魔法仕掛けの妖精人形とそのマスター   作:勇樹のぞみ

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02 裏の仕事の時間

 夕闇も迫りつつある頃。

 

「あら」

 

 ファルナがつぶやき、何かを見つけ出そうとするかのように中空を見つめた。

 俺には感じ取れない声を聴いている時の彼女の癖だ。

 

「シズカさんから交霊(アクセス)がありましたわ。至急の仕事(ビズ)があるので、いつもの店に来て欲しいそうです」

 

 仲介屋(フィクサー)のキトンは彼女自身、魔装妖精シズカの所有者(オーナー)だった。

 助手としてこんな風に便利に使っている。

 

「分かった。すぐ行くと返事をしてくれ」

 

 俺は返答をファルナに頼む。

 仕事が欲しいと思った矢先にタイミングよく入った依頼。

 これは吉兆か、それとも凶兆か。

 気を付けなければならないのは神と悪魔は常にぐるだということだ。

 幸運も不幸も本質は同じ、とも言うが、さて……

 

 使い込んだ払い下げの軍用ジャケットに袖を通し、胸のポケットにファルナを入れる。

 彼女はポケットの中でもぞもぞと動くと顔だけを外に出し収まった。

 出かける際のファルナの定位置だった。

 

「やはり、ここが一番落ち着きますわ」

 

 ファルナはどこか、とろけるような陶酔を感じさせる声を出す。

 

「そうか?」

 

 俺はわざと素っ気なく答える。

 どうしてもファルナには甘くなってしまう俺だったが、裏の仕事を受ける際にそれでは困るからだ。

 その上で、変装用の伊達眼鏡(アイウェア)をかけ鍔広の帽子をかぶる。

 そうやってよそ行き用の仮面をかぶった俺は、たすき掛けに布製の大型の鞄を、それから大振りの細長い布製の鞄を肩に掛け背に回すと安アパートを出た。

 

 このアパートは旧市街外縁部で辛うじて焼け残っていたところを借りているものだ。

 ボロでも俺一人とファルナが住むには十分な物件だったが、入居者の素姓を問わないため様々な住人たちが居る。

 その住人の質のせいか安息日だというのに仕事帰りの人々とすれ違った。

 彼ら普通の労働者たちの時間は終わりだ。

 もうすぐ裏の仕事の時間になる。

 

 俺がファルナと共に向かったのは、まっとうな市民たちが住む清潔で安全な新市街と、かつての魔導大戦の戦火で焼け落ちスラムと化した旧市街との境に位置する緩衝地帯だった。

 

「相変わらず、ここは活気が凄いですわね」

 

 ファルナが辺りを見回しながらつぶやく。

 

 酒場が林立し娼館(ハコ)が軒を連ねる。

 客を当て込んだ美しい娼婦たちが居並ぶ通り(ストリート)を武器や闘争などとはまったく無縁な普通(カタギ)の人間とコートやジャケットの下に物騒な物を隠している危険な空気をまとった連中が肩を並べて歩ける限定区域。

 求めれば得られぬ快楽は無いとまで言われる、至上の享楽とスリルが味わえる歓楽街だ。

 

「人間以外の姿も普通に見かけますしし」

 

 ファルナが言うとおり、路地裏には旧市街のスラムからはみ出てきた亜人……

 小柄でもみっしりと肉の付いた身体を持つひげ面の岩妖精や、醜悪だがどことなく憎めない愛嬌を持つ小鬼。

 雲を突くような巨体を誇る牛頭族、青い鱗が光るトカゲ人などがたむろっていて、時折表通りに鋭い視線を投げかけてくる。

 

「ここは人間から差別を受ける亜人たちが、大手を振って歩ける数少ない街だからな」

 

 俺はこの街が気に入っていた。

 ギャングやマフィアのような犯罪組織(シンジケート)が幅を利かせているものの、この街には危険と隣り合わせに混沌とした魅力があった。

 

 俺たちが向かったのは、そんな猥雑でありながらきらびやかで渾然とした街の一角にある金の腕亭という酒場だ。

 周囲の店のランプに照らされた、さんざめく通りから外れ裏通りに足を踏み入れる。

 表通りの華やかな印象は消え失せ薄汚れ雑然とした街並みが顔を現した。

 旧市街を囲んでいた崩れかかった城壁の一部に古びた石畳。

 それらを尻目に知っている者しか入り込みそうにない奥まった所にある秘密めいた建物にたどり着く。

 分厚い木の扉には店名を刻んだ真鍮製のプレートがきっちりと磨き上げられ飾られていた。

 

 扉を開けて中に一歩足を踏み入れれば、ほの暗い店内に穏やかで流麗なピアノの演奏が流れる。

 外とはうって変わって落ち着いた、綺麗で上品なバーだった。

 暖色系の内装でまとめられた居心地の良い空間。

 

 ピアノの音に耳を澄ませながらファルナが言う。

 

「いつ来ても、気持ちのいいお店ですわね」

 

 彼女は従姉さんの影響か音楽などの芸術を好んでいた。

 そして実際、魅了の力を持つ歌もこなして見せる彼女は自分のことを楽器に例え、天上の名器と呼ぶ。

 

「ああ、そうだな」

 

 俺はファルナの言葉にうなずいた。

 ここは貴族や金持ち、あるいは力のある商会の代理人が自分たちの手を汚さず、旧市街の不法住居者……

 市民権を持たない貧民や亜人たちに裏の仕事を依頼する場所として活用されている店、その中の一つだ。

 

 客も荒事に長けた一癖も二癖もありそうな面子が揃っていた。

 ジャケットやコートで鍛え上げられた身体を覆い隠し、その腰や懐には大抵、黒光りする鋼の武器が見え隠れしている。

 刀剣類以上に目立つのは銃口から黒色火薬(ブラックパウダー)丸い鉛の弾丸(ボール)を込めて発射するマスケットの短銃か。

 

 銃が鍛冶や金属加工を得意とする岩妖精の中でも、ごく一部にだけ秘匿された武器だったのは過去のことだ。

 帝国は岩妖精との交易に麻薬(ドラッグ)を流すことで銃の技術を手に入れていた。

 

 もっとも、背は低くとも強靭な身体を持つ岩妖精にとって麻薬は煙草程度の嗜好品にしかならない。

 そして逆に、帝国の市井には岩妖精たちから横流しされた麻薬と銃器がこんな風に蔓延することになっていたが。

 

 そんな連中が、あるいはテーブルで、あるいはカウンターで、思い思いに黙々とグラスを傾けていた。

 無論、居るのは人間ばかりじゃない。

 大ジョッキで酒をあおる民族色豊かなフェイスペイントとモヒカンが印象的な岩妖精。

 狼の毛皮を頭からかぶっているのは小鬼の呪術師(シャーマン)か。

 斜に構えて紙巻煙草(シガレット)を燻らす闇妖精はおそらく暗殺者で、喫っているのも危ない薬が混ぜ込んであるものだろう。

 

 中にはあからさまに銃を抜いて磨いているやつまで居るが、誰も注意を払うことすらしない。

 撃ち合いが起これば黙って自分の銃を抜くだけのこと。

 生き残れば酒を飲み続けることができるだろうし、死んだら酒の心配などせずに済む。

 この店に集まる連中の間では、そんなことは珍しくもない。

 

 麦酒(エール)六杯分の金で殺し屋が雇えるし、それ以下の小銭のために命を落とす者が絶えないのがこの街だ。

 帝都の治安を守る衛兵もめったに来ないため、派手な立ち回りもまた多い。

 

 カウンターの隅には、天井に頭がつかえるのではないかと思われるほど大きなトロール鬼の用心棒(バウンサー)が特注サイズの燕尾服を着て控えていた。

 騒ぎを起こすような輩は彼の剛腕につまみ出されるという寸法だ。

 硬い皮膚と筋肉に覆われたその巨躯には、刃物はもちろん銃ですら生半可なことでは歯が立たないだろう。

 

「キトンは?」

 

 俺がカウンター越しに馴染みのバーテンダーに声をかけると、それまで丹念にグラスを磨いていた彼は無言で店の奥を示した。

 なるほど、あちらのボックス席か。

 

「それじゃあ俺には麦酒を持ってきてくれ」

 

 そう彼に伝え、慣れた店内をよどみなく進む。

 

「麦酒ですか?」

 

 俺の酒の趣味を知るファルナがポケットからいぶかしげに問いかける。

 麦酒は帝都では水代わりに子供にも飲まれているものだった。

 度数は低い。

 

「ああ、仕事(ビズ)を前に酔っぱらうわけにもいかんからな」

 

 俺たちを待つ仲介屋(フィクサー)のキトンはこの業界でも有名なやり手の美女だった。

 薄暗い店内でも、爆乳とも言うべき大きな胸が特徴のメリハリが効いた身体は目立つ。

 柔らかな栗色の猫毛に好奇心に輝くエメラルドの瞳。

 

「いいねぇ、一度でいいからあんな女とやってみたいよな」

「マジか? お前亜人に手を出す気かよ」

「だって、その辺の人間の女よりか、あの娘の方が良くねぇ?」

「そりゃあな、アノときもすっげいいんだろうなー」

 

 この店にそぐわない勘違い野郎どもが、彼女に惹かれてひそひそと言い合っているのが耳に入ってくる。

 

「綺麗なものほど汚したいっていうか」

「いっそのこと輪姦(まわ)しちまうか?」

「いーんじゃね、どうせそういうつもりだったんだろ」

 

 キトンの美貌に中てられているとはいえ言いたい放題、好き勝手に語ってくれるもんだ。

 

 当然、高い感度を持つファルナの(センサー)にもそれらの雑音は届いていて、彼女はその低俗な内容に眉をひそめた。

 俺はそんなファルナを胸のポケットの上からそっと撫でてなだめる。

 もの言いたげに俺を見上げる彼女にこう告げた。

 

「どうせ口だけだろうし放っとけ。そもそもあんなやつらが手を出せるほど彼女のガードは甘くないしな」

 

 そしてそんな些末なことより、キトンが待つボックス席に同席している見慣れぬ男の方に気を配るべきだろう。

 ファルナも俺の視線の先を追って気づいたか、そちらに目を凝らす。

 

「一緒に居るのが今回の仕事(ビズ)の依頼者でしょうか?」

「そうだろうな」

 

 ファルナのささやきに答えながら、俺はさりげなく相手を値踏みした。

 

 男は無難な夜に合わせた燕尾服姿だった。

 しかし抜け目なく周囲に気を配っている様子からその筋の者とわかる。

 オーバーコートを脱いでいるにもかかわらず手袋を付けたままなのも気になった。

 というのも身体に彫り込んだ呪紋を隠しているとも取れるからだ。

 

「ファルナ、眼を貸してくれ」

「はい、マスター」

 

 俺の視界ががらりと変化する。

 抑えられた照明により薄暗いはずの店内がくっきりと明るく映り込み、更に依頼人らしき男について解析された情報が現実に追加される形で表示された。

 拡張現実(オーグメンテッド・リアリティ)と呼ばれる術式によるもので、ファルナが霊的経路(チャンネル)を通じて、自分の妖精の視野(グラムサイト)から得られた情報を共有させてくれたのだ。

 

「やはりな」

 

 男の身体の表面に沿って走るのは、常人には見ることのできない魔力の線。

 人体に百八箇所ある神経の集中点をつなぐ線を魔法の染料で彫り込んだものだ。

 それにより驚異的な反射スピードを得るための呪的紋様、魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)のきらめきだった。

 

 呪的紋様……

 呪紋は、人体に備わった魔力を自動的に消費して効果を現すものだ。

 魔力強化神経(ブーステッド・リフレックス)以外にも皮膚硬化(ハード・スキン)などといった身体強化(フィジカル・エンチャント)

 邪眼避け(アンチ・バロール)呪術避け(レジスト・マジック)といった護符(アミュレット)

 変わったところでは一時的に心肺機能を引き上げ、痛覚を遮断(キャンセル)させる狂戦士化(アドレナリン・ブースター)などがあり、戦闘屋には必須の機能向上(アップグレード)とされている。

 

「ありがとう、ファルナ」

 

 俺はファルナとの接続を切る。

 とたんに元に戻る視野に映る情報はごくわずかで、眼がいきなり老化したかのようないつもの喪失感が俺を襲った。

 本来なら魔装妖精の視覚にこそ違和感を覚えなければならないはずなのだが、彼女との感覚の共有はまばゆいほど素晴らしく……

 だからこそ酷く危うい。


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