ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~ 作:裏腹
尚も、暗闇が続く。
『敵について、何かわかっていることはあるか?』
『規模の小せえ同業者ってこと以外に、見当はついてねえな』
しかし先程までとは圧倒的に違っているものがある。明かりの数だ。
『いつからここでこうした行為を始めた?』
『最近だろうな。少なくとも“テルスの主暴走事件”以降であるのに違いはねえ』
それは暫定的ではあるが、そのまま自分たちが持つ戦力の多さとなる。
『意図をどう見る?』
『その薬物の実験の他にあるか? 山奥なら人に気付かれにくく、ポケモンもわんさといる。多少の事では気付かれやしねえだろうさ。……尤も、今日ばかりはちっとケースが多い気もするがな』
少年が腰を低めてパートナーの背中を見据えるように、そのパートナーも向こうの獲物をじっと凝望している。
ギィ、ギィと人の耳には些か毒な鳴き声を垂らしながら、狭い空を滞空するのは、二匹のこうもりポケモン『ゴルバット』。悪意に染められた赤紫の視線が、真黒い眼光と重なり合った。
「いまだ!」
唸りによる威嚇を遮る“エアカッター”。三日月の形した風の刃が己を襲った時、砂塵の鰐は初めて動き出す。
カエンの一声をしかと聞き入れ、飛び上がる。頑強な爪を岩肌に引っ掛け天井に貼り付いた。逆さまの世界を、一瞥。自分がたった今まで佇んでいた場所が、無数の切り傷で抉られる。
「もう一回! くる!」
逃がさんぞと、エッジの利いた空気の第二波が言った。
しかし歯牙にもかけない。かけてやらない。すれ違いざまに聞こえた音など、置き去りで。
さしずめ雨を得たコイキングか――ワルビルはしゃかしゃかと壁面を無軌道に這い回り、閉所での範囲攻撃を平然と回避していく。
崩れる小岩を背に行われる立体的な高速移動が、蝙蝠達の目を翻弄する。まして洞窟育ちで視覚に頼った生活をしない彼らだから、余計にそれは功を奏するだろう。攻撃は当たらないどころか、もはや明後日の方向に飛んでいた。
「仕上げ!」壁の溝を踏ん蹴る。一気に距離を詰めた。ゴルバットは出し抜けに突進してきた
「“かみくだく”!」
成す術なく討たれた。
ガギン、と捉えた一発が一匹を沈め、怯んで逃げ出すもう一匹。
「待ってた! きまれ“おいうち”!」
そんなものはこの一人と一匹からすれば、とうに織り込み済みな話。
俊足が、逃げる背中をまさしく追い討った。確実な胴への二発目は、蝙蝠を狙い通りに墜落させる。
獲物のそもそもの数が少ない砂上では、狩りの失敗というのは致命的な問題となる。この高機能な目も、鋭利な爪も、丈夫な牙も、逃避を良しとせぬ
軍配は、それをこの短時間で見抜き、あまつさえ引き出したカエンに上がった。
「がおーーー!」
得意げになったワルビルと共に、揃って両腕を挙げて吼える。ここまで息が合っているというのなら、「即席」という言葉も忘れかけてしまうというもの。
「さすがジムリーダーね。与えられたポケモンなのに、こんな早くに扱いこなすなんて」
「そう? あんまり考えてないなぁ。ただこいつがな、走るの大好きって教えてくれたから、それをつかった戦いかたをしてるだけだよ」
「レニアシティのジムリーダーは、ポケモンと意思疎通が図れるとは聞いていたが……まさか本当だったとはな。驚いたよ」
彼が備えるポケモンとの会話能力は、日常生活以外でも大いに役立つ。例えばバトルであっても、だ。
戦闘中のポケモンの状況やコンディションを逐一知ることが出来るし、明確な意思の伝達が可能な分、それだけ成功率の高い戦術を組み立てることも可能になる。延いてはいつもいつでもベストな連携を実現できる。ポケモンバトルに於いて最も必要とされる『結びつき』という基礎の部分が強固になるのは、単純に大きなアドバンテージたりえる。
加えて、ジムリーダーという肩書に裏打されたバトルセンス――弱い訳がない。
三人はそれを噛み締めながら、まるで操縦者を失った機関車のように暴れ回るワルビルをボールに戻した。
――犯人を捜しながら、道すがらで暴走したポケモンを捕獲という恰好で沈黙させる。バラル団の作戦は、順調に進んでいた。
「周辺に敵影無し。このエリアは今ので最後みたいです」
「ゴローン、ワンリキー、モグリュー、続いてゴルバット……奴さんも手当たり次第だな」
「たぶん、既にこっちの動きに気付いてるんじゃないかな、って思います」
「あー、なるほどねェ。それで滅茶苦茶やってるってわけか」
「いくら袋の鼠にしても、これだけかき乱されると……」
あくまでも形だけならば、だが。
アブソルは、テアの隣で僅かながら呼吸を荒くしていた。それだけではない。他の団員の手持ちも、軒並み消耗の色が見て取れる。偏に長期戦を強いられ続けた結果だろう。
しかし粘るしかない。粘って粘って、一刻も早く潜伏する首謀者を発見する以外にない。
「ここを離れる。外に出次第、一旦休憩だ」
そのためには、立ち止まることも必要か。
そんな少々の思慮を挟んだ後に、ワースは次の担当エリアを目指した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――はぁーーーーっ!」
吸いこめなかった分の酸素を、思いきり吸う。肺に流れ込む空気は新鮮そのもので、肉体とて長らく欲していたものだから、ひどく喜んだ。やに臭さなど微塵も気にならないではないか。
エルメスは僥倖への感謝を胸にしながら、無沙汰であった空を仰ぎ見て、両腕ごと背筋を伸ばす。相も変わらぬ曇り空であってもいい。まずは再会を喜ぼう。
「おい、俺達への回復はなしか?」
「ずいぶんと遠慮を知らねえな。ワルビルなら、まだ動けるだろ」
「そうじゃなくて、本来の俺達のポケモンを使わせた方が、いい働きが見込めるって言ってるんだが」
「その場からトンズラすることのどこがいい働きなのかを説明出来たら考えてやるよ」
「チッ」
「これで終わりじゃねえぞ。契約は契約だからな、最後まで付き合ってもらう」
見透かした悪知恵への嘲笑。バラル団達が、自身のポケモンにキズぐすりを与えて体力を回復させている。
カエン、エルメス、ジェリオ、テソロの四者は、バラル団の手によって無事山の洞窟から脱出できた。
字面のインパクトは相当なものでどうにも信じがたいことだが、こうして現実として彼らが目の前にいるのだから、疑いようもなくて。
「いいさ、本来の不可能が覆った。出られただけでも儲けものだ」
「神様、本当にありがとう……あぁ、もう……」
「このまま解決して、みんなおうちに帰ろうな!」
だが、それはそれ。各々の喜色が如実に物語る。
連なる緑と、険峻さに造型された岩場のツートンカラー。そんな見慣れた絶景を一望しながら、気炎を巻き上げるカエン。口にせずとも、彼らも志は一緒。終わった後を考える。ちゃんと考えられる。そうなる程度に事は好転していると思う。
エルメスは張り詰めた気が抜けたのか、近くの小岩に腰を下ろして一息ついた。そして腕を抜いたリュックからメモ帳を取り出し、“テルスの主暴走事件”について得たこれまでの情報を整理する。
まず、原因は人為的なものであること。次に、方法は何らかの薬物が関係していること。最後に、犯人は未だテルス山を利用し、犯行を続けていること。このまま現状を突き詰めていけば、その薬物の正体にも迫ることが出来そうだ。バラル団が犯人を追い詰め、押さえ込んだところで訊ねれば、きっと――。
「……や、無理でしょ」
と、いうところで、思考を止めた。ついでに自己否定した。
間に置いた指のせいで開きっぱなしのメモ帳が、ゆっくりと下りる。
『私、一体何やってんだろ』
買いたくもないもの買って、危険な目に遭って、死にかけて。誰に届いて、誰が喜ぶかもわからないまま情報を持ち帰って、一人で夜通しまとめて。でも結局上司からのダメ出しをくらう。
肩から力が抜けていく。頭蓋の中で、勝手に喋り出す脳みそ。
それだけやっても褒められない。自分を見る者はどこにもいない。目に止まるのはいつだって紙切れだけ。それだって何となしに手に取られ、何の感情も覚えられないままに手放され捨てられていく。
意味が噛み締められなくなる。意義の味がぱさぱさと乾いていく。その都度巡るのだ、この言葉が。
誰の糧にもなってない。消去法を認めたくない。どうして自分はこんなことをしているんだ。何故自分なのだ。誰も知らない、教えてくれない。納得だけでは不満足なのだ。なのに皆「諦めろ」しか言ってくれない。
私は、本当は――――。
「わっ!?」
いつから、だろうか。俯く視界に覗き込むカエンの顔があった。それで思わず奇声を上げ仰天してしまう。勢い余って天然の椅子からずり落ちたのは、きっと触れない方がいい。
ごめんごめんと伸ばされた手を助けに、再び座り直す。
子供というのは、存外気配りだ。否、そう見えるほど変化に対して敏感だ。故に目に入ったのか、それとも単なる好奇心なのか。
「時間もあるし、おはなししよーよ!」
わからないが、少なくとも彼は、彼女との対話を望んでいた。
エルメスは思い出した。カエンへ、というか、ここまで行動を共にした者達へ、自分の目的を教えていなかったことを。
別段隠していたわけではない。ただ余裕のなさで、言動がそこまで追っつかなかっただけの話。
「じゃあ、エルメスねーちゃんはそうやって世の中で起こったことをしらべる人なのか」
でも、それもここまで。落ち着いて会話出来る今ならば、伝えたいこともしっかり伝わる。
隣であぐらをかくカエンが、周辺でもぎ取ったきのみをかじりながら関心を示す。
「そういうことになるわね。レニアシティを目指していたのも、そんな事情があったのよ」
「色んな人にいっぱいのことを伝える……かあ。すげえなー! たのしい?」
無邪気に笑う横顔。答えに迷って、何も返せなかった。
「……たのしく、ないのか?」忽ち不思議がって向いた目と、自分の眼差しが合う。不意の事に、思わず逸らす顏。なんだか逃げているみたいで、ばつが悪い。
「もしかして、自分で選んだおしごとじゃないのか?」
「合っているような、外れているような、って感じかな」
くしゃり、と苦そうに頬を崩した。ああ、確かに選んだ。『自分が出来る事の中』から。
「……カエンくんには、『やりたいのに出来ない事』ってある?」
「んー? ……泣いてるやつらを、助けてあげられないことかなぁ」
「ふふ、優しい悩みだね」
「だからこそな、英雄になろうって思うんだよ。英雄になれば、ポケモンも人も、みんなを救ってやれる。世界中から悲しいことをなくせる」
『だから今は、そのための努力をゼンリョクでやってる』――彼なりの、回答。輝かしい希望に満ち溢れた
誓って、笑う気など毛頭ない。寧ろ今はそれでいいのだろうと思う。かつての自分がそうであったように、きっと必要なことだから。誰だってそうやって大人になっていくから。
「……私ね、本当はリポーターになりたかったの」
「りぽーたー? って、なんだ?」
「そうね、“調べて書く人”じゃなくて“行って知らせる人”って説明で、通じるかしら」
「ああ~! テレビでマイク持って出てるひとか!」
「でも私、すぐ緊張しちゃうから……人前で立って、満足に喋れなくて」
頷いて語ったのは、夢の痕。現実で埋めきれなかった理想の亡骸。ともすれば呪いの裏返しにもなる、『なりたい』の成れの果て。
幼いころははきはきと物言う子で、説明をするのが上手だと、よく褒められていた。だから大人になったら、社会の最前線で何かを伝えたかった。移り行く生きている情報を、リアルタイムで知らせたかった。
何よりも。そうなれると思っていた。
だが少しずつ成長し、大人になるにつれ、思い知っていく自分の底。器のサイズ。
存外大したことないんだ、と。付きまとう客観性は日増しに避けられなくなっていって。
そうやって出来る事と出来ない事が明確になって、それが目の前で突きつけられた時。
『君さぁ』
「――向いてないんだ」
そんな時。彼女はついに理想に目を向けることをやめた。
残ったのは、虚無と落ち着きだけ。出来る範囲で出来るだけ頑張る――やりがいも楽しみもない、なんとなしに過ぎる日々。
無臭で、無色で、プレーンな毎日を唾棄するつもりはない。憧れる人もいるのだろうから。けれども、自分はそれに価値を見出せない。情報を集めて奔走する今に、使命以外のものを感じられないのだ。
「……何言ってるんだろ私。ごめんなさいね」
エルメスは、漸く我に返る。同時に子供に話す事ではなかったな、と省みる。
「今のは忘れてちょうだい」ぼうっと手を止め己を眺める少年に、再びの苦笑いを送った。
「諦め、ついたのか?」
されどカエンは、翠眼から彼女を逃がすことをやめなかった。
「……へ?」
「エルメスねーちゃんは、その誰かの『向いてないよ』ってことばで、諦められたか? 思い出しても悔しくないか?」
突然の切り返しに戸惑ううち、さらに言葉が積み重なっていく。
「もし、ちょっとでも悔しいならさ。まだ目指そうよ、リポーター」
「……もう、簡単に言うなあ」
出てきたものは不満にも聞こえるが、きっと持つ意味は正反対のもの。
彼はまだ、理想を理想と知らない。現実に敗れていない。そんな穢れの無さ故なのだろうが――これぐらい気軽な返答の方がいいのかもしれないな、なんて、ふっと息を吐きながら思う。
おかげで視界がクリアーになった。聞こえるものが鮮やかになった。気もちょっとだけ晴れた。
「おれもなー、いっぱい失敗したんだ」
だからこそ、彼の新しい表情にも気付けたのかもしれない。
釘付けに、なったのかもしれない。
遥かで届かないと、思う。辿って行けないと、考える。もしかするとこの世界にあるものではないのかもしれない。
「ポケモンと言葉が通じても、会話は通じてたわけじゃないんだよな。だから最初は考えのちがいでけんかもしたし、お互いのゆずれないものを巡って争ったりもした」
彼が向き直って見据える先は――それほどまで遠くのように感じられた。
「最初から、ポケモンと仲良しだったわけじゃないんだね」
「うん。人と人だって傷付け合うんだから、当たり前じゃんなー」
へら、と笑って指す右の頬。刻まれた傷は、相棒に付けられたものだと言った。
「あと、色んなやつに負けた。いっぱい負けた。何回も何回も『お前じゃ英雄になれない』って、笑われたりもした」
なおも小さき武勇伝は、もぐもぐと続く食事に伴って紡がれていく。
「くやしかったなー。夜寝る前に泣きすぎて、布団がおねしょしたみたいにびしょびしょになってな。んーで何も知らないかーちゃんに怒られて。ぜんぶいやになっちゃって」
意外、以外の言葉が見当たらない。明るく、活発で、朗らかで、真っ直ぐで、前途洋々な道程にさえ見える彼からは全く想像が及ばない感情表現の数々。
でも、信じられないわけではない。今の重たい声音と、何よりも実直な力強さのこもった言霊が、嘘でないことを証明してくれる。
「でもな、でもな? そうなるたんびに、あいつが夢に出てくるんだ」
「……だれが?」
「えっとな、おれの中の英雄」
口の中の食物を、勢いよく飲み込んだ。
全貌は、まだ見えないけれど。どんな顔をして、どんなことを成したのかも教えてはくれないけれど。されど自分だけは絶対に、紛れもなく英雄だと確信出来る輪郭を持った“彼”。或いはラフエルなのかもしれないし、或いは異なる地方の英雄かもしれない。
そんな彼が。
「いつでもおれに『諦めるな、立ち上がれー!』って言うんだ」
自分に希望をくれるのだ。お前でなければと発破をかけるのだ。
「そしたら、胸の奥がめらめらーってなってな、かーっ、て熱くなる。それでいやになることがいやになって、また頑張ろうってなるんだ」
エルメスは語り手の気に止まらぬ程度に微笑みながら、身振りと手振りが大振りな、その話し振りをじっと見つめている。
足らない語彙力からなる言葉で、必死に胸中の思いを余すことなく相手へ送り込まんとする姿は、やっぱり夢見る子供そのもので。
しかし、彼を自分と重ねるのは、もうここいらでやめにしよう。
「――『なりたい』が、止まらなくなるんだ」
小さき躰に宿る大火は、自分が思うよりもうんと彩り豊かで、立派だったから。そうとあっては自分なんかと比べるのは失礼じゃないか。
「夢は簡単にあきらめられないから、夢なんだよな」
だからいつだって、何回だって。
そう言って、両手を広げ瞳を輝かせる偉大な夢追い人は、心なしかさっきよりも大きく見えた。
「……強いんだね、カエンくん」
叶えられないから夢なのだ。翻って捨てられないのも、また夢なのだ。
寝ている間に最高のビジョンで熱狂させるくせして、成就を易々とは認めない。いかんともし難いものを抱えているなと、我ながら呆れ返る。
でも――悪くない。
燃え尽きるまで止まらない、そんな素敵な我武者羅を教えてくれるのならば。そう思う。
「ナマケロみたいにゆっくりで、キャタピーみたいに小さな一歩でいいからさ。ねーちゃんも一緒に進もうよ」
――やはり彼は、理想を理想と知らない。それを明日に待ち受ける真実と信じて疑わない故。そうあれるほど、命の
眠れる時も。覚めてる時も。カエンは、生まれた時からずっとずっと夢を見ている。
そうやって死す時まで、己の中の英雄を見つけんと、魂の命ずるままに走り続けるのだろう。
「ねえ、カエンくん」
エルメスは、勇者の名を呼んだ。そしてその反応を待たずして、彼の手をきゅっと握る。
温かい。優しさと強さを内包した、別の誰かを癒してくれる熱を手中に感じる。
「ど、どしたんだ、ねーちゃん。さむいか?」
「未来の英雄との握手よ。来るべき時が来たら、『私が一番最初に握手したんだ』って自慢して回るの」
「素敵でしょ?」初めて見せられた表情に、同じものでお返しを。口にする通りのとびきりの笑顔を。
「……おう!」
この子ならば、現実さえ降すかもしれない。本当に希望になるかもしれない。
そんなことを考えながら、彼女は止まったままだった足を再び動かし始める。
「仲間からの連絡だ。奴さんの活動拠点らしきものが見つかったらしい――今から急行するぞ」
清々しさを背負って立ち上がると、雲の切れ間から陽が差した。
事は、着々と解決の道筋を進んでいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……動きは無し、か」
険しい自然に鍛えられた豪壮な木々が、
視界は空模様のせいでただでさえ暗んでいるというのに、重なりかけの樹頭達ときたらそんなことも構わずに光を遮ってしまった。
残るものといえば、生気一つも感じさせないほどに不気味な静寂。時たま混じる葉掠れの音なぞ、気にする余裕もない。
木陰から、小声が漏れた。ワースの命によって別働隊を率いる赤髪の青年『ロア』は、部下と共にレニア付近の樹林帯に留まっていた。
目的は数十分経過した今でも、一貫して監視――対象は十数メートル先で気配を発する、深緑のテント。明らかに人間の存在を示すものだ。
「ロア班長。ワース様の班が来ました」
外で待機していたしたっぱが、ワースらを引き連れてきて言う。
「おう、遅かったじゃねえか。ってなんだ、このヘンテコな奴ら」
「恰好だけなら、おまえらだってなかなかヘンテコだぞ」
「ああ? んだとこんガキ……ッ!」
「おーおー、落ち着けよクソガキ」
ワースは合流するやいなや、血の気を滾らせるロアを片腕で正面から押さえ込んだ。青年とてけして貧弱な体つきをしているという訳ではないだけに、その腕ぷしの強さが窺える。
「おい、なんだこいつらはァ!」
「騒ぐんじゃねえよ、気付かれちまうだろうが。成り行きでひっ捕まえたお供みてえなモンだ」
「どう見ても一般人だろうが! 巻き込んでんじゃねえぞ、おい!」
「ま、待ってください」
現状に適したやり取りではないことを悟ったエルメスがこうなるまでの経緯を話し、どうにか場を収めた。脱線した話が戻っていく。
「で、あれがそうか? 随分とまぁ、しょっぺぇ見てくれだが……」
「あの通信からずっと張り込んでる。中にいるのかどうか知らねえけど、今んとこ変化はねえな」
「気付かれているみたいなので、ダミーの可能性とかはないでしょうか……?」
「逆だ。気付かれて包囲されてるからこそ、取っ捕まんのは遅いか早いかの話になってくる。こんな真似するのァ時間の無駄だろうよ」
ワースの見立てに一同の同意が集まる。確かにそうだ――レニアの入り口にも部下を張らせているのだから、どこへ行こうが逃げ切ることは不可能。捜査の邪魔立て、および注意の分散を意図して暴走ポケモンを差し向ける程度には頭の回る人物が、果たしてこの背水の陣の下でわざわざ偽物の拠点を作るだろうか。
誰一人、この疑問にイエスと言うことは無かった。
だったらば話も早いというもの。ワースは数人の部下を伴い、すたすたと得体の知れないテントへ近づいていく。
自分たちは勿論のこと、ポケモンの体力だって有限だ。これ以上の猶予を与えてはいけない。そんな考えあっての大胆さであった。
「へぇ、よっぽど余裕でもあんのか」
ある種の感心を覗かせる独り言。ワースがその高い背を折り曲げた所に、焚き火の痕跡が見つかった。
厳密にはテント前で、おまけというのも何だが、飲食の形跡まである。
続けざまに漂う、乱雑に寝そべったカップの香り。飲まれていたのはコーヒーらしい。だが、それよりも他に注目すべき点を忘れてはいけない。
「(……まだ熱が残ってる。割とさっきまで使われてた、か)」
そして独白を止めさせた団員の元へ赴くと、今度は四角い鉄の塊。平均的な体躯した大人の男でようやっと持ち運びができる程度のサイズの、箱状の物体。
取り付けられたメーターやスイッチ類を見て、確信する。
「ガス発生機――」
こぼれたのは『辿り着いた』という不敵な笑み。なるほどな。そうやって繋がったのは言葉だけではない。思考もだ。
「こいつで薬物を霧状にして、散布してたってとこか。そりゃあ数も多いわな」
テソロは答えを代弁した。
全ての謎がほどけていく。その音を聞きながら、したっぱたちが一度に目を見合わせる。直後に行われたテントの包囲はあまりに手早いもので。
火急的にモンスターボールを片手にし、誰もがその三角形を睨みつけた。
ハンドサインで、スリーカウント。言外で示したそれが、突入の合図。
三。緊張が場を包む。
二。生唾をごくりと飲み込む。
一。呼吸を深くする。
『突入!』
そう放って、出入り口のビニールを掴んだ瞬間だった。
「――ダメだーーーーーーっ!!!!」
びりり。額で立ち起こる電気が確かに言った。
咄嗟の本能に駆られたカエンの叫びが上がると同時、テントはとてつもない轟音を撒き散らして爆発を起こした。
空気と大地の響きは無音を容易く引きちぎり、周囲の団員を苛烈に弾き飛ばす。彼らは呆然として宙を転げながら、刹那に見た景色――大量の“ビリリダマ”による『だいばくはつ』を、思い出す。
「ば、爆発?! 何が起こったの!?」
「ねーちゃん動かないで! あぶない!」
「急いで周辺を警戒しろ!」
少し離れた位置にあったことと、反射的に伏せたことの両方が重なって無事を掴み取ったワースは、熱を防ぎ終えたマントを翻し、声を荒らげる。
傍でどしゃ、と音がした。どの団員もまともにもらったらしい。土煙の中でもわかる。誰を見ても火傷し、血を流し、生きていた事だけで喜べるほどの重傷で。駆け寄るロアとジェリオが大至急意識の確認を行う。
「おい、ヤドウ! イルム! シーナ! クソッ、返事しやがれ……!」
「応急手当をしよう。救護セットならば持ち合わせている」
「連中、やってくれやがったな」全てが込められる、テソロの忌々しげな呟き。
確かに、このテントの正体は『攪乱のためのダミー』ではなかった。寧ろそんなものすら可愛く思える、もっともっと質の悪い『攻撃のためのダミー』だった。
予め詰め込まれていたビリリダマ――――罠だったのだ。全ては。
自分たちを追っているのも。やがてここへ来るのも。そして拠点を物色するのも。何もかもを知った上での、敵方による切っ先鋭い先手だったのだ。
だが気付いた時には、
「ワースさん! ポケモンが――!」
もう遅い。
鬱蒼と生い茂る緑の隙間という隙間から、青白い光がカッと差し込む。誰もがよく見て、この先もずっと見るであろう光。モンスターボールの燐光。
数え切れないそれは、恐らくここに住んでいたのであろう『ヘラクロス』を呼び出した。
「たいそう、手厚い歓迎じゃねえか」
逃げられない。囲まれた。仕返せない。はめられた。
追い詰めたつもりが初めから追い詰められていて。なればこの形勢逆転も必然だろう。
身構える――なんという茶番か。
「困るな……爆発だけが取り柄のポケモンなのだから、もっといっぱい巻き添えにしてくれないと」
そうして、茶番の監督者は現れる。
背の低い木の上から、男が静かに飛び降りた。
この、関わる者の精神を汚染する特有の匂い。山を回っている時からずっと鼻についていた、でっぷりと血にまみれた悪意の香り。毒々しい臭気。こいつだ。こいつが大元だ。カエンは断定する。
「僕ら『暗躍街』の花火は、とびきり派手なものじゃあないとね」
犯罪組織“暗躍街”の構成員『ベルン』はそう言うと、心底愉快、といった風に口角をつり上げた。