投稿が遅れてすみません。
連休明けの月曜から風邪でダウンしてしまいまして……まさかこんなに長引くとは。
今日の夕方頃からある程度調子が戻ったので、急いで書き上げました。
「朝から働き詰めなんだし、大神くんはそろそろ休んでおいで」
キャットウォーク内の設営を終えて下へ戻ると、そばで作業をしていた大柄な男性、古文担当の吉村先生がそんなことを言った。壁の時計を見ると、もうじきお昼休みが始まる時刻を示している。作業を始めて、かれこれもう3時間が経過していた。
「もうこんな時間ですか……じゃあ、すみませんがお言葉に甘えて」
「こっちは気にしなくて良いから、ゆっくり飯でも食べて来な」
豪快な笑顔で見送ってくれる吉村先生に頭を下げ、他の先生方にもひと言断ってから体育館を後にした。
生徒会の仕事で忙しい杏に弁当作りまで頼むのは忍びないため、俺は基本的に購買部で昼飯を買っている。しかし今日は力仕事の連続で腹が減っていることだし、少し割高だが学食へ行ってみようか。
大洗女子学園は中等部と高等部に9000人ずつ、合わせて18000人の生徒が在籍している。その全員が利用するわけではないものの、書き入れ時ということで学食は大変混雑していた。
少々げんなりしながら列の最後尾へ並ぶと、同時に俺の周りがざわつき始めた。何事かと生徒たちに視線を向けてみたのだが、目が合うなりみな俯いてしまうから理由が知れない。声を掛けてみても「な、何でもありません!」と要領の得ない返事をされるばかりだ。
生徒向けということもあって、学食は献立の割にずいぶんと安価だった。これならば平時でも利用できそうだなと考えつつ、俺は海鮮丼の特盛りを注文する。味噌汁と小鉢が付いて650円だ。
食べる場所を探して歩いている間も謎の視線に晒され続け、居心地の悪さを覚え始めていたところ、奥の方で椅子を蹴る音が聞こえた。顔を上げてみると、見憶えのある栗色の髪の乙女──沙織さんが茶碗を持ったまま立ち尽くしている。その手前には同じく虚を突かれた様子の華さんが、向かいには明るい表情を浮かべるみほくんがいた。
顔見知りがいることに内心で安堵し、とりあえず俺は彼女たちのところへ向かう。
「な、ななな、なんで……何でこの前のイケメンがここにいるの!?」
まさか俺が学園の関係者だとは思っていなかったのだろう、目に見えて沙織さんは動揺していた。いつの間にか頬が赤くなっているし、呟く声は震えている……というか、イケメンって何だ? 外来語の教本には載っていなかった言葉である。悪い意味でなければ良いのだが。
「あの。立ち話もなんですし、よろしければこちらの席へどうぞ」
沙織さんを一瞥したのち、華さんは自らの正面、みほくんの隣の席を手で示す。他の2人も快く迎えてくれたので、言われた通りお邪魔することにした。
簡単な挨拶を済ませた後、俺は隣で鯖煮を食べているみほくんに声を掛けた。
「どうやら無事友達ができたみたいだね」
「はい! 実はついさっき2人がお昼に誘ってくれたんです!」
みほくんは心から嬉しそうな声で言った。
やはり彼女には笑顔がよく似合う。しみじみとそう考えていると、俺たちの遣り取りを見ていた沙織さんが疑問の声を上げた。
「ねえねえ。みほはこのイケ……お兄さんとはお知り合いなの?」
「うん。大神さんには引っ越して来たばかりの頃に助けて貰って、それからもいろいろとお世話になっているの」
「「大神さん?」」
みほくんの話に、沙織さんだけでなく華さんもこちらを窺う。そういえば2人にはまだ名乗っていなかったな。俺は首に下げた身分証を相手に見えるように持ち上げ、
「初めまして……ではないから、お久し振りで良いかな。俺は大神一郎、4月からこの大洗女子学園で先生をやらせて貰っているよ」
「わ、わたし、みほのクラスメイトの武部沙織っていいます。沙織って呼んでください!」
「同じく、五十鈴華です。わたくしのことも名前で構いませんよ」
「わかった。沙織に華くんだね、これからよろしく頼むよ」
みほくんや生徒会長の子たちで免疫が付いたのか、実際に2人を名前で呼ぶことにそこまで抵抗はなかった。
「ところで、せんせーは何の授業を担当してるんですか?」
自己紹介を終えたのち、沙織が話を切り出した。
横目でみほくんを確認する。やはりと言うべきか、彼女は硬い顔をしており、鯖の小骨を中途半端に引き抜いたところで箸を止めていた。
「そうだな……悪いけど、今は秘密にしておくよ」
みほくんの前で戦車道の話はしない方が良いと判断し、俺は答えをはぐらかす。
「えー、そんな風に言われると余計に気になるじゃないですか」
「すまないね。でもまあじきにわかるはずだし、そのときまでのお楽しみということでここはひとつ頼むよ」
むぅ、と沙織は唸り声を上げる。心中でもう一度謝罪をしてから隣を見ると、それに気付いたみほくんから目礼が返ってきた。
ひと呼吸置いて、今度はみほくんが疑問を呈す。
「そういえば、武部さんたちもどこかで大神さんと会ったことがあるの?」
それを受け、沙織は目を輝かせながらこう返す。
「よくぞ聞いてくれました! 実はわたし、この前せんせーと運命の出会いをして、」
「──転びそうなったところを助けていただいたんですよね」
「ちょっと華、そんなに短くまとめたらダメだよ!」
「そう言われましても。だって、放っておいたら長くなるでしょう?」
「当たり前じゃん。出会ってから2人の未来まで、少なく見積もっても4部作は硬いよ」
「それは拝聴のし甲斐がありそうなことで……と、誇張しているところは多々ありますが、先生が沙織さんのことを助けてくれたことは本当なんですよ」
「あ、うん……わかった」
みほくんは苦笑いで応じた。
それにしても、沙織と華くんの遣り取りは気心が知れているというか、互いに遠慮がないように思える。きっと仲が良いからこその距離感だろう。
俺は何となく親友の加山の顔を思い出し、彼ともう会えないことに寂しさを覚えた。
だが、それは考えても仕方がないことなので気持ちを切り替えよう。
沙織も華くんもみほくんのことを気に掛けてくれているようだし、2人ならきっと彼女を良い方向へ導いてくれるはずだ。
「みほくんに良い友達ができたようで安心したよ」
「ありがとうございます」
俺の声を拾った彼女は、はにかみながらそう答えた。
『──戦車道。それは伝統的な文化であり、世界中で女子のたしなみとして受け継がれてきました』
暗幕で光を遮断した体育館、その舞台に設置された銀幕に、桃が編集した戦車道の宣伝映像が流れ始めた。制作期間の都合で砲弾の音以外は入っていないため、今回は柚子くんがその場で台本を読み上げる形を取っている。独特の雰囲気もあって、太正時代でいう活動写真を観ているような気分だ。
柚子くんの口上によると、戦車道とは淑やかで慎ましく、礼節をわきまえた凛々しい婦女子を育成するための武芸であるという。なるほど確かに、映像の女性たちはみな洗練された美しさを備えているな。加山が熱を上げるのも納得である。
『さあ、みなさんも是非戦車道を学び、心身ともに健やかで美しい女性になりましょう』
映像が終わると同時に舞台の下の装置が稼働し、体育館中に炸裂音が響く。音の発信源から立ち昇る煙も合わせて、戦車の砲撃をイメージした演出だ。なお、これは生徒会の希望で設置したのだが、当初は一部の先生方が難色を示していたために、導入には結構苦労している。
煙も引いたところで、杏たちが舞台の真ん中へ歩みを進めた。
「実は、数年後に戦車道の世界大会が日本で開催されることになった。そのため文科省から全国の高校、大学に、戦車道に力を入れるよう要請があったのだ」
「んで、うちの学校も戦車道を復活させるからね。選択するといろいろ特典を与えちゃおうと思うんだ。……副会長?」
「成績優秀者には、食堂の食券100枚、遅刻見逃し200日、さらに通常授業の3倍の単位を与えます!」
それからもうひとつ、と杏は続けた。
「なんと、戦車道を受け持つ先生は若い男、しかもかなりのイケメンなんだよね。今挨拶をして貰うので──大神先生、壇上へどーぞ」
事前の打ち合わせ通り、彼女の紹介に合わせて席を立つ。始業式には間に合わなかったこともあって、これから着任の挨拶をする運びだ。
少し気になるのは、俺の紹介の仕方が台本と違うことである。あんな台詞はなかったはずだが……というか、杏も俺をイケメンと称したな。これだけ頻繁に言われると、やはり意味が知りたくなってしまう。
などと考えているうちに壇上へ到着した。いかん、今は目の前のことに集中しろ。杏からマイクを受け取り、俺は生徒たちへ向き直る。
薄暗くてはっきりとは見えないが、それでも圧倒されてしまうだけの生徒数に思わず俺は後ずさりをした。
しかし怯んでいる暇はない。ひとつ深呼吸をして気持ちを整えた俺は、昨晩のうちに暗記しておいた原稿をそらんじる。
「みなさん、初めまして。今年度からここで戦車道の授業を受け持つことになった大神一郎です」
この場で俺が話すことは大きく3つに分けられる。まずは俺の自己紹介、次に戦車道を受講して得られる恩恵──先ほど柚子くんが言っていた内容の補足、最後にそれを受けるに当たって生徒が被る負担についてだ。
3つ目については、初めに今年度の全国大会に出場する旨を伝え、そこである程度の成績を残すことを前提に活動すること、単位に見合うだけの練習量、朝や放課後にも追加で訓練することなどを挙げた。
1人でも多くの生徒を獲得したい事情がある中で、あえて受講のデメリットを話したのには理由がある。書類を調べているうちにわかったのだが、大洗女子は戦車道の授業を廃止した際、学園の運営費を賄うために大半の車輌を売却してしまったようなのだ。
残存する戦車の量はまだ判明していないけれど、満足な数を確保できる可能性は低いだろう。その上うちの学校には新しい戦車を購入する財政的な余裕はない。
したがって、仮に興味を持ってくれた子が何十人も授業を取ったとしても、その全員を必ず戦車に乗せてあげられる保証はないのだ。せっかく戦車道を学んでいるのに、ずっと補欠で試合にも出られないとあってはあまりに不憫である。ならばここで一度ふるいにかけて人数を絞った方が良い、と俺たちはこのような原稿を作った。
この選択が吉と出るか凶と出るかはわからない。願わくは、俺の話を聞いてもなお受講を検討してくれるやる気のある生徒がいてくれますように──そう考えながら俺は着任の挨拶を終えた。
「西住さん、やっぱりショックを受けているみたいでしたね」
「ああ。覚悟していたとはいえ、こちらも心が痛む」
「……河嶋。西住ちゃんはあたしたち以上につらいはずだから、間違っても生徒会長室以外で弱音を吐いちゃダメだよ?」
「わ、わかっていますよ」
「わたし、なんだか悪者になった気分です」
「まあ、事実悪者なんだろうねえ」
「もう、会長。そんな他人事みたいに言わないでくださいよ」
「だって、そうでもしないと罪悪感でいたたまれなくなっちゃうからさ」
「……会長」
「今のあたしたちは、西住ちゃんの心を傷付けたことを中途半端に悔やんで免罪符にしようとしてる。『自分たちも胸が痛いからおあいこでしょう?』ってね。でも、それじゃあダメなんだ。そんなの責任を取ったって言わない。責任を取る道っていうのは、もっとずーっと地味で真っ当な道だから……どんなに苦しくても、あたしたちは前を向いてなきゃいけないんだと思う」
「会長……!」
「あの。格好良くまとめたみたいに聞こえますけど、それってわたしの弟が持ってる麻雀の漫画の台詞をそのまま使っただけですよね」
「あ、バレた?」
「少しは悪びれてくださいよ……というか、それよりわたしは西住さんが大神先生にこのことを言わないかどうか気になるんですけど」
「あ! た、確か教官と西住はジョギング仲間だったはずだから、もしかしたら柚子の言う通り密告されてしまうのでは?」
「それなら問題ないよ」
「どうしてそう言い切れるんですか? わたしたち、あの場で先生のことは何も話しませんでしたよね。先生には内緒って釘を刺すのも忘れちゃいましたし……」
「だからこそ、かな」
「どういうことですか?」
「たぶん西住ちゃんは、今回のことがあたしたちの独断だって確信してるんだろうね。自分の境遇を知ってる一郎叔父が戦車道の受講を強要するはずがないって思ってるからこそ、あの子は何も訊かなかったんだよ」
「しかし、それだとなおさら教官に報告するのでは?」
「んー、これはあたしの勝手な推測なんだけど……話をした感じ西住ちゃんって結構気を遣いそうなタイプだったからさ、こっちの意図がわかるまでは一郎叔父に相談はしないと思うんだよね」
「じゃあ、わたしたちにはまだ猶予があるってことですか」
「明日の朝に記入用紙を確認して、もしも西住ちゃんが戦車道以外を選んでいても……あと1回くらいは問い
「そこで勝負を決めないといけませんね」
「うん。また新しい作戦を考えなくちゃね。今日も居残りだー!」
次回、麻子さんが再び大神さんと相見えます。