ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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05.私が私であること

 ――愕然。最初に揺すられた二人の恰好は、それだった。

 天まで叩き割ってしまうような、凄まじい音がラジエス全域を揺らしたのだ。

「な、何、今の!?」「わかんねえ。けど、ただ事じゃねえ」晴れ空だから、雷はあり得ない。隕石などもっともっとあり得ない。暫しの静寂を押し退け、アサツキとフレイヤはきょろきょろと辺りを見回す。しかしあるのは同じように今の衝撃に圧倒されてどよめく者ばかりで、肝心な異変のようなものは見当たらなく。これだけの音量で誠に信じられない事ではあるのだが、音源はどうにもすぐ近くではないらしい。

 

「今の音、なんだったんだろ……は、花火?」

「なわけ。……あんまり考えたくはねえことだけど――ッ!」

 

 ズドド、ドォン。

 

「ちょちょ、マジほんとなんなのーーーーーーっ!?」

 

 再びの、謎の音。次は音色というものが少し違っていて、天というよりも、大地をぶち壊しそうな勢いを持っていた。フレイヤは驚きと恐怖でしゃがみこみ、たまらず視覚と聴覚を遮断したが、アサツキは違った。そして明確にその音の正体を理解した。

 自分だって、あまり当たっていてほしくなんてないが。むしろ外れであってほしかったとさえ思うが。

 

「――――ポケモン、だ」

 

 遥か向こう――東区(イーストエリア)から立ち込める大きな煙を見れば。否定など出来る道理がないじゃないか。

 ゾクリ。アサツキと視覚情報を共有した誰も彼もが、背骨を悪寒にわし掴みされた。こんな情勢だからこそ、何が起きても不思議じゃない。今のラフエルだからこそ。

 

「アサツキさん!」

「ステラ! ……それに、カイドウ!」

 

 最悪のビジョンが頭蓋の中を過った時だ。数時間ぶりのカイドウを伴ったステラが、とても険しい面持ちで駆け寄ってきた。

 一目してわかるただ事ではない事態の詳細を訊ねようとするアサツキだったが、ステラはそれよりも早くに言葉を紡ぐ。

 

「落ち着いて聞いてください。現在東区で、ポケモンが暴れ回っています」

「それも巨大も巨大、超特大サイズのヤツがな」

「なんだと……?」

「これを見てください」

「……!」

 

 次いでステラが差し出した携帯電話に、全ての疑問の答えがあった。

 SNS上の一般人による投稿。画質が荒く、画面のぶれも酷い。が――確かに再生された動画の中には、けたたましい咆哮を上げ、狂戦士が如き秩序ない挙動でラジエスの街を破壊する、熊型のポケモン『リングマ』の姿があった。

 それもカイドウが言う通り超特大サイズで、推定にしても六メートルは下らない。少なくとも「街中で暴れようものならば相応の被害は免れない」ということが一瞬で理解できてしまう程度には、大きい。

「う、うわあ!」しゃれにもならない短い悲鳴で映像は途切れる。最後にリングマがフレームアウトしたのを見るに、撮影者は逃げたのだろう。そう思う他もなく。

 

「おい……なんだよ、これ……!?」

「わからん。突如現れた。原因も目的も不明だ。ただ、これが今ここで起こっていることだというのに変わりはない」

「現在、ラジエス市内を巡回中のPGの方々が対応に当たって下さっていますが、規模が規模――戦力が足りず、注意を引くので精一杯です。なので、避難を呼びかけて回っています。アサツキさん達も」

 

 アサツキはこく、と短く頷く。そして傍らのフレイヤに目を配せた。

 

「……おい?」

 

 何故かはわからないが。そこにいた彼女は、血気の欠片もない青白い顔をして、呆然と立ち尽くしていた。

「フレイヤ? どうした?」不審に思っての質問に、

 

「――テルスの、主」

 

 まるで答えになっていない答えが返る。

 譫言のようにフレイヤが溢したそのワードに、この場の誰もが反応した。

 

「……なんだよ、そりゃ?」

「こいつを知っているのか」

「知ってるも、何も、アタシが住んでたとこの付近に暮らしていた、リングマ、だ」

「住んでた……テルス山か?」

 

 ここに来た理由も、ここで暴れる目的もわかったことではないが、ここにいる存在の正体は、ぶつ切りながらもフレイヤの証言で明らかになった。

 テルス山に生息し、そこの住人の間ではすっかり名物となっていた規格外な体格をした野生のリングマ――通称『テルスの主』。

 彼女が言うには『人懐こく穏やかな性格で、時折遭難者を助けたり、子供にきのみを与えたりするような奴』らしく、彼女もまた彼と一緒に遊んだことがあるとの事。

 進行形でこの惨状を引き起こしている獣とは、あまりに噛み合わない情報だった。

 

「成る程、だから東から来たのですね」

「でも、そんな奴が、なんでこんなこと」

「わからない……でも、きっと何かの間違いなんだ! ほんとはそんなことする奴じゃない!」

 

 すごくいい奴で――というところで、黒と赤の衣服が視界に入る。ラジエス外より応援にかけつけたPGであった。ステラの「ご苦労様です」という挨拶に、柔く返した敬礼がその証拠。

 

「状況はどうなっていますか?」

「現状の戦力では止められないと判断し、市民の避難を最優先に進めていますが……」

 

 目まぐるしく事が進み、場面が切り替わっていく。続けて隊員はトランシーバーで連絡を入れる。その先は当然、現場だ。

 

「こちら本部カーゴ、詳細な状況を説明されたし。どうぞ」

『目標、現在破壊行動を繰り返しながら中央区に向け進行中。“はかいこうせん”や“だいもんじ”といった強力な技を確認済。又、どうやら目の焦点が合っていないため極度の混乱状態にある模様、無傷での停止は望み薄との見立て。どうぞ』

「了解。市民の安全と街機能を優先し、殺傷やむなしとする。至急応援に向かう、状況を継続されたし」

 

 引き続き避難の手引きを。では。連絡後、簡素な挨拶だけを済ませ、隊員達は早急に東へと流れていく。

 フレイヤにとって、そのリングマとの記憶は数えるほどしかないのかもしれない。どこまで重要な存在かと問われると、回答に詰まるのかもしれない。

 しかし『殺傷やむなし』という言葉を聞いた瞬間、眉がぴくりと動いた。

 

「おい、フレイヤ!」

 

 看過出来なかった。

 咄嗟に、その場から駆け出そうとしたフレイヤの腕を掴むアサツキ。不穏を察した形相だからこそ、その様子は筆舌に尽くし難い。

 連なるは、在り来たりな問答。

 

「一体どこにいくつもりだ」

「決まってる、アイツを助けにいかないと! やっぱり混乱してるって言ってたじゃん、誰かに何かされたんだ!」

「バカなことを言うな。あのサイズを止められるはずがないだろう」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!? 殺されちゃうかもしれないんだよ!!?」

「それはお前も同じことだと言っているんだ! 戯言も大概にしろ!」

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!』

 

 二度目の(たけり)が聞こえると、またも大地が揺れた。その根源が近づいているからなのかもしれない、先程のものよりも幾分か激しくなっていて。

 図らないところでカイドウとフレイヤの口論が止んだ折、戸惑うステラを尻目にアサツキは口を開く。

 

「……お前がよっぽどアイツを止めてえってのはわかった。けどそれはそれとして、何か考えはあるのか?」

 

 アサツキの動じない姿勢がそうさせたのだろうか。焦燥に追いやられていたフレイヤではあったものの、返る言葉は存外冷静であった。

 いやむしろ、間もなく聞くこのアンサーこそが、彼女の逸りの裏打ちだったのかもしれない。

 

「全ての英雄の民は、みんな親からある歌を教えられるんだ」

「歌……?」

「英雄ラフエルが、ポケモン達と心を通わせる時に奏でていた歌――『つながりの唄』。その歌詞とメロディは、全てのポケモンに安らぎを与えるって伝えられてる」

「そいつを聞かせでもすりゃ、止められるってのか?」

「……わからない。試したことも、ない」

 

 でも。だけど。それでも。だからって。荒らげた声で、必死に言葉を繋ぎ止めた。

 

「アタシは、友達を黙って見殺しにしたくない。見殺しにされるのも見ていたくない。……だったらやるしかないじゃん!」

 

 確かに自分は生まれた場所を、テルス山を、レニアシティを、家族を、過去を捨てたかもしれない。

 さりとてそこに懐かしむものがあってもいいはずだし、離れた今に想い馳せるものがあったっていいはずで。

 友達は苦しんでいるのかもしれない。辛いのかもしれない。そして誰かのせいでそんな風になってしまっているのかもしれない。そうやって理不尽に殺されてしまうのかもしれない。

 考えただけで居ても立ってもいられなかった。

 

「茶番だな」

 

 だが、虚しくもそんな彼女を一蹴する言葉が、さらに積み重なる。

 クロトとハルク、並ぶ二つの顔には残念ながら見覚えがあった。尤もこのような状況で遭遇するとは、思わなかったようだが。

「探した。ずいぶんと苦労をかけてくれたな」片や腕を組み木に寄りかかり、片や手をひらひらと振っておどけている。それを見たフレイヤの面構えは、より厳しいものになった。

 

「お前ら……!」

「今がどういう状況で、お前が何を考えていようが知ったことではない。言う事は一つ」

「俺らは依頼こなせりゃなんでもいいんだ。マネージャーもスタッフも無事だしさ……とりあえず、戻ってくんねえかい?」

「……誰が!」

 

 返すやいなやその動作、電光石火と呼ぶに相応しいものだった。

 絞まる喉、浮く躰、上向く視界で、フレイヤは自分がどうなったかを刹那で認識できた。

 

「フレイヤ!」

「っぐ、う……!」

 

 されどしかめ顔と短い呻きしか、返せない。詰め寄るなり首を締め上げられては、普通そうだろう。クロトの突き刺すような眼光に、容赦などなかった。

 

「有名人だか、英雄の民だか知らんが……自分を特別視して自惚れるなよ。全てがお前のためにあるんじゃない。我儘も大概にするんだな」

 

 辛抱たまらん、と先に動いたのは、フレイヤでなくアサツキ。

 どんな状況であっても、男性が女性に暴力で訴える行為は許されていいことではないだろう。

 クロトの腕に手を伸ばそうとする。

 

「……い」

 

 ――が。その掌は上がりきるよりも前で止まった。

 

我がまま(・・・・)で……、何が悪い」

 

 大層、不思議な事だったと思う。 

 

「何……?」

「……自分のしたい、ままに生きて、何が、悪い……」

 

 震えて、今にも消え入りそうな声で。

 

「誰だってみんな、みんな……自分でいることが、幸せなんだ」

 

 一言一句の発音すらままならなくて、弱々しいのに。

 

「自分を失くしている奴がいたら、そいつの前で、歌って、あげたい」

 

 フレイヤの言葉はこんなにも強く、大きく響いている。聞き手の耳を奪っている。

 

「自由は、最高なんだって。言ってあげたい――救って、あげたい!」

 

 何故だろうか。どうしてだろうか。彼女が英雄の末裔だからだろうか。人の目を引く芸能人だからだろうか。

 いいや。どれも違う。

 

 

「今、ここで動かなきゃ! アタシはアタシでいられないんだッ!」

 

 ――私が私であること。あり続けること。

 

 

 腹の底から湧き起こるこの“叫び”――これこそ、彼女『フレイヤ』が『Freyj@』とした、ただ一つの約束だからだ。生まれ変わる時に掲げた、誓い事だからだ。

 次の瞬間、フレイヤの気道に沢山の空気が通った。解放されたのだ。何度か咳き込んだ後、己を救った手の主へと向く。

 

「アサツキ……!」

「……何のつもりだ」

 

 引き剥がされ、心底面白くない、といった顔つきで睥睨するクロトだったが、そんなものはお構いなし。

 

「手前が手前でいられねぇなら、仕方ねえよな」

「あ、おい! 待……!」

 

「行け」アサツキは言った。そして頷き、走っていく“自由の歌い手”の背中を見送る。

 

「ああもう、何してくれてんだお前!」

「……あーいうのは、手前で言った事通しきるか、二度と前に進んでいけねえぐらい痛い目見るかでもしなきゃ、止まらねえよ。お前らだってわかってんだろ」

 

 そうやって目線を合わせるのは、カイドウとステラ。想起するは、何度でも諦めず、勝利を掴まんと自分にぶつかってきた挑戦者たちの記憶。

 

「でもって……、どうやらオレも“そっち側のヤツ”らしいや」

「アサツキさん、貴女は……」

「あいつ一人なら、無理かもしれねえけど……例えばPGにプラスして、ジムリーダーの加勢があったならどうだ?」

 

 カイドウは足元に目を落とした。呆れの顔だ。そういう人間が一定数いるのは知っている。愚かしくも、存在してしまうのは理解できる。だがこれは、そもそもの解決策すら存在しないに等しい、博打じみたこの選択はあまりにも。

 

「……無茶苦茶だ。付き合いきれん」

「ああ。だから、付き合わなくてもいい」

「なに?」

「でけー力には、でけー力をぶつけるのが一番いい。んでそれは、こん中だとオレがお誂え向きだろ」

 

 おもむろに取り出したモンスターボールを、膨らませた。

 

「……安心しろよ。ちゃんと連れて帰るって。リングマだってぜってー止める」

 

 とかく職人というものは、頭を使うのが苦手だ。脳みそよりも先に手が動くときている。

 理屈よりも感情が先走るし、(うつつ)より夢を見ようとすることもある。そんな風に、此度も義理より人情を優先するのだろう。

 嗚呼、まったくもって非合理で考えの足りない、無駄で馬鹿げた話だろう。

 

「あいつはオレを救ってくれたから。見つけてくれたから。今度はオレが、あいつを助けねえといけないんだと思う」

 

 だが、いつだって人心を豊かにしてきたのは、無駄なことだった。意味がないことだった。誰かの非合理が、別の誰かを救ってきた。ヒトとは元来そういう生き物だった。

 賢いだけでは、味がないから。

 正解だけでは、乾燥しているから。

 

「アサツキさん!!」

 

 やがて彼女も駆け出していた。風に服を乱されど、髪を崩されど、脇目もふらずにあの子のなぞった道を辿っていく。授かったとびきりの恩を、倍にして返すために。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

『庁舎ケレブルム・ラインより市内全域へお伝え致します。現在、東区にて野生のリングマが暴れており、大変危険な状態にあります』

 

 人波に逆らって、走っていく。早足、時々、刻み足。煙の方向へと一歩、一歩と足跡(そくせき)を重ねるたび、すれ違う人々の血相が恐怖に慄いた者のそれに変わっていく。

 追いやられた夕焼けが、一足先に皆を見捨てて行ってしまった。

 

「PGは何やってんだよ!!?」「これもバラル団の仕業なの!?」「終わりだ! 助けてくれええ!!」

 

 東区(イーストエリア)は、混迷を極めていた。

 

『市民の皆様は、職員とPGの指示に従い、すみやかにラジエス市外へと退避してください。繰り返します――』

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』

 

 近付くのは、何も人の悲鳴だけではない。

 禍々しさすら覚える凶獣の雄叫びも。破壊を証す地響きも。彼女の心臓をひどく不安に陥れる。

 市の庁舎『ケレブルム・ライン』は中央区寄りということで、どうやら無事なようだった。フレイヤは一瞥して、未だ轟音が立ち起こる方面へと走っていく。

 

「……っ」

 

 現状の全体を見れば、大きな被害という訳ではないのかもしれない。駆け抜けついでに流れていく景色は、西に寄れば寄るほど綺麗にこそなっていくが――それでも瓦礫が点々と、かつ着々と歴史ある街の景観を侵しているのは明白であった。

 自分は、あのネイヴュの事件『雪解けの日』の、被害者ではないけれど。はたとあの人達はこんな感情だったのかなとか、こんな状態だったのかなとか、建物の谷間で急ぎながら考える。

 都度に加速する。「こんな悲劇は早く終わらせねば」と。

 

 

 

 彼は何を見て、どこに向かっているのだろう。

 

「ヴゥウ……オオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 空気が、波打った。ぎんぎらと鋭く輝く赤紫の瞳が、あてもなく転げて回る。

 どしん、どしん。激しい足音を伴い、塵煙と瓦礫を後にして街中を進行していくその様は、もはや熊などという生易しいものではない。怪獣だ。

「ウインディ、だいもんじ!」「ムーランド、ギガインパクト!」

 PGのポケモンたちが矢継ぎ早にリングマへと攻撃を仕掛けた。昇る煙が晴れた先、待つのは傷一つない巨躯。残念ながら、微動だにしない。

 しかしここまでは計画通り、こんな光景は先程から見慣れたもので。本番はここから。

 

「――()ーーーーーーッ!」

 

 リングマの視線が眼前の二体に行った刹那の事。背の高い建物の屋上から、本部の隊員が一声を下す。すると道脇で構えていた隊員たちが、同様に待っていた沢山のデンチュラに向けて一斉に指示する。

 唱えた言葉は共通。体内で生成した糸を射出して対象に巻き付け拘束、そのまま機動力を下げる技『いとをはく』だ。

 

「糸を出し惜しむな、全て使い切れ! 無理に状況を畳む必要はない! 応援が揃うまで持ち応えればいい……足止めに専念せよ!」

 

 さらに一筋、二筋と電気蜘蛛の糸が増えていく。容赦も遠慮も忘れて、一つの巨体へと一目散に向かって絡みつく。

 不意を打ったのもあるのだろうが、効果はてきめんだった。

「よし!」まさに糸口が掴めてきたようで、ようやっと隊員のポジティブな表情が見られた。でも、それも束の間。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 ブチブチ、ブチブチブチブチ。この場面で、最も聞きたくなかった音が響き渡った。リングマは怪力を以て、まるで羽衣を脱ぎ捨てるかの如き軽快な動作で糸状の拘束具を取っ払う。

 

「目標……止まりません」

「……化物め……ッ!」

 

 かくして事を繋ぐ希望の糸は、途切れた。

 

 

「――いた!!」

 

 

 それでも、未だに止まらぬ者がいる。否、走り出してすらいない。

 絶望が視界にちらつき、諦めすら胸に抱いていた隊員たちの横を抜け、フレイヤはとうとうリングマと対峙した。

 

「な、み、民間人!? なんで!」

「おい、何してる! 下がれ!」

 

 粉々になったコンクリ片も。所々で泣いて喚く火柱も。引きちぎられた鉄骨も。こうして引き合った彼女たちを、不敵に祝福している。逢魔時(おうまがどき)の逢瀬を、悲しみで揺らめく火の粉と陽炎が彩った。

 

「……久しぶり、覚えてるかな。何年ぶりだろ」

 

 瞳に自我が宿っていない。フレイヤの見立ては的中であった。

 それでも足が竦んで、声も震えている。冷や汗すら垂れているが、自分より何倍も大きな獣と向き合うこの場では、極めて自然な状態に違いない。刺激するまいと静かに見上げ、語り掛けた彼女であったのだが、

 

「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 焼け石に水で。耳が砕け散りそうなほどの雄叫びの後に飛んできた炎を、紙一重で避けた。ちり、と奔る熱風が彼女の服を微かに焦がす。

 

「っ……ニョニョさん、お願いします!」

 

 僅かであっても、インターバルは見逃さない。地を転がりながらも、フレイヤがすぐさま投げたモンスターボールは、一頭身のウサギにも似た囁きポケモン『ゴニョニョ』を呼び出す。

 

「無理だ、そんなポケモンでは!」

「無理じゃない! コイツが苦しみながらいたぶられていく事の方が、アタシにはずっと無理だ!」

「馬鹿な真似はよせ!!」

 

 頬に付着した汚れを拭い取り、勢い任せに立ち上がる。大丈夫、まだ動く。

 それに再三言うが、彼女は決して死に急いでいる訳でもない。この『つながりの唄』を、ラフエルが残した希望の一端を、行使するタイミングを狙っている。

 

「グオオオオ、オオオオオオオオオ……!!!」

 

 そしてその期は、早々に熟する事となる。

「目標、“はかいこうせん”発射体勢に入ります!」PGが言った。それに続くのは、各々のポケモンに対する『まもる』の指示。とてもじゃないが、このサイズのリングマが放つはかいこうせんを打ち消せる技もあるはずがない。

 開けた大口に集合するは、光の粒子。それらが寄り集まって段階を追って巨大化していき、確実にエネルギーを溜め込んでいく。隊員が「君も逃げろ」とフレイヤに呼びかけるが、やはり聞かない。聞く訳がない。

 

「ニョニョさん、アタシの指さす方向、見える?」

「んにょ」

「うん、そうそう。一回きりのチャンスだから、見逃さずに頼みますよ……!」

 

 何故ならばこの大技を放つ時こそ――『はかいこうせん』の反動で動きを止める時こそが、リングマへ歌を届ける千載一遇のチャンスだからだ。

 そうとあっては逃げる訳にもいかないだろう。

 

「おい、まさか受け止める気か!?」

「そのまさかってやつ……実現できれば、最高っしょ!」

 

 アスファルトが唸る。ぐらぐらと湯が煮えているかのような熱さと、震えが、この場全てを包み込んだ。

 その身と本能で理解が及ぶだろう。発射までもう少し――――三、二、一。

 

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 あえて表現してみるのならば。きっと『ぶぉわ』という音。

 破壊を司る最強の煌めきが、とうとう獣の口辺から解き放たれた。

 散々轟いた衝撃の正体は、これだろう。いざ近くにしてみれば、遠くで感じていたものよりも遥かに大きい熱と、輝きで。ともすれば自分が消し飛んでしまうかもしれない、なんて思ったり、思わなかったり。

 さりとて絶対に退かない。退いてはならない。

 目をかっ開き、すう、と大きく吸気を取り込む。

 だって、今彼を救えるのは、英雄の血を受け継いだ彼女だけだから。虹色の奇跡の欠片を握る、彼女だけだから。

 

「……いくよ、ニョニョさん!」

 

 彼女自身、そんな風に思えば。

 

「――ハイパーボイスだああああああああああああああああああああっ!!!」

 

 どんなに怖くても、力が湧いてくるのだ。

 

 

「ワ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」

 

 

 歌手であり、並よりかはうんと声量があるフレイヤの全力の発声をもかき消す絶叫が、ゴニョニョの口から飛んでった。

 説明は要らない。“ハイパーボイス”は、そういう技だ。

 空間が歪む。万物が痺れる。地表がもがきながら捲れ上がる。この場に居合わせる誰もが、耳を塞ぎながらに思う。これが本当に音の力なのだろうか――と。

 

「いぃぃぃっけえええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」

 

「私の歌を聞け」。そう言わんばかりに、破滅の光へと一迅の希望の音が立ち向かった。少女に合わさる光線の直撃コースに、とんでもない厚みの防壁が生まれる。素材は空気。

 風が逃げ、営みの残骸が舞った。

 

「相殺、っだと……!!?」

 

 一度きりだが、この攻撃を止めるたった一つの冴えた方法。相殺。衝撃に衝撃をぶつけるだけという、お世辞にも賢いと言えない戦法であったが、それこそ「実現できれば最高」と言わざるを得ない。

 この結果を、何も壊さず侵さずで霧散していくエネルギー光を見れば、余計に。

 

「今だ!」

 

 眼前の道が晴れる。向こうで膝をついた巨体を捉えた時、彼女の眼に宿る確信。それは踏み出す一歩を大きなものにした。

 迷わず走り、駆ける。この時間ならば、彼の声が届く範囲まで迫れる。歌が聴こえる位置まで近づける。既に大きかったのに、少しずつ大きくなる輪郭。比例して激しくなる威圧感も、無視できない。

 しかし彼女の胸にもはや恐れはなかった。今助ける。その苦しみから解放してやる。そんな独白すら巡るほど。

 

「……オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」

 

 ――だった。だったはずなのだが。

「へ」目が合ったときに聞こえたのは、言葉にもならない、吃驚の出来損ない。

 本当に瞬間的なこと。

 フレイヤの体は、引き戻された。

 いや、正しくは押し戻された、だろうか。

 無情かな、いくら人が善意でその身を寄せたところで――全てが敵に映る彼には、その意思を汲み取る力など、どこにもありはしない。苦し紛れに振り下ろした拳が、彼女を見事に襲った。

 直撃こそ免れたが、粉々にされたアスファルトは彼女の肉体をどかどかと手酷く殴り打つ。

 

「……――――っ」

 

 そんな真似をされてしまっては。平気なはずもないだろう。

 咄嗟に腕で身を庇えど、数メートルもの距離をふっ飛ばされて全身を強く打った彼女は、立ち上がれないままで。

 

「うっわぁ……血……、い、って……」

 

 もはや意識があるのも、奇跡に等しかった。

 

「おい!」

「……大丈夫、……大、丈夫……」

「くそ! 彼女を保護しろ! 早く!」

「目標、再び動き出します!」

「くッ……!」

 

 それはもう最悪のタイミングだった。でも、順当だった。

 拘束が解けたリングマが、再度立ち上がる。錯乱により誤作動を重ねる敵愾心が狙ったのは、言わずとわかることだろう。誰もが最も望んでいなかった者だ。

 

「ゴオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 リングマはもう何度目かもわからない咆哮を上げると、フレイヤに向かって一直線に駆けていく。

 一丁前の図体に反した速度、その勢いたるや暴走トラック。人間が一瞬で粉砕される様など、容易に想像できた。

「ダメです! 保護、間に合いません!」

 絶望の一言が響く。誰かが割って入って身代わりになることすら許されない段階で、誰もが目を閉じた。

 ごめんね――――そうやって呟く、フレイヤ自身も。

 

 ドゴォン。

 

 鈍い音が、絶望の袂で寝そべった。

 直後、無音に差し変わる。皆例外なく次に広がる光景を直視するのが嫌だった。ある者は救えなかった未来を、またある者は精神を病んでしまいそうなほどの不条理を目の当たりにしてしまうから。

 それでも彼女は目を見開いた。

 

 違う。

 

 (ひら)けてしまった。

 

「……あ、れ」

 

 フレイヤは、自身の生存に数秒戸惑った。あまりに何もなさすぎて。三途の川の向こう側かとも思ったが、確かに蝕む痛みは、先程の記憶からの地続きなのだと知らしめる。

 なんで、と言いかけた。

 

「よお」

 

 でも、そこで聞こえた声に視線を奪われて、やめてしまった。

 

「無事かよ」

 

 だって、君が助けてくれたのがわかったから。

 

「アサツキ……!?」

 

 フレイヤにかかった影を押し止めるローブシンと、そうするよう指示を出したアサツキ。その小さくも逞しい背中。彼女の目の前にあるのはそれだった。

 

「……へ? あ……」

「ったく……『行け』とは言ったけどな、誰もあの世まで行けなんて言ってねぇよ」

「なんで! どうして! これはアタシの勝手で!」

「これもオレの勝手だよ」

 

 アサツキが無言で指さすと、これまで誰一人として止められなかった凶獣を、

 

「フゥヴゥン!!」

 

 武神はあろうことか押し返す。そして持ち直した二本の柱をばちりと打ち合わせ、後退ったリングマに雄叫びを浴びせた。

 

「これも、嘘つかないお前がやりたいことなんだろ? だったら手伝わせろよ」

「で、でも、危ないよ! こんな!」

「どの口が言うんだ、ばーか」

 

 肩を借りながらに小突かれる。傷もないし問題ないだろう。

「いて」とたまらず仰いだ空で、鳥ポケモンがいることに気付く。どうにもそのシルエットは記憶に新しく。

 

「勘違いするなよ。この騒動の収束に協力するだけだ」

 

 シンボラーがゆっくりと降り立ち、カイドウを地上に解放した。

 だが、遅れてきた来客はこれだけではない。

「みずしゅりけん」「だいもんじ!」水と炎の波状攻撃が、リングマを釘付けにする。今しがたの技の主、ゲッコウガとヘルガーは、それぞれローブシンの両脇を固めるように立ちはだかった。

 

「ったく、どいつもこいつもバカやってくれやがって。もうどうなっても知らねえぞ!」

「こうなってしまっては、これしか手段もないだろう」

「アンタらまで……!」

「特例捜査員の協力だ、そう目くじらを立てるな」

 

 顔見知りであるがゆえに物言いたげなPGらへ向け、半ば強引な理屈を吐き捨てるクロト。しかし突っぱねる者は誰もいまい。なにしろジムリーダー二人に、腕利きトレーナー二人――最高の応援故に。

 

「ま、こんなところだな」

「みんな……、ありがとう……」

 

 少女が涙をそっと拭って、向き直る。討つべき敵へ。救うべき友へ。

 風が吹く。地が揺れる。太陽が少しずつしおれていく。

 日頃会わぬ者に会い、普段戦わぬ者と戦い、でもいつも言えぬことを言えて。私じゃない私と決別できた。本当に奇特な一日だった。

 

 

「じゃあ、お前のわがまま――最後まで付き合ってやるよ」

 

 

 そんな記憶を飲み込み、アサツキは静かに構える。日没まで、あと少し。

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