婚活戦士ゼクシィ武部の語呂の良さは異常。
というわけで、これより第二幕に入ります。
書き溜めの量が心許ないのは相変わらずですが、なるだけ定期更新を続けていきますので、これからもどうぞよしなに。
あんこうと過ごす休日
俺が大洗女子の学園艦で生活するようになってから、早いもので10日が経過した。気付けば暦も4月となり、陸では桜の花が見頃を迎えている。
けれども、1年を通して移動を続ける学園艦では季節の花が自生できないため、残念ながら春らしさを感じることはできない。なんでも、街の彩りが様変わりするのは雪が降ったときだけであるそうだ。日本男児たる俺としては、それに少々物足りなさを覚えてしまう。
ちなみに大洗女子の学園艦は太平洋を南下しているらしく、朝の天気予報で熱中症に警戒するよう呼び掛けていた。昨日の朝までは上着が手放せないほど気温が低かったこともあって、その寒暖差に少しばかり辟易してしまう。初出勤までに体調を崩さぬよう気を付けねば。
内定が決まってからというもの、俺は1日の大半を勉強に充てていた。これから授業を受け持つ戦車道のことはもちろん、この時代における常識や生徒たちが当たり前のように扱う外来語など、その内訳を挙げるときりがない。杏と出掛けて荷物持ちをしたり、ジョギング終わりにみほくんと取り留めのない話をしたり、ときおり息抜きを挟んでまた机へ向かう。昔から勉強が苦にならない体質だということもあるけれど、時代を経て進化した御国について学ぶのは想像以上に楽しく、ある調べ物をしているうちにひと晩が過ぎてしまうこともあった。
念のため付け加えておくが、俺は別に寝る間も惜しんで勉強しているという認識はない。あくまで好きなことを好きなようにしているだけだ。しかしながら、客観的には相当根を詰めているように見えるらしく、今朝一番に杏から「たまには休みなよ」と言われてしまう。
無理をしているつもりはないと食い下がったところ、
「一郎叔父」
杏に名を呼ばれた途端、部屋は蒸し暑いのに寒気を感じ、思わず身を震わせる。
低い声を出したにもかかわらず、その顔には表情が宿っていない──それは姉が本気で怒っているときに見せる兆候と同じだった。決して逆らってはならない。本能的にそう察し、俺は抵抗の意思を捨てた。
杏が学校へ行ってから、空いた時間をどう使うか考えてみる。テレビやパソコンなどの電子機器にはまだ慣れていないので、勝手に触って壊してしまわないか不安だ。昼食はすでに用意されているし、まだ早いうちから惰眠をむさぼることには抵抗がある。家にいてもやることがなさそうだし、ここはひとつ出掛けてみようか。
いつもの展望台で海を眺めるも良し、せんしゃ倶楽部の店主から話を聞くも良し、童心に返って艦内を探検するも良し、剣の修行をするのも良いだろう。できることはたくさんあるので、何から手を付けようか思案しながら支度をし、とりあえず地図と財布を持って家を出た。
改めて調べてみたところ、大洗女子の学園艦は全長約7600メートル、3万人が船上で生活しているという。旧海軍で最も大きいとされる空母が信濃の266メートルなので、概算で30倍もの規模だ。正直数字だけではどれほど巨大か見当も付かないが、しかしこれでも学園艦の中では小さい方らしい。果たして最大級の学園艦はどれほどの全長があるのか、一度で良いから見てみたいものだ。
家から少し離れたところにあるT字路で立ち止まった俺は、周囲を確認してから地図に目を落とす。そこに書かれた情報と目に映る景色、それから自分の記憶とを比較し、より深く地理を把握しようという寸法だ。
たとえば、ひとつ先の交差点を左折するとコンビニがある。右折したのち2つ先の角を左へ進めば杏御用達の和菓子屋があるし、このままずっと真っ直ぐ行けば服や雑貨、食品などの店を集めた複合商業施設が見えてくるはずだ。
どちらへ行こうかと考え、そういえば洗剤の予備がないと杏が話していたのを思い出す。商業施設の中に薬局が入っていたはずなので、良い機会だから買いに行くか。
交差点を3つばかり越えたところで立ち止まり、もう一度地図を広げてみる。ここで脇道に折れると、その先に散髪屋があるらしい。もう軍人ではないとはいえ、今さら髪を伸ばすことにも抵抗があるし、給料が出たら利用させていただくとしよう。
このような発見があるから探索は面白い。他にも何かないか、地図を見ながら歩き出す。
当時は無自覚であったが、これはいわゆるながら歩きに該当し──実際にぶつかってしまうまで、近くに誰かいることに気が付かなかった。
小さな悲鳴が耳に入り、一拍遅れて我に帰る。視線を上げると、栗色の髪の少女が目の前でよろめき、今にも倒れそうになっていた。どうやらこの子とぶつかってしまったらしい。咄嗟に地図を放り投げて彼女の手を握った俺は、そのまま抱き寄せるようにして転倒を阻止する。
すぐそばで感じるふわふわとした感触と、鼻腔を撫でる砂糖菓子のような甘い匂いで頭が沸騰してしまいそうになる。顔が近い。ああ、可憐だ……そこまで考え、これではいかんと距離をとる。
回らない頭を無理矢理動かして謝罪の言葉を探す。
対する彼女は何を思っているのか、呆然とこちらを見たまま立ち尽くしていた。
「……もう、沙織さん。しっかりしてください」
脇から聞こえた声に、目の前の少女ではなく俺が肩を震わせる。見ると、長い黒髪の女の子──余談だが、この子も可憐な容姿をしている──がすぐそばにいた。全然気付かなかった……というか、一連の出来事を見られていたのか。なんだかいたたまれない気持ちになる。
彼女に肩を揺すられて意識を取り戻した栗色の髪の子、沙織さんは途端に顔を朱に染めた。どうしたのだろうと思ったのも束の間、彼女は「華、ちょっとこっちに来て!」と黒髪の子の手を引いて向こうへ行ってしまう。
「ねえ、華」
「どうしました?」
「わたし、今あのイケメンと出会い頭にぶつかって、手を握られて、抱き締められちゃったんだよね……こんなに偶然が重なるなんてもう運命としか言えないんじゃないかな。早く結婚しないと」
「何を血迷っているのですか、あなたは」
「わたしはいたって正気だよ!」
「どう考えても正気でないから言っているんです」
「だってだって……ほら! 朝遅刻しそうなヒロインがジャムを塗った食パンを咥えて走っていたら、曲がり角で男の子とぶつかって……なんてシチュエーション、少女漫画の定番じゃない? 今の状況はそれとそっくりだよ。だからきっと彼はわたしの運命の相手で──」
「わたくし、食パンならジャムよりハニートーストが良いです」
「朝から重いよ! だいたい、パン1斤を咥えて走る絵面はいくらなんでもシュール過ぎるでしょう……てか、そんなヒロインじゃ恋に発展する気がしない!」
「そんなことより、あの方を放っておいてよろしいのですか?」
「もう、華が話を脱線させたんじゃん……って、そうだったね」
密談を終えた2人ががこちらへ向き直った。
聞き耳を立てるわけにもいかなかったので、彼女たちが何を話していたのかはわからない。
沙織さんは未だに落ち着かない様子である。何を言われるだろうと警戒していたところ、俺の予想とは裏腹に彼女はぺこりと頭を下げた。
「先ほどはよそ見をしていてごめんなさい。それから、助けてくれてありがとうございます」
「え? ああ、いや……こちらこそ、ぶつかってしまってすまなかったね。怪我はないかい?」
「大丈夫です。その……あなたが支えてくれたから」
「そうか、君が無事で本当に良かったよ」
安堵で口元が緩む。怪我がなくてひと安心だ。
沙織さんはぽかんと呆けたかと思えば、すぐに手で頬を覆い、
「……やだもー」
と独りごちる。どういうわけかその顔はとろけきっており、耳まで真っ赤になっていた。怒っているわけではなさそうだが、しかし彼女が何を考えているのかは
「友人を助けてくださってありがとうございます」
会話が途切れて困っていたところ、いつの間にか目の前へ来ていた黒髪の子、華さんがお礼を口にした。数分前と同様、声を掛けられるまで気付かなかった俺は思わず後ずさりをする。
華さんは親切にも俺が落とした地図を拾ってくれた。別に変わった動きこそないけれど、その所作の一つひとつが洗練されている。みほくんのように、彼女も何が嗜んでいるのだろうか。
「ありがとう」
「いいえ、お気になさらないでください」
言ったのち、華さんはその顎に人差し指を添える。
「ここの地図を見ながら歩いていたようですけど、もしかして最近学園艦へいらした方ですか?」
「ああ。少し前に大学を卒業して、この春から学園艦で働くことになっているんだ」
彼女たちがいたずらに吹聴して回るとは考えていないけれど、「正式採用されていないうちは不用意に身分を明かすべからず」と学園長から釘を刺されているので、先の質問には当たり障りのない答えを返すことにした。
「さてと、俺はそろそろ行くとするよ」
これ以上追求されても困るので、そろそろこの場を離れるとしよう。
「あ……」
歩き始めて間もなく、沙織さんが寂しそうな表情をしているのに気付いて足を止めた。どんな要因があってのことかは定かではないが、どうやら俺との別れを名残惜しく感じてくれているらしい。
見たところ2人は杏やみほくんとそう変わらない歳のようだし、恐らくは大洗女子学園の生徒だろう。戦車道のことはまだ言えないけれど、ひょっとしたら俺の教え子になるかも知れない。そうでなくとも同じ船の上にいるのだ、きっとどこかでまた会えるだろう。
「今度会うことがあったら、改めて今回のお詫びをさせて貰うよ」
「は、はい! 楽しみに待ってます!」
ぶんぶんと大きく手を振る沙織さん、控えめにお辞儀をする華さんと別れた俺は、当初の目的であった洗剤を買うべく進路へ戻った。
「よう、大神先生。よく来たな」
買い物を終え、荷物を置きがてら家へ戻った俺は、杏が用意してくれた昼食をいただいてから再び外へ出る。その足で向かったのは、近頃足繁く通っている戦車道関連の店、せんしゃ倶楽部だ。
ここの店主は強面の風貌でありながらたいへん気前の良い方で、資金不足のため冷やかししかできない俺に対しても「戦車道好きに悪い奴はいない」とあたたかく接してくれる。これから長い付き合いになるだろうということで、彼には俺が大洗女子で戦車道を教えることを話しており、こうして足を運んでは意見を交わす仲だ。
せんしゃ倶楽部は休日こそなかなかの賑わいだが、今日のような平日はたいてい閑古鳥が鳴いている。客層もかつて戦車道を嗜んでいたご婦人方がほとんどで、大洗女子に在籍するくらいの歳の子がいるところを見たことがない。
ここへ来るほど関心があれば、きっと戦車道の授業を履修してくれるはずだ。多くは望まない。せめて1人くらいはそういう子がいないだろうか。
「大洗女子に通っている子なら、ときどきうちに寄ってくれるよ」
「本当ですか?」
「ああ、昔からこの学園艦に住んでいる子なんだ。近くの散髪屋の娘さんでよ……っと、噂をすれば。あの子だよ、先生」
店主が顎で示すと同時に、来店を告げる電子音が聞こえる。入り口に目をやると、もふもふとした髪が特徴のかわいらしい女の子がそこにいた。
彼女は見るからに嬉しそうな顔をしてこちらへ来る。
「店長殿、この前おっしゃっていた新作のプラモデルはもう入荷していますか?」
「昨日届いたところだよ。いつものところにあるから見ておいで」
店主の言葉に敬礼を返して、女の子は一目散に奥の棚へと向かう。すぐに目的の品を見つけたらしく、「ふおぉ!」という歓喜の声がこちらまで届いた。軽やかな足取りで戻ってきた彼女は、
「店長殿。お会計をお願いしま──っ!?」
店主のそばにいた俺に気付いて固まってしまう。他に客がいるとは思っていなかったのか、はたまた知らない男に浮かれた姿を見られて恥ずかしいのか、彼女はばつが悪そうに顔を俯かせた。
これは困ったぞ。何も悪いことはしていないはずなのに、罪悪感がふつふつと込み上げてくる。いたたまれなくなった俺は逃げ道を探して店内を見渡し、とりあえず目に留まった棚へ行ってみることにした。
そこには軍服を女性用に改良した衣類が並んでいた。パンツァージャケットというらしい。名称からして、恐らく戦車道の練習や試合で着る制服だろう。
中でも気になったのは、「今年のトレンド」と題して飾られている小袖と
「そいつは新作のパンツァージャケットでな、戦車道をやっている子たちの希望で今年から流通するようになったんだ。見た目は華やかだけど、軽くて丈夫な素材を使っているから競技に支障はないらしい」
店主がやって来る。俺の隣で立ち止まった彼は、「おすすめだから先生のチームで使っておくれよ」と言った。……新作というだけあって他のものより少しだけ値が張るらしい。茶目っ気があるというか、こういうところはちゃっかりしているな。
「ところで、さっきの子はもう帰りました?」
検討しますとあしらったのち、俺はそう尋ねた。店主は頷き、
「気を遣わせたようで悪かったな、先生」
「いいえ、気にしていませんよ。……それで、あの子が例の?」
「ああ、そうだ。あの子はかなりの戦車好きでな、昔からの常連なんだよ。今日はタイミングが悪かったが、次に会ったら声を掛けてみたらどうだい」
「そうですね。俺も、時間が空いたらまた店を覗くことにします」
頃合いを見て話を切り上げ、せんしゃ倶楽部を後にする。そろそろ商店街の魚屋が安売りを始める時間だ。
良い鯛が安価で手に入れられたので、心を弾ませながら家路に着く。刺身はもちろん、昆布締めにしても美味い。さて何を作って貰おうか。
杏が帰宅し、夕飯の支度を始めるのに合わせてジョギングに出る。走っているうちにみほくんと会ったので、途中からは並んで走ることにした。
いつもよりゆったりとした歩調で1時間ほど甲板を周り、休憩がてら話がしたいという彼女の要望でいつもの長椅子を目指す。
俺にとって第二の故郷ともいえるあの場所は、左舷公園という名前があるらしい。これは最初に推理した通り展望台として作られた施設で、大洗女子の生徒たちにも人気の景勝地なのだそうだ。
この時間帯ならそれほど混雑することはないが、人の姿が皆無の日はそう多くはない。
今日は、いつもの長椅子に先客がいた。
白い髪留めがよく似合う小柄な少女だ。容姿は端麗だが童顔で、体格と合わせて考えるとたぶん中等部の子だろう。彼女は長椅子の手すりにもたれ掛かるようにして眠っている。隣に置かれた荷物を見るに、買い物の最中にここへ来て、そのまま寝てしまったといったところか。
まるで、この世の至福を体現したかのような寝顔だ。これだけ気持ち良さそうにされると、彼女を起こして良いものか考えてしまう。
話し合いの末、しばらく寝かしておいてやる方針で意見がまとまった。安眠を妨げないよう、俺たちは隣の椅子を利用する。
恥ずかしくて本人には言えないが、俺はみほくんと話をするこの時間を気に入っている。こちらを気遣ってくれているのか、彼女は会うたびに違う話をしてくれるので飽きが来ないのだ。
今回も聞き手に徹していたらあっという間に時間が過ぎてしまう。変質者が目撃されているわけではないけれど、あまり遅くなっては心配なので、そろそろ帰宅を促すべきか。
喋り足りないのか、みほくんは眉をひそめ、渋々といった様子で首肯する。
「わかりました。大神さんがそう言うなら、」
「──おおがみ?」
みほくんの言葉が聞き憶えのない声に遮られる。いつの間にか目を覚ましていた隣の少女が、眠たそうに目をこすりながらそう口にしたのだ。驚く俺を尻目にむくりと立ち上がった彼女は、ふらふらと覚束ない動作でこちらへやって来る。そして俺の顔を覗き込み、
「……人違いだった」
心なしか残念そうな口振りである。
「お邪魔しました」
それだけ言って目礼した少女は、危なっかしい足取りはそのままにこの場を去ろうとする。
「あの、荷物を忘れていますよ」
隣の椅子に置かれたままになっている袋を手に、みほくんは少女の方へ駆けていく。立ち止まった彼女は自らの失態を恥じらうように頬を染め、憮然とした面持ちで「ありがとう」と言った。
「あの子とはお知り合いですか?」
少女の背中をぼんやりと見送っていたところ、みほくんにそう声を掛けられた。
「いや、初対面のはずなんだけど……」
あの子の顔には薄っすらと見憶えがあった。しかし、あいにく記憶にも記録にも思い当たる節はない。ただの既視感だろうか。
俺の答えが曖昧模糊としたものだったためだろう、みほくんは不可解そうに小首を傾げる。こちらとしてもそれ以上は何も言えず、胸のつっかかりを溜息として吐き出すことしかできなかった。
好きなキャラは躊躇いなく優遇していくスタイル。
彼女に「やだもー」って言わせたい一心から今回の話を考えました。
あと、個人的に今回のサブタイトルが気に入っています。
初めは沙織と華さんだけの話でしたが、サブタイトルの変更に伴ってあんこうチーム全員を出しました。
登場が多いみほはともかくとして、あとの2人は次回以降に掘り下げる予定です。