週末の博物館はそれなりの賑わいを見せていた。
今週から始まった特別展示「江戸時代の西洋文化」のおかげだろうか。
その昔、指導要領の改訂により「日本史」「世界史」は姿を消しいわゆる歴史オタクというのは年齢層が限られてくるようになった。
この博物館には確かに若者は少ない。
「まあ、おかげでかなり静かなんだけどね。」
そう口の中でつぶやく東。とはいえ彼も30代前半。いまだ独身なので、おじさんの仲間入りという感じがしてなかなか辛いところもあるが。
そんな彼の目にこんな場所ではよく目立つかなり若い女性が写りこむ。
その女性は20代。いやそれより若いだろうか。大きめの白衣を身にまとい、長い黒髪はぼさぼさで大きめのメガネの奥の目には大きなくまが刻み込まれている。
「大学院生か...?」
いわゆる理系女子、いやこの場にいるなら文系女子...?いや歴史好きだけで文系というのも早計か?
まあしかし、そんなことはどうでもいい。物事を対分析してしまうのは彼の新入社員時代に染み付いた悪い癖だ。
今や責任者となった彼には問題の分析や、解決策の提示というよりは物事の決定というほうが能力としては重要だ。
彼が責任者のチームでは、分析の役割は彼の部下の
下積み時代の癖が抜けないのも、かれが若いリーダーゆえだろう。
東は気を取り直して、展示を見て回る。特別展示は出島に関する展示が多く、江戸時代においては最先端とされた西洋の知識が当時の人々にはどのように受け止められたのか、と考えると妄想は無限にふくらむ。そんな妄想に胸を膨らませてあるく東の足はある展示の前で止まった。
理由は展示の内容ではなく、その展示を食い入るように見つめる先ほどの女性だ。
穴が開くのではないだろうかという様子で前のめりになり、一つの手帳を見つめている。
手帳の名前は...
「イキリトーニャの手帳...?」
聞いたことのない名前に思わずその手帳の名前を口に出してしまう。
するとその声が聞こえてしまったのか、白衣の女性がこちらに振り替える。
「あ、すいません。」
反射的に謝罪が漏れる。しかしせっかく声をかけたので自分の疑問と好奇心をぶつけてみる。
「その手帳に興味があるんですか?いったいどんなものなのですか?」
そう尋ねると、白衣の女性は。
「そうなんです!これは、出島に滞在したオランダ人商人イキリトーニャの手帳って言われてて!その中でも、彼の息子の新士居の記述が非常に興味深くてですね!ぜひもっと見たいんですけど、いくら大学院生でも権限がないとこういう資料は閲覧できなくて...。今回の特別展示でやっと出てきたので見に来たんですけど!もっと近くで見れたらいんですけど...。」
やけにハイテンションな女性の声が、静かな館内に響く。
「すいません..。」
それに気づいた女性が謝罪をする。
「いえいえ、そうなんですか。教えていただきありがとうございます。」
その手帳には意味不明な記号や図形が並べられている。確かに不思議といえば不思議だ。まあこの手帳に引き付けられたこの女性のテンションは異常なまでなのだが。
その時彼はポケットの中で自分の携帯が短く振動したことに気づいた。今日は社内に誰も残っていないし、連絡なんてしてくる心当たりもない。そう思い彼が取り出した携帯には
「【プラン/サルベージ】博物館 特別展示 展示34 『イキリトーニャの手帳』に関する調査」
とある。どういうことだ。と疑問に思った彼は、端末をいじりあるひとつに事実を理解する。
「なるほど、こいつは会社の自立AIと同期してやがるのか...。しかし『プロジェクト/サルベージ』ってのは...。」
はじめは会社のAIを私物のデバイスと同期してしまった反省の感情が浮かぶが、それは『プロジェクト/サルベージ』の単語への疑問にかき消される。
「まさか...。こいつがソリューションか?」
レクトから貸与された高度自立型というのは、アーガス時代の茅場晶彦が開発したという最新のAIと聞かされていた。今まで扱ったことのないほどの高レベルなAI。そのAIが出した答えか―
どちらにしろ今のプロジェクトは手詰まりなのだ。藁をすがるような思いで彼はある一つの事実を思い出す。
SAO事件の後処理を任されたアークスだが、サーバーのデータこそあれど大量の人間を殺害した大規模事件の後処理は単なる民間企業には難しくアークスの一部責任者には一般に刑事に付与される捜査権限が付与されていた。
そしてそてはもちろんプロジェクト・ビクティムの責任者である
東は展示の手帳を食い入るように見つめる白衣の女性に声をかける。
「その手帳。もっと近くで見たいと思いませんか?」
彼の手には、アークスの責任者であることを示し警察手帳と同等の権限を持つ社員証があった―
はじめは博物館の学芸員に手帳を公開させる東に目を丸くしていた白衣の女性は、何かにとりつかれた後にページをなめるように読み。しばらくして落ち着いたと見えると、こちらから聞くまでもなく手帳について語ってくれた。
「この手帳は、新士居ソルタという人物の逸脱時間論理というものの一部が載っていて!その理論が本ッ当にすごいんです!きちんと整理して体系化すればきっと世界中の学者という学者が目を回すはずです!まさに彼は天才です!いやこれはノーベル賞!いやそれ以上にすごいことなんです!」
学芸員に通してもらった資料閲覧室に彼女の声が響く。
「そうなんだ...。」
「あ、すいません。せっかく閲覧させてもらったのに自己紹介がまだでした。私は
AIの提案したとおりに調査として、少しこの安生に聞いてみることにする。
「で、その新士居の理論ってのはどういうものなの?」
「えーっと、それがですねー。簡単に言えば、意志の力による現実の事象の改変なんですよ。まあ現代の物理学なんかに照らし合わせると実際 彼の理論には穴が出てくるんですけど、不思議なことにこれがフルダイブ技術での仮想現実世界ではどうやら適応できるみたいなんですよ!これって凄くないですか。一部の記述からは彼は仮想現実の存在を予言してた様子もうかがえるんです!それで、彼の理論の中でも一番すごいのは!仮想現実世界での時間遡行が可能だっていうことなんですよ!」
予期しなかった物事の展開に東は驚きを隠せない。そして気になっていた一つの疑問を彼女にぶつける。
「それって例えばデータが削除される前とかにも戻れるってことかい?」
その技術があれば崩壊する前のアインクラッドで死亡する前のプレイヤーの記録を集めることが可能なのではないか。
「んー。技術的にはわからないですけど、彼の理論的には可能ですねー。ただ彼が言っているのは仮想現実での時間干渉。あくまでデータとしてのものなので、未来を変えたりとかはできませんけどデータの復元とかならできるとは思いますよ。まあこんなことをきっちり技術として実用化するには技術者もごまんと必要ですからほとんど無理みたいなものなんですけどね。」
彼女がそう言い終わらないうちに、彼は携帯端末でチームのメンバー全員に連絡をかける。
「解決への希望が見えた。いますぐありったけの技術者と歴史文献研究者を集めてくれ―」
休日とはいえ警察機関と同規模の捜査権限が与えられたイーアスの大会議室には、会社のフルダイブ技術に関する技術者、大学の関係学部からの教授、そしてプロジェクトチームが集合していた。もちろん白衣の大学院生、安生 露も―
ここから、茅場晶彦の遺した高度自立型AIの無謀な計画
「プラン/サルベージ」が始まった―