ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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Episode Smart
01.Drowning Diver


「こいつは何を考えてるかわからない」

 

「全部がみんなと違って気持ち悪い」

 

「不気味だから追い払っただけだ」

 

 ヒト――およそ五〇〇万年前にこの地球に誕生し、以来進化と繁殖を繰り返し、今日まで生き延びている生物。

 

「ごめん、君みたいに頭よくないから、君の言ってることはよくわからないや」

 

「ちょっとお勉強できるだけで偉そうに」

 

「俺達のグループ研究課題もやっといてくれるよな? 天才なんだから」

 

「鬱陶しいな……そんなに自分の才能を自慢したいのかっつの」

 

 時と共に隆盛を極め、この星を覆いつくさんとするほどの数に増えた現在であっても、一つとして同じ個体は存在しないという。

 肉体の作りも、行動も、思考も、何もかもが『個の性質』として独自のものとなるのだ。

 まるで、多様性を利とするかのように。

 だが――。

 

「――君は天才だ、認めよう。この論文も、出せば間違いなく学会賞を受賞することだろう」

「であるならば! 何故これを取り下げられねばならないのです! 何故!」

 

 多様性を否定することも、

 

「私に、私を超える才能を受け容れるつもりがないからだ」

 

 また、ヒトの多様性だとでも、言うのだろうか。

 

 

 

「おうい」

 

 耳を小突くような緩い声音と、肩を中心にして生まれる横揺れで目が覚めた。

 

「おはよう。朝だよ」

 

 よく知る白んだ天井に、ひらひら躍り出る男の右手。そのまま視界を横倒すと、無造作に物がすっ転がるテーブルが現れて、頭上の清潔感を呆気なく裏切って。

 しかして青年――否、少年は、まるで当たり前の光景を目にするが如き血相で、ぼやけた卓上から眼鏡を取り、すちゃりと着け、気だるげに起き上がる。

 俯き、ん、と微かな唸り。繰り返しぱち、ぱちと強く目を開閉するのは、眼球が光を取り込み切れていない証拠だ。

 いつも寝すぎるソファでの仮眠。毎度開いたままのノートPC。散らかりっぱなしの研究資料。そして、

 

「今日はいくらか目覚めが良さげだね。驚くほどの晴天だ」

 

 しょうもない情報を携え、決まって起こしに来る同僚。

 

「――カイドウ」

「……ああ」

 

 これがリザイナシティ超常現象研究機関『CeReS』の、いつも通りの朝というものだ。

 女性のそれとも見紛う金の長髪を日差しに輝かせ、柔和な笑みを湛えた青年は、背格好だけならば己とそうは変わらない、或いは追い越してしまうであろう少年に言葉を続けた。

 

「また作業中に寝落ちていたのかい?」

「寝落ちではない、仮眠だ」

「ははあ、本当に六時間が仮眠と見なされる頃には、人間はほぼ一日眠るようになっていることだろうね」

「それもまた一つの可能性だ。俺達はそれを追究するためにここにいる」

 

「上手に逃げたな」とは、眼前の同僚“ヒース”の言。

 すっかり目覚めたカイドウは、己と同じく眠っていたPCの電源スイッチを押すと、食い入るようにディスプレイで作業進捗を確認。カタカタとキーを打ちながらおぼろげな記憶を確実なものにする。

 暗転した画面に一瞬映った生気が薄弱な細面にも、構わずに。

 

「さてさて、此度のラボ籠りは何日ぐらいだい?」

「さあな。詳しく覚えてはいないが……200時間は越えているはずだ」

 

 日常茶飯事ながらに、図らずもヒースは声に出して笑ってしまった。

 

「新記録! いやいや、さすがだね」

「今回PGから依頼された案件が、思いの外深淵でな。知れど探せど知識が一つのデータに収まらん」

「えーっと、ポケモンの進化を超えた強化について……だっけ」

 

 深夜に半分減らして以来の、飲みかけのパックジュースを空にする。

 

「全ては数か月前――バラル団が引き起こしたネイヴュシティ転覆事件『雪解けの日』に遡る」

「そこで作戦に当たっていた隊員の一人が、突如手持ちのルカリオを覚醒させた」

「それも、キーストーンやメガストーンといった、本来必要とされる特定のデバイスも無しに、だ」

「いかにもな君のお好み案件じゃないか。何の前触れもなく突然、本当に突然、出鱈目みたいなことが起こる……未知の領域の片鱗に他ならない」

 

 否定はしない。聞いているかいないかも判断できない横顔ではあるが、確かにそう答えた。

 

「まあ、研究熱心は結構だけど、体は壊さないようにしてくれよ。君みたいな奴でも、こうして心配する人間がいるんだからね」

「手前のことをそっちのけで、他人に興味を向けるどうしようもない人間の忠告を聞くのは些か気が進まんが――善意と思って頭に留めておいてやる」

「まったく、君はいつもそういう言い方しかできないんだからな」

 

 憎まれ口のはたき合いまでがセット、とでもいうのか。

 このCeReSには、カイドウより若い者は当然ながら、同い年すらも在籍していない。誰もが必ずいくつかは年が上で。

 一四という若さで博士という肩書きを取得し、天才の称号を欲しいままにした彼からすれば、寧ろそちらの方が自然な事なのだが。

 なればこそ、孤立しがちな自然の中で、年上でありながらも自分に幾度と向き合う不自然(ヒース)は、多少なりとも刺激にはなっているのだろう、と。そう思う。

 尤も、それを何と呼ぶべきか、自分の中で具体的な答えは出ていないのだが。

 

「おっ、散歩は終わったかい」

「グェス」

 

 二人の時間を止めるように、するりと無作法にも壁を通り抜け入室する影のような存在。しかしポケモンならば仕方がないだろう、カイドウはそんな心情でヒースの手持ち“ゴースト”を瞥見に留める。

 

「研究機材に悪影響を与えたらどうする」

研究員(こういうこと)が本業である以上、こんな暇な時間でも出来ない限りポケモンを外に出してやる機会もないのさ」

「場所を考えろと」

「まあまあ。それに、そんなに悪い奴じゃあないよ」

 

 知った事か、と内心でごちる。

 そして同じく知った事か、とそれをかき消す三つ目の人声が、注目を集めた。

「今日はお客が多いな」多目的室の出入り口に顔向けするカイドウとヒースの視線の先に、白衣の男性がまた一人。

 

「お早う、天才殿。日夜研究ご苦労」

 

 この特定の人物にのみ見せる険ある面構えと、棘ある言い回しを、飽きるほどに知っている。同僚の『ドルク』だ。

「おやおや、どうしたんだいご機嫌に」「お前に用はない」

 ヒースの問いを一蹴し、彼は頼んでもない丁寧でカイドウを指さし続ける。

 

「そちらの天才殿にご連絡ってやつがあるのさ。――尤も俺達のような凡人の言葉を、ちゃんと聞き入れてもらえるかはわからないがね」

 

 著しく愉快さを欠いてしまう、最悪な後味の最低な笑い。嗤い。ドルク自身と、脇を固める助手のものが相まっての不協和音。ヒースが大きなため息をつく傍らで、カイドウはやはり無表情で開口した。

 

「さっさと用件を言え。時間が惜しい」

「ああ失礼、そうだったな。PGのお偉いさまが応接間にてお待ちだ」

「PG……? もしや“これ”関係かい?」

 

 そこから彼の返事がかえったのは、だいぶ後のこと。書類と書籍の山を乱雑に掘った果てに出てくる、ボロボロのノート。の、一ページ。

 

『3月18日、研究経過報告、アストン』

 

 の、中の一行。

 それを凝視したかと思えばノートを閉じて、まるで早回し映像のように忙しなく乱れた白衣を整え、書類をまとめ始める。自らの悪癖を恨む隙もないままに、どたんばたんと支度を整えて。失念ならば仕方がない。無理もない。

 

「いくら天才様とはいえお相手は国家機関だ、くれぐれも失礼のないようにし」

「暇ならばテーブルでも片付けておけ」

 

 焦燥で駆ける足を踏み出した。

 

「なっ……、だと貴様!? おい!」

「はっはっは、いってらっしゃーい」

 

「調子に乗るなよ! ここで貴様の自由が利くのはあくまでもその頭脳ありきで――」

 その先は、早足を刻むうちに勝手に聞こえなくなった。もともと聞いていたかも定かでないのは、ここだけの話。

 それから人を追い越し、すれ違い、いくらかガラス張りの壁の部屋を通過してから、カイドウは無事、客人を待たせる部屋に到着した。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

「――よって特定のデバイスがない状態でのメガシンカは、カロス地方で発見された“キズナ現象”の例から、可能であることはまず間違いない。今後は先程挙げた“ゲンシカイキ”、そして只今挙げた“キズナ現象”の相違点を詳らかにすると共に、ネイヴュで件の現象が起こった際の状況を完全再現し、その上で諸々を検証していくつもりでいる」

 

「以上」。そう締めくくって、報告は終わる。

 国家機関すらも頼り、

 

「……うん。なるほど」

 

 そして唸る。リザイナの技術力と、それを扱う才能の主を前に、感嘆にも似た反応を見せ、机に資料を置き直した。依頼者――PG本部所属警官である『アストン・ハーレィ』は、どうやら彼の仕事ぶりに満足したようだ。

 深い頷きが、それを如実に語っている。ごくごく、本当に極めて僅かに曇りがちな先方の面持ちも構わずに。

 

「申し訳ない。遅れた上にこの体たらく。まだまだ有用な成果を提供できればよかったんだが……」

「イヤ、十分です。キズナ現象こそが、進化の向こうにあるポケモン強化のルーツであったということを知ることが出来ただけでも」

 

 “雪解けの日”に壊滅的な打撃を受けながらも最後まで最前線で戦い、朝日が昇るその時まで立ち続けた隊員『旭日の英雄』の賞賛を受けても、この頭蓋の中いっぱいに広がる靄は晴れなかった。

 別に、約束をあわや反故にしたことへの自責でこうなっているわけではない。満足なデータを提示できなかったからでもない。

 寧ろ慢性的なものだから、気にするようなことでもないのだが。

 

「天才と呼ばれるだけの頭脳、確かに体感しました。今後にも期待しています、プロフェッサー・カイドウ」

 

 ああそうだ。

 

「――……尽力する」

 

 この瞬間、この場面だ。

 こういう時に、どうしようもないほど『これ』で息が苦しくなるんだ。底の無い海に放り込まれたかのように沈んでいく。

 酸素が、陸が、青空が。光が世界が境界線が。自分のいられるありとあらゆる場所が。そこにいるための全てのモノが。何もかも、全部全部遠ざかっていく。

 そのたんびに景色が澱んで、(うろ)だけ残した胸がゆっくり閉塞していく。呼吸が出来なくなっていく。まるで減圧症の潜水士だ。

 何気ない気持ちや、皮肉めいた悪意。中には真理のように、人々は彼を「天才」と呼ぶ。その一言に込められる意味や感情が、各々で違っているのはよく解っている。

 それでも。望んだ肩書でないそれは。そしてそれを扱い接する周囲は。自分にとってはえらく、ひどく毒で。

 彼の賢すぎる頭では到底思いつかないであろう「好きでこうなったのではない」なんて、愚図り文句を大声と一緒に出すことが出来たなら、少しでも変わっただろうか。

 よく知る人物は、彼に代わってそんなことを考える。

 

「それでは」

 

 上機嫌な挨拶に、セットで付いた握手。それは見た目よりもずっとざらついていて、冷たく感じられた。

 カイドウはアストンをCeReSの出口まで送り届けて必要最低限の礼儀を通し、別れた背中をぼんやり見送る。

 

「天才、か」

 

 云われるたびにどうすればいいか悩んでいたそれも、悩む前にはどうしていたかを忘れた時点で、思考は止まった。

 さて――おそらく今日もラボに缶詰だ。

 エスパーポケモン使いらしく、そんな自分のほど近い未来を予知して、歩いてきた道程に視線をシフト。研究に戻ろうかとしていたところだ。

 

「カイドウ教授」

 

 一人の男がカイドウを呼び止める。眼鏡に白衣といった、彼にとってはとうに見飽きた出で立ち。そこから用件を察するのは容易であった。

 

「挑戦者か」

 

 簡素が過ぎる二文字の返答に、少々の辟易。珍しくわかりやすいため息を吐いた。

 見ての通り現在は取り込み中であり、兼業する“また別の務め”を果たすのは楽じゃないというのもあるが、何よりも純粋に気分ではない。

「待たせますか?」そんな気回しを飲みたいところではあったが、案件が案件なだけに何日かかるかもわかったものではない。

 そうなってしまった場合、もはや出てくる答えは一つであった。

 

「通しておけ。準備ができ次第向かう」

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 技術都市、リザイナシティ。

 言ってしまえばラフエルの頭脳を司る町であり、経歴に「リザイナ」の四文字があるだけで、ラフエル内は無論のこと、他地方においても話の種の一つとして十全に機能する。それほどまでにこの都は、学術の方面に特化している。

 故にポケモンバトルもまた、ここでは体系化された学問の一つとして取り扱われる。

 であるならば。

 

「――ルールは一対一の真剣勝負。先に相手を戦闘不能にした者を勝者とする。又、トレーナーによる道具の使用、及びジャッジへの反発は禁止行為とする」

 

 ポケモンジムが置かれるのも、必定と言う他にあるまい。

 

「両者、定位置に!」

 

 チェックタイルの床に、光のスクエアが重なる。天井ガラスで切り取られた日光が、塵すら巻き込み屋内の全てを等しく照らした。リザイナシティジム内に設けられたバトルフィールド内で、審判員の声が木霊する。

 カイドウはびりり、と震える物々しい空気を、目交いの少年と共に吸い込んだ。彼が本日の挑戦者。

 

「ポケモンをフィールド内へ!」

「ユンゲラー」

「いけ! ルカリオ!」

 

 ジムリーダー――この言葉に説明は不要だろう。これこそがカイドウのもう一つの顔。同じ肩書きを持つ七人と共に、ポケモンリーグへと至る者を選定する役目を担う者。

 白線で作られた長方形の両端から二つのモンスターボールが投げ入れられると、忽ち小さな光が発散、少年の方に波導ポケモンの『ルカリオ』が、カイドウの方に念力ポケモン『ユンゲラー』が現れた。

 

「アルバといいます!! 最強を目指してルカリオと修行を積み、メーシャタウンから出てきました! よろしくお願いします!」

「………………」

「えっ、あれ。あの」

「メーシャということは、最寄りの初挑戦がここ、という解釈でいいな」

「あ、はい! ここで初めてのバッジを手に入れて、幸先よく」

「もう話さなくていい。必要な情報は得た」

「ええっ」

 

 ここで何か意気込むとか、闘志を表明するとか、何かしらあるだろう。アルバの顔はそういうものを期待していたそれだ。しかし容易に裏切るのがこの男。

「もう一つの顔」なんて大仰に言って見せたが、実際に闘技場に立とうが、彼の振る舞いは変わらない。別に威張る訳でも、優位だからと先輩ぶる真似もしない。ただ受けた挑戦を淡々とこなすのみ。

 そんなものだから、相手からするとやはりこうして調子が狂うもので。そしてこれが、戦闘中の相手の思考をかき乱す事にも一役買っている……かはどうかは、定かではない。

 

「それでは、バトルを開始する!」

 

 が、それも程なくして解ろう。

 

「ポケモンバトル!」

 

 何故ならば死闘の展開は、今この瞬間すら、

 

 

「レディー、ゴー!!」

 

 

 待ってはくれないのだから。

 

「ユンゲラー」

「ルカリオ!!」

 

 逸る声がかち合う。審判の掛け声が激闘の始まりを告げた時の事。

 開いた窓から入る風を思いきり吸って、先に指示を出したのはアルバだった。

 

「“しんそく”!!」

 

 早口を確実に聞き入れたルカリオが、一瞬の下に消える。

 

「ッ……!」

 

 そして現れる。

 瞬きの眼前に。

 

「“グロウパンチ”ッ!!」

 

 びゅおんっ。次の瞬間、振るった拳から起きた衝撃の波が空気を巻き込み、遠いカイドウの白衣を揺らした。

 だが肝心の手応えはというと、ルカリオの怪訝そうな表情が詳細を述べる。

「外した……!?」今しがたまで認識していた位置から大分離れたユンゲラーを見やって、アルバは愕然とする。スピードにおいて自負があっただけに。

 

「この距離を一瞬で……“テレポート”か! でも、いつの間に指示を……!?」

 

 “しんそく”――身体能力、とりわけ『すばやさ』を瞬間的に底上げし、光にも追い縋る速さで攻撃する技。ルカリオの十八番だ。

 トレーナーの反応速度すら悠々と超えてくるその一撃を回避する手段は、極めて限定されてくる。

 

「勘違いするな、こいつの独断だ。俺の反応速度ではまず間に合わん」

「ポケモンが、トレーナーを無しに的確な判断をするのか……」

 

 目を丸くし、静かに俯くアルバ。

 そうさせたのは、今まで触れたことが無かった世界への衝撃か。或いはあまりに異なる次元に対する、怖じか。

 

「――すごい! これがジムリーダーか!!」

 

「しんそく!」上げた喜面が、連ねた命令が、杞憂だったとわからせる。

 回避。既のところで差し込む今一度の瞬間移動で難を逃れるユンゲラー。だが、

 

「まだだ! 恐れず踏み込み続けろ!」

 

 次の一撃は、そう易々とは引き下がってくれなかった。

 顰み眉でもって、呻く。ユンゲラーの視界は未だ晴れない。

 滂沱たる豪雨が如き勢いで降りしきる攻撃に、曝されてしまっては。

 

「速度に物を言わせたインファイトか」

「エスパータイプは『とくこう』の高いポケモンが多い! でも、引き換えにッ!」

「ヌッ、……!」

「『ぼうぎょ』の値が平均を下回っている!」

 

 追撃。迫撃。

 

「打たれ弱い種類のやつが多いって! トレーナーズスクール通信教育で習ったッ!!」

 

 ――連撃。

 必ず攻め落としたいルカリオと、絶対逃げ遂せたいユンゲラー。神業が如き速攻と、超人が如き空間移動とが相対する。

 蹴りが、正拳が、光弾が――相手を戦闘不能にするための、ありとあらゆる攻撃が絶え間なく襲い掛かる様相は、まさしく怒涛と呼ぶにふさわしい。

 失礼な話、このアルバというトレーナーはあまり賢そうな振る舞いをしていない。実際、賢くないのかもしれない。

 

「だから――速攻で決める!」

 

 でも、決してがむしゃらではない。

 カイドウはレンズ越しに捉えた状況を整理し、察した。

 己が防戦一方を強いられるのも。相手がどかどかと消耗も気にせず技を出してくるのも。全ては彼なりに考えた果ての、リザイナジムの攻略法なのだ、と。

 

「そしてそれこそが! 僕らの得意分野だァッ!!」

 

 やるんだ。やられる前に。

 更なる指示が闘士の蒼炎を大きくした。伴って、猛攻はより激しさを増す。

 次から次へと紙一重で避けてはいるが、そんなものは時間の問題で。アルバの言う通り、ユンゲラーの心許ない耐久力では、たとえ小手先の一発であったとしても、ルカリオの攻撃は致命傷たりえる。

 加えてこの尋常ならざる『すばやさ』……無傷で凌ぐなど、子供でも通らぬ理屈だとわかろう。

 

「……ここまでか」

「ルカリオ!! “バレットパンチ”だあああああああああッ!!」

 

 だからと言って、アルバは何か手を打たせる気もさらさらなくて。

 ズヒュン。僅かな空間を抉り取る、独特な音。鋼鉄と化した正拳の突きの一発が、瞬時にユンゲラーの胸を抜いた。

 常に手にしていたスプーンはとうとう、からんと虚しく地に落ちる。

 

「ぐ、ウウウゥ!!」

「く、浅い!」

 

 今度は大きな呻き声ではあったが、『地面にほど近い位置で』『交差させた両腕越しに』喰らったことにより、ワンパンチノックアウトは防ぐことが出来た。どうにか取れた受け身も相まって、なんとか立ち上がって見せるその姿が、その証明。

 

「でも」

 

 でも、所詮はギリギリで生き延びただけの、そんな話。

 

「もうテレポートも、できない」

 

『ユンゲラーは虫の息』。アルバにとっても、ルカリオにとっても、審判にとっても、

 何よりカイドウにとっても。それは共通な認識で。

 にしてはあまりにも落ち着き払っていて、まるで能面のような無表情ぶりなのだが、アルバは必要以上にそれを疑う真似はしなかった。

 ポーカーフェイスか表情筋が固まっているのかは知らないが、自慢の神速のラッシュを防げる唯一無二の手段を失った事実に、変化はないと理解しているから。

 

「……鍛えられたルカリオだ」

「へっへ、光栄です」

 

 ようやく重い口を上げたと思えば、対戦者への賞賛。

 何が来るかと身構えてた分、拍子の抜け方も盛大だったろう。

 しかし、アルバはこれによって勝利を確信した。

 もう躊躇うことはない。慎重になることも、同様。

 

「この鍛えられたルカリオで――――スマートバッジを頂く!!」

 

 勢いのままに、握った拳を突き出して命令した。

 

 

「ボーンラッシュ!!」

 

 

 聞き入れたルカリオが、蒼白いエネルギーで骨型の棍棒を作り出す。そうして大地を蹴った。

 向かうは一直線――肩で呼吸する、ネタ切れの超能力者(マジシャン)

 

「いっけえええええええええええ!!」

 

 叫ぶ。相棒と共に。討つべき敵を見据え。到達する瞬間も。振りかぶる瞬間も。何もかも余さず目に入れた。

 自分たちの、初勝利の瞬間を。

 

「……――」

 

 

 そう信じていた、瞬間を。

 

 

「……え?」

 

 

 裏切られる、瞬間を。

 

 

「な……ん!?」

 

 ビリビリ。初めに聞こえた音だ。

 とどめの一撃が光の障壁に阻まれている。初めに見えた光景だ。

 突き出したユンゲラーの平手から発されたそれは、物理攻撃を防ぐ“バリアー”という技。

 

「くっ、まだ!」

「ユンゲラー、“ねんりき”」

「!? ルカリオ!!」

 

 動転した一瞬の隙を突き刺すように、カイドウは短く示す。

 ユンゲラーの空いた手がゆらり横へ伸びると、スプーンが吸い込まれるようにそこへ収まる。次の瞬間、ルカリオは壁に激突していた。

 

「クォっ!?」

 

 見えない力にふっ飛ばされて、ゆっくり壁を擦って崩れる背中。

 今度は何の手品だろう、と目を白黒させる。

 何が起きた、なんだというのだ。そんな焦りを隠す時間すら、今は惜しい。決めなければ。

 

「ルカリオ! “しんそく”!」

 

 テレポートはできない。壁を張るにも、この速度を片時も逃さずぴったりと目に焼き付けながら、的確な場所を絞れるものか。その理解はある。わかってる。よくわかってる。だから一刻も早く終わらせなければ――。

 

「は……!!?」

 

 今一度張られた障壁(バリア)は、その思考を盛大に嘲った。

「なんで!? どうしてこの速度に対応して防御行動を取れるんだ!!? バリアが張られるまでのタイムラグは!!??」

 声荒らげた質問に、すちゃりと持ち上げられた眼鏡。答え合わせの時間がやってくる。

 

「お前が知恵を絞って、俺を防戦一方にまで追い込んだところまでは褒めてやる」

「へ……!?」

「だが、俺もあの状況の中で、何も考えがなかったと思い込んでいたのなら――楽観が過ぎる」

 

 再度指示『ねんりき』。

 次はかわしてみせた。そして文字通りの刹那で背後を取る。だが。

 

「そんな!!?」

 

 エネルギーの壁はしっかりとルカリオの拳を圧し止める。

 何度繰り返しても、どこからどう切り込もうとも、その悉くは阻まれた。

 音を置き去りにし続けて、光すらも追い越しかけて。それでも、それでもだ。

 

「なんで! どうして!?」

 

 ――拳を振りかざした瞬間、目の前に壁が現れるのだ。

 

「どうしてこんなに読まれ――」

 

 発話の直後、は、とする。

 おもむろにカイドウを見やると、口が小さく動いているのが分かった。

 

「1.2秒後10時方向仰角7度、1.4秒後4時方向仰角4度、さらに0.6秒後12時方向仰角同様に4度、3ターン後攻撃パターンの変更が予想され、状況を鑑みて最も高確率なのはバレットパンチとされる。翻って142ターン後までの防御プロセスを転送後、再調整した強度式の算出作業を行い――」

 

 最初はまるで何を言っているのかわからなかった。あまつさえ一点から視線を一切ずらさない奇行もあったものだから、人の言葉を発しているのではない、とすら思った。

 しかし、じきに理解が及ぶ。

 

「……本当に、読んで、る……」

 

 徒にテレポートを連発していたわけではない。

 無意味に逃げていたわけではない。

 あの回避行動の随に、アルバとルカリオの攻撃パターンを記憶していたのだ。

 にわかには信じがたいだろう。そうだろう。ましてやこんな短い間に。到底人間業と思えない。

 されど、畏怖にも似た吃驚の合間で彼は思い出す。

超常的頭脳(パーフェクトプラン)』という、カイドウのキャッチコピーを。

 

「『ここまでか』って……僕の攻撃の記憶作業のことだったのか……」

 

 己の脳内情報を、ポケモンのそれと共有させる力の使いどころを窺っていた、超能力者(エスパー)の一言を。

 一度見れば、全てを記憶する。

 一度考えれば、必ず答えを導き出す。

 一度組み立てれば――それは崩れることがない。

 

 不幸かな、彼は天才である。

 

 呼ばれたくなくとも、呼ばれ続ける。

 

 それほどまでに、優秀な頭脳を持っているのだから。

 

 

「――挑戦者、お前の敗因を教えてやる」

「よく鍛えられたなんて、褒めてくれたのになあ」

「一つは、俺に時間を与えすぎたこと」

 

「ずるいや」

 

「もう一つは、一番最初で俺に挑んだことだ」

 

 

 以降、勝利の方程式は解を出すまで破られることなく守られ続けた。

 

「ルカリオ、戦闘不能!」

 

 そうしてルカリオはついぞ、

 

「――勝者、ジムリーダー!」

 

 ユンゲラーに、二撃目を浴びせることはなかった。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

「お勤めご苦労様、っと」

「本当にな。忙しい一日だ」

 

 疲れた身体にとっては、たとえ缶のコーヒーであっても、キズぐすりと同等の効能を発揮する。どこかの誰かが言った言葉。それ以上のことは知らない。

 所は変わって、夕刻のCeReS所内。元より沢山のビルのせいで陽光の入りがよろしくないというのに、こうも日に傾かれてしまっては、蛍光灯に頼らざるを得ないというもの。

 

「バトルセンスを高額で買ってもらえるのは結構な話であることに違いはない」

 

 が、という一文字で繋げながら、愛用のソファにもたれかかる。

 

「やはり楽な仕事ではないな」

 

 くたり、よれた白衣も一緒になって、温もりの上で横たわって。必要なものでも今だけは煩わしくって、目に当たる人工光を腕でカットした。

「本当だよねえ」理解してるのかどうかも定かじゃない、そんな当たりも障りもしないヒースの返事。のんきなものだと溜息吐いた。本日、何度目か。

 退屈を埋める一瞬の魔に身を委ねていると、ヒースに肩を叩かれる。

 

「なんだ。口頭で伝え――」

 

 不機嫌のまま起き上がった先で、カイドウの発言はすっかり途切れた。

 理由は語るまでもない。大変おかしな場面に直面したからだ。

 

「こういう子も、相手にしなければならないんだものねえ」

 

 先程破った相手が、自身が所属する研究所の窓に貼り付いて、自身を仰望する――そんな場面に。

 

「それは……、ねえ」

「弟子に!!!! ぜひ弟子にしてくださいいいいいいいいい!!!!!!」

 

「大変、だよねえ」

 

 彼が日常に戻るのは、どうやらまだ先なようだ。

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