ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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05.続編

「六〇、七〇、八〇……ざっと数えても、一〇〇はいるようだ」

「よくもまあ、こんだけかき集めたもんだな……」

 

 光があれば、影がある。善があれば、悪がある。男がいれば女がいて、太陽あれば月もある。人がいて、ポケモンがいて。

 かつて世界を創造した神がその時に何を思っていたのかは知らないが、少なくとも彼は『一を完全とすること』を拒んだようだ。

 有形無形問わず、二が寄り添う事で完璧を成す森羅万象の仕組みが、如実に物語っている。片方が欠ければ残った方が補うように。一方が歪めばもう一方がそれを正すように。どちらかの変化でどちらにも影響が及ぶように。時空の狂いで世界が破れるように。真実と理想の齟齬が戦争を招いてしまうように。生まれて死んで命が(めぐ)るように。

 全ての物事は、何かと何かが二重らせんのように絡み合ってその存在を保っている。

 

「そう、か……テメェらか」

 

 今示されるのは、表と裏の二極。の、裏の方。

 裏に生きるからこそ、不本意であろうが裏の存在には詳しくなっていく。ワースとてそのクチの人間だ。

 それは、ラフエルの闇として名を連ねる数々の犯罪組織の中でも、彼ら(バラル)からすれば特別厄介で、面倒な存在であった。

 ラフエル内のとある場所に存在するスラムを本拠とし、殺し、盗み、攫い、脅し、辱め、その他法が良しとしない行為を片っ端から行い、罪という罪の限りを尽くす悪党集団――『暗躍街』。

 “光の世界から全てを奪い取ること”を理念に掲げ、他者の不幸や絶望で私腹を肥やす、その行為そのものを原理に据える、バラルとはまた違った色の『悪魔』だ。

 行き当たるところ彼『ベルン』は、その尖兵とでも言えばいいだろうか。若さを見てもそう思える。

 

「まさか、こんな早くに目を付けられるとは思わなかったよ。正直、想定外だ」

「の、割にァ薄ら笑いが止まってねえみてぇだが」

「いいやァ、思い通りに罠にかかってくれて、嬉しくて」

 

 悪魔の呼び名が指す通りに人離れした細長い四肢と、こけた頬を動かし、全身で喜びを表現する。しかしこれは挑発ではない。嬉々として浮かべる喜色が先程から教えている。私は心の底から喜んでいるよ、と。

 エルメスはゾクリと身を震わせた。日向からでは観測しえない陰の向こうで、こんなにもおぞましいものが在ると知ったから。

 ダメもとでも、薬品について訊ねられれば――なんて考えていた。しかし認識が甘かった。この滲み出る不快な悪意は、人を侵すものだ。絶対に触れてはいけないものだ。誰かを簡単に崩壊させる類のものだ。

 そう悟った時、エルメスは奥の歯が震え、声が出なかった。

 

「……これをやったのは、おまえか」

 

 大丈夫。エルメスの背中に、そんな言葉が当たった気がした。カエンが前に出て、出せる限りの最も低い声でベルンへ問うた。

 

「『これをやったのは』か。それならば違う。彼らを言いなりにするには僕の力だけでは足らなさすぎる。もっと冴えた方法があるかもしれないな――そうだ、折角だしクイズでもし」

「真面目に答えろ」

「おお……、ジムリーダー様はすっかりお冠といったところかな」

 

 忽ち飛ばされる鋭い眼光は、そのままおどける男を黙らせた。憤怒や激昂を通り越し、一周回った果てに、その怒髪は静かに天を衝く。少年は此処に居合わせる誰よりも恐ろしく、凄まじい気を放っていた。

 そうして図らずも相手の興を削いだ結果、彼らはずっとずっと求めていた真相を引き出すことに成功する。

「これだよ」ベルンがおもむろにポケットから取り出した物。掌にすっぽり収まる、透明な液体が入った小瓶。

 

「そいつが噂の怪しい薬物ってやつか」

「怪しいとはあんまりだなあ。ちゃんと『薬品R』と名前で呼んでほしいものだ」

「薬品Rだあ?」

 

 聞き直すような反復。手中のそれを再びしまい込んだ後も、ベルンは続ける。

 

「そう――薬品“Raphel”。ポケモンという道具(・・)をベストな状態で、最も効率よく、何よりも自由に、そして世界一有意義に利用できる至上の発明さ」

「ただトチ狂わせているだけのように見えるが? ……尤も、一番狂ってんのはあんただろうがな」

「まだ試験段階なだけさ。最初は……リングマの時はスペックを上げる事しか出来なかったが、改良が加わった今では、簡単な命令ならば聞くようになった。この先も調整を重ねて、ゆくゆくは人間の指示を一から十まで聞くようにするつもりだ」

 

 最終的に生体兵器を目指している。最高だろう? 次いで出た言葉に耳を疑った。だってそれは。強引に何かを思い通りにしようとするそれは。

 

「そんなの、支配と何も変わらないじゃない……」

「……そうだが? 問題があるのかい?」

 

 不理解を微塵も隠さず小首を傾げるベルンを見て、ここまでそれなりの胆力を覗かせていたジェリオとテソロも、さすがに動揺する。

 まるで常識が通じていないのだ。が、何もおかしなことではなくて。

 カエンは表を生きる者の中で、最も早くそれに気付いた。脳を介さないある種の直感ではあるが――そもそも自分たちと彼の常識が、修正不可能なほどに食い違ってしまっている。まるで、異世界のように。或いは暗黒物質のように。掛け違えたボタンですらかわいく思える。

 しかし、だからといって看過出来るはずがない。

 あの悪趣味極まりない名前の薬品も。この害毒を擬人化したような男も。その言動の悉くも。

 仕方ないで済ませるはずがない。そんな気なぞさらさらない。

 

「言い直せ……ポケモンは道具じゃないッ!」

 

 呼気に、殴り飛ばすような激情を込めた。

 

「道具だよ。人のために草むらから出てきて、人の手により捕まって、人のために持ちうる全てを尽くし人のために死んでいく。あれらの何もかもは僕ら人間のためにある」

「おまえはヒトじゃない! ヒトのまねをするバケモノだ! バケモノはバケモノの住処へ帰れ!」

「随分な言い回しだ。君たちだってポケモンを日頃から利用しているじゃないか。その圧倒的な力で他者を叩きのめしているじゃないか」

「違う! おれたちは助けてもらっているんだ! だからおれたちもあいつらのために全力で生きてるんだ!」

「フフ、物は言いようかな」

 

 それはやがて怒号となり、悪魔を手痛く攻め立てる。この行為に意味があるかどうかは関係ない。ただ、言わなければいけないと幼心に思った。人であるために。そして何より英雄であるために。

 カエンがモンスターボールを放ると同時、ヘラクロスが赤紫の瞳をより強くぎらつかせた。

 

「ポケモンを言いなりにしたという、“ラフエルの奇跡の再現”――君には気に入ってもらえると思ったんだけれどね。残念だよ、カエンくん」

「おまえに、ラフエルを語る資格なんてない」

 

 カエンの怒りを代弁するように、ワルビルは苛烈に吼える。

 その目に捉えるものは、何一つ違わない。討つべき者も。討つべき理由だって。

 胸の中の英雄が『許されざる』と否定する。悪鬼を断てと燃え盛り、いきり立つ。

 

 

「行くぞ、あくとう――――おれの中の英雄を見せてやる!」

 

 

 全ての平穏のために。人とポケモンの安寧のために。輝きを背負う希望(ヒーロー)はそうして、誰かのために立ち上がる。

 

「お前ら、わかってんな」

 

 少年のワルビルの突撃を合図に、バラル団も続いて矢継ぎ早にポケモンを召喚した。当然、一言で指示を送ったワース当人も例外ではなくて、眼前にヤミラミを放つ。

 

「利用云々、英雄だなんだと、うだうだうだうだ……お若いモンってのァ暑苦しくてかなわねえ」

 

 ただのヤミラミではない――光を散らす、ヤミラミ。

 その発光は、手首のリングを押さえながら放たれた「メガシンカ」という呟きを起点にして起こったものであった。ヤミラミがぺろり、と出した舌に乗ったメガストーンが、眩さを伴って彼の姿を変質させていく。

 

「だが、まあ――出してくれやがった分の損害は、テメェの手できっちり払ってもらわねえとな」

 

 言葉ごと吐き捨てた煙草を、ぐしゃりと踏み潰す。そんな主の前で誕生した『メガヤミラミ』は、景気づけの笑い声をゲタゲタ上げながら、長大な宝石の盾を構えた。

 メガシンカ。ポケモンと人の間に一定以上の絆がなければ生まれない現象。よりにもよってバラル団の人物がそれを起こしたという事実が意外に映ったのだろう、だからこそジェリオテソロの両者は、ワースのアクションに対する反応が大きく遅れてしまった。

 放られたのをキャッチしそびれ、足元に転がった回復アイテム『げんきのかたまり』を、拾う。

 

「これは……」

「一人一個だ。どいつを復活させるかは慎重に選ぶこったな」

「なんだ、回復させないんじゃなかったのか?」

「こんな状況だ、もう俺らに向かって抵抗する余裕なんざねえだろ。で、お前らも自前の連中を暴れさせた方がやりやすい……まさしくwin-winだ」

「……お前、本当に気に入らねえな」

「なんでもいいさ。この状況をどうにか出来るのなら」

 

 隙を見たヘラクロスの一撃。だがそれは罷り通らない。

 

「こんなに有り難いことはない……!」

 

 何故ならば、ここには堅牢な盾がある。

 バキィン。仰々しい角の一突き(メガホーン)を、盛大に弾く音。ジェリオが再動の機会を与えたのは、ゴーストという闇にほど近い性質を携えつつも、揺るがぬ鋼の煌びやかな品位を宿す王剣ポケモン『ギルガルド』であった。

 

「悪人と一緒に戦うとはな。なんだかこっちまで悪いことしてる気分になるが……背に腹は代えられねえ!」

 

 繋がる景色に、ヘラクロスを吹き飛ばすもう一つの影。矢羽根ポケモンの『ジュナイパー』がテソロの元より再起した。

 共に選んだのはゴーストタイプだが、決して偶然ではない。この属性はヘラクロスが持つ“虫の記号”にも“拳の記号”にも耐性を備えている。それを知るが故の、最良にして堅実な必然の選択で。

 半身で先方を睨む常闇の狩人(ジュナイパー)と、堂々と構える暗黒の王剣(ギルガルド)。そして周囲を固める災いの運び手(アブソル)闇夜の闘犬(グラエナ)の群れ。およびそれらの中心に座す闇色の餓鬼(ヤミラミ)――これにて役者は揃った。

 

「いいか、目標はあの青瓢箪ひとつだ。ちっとばかし壁が厚いが……どいつでもいい、誰か一人でも辿り着けばそれだけで終わる」

 

 ワースが鼓舞の意味も込めて、改めて勝利条件を提示する。しかし言われるまでもなく、何一つ、誰一人見るものを違えてはいない。

 ここまでくれば巻き込まれたも、巻き込んだも無関係。あの邪魔者へ鉄槌を。悪趣味な実験の打ち止めを。それぞれの胸に、この凶行を放っておけない理由がある。だったらば、やることは一つ。

 

「以上だ――ブッ潰せ」

 

 一挙による突撃。それは一瞬にしてフィールドを合戦場に変える。

 

「ヒヒ……、行け」

 

 グラエナとヘラクロス、双方の群れが激しい煙を巻き上げながらかち合った。すると土壌すら崩しかねない衝撃が、テルス山中を駆け巡る。叫んで、吼えて、殴って、噛み付いて。飛び掛かり、乗しかかり、突き飛ばし、投げ飛ばし。通りたい黒と止めたい青とが交錯し、しのぎを削って潰れてく。

 怒涛の攻防により絶え間なく鳴り響く轟音が、やがて戦の余波を連れて数本の木を薙いだ。

 そうして倒れ行く木々の隙間を次々ぬって、鈍く光る右目――ジュナイパーは踊るように低空の高機動(アクロバット)を披露する。

 足元の雑草を揺する、風という名の飛行の残滓。はさり、と一際大きな音がヘラクロスに届く時、狩猟者(ハンター)は羽根の矢を射り放つ。まとめて撃たれたそれらは一本も外れることなく、複数体の急所を仕留めた。

 

「右も左もわからねえ乱戦こそ、暗殺者は足元をすくいやすい。お前らは格好の獲物だ」

 

 気付いた個体が“メガホーン”を差し向けるも、遅いと嘲笑う回避行動。空をものにしてくるりと宙返りし方向転換、足先に来た木を蹴っ飛ばして勢いを付け、

 

「そうら、虫取りと洒落込もうかァ! “アクロバット”!」

 

 すれ違いざまに空気の刃で切り伏せる。

 緑色はそのまま滑空の後に木の上へ着地した。フード状の日よけを窄めるのは、それ自体を狙撃用スコープとして扱うため。再度、縦に広げた翼と紐の間に挟まる矢羽根。引き絞る姿を前に、地上の甲虫たちはとうとう逃げようとするが、冒険を始めて以来の相棒――外すわけもないだろう。

 

「“かげぬい”、BANG!」

 

 テソロがそんな確信と共に、指鉄砲を放つような動作をした。彼の発射合図と狙いにきっちり合わせて、ジュナイパーはその背中を捉える。

「じゃあな、続きの相手はあいつがやってくれるぜ」

 テソロの言葉に続く、銀色の閃光。はがねタイプの特殊技“ラスターカノン”だ。

 しかし怯まず特攻してくるヘラクロスへ、ジェリオが帽子の向こうから瞳を覗かせる。どうもこのギルガルドの細長い光線、速度こそ十分なものの、多を打倒するには大きく範囲の足らない技であった。

 

「やはりこれでないとダメか……変形(チェンジ)!」

 

 尤もそれは、ギルガルドの状態が“最強の盾であるならば”の話。彼はジェリオの声に応え、進化とも強化とも違う過程、変形(フォルムチェンジ)によって姿を変える。

 剣型のボディを盾型の鎧から引き抜くその様は、脱着というよりも、寧ろ騎士による抜剣のそれで。伸ばした左手が掴むのは、今しがたまでアーマーの役割を担っていたシールド。

「もう、一発だ!」黄金の煌めきを湛えた王剣が大群へ掌を向けると同時、ジェリオは大きく叫んだ。

 つられて出るのは、その声のボリュームにも一切劣らない規模の、巨大な輝き。

 まるでビーム。忽ちヘラクロスたちの顔が白に照らされる。迎撃で発された二度目のラスターカノンは、さっきと打って変わって、数多の甲虫を戦闘不能にした。

 威力の低い技であろうと、その攻撃性能の前では他の追随を許さぬ圧倒的火力を付与される――特性『バトルスイッチ』でぼうぎょに割いていた力をこうげきに回した最強の矛『ギルガルド・ソードフォルム』に、断てぬものなし。

 

「バラル団、後ろだ!」

 

 異変に気付いたジェリオが、火急的にワースへ呼びかける。今まさにメガホーンを当てんとする速度で、背後からヘラクロスが迫っていた。

 

「俺達がポケモンを戦わせる時はよ」

 

 殺し合いなんだよ。ワースが続けて言った刹那、彼とヘラクロスの間にメガヤミラミが割り入った。

 バキン。乾いた音が響く。生身であれば一突きで命も失っていたであろう――しかしこのポケモンならば違う。メガシンカエネルギーで大きくなり、頑強になったこのとびきりの宝石(ルビー)の盾ならば。そんな未来を否定できる。

 

「だからこの時ばかりは、テメェの命を高く見積もらなきゃならねぇ。トレーナーのお遊びたァ違う」

 

 さらに、五体。それも複数方向から。ベルンの指示通りに一貫してワースを狙う。

 でも、であっても、ヤミラミは防いで見せた。

 周囲に小さく半透明な六角形を無数に積み上げ、背中合わせの自身とワースを囲むようにして丸い障壁を作ったのだ。

「終わりか?」押し止めた一本角達を一度ずつ瞥見し、呟く。

 

「なら次は、こっちの番だな」

 

 その瞬間、一斉に弾き飛ぶヘラクロス達。一体は木に激突し、一体は地を転げ、そのうちまとめて戦闘不能になったのがわかった。

 

「“メタルバースト”か……!」

 

 バリアが解け、その破片がまるで爆発、あるいはパージのようにして四方八方へと爆ぜ散る。今の光景を見逃さなかったがために、現象の正体に気付けたジェリオ。

 攻撃を受け、くらったダメージを割増して相手に跳ね返す技、“メタルバースト”であった。

 桁外れの防御性能で敵の攻撃を受けきり、その力を利用して相手を討つ。そうやって自らの手を下さずして勝利を掴み取る、まさにメガヤミラミがなんたるかをわからせてくれる一手だ。

 向き直る紅色が、光の屈折で持ち主の顔を写す。進軍を見送る時の、満面の笑みを。

 

「もう少し、もう少しよ!」

「なんでもいい! とにかく前に立つヤツぶっ飛ばせ!」

 

 シママの“でんじは”が駆け抜ける。動きを止めた敵勢を、ロアのザングースが“つばめがえし”で次々に狩り取っていく。それを踏み越え続くグラエナ。皆が一丸となり、ベルン目掛けてひたすら直進する。各々の獅子奮迅の活躍で五〇、四〇と次々に規模を縮小させるうち、いつしかヘラクロスの砦は半壊状態となっていた。

 いける――共同戦線の面々が口にする。

 間もなくこの向こうに至れる。事を終わらせることが出来る。テルス山の奪還まで、あと少し。

 

 

「動くな」

 

 

 決着が望めはじめた、明日の平穏が見え隠れし出した、そんな折。

 静かな言葉が強い語気で発された。あまりに突然なことであったが皆の耳には確かに届いたようで、それは無音の到来という状態で証明される。

 声がした方へと目を向ける。そこは半壊した砦の先などではない。寧ろ逆方向、最も後ろの、ワースが立つ方面で。ゆっくり振り返ると、ベルンがいた。

 

「ワースさん……!」

 

 ――テアを、伴って。

 

「……あ?」

「弱そうな女、年齢は子供ぐらいで、何かしらのハンデを抱えているのが理想……うん、見たとここの子は足だろうね」

 

 後ろから首に腕を回し、がっちりと捕縛した姿勢でベルンが示すのは、人質を取る際の基本事項。

「見ればわかるだろう? この状況」空いた手に握られたナイフは、テアの頬をぺちぺち叩く。

 おそらくこの混戦状態に乗じて位置を変え、裏から回り込み、ポケモンが傍にいない隙を狙って彼女を捕らえたのだろう……誰でも考え付くごくごく自然な流れ。それほどまでにこの局面、何が起きても不思議ではなかった。

 

「はは、どこまでも汚えな。さしずめ悪行のフルコースだ」

「バカだね。堂々と戦ったところで、結果は見えているじゃないか」

「……すみません、不覚を取りました」

「さあ、大事なお仲間に傷を付けたくないのなら、僕の逃げ道を開けてほしいなあ」

 

 長身を活かしてテアの頭に顎を乗せ、悪ふざけでがちがち歯を鳴らす。不快な音だ。擦り付けられたテアが表情を歪める。

 そして知る。ベルンは、最初から自分たちを相手にするつもりなどなかったと。ここに訪れ奴と相対したその瞬間から、ずっと人質に取るべき相手を見定めていたのだと。

 偶然ではない。結果の自分だ。実際にこうして味方の、何よりワースの足を引っ張っている。

 テアは悔し気に歯噛みした。こんなことになるぐらいならばと、いっそ思いきり抵抗してやりたいところだが、後天的なハンデを抱えた足ゆえに、それすらも力負けで叶わない。

 雁字搦めだ。噛み潰した悔恨から、憤りが滲んで出る。

 

「あと……」

「ッ!? ワースさん!」

 

 次に取った行動は、まさかのもの。生き残りのヘラクロス一体の拳が、無抵抗なワースへと飛んでいく。

 テアの叫びによってぎりぎりのところで止まったが、“かわらわり”の一撃は依然彼の額の前に留まっており、いつでもやれるのだぞという明確な意思表示をする。

 テアは怒りのあまりに、言葉を荒らげた。

 

「なんのつもりだ! 目的は逃走だけでしょう!? 何故ワースさんを」

「うるさいよ」

 

 ピッ、と圧力の上がった血が飛び散る。鋭い切っ先が、テアの発話を遮らんと彼女の頬の上を滑ったのだ。

 ひり出た赤は緑を侵し、やがてこびりつく。決して深い傷ではないが、激痛は誤魔化せなくて。まるで張ったファスナーを開いたかのように出来上がった隙間は、大量の鮮血を連れ彼女の細面を汚した。

 

「頭に上った血は抜けたかな? もう少しだけ絞ってあげようか」

「っぐぁ……ッ!」

「テア!!」

 

 より強い首の圧迫からなる苦痛で仰いだテアから、思わず目を背けるエルメス。ロアの叫びも知ったことかと話は進む。

 

「バラル団幹部、ワース――主に組織では財政管理の部門を担当しているね? あまり表には立たず、出番があるとしても君自身ではなく大体その部下。でも今こうして姿を現しているのは、きっと組織が忙しいからかな?」

「……俺は個人情報を投げ売りした覚えはねえが」

「君なりの言い方をするなら、別ルートで購入したんだよ。転売というやつでいいのかな」

「ッハ、俺も安く見られたモンだ」

 

 相手の口車と威圧の上で、今日何本目かもわからないやにを味わい始めるワース。依然表情の変化に乏しい。知ったことじゃないのは、彼とて一緒だろうか。

 肝が据わっている、或いは血も涙もないだけなのか。どちらにせよ、相手次第で反感を買いそうな振る舞いも、ベルンとしては許容範囲内で。

 

「君はね、暗躍街(こちら)に来るべきだ。戦えて、お金の管理も出来る。それでいて頭もいい。何よりも暗躍街の出身……みんな君を歓迎するだろう」

 

 この準備されていた誘い文句が、如実に物語っている。

 ワースが己が組織に降ること。それこそが逃走以外の、ベルンの要求であった。

 

「どうだい。実力を高く買うだけの待遇は保証しよう。相談次第では今の部下を連れて来てもいい」

「へェ、また面白そうな提案だな。そんなに俺が気に入ったかい」

「ワー、ス……、さ」

「何より。彼女も無事に連れてこられるよ」

 

 骨の軋む音がする。繊細さも顧みないで力を加えるから。

 あまりに不意のことで動揺し、どよめく団員達。これまで自分たちを討ち滅ぼそうとしてきた者はあっても、仲間に招き入れようとする者はなかった。珍しすぎたのだ。

 だからこそ対応がわからない。ここで抵抗をやめれば、テアだって帰ってくる。何よりもワースが靡かない事を確信できない。

 ようやっと団結に綻びが見えた。組織に底深な忠誠がない彼と、そんな彼を敬愛し付き従う部下たちの結び目の、ほつれ。独特の立場だからこそ生まれる欠点。

 ワースは尚も手出しせず、押し黙る。誰も理解しえない横顔を作り続ける。

 されど時間は経過するし、目下の事柄は着々と変化を遂げていく。

 

「さあ、決断の時だ」

 

 悶えるテアを見せびらかすようにワースの目線へと入れ、にんまりと笑いかけるベルン。

 吹く風が伝える、期は熟したと。そう決心を迫る。

 少女の薄目が「構わずやれ」と訴えるが、当の大男はそれすらも捉えているかわからない。であれば一体何を。誰を見ているのか――。

 

「いっけええええええええええ!!」

「!」

 

 それは、ワースが顎髭に手をかけたタイミングだった。ベルンの眼がぎょろんと動いた先は、自分から右側の地面。突如そこから出現した何かは、真っ直ぐに自分へと向かってくる。

「守れ」反射的に出した命令を聞き入れ、脇を固めていたヘラクロスがそれを受け止める。正体はワルビルだった。

 そうして注意が逸れた一瞬で、ワースからヘラクロスを引き離すヤミラミの“シャドーボール”。

 振り出しとまではいかないが、マイナスがいくらかプラスに近づいた。晴れて自由の身となったワースではあるが――ベルンが顔向けするのは、彼でなくワルビルの主で。

 

「おいおい……子供が大人の話に首を突っ込んではいけないと、習わなかったのかい?」

「首じゃない。出したのは手だ」

 

 とても意外過ぎる、そんな相手。

「まったく余計なことを」忌々しげにごちるベルンの視線に負けじと、カエンはきっと睨みつけた。

 

「こんなのな、話だなんていわない。ただの脅しだ」

「だからどうしたんだい? 正義感を奮い起こす原因を見間違えているよ。彼らとて君たちにとっての悪であることを忘れたのかな」

 

 生かしておけば不都合が出る。野放しておけば損失を被る。健在であるならば障害たりえる。

 

「だったらば、見殺すことが最も適した解答だろうに」

 

 いずれもベルンの付け足しだ。

 でも何も間違えていないし、真っ当に不正解を指摘できる者なぞ、きっとこの世には存在しない。

 それはたとえ彼ら当人であったとしても、絶対に断言できること。

 なればこそ不可解だし、延いては面持ちにだって出てくるもの。そうして呆気に取られたバラル団らを、静かに見据えるカエン。

 

「……おまえのいう通りだ。こいつらだっておまえと同じ、悪者だ」

 

 少年はかく言う。奴らは確かに悪である、と。

 

「でもな。ポケモンを大事にしているところだけは、おれたちとも同じ、仲間だと思ってる」

 

 だが向き直って、こうも言った。

 

「戦って、ボロボロになって。それでもこいつらは、ポケモンのために何かをしようとしてる。曲がらないものを持ってる。それが、誰かを助けてる」

 

 願った形ではない。されどバラルのポケモンとの対話は、間違いなく英雄の魂に何かを残した。人では語れないものを聞いた。心を知った。彼ら自身から、彼らの在り方を理解した。

 連中とはぶつかりもしたし、許せないことだってされた。きっとこれからもそうなのだろう。彼らは彼らのまま、多分何も変わらないのだろう。

 痛々しい様相で息を切らすテアを、静かに目に入れる。例えば彼女だって。

 

「誰だって、誰かのために生きてるんだ。誰かにとっての代えられないものなんだ」

 

 今度は彼女のアブソルを見やる。ベルンを刺激すまいと大人しくしているように思える。でも本当は憤懣やるかたなくて、気が気でなくて。今すぐにでも助けたい。行ってどうにかしたい。そんなことを“話して”いる。カエンにだけはちゃんと聞こえている。

 

「だからな。この世に踏みにじられていいやつなんていないし、なくなっていい命なんか一つもない」

 

 脳内で繰り返す。バラルは悪だ。然り、然り、然り。

 さりとて。

 

「おれは英雄だ。英雄はぜんぶを救う――こいつらだって、救ってみせる」

 

 今討つべき悪を、誤ったりはしない。

 

「子供の思い上がりというのは、些か害悪だね。少し腹が立ってきたよ」

 

 ポケモンも武器もない、一体お前に何が出来るんだ。ベルンの問い掛けを合図に向き直るカエンが、空気を吸い込み始める。

 武器がなくとも。力がなくとも。英雄は立っている。希望とは、いつの時代もただそこに転がっていたわけではない。力なき者の依り代として世界が勝手に生んだものではない。

 どんな逆境にも折れず、いかなる絶望にも挫けず、地に足付けてひた走る――そういう者こそ、そういう姿勢それそのものこそが、希望(ヒーロー)として世に顕現するのだ。

 肺がぱんぱんに膨らみ、一杯になる。

 

「そいつを、はなせえええええええええええええええええええええええええええええッ!!!!」

 

 その状態で吐き出す息は必然的に大きな叫びとなって、テルス山中に響き渡った。

 ぶわ、と木々が激しく揺れた、次の瞬間だ。ベルンの頭上に巨大な影がかかる。本能的な危機感に駆られて上げた顏の前にあったのは、彼の何倍にもなる水色の巨体。

 躰もろとも迫る咆哮――飛竜ポケモン『ボーマンダ』の飛来だった。

 

「ふ、うわァあああああああああああああ!!?」

 

 全身を用いてありったけのパワーで突撃する技“ドラゴンダイブ”は眼前に落ちてベルンを傷付ける事こそなかったが、恐怖心を煽るには十分すぎる迫力であった。

 凄まじい地響きをよほど恐れたのだろう、脊髄で絶叫し、腰を抜かしてしりもちをつくベルン。

「おい」「ぅげぁ!!!!」直後に短く聞こえた呼び声と、振り抜かれる拳が、先程から小憎らしかった顔面を殴り飛ばした。

 

「次にやってみろよ。二度目はこれで済まさねえぞ、ドグサレ野郎」

 

 刹那を衝いたロアの右ストレートが、テアを解放へと導く。続くしたっぱが手早くテアを救出、ワースの元へと連れ戻した。

 

「ワースさん、どうしてですか! 私なんかよりも、奴を倒す事の方がずっと……!」

「お前にはまだ価値がある」

「!」

「もしくたばるなら、そいつぁ今じゃねえ。もっと必要な時と場所で、俺のために、俺の傍らで拳振るって死にやがれ」

 

 一度の遮りの後、ワースもテアも、それ以上何かを言うことはなかった。

 

「ヘラクロスが来るぞ!」

 

 次なる危機が呆然とする一行を襲うが、それもまた防がれる。

 ボーマンダが再度上げた雄叫びによって呼び寄せられた鷲型ポケモン『ウォーグル』と『ワシボン』が、林から見える空を埋め尽くさんほどの大群を以て、矢継ぎ早にヘラクロスを沈黙させる。

 

「な、何が起こっているの……!?」

「野生のボーマンダが、なんだって種族の違うウォーグルとワシボンを率いてやがるんだ……?」

「カエン、何かしたか?」

「……空の、主」

 

 だがカエンは、このボーマンダを知っていた。モチーフのドラゴンよろしく、伝説的な昔話によって。

 

『テルス山に危機訪れし時、その子連れの飛竜忽ちに現れ、山の戦士と共に災厄を焼き払わん』

 

 英雄ラフエルほど大袈裟ではないが、山に住まう者が代々聞かされてきた伝承。陸のリングマに並ぶ“空のテルスの主”の逸話。

 今ここに立つのは、それを紛れもなく事実と証明する者だ。

 

「がう! がう!」

 

 母の広い背中の上で元気に騒ぐタツベイも、自分を証だと誇示しているようだった。

 

「ああ……みんなぁ!」

 

 その存在は滅多に現れないどころか気配すらないものだから、半ば眉唾物になっていた。

 これまで、やまおとこによるドラゴンポケモンの目撃情報は相手にされなかったし、けんきゅういんによるタツベイの生息報告も取り合ってもらえなかった。もしかすると出てくるつもりなど無かったのかもしれない。

 でも戦士の悲しみが。怒りが。勇気が。愛が――遠くの彼を呼んだ。怯え潜んでいた彼らを、奮い立たせた。

 

「そうか……みんなカエンの声に、呼応しているんだ」

「こ、こおー? なんだそれ?」

「難しかったな。心を一緒にしている、みたいな取り方でいい」

 

 ジェリオの推測は、まさしくであった。

 それは支配とも、指示とも違うポケモンとの繋がり方。ポケモンとの感情共有。人の手如きでは到底至れない、正真正銘の“ラフエルの奇跡”で。

 全てのヘラクロスが倒れる。ベルンが団員に取り押さえられる。そうやって事は落着に辿り着く。

 ――誰もが瞳の奥に、虹を見た。

 

「――おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 何かを変えられるものの在り方を示し、実際に変えて見せ、しかと偉業を果たした英雄は、ポケモンも三者もバラルをも巻き込んで、凱歌の声を上げる。

 

「う、うおおおおおおおおおおおおおおお!」

「バカかお前、何つられてんだよ」

「す、すいません! つい……!」

「けど、まあ」

 

 大したもんだよなあ。腕を組み、飛竜を従える少年の立派な後ろ姿を眺めながら独白するロア。

「しっかし、散々振り回してくれやがって」こちらはちゃんと言葉にする。腕を封じたベルンをしたっぱと共にワースの元へ連行しようとした。

 

「まだだァァァァァァァァァァァァ!!!!」

「なっ!?」

 

 その時に、事は起こる。ベルンが出し抜けにロアへ回し蹴りを浴びせ、決死の抵抗に及んだのだ。

 

「お前! 今更何を」

「まァだァだァァァァァァァァァァァァァ!!」

「ぐおっ!」

「ここで手に入れたチャンスをォ、捨ててたまるかよォォォォォォォォォォォォ!!」

「こ、こいつ、ガリガリのくせに、なんでこんなに強いんだ……!」

 

 周囲のしたっぱも負けじと応戦するが、頭突き、唾棄、噛み付きと、使えるものの何もかもをフルで利用したダーティーな立ち回りで、見事に彼らの拘束を振り切った。

 転げるヘラクロスの角で、手に縛られたロープを削ぎ切る。最後の悪あがきで向かうは粉々のテント前。

 

「もう諦めろ! やれることは何もないだろう!」

「うるせェばァーーーーか!!」

 

 ベルンはまるで零れ落ちそうなほど眼を大きくし、人が変わったように声を荒らげる。

 

「クソッタレが、道具風情が一丁前に人間様に楯突きやがってよォ……!」

「……まさか!」

「テメェらはただ従順に、人間様にボロ雑巾みたく使い捨てられてりゃ!」

 

 ポケットから引き抜いた瓶を、足元の四角形に装填する様子を前にして。

 

「――それでいいんだよォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

 

 答えは、すぐに出た。

「ポケモンを戻せ! すぐにだ!」最後っ屁にいち早く気付いたテソロが促すと同時、薬品Rはガス状に変質し辺り一帯に広がった。即座にもくもくと立ち込める煙がこの場を包み込む中、皆は言う通りに各々のパートナーを収め、万一を考慮して口を布で塞ぐ。

 野生のポケモンたちにも魔の手が襲い来る。ワシボンとウォーグルはその身軽さに助けられ空へ逃れるが、

 

「カエンくん、ボーマンダが!」

 

 飛竜はというと、違った。

 木によって閉ざされた空間は、巨体が空へと出られる場所も限られてくる。おまけに風も通しづらいため、ガスは何の邪魔もなく満ちていく。

「がーう! がぁう!」不安にやられたタツベイが、焦燥から喚いている。

 ボーマンダは必死の形相を隠さぬまま、そんな我が子を背中から振り落とし、尻尾を咥えて樹林の外へと放り投げた。

 

「ボーマンダーーーーーーーーっ!」

 

 彼女がガスに飲まれたのは、その直後の事であった。

「グ、ウ、ガ、ア、ア、ア、ア゛」ぶつ切りの呻き声が、痛々しく人々の耳朶を打つ。皮膚を無理矢理張り裂く勢いで筋肉が膨張し、骨格が力づくで強化されていく度に、全身からめきめきと上がる悲鳴。

 徐々に血走り、禍々しい赤に埋められていく目が、カエンに何かを訴える。

 きっと逃がした子供のことだろう。こればかりは誰もが理解した。

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」

 

 黒い瞳が完全に消え失せる頃。ボーマンダがいた場所には、怪物が蠢いていた。

 

「最低な手品の、最悪な種明かしだな」

「こんなものが、世に出回ろうとしているというのか……」

「ひどいわ……、こんな、こんなこと!」

「ハハハ! 何も酷かねぇ、当たり前のことだろうが。道具が生意気にガキなんざ作るから、ばち当ててやったんだよ」

 

 オラッ乗せろ! ベルンは乱暴に吐き捨て、すっかり自我を失くしたボーマンダに乗り込む。

 そこからは早かった。技“かえんほうしゃ”で周りを追い払い、その曲線で形作られた翼をはためかせる。ガスが充満した中ではポケモンも無闇に出せないので、誰も追えないし追いようがない。あまりに筋道の通った、完璧すぎる逃走。

 

「あばよクソ共! 一人残らず報復してやるから、覚悟しとけ!」

 

 そう捨て台詞を吐いて、空へと発った。

 

「おい、カエン!」

「くそっ……くそっ!」

 

 カエンは走る。木をすり抜けて、地面の凹凸を踏み越えて。だが追いかけても追いかけても、その樹頭越しの後ろ姿は遠ざかるばかりで。

 息が切れる頃に、樹林帯を抜けた。されど置き去りに変わりはない。少しずつ小さくなって、粒に近づいていく。

 限界で足が止まった。気が付くと、隣でタツベイが大粒の涙をぽろぽろこぼして泣いていた。

 

「カエンくん!」

 

 遅れて彼の道程をなぞってきた三人が、それぞれ背中に声をかける。

 

「もう、いいだろう。あとはPGに任せろ」

「ポケモンがないんじゃ、もう追いかけようが」

「……嫌だ!」

 

 静寂に響く、駄々と紙一重の反発。もう一度言った。

 諦めていいはずがない。諦められるわけもない。諦めを付ける理由だって、どこにもない。

 どちらかといえば、諦められない理由しかないだろう。

 誰も泣かせないと言った。皆を救うと誓った。そういう英雄になるのだと、ついさっきも述べたばかりじゃないか。

 カエンの戦いはまだ終わっていない。

 

「まだ、こいつが笑えてないから!」

 

 だから。動く限りはこの足を止めない。

 そうして、頑強な意志を乗せた一歩を踏み出す。

 

 ドンッ!

 

 その音が不自然なほどに大きいものに感じられたのは、決して気のせいでない。

 カエンの前で、淡い土煙が舞う。最初こそその正体を隠していたが、数秒もすれば判明すること。見る者を滾らせる橙色の肉体に、悠然と構えられた長大な翼。それはカエンが今この時、最も思い浮かべていた存在で。

 

「――――リザードン!」

 

 オレンジの翼竜は短く鳴いて、相棒の前に降臨した。

 でも、どうして。当然の疑問だ。

 

「あんちゃーん、リザードンかっ飛ばしすぎだよぉ。もうトモシビへとへと……」

「トモシビ! なんでこんなとこに!?」

「だ、誰!?」

「あ、い、妹なんだ」

 

 それは、その背中からひょっこりと顔を出す幼女、トモシビが説明してくれる。

 

「この子、山がへんだって聞いて、いてもたってもいられなくなって飛び出してったあんちゃんが心配で、いてもたってもいられなくなって飛び出してきたのー」

「おお、そうなのかー!」

「またややこしい言い回しだな……」

「このトレーナーにしてこのポケモン、ってやつか」

 

 似た者同士は寄り添った。片や顎をわしわし撫でて、片や抱擁して各々の再会を喜ぶ。少しくすぐったい、といった風に顔を上向きにするリザードンだが、それでも拒まないのは確かな絆によるものなのだろう。

「それよりも」話題の転換で気を引き締める。

 

「この山をおかしくしてるやつを見つけた。今、こいつのかーちゃんを洗脳して逃げてる最中だ」

 

 リザードンへ、現状を説明した。

 

「こいつな、泣いてる。だからかーちゃんを取り返してやりたい。あと――」

 

 ここまで色々あったし、いきさつは複雑だった。でも多くは要らない。

 

「あいつを一発、ぶん殴ってやりたい」

 

 悲しいも、楽しいも、苦しいも、喜ばしいも、一緒に分かち合ってきたように。言霊に乗せるのはこの気持ちだけでいい。魂の怒りを、彼へと伝えるだけ十分だ。

 それさえすれば彼はまた、羽ばたく翼を授けてくれるから。

 

 

 

 流れる景色が、遅くなった。

 それはスピードダウンを意味する。

 

「いってえ、いてえよお、クソが……テルス山からは引き上げだな」

 

 ベルンはボーマンダの背中で、一人ごちる。ロアのパンチで未だに歪む頬をさすりながら。

 実験場を突き止められ、あまつさえ追われ、終いには打った手も悉く潰されて。

 

「テメーのせいでもあるんだぞ、クソがよ!」

 

 腹の奥底でぐつぐつと沸き立つ苛立ちは、抵抗しないボーマンダの背中に拳を叩き付けることで解消する。こうなりゃ死ぬまで使い込んでやる。醜悪な憎悪が唇通して表に出た。

 

「だが悪いことばかりじゃねえ。八割は完成したようなもんだろうなあ、これ」

 

 薬品Rのことを指していた。度重なる性能試験により、少なくとも一方的に暴力を振り回せるぐらいには意識を支配することに成功している。

 これならカシラもきっと気に入るし、俺たちが覇権を握る日も近い。そうなりゃバラルなんて目ではない。

 遠くない未来に明るみを想像して高揚でもしたか、鳥ポケモンも逃げていくほどの高笑いと独り言が周囲を占領する。

 次はどこにいこうか。テルスがだめならシエトはどうだ。自然が豊かで、これまた人の手が入りづらい。

 こっそりやるにはうってつけだろう。そうと決まれば、早々に退却だ。

 ベルンはレニアシティ上空に差し掛かる地点で、ボーマンダの尻をばしんと叩いた。もう一度速度を上げろ、という意味を持つ。物言わぬ、もとい物言えぬ飛竜が虚しくも一つ返事で肯い、加速の姿勢を取った。

 

「ッ!?」

 

 それを邪魔するものが、二つ。

 背後から急接近してきた高熱と発光を感知、紙一重で回避する。自分の真横をすり抜けたそれは、延長線上で縮んで、何事もなかったかのように消え去った。

 何も驚く必要はない、誰でも知っている燃焼という化学現象であった。

 それでも崩れない険しい面持ち。そうだ、ベルンが不穏を覚えた点はそこじゃない。

 誰も追ってこれないのだから、今、自分以外がこの場に何かしらの影響を与えられるわけなどないのだ。干渉できるわけなど――。

 誰だ、なんて陳腐な問いかけを中断した。振り返れば何もかもすぐに済む話。

 一人と一体によって『事を覆せる手段も持たないと踏んでいた事』が覆された――その事実を、直視するだけで。

 

「ぜったいに――逃がさない!」

 

 翼竜の咆哮を以て、曇天はとうとう断たれる。開く丸は爛々と輝く日輪を招き入れ、ついに現れた希望という輝きは、ぼうぼうと燃え盛る正義の火焔を強く照らして、さらに熱くした。

 タツベイを傍らにするカエンは、リザードンの背中で腕組み突っ立っていた。

 

「しつけぇなあ……ほんとによォ!」

「みんなを泣かせて、だれかを不幸にする、おまえは……おまえだけはな! ここで止める!」

 

 昨日まで流れた涙のために。皆が笑う明日のために。こいつは今日、ここで倒す。

 意気と息吹が一緒になると「うおおおおおおお!」という叫びに変化する。奮えるカエンとリザードンのそれが遠くで重なった時、顔を出した晴天は“虹”を彼らに寄越した。

 ポケモンと人とを繋ぐ通り道。大地がラフエルの形見を届ける一本道。古来から色々な表現が成されてきたが――――今のそれは、“キセキシンカ”と呼ばれている。

 

「――ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 全身を包んでいた焔が、一回り巨大化した両の腕に集束した。肉体は深紅色に変化し、大翼には鋭い刻み目が幾重にも連なる。僅かに残る橙は太陽が如き灼熱を発するが、誰かを焼くことは絶対にない。彼は誰かを救う者だから。

『キセキリザードン』の覚醒。カエンは、奇跡を起こした。その眼に虹色の光を宿して。

 

「なんだか知らねえが……ハッタリかましてんじゃねえぞォォォォォォォ!!」

 

 眩しさで覆った目を自由に戻したボーマンダが、襲いかかる。

 

「いくぞ、リザードン」

 

 英雄は翼竜に跨り、言う。「ここにいるぞ」と。

 かつての伝説が潰えた場所で。先代の英雄が最期を迎えた、この場所で。

 翼竜は英雄を背にし、言う。「英雄の誕生だ」と。

 同じものを見聞きして育った場所で。何度も彼の奇跡を目の当たりにしてきた、この場所で。

 

「一緒に、たたかってくれ!」

 

 今、ここで、こうしてまた新たな神話が始まる。英雄譚の続編は紡がれる。

 レニアシティの空で――七色の輝きが弾けた。

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