ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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Episode Prison
01.夜が明けぬ街


 目下の光景を見つめる影が、三つほど。

 一つ、小さくも雪豹のような鋭さを湛えた、端正な顔つきの女性。

 二つ、白熊のような荘厳さを宿しながらも、背中に弱きを受け容れる雄大さも滲んでいる壮年の男。

 そして、三つ。氷細工さえ劣等感で自ずから砕けていってしまいそうな優美さを持つ、釣り目の女性。

 

「へぇ……まるで、秘密基地ね」

 

 言葉の出所も、その人物からで。

 PGネイヴュ支部長『カミーラ』はひどく感心した。あるはずのないものが、あるはずもない場所に存在していたのだから。

 彼女らの現在地であるラフエル本土、リザイナシティとモタナタウンの中継点『15番道路』は、海を越えてセシアタウンを抱える離れ小島『バークル島』を望める事以外、特筆すべき点はない。

 それは地図という絵であっても、教育という声であっても、言い伝えという字であっても、変わることがない事実だった。

 

「まさか、本当にこんな場所に存在していたなんて」

 

 ――そのはず、だった。

 カミーラの隣、部下『アルマ』が険しく呟く。

 

「だんだんと、きな臭い話になってきた。……いっそのこと悪戯やデマの類の方がずっとマシだったかもしれない」

 

 風が抜ける。壁が歪む。一歩先の目視すら許さないうすら寒さと暗闇の手招きに身を固めながら、嘆息を吐くユキナリ。

 

『15番道路のトンネルの真ん中、北側の壁面の一部に、僅かな空間の綻びがある』

 

 最初は、匿名という昨今のネットが掲げる便利な体系を利用した一般人の悪戯だと思っていた。ネイヴュの面々の誰しもがそうであったし、そのように信じて疑わなかった。

 しかし、検証として出向いた結果はどうだ。アルマのルカリオが『みきり』を発動するやいなや、トンネルの脇に一人が通れるほどの抜け穴が出現したではないか。吃驚を隠せない三者の心情を察するのも難くないだろう。

 

「ほら、何突っ立ってるの。行くわよ」

「待つんだカミーラ、少しは準備を」

「私がいて、あなたがいて、アルマがいる。現状で揃えられる最高の戦力なのだけれど、これ以上の備えは必要だったかしら?」

 

「何より、そのためにここに来たんでしょう?」ユキナリは口を結んだ。先へ歩むカミーラを止める言葉が思いつかなかったから。

 続けて顰む眉に気付いたのは、アルマだけ。尤も乗り気という意味では、彼女もまたカミーラ側なのだが。

 ――そもそもこのような悪ふざけと紙一重の眉唾話、試すだけならばこんな仰々しい面子が訪れる必要はない。さらに言えばネイヴュなどという北の果てから人が来る意味すらない。

 しかし、本部に任せていればいいだけの、こんな送り主不明の戯言(メール)に彼女らが付き合うのには、ちゃんとした理由がある。

 

「なんだかわくわくするわ。知らない場所っていうのは、いくつになっても心躍るものね」

「……君は、本当にどうかしてる」

 

 踏み入れた足を迎えたのは、土汚れの激しい緩やかな鉄製階段。錆びや腐食の進行度合いも無視できず、ともすれば怪我すらあり得るほどだ。段差が緩やかであることが唯一の優しさか。

 下りの一本道の脇に等間隔で配置された最低限の明かりのお蔭で、進む先を見誤ったりはしないものの、長さは大いにある。結果的に出口が見えないので、それもまた放たれる不穏さの一因なのかもしれない。

 路端のパイプが蛇のようにうねってる。増していくノイズが三人を急き立てる。きっと出口の向こうの有様を示してる。

 ぶつかる風が澱んだ。固くなった唾を飲み込むと、喉が苦し気に狭まった。

 瞠目しよう――見逃すまい。

 

「あらあら、まあ」

 

 これより差し当たるものは、未知の領域。

 陽の者が絶対に踏み入ってはならぬとされる、禁忌の地。ラフエルが落とした闇の根源。

 

「着くまではどんなドブ川かと思ってたけど――思ったよりも、雰囲気あるじゃない」

 

 そこへは、光が届かない。

 

「……冗談であってほしかったよ」

 

 そこでは、正義が罷り通らない。

 

「ここが……、」

 

 そこには、明日がない。

 

 

「“暗躍街”」

 

 

 表側で生きる権利を失った者達の、終着点――常夜の退廃都市、地底スラム『暗躍街』。

 泥と血とで濡れきった香りも、ほの明るさで怪しく落ち伸びる暗影も、数多の土と石により造られた町並みも。何一つ変わらない。全てはいつも通りだ。

 

『六月七日午後二時、暗躍街北区(ノースサイド)五番地の飲み屋にて、連中とバラル団の取り引きがある』

 

 捨てアドレスよりネイヴュ支部宛てに届いた一通のメールが、かくして三人の戦士を魔境へと駆り立てる。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 ぽっかりと開けられた広大な地下空間に、石や土という比較的入手が容易な資材を投入して造られた建物が立ち並ぶのが、暗躍街の風景だ。

 失業、貧困、犯罪等の理由で地上の居場所を追われた者らが集まる地であり、殺しや盗み、麻薬が横行する無法領域として、ラフエルの都市伝説として語られていた。

 又、同名で結成された反社会組織も擁しており、沢山の犯罪組織が名を連ねる裏社会の中でも、相当な過激派勢力ともっぱらの評判で。

 しかしあくまで都市伝説、真偽が不確かであれば話の出所も不明瞭、延いては実在さえ不透明だった。

 

「概ね、噂通りじゃないかしら」

「……くっ」

 

 が、それもこれまでの話。

 カミーラは道端で転がる小さな肉の塊を見下ろし、にへりと口角を上げる。忌々しげに下ろしたユキナリの目蓋の裏に焼き付くのは、かつて人間であった少女。暴行に次ぐ暴行で、顔面が判別不可能なほど紅に染まっている。他にも糸一本さえ纏わぬ躰は、あらゆる内容液をぶちまけ、まるで汚物のようであった。

 経緯を確認するまでもなくわかる、生命への冒涜――その限りを尽くされ、嗚咽と絶叫にまみれながら生まれた骸。そんな光景であっても、醜穢な装いに身を包んだ彼ら住人は、素知らぬ面してこの乾ききった砂利の道を往く。

 周りを見た。標よろしく唾液を垂れ流しながら、意味不明な言語をうわごとのように呟く者。衣服にこびりついた暴力の痕跡を隠すことなく歩む者。何かを追う者と、何かから逃げる者。断続的に悲鳴と銃声が上がる。朽ち果てたままの名も知らぬ男は、誰の目に留まることなく獣に葬られていった。

 皆が唱えるのだろう。「これが日常だ」と。

 信じるしかないのだろう。悪意が、表の世界では絶対に目にかかることのない混沌を以て、己の存在をこれでもかと証明するならば。

「寒かったでしょう。おやすみなさい」命の意味も知らぬまま逝った彼女へ、潜入用に薄く汚したジャケットをふわりと掛け、アルマは語り掛けた。

 

「ふふ、馬鹿ねえ。死人に寒いもへったくれもないでしょうに」

 

 遠ざかるカミーラの足音。たとえ、この冷たい捨て台詞が何一つ違わなくとも。

 

「……それでも、せめて眠った後ぐらいは、優しくされたっていいよね」

 

 休ませてあげようと、思った。ひたすらに空虚を映し続けていた瞳が、ようやっと閉ざされる。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 暗躍街は、一定間隔で太い岩柱が立っている。柱という表現が示す通り、それは地下特有の災害である崩落を最小限に抑えるために存在している。の、だが、

 

「北区の一番地……だね。ようやく目的エリアに入れた」

 

 もう一つの用途として、現在地の把握に使われることもある。

 ゴツゴツとした岩肌に住所が刻まれただけのシンプルな案内標識だが、この額面通りの未開の地、マップデータが存在しない此処では大いに役立つもので。

 

「安いよ、安いよ!」

 

 区間の出入口ということで、必然的に人通りが多くなるここは、人々が売り買いを行う市場となっている。

 混み具合はといえば、上々。景色だけを切り取ればラジエスの西エリアにも引けを取らないだろう。ただ、閉鎖的空間に人々が密集するので、どこか息苦しいのが難点だ。繁盛がこういった形で計れてしまうのも、些か皮肉か。

「一体どこの誰が始めたんだか」たとえ地獄でも生活の営みがある事実に関心を示しながら、カミーラは独白を噛み潰した。

 尤も店なんて大袈裟には云っても、地べたに敷かれたレジャーシートの上で品物を並べた人が座るだけ。日も差さず雨も降らないから、屋根も要らない。風も吹かないので壁だって出番がない。

 そんな簡素な取引場の上で、色々な人物が様々な物を売り捌く。どうやって入手したかもわからない新品の電化製品に、どこで拾ったかもわからない不思議な色の石、果ては何に使うかもわからないガラクタ等……本当に、雑多。

 

「なんてこった、クスリ(麻薬)ハッパ(大麻)の類まであるじゃないか」

「改造されたモンスターボールに、ヤミラミの体内宝玉、ミロカロスの鱗……無断取引を禁じられているポケモンの希少部位まで」

「ちょっと、違法ラッシュじゃない。本部にチクろうものなら、泣いて喜ぶんじゃないかしら」

 

 勿論、本当にそんなことはしないのだが。決して、知りながらに眼前での悪事をのうのうと見過ごすことに治安維持組織としての問題を感じていない訳ではない。しかし今の目的は“これ”ではない。このような上澄みを突き破った先にある、ひどくねばついた、どす黒いものを求める故に。

 そも、そも。ここで堂々と声を上げてしまうような清廉な正直者は、死に装束とも揶揄される白服なぞ着ていられるはずもないのだ。

 ネイヴュという矛が穿つ闇は、もっと深い場所へ。

 例えば、この街を支配する者。

 例えば、街のあの高い天井に吊るしてある、輝く巨石を此処に齎した――文明の開闢者。

 

「おい」

 

 アルマは空に目を奪われていた。日の輪を遮られながらも光ある、不思議な空に。

 だからこそ人の往来に対応できなかった。肩をいかにもな男に接触させてしまった。

 すう、と不穏がどこからともなく訪れる。カミーラは数歩過った先で足を止めたし、ユキナリは目を大きくした。

 

「いてえなあ、どこに目付けてんだ? あ?」

「最近食べれていなくて、目眩でふらついていた。申し訳ない」

 

 どの面から見てもタトゥーが主張するいかにもなスキンヘッドの男の、いかにもないちゃもん。しかしこういう時ばかりは、さすがのアルマでも嘘はつける。

 

「の割にはお嬢ちゃん、目の焦点はしっかり合ってるみたいだけどな?」

 

 しかし残念ながら相手の話をしっかり聞けるほどの人間性を持つのなら、肩が触れた程度でこうも威圧的になるはずもないわけで。

「待ってくれ、貧困を理由にここに流れ着いたもので、本当に」「まいいや」まるではなから聞く気などないぞと言わんばかりの言葉の上書きでユキナリの気転を無視し、男はアルマの肩に指輪だらけの不格好な手を回した。

 

「よく見りゃかわいい顔してんじゃねえか……、なあ、食えてねえンならオレが介抱してやってもいいぜ」

「…………」

 

 表情に動きこそなくとも、確かに不快感を覚えた。具体的には、指が二の腕の柔肉にわしりと食い込んできた時。こんな変装で偽った(マスク)を褒められたって嬉しくもない。

 面倒だ――アルマが最初に抱えた心情は、それであった。

 この手一つ振り払う事など、雑作もない。もっと言えば再起不能にするのも朝飯前のことではあるのだが、何よりも今は、目立ってはいけない。

 事を荒立てることが出来ず、どうしたものか、と思考を別方向にシフトした時のことであった。

 

「待って」

 

 細く華奢で、今にも解けて消えそうな声が、男を止めた。

 

「あ? なんだよ」

「この人たちは、うちのお客さんなの」

「だったらどうした? 随分度胸あるじゃねえか、ガキ」

 

 それは果たして、力で敵わぬ者と相対した時の怖じからくるものなのか、それとも元来のものであるのか。

 

「市場での取引の妨害はゴトーさんによってルールで禁止されてる。そのことを知らない?」

 

 最初こそわからなかったけれど、答えはすぐに出た。 

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

「へえ、君はああやってハンドメイドで生計を立てているんだね」

「うん。正直あんまり稼げないけど……いくら治外法権でも、やっぱり危ない真似はしないに越したことはないと思って」

「素敵な心掛けだと思う。感心するよ」

「ありがとう。さ、どうぞ」

 

 市場で手作り雑貨売りの店を広げていた、十代前半ほど……だろうか。の少女によって、いかにもな男はいかにもな舌打ちを捨て置いてどこぞへと消えていった。あまりに鮮やかすぎる鶴の一声であった。

 そして、その鶴はというと。

 

「ごめんね。こんなものしか出せないけど……」

 

 ああ、どうも。細腕から出されたコーヒーに、ちゃんと発声して礼をしたのは、ユキナリだけで。

 

「ほっほっほ、おかしなものは入っとりゃせんよ。砂糖も切れておるので、入れるべきものも入れられとらんでの」

「おじいちゃん、喋りすぎだよ……」

 

 少女の祖父の冗談に、追従笑いを一滴ほど。

 ときにジョウトの昔話には、鶴が人に恩を返す昔話があるそうだが――鶴が人に恩を授けてくれる話というのは、三者の誰もが初めてのことだろう。

 

「とんでもない。こんな右も左もわからない、ここに来て間もなくの僕らを助けて下さる方々を疑うなんて……ばちが当たっちゃいますよ」

 

 目の前の年季の入った木製テーブルを一瞥し、今度は室内をぐるりと一望。最低限の生活を成り立たせる家具だけが配置された、乾いてしまうほどに素朴なワンルームだった。

 きっと中古で入手したものなのだろう、フロアシートに刻まれた幾つもの小傷が、彼らを見上げている。

 ユキナリは妙な違和感を覚えた。それは確たるディテールを持ったものではないので、明らか且つ詳らかな表現が致せないのだが……、間違いなくあるのだ。胸の奥の取っ掛かりが。

 

「お兄さん」

「……ん。なんだい?」

「気のせいだったら申し訳ないのだけれど……私とどこかで会ったことはある?」

 

 目が点になる。まじまじと不思議そうに己を見つめる少女の突拍子もない問いは、もう少しばかり若ければ“口説き文句”なんて風に捉えられたかもしれないが、残念ながら歳の差が外見に残酷なほど表れすぎていて。

 だからこそ真面目に考えたし、過去を思い返したが、再生される昔の映像に彼女の顔はなかった。

 

「ううん、たぶん、人違いだと思うよ」

「そっか、そう、そうだよね。こんなところにいるわけ……」

 

 こうして被っている別人の顔面が、たまたま別の誰かと重なったのだろう。

 まあいいや、と話の内容が移り変わっていくうちに、彼自身も思考の詰まりを忘れてしまった。

 

「あなた達は、どうしてここに来たの?」

 

「答える前に、こちらからも質問ね」ここで漸くカミーラの挙手、開口。少女に鋭く視線を突き刺す。

 

「逆にあなた達はどうして私達を助けて、それだけにとどまらずこんなにもご丁寧におうちへ招いてくれたのかしら?」

「おい、もう少し言い方を」

「ちょっと黙ってなさい」

 

 それは至極真っ当にして、核心的な質問で。ユキナリも一蹴されつつ、その認識にずれはなかった。

 彼女らからすれば、罠にかかったと言い回しても何ら差し支えないこの暗躍街での状況だ――いかなる事柄も、どんな人物も、懐疑の対象たりえるのだ。

 直接的な恩人にもなるので、ほんの少しばかり内心の良心を痛めるアルマだったが、

 

「そうだよね。ここは、何もかも信じることが出来なくなっちゃった人が来る場所だから……仕方ないよね」

 

 返答は想像以上に早く、あっさりと提示される。

 

「本当は来たくなかった、でしょ?」

 

 小さくもぼろぼろの手が、優しくコーヒーカップを撫でた。こげ茶色の鏡に映り込んだ細面は、揺らいで、歪んだ。

 

「こんなところに来てまで、生きていたくない、って人もいる」

「……君は、望んでここに来たわけじゃないのか」

 

「……望む、望まないじゃないよ。受け入れるかどうかってだけ」それから、言葉が返ってくることはなかった。引き換えとして彼女の祖父が、孫の下がりっぱなしの肩に慰めの手を置いて、口を開く。

 

「ワシらはの、ネイヴュシティに住んでおった」

 

 ぴくり。そのワードを聞くやいなや、眉を持ち上げる一行。さりとてその反応に不自然はない。良しも悪しも何もかもあそこに結び付く彼らならば――否、彼らだからこそ。

 老人が皆まで言う必要はなかった。かの惨劇の贄が、このようなところにまで追いやられていると知るには十分すぎる発話だったから。

 だが疑問もある。素直にぶつけるはカミーラ。

 

「それについては、政府がラジエス・ぺガス・リザイナの三都市に被災者受け入れを要請したことで一旦の収まりはついたはずだけれど?」

「受け容れ『だけ』ならば、してもらえたのう。じゃが、人には生活というものがある。家がなくとも、肉親が消えても、財が失われようとも……変わらん。ワシらとて同じじゃった」

 

『これからの金と働き口がなかった』と、そう言った。

 

「し、しかし。政府からの給付や、支援は」

「居場所を追われたのはワシらだけではなかろうよ。二〇〇万にもなる人間の暮らしを、どうして一度に立て直すことが出来ようか」

 

『救いの手の数には限界があった』と、そう呟いた。

 

「果てにこの子は転入先の学校で、装いや食事が貧相だといじめを受ける始末。クラスで起こった盗難騒ぎで真っ先に犯人として疑われ、証拠もないまま『卑しい乞食』と罵られ続けた」

 

『生きているというだけで、石を投げられたことはあるか』と、そう嘆いた。

 

「世界っちゅうもんは、思うよりもずっと優しくなかった」

「そんなことは……」

「氷獄の街と云われ、外界どころかお天道様すら自由に拝めん狭っ苦しい世界でもな……ワシらには、生きる場所じゃった。それでも帰る場所じゃった」

 

 綴られるべくして綴られた悲劇の後日譚へは、返してやれなかった。誰も、何も。

 故郷ばかりか――なんでもない明日で、すら。

 ユキナリはそれ以上を言うことなく、静かに視線を外した。遠くへ逃げるように、痛みから離れるように、消えた道程を後退るように。そんな風に見えた。

 

「のう。――“表”は、今でも明るいか?」

 

 少なくとも、震える拳を唯一ずっと眺めていた、アルマからは。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

「あの家族の情報は、信用していいものなのでしょうか」

 

『私たちは、光の下にいた人たちに、光を失った場所での生き方を教えたいだけ。闇に飲まれちゃわないように――』

 

「あんな演技ができる小娘とジジイがいるとすれば、願い下げたいわよ」

 

 とは言いつつ、嘘であっても進むしかない――というのが、カミーラの本音。

 数十分という僅かばかりの問答の中で、先住民から手に入れた情報を整理する。勿論、どこでどのような者が聞き耳を立てているかわかったものではないので、脳内だけの処理になるが。

 

『――いつから暗躍街は存在していたか?』

 

 あの家族が雪解けの日を境に来たとすれば、ここ一年以内に定住したという事になるが――それよりもずっと前からある『らしい』というのが、彼女らの答えであった。

 具体的な数字はわからないが、天井に街の光源として存在している巨石、通称『虹の石』が数十年前にラジエス博物館より謎の失踪を遂げた展示物と全く同じ物とするならば、少なくともその時期から此処はあったことになる。

 従って、ラフエル最古の犯罪組織である可能性も浮上した。

 

『――組織として、どういった活動をしているのか?』

 

 表側、すなわち地上の世界から幸福を奪い取る活動を繰り返す。具体例として強盗、違法物品の頒布、ポケモン密猟、殺人代行など。

“我らを放逐した世界に報復を、富と幸を我らが手に”という理念の下で、まるで光を飲み込む影のように、ラフエル地方を水面下で蝕んでいく。

 

『――誰がここを支配、管理しているのか?』

 

 すぐさま“ゴトー”なる人物の名が挙がった。

 組織の頭であり、この常夜の街の王。街のあらゆる事柄への決定権を持ち、法を定め、治安を守り、実行部隊の隊長および指揮も務める、暗躍街の中枢と言っても何ら差支えはない存在であるという。

 表より強奪した光で街を豊かにし、結果的に人々の生活を支えているため、一部の者は狂信的な態度で彼を慕っているのだとか。

 ちなみに警官の端くれでありつつも、三人はいずれもその名を知らなかった。これだけの城を築く力がある大物の知名度が低いというのは通常考えられないため、恐らく表の世界での犯歴は存在していないのだろうと仮定した。

 隠し事が達者なだけか、或いは。

 

「……まー、いいわ。それよりも、これからどうしようかしらね」

 

 そこで思考を中断させるものの、足だけは止めない。以降の話について切り出すのは、カミーラ。

「どうしよう、というのは」意図を汲み取れないアルマの疑問に、すぐさま言葉が続いた。

 

「お相手さん、想定以上に大掛かりじゃない? 最初はほんの数人のチンピラみたいなテロ組織だと、思っていたのだけれど……なんだか今無理にお邪魔してもしようがない気がしてきたのよねえ」

「……情報だけ、持ち帰ると?」

「そ。なーんか風向きも悪いしね、いい予感しないわ」

「支部長、地下なので風は吹いていません」

 

 大真面目に揚げ足取りしつつも、アルマは上司の言い分に一理を感じていた。

 いくらネイヴュ最高戦力といっても、相手の本拠地となっては多勢に無勢が目に見えている。まして謎の人物のリークがそのまま事実とするならば、バラル団との衝突もまず避けられないだろう。

 とどのつまり、事を始める前から旗の色が悪いのだ。

 そもそも取引があるというだけで、規模もわからなければ場所の状況すらわかったものではない。諜報に徹して時間が許す限りの情報を集めるか、現場に強襲を仕掛け組織に損害を与えるか。どちらが賢明なのかは、日を見るよりも明らかであった。

 

「待て」

 

 満場一致、というわけではなかった。言葉通りに判断へ待ったをかけるユキナリの姿は、アルマにしても、カミーラにしても、意外なもので。

 歩みを止める。すん、と鼻から薄く息を抜くだけに留め、ユキナリへと振り向いた。カミーラの黙した口は、何よりも聞き耳の存在を誇示する。

 

「……聞くところ、ゴトーが主となって暗躍街を動かしていると見ていい」

 

 と、するならば。

 

「取り引きの現場にも現れるはずなので、そこを叩ける――なんて、馬鹿を並べるんじゃないでしょうね?」

「叩けるうちに、叩く方がいい。頭目だけで成り立つ典型的な組織ならば、尚更だ。壊滅だって狙えるかもしれない」

 

 短気はそんな男よりも先に回った。カミーラにとっては、よもや、程度の認識で吐いた当てずっぽうな結論だったが、悲しきことに一切否定はされなかった。

 最も驚いたのはアルマ。平素の冷静さからはまったく考えられない、強引な主張。理屈もなければ考慮も感じられないではないか。

「……あんたね」呆れ返るカミーラが吐くため息が、さらにユキナリの言を呼び込んだ。

 

「本部ではここをどうにかするのは無理だ。認知の有無は僕らの知るところじゃない……が、この現状が物語ってる」

「へえ、珍しい、アンタも傲りを抱くことがあるのねぇ。初めて知ったわ」

「傲慢じゃない。成し遂げられる者にしか成し遂げられないことがあると、当然のことを言ってる」

「それを傲慢と言ってるの」

「僕らならできる」

「誰が決めたの?」

「そうあるべくして力を得た僕らなら」

「思い上がりは人を弱くする」

「僕が弱いと言うのか」

「そう言ってるうちはね」

 

「真面目に聞いてくれ!」

 次の瞬間、尖る声が立ち尽くす少女の耳を劈いた。

 

「……次、ここに来るのはいつになるのかわからないんだ。今、ここにいる僕らがやるべきだ。僕らでないと。僕らがやらないと――」

 

 特務。短い呼びかけが取り乱す戦士を宥める。

 上下する肩は、僅かでもわかる。険の取り憑いた表情だって満足に隠せていない。

 一言で表すのならば、焦り――「柄にもない」とか「らしくない」なんて反応、ユキナリは欲していないように思えた。それほどまでに、その情動に支配されているように見えた。

 しかして訊ねる他にあるまい。

 

「どうしたんですか」

 

 と。

 ――でも、そんな必要はなかったと、考える。

 よくよく考えれば。自分にだって同じことがあった。

 ちゃんと思えれば。誰にだってあり得る事だった。

 背負ったものを縛り付けて、括りつけて。その身にどれだけ紐をきつく食い込ませようが、痛みを忘れて宿願へと進み続ける。

 

 

『“シャドーボール”』

 

 

 呪いとも言い換えられる、運命へと。

 突如飛来する紫色の炎弾が、三人を離散させた。

 

「なに……!?」

 

 着弾点、目下でゆらゆらと踊る紫炎を一瞥した後に天を仰ぐと、そこには“気球ポケモン”のフワライドが浮いていた。黒いスーツに身を包む男は、おまけのようにそのフワライドに掴まったまま、三人が飛びのく前にいた地点を指さしていた。恐らくこの男がトレーナーだろう。

 三者の認識は瞬時に合致する。あの世へと命を連れ去る際に降りてくる、いわば“死神”の異名をラフエルにて持つポケモンは、不穏を確信させるには十分すぎた。

 

「今のは、明確に私たちを狙っていた」

「指示から行動に移るまでが速い……、よく育成されてる」

「只者、って感じでもないし……どうやら、餌をばら撒いた奴で間違いなさそうね」

 

「いや――正確には、奴『ら』かしら」

 二人がカミーラと同じ方へ目を向けると、およそ一般人では出せない速度で同じ格好をした二名が真っ直ぐ走ってくる。目的なぞ、この殺気を前に推し測るのは愚行。

 

「くっ、やっぱり罠だった……」

「何者なんだ……!?」

「さあねえ。私たちに入り用の暗躍街の一人芝居か、はたまたバラル団の難癖か、それとも全く別の何かか」

 

 まあ、どうでもいいでしょう。

 

「!!?」

 

 カミーラの言葉を皮切りに、白煙が電撃的な速度で辺り一面に広がった。

 

「今後は当初の打ち合わせ通り、引き続き諜報活動に徹するものとする」

 

 足元に転げるスモーク弾の仕業であった。

 

「不用意な戦闘は避け、敵勢からの発見を防ぐという意図の元の判断である」

 

 忽ちもくり、もくりと三者を匿って、その所在を不明瞭なものへと変えていく。

 

「各員散開後、最小限の武力で状況を切り抜け、ヒトヨンマルマルにて目的ポイントで落ち合われたし」

 

 何も見えない中で、長の声だけが響き渡る。

 

「又、時間経過後も合流が行われなかった場合、即座に本エリアより離脱するべし」

 

 それはどれだけ展望が悪くとも、目的だけは明確に指し示す。

 

「せっかくのドラマティックな掛け合いを邪魔されて、どなた様も銘々に思うところはあるでしょうが……一回しか言わないから、よく聞きなさい」

 

 己が正義に狂った犬共の、道標を引く。

 

「世界の中心というものはいつだって私たちであるからして――必ず心臓が動いた状態で戻るわよ」

 

 作戦開始。カミーラの短い発話を合図に、彼女らは煙から飛び出し、一斉に散り散りになって駆け出した。

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