それは一瞬の出来事だった。
三方から迫るアーチャーの必殺を期した一撃。
鶴翼三連。
互いに引き合う性質を持つ夫婦剣・干将・莫耶の特性を利用した絶技。
トールの知識にあるソレと唯一違う点は、アーチャー自身が持つ武器が干将・莫耶ではないことだった。
おそらくは、トールの持つ謎の不死性を封じ、確実に殺傷するための対不死性の逸話を持つ特効宝具。
固有結界内に様々な特性・逸話を持つ宝具を内包するエミヤシロウのみに許されたジョーカー。
『魔力放出(音)』による全方位迎撃が通用しないのは明らかで、トールは蛇に睨まれた蛙さながら、死を待つだけの身であるはずであった。
──そう、彼が一人であったなら。
アーチャーの影が赤い荒野を走り、トールの目前に迫る。
『3...2...1...今だ!!』
ロマニ・アーキマンのカウントに合わせてトールは動き出す。
「アォォォォォォッ!」
爆音。
『魔力放出(音)』が全方位に魔力を乗せた音の波を叩きつける。だが、空を走る二対の干将・莫耶はビクともしない。
莫大な音波によって地面が揺れ、舞い上がった砂埃がアーチャーの目からトールの姿を覆い隠した。
激しく鼓膜が揺さぶられた後特有の、キーンという耳鳴りがアーチャーの聴覚を一時的に奪う。
「無駄な足掻きを」
しかし、アーチャーは一瞬の躊躇いもなく視界の効かぬ空間に飛び込んだ。
たとえ見えぬとしても、トールを確実に仕留める自信がアーチャーにはあった。
どんな策があったにせよ、それよりも一段こちらが速い。
正直、アーチャーはトールに期待していた。
この世界はどこで何かが狂ってしまっている。
既にアーチャーに為すすべはなく、セイバーによる現状維持を支えるのが目下己に出来る唯一の方法であった。
そこに現れた、謎のウェアウルフ。
この世界の法則すらも無視したイレギュラー。
狂った歯車がまた回り始めるのに、これ程適任な者がいるだろうか、そう期待してトールを自らの固有結界内に取り込んだのだが。
(──残念だ!)
アーチャーの斬撃が走る。
しかし振るわれた剣に手応えは無く、返ってくるのは虚空を切り裂く虚しい風切り音だけだった。
砂埃がアーチャーの剣圧で散る。
(馬鹿な!?消えただとッ──!いや、これは!)
そう、それは一瞬の出来事だったのだ。
アーチャーの背後の地面が盛り上がる。
キュィィィィインという耳をつんざくような高音がアーチャーの耳朶を打ち、空気と大地が焦げたような臭いが鼻をついた。
(──後ろか!)
アーチャーは即座に身を翻し、裏拳の要領で背後に斬撃を見舞った。
アーチャーの持つ不死殺しの剣は確かにトールの一撃を受け止めた。撃ち合った剣と高速回転するドリルが凄まじい火花を散らす。
しかし。
「いまだぁぁぁぁぁぁぁ!!突き穿て!ドリンチちゃん!!」
《マ〜カセテ!主軸セーフティ解除!圧縮魔力全解放!コレガ私ノ全力全開!》
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!!」
『其は有限なる小奇跡』によって「削り穿つ」概念を大幅に強化された大型決戦礼装D型──ドリンチちゃん──は見事、アーチャーの剣を粉砕し、ガラ空きになったアーチャーの胸目掛けてその破壊の嵐を叩き込んだ。
めちゃくちゃに回転するドリルがアーチャーの霊核をぐちゃぐちゃに破壊する。
やがてドリルは回転数を落とし、しばらくして完全に沈黙した。
完全に戦闘力を失ったアーチャーはトールにもたれるように倒れこんだ。
「ガハッ」
吐血する。
大穴が穿たれた胸からは滝のように血が溢れ出している。
もはや存在すらも危うい状態だった。
アーチャーは霞む視界にトールを捉えて言った。
「フン……バケモノめ……」
(英雄がこの世界を救えないのならば、それをなんとかするのが化物であってもいいかもしれないな)
赤い荒野が、空に浮かぶ歯車が消えていく。固有結界はアーチャーの心象風景の具現化。アーチャーの消滅と共に、彼の世界も消えるのだ。
世界は元の姿を取り戻し、柳洞寺の境内に、再びトールは立っていた。
アーチャーは完全にこの特異点冬木から消滅した。
トールはアーチャーの消滅を見届けてから、肩で息をしながら応えた。
「……アンタほどじゃ、ねーよ」
そう言ったトールの眼の奥で、黒いモヤが微かに現れて、消えた。
それは誰も、トール自身すらも気が付かないほんの一瞬の出来事だった。
シュコォォォォォォという排熱音とともに白い蒸気が大型決戦礼装D型、ドリンチちゃんから立ち昇る。
『すごい、本当にサーヴァントを打倒するなんて……』
ロマニ・アーキマンは驚嘆していた。
いくらマスター不在の黒化英雄相手とはいえ、まさか勝てるとは思わなかった。
彼が土壇場で立案した作戦では、アーチャーの背後を取り一瞬の隙を作った上で、ドリンチちゃんを用いてアーチャーの固有結界に孔を穿ち脱出する予定だった。
それを、まさか。彼の万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチが作った擬似宝具とも呼べる礼装があったことを加味したとしても。
ただの魔獣がサーヴァントを打倒するとは考えもしなかった。
事実、オルガマリー所長の使い魔と名乗った彼の体内にはいくつか不自然な魔力反応が検出されている。
『君は、一体何者なんだ……?』
「さっき言ったでしょう?私はしがない使い魔ですよ」
そんなはずがあるか!そう叫びかけたロマニだったが、通信席に座る彼を豊満な女性の肉体が押しのけたことで彼は椅子からずり落ちることになった。
『そんなことより、今はマシュと所長の安否が心配だ!狼クン!急ぎ彼女たちの救援に向かってくれたまえ!』
レオナルド・ダ・ウィンチ。
万能の人。
14世紀から16世紀にかけて勃興したルネサンスの時代を生きた天才。
モナ・リザそっくりの大変美しい容姿をしている。だが男だ。
輝くような黒髪と、ぷっくりと膨らんだ桃色の唇が目に眩しい。だが男だ。
男の理想を詰め込んだようなその豊満な肉体は、あらゆる美を凌駕する。だが男だ。
トールはダ・ウィンチの言葉でようやく次の行動を開始した。
彼の頭の中は、それまでアーチャーとの戦闘で一杯だったのだ。無理もない。アーチャーは正真正銘、戦闘のプロだった。
もしも彼が万全の状態だったなら。もしも『其は有限なる小奇跡』によって何度も死の淵から蘇ることが出来なければ。もしもDr.ロマンとダ・ヴィンチちゃん、そしてドリンチちゃんの助けがなければ。
屍を晒していたのは自分だったに違いない。
トールは自分が生きていることに感謝しながら、大空洞目指して走り出した。
「無事でいてくれよ!オルガマリー!」
お望みのままに与えよう
もちろん、対価はお忘れなく