「ほっ、本日付で軍務省官房付の副官に任命されましたカ、カッ、カトリーナ・フォン・ハルテンベルクです!よっ、よろしくお願いいたしますっ!!!!」
金髪の初々しい女性副官はデスクの上で両手を組んで静かに待ち構えているあらたな上官に対し、30度以上体を折り曲げた。
「卿がローエングラム公推薦の副官か・・・・。」
ささやくような声にカトリーナの全身が「ぞくうっ!!」という音を立てた。
「は、はははははははいっ!!色々と至らぬ点がありますが、よろしくお願いします――。」
「至らぬ点のある副官など不要だ。卿がそう自覚するのならば、早々に出ていってもらおうか。」
「も、申し訳ございません!!(怖ッ!!なにこの人、怖ッ!!というか出会ってまだ10分もたってないのに早くも胃、胃が・・・・胃がやバイかも・・・・。うっ!吐きそう・・・・。お、太田胃散あったっけ?)」
懸命に吐き気をこらえているカトリーナにオーベルシュタインは静かに書類の束を差し出す。
「では早速だが本日夜までにこれを処理してもらおうか。」
「承知いたしました・・・って、え〃!?」
カトリーナは書類の高さを目測で測った後、絶句した。どう少なく見ても20センチはあるだろう。
そ・れ・を・い・ち・に・ち・で・や・れ・と!?
「あ、あの・・・それ、それを今日中ですか?」
「・・・不服か?」
「いいいいええええ、別に、はいっ!問題ありませんっ!!」
「それと、犬の餌を頼む。」
「イ、 犬!?犬って、まさかその・・・その襤褸切れみたいな――。」
オーベルシュタインの義眼が赤い光を放つ。
「・・・不服か?」
「いえいえいえいえいえいえっ!!!!すすすすぐに取りかからせていただきますっ!!」
オーベルシュタインの義眼の点滅に恐れをなしたカトリーナは早々に書類を抱えて疾風のように部屋を飛び出していった。
「・・・ふん。」
一息鼻孔から空気を吐きだすと、オーベルシュタインは静かに執務デスクに座り、彼自身の仕事を始めた。寝そべっているダルマチアンの背を撫でながら。
* * * * *
カリカリカリ・・・!!(ペンを走らせる音)
ガサガサガサ・・・!!(書類をひっかきまわす音)
パンパンパン・・・!!(ハンコを押す音)
パパパパパパパパ・・・!!(電卓を高速連打する音)
静まり返った室内に、ため息を伴奏にこだまする音、音、音。そして徐々にある種のヴォルテージが音もなく上昇し続けている。
「これを、こうして・・・これで・・・合って・・・ないっ!!!」
カトリーナが絶句し、書類をデスクに叩き付けた。無機質な音が宙に舞い、怒りの余韻だけが宙に残った。
「あ~~~~~もう間違えたじゃないの!!!イライラする~~~!!イライラする~~~!!!!イライラする~~~!!!!!!!!!!」
この書類仕事ほどイライラを誘発するものはない。決裁文書のチェック作業は特に。
「どうした?」
「グフォッ!!!」
カトリーナの全身が「びくうんっ!!!」と波打った。オーベルシュタインが例のダルマチアンを従えて戸口に佇んでいたのだ。
「いいいいええええ何でもありません!!なんでもっ!!ええ、なんでもれすっ!!」
驚愕のあまり、最後には舌を噛んでしまったカトリーナ。
「ならばよいが。先ほど『イライラする』などという音声が聞こえたが、おそらく聞き違えであろうな?」
オーベルシュタインの義眼が赤い光を放つ。
「もっちろんです!!はいっ!!」
「そうか。それよりも犬の餌はどうした?」
「え?(いやこの状況見てよ!ってか見えてるでしょ!?今それどころじゃないし!!というか犬の餌なんか自分でやればいいじゃないのよ~~~!!!!)あ、はいっ!申し訳ありません!ただいますぐに――。」
すっ飛んで飛び出していったカトリーナ。ほどなくしてドッグフードの箱を抱えて戻ってきた。ところが――。
「食べない!?(食べないだとぉ~~~!?)」
ダルマチアンはオーベルシュタイン顔負けのそっけなさで、差し出されたドッグフードを拒絶するばかりだった。
「ほら!美味しいよ~!お食べ!食べてみて~~~!!」
カトリーナの呼びかけにダルマチアンはピクリともしない。やせっぽちの犬はどこかふてぶてしささえ備えた雰囲気で新任副官を拒絶している。だんだんと新任副官はプルプルと拳を震わせ始めた。
「こ、この・・・・クソ――。」
「どうした?」
カトリーナの全身が「びっっくうんっ!!!」と波打った。オーベルシュタインがいつの間にか背後に立っていたからだ。
「ギャ~~~~~~~~~~~ッ!!!」
オーベルシュタインの義眼が赤い光を放つ。
「ひえっ!?あ、いえっ!何でもありません!!!・・・・申し訳ありません・・・大声出して・・・・。」
「帝国軍倫理規定第8章193条を卿は知っているか・・・・。」
「え!?(何それ・・?っていうかそんな規定あるの!?まさか全部暗記しているのこの人!?)」
「帝国軍人ハ常ニ泰然自若トシ、室内ニテ非常時ヲ除キ大声ヲ出スベカラズ、だ。」
「もっ、申し訳ありません・・・・・。」
「以後気を付けるように。・・・・それから、そのような餌は不要だ。あいにく私の犬は軟らかく煮た鶏肉しか口にしないのでな。」
「(だったら・・・・だったらそれを最初から言えってのよ~~!!)わ、わかりました!すぐに用意しま――。」
「書類は終わったか?」
カトリーナの胃が「キリキリキリ!!」と音を立てた。少なくとも本人はそう感じた。ほうぼうの体でオーベルシュタインの元から逃げ出したカトリーナは、自室に戻ってくるなり、ぶわっと涙を噴出させた。
(無理ィィ~~!!超無理ィィィ~~!!!絶対無理ィィィィ~~~!!!というか帝国軍ってブラック企業じゃない!!キングオブブラックじゃない!!私、私実家に帰りたい・・・。帰りたいよぉ~~・・・・。)
それでもやっとの思いで這うようにして机に座りなおし、ボロボロになりながらどうにか夜までに書類作成とチェック作業を終わらせたのだった。
* * * * *
数時間後、軍務省付近のカフェ――。
「やほ~~!!お久し~~~!!元気して・・・・ってどうしたのぉ!?!?」
綺麗に着飾って颯爽と現れたカトリーナの友人たちは、襤褸切れのようにカフェのテーブルに突っ伏している軍服姿の彼女を発見した。
「せっかく『帝国初の女性副官誕生!』」ってみんなでお祝いしに来たのに、いったいどうしたっていうの!?」
「具合悪いの!?」
「大丈夫!?」
「救急車呼ぶ!?」
友人たちがカトリーナを起こす。襤褸切れのようになった彼女は半分魂が抜けた眼をしていた。
「もう・・・私・・・無理かも・・・・・。」
やっとの思いでそう言うと、カトリーナは派手な音と共にぶっ倒れて気絶した。
カトリーナの受難は続く――。