そしてその光景をオドネルは呆然と見つめていた。
「ナイトウォーカー? ……ナイトウォーカー! おい、答えろナイトウォーカー!」
「やつはもう休んでるぜ。口も利きたくないとさ」
ナイトウォーカーに代わってオドネルに答えてやる。
死者は安らぎの無へ、生者は
それが決まりだった。
「灰は灰に、塵は塵に、安らかにお眠りですわ」
これはファルナの祈りの言葉。
「ばかな、ばかな、ばかな。こんな小さな妖精ごときにやつが倒されるなんて、嘘だ。不条理だ。でたらめだ」
オドネルはうわ言のようにつぶやく。
「あなたには分からないでしょうね」
ファルナは言う。
「あなたの求めた金や暴力とは違う、自分に打ち勝つという力を。土壇場でもなお、互いを信じて行動できる絆というものの強さを」
元々、人間と魔装妖精の精神融合の成功率は適合者であってもゼロに近く、融合事故の危険性を常にはらんでいる。
それをお互いの持つ信頼と想いの力で補い、成功へと導くのだ。
「あなたの求めた、かりそめの力なんて弱いだけ。そんな力より強いものを私はもう知っています」
それは俺とファルナと従姉さんとの間につながる魂の絆。
従姉さんが死んでもなお遺してくれた大切なものだった。
そしてオドネルの首筋に鋭い太刀の刃先が突きつけられる。
ファルナの紅蓮剣だ。
「ふ、ふひぃ」
首筋に近付けられた刃の熱さに震えおののき、オドネルは情けないうめき声をあげて腰を抜かす。
「た、助けてくれぇ」
自信の……
いや、過信の源になっていたナイトウォーカーを目の前で斃されたためだろう。
態度を一変させて降伏する。
先ほどまでの傲慢な様子からは考えられぬほど情けない姿だった。
「今から詫びを入れても遅すぎるぜ」
そう言って笑う俺に、オドネルの表情が絶望に染まる。
それを見届けたファルナは、俺の肩に止まり耳元にそっとささやいた。
「お怪我は?」
短いが、確かに自分を心配してくれるファルナの言葉。
「なぁに朝、出がけに赤まむしドリンクを飲んで来たからな」
軽口の一つでも絞り出す。
「とっとと逃げ出すぞ。早いところドクの所で手当てを受けないと、死神に会えそうだ」
歯をむき出して笑って見せた。
「応急処置だけでもしておいた方が……」
俺の無理を見抜いているのだろう、ファルナは気づかわしげに言うが、
「ここじゃ駄目だ。早いところ逃げ出さないと警備に捕捉される」
俺は強壮剤の瓶を取り出すと親指でコルクの栓を飛ばして飲む。
各種薬草に蜂蜜と
身体の芯がかっと熱くなり、残っていた痛みも何とか紛れた。
少しだけでいいから何もかも忘れて休みたかったが、まだ
俺はオドネルに命じた。
「さて、それじゃあ例の物を出してもらおうか」
オドネルはおどおどと壁の金庫から例の黒い鞄を取り出す。
「まぁ、偽物を金庫に保管しているわけがないから、これで間違いないんだろうが」
一応、中身を確かめ本物であることを確認する。
そこに秘書室の方から扉を叩く音が聞こえる。
「お客様が来たようですわ。ドアの前で騒いでいます」
ファルナが検知したように警備の者らしい。
ただし工房から響く音もあるためか、明確に何があったかはつかんでいないようだ。
もう一仕事必要かとため息をついた俺はオドネルに追い返せと命令しようとしたが……
「あら?」
ファルナが気の抜けた声を上げる。
廊下に居る警備員の声が不自然に途切れていた。
そして、
「……ただ、春の夜の夢の如し」
不意に響いたこの声は!
俺は扉に打ち込んでいたナイフを抜き、内鍵を解除してドアを開けた。
倒れ伏している警備員たちの上に在る、小さな黒影は、
「シズカさん?」
ファルナの言うとおり、黒装束に身を包んだ隠密哨戒型魔装妖精シズカの姿がそこにあった。
「融合成功、おめでとうございますファルナさん。やはり主を、マスターを持ってこその私たち魔装妖精ですよね」
彼女はうらやましそうにファルナと俺を見る。
すべてを隠れて見ていたのか。
「殺ったのか?」
倒れ込んでいる警備員たちを見て尋ねると、シズカは首を振った。
「血を流すと色々と不都合がありそうですから、春香の術で眠って頂いただけです」
そいつは都合がいい。
連中を部屋の中に引っ張り込んで転がして置く。
「お怪我をしていらっしゃいますね、診せて下さい」
シズカは軍用魔装妖精らしく、医術と応急処置の
「少しだけ、こらえて下さい」
魔装妖精のコアになっている人工精霊石が持つ精霊力が、俺の身体にじんわりと浸透し、
「ぐっ!」
身体に走る鋭い痛み。
「折れた肋骨を接ぎ直しました。無理は禁物ですが、命の危険は無いはずです」
気遣わしそうに言うシズカに、俺は礼を言う。
「ああ、助かる。シズカ、命の
シズカは少しだけ目を見張ると、
「はいっ」
満面の笑顔で答えてくれた。
それを見たファルナが、
「何だか美味しいところばっかり、シズカさんに取られている気がします」
と漏らしていたが。
つまずいて倒れるだけで楽になれそうな状況から脱することができたんだ。
素直に感謝してやってくれ。
「それじゃあ撤退だが…… おいおい、どこへ行こうって言うんだ?」
そろそろと、その場から逃げ出そうとしていたオドネルを、俺は芝居気たっぷりに引き止める。
オドネルは執務室の横手にある扉を開いた所だった。
そこは豪華な家具が揃ったオドネルの私室だ。
宿泊用の大きなベッドもある。
「監禁にはちょうど良い部屋だな。あんたには、俺たちが脱出するまでここで眠っていてもらおう」
俺は床に落ちていたファルナの魔導銃、サンダラーを拾って彼女に渡した。
「そ、それで私を撃つつもりか」
怯えるオドネルにファルナは微笑んだ。
「良い夢を」
ファルナは十分加減した
「それじゃあ、さっさとばっくれるぞ」
ポケットにファルナを入れて来た経路を戻ることにする。
シズカが警備員を黙らせてくれたお蔭で脱出するまでの時間は稼げるはずだった。
「俺の切り札を見て驚くな」
部屋の窓からカーテンの隙間越しに、外を巡回する警備員を見てつぶやく。
「まだ切り札を残されていたのですか?」
感心するシズカに言ってやる。
「切り札は何枚だって持つものさ。そして何枚持っているかを明かす必要はない」
廊下の様子を確認して速やかに撤退する。
「そら、俺の逃げ足の素早さを見ろ」
「それが残っていた切り札ですか」
ファルナが呆れ声でささやいた。
本当の逃走用の切り札はというと、ここに潜入する前にゴミ捨て場に設置した時限発火装置がそうだった。
万が一の時の陽動用に、俺は時間差で作動するそれをもう一つ仕掛けたのだ。
今度のは唐辛子を主成分とし激しい咳、くしゃみ、涙などの症状を引き起こす催涙弾と組み合わせてある。
この催涙弾は公安の特殊部隊でも専属のガス・マンを配して使用されているほど強力なものであり、より悪質だった。
手札は二手三手先を考えて切って置くものだ。
まぁ、無駄になったようで幸いだが。
こうして俺たちは無事、脱出することができたのだった。