまったら、彼らに合わせる顔がない!
私はもう、誰かに縋って生きるかつての惨めな自分じゃない!
オルガマリーの心の中で、メラメラと感情の炎が燃え上がった。
助けを乞え?怯声を上げろ?
私を裏切ったその口で、そんなふざけたことを口走るのか!
「ふざ──ふざけないで!」
パァン、という快音を響かせて、これまでの全ての鬱憤を乗せた怒りの平手がレフの右頬に思いっきり炸裂した。
やってしまった!という死を恐れる感情と同時に、なぜかとてつもない達成感がオルガマリーの心を支配した。
トオルの言葉で、既に覚悟はできていた。
後は自分の悔いのないように。
オルガマリー・アニムスフィアは、傲慢で、意地っ張りで、プライドが高くて、そのくせすぐ動揺する女である。
それでも。同じくらい頑張り屋で、心根の優しい、芯の強い女だった。
※
「ッ!?……それが貴様の答えか!ならば望み通りにしてやろう!!」
レフの魔術によって宙に拘束されたオルガマリーの身体が、カルデアスに引き寄せられていく。
オルガマリーは、死を覚悟した。
最期にようやく、自分の誇りを取り戻せた。悔いはない。
……いや、嘘だ。やっぱり、死ぬのは怖い。
(だってカルデアスよ!?高次元の情報体よ!?次元が異なる領域なのよ!?人間が触れれば分子レベルで分解されてしまうのよ!?そんな、そんな死に方って、ないじゃない!)
覚悟というものは、一旦冷静になってしまうとすぐに萎えてしまうものだ。
魔術師といえども、たった20そこらの女が咄嗟に決めた死への覚悟など、まあこんなもんである。
オルガマリーは天に向かって、願いを込めて叫んだ。
「私をマスターって呼んだんなら、助けにきなさいよッ!トオルゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
轟音。
直後、洞窟の天井の一部がなんの前触れもなく崩落した。
崩れ落ちた天井から、星の光が射し込む。
紅蓮に燃える街の空でも、そこは変わらず深い蒼をたたえた夜空が広がっていた。
ドカンドカンと豪快な音と共に、雨のように降りしきる岩の中、天井から覗いた夜空から一筋、銀色の流星が地に堕ちた。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ーーーーーーー!!?」
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
その流星はカルデアスに呑まれかけていた空中のオルガマリーに直撃し、両者はもつれ合うようにして、それなりの高さから地面に思いっきり打ち付けられた。
「「あいったーーーーーーー!?」」
斯くして、銀色の星は降り立った。
次回、冬木編完結