ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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fin.俺の道、お前の道

 滅亡の赤紫色と、希望の七色が、幾度となくぶつかり合う。

 ある者は、他の誰かを死なせてでも歪な我欲を追い求め。またある者は、意地に則り死に物狂いで決闘を制さんとする。どちらもどちらに死という言葉をちらつかせて、この果たし合いに臨んでいる。

 一番高いところで、一番激しく繰り広げる死闘――額面通りの頂上決戦を邪魔する者は、どこにもいない。

 

「“かみなりパンチ”!」

「“ドラゴンクロー”だオラァ!」

 

 二つの技がかち合って、衝撃の白波が波紋状に広がった。全ての自由の象徴たる空は遮るものが無いので、大気の振動がより大きく感じられ、伴う音にも遠慮というものがない。

 ぶつかるエネルギーはバリィン、とガラスよろしく盛大に弾けて鳥ポケモンたちを遠ざけていく。

 競り合いの最中にリザードンの背中で声が上がる。カエンがボーマンダを呼んだ。

 

「大丈夫か! 苦しいか、辛いか? おれの声が聞こえるか!?」

「ごちゃごちゃごちゃごちゃうるせえんだよ!」

「おまえには、言ってないッ!!」

 

 カエンの踏ん張りに付随して、ボーマンダを押し飛ばすリザードン。

「うお!?」ベルンはそうして力負けしつつもスピンから即座に体勢を立て直し、かろうじて追撃をカットした。

 

「チクショウ、なんなんだそのわけのわからねえリザードンはァ!」

「ポケモンを力で言いなりにするおまえには、一生かかってもわからない! そういうキセキだッ!」

 

 向き直りついでの反撃で“かえんほうしゃ”を放つも、拳型の炎がいともたやすく相殺してみせる。

 キセキリザードン――格闘練習として主と拳を交えた日々と、近接を主体とした戦闘の記憶がReオーラによって極限まで研ぎ澄まされ、結果として『こうげき』と『すばやさ』の力が跳ね上がった状態のリザードンを指す。

 X、Y、どちらのメガシンカ態とも異なったその形状や性質は完全なる未発見とされ、まさしく奇跡的な進化を遂げた存在といっても過言ではない。

 再び特性『ちからもち』を用いて底上げされた火力の“ほのおのパンチ”で、飛んできた“かえんほうしゃ”を打ち消す。

 

「なあリザードン。声、届くと思う?」

 

 カエンが言う。応えて静かに鳴いたが、周囲に意味は伝わっていない。しかし十分だ、カエンにさえ伝われば。

 

「……だよな! おれたちが、届けてやるんだよな!」

 

『届くんじゃない。届けるんだ』いいのだ。カエンさえ、この言葉がわかっていれば。

 リザードンは、今一度羽音を響かせた。

 

 

 

「いた!」

 

 日光にも劣らぬ、強烈な閃光が反復する。エルメス、テソロ、ジェリオが足を急がせ到着したレニアシティの上空は、そんな様相を呈していた。

 決して無視できない音と光で、なんだなんだと地元住民が天を仰ぐ。

 

「さて、どうしたもんかね」

「俺はひとまずPGに立ち寄り、住民に避難させるよう口添えする! テソロはカエンの援護を!」

「だーかーら、勝手に命令すんなっての」

 

 テソロにそう指示し、一足先に町中に飲まれていくジェリオ。

 カエンが戦っている――もはや説明はいるまい。

 驚異的なスピードは一歩間違えば振り落とされるし、規格外とも云えるパワーは気を抜けば人の命など簡単に持っていく。まして向こうは犯罪者……いくらジムリーダーとはいえ、相手にするにはあまりに不安要素が多すぎて。

 それでも彼は、戦う。拳を握ることをやめない。険しいことだと考える。とても真似できないことだと、思う。

「『なりたい』が止まらない」と、言っていた。

 その言葉のままに、彼は迷いなく誰かのために命を懸け、誰かのために力の限りを尽くす。泣いているならば声かけて。苦しんでいるなら手を差し伸べる。たとえ見返りが、救いが、賞賛がなくたって。誰かの希望になって見せる。

 

 ああ。彼は。

 

 それが出来る彼は、なろうとしていたんじゃない――もう、なっていたんだ。

 英雄に。ヒーローに。神話の続きの担い手に。

 

「――私だって、なりたい!」

 

 その時、エルメスの瞳に炎が灯った。

 取り出した携帯電話の画面で最初に目を配ったのは、電波状態。全快状態を確認して、ライブ配信アプリを起動する。

 

「持ってて!」

「は、ええ?」

「私をそのまままっすぐ映して! いいから早く!」

「お、おう!?」

 

 エルメスはテソロに配信状態の電話を持たせたまま、リザードンとボーマンダの対決を背にした。

 目を閉じる。深く息を吸った。これこそエルメスのしたかったこと。そして何より、

 

「……現在、レニアシティ上空にて同所のジムリーダー『カエン』さんが戦っています。相手はまだ記憶に新しい、先日世間を騒がせた“テルスの主暴走事件”の真犯人、暗躍街なる犯罪組織の構成員『ベルン』と呼ばれる男です。彼は『実験』と称してポケモンを強化し、意識を支配する自作の薬品『R』をテルス山内でばらまいていました。ラジエスの件以降キャンプセット一式とガス発生機を持ち込んで潜伏し、連日に渡って霧状に変えた薬品を散布するなどしていた模様です。真相を突き止めたカエン氏が追い詰めた際、一瞬の隙をついて薬品を使用し野生のボーマンダを洗脳、現在の状況に至ります」

 

 今の自分が、やるべきと思ったこと。

 

「大型ポケモン同士の衝突によって現状は混迷を極めており、負傷者の発生も予想されます。現地住民の方々は落ち着いて、焦らず、市の職員やPGの指示に従ってラジエス方面へ退避してください。繰り返します――」

 

 事件の最前線で、情報を届けるのだ。知りたがる者へ。知ることで助かる者へ。

 強風となった激突の余波が、彼女にまで及ぶ。

「おい、あぶねえって!」倒れかけたエルメスにテソロが思わず声を上げるも、彼女は歯を食い縛って立ち直り、依然リポートを続ける。

 まだ、まだよ。モノローグが頭蓋の中で響き渡る。そうだ、へこたれている場合じゃない。

 

「去年の“雪解けの日”を境に、バラル団のみならず、様々な犯罪組織が勢いづいて、この世界情勢を不安定なものにしています。明日どうなるかすらわからない日々を過ごしている方も、いらっしゃるのかもしれません」

 

 というのも。何故なら。だって。

 

「ですが、諦めないで下さい。悲しまないで下さい」

 

 私は記述者(スペクテイター)ではなく、

 

「――我々には、大いなる英雄がいます」

 

 伝達者(メッセンジャー)だから。

 

「いつの時代も人々の行き場ない心の拠り所となり、吹き荒ぶ災厄の矢面に立ち、されど未来を切り拓いて導いてきた。救ってきた。そんな英雄伝説の担い手が……勇者カエンが、ここにいます」

 

 大手を広げよう。声高に謳おう。そして伝えよう、一人の英雄の勇姿を。かつて終わった場所でまた始まる、彼の一大活劇を。カエン英雄譚を。

 

「だから、願ってください。伝説の再臨を」

 

 流れゆく人並みの中で、ジェリオは足を止め呟いた。

「……俺たちはきっと、伝説を目撃している」獣の王を従え破滅の光に立ち向かったと云われる、ラフエル英雄譚終章の再現を、遥かなる蒼天に見て。

 

「祈って下さい。彼の、勝利を」

 

 

 

 ボーマンダが嘶いた。青紫色の光弾を口から連続して放つ。“りゅうのいかり”だった。

 

「リザードン!」

 

 カエンの呼びかけで、一吼え。

「つかまってろよーっ!」片腕にタツベイをぐっと抱き抱える。急上昇で、真っ直ぐ突き進んだ更なる天上。

 ブオン。直角描く急激な方向転換。

 空気の膜を掻っ裂く音が鳴って、前髪はばたばた暴れて視界で踊り狂う。精神と肉体が乖離してしまいそうなほどのスピードに目を見開いた。

 球体の全部が自分達を逃がしたのを確認し、右斜め下方向の三次元的迂回。

 

「“ほのおのパンチ”!」

「“ドラゴンダイブ”! 弾き飛ばせや!」

 

 頭と拳を撃ち合わせる。二つの技が、再びの肉迫を呼び出した。

「ウオオオオオオオオオオオ!!」「グオオオオオオオオオオオ!」二体の竜の咆哮が、間近で爆ぜる。

 

「起きろ、ボーマンダ! こどもがおまえの帰りを待ってる! 戻ってこい!」

「無駄無駄ァ! もうこいつは帰ってこねえ! 戻す手立てもありゃしねえ!」

『……ヴ、……ガ』

「……!」

「わかったら! とっとと諦めて倒れろってんだよォ!!」

「つっ!」

 

 今度は、威力を上げたボーマンダの突撃が勝った。相棒ごとぶっ飛んで、がくり揺れる姿勢を御すカエン。

 反芻する一瞬は、自分が負けたことよりも、もっと違うところに意識がいった。それはリザードンも同じだったようで、カエンと肩越しに視線を合わせる。

 思い出せるのは刹那にあった、タツベイを映したボーマンダの瞳。

 

「もしかして、まだ……」

 

 リザードンの小さな頷き。しかし、知ってか知らずかベルンはそれを遮るように“りゅうのいかり”をボーマンダに放たせた。だがそれはリザードンへは行かない。寧ろ、彼すらも見ていない明後日の方向で。

 ボーマンダの高度や距離感の認識の誤りかとも思ったが、それが違うと気付くのにそこまで時間は要さなかった。

 撃った方は真下、そこには何があったか?

 

「やめろーーーーっ!」

 

 ――レニアシティだ。

 まるでミニチュアのようになった町の風景に、赤色の点が次々と置かれた。続けて沸く黒煙は、上から眺めた町の様相を曇らせる。

 被害は一見小さく思えるが、決してそうではない。遠くに見るからミニスケールに映っているだけだ。何だって近寄らねば共感が薄れてしまう、人間ならではの悪癖。

 

「ホラホラ町があぶねえぞお、英雄サマよぉ? ちゃんと言った通りに救ってみせろよ??」

「おまえ、どこまでッ!」

 

 カエンはその下卑た笑みをきっと睨みつけた。だがそんな暇はないだろうと言わんばかりに、爆撃の要領で引き続き“りゅうのいかり”を落とすボーマンダ。

 それはまさしく破滅の光という名の災禍となって、レニアシティに降りかかった。まるで隕石のような勢いで飛来し、再び町の景観を壊す。

 

「“れいとうビーム”」

 

 よりも前に乱入する横槍が、その光球を消滅させる。奔った光線にこもる極めて強い冷気が、光球の熱エネルギーと衝突して、整えられた輪郭ごと殺したのだ。

 カエンとベルンが二人して地上を見下ろすと、すぐに作られた沈黙。発生した水蒸気が晴れた先に、エンペルトは立っていた。

 

「バラル団!」

 

 ワースは町中のベンチに腰掛け足組んで、宙空へと灰色の煙を吹き流しながら高台のエンペルトを見やる。

 それだけではない。他の団員も、あちこちの高所でポケモンと待機していて。住民の逃げ足を止めさせない、絶対的な備え。

 

「まさか……」

「間違えてくれんなよ。あのガキから借りたモンを返してるだけだ」

 

 驚くジェリオに、ワースが返した。

 そしてジェリオは知る。確かな悪の中に、されど通る一本の芯を。この男の流儀、或いは拘りを。

 何よりも会わない方が良かったし、こんなことは最悪に散りばめられた最善をかき集めた結果の、不幸中の幸いの上で成り立つだけの言葉ではあるが。

 

「……俺たちの前に現れたのが、あんたでよかったと思う」

 

 そう言わずには、いられなかった。

 一つだけ残してジェリオが走り去ると、ワースは雲が疎らな大空を仰ぐ。

 

「どこでも手に入る安物の量産品か、それとも一点物の特注品か――さて、お前さんはどっちだ?」

 

 そして彼が、最後に見るものは。

 

 

 

「ハッ、バラル団も落ちぶれたもんだな。まさか人助けとはね……滑稽でしょうがねえ」

「なんだっていい。おまえに逃げ場がないってことさえわかればな!」

「粋がるなよクソガキ。テメーはボーマンダを正気に戻して、かつ俺をとっ捕まえてぇんだろ? どっちがキツい条件背負ってるかわかってんのか、ああ?」

 

 どっちかでも落としゃ、ご破算だろうが! カエンはそんな怒号への返答が見当たらず、口を食い結ぶ。

 この男、先程から声も言葉も荒らげて喋り散らしてこそいるものの、話していることの筋道はちゃんと形を成していた。

 その通りだ――否定出来ないままに、肯定する。

 ボーマンダはある種のリミッター解除状態にされており、加減も容赦も忘れてこちらに攻撃をぶつけてくる。それを捌き続けるのは、いくらキセキシンカで性能が向上したリザードンとて容易なものではない。

 加えて彼女の単純な打倒を目的としないのであれば、加減を強いられるのはリザードンの方で。しかしいつまでも冗長な展開を繰り広げたところで、お互いに消耗の一途を辿るだけ。最終的に力尽きようものならば、それこそご破算となり何もかもが終わってしまう。

 極めつけはこいつも逃がしてはならないときた。切羽が詰まっている。優先順位も付けようがない。もはや苦行と呼ぶ他にあるまい。

 事を察したか、タツベイが目に涙を溜めて俯いた。

 

「大丈夫」

 

 それを静かに振り向かせるカエン。腕を回した先で届いた手を、きゅっと握る。

 

「絶対に助けてやる。約束したろ」

 

 望めた横顔は、未だ諦めがない。確かに厳しい現状ではあるが、彼は一瞬たりも降参を考えた覚えはないし、一度たりとも「できない」と唱えた試しはない。

 それは今までも変わらない今更な事実であり、彼の信条でもあって。

 暗中模索、試行錯誤、上等だ。先に光が見えぬなら、足掻いて勝ち取って掴み取るまでだ。

 俯かないし、余所見しない。何もしないまま上を眺めるだけなんてごめんだし、後ろ向きなど以ての外。

 どんな時も見果てぬ先を往く。いつだって背筋伸ばして前を向く。

 これこそがレニアシティジムリーダーの掲げる、唯一にして最大の信念。挑戦者へと受け継がれていく“心”。

 

「無事におうちへ帰ろう。かーちゃんと、一緒に」

 

 それを捨てぬ限りこの火焔、消えることなど有り得ない。

 

「なあ」

 

 カエンはタツベイを連れてリザードンの耳元で言葉をかける。小声で手短に、それでいて内容もシンプルなものだったから、遠くのベルンも気づかぬままに終了した。

 通ったかもわからぬ耳打ちではあったが、リザードンの間をためた頷きが、伝達の成功を示す。

「いっせーの、だからな」残るタツベイとも向き合い、頷くカエン。

 最後に見据えた方向。それは三者とも変わらない。

 少年には、今日倒すべき相手が映る。

 翼竜には、救わんとする相手が映る。

 竜の子には、自分の帰るべき場所が映る。

 吸気を沢山、飲み込んだ。少年は翼竜の首にしっかりとしがみつく。竜の子はそんな少年にしがみつく。そして翼竜は――。

 

「いっ、せー、のッ!!」

 

 一人と一匹もろとも、飛竜目掛けて直進した。

 

「馬鹿が! 万策尽きたかァ!」

 

 かえんほうしゃ、防ぐ。りゅうのいかり、弾く。出しうる最大の加速と最高の速度で、リザードンが突進していく。G負荷だって迎撃だってなんのその。両腕をクロスしてから猛烈なタックルをお見舞いする。

 だが飛竜はそんな真似をみすみすと許すはずもなく、遠距離の姿勢から近距離の姿勢に素早く切り替え、ドラゴンダイブで対応して見せた。直後にドン、と響く衝撃が双方の操者を大きく揺らす。

 

「ボーマンダは捨てたってことで、いいんだな?」

「勝手に、きめるな」

「なにッ!?」

「さあ、かーちゃんを――助けにいくぞ!!」

 

 言霊と言霊のぶつかる距離が、縮んだ。三度目の激突でカエンは勝負を仕掛ける。

 二体の密着状態を利用し、大胆にもタツベイと共にリザードンからボーマンダへと飛び移ったのだ。

 呆気に取られるベルンもお構いなしに、しゅた、と着地。

 

『グ……ア゛ア! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』

「う、おおぉ!!?」

 

 瞬間だ。ボーマンダは突然コントロールを失い、その場で絶叫しながら出鱈目な挙動をし始めた。次にリザードンはおもむろに彼女を解放し、監視するようにその周囲をぐるぐると迂回する。

 まるでバグの生じた機械であった。指示も理解できなければ、敵すら満足に視認出来ていない。ただひたすら不規則に、乱雑に、無軌道に飛び回るボーマンダ。

 何かを呼ぶように叫んで回るその姿は、誰かを探しているようにも感じられて。

 タツベイは乗り慣れたいつもの背中へ、呼びかける。

 

「く、くっそ! なんだコラァ!! 何をしたァ!!」

「何もしてない。ただ、こどもを探してるだけだ」

 

 親が子に一瞬見せた反応、戸惑い。

 そこに着眼点を置いた、タツベイという攻略の鍵の投入。カエンの耳打ちの正体は、それだった。

 

「バカ言えよ! ガスは十分に吸ってただろうが! 物の分別なんぞわかるはずが」

「わかるんだよ。親が子供を大事にするきもちに、ポケモンも人も関係ない」

「――この、クソ道具がッ!! 一生喚いてろォォォォォォォォ!!」

「っ!」

 

 たまらん、としがみついていたベルンであったが、ついに内心を占める怒りが理性を上回った。立ち上がり取り出したナイフを手に、カエンへと襲い掛かる。

 

「全部テメーだ! テメーのせいだ! わけのわかんねえ奇妙な力を使いやがって! 気持ちわりィ! このバケモノが! 殺す! くたばれ! 死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」

「くっ、こいつ、めちゃくちゃ……!」

 

 繰り返しの紙一重。完璧に頭に血が上っている、そんな様子。洗脳したポケモン以上に禍々しく充血した目が捉えるものは、カエンただ一人。ベルンは苛烈に揺れる足場の上でなお、少年を執拗に追い回す。

 袈裟、横一文字、縦一閃、突きと、次々に刃が備えるアクションというアクションを用い、閉所での無事を全否定した。

 巧みに回避を続けていたカエンだが、所詮はポケモン一匹の背中の上。簡単に追い詰められ、とうとう絶壁を背にする。

「クソガキ……最後の最後までウゼェなァ……!」ひょろ長い影が自分にかかった。万事休す。

 

「つゥーーーーーかまァァァァァァえ」

「がううーーーーーーーッ!!」

「だッ――――!!?」

 

 まだだ。タツベイが、確かにそう言った。助走をつけ飛び上がり、そうやって全身を使っての“ずつき”がベルンに、厳密にはベルンの背中にクリーンヒット。ごぱ、と大量の体液を吐き散らす。

「おまえー! やるじゃんか!」「がう!」

 悶える悪漢を尻目にハイタッチするが、立ち直りは存外早くて。破裂せんばかりの青筋を立てながら、彼らへと向き直った。

 

「……テメェら、まとめて――!!」

 

 ……が、ベルンの言葉は、それから続きが発されることは無かった。

 でも、誰一人として疑うことなどない。だって無理もないから。

 

『――ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 先程、少年を影で覆ったように。自分もまた、自分の何倍もある影に覆われてしまっては――声など出るわけないだろう。

 見上げたのは、遥かな天空。雄叫びを連れて一目散に突っ込んでくる、キセキリザードンの姿。

 引いた拳に正義の焔を燃やして。瞳に激情の火を灯して。真っ逆さまに飛んでくる。

 

「は、は、アアアアア!! アア! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 背に浴びる陽光が、後光に見えた。

 

「――ずっとだ。ずっと。ずっと、こうしたかった!!」

 

 怒りを込めろ。悲しみを込めろ。悔しさを込めろ。正しさを込めろ。魂の全部を、込めろ。

 カエンは改めて立ち上がる。右手に最高まで、それはもう血が滲むほどに握り込んだ拳を作って。

 リザードンが今一度吠え立てた。行けと言った。行っていいよと、そう言った。

 踏み出す足は一歩でいい。それだけあれば届くから。それさえあれば叶うから。

 

「ポケモンは道具なんかじゃない! おれたちの、最高のなかまだ!!」

 

 飛び上がった。肩を後ろへやった。歯を食い縛った。

 

「わかったら! 二度とッ!」

 

 懐へ飛び込む。迫った顔面へ、全力のスイングを。

 

 

「道具なんて!! いうなァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」

 

 

 ありったけを乗せた、火焔(ほのお)(パンチ)を。

 ズドォン。一人と一匹の一撃が、見事に炸裂する。爆発からなる轟音が全てをぶち壊し、生まれた爆炎が何もかもを包んで隠した。

 しかし、遠くからはその様子がよく確認できる。

 レニアの上で花火よろしく弾けた深紅の輝きが、皆の意識を一手に引いた。

 

「なんだ……!?」

 

 ジェリオが観測する。

 

「終わったか!」

 

 テソロが確信する。

 

「まだよ! ボーマンダが、助かってない!」

 

 エルメスが、気付く。

 カエンの拳がベルンへ至ると同時、リザードンはボーマンダに“ほのおのパンチ”をお見舞いした。それによって戦闘不能となったボーマンダは意識と飛行能力を失い落下、カエンも、彼がぶん殴ったベルンも、タツベイも一緒くたにして宙空へと放り投げたのだ。

 そして今も、落ちている。進行形で。

 

「う、お、わ、わあああああああああああああーーーーーーっ!」

 

 初めから想定していた事ではあるが、いざ実際に味わってみると、やっぱり心臓はびっくりするんだな。カエンは真っ逆さまに空を下りながら、思う。

 すぐそばのタツベイに正気を戻してもらうのは、ほんの数瞬後の事だ。

「だいじょうぶか! けがないか!」タツベイの無事を確認すると、視界が晴れる。天地が逆転した周囲を見回した。

 きりもみ状態で自分の少し下を落ちているボーマンダに、自分と手を繋ぐタツベイ。ベルンは――。

 

「……よし!」

 

 離れた位置で、リザードンが拾ってくれた。それを見て、カエンは相棒へ向け親指を立てる。

 それは行動を褒めたたえる「グッジョブ」という意味合いを込めているが、それだけではない。

『あとは任せろ』――カエンが残った大仕事を受け負う、そういうサインだ。全く同じ仕草を返し、離脱するリザードン。

 

「じゃあ、やるか!!」

 

 見送るやいなやカエンはタツベイを両手に抱え、姿勢を可能な限り直線状態にした。すると忽ち落下速度は上がり、景色の移り変わりもより急激なものとなって。

 何をするのだろう、どうするのだろう。目の当たりにする者達は思う。飛ぶ翼もなければ、衝撃をものともしない鋼の肉体もない。自分を死へと近付けるばかり。

 でも、構わない。高度を下げてもいい。猛スピードで落ちてもいい。堕ちていい。いっそ墜ちてくれ。

 そうやって、ボーマンダに追い付く。ああ、全ては企み通りだ。

 

『おかしくなったリングマは、“つながりの唄”で助けられたって、フレイヤおねーちゃんが言ってたよ』

 

 一度聞いてから、ずっと覚えていたトモシビの発言。かつて近所付き合いがあった、もう一人の英雄の助言。

 

「歌は苦手だけどな……仕上げだ!」

 

 一纏めに更なる重力をかけられる。落下し低下する。町が大きくなり始めた。少なくとも、自分達の同行を見守っている存在を認知できる程度には。

 けれども英雄は恐れない。

 

「どうか――、祈ってくれ」

 

 恐れないから。タツベイに優しくそう言い残し、ボーマンダに触れた。

 

 

 

 星のような、卵のような。虹で作られた玉が、ゆっくりと大地に身を下ろす。

 それは沢山の人に迎えられ、多くの声を貰ううちに、花びらを咲かせるようにして開いた。

 中から顔を出した“空のテルスの主”は、温かい祝福を受け容れる。背中に乗った我が子と、その友となった英雄と、一緒に。

 レニア西の外れ、ラフエルが最後に立っていたとされる環状列石『終わりの跡』で、音が鳴る。英雄譚続編の序章の終了を告げる音色だ。それは「歓声」という形になって、やがて町中に響き渡った。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

「――『以上が、“テルスの主暴走事件”の真相である。肥大化する一方の世界の悪意を前に、我々はどのような対応を取るべきか。今一度考える必要があるだろう』……うーん、もう!」

 

 パソコンの液晶から、悩ましく目を背ける朝の話。エルメスはラジエスシティのカフェにいた。先日の事件についての事柄を原稿にまとめているのだが、どうにも思い通りにいかない、といった様子で。溜息を吐く時の顏が、まさしくそういう顔をしている。

 

「出勤前から仕事か。精が出るな」

「そういうのは精が出るんじゃなく、意識が高いってんだよ」

「ほっといて頂戴」

 

 コーヒーを一口飲んでいると、ジェリオとテソロが彼女の肩に言葉を当てる。気に入らなかったので頬杖ついてぶすくれた。

「お、おこんなよ」失言だった、とテソロの訂正。

 

「っていうか、二人ともまだラジエスにいたのね。ポケモンが回復したって聞いたから、もう発ったのかと思っていたわ」

「これから発つんだよ。消耗した分の道具一式を揃えたし、図書館での調べものも終わったしな」

「同じくだ。尤も俺は、半分観光地巡りだったけれど」

「はあ、二人はマイペースに時間を使えて本当に羨ましいわ。こっちはPGの聴取に加え、この後ベルンの取り調べ内容についての取材でPG本部まで行かなきゃなのに。……いっそ私も冒険家になろうかしら」

「はは、今回ので懲りたろ。ああいうこともある」

「違いないわね」

 

 テルス山に巣食う癌からポケモンを救い出し、あまつさえその癌を成敗した、そんな英雄の鮮烈な雄飛から二日経った。

 ベルンは、あのまま駆け付けたPGに逮捕された。今頃は本部で勾留真っ最中だろう。

 そしてバラル団。本当に薬品『R』絡みの問題解決だけが目的だったようで、以降は何をするでもなく立ち去った。

 結果として山は無事平穏を取り戻し、怯えていたポケモン達も再び日向に出てくるようになった。狂わされてしまったポケモンらはまだ疎らながら残っているようで、カエンを始めとする英雄の民の面々は、暫く彼らを“つながりの唄”で取り戻す作業に注力するそうだ。

 ちなみに、救われたボーマンダ親子も現在彼らに協力して山中を飛び回っているというのは、ちょっとした余談。

 エルメス、ジェリオ、テソロもレニアで一晩世話になり、英雄の民たちとの交流を深めた後、カエンとの別れを済ませて下山した。

 そうやって皆が皆、これまで通りの日常に戻りつつある。

 

「しっかし、まるで狐につままれてたみてえだ」

 

 テソロが言った。主語は抜け落ちていても、同じ経験をした二人にならばちゃんと伝わる。

 激動だらけであった、奇妙な運命という語り種が。まるで別世界に飛ばされたかのような、摩訶不思議な一日の話が。

 

「実感は確かに薄い。ともすれば夢のようにも思えるけど、俺たちは見えるし、聞こえるし、食べ物はおいしく感じられるし、物に触れられる。何よりも」

 

 頬をつねると、痛い。ジェリオは言葉通りにおどけて、エルメスをくすりと笑わせる。

「だから、俺たちが過ごしたあの一日は紛れもない現実なんだろうな」そして帽子のつばをつまんで、東に構えるテルス山を仰ぎ、続けた。

 

「英雄というものの存在証明に立ち会えた。きっと、誇っていいことだ」

 

 今云うには、少しだけ大袈裟かもしれない。でも、いつかなら。遠くても近くても、彼のなりたい彼が待つ、いつかの未来(あす)ならば。

 様々な人に伝わる、英雄の奇跡。届いて及ぶ、勇者の鼓動。それは振り返れば感じた各々に色々な変化を与えたのだろうし、残したのだろうし、何かを突き動かしたりもしたのだろう。

 

「あー、みんな楽しそうだよなぁ。結構なこって」

「テソロは信じないの? 英雄のこと」

「……さあなあ」

 

 テソロは「ただ、まあ」と付け加え、静かに青空へ顔を向ける。

 

「もし、世界ってもんを変えていく奴がいるとするなら、そりゃあきっとああいう奴らなんだろうな――とは、思ったよ」

 

 言の葉が、ほろりと風に解けた。遥か上を過ぎていくキャモメが、それを攫ってく。

 そうやって歴史の目撃者たちの余韻は、遠く見知らぬ誰かの元へと運ばれていくのだろう。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

「原稿上がりました!」

「リザイナの方の取材許可は下りたの? 薬品Rについての情報まだまだ足りないよ!」

「ハモンズはどこ行った!」

「今出先です。先方が急遽予定が変わったという事で、飛び出していきましたよ」

「もう校閲何してんすか! 誤字だらけじゃないっすか~!」

 

 ラフエル中のニュースが集まる情報の最先端『ラジエス中央報道局』は、今日も忙しい。

 特にこの報道室は、朝昼晩と時間を選ばず人の出入りが絶えず起きていて、いるだけで息が詰まる。

 

「なーるほど、ねえ……」

「い、いかが、でしょうか」

 

 少なくともエルメスは、そう思っている。誰もが慌ただしく歩き回るオフィスの中、イスにふんぞり返って自分の原稿へ目通しする上司(チーフ)を、不安そうにじっと見ていた。

 いつも来るダメ出しだがいつ聞いても慣れないし、こうして裁きを待つ罪人のような時間だけは、息が詰まりそうになる。流れる冷や汗に気がいかなくなり、忙しなく鳴り響く電話の音すら耳に入ってこなくなって。

 一息ついて、はさ、と原稿を置く。おまけについてきた上目からは、相変わらずポジティブな意味が感じられない。

 

「あのさ、文面に記者の気持ちが入りすぎなんだよねえ。お客ってのはさ、誰の手元にもない、新鮮な、ありのままの情報を求めてるわけよ。こんな、誰かの噛み残しのガムみたいなのじゃなくてさ」

「か、噛み残しの、ガム……」

「体験はいいけど、別にそんなに入れ込めなんて誰も言ってなくてさ、そもそも――」

 

 肩ががくんと落ち込む。やっぱりダメ出しであった。それも、今回はとりわけ喧しいやつだ。小言タイプだろうか。

 あーでもないこーでもないと、毎度毎度アプローチの形が違う批判を受けるたんびに「そんな語彙力と頭の回転の速さがあるならば、この人がやればいいのに」なんて思う。思うだけだから、きっとばちは当たらないだろう。

 この原稿に自信があるでも、思い入れがあるでもないけれど。危なげを背負う、冒険的な取材の成果だったということは伝わっているだろう、とは考えていた。

 しかしそれも間違いだったようで、情けない甘えを俯き悔いる。

「まあ、妥協しておくから。行っていいよ」引いて叩いて薄く伸ばした話の、結論の部分を聞いた。

 胸に靄をかけたまま、渋々と身を翻す。頑張ったのになあ――そんな独白。

 

「あ、あとさ。あのライブ配信のリポーターごっこ」

「……今度は、なんでしょうか」

 

 背中に追加の言葉がぶつかるも、今の流れだけで酷く疲れた。故に、対応は肩越しだけで。

 別にいいだろ。どうせ頼んでもないおまけのこき下ろしが――。

 

「あれさ、けっこう良かったよ」

「――へ?」

 

 こき下ろし、が。

 

「緊迫感がすごく伝わってきて、ほんとに自分があの場所にいるみたいだった。僕が確認したのはアーカイブだったけれど、思わず見入っちゃったよ」

「?? え、あ、あの、え……っと」

「リポーター、もしかしたらイケるかもしれないねえ。転向の選択の用意についても、少し上に取り合ってみるよ」

「あ、――ありがとうございます!」

 

 その時、消えかけていた魂が、息を吹き返した。

 

 

『エルメスねーちゃんな、さっきさ。ちゃんとやりたいことやってたよな』

 

 名も忘れていた感情が、再燃する。

 

『どうだった? ……気分、よかったろ』

 

 熱い熱い火が、揺らめき始める。

 

『その気持ちだけで、ひとはみんなどこにでもいけて、何にでもなれる!』

 

 “なりたい”という炎で、道が照らされる。

 

『だから、忘れないでくれ。死ぬまでずっと覚えててくれ』

 

 その先で。希望という予感の向こう側で。

 

『約束だぜ』

 

 会いたい自分が、手招きしていた。

 

 

「ええ――――約束、よ」

 

 だから、会いに行こう。なりたい自分に。

 追いかける中で得た喜びも、悲しみも、きっと自分にとっての財産だから。

 少年との別れ際に絡めた小指。そこに残る熱は、この先も彼女の背中を押していく。

 窓に映るエルメスの笑みは、日輪にも負けないくらい明るいものだった。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 崖から見下ろす、ラフエルの土地。いつか誰もが驚く偉業を成し遂げ、自分の名を上書きしてやると誓った、そんな大地。

 きのみの最後の一口を、ぺろりと平らげた。

 

「あんちゃーん、いくよー」

「わかったー!」

 

 妹の呼び声に応え、隣で「待ちくたびれた」と急く翼竜に跨った。

 

「いくぞ、リザードン!」

 

 そして飛んでいく。やはり勇者は現在という時を、全身全霊を懸けて生きる。我が道を進んでく。

 テルス山は今日も、鮮明な火が灯っていた。




「――以上が、今回の報告だ」
『薬品『R』に、暗躍街か。少々改める必要がありそうだ』

 どこにあるのか、何のためにあるのかもわからない、小さな部屋の一室。そこで行われる通信は、よほど隠し立てしたいものと見える。ワースの絞り縮められた声が、その証拠だ。

「ノーマークだっただけに、なあ。俺らもPGやジムリーダーといった『表の手合い』だけが敵だなんぞと、言ってられねぇのかもしれねえな」
『だからこそ、レニアシティのジムリーダー『カエン』を始末しなかったのは、貴様の言い逃れ出来んミスだったと考えているが――そこはどのように見ている?』

 ばしゅっ、とライターの火が、空焚きされた。オイル切れでもないのに起こるそれは、なんだか面だけでは計り知れない使用者の腹の底を表しているようで。
 グライドの言葉に手早く返してやれるものといったら、今しがた背を預ける椅子の軋む音ぐらいのもの。

「悪ィな。どっかの誰かが俺一人を責任者にして働かせるもんで、ちっとばかし疲れが出ちまった。どうにも現場にゃ慣れてなくてねぇ……次からは気を付けるさ」
『……己の過ちを理解しているのならば、良い。引き続きあの御方のために力を尽くせ』

 少しの間を置いて発した返事でも納得したのか、グライドはそれより先を語らずに通信を切った。
 相変わらず薄気味悪ィな――ワースは言外に唱える。何を考えて引き下がったのか、わかりゃしない。尤も彼も自分の事は理解していないし、微塵もそんな意思はないのだろうと確信できるからこそ、やりやすい部分もある訳で。

「――今じゃねえんだよなあ、アレとやりあうのは」

 ライターが着火する。今度はきちんと発火した。

「認めてやるよ、テメェの価値を。俺たちが命の取引をするにふさわしい、お得意様だってこともな」

 真意をやにの煙に巻く必要は、もうないだろう。
 この男もまた、時の流れの先に楽しみを見出した。脳裏に過るは凡骨ではなく、真の勇者。そして、討ちたいと願えた獲物の姿。
 奴ならば、自分たちを脅かすかもしれない。本当に倒してしまうかもしれない。自分ですら呆然としてしまうほどの高値に、なってしまうかもしれない。
 そんなことを思いながら値付けを改めて、ワースは不敵な笑みを溢れさせた――。
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