ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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02.招かれざる客

「……ということは、あなた方も事実上の遭難、と?」

「違う。脱出する手段を知っているから遭難じゃない。必要なものさえ揃えば」

「それがないから、こうやって出られないでいるんだよなー」

「…………」

「フッ……ああ、返す言葉もない」

 

『いつまでもここに留まっていても仕方がない』。初対面ながらに、一発で一致した認識であった。

 引き続きたいまつ代わりに電気エネルギーを光らせるシママを先頭に、道なき道を歩く男女四人。この奇妙な出会いが生み出されるまでの過程を、各々が説明しているところだ。

 

「研究どころではなくなってしまって、正直少し心細かったんだけど……君たちのおかげで解消されたよ」

 

 フェドーラ帽の青年はつばを持ち上げ、緊張を和らげんと冗談を言った。

 名を『ジェリオ』――職業、考古学者。各地の伝説や神話を主な研究テーマとし、広く深く調べて全国を回っている。延いてはそういった題材ゆえに、積極的なフィールドワークを行う事が多々。というか、むしろそちらの姿でいることの方が多く、本人曰く「冒険者のようなもの」だとか。

 現在はラフエルの伝説についてを研究しており、テルス山へ足を踏み入れたのも、その材料集めのためだそう。

 

「笑っていなさんなよ。根本的にはなーんにも変わっちゃいねえぞ、この状況」

 

 雰囲気を良好にするそんな気転なぞ露知らず、彼を一瞥し、嘆息まじりにぼやくロングコートの青年。名を『テソロ』。

 あちこちに点在する未発掘のままの財宝を探り当てる『トレジャーハンター』と呼ばれる者であり、テルス山来訪理由も勿論「お宝目当て」。非常に簡単な話で。

 

「ジェリオさんと、テソロさん……だったわよね。あなた達は、元々一緒に行動していたの?」

『いいや、これが初対面だ』

「とは思えない息の合いようだけど……」

「ってなると、にーちゃんたちが出会ったのも偶然ってことか? すんげえなー!」

「こんな出会い方しちまうぐらいなら、誰とも知り合いたくなかったけどな」

 

 違いない、と頷くジェリオ。

 図らずも同じ日同じ時間に、同じく何かを求めて、同じ場所に足を踏み入れ、同じように帰れなくなってしまったとは――なんと不可思議な巡り合わせか。カエンは「奇跡だ」などと陽気に喜んでいるが、残念なことに場違いな振る舞いであることに違いはない。されど彼が責められないのは、きっとその年齢ゆえだろう。

 求める者達は質問に答えた代償として、逆に質問を返してよこした。

 

「で、あんたらは誰なんだ? なんだってこんなとこに」

「私はエルメスといいます。レニアシティまで、少し用事があって。そして、こちらの子は」

「カエン! レニアシティのジムリーダーをやってる、英雄の民だ!」

 

 そうやって得意げに答えた次の瞬間であった。少年の正体を聞くやいなや、テソロが短兵急にして大袈裟な動作をもってカエンの方へばっ、と向く。当然驚くカエンであったが、そこに宿った表情とうっすら感じた匂いで、何かを察した。

「もしかして、にーちゃんも」少年との意識の合致を確信して、それ以降聞くこともなく勝手に話し始めるテソロ。

 

「レニアシティのジムリーダーってんなら、この山の事情にも精通していると踏んで訊ねるがよ」

 

 その内容とは。

 

「“アレ”は、なんだ?」

 

 ひとえに、進行形でこの山に起きている『異常』の一端のこと。

 誰もが立ち止まる。心当たった、誰もが。

 テソロがそれについて開口する意味を理解できないほど、カエンとて頭の回転は遅くなかった。

 

「俺達はそれぞれの目的を求めるうち、さっきみてえに鉢合った。そんで、野生のゴローンに襲われた」

「別に、ポケモンバトルに自信があったわけじゃない。だけれど……あまりにも強かった。まったく歯が立たなかったんだ」

「おかげで手持ちは全滅。買い置きした“げんきのかけら”も枯渇。しかも追い回されたせいで来た道もめちゃくちゃにされ、挙句(しるべ)に積んどいたケルンも見事にパー。泣く泣く『けむりだま』で逃げたはいいが、気付いてみりゃあこのザマだ……最悪さ」

 

 続けて「数日前の下見の段階じゃあんなやべーやつはいなかった」と加える。

 

「なあ、ジムリーダーさんよ――この山、相当におかしなことになってるぞ」

 

 危険が伴う職業故、癖のようにリスク管理を徹底する彼が言うからこそ、その言葉には重みがあった。

 襲われて、同様のケースを見て、エルメスはようやく今を侵す異常性に確信を持つ。飲み込んだ生唾がその証明。

 

「……わかんない。でもそれを調べるために、おれもここにきた」

 

 それは、二度目の溜息だった。

 

「やっと何か掴めると思ったのによぉ……、返事はこれかよ」

 

 主は想像に難くない。未だ泡沫のように淡いままというに、期待を抱きすぎたのだろう。次いで口に出しているのだから、もはや疑う余地もない。

 

「いや、いい。いいんだよ。こんなちんちくりんな小僧に過度な期待をかけた俺が悪かったんだ……ああ、そうだ。俺が悪いんだ」

「おいテソロ、そういう言い方はあんまりだぞ」

「だからいちいち口出すなって。文句の一つ二つ垂らさねえとやってらんねえんだよ、わかれよ」

「心中は察するが、今ここで荒んだ気持ちをぶつけ合ったところで、どうにもならないだろ」

「ふ、二人とも……」

 

 語気こそ静かだが、テソロは激しい言葉を選んでジェリオと反目しあった。縋った分だけの失望がそのまま態度となって、周囲も巻き込んでささくれ立たせる。

 策が尽きてしまうことよりも、尽くすだけの策が存在していない事の方が、ずっとずっと問題で、それでいて苦しい。そんなことはエルメスも、ジェリオだってわかっている。だがそれでも、そうであっても。頭でわかっていても、どうにもならない感情がそこにはあった。

 四者の足は依然動かない。強い苛立ちと、それからなる殺伐とした空気だけが、辺りをぴりつかせる。

 やがて沈黙が連れてきた一触即発の様相が、エルメスをより当惑させた。

 

『ぐ、きゅるるる』

 

 尤も、それもせいぜい数秒だけの話だったが。

 

「……なに、今の」

 

 生物の体というのは、必ずその意識の介在を必要としない機能がいくらか備わっている。

 例えば、発汗とか。例えば体内ガスの排出とか。例えばあくびとか。

 

「へ、へへへ……ごめん、朝からなにも食べてなくて……」

 

 空腹時の、胃袋の収縮だとか。

 いくらばつが悪そうに追従笑いしようと、そういうものは往々にして時と場を選んでくれない。仮に人と人が、今にも諍いを起こさんとしている時であっても、だ。

 エルメスが二人へ向き直った時には、どちらもすっかり肩の力が抜けていた。

 彼らの体もまた、主の意識の外で「ばからしいな」と言っていたのかもしれない。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 四人の脱出劇は、尚も続く。

 洞窟内が無限に広がっていようとも、どんなに辛く長く厳しかろうとも、その足は止めてはならない。強いられるのは終わりが一向に見えない、ひたすらの苦行。

 したたる汗を拭く作業も、いよいよ行われなくなってきた。しかしエルメスの内心は上々、というところであった。

 一定距離ごとに、道の右端に石を積み上げて作るオブジェ――“ケルン”。置く(サイド)を一定にしておけば、行き道か戻り道かもわかる。そして二人が出会った地点から、カエンとエルメスを拾った場所までもを巻き込み、こまめに描かれ続けるアナログ地図。

 いずれも「何もないよりはまし」と、ジェリオとテソロが紡ぎ出した探索者の知恵の賜物であった。

 やはり知識人がいると、幾分か安心感を覚えてしまう。専門家は大切なのだなと、えらく優先度の低い体感。

 先導役たるシママの隣で、その光源を頂きながら地図を拡張するジェリオが、あるタイミングを境にぴたりと立ち止まった。

 不審そうに、少し後ろからそれを確認するテソロとエルメス、

 

「これは! 空気のひろがり!」

「こ、こら! 危ないわよ!」

 

 と、同時に走り出すカエン。

 エルメスの制止も聞き流して前を行った彼は、ジェリオも追い抜き、「いこ!」とシママを連れてどんどん先を急いだ。

 引っ張られるように三者が追いかける。

 

「ちょっとカエンくん! 今は遊ぶとこじゃなくて……わっ!」

 

 かと思えば、今度はブレーキをかけて。一度は叱ってやろうと思い、その小さな背中へと目を落としたが、カエンの目線は上を仰いでいたので、訝っているうちにその感情も流れていって。そうやって意識を向け直した眼前にあったのは、

 

「……広場、なの?」

 

 だだっ広い空間。

 シママの明かりは心許なく、現在地の全貌を詳らかに出来るほどではないのだが――確実に先程までの押さえ込まれるような閉塞感は、消失していた。何よりも呼吸のしやすさが段違い。

 

「ジェリオにーちゃん、ここはなんだ?」

「わからない……だけど、見たところ地面が均され整っている。自然によって出来たものではないかもしれない」

「ええへえー! すっげー!」

「ざっくり見た感じだけど……天井もそこそこ高そうってとこか」

 

 ジェリオもテソロも通ったことのない場所であったようで、シママとカエンに導かれるままに中へと足を踏み入れる。

 空気の流動を素肌で感じた。スペースも十分だ。どうやら本当に広場で間違いないらしい。

 エルメスも警戒を解き、くるくる回ってはしゃぐカエンの傍できょろきょろと周囲を見渡す。危険もなさそうで、一安心と撫で下ろした胸。

 

「おい、調べるぞ。まず部屋の規模だ。右から壁伝いに歩け。ライトはあるな?」

「もちろんだ。左は任せる、何か変化があれば伝えてくれ」

「ちょっとちょっと!?」

 

 ――“求める者達”の胸は、まだまだ落ち着くには早いようだ。

 探索者の性なのだろう。男二人は活き活きとした目と、てきぱきとした動作で、この広場内を早急に調べ始めた。

 いえ、それは完全な寄り道ですけど。舌にまで乗った言葉を、飲み直す。歩きっぱなしであったし、もしかすると休憩にはちょうどいいのかも、と強引に納得することにした。

 

「……とりあえず、一服しましょうか」

「わーい!」

 

 無事であった携帯食をリュックから取り出し、カエンとシママに配った後、自分もありつく。時間的には午前のおやつ。

 もすもす、という咀嚼音に紛れて聞こえた「ありがとう」に、微笑んでお返しする。

 

「どう考えても、要らないわよね、あれ」

「んー。でもまあ、おれも知らないばしょにいくときは、わくわくがとまんないし、前の夜はどきどきで寝れないからなー」

「……男ってのはどうして……、こう、探し物が好きなのかしら……」

 

 二人を遠巻きに眺めているところ、ほの明るさの向こう側から、手招き。今度はなんだ、とざりざり砂利を擦りながら右側、ジェリオの方へと歩み寄る。

 言葉よりも先に彼が指したものを視認して、カエンとエルメスはその目玉を大きくした。

 

「――な、なんだ、これ」

「知らないか? ……いつから描かれたものかは、わからないが」

 

 壁一面に大きく広がる抽象画に、大の大人でも習ったことのない意味不明な文字の羅列――どうにか備え付けられていた知識で言い表すならば。

 

「壁画に、象形文字……“ラフェログリフ”? まさか、本当に存在していたの……!?」

「俺も、古代ラフエル語への造詣は深くないが……それでもわかる。これは紛れもない古のラフエルで使われていた言葉だ」

 

 資料でしか見たことがなかった、とは後付けの発言。ジェリオは壁画を撫で、胸を高鳴らせる。いや、彼だけではない。カエンもエルメスも、遷ろう時間の中で風化していった先人たちの軌跡を目の当たりにし、いつしか魅入っていて。

 

「こっちにもあるな。……いや、この部屋を形作る壁全て、か」

 

 テソロが示す通りだった。見回せば四方の壁全てに、ジェリオらが確認したような画が隙間なくみっちりと描かれており、やがてそれらは一つの壮観な景色となって、彼らの前に姿を表した。

 いつ、誰が、どんな理由でこれを描いたのかは定かではないが、確かに断言できることが二つある。

 一つに、ここが『未発見の遺跡である』ということ。二つに――。

 

「この壁画は、たぶん、ラフエルの所業の記録だ」

「おれもな、わかる。ラフエルの話はたくさん読んだから。ここにはそれを思い出させる画ばかりだ」 

「隙間がないのは、もしかして“繋がっている”から……?」

「順序立って描かれてるとなりゃ、どっち回りで見ていけばいい? やっぱ時計の動きと同じ右回りか?」

「……いや、おひさまの動き方と同じ、右から左な気がする」

 

 直感、ビンゴだ。出入り口のすぐ右に、溺れる人。ラフエル神話序章、希望の舟から落とされたラフエルを描写しているのだとわかった。

 そこから“決意の声”で絶望の魔物を打倒するところ、泳いでポケモンだけの大陸に上陸するところ、その大陸の王たるポケモンと対話をするところ、そして認められるところ――ラフエルの行いの一つ一つが絵となって、書物以上のディテールで記されているではないか。

 まだ続く――ポケモンと道を作ったこと。自然を切り拓いたこと。海の底まで潜って、水中のポケモンとわかりあったこと。背中の皮を剥いで作った絨毯で、空のポケモンとの競争に勝って仲間にしたこと。世界を埋め尽くすほどの大洪水から、虹色の光で大陸を守ったこと。氷の鎧を纏った竜を、獣の王と共闘して封印したこと。

 左へ向け、壁伝いに進めば進むほどラフエルは少しずつ強く、逞しくなっていく。奇跡の物語が加速していく。

 

「はわー……すっげえー……!」

「まるで、ラフエル英雄譚の原典だな……」

 

 圧巻の一言に尽きる。……だけであれば、よかったのだが。

「もしこれが悪戯でもなんでもねえ本当の原典だったなら、とんでもねえことだけどな」

 全員の耳を引いたのは、テソロの一言。終わりから辿る彼が指し示した壁画の一つに、その発話の根元があった。

 沢山の人と、ポケモンが並んでいる風景。それだけでは何の変哲もないワンシーンだろう。しかし訴える違和感が見るべきと言うのは、そこではない。

 人とポケモンが、不気味なまでに綺麗に分かれて、向き合っているのだ。

 壁画の左に、人間。手に棒のようなものや、平たい板のようなものが携えられている。

 そして右方に、ポケモン。その誰もが目を吊り上がらせて、牙を剥き出しにしているのがわかる。

 最後にその光景を離れたところから見つめる、一人の人間と二体の獣。

 一転、蒼白。記憶の中のラフエル英雄譚のどの記述を掘り返してみても、この壁画と一致するものはなくて。

 

「これじゃあ、まるで」

 

 信じたくなかったから、だろうか。険が憑依したような面をしながらも、カエンは不意に想起してしまったその単語を噛み潰した。

 

「……ジェリオ、ラフエル英雄譚は上中下の三つの編からなってたな?」

「ああ……ラフエルが大陸に辿り着きポケモンとの絆を深めるのが主な上編、その大陸の開拓模様を描いた中編、そうして出来たラフエル地方に流れてきた新たな人間達とポケモンの共存、ならびにラフエルの死までの物語を紡いだ下編、だったはずだ」

「終章の結末はわかるか?」

「彼は、白と黒の獣の王を従えて世界に降り注いだ“破滅の光”と戦い、打ち倒した後にその生涯を終えた。彼の散り際に白の獣王は彼の骨と光を喰らって白色の宝玉を、黒の獣王は彼の肉と影を飲み込み黒色の宝玉をそれぞれ造り出し、肉体を失って以降の魂の依り代とした」

「ああ、そうだ。俺はその白と黒の宝玉『ライトストーン』と『ダークストーン』が眠る場所――このテルス山内のどこかにあるといわれる、出入り口のない部屋『対極の寝床』を求めてここに来た。そのあると思われた(・・・・・・・)伝説を頼って、だ」

 

 そんな彼へ追い打ちかけるように照らされる、更なる壁画。刻まれたことの意味に気付いてしまった誰もが戦慄し、全ての言葉を失った。

 無理もないだろう。

 自分の信じていたものが、現実と大きく乖離してしまっていた時。自分の追いかけていた背中が、まるきり違う別の何かだったとわかってしまった時。

 きっとどんな人間だって、正気でいられなくなるのだから。

 

「こんな……、こんなのって」

「――終章に降り注いだ“破滅の光”ってのは、一体なんだと思う?」

 

 最後から、三番目の壁画だ――空で禍々しい輝きを纏い、地上に立つ人とポケモンを一緒くたにして涙を流させるラフエルの姿が、そこにはあった。

「うそだ」カエンは終わりにそう呟いてから、まるで氷像がごとき立ち姿で俯き固まり、ぴくりとも動かなくなってしまった。

 これを今この場で事実や正史と判断するには、些か早計だろう。だが世界の希望に胸を膨らませ今にも飛び立たんとする少年が、絶対に見てはいけないものだった。決して見るべきものではなかった。

 わからないからこそ、あり得るのだから。可能性止まりだからこそ、含んでしまうのだから。

 この感情はなんだろう。初めてだからわからないだろう。

 手の届きそうなものに、手が届きそうな瞬間ひびが入ってしまったみたいな感覚。

 とても痛い。触れっぱなしの壁から、棘が生えてきたような気がした。頭の中の『もしも』という言葉が望んでもいないのに研ぎ澄まされていって、脳みそにがりがりと傷をつけていく。

 

「な、何かの間違いよ、こんなの。必ずしも正しいと証明できるものはないもの」

 

 今にもしぼんで消えてしまいそうなちっぽけな体躯を見兼ねたのだろう、エルメスは助け舟を出した。

 

「これを嘘と証明するモンだってないだろう?」

「どうしてここで食い下がるの!?」

「俺達の元にあるラフエル神話が偽りだらけだったとしたらどうだ? こうやって信じたいように信じて、見たいものだけ見てきたような奴らの手によって作られた、目に優しい絵面取ってつけ、耳当たりのいい言葉並べ連ねただけの嘘八百の夢物語だったとしたら。そんなもん洗脳と変わらねえ。俺なら鳥肌が立って仕方がねえ」

「おい、テソロ」

「別に俺だって、子供の夢を壊すような趣味はねえよ。だけど明らかにしておくべきじゃねえのか。探索者として、調べる者として、この世界の真相ってやつはよ」

 

 否定から入った彼女にしても一理ある、もっともな意見である。

 

「やれ洪水を収めたとか、バケモノ退治したとかで『英雄』なんて大層な呼び名は付いているけどな。ラフエルだって本当はなんでもない、俺達と同じ人間のはずだろうよ」

 

 封じられたのか、それとも封じるしかなかったのか。いずれにしても、禁忌とされていたからこそ今日まで人に伝わることはなかったのだし、こうして簡単に立ち入られないような場所にこれを記したのだろう。

 

「喜怒哀楽があって、愛憎があって、時たま矛盾だって抱える。だから間違える。人間なんだよ。ずっとずっと正しくあれるなんてのは機械の理屈だ。違うか?」

 

 真実は残酷だったのだろうか。理想に傾倒するほどに辛いものだったのだろうか。

 テソロの言葉を聞きながら、世界の根底の一端を前にした三者は、三様の思いを巡らせた。

 

「本当のとこ、ラフエルはこの世界を――」

 

 言いかけはそこで止まった。

 彼なりの僅かな温情か。いや、そうではない。そもそも止まったという認識すらも誤りであった。

『止まった』のではなく『止めた』のだ。止めなきゃいけなかったから。

 なんのことはない、ごくごく当たり前の話。

 

「……どうやら、長話が耳障りだったらしいな」

 

 テソロがおもむろに振り返る。敵が襲撃をかけてきた。説明はそれだけでいいだろう。

「カエン」短くも静かなジェリオの呼びかけで、少年も我に返った。そうして仲間たちと同じ方を向いてみれば、暗黒すら突き刺す赤紫の眼光とかち合って。

 ゆっくりと場に乱入してくるその存在は、ここに居合わせる誰とも面識がある。寧ろ嫌というほどに自己を知らしめている。

 ゴローンのとおせんぼうは、どうにも突破できそうにない。

 

「そんな、このタイミングで!」

「クソが……最悪だ。行き止まりだぞ、ここ」

「てーことは、前つっきるしかないってことか……!?」

「……いや」

 

 一体だけなら。そんなエルメスの意向で迸る雷。臨戦態勢に入った唯一の戦力『シママ』へ待ったをかけたのは、構えたままのジェリオであった。

 彼女が読めないその意図を問わんと肩越しに彼を見やった、その時のこと。

 闇色の気配が一斉になだれ込む。

 一組、二組。三組、四組、五組。六組七組八組九組十組。

 闊歩、或いは行軍――二個一対の妖しい輝きは続々と立ち上がって、数える暇も与えず次々と増えていく。背筋がぞくりと震えあがった。

 少し考えれば、わかるだろう。

 

「カエン、エルメス……君たちが襲われた時は、どうだったかは知らないけど」

 

 いくら彼らの本業が、トレーナーでなくとも。いくら向こうの強さが、通常より図抜けていたとしても。

 

「俺たちは“これ”で、全てのポケモンを瀕死にされたんだ」

 

 人によって丹精込めて育て上げられたポケモン達が、たった一体の野生ポケモンに真っ向から負ける事なんて――ありえるわけがないじゃないか。

 だが事実を知った瞬間には、もはや手遅れ。仰々しく蠢く鳴き声が止んだのを合図に、岩石兵の軍隊が組み上がる。

 こいつだ。こいつにやられた。この連携に。

 テソロは舌を打った。ジェリオは沈めたつばの向こうで、忌々しげに睥睨した。

『ゴローンは複数いた』。ほんの数瞬で終わる一言なのに、なんと憎たらしい話だろう。

 完全に囲まれ、壁を作られ、出られなくなった。動き出す者はおらず、誰一人としてその手に何かを掴むこともない。

 万事休す。そう言う他に、なかった。

 

 

『――ォオォーーーーーーーーーーーーーーーン!!』

 

 

 突如として奔ったその叫びは、闇を揺らした。

 否、厳密には闇を満たす空気を揺らした、と言い換えた方がいいか。

 

「……なに、今の」

「鳴き声、か?」

 

 いきなりすぎる事で、置き去りにされる思考。中でもカエンはとりわけその風が強かったようで、呆然と立ち尽くす。さりとて、状況は変わっていく。

 一つ。獣の咆哮のようなものが、どこかで響いた。

 二つ。ゴローンの群れが急にざわついて、背後を気にし始めた。

 そして三つ。

 

「伏せろ!」

 

 ゴローンによって作られたバリケードが、向こう側から破壊された。

 ど、ひゅん。漆黒の波動が虚にうねったかと思えば、堅牢な岩の檻へぶち当たって爆発、容易にその構成物を吹っ飛ばす。響く衝撃と、遮られる視界。

 

「な、なんだー!?!」

「野生同士の抗争でもおっ始まったか……ッ」

「いや、違う。これほどの威力、野生の練度で出せるものじゃない。あれは――」

 

 塵煙が晴れて、岩の壁が真っ二つに割れて。拓く花道に招かれたのは、この洞窟内よりも真黒い色を湛えたかみつきポケモン『グラエナ』だった。

 暗夜の訪れを錯覚させるその闘犬が二度(ふたたび)大きく吼えると、同じ姿をした別の個体が連なって戦場への闖入を開始、寸分たりとも無駄のない動きで陣形を展開する。

 さすがに危機感を覚えたのだろう、ゴローン達は四人をそっちのけにグラエナへと向いた。

 放たれる大量のストーンエッジ。だがそれを許すはずもない。他でもない前列のグラエナ一団が発する“あくのはどう”が。

 獣の口より一挙で生まれ出た悪意の奔流は、束となって一つの巨大な津波と化した。そして石刃(せきじん)を激しく打ち砕き相殺する。

 しかしまだだ。待ち受けていた後列のグラエナは好機を逃さない。三度(みたび)の咆哮が聞こえる時。それは蹂躙が始まる時。

 前列の隙間を暗黒の煌めきが抜け駆けた。牙に纏ったあくタイプのエネルギーが、接近技『かみくだく』で解放される。

 続々として止まぬ突撃。炸裂音。岩石兵は一体ずつ、確実に弱々しく鳴きながら崩れていく。

 合間の反撃は、絶対に小さいものではない。されどどうだ。一頭が浴びかけた攻撃を他の一頭が防ぎ、一頭では足りない火力を、足並み合わせた攻撃で補う。一つが皆のために。皆は一つのために。完璧なカバーが成立している。

 

「なんて連携なの……タイミングに、ずれがない」

 

 グラエナ自体、そこまで強い種ではない。だがそれは個という単位で見ればの話だ。

 彼らの本分は群れにて発揮される精密な連携力と、数に物を言わせた制圧力。強き者は「一では何も出来ぬ」と云うかもしれない。嗤うのかもしれない。

 だがこれこそが彼らの真骨頂であり、何にも代えがたい生存のための偉大なる知恵なのだ。

 彼らの集団行動は、他の種が掲げるような単純な『足し算』などではない。寧ろ『掛け算』だ。四人は、それを今まさに思い知る。

 ゴローンのまとまりに隙間が生まれ、数が疎らになってきた頃。さらに新たなポケモンが乱入する。

 

「スァアアアァ!!」

 

 閃きによる一薙ぎが僅かな時の中で作る、微かな照明。視認には十分だ。

 そのポケモンはグラエナと同じ属性を備え、影形も同じ獣でこそあったが――体の色が決定的に違った。その言い伝えが嘘でないのなら、もっと早くに見てもいいはずだったのだが。とはテソロの独白。わざわいポケモン『アブソル』が、側頭に携えし刃で次々すれ違いざまにゴローンを斬り伏せた。

 そして、もう一体。

 

 それは、言ってみれば“雷”であった。

 

 何かが降り立った中心から八方へ向けて、青い衝撃波は地を駆けた。続けて唸るそれは仕上げとでも言いたげな勢いを以て、敵の残党を飛ばし散らす。

 宙高く放られたモンスターボールから、ポケモンが猛スピードで真っ逆さまに飛来してきた――この一連の流れを目に焼き付けることができたのは、カエンしかいなくて。

 確認していた。落雷にも似た挙動ではあったものの、発生した技の性質は水のそれ。空気中の水分が集合して起きた激流のベールの向こう側で、こうていポケモン『エンペルト』は仁王立ちする。

 少年は本能で理解した。このポケモンが今の全てを終わらせると。この、居合わせる者全ての心臓をわし掴むような尋常ならざる気を放つ、ポケモンが。

 威風堂々たる佇まいでエンペルトは右、左と順立てて空を煽ぐ。すると戦場は忽ちひれ伏して、間欠泉よろしく複数箇所から水柱を立ち上がらせた。

 

「“たきのぼり”だ」

 

 やがて聞こえる、最後の号令。

 その声を契機に全ての水柱は合わさり、残りのゴローンを皆巻き込んで、逆さまに流れる滝へと変容した。

 エンペルトが飛翔する。そうして波乗りの要領で滝を滑る。逃がすものか。持つべくして持った王冠(くちばし)に、討つべき者は反射している。

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 怒涛の突進は猛りを伴い、彼らを一匹残らず一閃の下にした。直後、お役御免と水壁が両断される。飛沫が雨のように降り注ぐ。

 どん、どんと力尽きたゴローン達が地面に落下する中、大胆に腕組む皇帝は着地点に作った噴水に乗り、それをゆっくりと縮めながら降りてくる。その様たるや、さながら覇王の降臨だ。

 

「よく、わからねえが……」

「助かった、の?」

 

 最後に残った瀕死のゴローンの山を見やって、テソロとエルメスは呟いた。

 何者かの介入によって命拾いした――しかしそれだけでは手放しに喜べない。何故なら、どうあっても事の異質さが増してしまっているから。

 まず、こんな山奥にグラエナ、アブソル、エンペルトなんかが生息しているはずがない。よって、人のポケモンだろう。

 そしてこれだけの規模の戦力の用意、および連携を、一般個人が出来るはずがない。よって、組織的行動を主とする者達なのだろう。

 ジェリオは断片的な情報から生成したパズルのピースを当て嵌めていく。そう待たずして答え合わせは成されるのだろうが、彼はどうしてもこの胸の奥の取っ掛かりを解消したかったのだ。もくもくと立ち込める、不穏な靄を。

 

「……くる」

 

 カエンが、厳密にはカエンの嗅覚が、その時を告げた。

 人の集まりが、足音もなくして現れる。彼らがあの出鱈目なチームワークの正体で、このポケモンたちに指示を送っていたのだろう。素人では絶対に成しえない命令系統を作り、意のままに操っていたのだろう。熟練のトレーナーですら困難とされるそれは見事にして圧巻で「凄い」という賞賛の言葉さえ送れるのだろう。

 何も知らなければ。

 平穏無事な世界で、健やかに暮らせているのならば。

 

「おいおい――どういう状況なんだ、こりゃあよ」

「……まさか、な。外れていて欲しいと思ったんだが」

「嘘、でしょ」

 

 残念なことに、彼らは知っている。

 その混濁とした灰の衣も。平和を蝕む象徴である『B』のエンブレムも。それを纏う者たちがしていることさえ。

 

「目標、全て沈黙しました」

 

 一難去って、また一難。

 ポケモンを戻した“灰の一団”は、遅れて入ってきた人物に短く敬礼し、彼の者の道を開ける。

 

「ごくろうさん。ちゃっちゃと捕獲しちまってくれや。テア、外のバンバドロのコンテナからボールのストック取ってこい」

「りょーかいでっす!」

 

 彼らが今してくれた事よりも。彼らがこれからしようとする事に、気を立てなければならないのだから。

 本当の本当に、残念な話。

 カエンはどこからともなく漂うやにの香りへの嫌悪感を、そのまま顔に出した。

 静かに、だが確かな意志を込めて凝望する先で――その男は待っていた。

 どこかくたびれた木のような、退屈を宿した気だるげな長身。隣に、ようやっとでエンペルトが降り立つ。

 

「――バラル、団」

「……おォ、なんだ。英雄の民のガキじゃねぇか」

 

 名を『ワース』。

 ラフエルの闇“バラル団”の幹部格の男。それはどこの誰にも望まれていない、招かれざる客であった。

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