とりあえず資格の試験が終わってひと息つけたので、リハビリがてら久し振りに筆を取った次第です。読みづらい点などあるかも知れませんが、どうぞよしなに。
「誰かに見られているような気がする、ですか?」
日替わり定食の主役である唐揚げを摘もうとしていた箸を止め、みほくんは俺の直前の言葉を鸚鵡返しにした。隣の沙織、対角に座る華くんも、声を発した彼女と同じ怪訝そうな表情を浮かべる。
昼飯を調達しようと購買へ行く途中でみほくんたちと出会い、彼女たちに誘われる形で学食に進路を変更した俺は、その席でいの一番に「何か困ったことでもあるんですか?」と質問された。自分では上手く隠しているつもりだったのだけど、考えが顔に出てしまっていたらしい。今さら隠し通せるとも思わず、正直に悩みを打ち明けたところ、先ほどのような反応が返ってきたというわけだ。
みほくんと華くんが顔を合わせ、次いで沙織に目配せをする。3人とも思っていることは同じなのか、互いにひとつ頷き合ってみせた。
「考え過ぎとまでは言わないけど、ある程度は仕方ないんじゃないかな。わたしだってせんせーが歩いてたらそっちを見ちゃうもん」
「沙織さんではありませんが、ここは女子校ですからね。若い男の先生、というだけで注目されているのではありませんか」
「っていうか、せんせー前にもおんなじこと言ってなかったっけ?」
「あ、ああ、それはそうなんだけど……」
沙織の言う通り自分が注目されていることは話に聞いているし、徐々にではあるがその自覚も芽生えつつある。しかし、今日のそれはひと味違うというか……ありていに言えば、以前までとは比べ物にならないほど強い視線を感じるようになったのだ。
「もしかすると、
「心当たりがあるのかい、華くん?」
俺の問いに肯定したのち、華くんは他の2人に目を向けて、
「ほら、3階の突き当たりの掲示板に……」
それで合点が行ったらしく、みほくんと沙織は揃って「ああ」と気の抜けたの吐息を漏らす。もったいぶらないで教えて欲しい。説明を求めると、何故かみほくんが目を逸らした。頬が赤く染まっている。
少し迷いを見せたのち、代表して沙織が口を開いた。
「あー、えっとね、昨日せんせーとみほが剣術の勝負をしたでしょう? あのとき剣道場に新聞部の人もいたみたいで、その様子が学生新聞にまとめられてたんだけどさ……記事と一緒に貼られてた写真が、ちょうどせんせーがみほをお姫様抱っこしてるやつだったんだよね」
「お姫様抱っこ?」
「ほら、勝負の最後に後ろへ飛ばされてしまった西住さんを大神先生が支えたときのあれです」
横抱きのことを言っているようだ。
「あれはみほくんに怪我をさせないための行動だったんだけど……もしかすると、そういう事情は抜きにして、男の俺が特定の生徒と密着してしまったことを声もなく非難されているのかな」
「どうしてそうなるのさ……もう、せんせーは乙女心ってものが全然わかってないんだから!」
俺の推測は的外れだったようで、真相を知っているらしい沙織に強く否定されてしまった。いかにも怒っている様子だが、頬を膨らませる子供っぽい仕草が似合っているから迫力に欠ける。
「せんせーみたいな男の人にお姫様抱っこされるのは、全女の子の憧れなんだよ?」
「えっ……そうなのかい?」
思わず訊き返した俺に、力強い首肯で沙織は応じる。
向かいを見ると、華くんは苦笑しつつ「わたくしからは何とも……」と言った。みほくんに至っては顔を俯かせてしまっている。
「ですが、人の噂も七十五日と言いますし、きっと時間が経てば落ち着くのではありませんか」
「……なるほど。そうかも知れないね」
今のところ実害はないから、変に注意するのも気が引ける。結局、華くんが言った通り時間が解決してくれるのを待つしかない、か。
「相談に乗ってくれてありがとう。とりあえず、少しでも気にしないように頑張ってみるよ」
喉の先まで出掛かった溜息を呑み込み、お礼を口にする。
これ以上彼女たちを付き合わせるのも忍びないし、ここはひとつ話題を変えることにしよう。そうだな、近頃の流行でも尋ねようか。
話を聞いているうちに各々昼飯も食べ終わり、そろそろお暇しようと思ったところで、大事なことを伝え忘れていることに気付いた。
「時にみほくん、今日の放課後は空いているかな」
小首を傾げつつも、みほくんは特に予定がないことを教えてくれた。
「それは良かった。実は杏──生徒会長から言伝を預かっていてね。帰りのホームルームが終わったら生徒会長室へ来て欲しい、と言っていたよ」
「会長さんが?」
「ああ。大事な話があるそうだよ」
昨日の今日で思うところがあるのかも知れない。みほくんは即決せず、俺からわずかに目を逸らした。
「1人で行くのが嫌なら、わたしが一緒について行こっか?」
見かねた沙織がこのように言う。確かにその方がみほくんも気が楽だろう。実に彼女らしい提案だと感心しつつ、しかし俺は首を振った。
「少々理由があってね、悪いけどみほくん1人で来てくれないかな」
「……わたしたちには言えないような話をするんだ」
沙織が半目でこちらを見る。また何かやるのではないか、と声もなく問い質されているような気がした。
「こちらには前科があるし、手放しで信じてくれとは言わない。だけど、それを承知の上で今回は俺に任せてはくれないかな」
それに、と今度はみほくんに視線を移して、
「君の方からも杏に尋ねたいことがある──違うかい?」
彼女は背筋を伸ばすことで無言の肯定を示す。ひと呼吸置いたのち、真っ直ぐにこちらを見つめて「わかりました」と言った。
「……大丈夫?」
「心配してくれてありがとうね、武部さん。だけど大神さんの言う通り、会長さんには訊いておかなきゃいけないことがあるから」
みほくんの言葉で一応は納得したのだろう、複雑そうな顔をしつつも沙織は追及をやめる。代わりに俺に目を向け、
「ねえ、せんせー。この前みたいなことにはならないよね?」
「ああ、約束する」
「……うん。わかった」
沙織は今度こそ安心したようにはにかんだ。それは華くんも同じで、彼女もまたみほくんのことを真剣に考えてくれていたのがわかる。
みほくんが友人に恵まれて本当に良かった、と俺は改めて実感した。
「かーしま、うろうろしない。みっともないよ」
部屋の中をふらふらと歩き回っていた桃は、杏の声を受けて大きく身震いをした。彼女はばつの悪そうな顔をして、
「し、しかし会長──」
「言い訳しないの」
「……申し訳ありません」
何を言っても無駄だと悟ったのだろう、桃はその場で深く項垂れた。
一方で、彼女を諭した杏も真一文字に口を結び、険しい表情を見せている。2人の遣り取りを窺っていた柚子くんも、応接の準備を進めつつも落ち着かない様子だ。
もう間もなくみほくんが部屋を訪ねて来る。
そうせざるを得ない理由があったとはいえ、彼女に戦車道の受講を強要したことに対して後ろめたさを感じていたに違いない。だからこそ杏たちは自ら話し合いの場を企画したのだろうし、こんなにも緊張しているのだろう。
杏たちに掛ける言葉は幾らでもあるが、あえて何も言わないでおく。3人とも自分のしたことと向き合おうとしているのに、ここで甘やかしてはその頑張りまで否定することになってしまうと思ったからだ。
ほどなくして扉を叩く音が聞こえ、「失礼します」という声とともにみほくんが部屋に入って来る。昼休みの彼女とは対照的に毅然とした面持ちで、その瞳には昨日と同じ強い意思が感じられた。
そんなみほくんは、杏たちの様子を見てすぐに困り顔を作る。
「えっと、わたしに話があるんですよね?」
「……あー、うん。ごめんね。とりあえずこっちの椅子に座ってくれるかな」
一拍遅れて杏は返事をする。どこか腑に落ちない顔をしつつ、それでもみほくんは言われた通り俺たちの正面の席に腰を下ろした。
「まずは、あたしたちの都合で西住ちゃんに嫌な思いをさせちゃったことを謝らせて」
いつもより少し低い声で杏は続ける。
「詳しい事情までは調べてないけど、去年の全国大会の映像を見て、西住ちゃんがうちに来た理由についてある程度の想像はできた。その上であたしは、あなたの都合を無視して戦車道の受講を強制したの」
そこまで言って杏は席を立ち、
「あたしの身勝手な判断であなたを傷付けたことを謝ります。本当にごめんなさい」
「西住さん、ごめんなさい」
「すみませんでした」
彼女に合わせて柚子くんと桃も頭を下げた。
3人の謝罪は簡素なもので、中には言葉足らずだと思う方がいるかも知れない。しかし俺はこの飾り気のなさこそ彼女たちの矜持であり、また最大限の誠意の表れなのだと感じられた。
幸いにもそれはみほくんに伝わったようで、慌てて3人に頭を上げるように申し出る。恐る恐る言われた通りにした彼女たちに、
「もちろん初めは『どうしてこんなにひどいことをするんだろう?』って思いましたし、今でも胸のつかえが全部取れたわけではありません。……ですが、同時にもう一度戦車道と向き合おうと考えられるようになったのは、ある意味で会長さんたちのお陰なんじゃないかな、とも思っているんです」
みほくんは小さく笑みをこぼした。
「わたしに悪いことをしたって本当に思ってくれているなら、これからはわたしを含む全員に対して誠実でいてください。それを約束してくれるなら、わたしは喜んでみなさんに協力しますし、これまでのことをすべて許します」
「……ありがとう。本当にごめんね、西住ちゃん」
応じる杏の声は震えていた。涙ぐんでいるのかも知れないが、それを確認するのも野暮なので、今度はこちらから言うべきことを言うとしよう。俺は杏たちと同じように頭を下げ、
「今回の件は、杏たちの独断を許してしまった俺にも責任がある。改めて謝らせて欲しい。すまなかったね、みほくん」
「大神さんまで……も、もう気にしていませんから。頭を上げてくださいっ」
困っているのがわかる声音だったため、言われた通り顔を上げる。それを見てひと息ついたのち、みほくんはこほん、と咳払いをした。
「みなさんの気持ちはちゃんと伝わりましたし、わたしもこれ以上追及するつもりはありません。……でも、ひとつだけ気になることがあって」
「気になること?」
「オリエンテーションのとき、確か大神さんは全国大会で良い成績を残すことを目標にするって言っていました。そのためにも経験者であるわたしがチームに欲しい──理屈はわかります。ですが、事情を知っている大神さんに一度は勧誘を止められたんですよね。にもかかわらず、会長さんたちはわたしに戦車道を取ることを強要した。きっと、そうまでして目標を達成したい理由があるんですよね」
よほど心に余裕がないのか、杏は言葉に窮してしまう。何か言おうとしたが声が出ず、最後にはこちらへ縋るような目を向けた。
杏が躊躇う理由はわかる。しかし、みほくんだって何の考えもなくそれを口にしたわけではない。彼女はきちんと覚悟を決めて話を聞こうとしているのだ。それがわかっている以上──
「俺はすべてを話すべきだと思う」
「で、でも……」
「みほくんには、こちら側の事情を知る権利があるはずだよ」
今回の件で少なからず心を痛めたはずなのに、それでもみほくんは俺たちに協力してくれると言った。その好意に報いるためにも、ここは彼女が望むようにしてやるのが筋で、誠意の示し方なのだと思う。
念を押してそう続けたことで決心が付いたようで、杏はこの学園艦が抱える問題のすべてをみほくんに伝えた。
「戦車道の全国大会で優勝しないと今年度で廃校、ですか」
杏の言葉を反芻し、みほくんはこちらを見る。動揺で瞳が揺れていた。
「残念だけど事実だ」
「……そう、ですか」
みほくんは顔を俯かせてしまった。膝の上で握った拳が震えている。ああは言ったが、編入したての彼女には荷が勝つことだったのかも知れない。
などと考えているうちにみほくんは頭を上げる。その顔は想像していたよりずっと力強く、そして頼もしさを感じるものであった。
「わかりました。お役に立てるかどうかわかりませんけど……それでもわたしを必要だと言ってくれるなら、喜んでみなさんの力になります。頑張って優勝を目指しましょう!」
そう言ってみほくんは胸を張る。聞いているこちらまで気分が高揚するような──そんな魔法が掛けられた言葉だった。
「気負い過ぎてはいないかい?」
それを心強く思う一方で、無理していないか心配になった俺はそう問い掛ける。応じるみほくんは首を振って、
「それはまったく責任を感じないわけではありませんけど……正直、ただ漫然と戦車道を受講するよう言われるよりもずっと気が楽になりました」
それに、と彼女は目を輝かせながらこう続ける。
「大神さんだって、大きな目標がある方がやる気が出るでしょう?」
「……ああ。そうだね、みほくんの言う通りだ」
やはりみほくんは強い子だ。目先の問題が片付いたことを実感しながら彼女の台詞に首肯を返す。
それから俺たちは3日後に迫った初授業に向けて簡単な打ち合わせをした。戦車の保有台数が不透明なことを知ったときは流石のみほくんも苦笑を見せたが、やはり経験者の意見は大きく、今まで漠然とし過ぎてわからなかったようなことも段々とその輪郭が窺えるようになる。
気掛かりだった杏たちとの関係も良好で、徐々にではあるが3人の表情もいつものように戻っていった。戦車道は個人競技ではない。今回の件が尾を引いてチームワークに影響が出てしまうかも知れない、という俺の懸念は杞憂に終わったようで何よりである。
話し合いも一段落したところで、「ああ、そうだった」とみほくんが柏手を打った。
「大神さんにひとつ確認しておきたいことがあって」
「ふむ、何かな」
「チームの隊長を誰にするのかは、もう決めてありますか?」
「そうだね。ここはぜひ経験者のみほくんにお願いしようかと、」
ここまで口にして、彼女があえてそれを尋ねた理由を悟る。
みほくんは目を伏せ、申し訳なさそうな口調でこう言った。
「えっと……試合中の指揮はわたしが取りますし、作戦の立案も主導になって考えます。その代わりといっては何ですが、形式上の隊長は別の方にしていただきたいんです」
少なくとも今のうちは、と結ぶ。
「そっかぁ。西住ちゃんが隊長の方が他のメンバーの士気も高まるんじゃないかと思ったんだけど……仕方がないか」
心底残念そうに杏は返す。
「よろしいのですか、会長……それに教官も」
かねてより俺や杏がみほくんに隊長の職をお願いしようと考えていたことを知っているため、桃は怪訝そうな声を出す。みほくんを見つめるその瞳は、彼女が辞退した理由を問うているようだった。
それを受けてみほくんは、
「実はわたし、お母さんからもう戦車道をやっちゃダメだって言われているんです。それが転校を許してくれる条件で……もちろん一度決めた以上みなさんとの約束は守ります。でも、可能な限りメディアへの露出は避けたいんです。もしもお母さんにばれたら大変だから」
概ね予想通りの答えが返ってきて、思わず俺は腕を組んだ。
正直、みほくんが隊長をやらなかったとしても、試合に出続けていればいつか必ず西住師範に知られてしまう日が来る。故に彼女の選択は秘密の露見を先延ばしにするばかりで、根本的な問題の解決には繋がらない。むしろ彼女たちの関係をさらに悪化させてしまうだろう。
しかしながら、今はそうはわかっていてもみほくんを頼らざるを得ない状況であることも確かだ。最悪俺が彼女に無理矢理戦車道を受講させたと言えば良いが、それで西住師範が納得してくれるかどうかわからない。いや、納得してくれるまで食い下がるしかないだろう。
代わりの隊長は発起人である生徒会の誰か──役職との兼ね合いで桃辺りにお願いするのが妥当か。いずれにせよ、授業が始まるまでには調整しておかなければならない。
それから細かい点を幾つか確認し、ある程度きりが良いところを見計らって今日のところは解散となる。
廊下までみほくんを送ってから部屋へ戻ると、先ほどまで一緒にいた柚子くんと桃の姿がなく、杏が1人椅子に深くもたれかかって天井を見上げていた。
「お疲れ様、杏」
俺の声に「んー」と間延びした返事をしたのち、杏は椅子を叩いて横に座るよう促す。
「自分が悪いってわかっていても、面と向かって謝るのは緊張するよねぇ。……こんなに疲れたの、ほんと久し振りだよぅ」
「ああ。よく頑張ったね、杏」
杏の隣に腰を下ろし、その頭を軽く撫でてやる。少しの間されるがままにしていた彼女は、「たまには子供扱いされるのも悪くないなぁ」と呟いたのち、俺の手をのけてこちらを見上げた。
「西住ちゃんにもちゃんと謝れたし、これで目先の問題がひとつ片付いたかな」
「あとは肝心の戦車をどうするかだけど……まだ倉庫の
「だねぇ。一応生徒会の方でも情報を募ってるんだけど、未だに何も届けられてないし」
「最悪、最初の授業は戦車の捜索に充てるしかないか」
「それはそれで良いんじゃない? 見つけた人が見つけた戦車に乗るようにしたら愛着も湧くだろうしさ」
「なるほど一理あるな。メンバーの親睦を兼ねて、レクリエーション感覚でやれたらやる気も上がるかも知れない」
「せっかく授業を取ってくれたんだし、メンバーの子たちには少しでも楽しい気持ちで戦車に乗って欲しいよね」
しみじみと言う杏子に、俺は大きな首肯を返した。
本編の合間の箸休め的な1話でしたが、どうでしょう?
大神さんの関与によって微妙に事情が変わっています。みほと生徒会の関係も、この時点としてはかなり改善されたのではないでしょうか。
あと、当初の予定とはずれてしまいますが、きりが良いので次回第二幕の最終話とさせていただきます。アニメ2話以降は第三幕となるかと思います。
これからはぼちぼち投稿ペースを戻していけたらなと思いますので、よろしくお願いします。