ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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04.『アサツキ』

 ただハイテンポに連なるのは、レールにしがみついたカーテンが滑空する音。

 

「あー、いい! いいよ!」

 

 しゅるり、しゅるりと開いて閉まってを繰り返す。

 

「これもよき! かわいい!」

 

 忙しないだろうか。きっと忙しないだろう。

 

「んん好き! これすっごい好き!」

 

 それでも咎められないのは、ここがアパレルショップ、それも試着室だから、というのが理由にある。

 アミューズメント施設の次は、ショッピング――ひとしきり遊戯に洒落込んだなら、お次は買い物という訳だ。三人の若さ任せの道楽は、まさしく十代の風情を漂わせていた。

 

「ねねね、ポーズ取ってポーズ! んで次はこれ着てみよ!」

「やめろよ、恥ずかしいだろが……」

 

 ショッピングエリアに入ってから、カイドウと「時計塔の下で一七時に再集合」という約束を取り付けて別れ、さしずめ即興ファッションショーを楽しむアサツキとフレイヤ。尤も、フレイヤが一方的にアサツキを着せ替えているだけなのだが。

 

「やっぱアサツキはちっちゃいから、美人系よりもかわいい系だよねえ。アタシ似合わないからなー、憧れるわホント」

「逆に、オレはその美人系が似合わねえんだけどな」

 

 アサツキはそんな短い苦笑いの間にも、フレイヤのリクエストに応えるように、次々と彼女が持ってくる洋服を着こなして見せる。

 タートルネックニットにフレアスカートで、上品に。デニムジャケットにミニスカートで、可愛らしく。花柄ワンピはその小さな体躯に彩りを与えるし、ストライプのロングシャツは少し大胆だけれど、ジーンズとなかなかどうしてベストマッチ。

 素人目でも、どれもこれもが彼女にぴったりで。似合うものを選んでくるフレイヤが凄いのか、それとも着こなすアサツキが凄いのか。どちらにせよ、今は考える必要はないのだろう。

 

「うん、これも似合ってる。回って、回って」

「そうか? 自分の中では、そんなに合ってる感じもねえけど……」

「かーわーいーいーよー! 写真撮っていい?」

「ばっか、タグついてんだろって」

 

 彼女たちの心底から零れている笑みが、そんな事を示している気がした。

 

 

 

 レジカウンターにて清算。表示された金額を見て、露骨に渋い顔。とかく衣服というのは安いものではないなと、再認識。フレイヤこそは「小切手あるし! 大丈夫大丈夫」なんて、涼しい顔で。能天気な彼女の声を聞いて、時間も一緒に買ったと思っておこう、と考える。

 まとまった紙幣と細々した釣銭を交換して、衣類が詰まった袋を二つばかり受け取って、その穴に腕を通して。開口した財布への釣銭入れに少しだけ手間取りながら、身を翻した。

 

「アサツキ! タイム!」

 

 身を、さらに翻す。「なんだよ」と言う前におお、と感嘆の声が漏れていた。具体的には、彼女のかわいいセンサーに、何かしらがビビっと反応した時の声。洒落の利いた表現してみれば、アラートというやつだ。

 

「ね、めっちゃよくない!?」

「あ、ああ……めっちゃ、いい」

 

 二人の視線の先、レジ機のすぐ横にあったのは、流れ星ポケモン『メテノ』がデザインにあしらわれたヘアピン。小さな木の籠に、ビニール包装されたものがいくらか入っていた。

 

「それ、今売れ筋なんですよ。色も複数あるから、お召し物に合わせて変えられますし」

 

 そう言う店員の髪筋にも、キラリと光る小粒の流星があって。

 実演、というわけではないが、こうして気になる物が目前で実際に使用されているのを見ると、俄然欲してしまうのが人の性。

「赤いの、一つください!」次の瞬間、フレイヤが口にすることは一つ。

 

「ありがとうございます、三二五円になります」

「アサツキも買うよね!」

 

 言わずもがなだ。既に色選びに煌びやかな視線を迷わせているのだから、訊くまでもないことだろう。

 デザインもかわいい。着けた状態もかわいいし、隣の陽気な少女が着用した姿だって容易に想像が出来る。かわいい。だから、きっと自分も。自分だって――。

 

 

『二度と話しかけねーよ、カイリキー女』

 

 

 自分、だって。

 

「アサツキ?」

 

 妹や母から、よく似合うなんて云われていた、オレンジ色。力と元気に溢れて、でも優しい温かさも備えた、大好きな色。それを取ろうとした手が、ぴたりと止まった。

 アサツキは隣で訝る少女の「どうしたの?」なんて問いかけに、苦々しく頬を綻ばせて、

 

「オレ、やっぱ、見てるだけでいいや」

 

 苦し紛れに、言葉を絞り出した。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 ラジエスの西側がショッピングエリアなのは、ちゃんと理由がある。海にほど近い場所故、船で来た品物の流通を迅速に行えるからだ。

 こんな夕刻になっても、最西端の公園から望めるラフエルの海上では、貨物船が悠々と歩みを進めている。汽笛に驚いたのか、水上のキャモメがぱたぱたと羽ばたいていった。

 他に見えるものなんて、ただ水平線に落ちていくだけの夕陽ぐらいだが、その景色もこれまたどうして馬鹿にならなくって、なかなか見ごたえというものがある。

 

「よよ、お待たせ」

「ああ、わり」

 

 ベンチに腰掛けたまま、柔らかな潮風に撫でられるアサツキ。ひときわ強いものが吹いてきた時に、思わず俯いた。その先の視界に躍り出てきたフレイヤの手の中のトロピカルきのみジュースを、礼と引き換えに受け取る。

「それ、百万円したから」「はは、なんだよ、それ」背負う夕明かりで影になって視認出来なかったが、冗談めかして、にししと笑んでいるのは声音でよくわかった。

 隣に座って、二人して取る休憩時間。特段不自然な事もなく、追手が来ることもなく、時刻は一六時半を回ったところ。重ねるのは、つい先ほどまで観ていた映画の話。

 

「てーかさ、アサツキってば、さっきのホラーシーンやっぱ見てなかったよね? 洋館に養子で貰われてきた女の子が、執事さんを殺すとこ」

「み、見てたっつってんだろ。ビビってねーし」

「いやいや、ビビってたなんて一言も言ってねーし」

「え、うぁぐっ……」

「大体ヤバいシーンくる時、アタシの肩に顔うずめてたっしょ?」

「だー! 言うな! 言うなってもう!」

 

 アサツキのクリムガンのような真っ赤な顔を見て、フレイヤはけらけらと笑う。朝起きてからどころか、二人がこうして会ってから数えはじめても、何度目の破顔かわからない。カイドウの内心は知るところではないが、少なくとも二人は、それだけ濃密で、充実した時間を過ごしていたということでいい。

 久しぶりに心の底から、無邪気になって、やりたいことをして、時間も忘れて、遊べたと思う。

 一日のスタートは確かに散々ではあったけれど。今になってみれば、彼女に巻き込まれたのも悪くなかったな、なんてアサツキは考えていて。年甲斐もなく、時間の経過に対して惜しさすら覚える始末だ。

 いや、もしかすると、彼女がスター『Freyj@』だからなのかもしれない。多忙だし、長い時間同じ場所にいられるような仕事でもなければ、立場でもない。自分だってそうだ。通常の商品に加え、ネイヴュ復旧工事用の部品も作っている今の工場で、やっぱり自分の空きを作れる時間は限られ過ぎていて。

 次はないのかも――とか、焦燥のような、悲嘆のような。

 しかして女子の会話というものは、秋空よりもずっとずっと移ろいやすく、変わりばえしやすい。感傷に浸るのも野暮なのだろう。

 言っているそばからそうで、出し抜けにフレイヤが出したのは、今ここにいない人物の話。

 

「てか、カイドウどこで何やってんだろ。ぜんっぜん想像つかないわ」

 

 それはオレもだよ、と、内心で返す。されどそれでは会話も終わってしまうので。

 

「……家電とか、見てんじゃねえか?」

「ぶっは! 数時間も家電見る!? ちょーウケんだけど!」

「しっ、知らねーよ、オレだって!」

 

 さておき「携帯とかは見てそうだよね」「ああ、あり得るな。いつも最新のにしてそう」という、取るに足らない会話もするが、

 

「どのみちアイツは訊いたとこで、ぜってー教えてくんねえよ。どうせ『それをお前たちに教える必要があるのか』とかなんとかごたごた並べながら、突っかかってくらぁ」

 

 そんなアサツキの愚痴にも聞こえる仮説で締めくくられる。

 厳密には「目に見えるわ」という一言で終わらせたかったのだが、珍しく多く喋るもので喉の水分も減りが早いのだろう。ジュースで喉を潤す動作に打ち消された。

 

「アサツキってさ、カイドウのこと結構好きでしょ」

 

 尤もそれもまた、噴出という動作をもってキャンセルされるのだが。次にアサツキがすること、いや、してしまうことは一つであった。げっほげっほと噎せ返って、胸元をどんどんと叩いて、落ち着く頃の心底物言いたげな表情に続けるフレイヤ。

 

「ごっ、ごめんごめん、ラブじゃなくてライクの方だからね?」

「そういう問題じゃねえだろ!」

「え、違うの?」

「ちっげーよ!」

 

 食い気味の返答でも、まだ気道の準備が整っていないのだろう。もう暫くだけ噎せて、ようやく静かになった。滑稽と笑うように、ヤミカラスがかあかあと鳴く。

 

「結構そんな感じ出てたんだけどな……、違うのか」

「ああ……やっぱ、ちげえよ」

 

 アサツキははあ、とため息を吐いて、ぽかんとする彼女の独り言にそっと訂正を加え始めた。

 

「好きとか、嫌いとかさ。たぶん、その、なんだ。そういうのじゃねえんだよ……アイツは」

 

 発話を滞らせ、喉元で言霊を渋滞させながら。

 

「あ、いや、あれだぞ! 口うるせえし感じ悪ィし配慮とかそういうのねえし、そういうとこはムカつく! くっそムカつくんだ!」

 

 歯切れが悪くて、言い淀んでる。必死さが滲んでる。

 

「ムカつくん、だけどさ」

 

 苦手も苦手、超苦手。まさに彼に対する意識が見て取れる――そんな語り口。

 

「ああやって、誰にでも自分の態度崩さねえで奔放なとこは、……たまに『羨ましいな』って、思ったりもするんだ」

 

 それでも彼女が今、この場で――彼がいない日陰で、日向では絶対に言わないことを言っている。

 この光景は、きっと大きな意味がある事なんだろうなと、フレイヤにもすんなりとわかった。

 自由でいること。自分が自分でいること。誰の型にもはまらない、他者の言葉に踊らない、どんなものにも抑圧されない。そういう『強さ』。

 アサツキがずっと欲しがっていて、そして今でも欲しいもので。

 女の子だから、男っぽいだなんて茶化されるのが嫌で。かわいい服を着るだけで笑われるのがさらに嫌で。そういうのを気にせずいられない自分の弱さもすごく嫌で。でもだからって自分を捻じ曲げるのはもっと嫌で。せっかく買ったを服を、身に着けた姿を想像するだけで終わらせるのはもっともっと嫌で。

 ――いつしかアサツキは、フレイヤに抱え込んだ何もかもを吐き出していた。

 今日会ったばかりだけど。本当なら他人にこんな姿を見せようものなら、その夜は風呂で一人反省会だけど。

 身勝手だけれど、もう会うこともないだろうから――と考えて。

 当のフレイヤはというと何を言うでもない。彼女の気が済むその瞬間まで、無言でずっと視線を向けていた。

 

「なるほどねー……。だから、買わなかったんだ。着けたくても、着けられないから」

 

 そして長らくの沈黙を破壊しながらに思い浮かべるのは、彼女がヘアピンを諦めた、先刻の記憶。

 

「アイツにイラつくのは、もしかすると、そういうのもあるんじゃねえかな……って、最近思い始めた」

「嫉妬みたいな?」

 

 こくん、と静かに頷く。

 

「『オレはこんなに我慢してんのに、なんでこいつは』、みたいなさ」

「あー、なるほどね」

 

「情けねえよな」相槌が止んだら、くた、と首を前にへたらせて、視線をそっと落とし込む。自嘲する横顔が、痛々しく心の傷というものを表す。話はそこでぷっつり途切れた。

 気が済んだのか、それとも己に辟易したのか。どのみち再集合の時間も近いので、この心境をいつでも引きずる訳にもいかない、という頭はあって。

 無音を取り消さんと立ち上がった、そんな折だった。

 

「……――」

 

 旋律が、突然耳朶に流れ込んできた。楽器らしいものもなく、それを持つ者も周りにいなかったものだから、あまりに不意のことで最初は目を真ん丸にした。が、少しおいて、それの出所がフレイヤの口の、喉の、声帯であるということがわかった。

 蓋を開ければ何のことはない――歌、であった。

 でも、何のことはないその曲に、アサツキの耳は自然と傾いていた。芯の通った優しい歌声に、温かさを湛えた詩が乗って、浮雲みたく、ゆっくりなだらかに流れていく。

 足をぶらつかせ、海の向こうを望みながら、その場にいるポケモンも、人も、植物も、果ては建物や車なんて無機物までもを聴衆にして、フレイヤは唄った。まるで森羅万象を抱き締める、陽光のような(バラード)を。

 上手いとか、下手とか、そういったところよりも前の段階で聞き入ってしまったのは、きっと「魅了された」と云ってもいいのかもしれない。

「アカペラだけれど」アサツキが言語能力を取り戻すのは、フレイヤが再び開口してからだった。

 

「あ、いや……いい歌、だな」

「ありがと」

 

 にこ、と微笑んで、返す。そしてこの歌がまだ未発表のものであること、そして何よりも“これ”こそが此度の騒動の発端になったことを、アサツキに打ち明けた。

 

「アタシ的には、自信作だったんだけどね。ただマネージャーに聞かせたらボロクソこき下ろされちゃってさ! やれ『お前はロック以外似合わない』だの、やれ『慈善事業じゃないんだから売れそうな歌にしろ』だの! お前は何様だっての! てか、思い出したらまた腹立ってきた!」

 

 わなわな、とオコリザルよろしく歯噛みして拳を握り締める形相に、苦笑するアサツキ。彼女からすれば、そんなフレイヤの姿は意外に映った。たった一日という時間で人を知るのは早すぎるなんて言われればそれまでだが、少なくともこの短い時間の中で得たフレイヤの情報から見れば、こんな様相は想像だにしなかった。

 だって、明るくて、大らかで、一緒にいるだけで元気が出て。だから。

 

「――アタシさ、“英雄の民”なんだ」

「……へ?」

「あ……、知ってる? 英雄ラフエルの」

「し、知ってるも何も、知り合いにいる」

 

 テルス山を指し示す、人差し指。独白の隙間を突いた、攻守交代。今度はフレイヤが、私の番だと言わんばかりに自分の話をし始めた。アサツキは語られる出自で一瞬呆気に取られこそしたが、身近に同じ生まれの者がいたお蔭で、そう時間を食わずに理解が進んだ。

 

「まあさ、そういう、天下の大英雄様の末裔ってやつになるからさ、やっぱり色々と厳しい決まりがあるんだわ。おまけに民族だしさ。服装だとか、食事だとか、生活のあれこれで」

 

 そうなのか、というのが率直な感想だった。というのも、その身近な人物というのが、そこまで英雄の民というものについて詳しく語ってくれない所為なのだが。

 

「んで、それがアホらしくなっちゃって」

「『なっちゃって』って……、もしかして」

「うん。家出た。喧嘩して勢い任せで飛び出してきた」

「すっげえ行動力だな……」

 

 曰く『波乱万丈』な、彼女の軌跡にある種の感心を示すアサツキ。

 無一文で家を出てきたものだから、生活に困って路上のダンボール布団で寝たこと。雑草を食べたこと。同じ服を一週間も着回したこと。悪い人間に襲われかけたこと。湖で水浴びをして溺れかけたこと。お金を求めて自販機の下を漁ったこと。そうして入手したお金で豪勢なパン耳ディナーにしゃれ込んだこと。でも、このままじゃいけないと思ったこと。ゴミ置き場から拾った薄汚いギターで、素人のまま路上ライブを始めたこと。少しずつ上達したこと。お金を貰えるようになったこと。そして、スカウトされたこと――――彼女特有の、手短で、簡潔で、どこか語彙力が足りていないトークではあったが、色々なことを聞いた。知れた。

 

「だからさ、アタシもアサツキと一緒。型に捉われるのがどうしようもなく嫌だし、誰かからあり方を決められるのも、まっぴらごめんって感じ」

「……でも、お前は強いな。そうやって行動を起こした後の事を、何も怖がってなくて」

「あーね。確かにホームレスはキツかったけど、それでも楽しかったよ。だって嘘つかないアタシが、一番したかったことだもん」

 

 どん、と音がした。幻聴なのだろう。ここにいるこのアサツキ(・・・・・・)にとっては。

 空気の振動は明確な向きを指示する。耳孔をくぐり、鼓膜を打った。そうして生まれた鳴動が響き渡り、灰白質を渡って扁桃核に潜り込む。されどもまだだ、まだだと言霊は呟いて、さらなる意識の向こうへと少しずつ沈んでく。やがて今の人の言葉では説明できない場所に達して、それすらも道程に置き去りにして。

 届いた先は、皆に憧憬を抱かれる、頑固で、強いと呼ばれる男勝りな彼女じゃない。

 受け取ったのは、吐かざるを得なかった嘘で塗り固められた、そんな悲しい彼女じゃない。

 

 フレイヤが手を伸ばしたのは。

 

 無数に重なる他人の言葉で真黒く塗り潰された――小さな小さな少女。押し寄せる誰かの幻想に自らの声をかき消されて、ずっとずっと目隠しして泣いている、一人の女の子。

 

 偽らない、本当のアサツキ。

 

「もう大丈夫だよ」と、誰かが言った気がした。

 ――霧にくるまれた視界が、ゆっくり晴れていく。

 アサツキは、いつの間にか大きくしていた琥珀玉のような目を、元に戻す。そして、まばたきを一つ。次に見えた風景には、優しく笑いかけるフレイヤがいた。

 ああ、そっか。そうなんだ。自分はきっと――心細くて、しょうがなかったんだ。

 自分が自分でいることに平気な人ばかりで。何も苦しむことが無くて。そんな人しか見えてなくて。

 だから、自分が一人ぼっちなのかもって思い込んで。焦っていたんだ。

 

「ねえ、アサツキ」

 

 時間が流れ出す。

 

「アタシこうなってから、やりたいことが出来たんだ」

 

 空間が広がり始める。

 

「全ての、自分を見失ってる人たちに――アタシの歌で、自分を取り戻させてあげたい」

 

 鼓動を、この身に感じる。

 止まっていた世界が、再び動き出した。

 

「できると思う?」

 

 フレイヤはそう問うて立ち上がり、尻をぽんぽん、と払う。そんな彼女に向き直るアサツキの瞳に、もう迷いはなかった。

 

「……できるよ。少なくとも今、ここで、取り戻せた奴はいるから」

 

 ありがとう。そう短く言うと、小さな頷きが返って、

 

「ん。短い人生、思いのままに生きろ」

 

 元気いっぱいの笑顔も、おまけで忘れずに。

 それを締めに、深みの極みにまで突き進んだ女子二人の会合は、終わりを迎える。携帯で時間を確認すると、一六時五〇分を過ぎようとしているところだった。

 まずい、時間にタイトなカイドウにどやされる、とはアサツキの言。フレイヤもフレイヤで「一〇分前行動は社会人の基本だろうが、ふん! ふん!」などと、微塵も似てもいない物真似で笑いを誘いながら、ベンチに預けた荷物を持ち直す。

 目指すはもう少しだけ東に向かった先の、飲食街入り口周辺の時計塔。そこでカイドウと合流し、報酬の受け渡しを行い、改めてそれぞれが別れるという手はずだ。

 

「最低でも五分前には着いておかないと、また文句言われんぞ」

「うわぁ、見た目通りの人だな……」

 

 そんな事を愚痴りながら、急ぎ足の爪先を東側に向けた、その瞬間のことであった。

 

 

『オォォォォォオオオオオオオオオォォォォォオオオォォォォォオオオオオオオォォ!!!!』

 

 

 突如打ち上がったその音は、最後の最後で、彼女たちの平穏を脅かす。

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