戦車大戦-大洗華撃団、出撃せよ!-   作:遠野木悠

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いつもの18時には間に合いませんでしたが、更新します。

今回は第一幕のときと同様にヒロイン視点の幕間です。
語り手は沙織、時系列はアニメ本編における校内模擬戦~聖グロ戦の間となります。そのためまだ登場していないキャラが出てきますのでご注意をば。

なお、話の都合で明らかに本編と異なる描写があります。その旨をご留意の上読んでいただけたらなと思います。

あと、ついに1万文字の壁を超えました。


わたしの一歩

陸にいるお父さんとお母さん、実は今沙織には気になっている男の人がいます。彼はこの春高等部に赴任した戦車道の先生で、背が高ければ顔も良く、性格は優しくて誠実、おまけに頼り甲斐満載の完璧なスペックの持ち主で、名前は──

 

「あー、はいはい、わかったから。今度はどの港のカレー屋さん?」

 

向かいの席で納豆を掻き混ぜていた妹の詩織が、うんざりとした様子でわたしの独白に割り込んでくる。あ、あれ? 娘の近況を心中で報告していたはずなのに、もしかして声に出ちゃってたのかな。

 

「いかにも聞いて欲しいって声だったのに、よく言うよ。……まあ、お姉ちゃんの〝発作〟は今に始まったことじゃないけどさ」

 

「ほ、発作って……病気みたいに言わないでよ!」

 

「だって、ねえ?」

 

含みのある言い方をして、詩織はわざとらしい溜息をつく。

 

むぅ、なんか冷たい反応だなぁ。昔は「お姉ちゃんお姉ちゃん」っていつも後ろをついて回っていたのに、いつの間にかわたしへの当たりが強くなった気がするよ。まあそれでも叱ったり怒ったりできないのが姉の(さが)なんだけどさ……でも今回は特別、生意気盛りの妹にはお灸を据えなくちゃダメだよね。

 

「苦手なくせに怖い番組を観ちゃったせいで『1人じゃ眠れない』って泣き付いてきた誰かさんのために、わざわざ管理人さんに頼んで泊まってあげたお姉ちゃんに対して、その言い方はあんまりじゃない?」

 

わたしの言葉を聞いて、詩織はぴくりと頬を引き攣らせた。

 

「それはそうなんだけど……ごめんなさい、わたしが悪かったです」

 

「わかればよろしい」

 

悔しそうな顔をしつつも黙ったままの妹と静かな朝食を済ませる。それから並んで歯を磨き、久し振りに髪を梳かしてあげ、その他身だしなみを整え終えた頃にはすっかり詩織の機嫌も直っていた。

 

「ねえねえお姉ちゃん」

 

いつもと違う通学路の景色を珍しく思いながら歩いていると、隣を歩く詩織が話し掛けてきた。

 

「さっき言ってたカレって、ほんとにカレー屋さんじゃないの?」

 

「それはモチのロンよ。詩織だってびっくりするくらい格好良い人なんだから!」

 

「ふ、ふうん、そうなんだ」

 

そっけない相槌を打ちながらも、妹の顔と声音には関心の色が見え隠れしている。どんな人なのお姉ちゃん、という心の声が今にも聞こえてきそうだ。

 

そこまでわかりやすい反応をされたら、教えてあげないのもかわいそうだよね。

 

「ほら、今年からお姉ちゃん戦車道を始めたじゃない? 彼はその授業の担当で……正直戦車の中は狭いし暑苦しいし、おまけに鉄臭いんだけどね。それでもせんせーがいるから頑張れるって感じかな」

 

「んー、それだけじゃよくわからない──」

 

「おや、その後ろ姿は沙織じゃないか。おはよう、通学の時間に会うとは奇遇だね」

 

詩織の言葉に被せるようなタイミングで聞こえた声に、わたしたちは揃って後ろを振り返る。するとそこには、いつもと違ってスーツを着た一郎せんせーがいた。

 

「あ、せんせーおはよう」

 

普段のカジュアルな服装も良いけれど、ぴしっとしたスーツ姿も素敵だなぁ、なんて思いつつわたしは挨拶を返した。

 

「わたしの寮は違う方向なんだけどね、昨晩は妹の部屋に泊まったからさ。そういうせんせーのお家はこっち側なの?」

 

「ああ、そうだよ。この先の……っと、俺の家はどうでも良いか。それより妹さんというのは、隣にいるその子のことかい?」

 

「うん。中等部の3年生で、詩織っていうの。……ほら、あんたもちゃんと挨拶しなさい」

 

俯き加減の妹の背中に手を当てる。別に痛くなるほど力を込めたわけじゃないんだけど、それを受けて詩織はびくりと大きく身震いした。

 

「あ、あのっ……武部詩織、です」

 

妹の口から出たとは思えないほどしおらしい声だった。

 

「詩織ちゃんだね。初めまして、俺は大神一郎。高等部の教師で、君のお姉さんが取っている戦車道の授業を受け持っているよ」

 

爽やかな笑みを浮かべてせんせーは手を差し出す。ゆっくりと握手に応じた詩織は、「よろしくお願いします」と小さく言った。

 

「それにしても、沙織たちはよく似ているね。一目で姉妹だとわかったよ」

 

「当然でしょう? これでも陸にいた頃は『大洗の美人姉妹』で通ってたんだから」

 

「うむ。そう言われるのも当然の道理だね」

 

「えっと……うん。ありがとう」

 

実は美人姉妹って言われたのは幼稚園のときのことで、半分冗談のつもりだったんだけど……せんせーってば普通に認めちゃうんだもん。嬉しさ余って恥ずかしくなったわたしは生返事しかできなかった。

 

「……っ」

 

急に腰の辺りが痛くなって背筋が伸びる。詩織が制服越しに肌をつねってきたのだ。赤くなった頬と複雑そうな表情から、わたしと同じように恥ずかしくなってしまったことがわかる。

 

ごめん詩織、今度の休みにアイス奢ってあげるから許して!

 

そう目で訴えると、すぐに痛みが消えた。本当に必死になれば2人の間に言葉なんて必要ない。これぞまさしく姉妹愛だね。

 

そんな風に考えていると、せんせーはふと何かを思い出したように柏手を打った。

 

「午後の授業で使う資料に不備があって、これから印刷しに行かねばならないんだった。……2人には悪いんだけど、先に行かせて貰うね」

 

「わかった。また後でね、せんせー」

 

ああ、と頷いてせんせーは走り出す。その後ろ姿を見送ってから隣へ向き直ると、詩織はぼんやりした様子で正面を眺めていた。

 

わたしの呼び掛けにはっと息を呑んだ妹は、興奮気味にこちらへ詰め寄ると、

 

「お姉ちゃんお姉ちゃん! 今のイケメンが例のカレなの!?」

 

「う、うん。そうだよ」

 

さっきあれだけ興味のないふりをしていたのに、本物のせんせーを見た途端これだよ。我が妹ながら現金だと呆れる一方で、こういうところはやっぱり姉妹なんだなぁって思う。いやはや、血は争えないね。

 

「良いな良いな、羨ましいなぁ……わたしも高等部に進学したら戦車道を取りたくなっちゃったよ」

 

「そんな不純な動機で受講したって続かないよ?」

 

「またまたぁ。お姉ちゃんだってどうせあの先生目当てで入ったくせに」

 

「うぐっ……お、お姉ちゃんにはちゃんとした理由があったんだからね!」

 

戦車道をやるとモテるからって動機は、せんせー目当てとはまた違うと思う……たぶん、いやきっとそうに違いない。

 

そんなわたしの訴えも虚しく、詩織は全然信じていないのがわかる笑顔で適当な返事をして、「だけどさ」と新たな話題を切り出した。

 

「あれだけ格好良い先生だと、お姉ちゃんの他にも好きになっちゃう人がいそうだよねぇ」

 

詩織の言葉に、自然とわたしは身近な人たちの顔を思い浮かべた。

 

編入する前から付き合いがあるみぽりんはもちろんのこと、ゆかりんや麻子も怪しいし、最近は華までその気があるような素振りを見せている。姪の杏会長はほぼ間違いなく親戚以上の感情を持っているし、他のみんなだって少なくとも悪いイメージを抱いていることはなさそう。……改めて考えてみると、実際に戦車道をやっているのはわたしたちなのに、せんせーの方がずっとモテモテだよ。

 

なんだか不安になってきたので、自らを奮い立たせるためにも虚勢を張る。

 

「わたしにはモテ道の心得があるから、きっと大丈夫だもん!」

 

「モテ道なんて言葉、わたし初めて聞いたんだけど……まあ何でも良いけどさ。実際のところ、お姉ちゃんのことだから肝心なところでヘタレちゃって全然アピールできてないんじゃない?」

 

「そ、そそそ、そんなわけ……お姉ちゃんが何年結婚情報誌を読み込んでると思ってるの? 気になるあの人へのアプローチの方法のひとつやふたつ、暗唱できるくらい頭に叩き込んであるんだから!」

 

「えぇ……? わたし読んだことないからわからないんだけど、結婚情報誌ってそういうのを全部済ませた人が読む本じゃないのかな?」

 

くうっ。ちょっと話に挙げただけなのにそれの本質を穿つなんて、詩織ってば恐ろしい子……っと、そんなの今はどうでも良いよ。

 

妹に論破されたままだとわたしの沽券にかかわるし、姉としての威厳を保つためにも何か言わないと!

 

すーっと息を吸って、わたしはこう宣言した。

 

「お姉ちゃんだってやるときはやるの! すぐにでもせんせーを虜にしちゃうんだから、今に見てなさい!」

 

 

 

 

 

なーんて大見得を切っちゃったんだけど、本当は詩織の言う通り全然せんせーにアプローチできていないんだよね。

 

それはわたしだって、やろうやろうって決心してせんせーのところへ行ったんだよ? でも本人を前にしたら急に恥ずかしくなって、そのときは「何でもない」と誤魔化してしまった。脳内シミュレーションではあんなに上手に話せたのに、どうしてこうなっちゃうんだろう。

 

ううん、答えはもうわかっているよ。結局わたしはせんせーに自分の好意を否定されるのが怖いんだ。他の子には調子の良いことを言っておいて、いざわたしの番になると尻込みしちゃうんだから情けない。

 

自分が恋愛に対してこんなにも奥手だったなんて──実際に誰かを好きになるまで気付かなかったし、考えもしなかった。

 

人差し指を軸にくるりとペンを回して、わたしは溜息をつく。ホワイトボードに板書をするせんせーがいやに遠く感じられた。

 

毎週金曜は4限目まで普通科の授業、午後は戦車道って時間割なんだけど、今日は半月に一度ある艦上のメンテナンスの日だから車輌を動かす訓練ができない。代わりに小会議室で戦車道の基礎的な勉強をしているんだけど……お昼ご飯の後ということもあって、みんな眠たそうにしている。というか麻子やバレー部のみんな、桃ちゃん先輩辺りはすでに夢の世界に迷い込んでしまっていた。

 

かくいうわたしも少しだけ、ううん、だいぶ頭が働かなくなってきている。せんせーの手前頑張って起きているけれど、気を抜いたらすぐにでもあちら側へ落ちてしまいそうだ。

 

眠気を紛らわすために視線を動かして、右隣の桂利奈ちゃんがこっくりこっくりと舟を漕いでいるのに気付く。そっと肩を叩くと、はっと目を覚ました彼女は照れ臭そうに頭を掻き、微睡みの中でノートに描いたぐちゃぐちゃの線を慌てて消し始めた。かわいい。

 

その後も1、2回危ない場面はあったものの、何とか意識を保った状態で6限終了のチャイムを聞くことができた。やりきった達成感に浸ると同時に、安堵の息が口から漏れる。なまじ戦車に乗るより疲れたよ。

 

せんせーの方はといえば、質問に来た子に応じながら教材の片付けをしている。お手伝いをしようと席を立つも、同じことを考えたらしいみぽりんに先を越されてしまった。これ以上あっちへ行ってもかえって邪魔になっちゃうだろうし、わたしはそっと椅子に座り直す。

 

何となく気落ちしながらぼんやりとその様子を眺めていると、ちょうどせんせーの後片付けが済んだタイミングで学園長が訪ねてきた。

 

「なあ大神、今日が何の日かわかるか?」

 

「何の日、ですか……ああ、そういえば今月は繰り上がって今日になるんでしたっけ」

 

「当日が土曜だからな。そんでよ、ついては今夜辺りに一杯やりに行きてえんだが、お前さん何か予定はあるかい?」

 

「問題ありません。急ぎの用事もないのでぜひお供させてください」

 

せんせーが承諾すると、学園長は嬉しそうに頷き返した。

 

いったい何の話をしているんだろう、って思ったのはわたしだけではなかったようで、近くにいた会長さんが2人の会話に割り込む。

 

「ねーねー、さっきから一郎叔父たちは何の話をしてるの?」

 

おう角谷か、と言ってから学園長は質問に応じる。

 

「今日は俺たち公務員の給料日でよ。こいつにとっちゃあ初任給になるわけだし、そのお祝いに飯でもどうかって誘いに来たんだ」

 

「学園長、さっき『一杯やりに』って言ってませんでした?」

 

「ま、まあ細けえことは置いておこうぜ、角谷。当然ながら学園艦にも大人は住んでいて、数は少ねえが居酒屋もある。今回の場合、贔屓にしている店にたまたま酒が置いてあるだけの話なんだよ。なあ?」

 

「え、ええ……」

 

学園長に促され、せんせーは弱々しく肯定する。

 

要は2人でお酒を飲みに行きたい、ってことみたい。

 

そういえばよくお話ししているところを見るけれど、せんせーたちって不思議なくらい仲良いよね。苗字も違うし、たぶん親戚とかでもないんだろうけど、この春初めて会ったにしてはおかしな距離感だよ。実は生き別れた親子だったり……なんてことはさすがにないかな。

 

それはそうと、学園艦に居酒屋さんなんてあるんだ。

 

いや別に行こうとも思わないし、そもそも未成年だからお店には入れないんだろうけど……わたしくらいの歳だと好奇心優先に物事を考えちゃうっていうか、興味がないか訊かれたら迷った末に首を振る程度に関心はあるんだよね。まあ、そう思うだけで行動は控えるけどさ。

 

会長さんのジト目に耐えられなくなったのか、「そういうわけだからよろしく頼むぞ、大神」と残して学園長は部屋を去って行く。その背中を溜息混じりに見送って、彼女はせんせーの方へ向き直った。

 

「じゃあ、今日は一郎叔父の分の夕飯は作らなくて良いんだね?」

 

「なんだかすまないね、杏」

 

「ううん、事前にひと言伝えてくれたらそれで大丈夫だから」

 

会長さんの言葉に、せんせーはほっとした顔でありがとうと返す。なんだか大人な対応……というより新婚さんの会話っぽいかも。ぐぬぬ。

 

輪の外から意味もなく対抗心を燃やすわたしを尻目に、「あー、そうだった」と会長さんは新しい話題を提起する。

 

「初任給が出たってことは、早いところ一郎叔父のあれ(・・)を買いに行かなくっちゃね」

 

「あれ、というと……ごめん、何だったかな」

 

「もう、忘れたの? 今のままじゃ連絡手段がないから、お給料が入ったらまずはスマホを買おうって決めたじゃない」

 

「すまほ? ああ、携帯電話のことか。そういえばそうだったね」

 

「今日はあたしたちと同じ時間に帰れるんだよね。だったら学園長と飲みに行くまでの時間でスマホを買いに行っちゃおうよ、ね?」

 

「ああ、わかったよ」

 

へえ、せんせーってスマホ持っていなかったんだ。今時珍しい……というよりよくそれで生活できるなぁ。わたしだったら不便過ぎて1日も持たないよ、たぶん。今だってスカートのポケットに入れてあるし。

 

いやそれよりも、今の流れだとせんせーと会長さんは2人きりでスマホを買いに行くってことだよね。それはきっと放課後デートといっても過言ではないイベントで、なんと羨ましい──ううん、いくら親戚とはいえけしからん事態ですよこれは。

 

「スマホ、かぁ……」

 

ふいにせんせーの隣でホワイトボードの文字を消していたみぽりんが呟いた。でも意図して会話に混ざったではないらしく、2人の視線を受けるなり顔を赤くして、

 

「あ、えっと、そろそろわたしもスマホに替えようかなーって思っていたところで、つい……ご、ごめんなさいっ」

 

あわあわしながら頭を下げる。みぽりんって戦車に乗っているときは凛として格好良いのに、こういうときは本当にかわいい反応をするよね。……これもわたしがやったらあざといって言われちゃうんだろうなぁ。いったい何が違うんだろう。日頃の行いとか?

 

「ならさ、良い機会だし西住ちゃんも一緒に買いに行こうよ」

 

な、何ですと!?

 

会長さんの言葉に、わたしと同じく話を聞いていたらしい数名が顔を上げる。

 

初日に全員の連絡先を交換したからわかるんだけど、わたしたち大洗華撃団内におけるスマホの普及率は極めて高い。そのためみぽりんに便乗して「わたしも一緒に!」と手を挙げることができないのだ。

 

そんな事情を知ってか知らずか、せんせーたちは何やら内緒話をしている。歯痒い思いでそれを見ているうちに話がまとまったらしい。杏会長がこちらへ向き直り、「ちょっとごめんね」と口を開いた。

 

「授業も全部終わったし、本来ならこれで解散なんだけど……各チームの通信手の子はこっちへ来てくれるかな」

 

左隣で教科書を片付けていた妙子ちゃんと目を合わせる。その表情を見る限り、心当たりがないのは彼女も一緒みたいだ。

 

未だ机に突っ伏したままの麻子の相手をゆかりんに任せ、わたしたちはホワイトボードのところへ向かう。同じく優季ちゃんとエルヴィンさんも集まったところで、会長さんではなくみぽりんが口を開いた。

 

「みなさんの中で、今日これから何か予定がある人はいますか?」

 

この質問にわたしを含めた全員が首を振ると、

 

「では、わたしたちと一緒に携帯電話を買いに行きましょう!」

 

今度はみんな揃って疑問符を浮かべた。急にどうしたんだろう。

 

「それってつまり、どういうことですかぁ?」

 

優季ちゃんがわたしたちの心の声を代弁した。この指摘で言葉足らずを自覚したみぽりんは、ほんのり頬を染めて咳払いをすると、

 

「沙織さんがそうなのは知っているんですけど……他のみなさんも、たぶん普段使いの携帯電話はスマホですよね?」

 

わたし以外の3人が肯定する。予想通りと言わんばかりにみぽりんは頷き返し、

 

「前に説明があったかと思いますが、戦車道においては公式戦を含むすべての試合で携帯電話の所持、及びルールブックに記されている範囲で自由な運用が認められています。……でも、授業では戦車の中にそれを持ち込むことが禁止されていますよね」

 

みぽりんの言う通り、初めて戦車に乗る日にせんせー……じゃなくて会長さんからそんな注意を受けた。あのときは「携帯電話なのに携帯しちゃダメなんておかしいよ!」って考えたけれど、今の口振りから察するに、どうやらちゃんとした理由があるみたい。

 

「ほら、戦車の中ってかなり揺れるじゃないですか。実はその振動が原因でスマホの画面が割れちゃう、なんてことが結構あるんです」

 

あー、確かにそれでスマホが壊れちゃったらせんせー側も困っちゃうもんね。理不尽だなーって思ったのを反省しなくっちゃ。

 

「試合中に戦車間、大神さんと遣り取りをするときには無線を使いますが……途中で壊れてしまったり、何らかの要因で使えなくなったりすることがないとも限りません。そういうときは携帯電話を使うのが一般的ですが、先ほどの理由でスマホは持ち込めないんです」

 

「そんでね、試合用に幾つかガラケーを買おうって話になったんだけど……予算の都合で全員のは賄えないからさ、一番使う機会が多そうな通信手のみんなの分だけ用意しておこうってわけよ」

 

会長さんがみぽりんから言葉を引き継いだ。

 

「学園側にはまだ話を通してないんだけど、これくらいなら経費で落とせると思うから大丈夫。……ってなわけで、あたしは学園長と交渉してくるから、みんなは荷物を持って校門前で待っててね」

 

 

 

 

 

勉強道具を愛用のトートバッグへ入れ、忘れ物がないかチェックしてから小会議室を出る。数学の時間に配られた課題のプリントを置いてきてしまったみぽりんに付き添って教室へ寄ったのち、わたしたちは校門の前へ向かった。

 

ほどなくしてやり遂げた顔をした会長さんと、少し疲れた様子のせんせーがやって来る。呼ばれた全員がいるのを確認し終えたところで、わたしたちは最寄りの──まあ、電波の関係でこの学園艦にはひとつの会社の系列店しかないんだけど──携帯ショップへ行くことにした。

 

その道中でせんせーとお話しする機会を模索するも、しかし彼は妙子ちゃんとバレー談議に花を咲かせていてこちらに気付く様子はない。

 

初日に勢いでバレー部の顧問を引き受けた話は聞いているけれど、それでよく妙子ちゃんの話についていけるなぁ。知らないカタカナ語がひっきりなしに飛び交っていて、わたしには何を言っているのか全然わからないよ。

 

10分ほどの道のりを経て、一行は目的地に到着する。結局わたしはひと言もせんせーに声を掛けることができなかった。

 

なんだか今日は気持ちばかりが空回りして、肝心なところで足を取られてしまっている気がするよ。

 

そうするなって言われても無理な話なんだけど、変に意識するあまりせんせーとの距離が開いてしまっては本末顛倒である。詩織との遣り取りはいったん忘れて、平常心で彼と接する努力しなくちゃ。

 

お店に置いてあるガラケーはどれも似たような価格、月額使用料ということもあり、それぞれが気に入った機種を選んで良いことになっている。他のよりひと足早く自分に合ったものを見つけたわたしは、向こうでスマホを選んでいるみぽりんたちのところへ行くことにした。

 

2人は揃って同じ棚の前にいたんだけど、いつも通りの柔らかい表情のみぽりんに対し、せんせーはしかめ顔で商品とにらめっこしている。どちらが悩んでいるかは明白なので、お話ししても邪魔にならなさそうなみぽりんの方に声を掛けることにした。

 

「みぽりんはもうどれを買うのか決めたの?」

 

「うん。わたしは沙織さんと同じリンゴの会社のやつにしようかな」

 

「あー、やっぱり? この前ちょっと貸してあげたときに『操作が簡単でわかりやすい』って言ってたし、そうするんじゃないかって思ったよ」

 

「……ふむ」

 

わたしたちの会話が耳に入ったのだろう、小さく唸ったのちせんせーがこちらを向いた。

 

「話に割り込むようで申し訳ないんだけど、見ての通りどれが良いのかさっぱりわからなくてね……良ければ沙織が使っているものを見せてはくれないかな」

 

「う、うん。わかった」

 

せんせーの頼みに応じてスマホを取り出し、基本的な機能を紹介してみせる。彼は無意識なんだろうけど、画面を覗き込む顔が思いの外近くにあってドキドキが止まらない。それでもここで取り乱したら格好が付かない、なんて意地でもって何とか自然体を演じた。

 

ひと通りの説明を終え、実際に触って貰ってみた方がわかりやすいと思ったわたしは、自分のスマホをせんせーに貸してあげる。そうして勝手がわかったのだろう、いつしか彼の表情は明るくなっていた。

 

「ありがとう。助かったよ、沙織。思ったよりも操作が簡単だし、何よりボタンがひとつしかないのがわかりやすくて良い。……決めた。俺も君と同じものを買うとしよう」

 

わたしは拳を握って小さく喜びを体現した。全然そんなつもりはなかったんだけど、結果的にせんせーとスマホがお揃いになるみたい。きっと麻子なら「僥倖」とか「望外の喜び」とか難しい言葉を口にしているところだろう。

 

「それじゃあ、2人とも色はどうする?」

 

「この中だとわたしはピンクかなぁ……沙織さんと被っちゃうけど大丈夫?」

 

「わたしのはスマホカバーを付けてるし、取り違えることはないから心配しないで平気だよ。それに長く使うものだもん、みぽりんが気に入ったのを買った方が絶対良いって!」

 

「わかった、それならピンクにするね。ありがとう、沙織さん!」

 

「俺はこの白……いや銀か? ともかくこれにしようかな」

 

「うん。わたしもせんせーならそれが一番似合うと思う」

 

何でかって訊かれたら困るんだけど、せんせーって白が似合うような気がするんだよね。こう、白以外ないって雰囲気が漂っているというか……とにかくそんな感じなの。伝わってくれたら嬉しいな。

 

閑話休題するね。どのスマホを買うか決まり、早速契約しに行った2人と入れ替わるタイミングで他の通信手の子たちがやってくる。みんな自分に合ったガラケーを見つけたみたいだ。学校名義で契約する都合上いっぺんに買った方が手っ取り早いそうで、わざわざわたしを呼びにきてくれたらしい。

 

ひと言謝って輪の中へ入り、全員でカウンターへ向かう。学園長が前もってお店に連絡してくれていたこともあって、自分のスマホを契約したときよりずっと早く手続きが終わった。

 

各々買ったばかりのガラケーを手にし、自分のものとの操作感の違いに四苦八苦しながら必要な設定を済ませる。みんなのメールアドレスを登録し終えた頃、無事スマホを買うことができたみぽりんたちがこちらへ来る。どうやらケースや保護フィルムも購入済みようだ。

 

お店を出ると、春らしからぬ西日がわたしたちを迎えてくれた。この感じだと雨も降らなさそうだし、週末は暑くなりそうである。

 

目に映るすべてのものが赤みを帯びた帰り道、みんなは手元の携帯に夢中になっていた。真面目なせんせーも今日ばかりは咎めようとせず……というか、他ならぬ彼自身も画面に釘付けになっている。

 

「どうかしたの、せんせー?」

 

難しい顔をしていたので声を掛けると、

 

「沙織か。いや、先ほど店員さんに言われた通りやっているつもりなんだけど、めーるあどれす? の設定の仕方がわからなくてね」

 

「あー、確かにこの機種のアドレス変更はちょっと手間が掛かるからね……貸して。わたしがやってあげる」

 

「ありがとう、助かるよ」

 

せんせーからスマホを受け取り、ちゃちゃっと設定画面を開く。どんなアドレスにするのかは決まっているみたいなので、言われた通りの文字を打ち込んで……ろうこめっきゃく? ああ、せんせーが修めている剣術の技の名前だっけ。

 

特に問題もなくアドレスの変更をし、スマホを返そうとしたところで、ふいにわたしの脳裏にひとつの妙案が舞い降りる。高鳴る鼓動を抑えながらあるひと手間を加えたわたしは、

 

「……ついでにわたしの電話番号とメールアドレスを登録しておいたけど、大丈夫かな?」

 

ダメだって言われたらどうしよう、と身構えながら尋ねる。でもそれは杞憂だったようで、スマホを受け取ったせんせーはうむと頷いてから、

 

「もちろん構わないよ」

 

「良かった。……じゃあさ、せんせー。寮に戻ったらメールしても平気?」

 

「俺としても文字を入力する練習になるし、大歓迎だよ。……ああでも、もしかしたらすぐに返事を送れないかも知れないな」

 

「これから学園長とお酒を飲みに行くんだもんね」

 

わたしの言葉に、せんせーは「面目ない」と頭を掻いた。

 

「別に急いで返事をしなくても良いからね……その代わり」

 

口を動かしながら、わたしはなけなしの勇気を振り絞ってせんせーの方へと歩み寄る。

 

「内容は何でも良いし、ちょっとの文字数で構わないから……毎日メールが欲しいかも」

 

「わかった。約束しよう」

 

「ありがとう……えへへ、嬉しいな」

 

かあっ、とみるみるうちに顔が熱くなっていくのがわかる。感情に歯止めが利かなくなり、緩んでしまった口元を手に持ったガラケーでひた隠す。

 

「──さおりん先輩だけずるいですよぉ! 大神先生、わたしとも連絡先を交換しましょう、ねぇ?」

 

綿飴にも似たふわふわとした気持ちの余韻に浸っていたのも束の間、優季ちゃんがわたしたちの間に割って入ってきた。いつから遣り取りを見られていたのかな……って、優季ちゃんって彼氏いるんじゃなかったっけ。そういうのを気にしない人なのかな?

 

彼女の行動を皮切りに、他のみんなもせんせーとアドレスを交換しようとこちらへやって来る。その流れに押し負けて彼との距離が開いてしまったものの、不思議と嫌な気分にはならなかった。

 

だって、最初にアドレス交換したのはわたしだもん。

 

きっとこれからせんせーのスマホには多くの連絡先が登録されて行って、そのうち順番なんてわからなくなっちゃうだろう。もしかしたら他ならぬ彼もそれを忘れてしまうかも知れない。

 

でも、たぶんわたしは今日の出来事をずっと憶えているだろう。奥手でヘタレなわたしが初めて自分から前へ進めた記念日だから──せんせーの〝一番〟は他の誰でもないわたしだってことを決して忘れたくない。

 

なんてささやかな独占欲を胸の奥底へ仕舞い込み、わたしはまた一歩足を動かした。

 

寮へ戻ったらお夕飯の支度をして、お風呂を沸かして……せんせーに送るメールの文面は湯船に浸かりながら考えることにしよう。数学の課題もあるし、それが終わったらガラケーの使い方を勉強しないといけないかな。

 

あとはそうだなぁ……っと、大事なことを忘れていたよ。

 

やるべきことはたくさんあるけれど、それより先にまずは今日のことを詩織に自慢しなくちゃいけないね。

 

 

 




この話の仮タイトルは「初任給の使い道」でした。

今回は沙織の一人称ということで、普段の大神さんはもちろん、みほ視点よりもだいぶ柔らかい語り口調を心掛けました。
ここまで崩した地の文を書くのは初めての試みでしたが、いかがでしょう。個人的に気になるところなので、感想等で意見を頂けたら幸いです。

余談ですが、沙織に「やだもー!」を言わせそびれたことを投稿してから気付きました。

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