(恐らく)最初で最後の名前付きのオリキャラが登場します。それが誰なのかは、察しの良い方ならもう検討が付いているかも。
学園艦が本拠地に寄港するのは、特別な用事でもない限りは年に5回程度で、そのうちの2回がこの弥生の後半に固まっている。大洗女子を例に挙げると、1回目に陸に実家がある在校生を帰省させ、2回目に彼女たちと新入生を入艦させて出航する流れになるらしい。
2度の寄港の間隔は10日ほどで、額面通りなら停泊させていた方が運営費の節約になりそうだが、しかし艦の規模の関係で他の船が入れないなどの問題が起こるから無理なのだそうだ。
ちなみに今回は2回目の寄港に当たる。そのため、陸へ上がる者より艦に乗り込む者の方が格段に多く、特に公共交通機関には新入生らしい比較的小柄な女の子の姿が目立った。
その波に逆らう形で、俺と杏は陸へと上がる。現在時刻は午前8時、出航まで約半日といったところか。これを逃すと搭乗に別料金が発生するそうなので、くれぐれも乗り遅れないようにしないといけない。
件の人物は、大洗の駅まで迎えを寄越してくれるという。思いの外道が空いていたために予定より早く目的地へ到着した俺たちは、とりあえず近くの店に入り、少し遅めの朝食をとることにした。
「そういえば、杏が俺に会わせたい人って誰なんだい?」
「あたしのじーちゃんだよ」
砂糖をふんだんに入れた珈琲を飲みつつ、杏は簡潔に答えた。
「君のお祖父さんというと、新次郎の息子か。確か俺のことを知っているんだったね」
「うん。一郎叔父と直接話したこともあるみたいだし、すごく尊敬していたみたいだから、きっと力になってくれるはずだよ」
それにさ、と言って杏は口の端を吊り上げた。
「あたしのじーちゃんって、自衛隊──旧帝国軍の後継組織みたいなものなんだけど──そこのトップになった後、天下りでいろんな仕事をしてたから、結構顔が広いんだよね。昔より影響力はなくなってるみたいだけど、こっそり戸籍を作っちゃうくらいならできると思う」
「……戸籍か。今まで考えたことがなかったけれど、言われてみれば確かに今後必要なるだろうね」
戸籍はこの時代で生きて行くためには不可欠なものだし、手に入れる機会があるならこれを逃す手はない。正当な方法でないのが気掛かりだが、そもそも正当に手に入れるのは不可能だろうから、この際開き直ってしまうことにしよう。胸の内から湧き上がる罪悪感は見ないふりをすることにした。
待ち合わせの少し前に店を出て、外から見えやすいところに並ぶ。杏の祖父が寄越した車は、時間ぴったりにやって来た。
軽い挨拶を経てから車に乗り込む。当然と言えば当然だが、俺の知る車とは乗り心地が異なり、平地と錯覚するくらい揺れが少ない。
「ねえ、一郎叔父は再就職先ってもう決めてるの?」
「いいや。君のお祖父さんと話をしてから考えようと思っているよ」
「それならさ、
ともすれば縋るような声で杏は言った。
「前にも似たようなことを言っていたけれど、そんなにあの学校は人手が足りていないのかい?」
「……一郎叔父を困らせちゃうと思うし、まだ詳しくは言えないんだけど、新学期から始める選択授業の先生がまだ見つからないんだ」
「新学期からだと、確かに新任を雇うのは難しいか。ちなみに何の科目なんだい? 俺に勧めるってことは、さほど専門的な分野ではないんだろうけど」
「一郎叔父の世代だとぎりぎり知ってると思う。大洗女子学園は、20年振りに戦車道の授業を復活させることになったんだ」
戦車道という単語には、杏の言う通りぼんやりと聞き憶えがあった。
あれは士官学校を卒業する直前、教官の目を盗んで酒盛りをしたときのことだ。最初は平時の不満を言い合っていたが、宴会が進むにつれて話題が「好みの女性像」に変わり、その際親友の加山雄一が戦車道女子の良さを力説していた。
『戦車道をやっている女性は良いぞ、大神ぃ! 可憐で清楚で、そして何より凛々しくて素敵だ。ああ、一目で良いからお会いしたい!』
こんな感じのことを言っていたか。
「俺の時代ではまだ黎明期だったけど、話は聞いたことがあるよ。戦車道は乙女の嗜みで、大和撫子や良妻賢母の育成を
「そーそー、その戦車道。今度プロリーグが発足されるからって文科省が推しててさ、助成金も出るみたいだし、うちも流行りに乗ってみたんだよね」
「しかし、20年振りに授業を復活させるとなると、履修者の大多数は戦車道の経験がないに違いない。教官がいないのはなおのこと問題だな」
「だから、気が向いたらで良いから戦車道の先生になってよ、ね?」
「だけど俺も戦車道についてはあまり知らないし──」
「それでも良い。たとえ記憶がなくても、一郎叔父ならきっと大丈夫だよ。だってあなたは、将来とんでもない指揮官になる人だから」
杏はいつになく真剣な表情でそう言った。
実のところ、彼女の言葉に根拠はない。何故なら俺は、確定した未来を超えてここにいる、極めて不確定な存在であるためだ。したがって仮に俺に将の器があるとしても、歴史と同じ道を歩むとは限らない。
決して身内贔屓ではなく、客観的に見ても杏は要領の良い子だ。だからきっと、自らの言い分に矛盾があることはわかっているだろう。そして、わかった上で俺を頼るのは、そうでもしないと心が折れてしまうくらい大きな問題を抱えているからだ。
「……わかった。考えてみるよ」
それを察してしまった以上、俺は曖昧な返事をするしかなかった。
大洗駅から北東へ四半刻ほど進み、住宅区のはずれにある立派な邸宅の前で車が止まった。どうやらここが杏の祖父の家らしい。
「君の話からなんとなくそんな気はしていたが、ずいぶんと大きな家だね」
「あたしが言うのもなんだけど、じーちゃんお金持ちだからねえ」
杏は、特に感慨を抱かない様子で門をくぐった。彼女とはぐれた途端に不審者になってしまうので、尻込みしながら俺も後を追う。
すでに先方にはある程度の説明をしているらしく、玄関で待っていた女中は杏の顔を見るなり「旦那様は書斎でお待ちです」と告げた。
彼女の案内で書斎を目指す。これから会う相手は戸籍上大甥に当たるが、俺の主観だと50近くも歳が離れており、また面識もない。いったいどんな距離感で接すれば良いのだろう。
「あたしと同じようにすれば良いんじゃない?」
「簡単に言ってくれるね」
「さすがに一郎叔父とおんなじ気持ちにはなれないからね……っと、この先の扉だよ」
何も答えが浮かばないうちに書斎へ着いてしまった。俺が困っているのを察してか、女中は部屋に入るのを躊躇う素振りを見せる。しかし、そこへ割り込んだ杏が無慈悲にも扉を開け放った。
「お、おい杏!」
「こんなの悩むだけ無駄だって。当たって砕けたら良いじゃない」
「砕けてどうするんだ! 俺はまだ心の準備が──」
視線を感じて言葉を切る。見ると、部屋の奥の執務机のところに偉丈夫と称して良い老人が立ち尽くしていた。
時間にして数秒老人を見て、不思議なくらいすんなりと彼が杏の祖父であることを悟る。記憶の中の新次郎と比べてずいぶんと体格が良いが、目元があいつとそっくりだったのだ。
「──本当に、若い頃の一郎叔父だ」
まるで目に映る情報を噛み締めるように、老人は呟いた。
「なあに? じーちゃん、あたしの話を信じてなかったの?」
「い、いや、そう言うわけではないんだけど……」
「大丈夫、怒ってないよ。あたしも最初は驚いたもん」
2人してこちらへ視線を向け、ゆっくりと頷き合う。どうして良いかわからずにいると、そんな俺に気付いた老人が慌てて頭を下げた。
「恥ずかしところをお見せしました。杏の祖父で、新次郎の長男の大河新之介です。初めまして……になりますかね」
老人、新之介は顔を曇らせる。
「すみません。自分には20歳までの記憶しかないもので」
「ああ、失礼。あなたの事情は杏から聞いております。それについてはこちらも承知しているので……できれば敬語など使わず、杏と同じようにいただきたいのですが」
「えっと、はい。善処しま──するよ」
こちらの受け答えになんとも言えない顔をしたのち、新之介は俺たちに座るよう促す。それから戸惑う女中にお茶を持ってくるよう頼んだ。
「あんまり時間がないから早速本題に入るね。じーちゃんは、一郎叔父がこの時代にいることについて何かわかることってある?」
開口一番に杏は疑問を投げ掛ける。応じる新之介は複雑そうな顔で、
「結論から言うと、僕は一郎叔父とまったく同じ境遇の人物を1人だけ知っているんだ。彼は僕の友人で、今でも付き合いがあるよ」
「ほんと!? じゃあ、ひょっとしたら──」
「僕と彼が出会って、もう30年になる。これまでいろいろと試しはてみたんだけど、元いた時代へ帰してやることはできなかった」
無駄な希望を抱かせまいと、新之介は強い口調でそう言った。
「現実はそんなに甘くないかぁ」
弱々しい声で呟き、杏はこちらを窺う。
「……心配してくれてありがとう。だけど、それは真実を知ったときからある程度は覚悟していたことだよ」
できる限り明るい声を心掛けつつ俺は言った。
もちろん、これが空元気であることは否定しない。しかし、まるで自分のことのように悲しむ杏を見て、こちらまで落ち込んでいてはいけないと思ったのだ。
「今考えるべきなのは、これからどうするかについてだろう」
「……ごめん。一郎叔父の方がつらいはずなのに、あたしばっかり弱気になってちゃダメだよね。気を遣ってくれてありがとう」
両の手で頰を叩く。それっきり杏はいつもの調子に戻った。
「でさあ、じーちゃん。今話に出た人が30年も普通の生活ができてるってことは、きっとじーちゃんが裏技を使ったからだよね。それならさ、一郎叔父にも同じことをしてあげてよ」
そうは言うけどね、と新之介は言葉を濁す。
「その人は良くて、一郎叔父はダメなの?」
「いや、別にそうではないんだけど……」
「じゃあどうして!?」
「杏、落ち着きなさい。お祖父さんも困っているぞ」
このままでは話が進まなくなりそうなので、感情的になりつつあった杏を宥める。彼女自身も無自覚だったらしく、俺に指摘されるとすぐに「ごめん」と呟いて口を閉ざした。
内なる葛藤を表情に表しつつ、 新之介は言った。
「協力してあげたいのは山々なのですが、杏の頼みを聞くためには僕自身かなり危ない橋を渡る必要があります。……一郎叔父を疑っているわけではありません。けれども、僕にも覚悟を決められるだけの確証が欲しいんです」
「確証、か……いったい俺はどうしたら良いんだ?」
「先ほど話に挙げた友人は、ある手順を踏むことで知るはずのない──別の自分の記憶を取り戻したそうです。同じ境遇の一郎叔父も、恐らくはそれが可能なのではないかと」
「それって、じーちゃんがあたしに話してくれた一郎叔父の記憶ってこと?」
新之介は頷く。
別の自分の記憶と言われてもしっくりこないというのが本音だが、それを取り戻さねばならないというならやるしかない。
「わかった。では、その手順とやらを教えてくれ」
「はい。では、すぐにお持ちしますので」
言うなり新之介は部屋を出て行った。何か心当たりがあるなら教えて欲しいと杏に目を向けてみたが、「あたしにもわかんないよ」という返事しか貰えなかった。
ほどなくして新之介が戻ってくる。その手に携えているのは、黒塗りの鞘に収められた日本刀だ。彼はそれをこちらへ手渡し、
「これは神刀滅却という銘の刀で、我が家の家宝です。元々は旧陸軍の重鎮が所有していたものですが、それを一郎叔父が継承したと伺っております。一郎叔父の死後、刀は父へ受け継がれ、そして現在の所有者は僕になります」
「ふむ。それで、俺はどうすれば?」
「刀を抜いてみてください。それで友人は記憶を取り戻したそうですから」
それだけで良いのか。手順というくらいだし、もっと儀式めいた作法が必要かと思っていたので、少々拍子抜けしてしまう。
特に難しいことはない。俺は右手に力を込め、ひと思いに抜刀し……刹那、刀身から眩い光が放たれた。
「な、なん──」
動揺から思わず出た声は、突如俺を襲った激しい頭痛によって搔き消える。言葉を紡ぐことはおろか、息をすることもできず、鳴り止まぬ耳鳴りとともに目の前がどんどん暗くなっていくのがわかった。
痛みのあまり意識を手放す直前に見たのは、目に涙を浮かべて俺の身体をゆする杏の姿であった。