仕方が無い。
俺は視線を余所に向ける。
目を逸らしたと見た守衛がこちらを勘繰る前にぼそりと、しかし相手に聞こえるようにつぶやく。
「煙?」
俺はゴミ捨て場に時限発火装置と
それが作動し、煙を吹き出していた。
「むっ、火事か?」
慌てて走り出す守衛。
そうすると先ほど囮を連行したせいで、その場に残っているのは経験の浅そうなまだ若い男が一人だけになってしまった。
「通っても?」
俺は何でも無いかのように聞く。
背に冷や汗をかいていたが、気力で表情には出さない。
「あっ、ええ」
曖昧にうなずく相手に、俺は馬車を敷地内に走らせた。
守衛室から完全に離れたところで大きく息をつく。
「何重にも保険をかけておいて、ようやく通過か」
まったく、冷や冷やさせられるぜ。
「ここだな」
下水の整備室を見つけ、近くに馬をつなぐと用意された合鍵で中に入る。
そこから鉄のはしごで降りて行ける下水道は完全な暗闇だ。
「海へとつながっているだけあって、磯の香りがするな」
鼻を鳴らす俺に、ファルナがうなずく。
「下水の臭いがしないのは素直に助かりますけどね」
彼女は外見にふさわしくきれい好き……
汚れには神経質なところがあった。
俺は馬車の荷台に積まれていた工具箱から携帯用のランプを取り出すと火を灯す。
それを腰に吊るしポケットの中のファルナと共に下水道の内部に下りた。
足元には棚状の突起があり、それに沿って進むことができる。
レンガでできた壁からはかすかな滴がしたたり、不気味な音を立てて下水の流れに落ちていた。
「何か居ます」
ファルナが息を詰めて言う。
とっさにつながれ共有された彼女の
その正体はつやつやと光る何十匹ものネズミ、キラー・ラットがひしめいているものだった。
「ひっ」
思わず悲鳴を上げそうになるファルナの口を慌てて塞ぐ。
騒ぎは起こしたくないし、まとめて襲い掛かられたらそれこそひとたまりもない。
「刺激しないよう、ゆっくり通り過ぎるぞ」
俺は押し殺した声でファルナにささやく。
彼女がうなずき返したところで、手を離し慎重に進む。
ある程度近付いた所でキラー・ラットたちが一斉に辺りに散らばった。
その場には下水に迷い込んだのだろう、キラー・ラットたちの犠牲となった小動物の無残な死骸が残されていてぞっとする。
対応を間違えれば、次には俺がああなる運命だ。
「気を抜かないで下さいマスター。まだ周囲の物陰に潜んでこちらをうかがっておりますわ」
ファルナの押し殺した声による警告。
じりじりとした緊張に冷や汗をかきつつもゆっくりと進む。
刃物の上を渡るような歩みに神経をすり減らしたが、何とかパスする。
と、思った瞬間、ぬるつく足場に足を滑らせた。
何とか踏みとどまったが、バシャンと立てた水音にキラー・ラットたちが反応する。
「ちっ!」
俺は飛びかかって来るキラー・ラットたちを振り払いながら下水を走った。
「あそこです!」
ファルナの
上へと通じる縦穴がある。
下水道に向け伸びている何本もの管、そして鉄のはしごが取り付けられていた。
それに取りつき、よじ登る。
狂乱状態のキラー・ラットたちはそのまま足元の下水道を通り過ぎて行った。
「やれやれだぜ」
ようやく大きく息をつき、今度ははしごをよじ登る。
しかし途中でファルナの警告。再び生命のオーラが現れた。
「
「すくりーまー?」
「触れるとけたたましい金切り声を上げ警備を呼びつけちまうキノコさ。原木に菌を植え付けて置けば勝手に育つから、こんな風に警報として使われることが多い」
俺はナイフを抜く。
処理方法は傭兵をやっていた親父から習っていた。
慎重に、かつ素早く行わないといけない。
そうして一息に根元を刈り取った。
「ふぅ……」
こうやって悲鳴を上げる間もなく処理できれば問題にはならない。
「焼くとパンのように食えるって話だが」
「下水に生えているものを食べるんですの?」
ファルナは嫌そうに顔をしかめる。
「だから今回は捨ててるだろ」
そうやって
「物音は?」
ファルナはプラズマの翼をきらめかせながら宙を舞い、蓋に耳を当てる。
「特には聞こえないようですね」
人には捉えられない音まで拾う
「なら蓋を開けて上に出よう」
俺が重量のある鉄の蓋を持ち上げて隙間を作ると、すかさずファルナがそこから出て周囲を
「大丈夫ですわ、マスター」
その声に応じて蓋を完全に開け、這い上がる。