学園艦の運営には莫大な費用が掛かる。
考えてもみれば当然だ。あれだけ大きな船を動かすために必要な燃料代に始まり、搭乗員が生活できるだけの物資、そして学園関係者や街の住人たちの衣食住を確保するのに、いったいどれだけお金が必要になるだろう。魚の養殖や穀物、野菜の栽培など、ある程度自給自足ができるだけの設備が整っていると杏が言っていたが、恐らくすべてを賄うのは不可能に違いない。大洗女子の場合、基本的に県の税金が運営費に充てられており、払いきれない分を国が負担する形になっている。それ故に国の意向を無視することができないそうだ。
そして、「目立った実績のない学校」という選考基準でもって、大洗女子を廃校にしたいというのが国──とりわけ学園艦の管轄である文部科学省の言い分である。恐らくこれはまったくの建前であるわけではない。けれども、運営に難航している学園艦は他にもあるはずだ。
ならばどうして大洗女子学園が真っ先にその標的になったのかといえば、杏が話していた通り、新之介の発言力が弱まってきたためだろう。地方に権力者がいるのは、国としては面白くないことだ。新之介の孫娘である杏の母校を廃校にすれば、結果的にその影響力が小さくなったように見える。たとえそれが幻想であろうとも、ひとたびそうなってしまえば、出る杭を打つのは容易い。
きっとそれを指摘したところで、向こうはのらりくらりと追求を
「戦車道の全国大会で優勝すれば廃校を撤回するという約束は、誰が取り付けたんだい?」
「あたしだよ。こういうのってほんとは学園長がやるべきなんだろうけど、あの人もいろいろ忙しいからさ。他の先生は動いてくれないし、仕方がないからあたしが交渉をやらせて貰ったんだよ」
「……無粋を承知で訊くが、杏は今年度で卒業だろう? 廃校になるのは来年度だ。はっきり言って、君には関係のない話ではないかい?」
「関係なくなんてないよ! あたしはあの学校が好き。たとえ今年で卒業だとしても、あの場所なくなっちゃうなんて考えられない!」
彼女は続ける。
「卒業まであと1年、泣いて学校生活を送るなんて嫌なんだ。たとえどれだけ難しい条件であっても、可能性がゼロじゃないなら……希望があるなら、あたしは絶対に諦めたくない!」
状況的に、心の中では不安で押し潰されてしまいそうなはずなのに、啖呵を切った杏は毅然としていた。それはきっと、どれだけ困難な道でも挫けないという意思表示である。
客観的に見れば、杏の挑戦はたいそう無謀な行為だ。与太話と嘲笑する者もいるだろう。けれども彼女の懸命さは、俺の迷いを断つには十分な材料であった。
「わかった。未経験者の拙い指導で構わないというなら、俺は君の願いを叶える力になろう。いや、協力させてくれないかい?」
俺が言うと、杏は一瞬泣きそうな顔になって、すぐに唇を噛んでそれを律した。
今涙を流してしまうと、ここ一番のときに踏み留まれなくなる。杏の執念と形容できるほどの強い意思を垣間見ることができた。
「ありがとね、一郎叔父」
だから、彼女の声が震えていたことは秘密にしておこう。
俺が意識を失っていた時間は思いの外長かったらしく、諸々の手続きについて話を聞き終えた頃にはすっかり日も沈み始めていた。
「ねえじーちゃん。あたしたち、そろそろ帰らないと」
「……もうそんな時間か」
杏の言葉に、新之介は名残惜しいといった顔をした。俺は思わず含み笑いをする。それが、記録の中の彼が新次郎に手を引かれて俺の家を去るときに見せたものとまったく同じであったためだ。
「新之介。次に学園艦が帰港したときにまた会おう」
「はい! その日を楽しみにしております」
大きく頷いたのち、新之介は「渡したいものがあるのでついて来てください」と言った。俺と杏はそれに従って部屋を出る。新之介は先ほどまでいた書斎へ戻り、俺が記録を取り戻すきっかけになったあの刀──神刀滅却を差し出した。
「これを一郎叔父へお返しします」
「その刀は家宝なのだろう? 受け取れないよ」
新之介は首を振り、刀を俺に押し付けた。
「本来あなたが持つべきものですから、どうか受け取ってください」
昼間のこともあって何となく苦手意識が芽生えているのだが、どうやら向こうも譲ってはくれないようなので、躊躇しつつも俺はそれを受け取る。恐る恐る鞘を抜いてみたところ、あのときのような頭痛に襲われることはなく、夕日を反射した刃が流星のようにひとつ閃いた。
新之介に見送られながら、俺たちは大河邸を後にする。行きと同じように大洗駅まで運転手が送ってくれるそうだ。
その帰路の最中、ふいに杏はこちらを仰ぎ見て、
「そういえば、一郎叔父とおんなじ状況の人のこと、じーちゃんに訊くの忘れてたね」
「ああ、それについては問題ないよ」
「あれ? 一郎叔父としても、先輩の話を聞きたいんじゃないの?」
確かに気にならないといえば嘘になる。むしろ、一刻も早く話を聞きたいところだ。
「それならどうして……」
「彼は大洗女子の学園艦にいるはずだからね」
「ちょっと待って、あたし聞いてないよ!」
実を言うと、俺も新之介から直接聞いたわけではない。しかし、彼は俺がその人物に心当たりがあると見越してあえて言わなかったような気がする。
「驚かないで欲しいんだけど、この時代に来てから会った人の中に、記録とまったく同じ容姿をした人物がいたんだ」
およそ100年の時を経て、なお姿形が変わらぬ人間などいるはずがない。それならば彼の存在をどう説明すれば良いか。 ──きっと俺と同じ境遇を辿っているためだろう。至極単純な
「それっていったい誰なの?」
「大洗女子の学園長だよ」
「……なるほど。どうして学園長が最初に一郎叔父をあたしのところへ連れて来させたのかわからなかったけど、あの人がじーちゃんの友達なら納得できるね」
「ついてはすぐにでも彼と話がしたいんだけど、明日俺も一緒に学校へ行っても構わないかい?」
「ん、りょーかい。たぶんじーちゃんが連絡してくれてると思うし、向こうも採用の手続きとかで一郎叔父に用があるんじゃないかな」
「それなら話が早いな。帰ったら面会の約束を取り付けることにしよう」
大洗駅の土産物屋で備蓄用の干し芋を購入し、18時になる少し前に学園艦へ戻る。朝方搭乗を済ませた者が多かったのだろう、帰り道は実に快適で、行きの半分の時間も掛からなかった。
杏経由で大洗女子学園と連絡を取り、明日の10時に学園長と会う約束をする。
昼間倒れてしまったこともあり、今日は走るのをやめ、空いた時間で杏が集めた戦車道の資料に目を通すことにした。集中すればある程度の量を頭に叩き込めるだろうと高を括っていたが、慣れない外来語に苦しめられたお陰で進捗は芳しくはなかった。
これから教師をするのなら、せめて生徒と会話をしたとき違和感を覚えさせない程度に外来語も会得せねばならないだろう。就職するまでの課題がまたひとつ増えてしまった。
そして迎えた翌日、就職先の第一候補ということで、杏に買って貰った普段着ではなく海軍の軍服に袖を通して家を出た。
大洗女子学園の校門と併設された守衛の詰所を訪ねる。すでに話は通っているようで、滞りなく入校許可証を貰うことができた。杏の案内で校舎を進み、生徒会長室のひとつ下、職員室や教科ごとの部屋が並ぶ階層の最奥へと向かう。彼女が扉を叩くと、記録の中で聞き慣れた声で「入んな」と返ってきた。
催促されるまま部屋の中へと入る。そこにいた老人の顔、そしてまだ午前中だというのにお猪口を呷る姿を見た途端、俺の主観では2度目の対面だというのに、不思議と込み上がる懐かしさに涙が出そうになってしまった。
「……昼間から酒とは何事ですか」
自分でも驚くほど弱々しい声が出た。学園長はえも言われぬ表情を見せたのち、こちらをからかうような笑みを浮かべる。
「見当違いだよ、こいつはただの水だ。最近は教師に対する風当たりが強くてよ。こんな時間から酒なんて飲んでいたら、すぐに更迭されちまう。まったく世知辛い世の中になっちまったぜ」
それならどうして飲酒の演技をしていたのか。わざわざ確認するまでもない、今のは〝俺〟と〝彼〟との初対面時の再現だ。
「お久し振り、で良いんですかね。米田支配人」
「バカ野郎。今の俺は学園長だよ、大神」
彼に握手を求められたので、ひとつ頷いてからそれに応じた。
言ってしまえば、俺たちは数奇な運命を背負わされた同士である。かつて同じ時間を生き、本来ならば生きて到達できない未来で再び合間見える。己が視点ではほとんど面識がないのに、長年の付き合いがあるような錯覚に陥るのだから妙な感慨だ。
「ちょっと。2人の世界に入ってないで、あたしにも説明してよ」
拗ねたように唇を尖らせ、杏が説明を求める。詳しく話すと長くなってしまうので、要所を掻い摘んで伝えることにした。
「……なるほどね。つまり学園長は、一郎叔父が帝国華撃団の隊長だった頃の上官なんだ」
「おや、知らなかったのかい?」
米田一基といえば、日露戦争で功績を挙げた稀代の策略家である。記録を取り戻す前の俺でさえ名前を聞いたことがあるし、きっとこの時代でも知名度が高いのではなかろうか。
「旧陸軍の米田中将のことは歴史の授業で習ったけど、帝国華撃団の司令をやっていたなんて話は聞いたことがないよ」
「まあ、華撃団が公の組織になる前に昔の俺はくたばっちまったからよ。そのせいもあるんじゃないか?」
確かに、と杏は肯定する。納得したのか、それ以上の追求はない。
話が途切れたので、今度は俺が疑問を投げることにした。
「しかしそれだけ有名だと、米田支配人も素性を隠すのが大変だったでしょう?」
「それについては問題ねえ。何せ俺は、今は米田姓を名乗っていないからな」
「何ですって!?」
「そう驚くことじゃねえだろう。昔の俺はお前さんよりちょいとばかり活動期間が長かったからさ、その分知名度も高くて、本名で戸籍を作っちまうと面倒が起こりそうだと思ってよ。大河先生のお父上──新次郎氏の提案で、偽名を用意したってわけだ」
「な、なるほど。それなら俺は何とお呼びすれば?」
「別に昔のまんまで構わねえさ。生徒たちに訊かれたら旧姓と答えれば良いし……ああ、でも支配人はやめてくれよ。司令中将呼びも駄目だ。今の俺は教育者だからな。ここでは学園長って呼んでくれ」
彼は懐中時計を取り出し、「おっといけねえ」と呟いた。
「悪いが本題に入っても良いかな。実は12時から別の予定があってよ。お前さんとゆっくり話をしたいのは山々なんだが、今日のところは事務的な用件だけで勘弁してくれ」
そう言って彼は手前にある応接用の椅子を手で示す。
「採用試験があるのは聞いているかと思うが、戦車道の担当が見つかっていない現状を鑑みるに、お前さんの内定は決まっていると言って良い。だから、ここでできる手続きは今済ませちまおう」
サクラ大戦の新作が製作されるそうです。
なんでも、舞台は1の17年後なのだとか。果たして大神さんは出てくるのか……それによって感心の度合い変わりそうですね。