ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~ 作:裏腹
ポケモン育成。
人間がポケモンを育み、成長させることを言う。
一口に育成と表現してもその目的は様々で、或いは強さの頂点へ至るために。或いは上質な種を保存するために。或いは美を極めるために。或いは生活をより良くするために。或いは命を救うために。
そして、或いは――他者に明確な危害を加えるために。
ここでは多数派である強さへ至らんとする者、所謂トレーナーを基準として話を進めよう。
PGや犯罪者、つまるところ命のやり取りが介在する立場の人々によるポケモン育成は、純粋な競技としてポケモンを戦わせるトレーナーのそれとは、一八〇度変わってくる。
勝敗の決定が生死と等号で結びつく彼らの場合、武装した人間との戦闘、ポケモンを使役する者への攻撃、指示が通らない状況下での行動、エトセトラ……それらを想定、特化したトレーニングを要される。
かいつまむと最も効率的な、相手の機能停止の方法を突き詰めるところに本分があるのだ。
そうして重視される要素のことを、人は殺傷と呼ぶ。
『ルォォォォォォォッ!!』
『ジェアッ!』
今なお覇気と肉体をぶつけ合う“ルカリオ”と“ストライク”もまた、そういった育成が行われたポケモンたちで。だから人からの命令系統が無くてもここまで動けるし、傍らの主が差し迫る命のやり取りに全神経を注げるのだ。
物が飛ぶ。塵が飛ぶ。血が飛び声が飛ぶ。錆びだらけの内装がびりびりと震え上がる中で、命の喰い合いは続く。
アルマはナイフで、テンヨウは深紅の太刀で、それぞれ乾いた
小傷だらけの肉体からひたひたと落ちる魂の種が、荒廃した景色に赤色の花を咲かせる。
左右対称の袈裟斬りがぶつかった。暫しの競り合いは図らずも小休止となって、火花という薄明かりが弾けて両者を照らし出す。
「正直、驚いてるよ」
「何に」
「これだけ得物の長さに差があるのに、オレの太刀を的確に捌いてくる。でもって低い姿勢から、常に懐に入る機会を窺ってるように見える……まるで獲物に襲い掛かる直前の肉食動物みたいにね。中途半端に体系化された
「どうだか。ただ言えるのは、簡単に死んでやれなくて申し訳ない、ということだけ」
「とんでもない。いいんだよ、それで!」
「くぁっ!」アルマは不意に走った腹部の鈍い衝撃に、たまらず呻いた。己を蹴飛ばした足を望み「腕の筋繊維の持続に意識を割きすぎた」と、後悔する。
しかし後の祭り。そんな短い思考も許さないまま、体は勝手に後ろへ飛んで、姿勢を崩して横たわり、彼女にダウンという最悪の恰好を取らせてしまった。
「すぐに死ぬような奴なら、何も意味がない!」
「ッ!!」
しかしまだ終わらない。顔面を真上から割りに来た凶刃を、反射神経ひとつで受ける。すれすれで挟まれた刃がちりちりと殺気立つと同時、頭脳は脊髄から肉体の制御権を返却された。
両脚で刀を伴う腕を挟み込んで捻る腰。剛の力を柔術で回すと、男の視界は忽ちに天地が入れ替わる。
そうしてすかさず背中から起き上がるアルマが、今しがたされたことをそっくりそのまま仕返した。
「にひっ」
「口で……!?」
……が、形勢逆転の一撃は、通らない。
顔面に突き立てたナイフは、歯と顎の力でしっかりと受け止められていて。
次の瞬間には、瞬発力にも劣らない尋常ならざる腕力から、仕返しの仕返しをもらっていた。
頬を殴打された。口内の切れた音がした。勢いのままに倒れる。まずい、起き上がらないと。
「さあ、どうする?」
「――――!」
次に上体を起こした時、滑る刃は既に彼女の首に触れていた。
『ウオオオオオオオオオオオ!!』
雄叫びがその刹那を縫う。ルカリオが横から弾丸が如き速度を以て、ストライクを攫ったままの拳をテンヨウにお見舞いしたのだ。
「そうだよな、そうこなくっちゃなあ!」ふっ飛ばされ、ストライクごと小さな段差だらけの床をごろごろ転げるテンヨウ。
鉄の味を噛み締める。九死から手繰り寄せた一生を、無駄にはしない。
「ルカリオ、“はどうだん”!」
アルマは起き上がりと同時に指示を通す。そしてパートナーの蒼白のエネルギー弾の射出と共に、銃から鉄火をひり出した。
「“つばめがえし”!」
しかしその一声は全てを切り裂いて。寝そべったままで反撃の一手を繰り出すと、仕切り直しと言わんばかりに今一度ルカリオへと音速の翼を奔らせるストライク。
テンヨウもまたぎらぎらとした目をアルマに合わせた。発砲、三発。俯せのまま左手の踏ん張りだけで飛び上がり、鉛玉を薙ぎ払いながら、空いた地面と体の隙間に足を入れ立ち直る。
「オレは自分の命を輝かせたいのさ!」
「何を……!」
これ以上近づくな。次々と落ちる空薬莢が一線を引いて訴えた。
「三途の川が見えるほどに死と隣り合った瞬間、オレ達人間が持つ生への執着ってものは最大級に膨れ上がる!」
アルマは話も聞かず横に走る。穴ぼこの壁を挟んで並走する敵に銃撃を浴びせても、手応えはない。
「死にたくない、生きていたい! 心の底からそう感じた時! 思えた時! 生命ってのは最高に純度の高い光を放つようになるんだ!」
それは障害物に阻まれているのではなく、やはり刀が邪魔をしていて。
「だからオレは何にもなり得ない弱者に対する
「!?」
そこからさらなる邪魔があるなんて、想像だにしなかった。
頭上からただならぬ気配を感じて仰いでみれば、天井の鉄骨の切り取られたものが目鼻の先に迫っていた。
「く、うっ!!」
咄嗟に横跳び、転がって避ける。遠距離技“しんくうは”を用いたストライクの横槍だった。
至急向き直るも、再度上げた視界に赤鬼はいない。どこだ、どこにいる。見回しても見当たらない。
瞬時で頭を回す。相手は速くとも化物ではない。だから消えられるはずがない。壁の中に隠れているのか。メリットがない。そもそも何故姿をくらましたのか。不意を打つため。
ならばどこからか来るはずだ。どこだ。どの方向だ。
アルマはあらゆるパターンを組み立てる。正面から来ても、右から来ても、左から来ても、何なら背後から来ても、対応できるほどに感覚を研ぎ澄ました。
「オレに――――生きてる実感をくれ!!」
予想通りに、やがて現れる男。だが、アルマは反応が遅れてしまう。
何故か。
「上……ッ!!?」
彼の取った攻撃ルートが、前後左右のどこからでもなかったからだ。
寧ろ、リスクが高すぎて最もないであろうと踏み、一番初めに排除した可能性だったからだ。
鉄骨を飛び越えた果ての、上からのダイブだったからだ。
「ッ――――!!!!」
「君なら出来るだろう!? なあッ!!?」
時の流れがゆっくりに感じられてしまうほど、瞳の中で回される映像は重くなった。なのに、自分は思い通りに動けないというから、虚しい話。
塵煙が裂けていく、斜め上からの突きの構え。もう間に合わない。無事ではいられない。最低限のラインがより下がってしまった。それこそ命の危機だろう。
どうしよう、どうなるだろう。一回それらを全部放り捨てて、アルマは一度呼吸した。
「……誰かを踏みにじることでしか、生きられないのなら!」
そして、歯を食い縛った。
「そんな命――死んでしまえ!!」
なるべく身を捩って、準備は完了。神など信じたことはないが、目一杯の神頼みを込め――人を騙る怪物へ銃口を向ける。
そして、ありったけの残弾を。
音は五回鳴った。
その情報の獲得を最後に、アルマは言葉を紡げなくなった。
しかしそれは、絶命によるものではない。どんどん体内から喉を通って上がってくる、血液のせいで。
左胸、心臓の真横の刺突――生きていると言っても、虫の息であった。がふがふ、と咳き込むと、喀血が頬を伝って、今しがた伸びた床に垂れる。
どうしようもなく息苦しいのは、自分に覆いかぶさるこの男のせいだろう。そうと思いたい。
とりあえず上の死体をどかそうと、苦痛に顔を歪めながら、最後の力を振り絞った。
「……あぶねえー、死ぬかと思った」
「……は……?」
それより前に身軽になった理由を、今は、出来れば考えたくない。
テンヨウはこれまでの死闘が嘘だったかのようによっこらせ、と肉に刺さる刀を杖にして立ち上がり、にっこり笑って少女の虚ろな顔を見下ろした。
「なんで生きてるんだ、って顔してるね」
代弁は正しかった。五発全部当たって、ちゃんと赤い血だって確認できた。それなのに、どうして。
彼女の胸から色濃くなった得物を引き抜くと、それでおもむろに自分の胸を小突く。
「君、
「でも残念、こっちも当たらなかったんだ」皆を言うまでもなく、アルマは察した。
本当は固定すら苦しかった、そんな腕の損傷のせいで、狙いがぶれたのだ。
それでも内臓のどこかしらには、入っているはずなのに――。
あんまりな生命力だと、思う。でも彼にとって。何度も何度も、鍛練を重ねた戦士と魂を奪い合ってきた、彼にとっては。脳と心臓以外の傷など、取るに足らない虫刺されのようなものなのかもしれない。
主の危機を見過ごせなかったのだろう。ルカリオはストライクとの戦いを疎かにしたばかりに、つばめがえしの餌食となり、倒れてしまう。
「ありがとう。君のお蔭でオレの命はまた一つ、上の方にいったよ」
下で広がっていく赤い鏡に反射する鬼が、言った。もはや微かな呼吸と薄目を開けるしか出来ないアルマへ、太刀を振りかざす。
まだ死ねない。そんなことをいくらはっきり独白しても、指先ひとつ満足に動かせない。無力感が自分を苛んだ。少女は、本当の意味で少女になってしまった。
悔しい。悔しいのに。何一つとして成し遂げられそうにない。このような感覚は久々だ。
『お前の正義は、お前のものでしかない』
居場所を失ったばかりで途方に暮れていた、あの時以来か。
『誰も果たしてはくれないし、肩代わりもしてくれない』
『だから、お前がやるんだ。お前の力で』
どうしてだろう。こんな時に思い出してしまうなんて。
『
なんで今、急に“あの人”の懐かしさを――感じてしまうのだろう。
世界の渡り方に、闇での生き延び方に、力の在り方と、ちょっとのナイフの使い方。色んなことを教えてくれた。
それでも最後まで唯一、名前だけは教えてくれなかった“あの人”。
月が綺麗な夜、湖畔で『好きな野生のポケモンを一匹捕まえてこい』と言ったきり、
遷ろう世界の中で、泣いてあなたを呼ぶ事すら許してくれなかった。だから前へ進んだ今でも、忘れることが出来ない。だから真っ暗な記憶の海に溺れて、びしょ濡れでずっと探してる。
知りたい。願わくは、この意識が途切れてしまう前に。貴方は今、どこで何をしていますか。
「――――お、父、さん」
その時だ。赤黒の刃は少女の譫言ではなく、主の背後の空を斬った。
いや――斬らされた、という方が正しいか。一瞬を疾風のように駆け抜けた、尋常ならざる殺気に。
「……投げナイフ、二本」
テンヨウが手応えの内訳を確認すると、休む間もなく追撃の二本。さすがに動かされ、アルマから離れて切り払う。
折に鳴るキン、という乾いた音色が、攻撃の主を連れてきた。
正体の看破を拒むように短い黒マントを纏った男は、少女の前に静かに降り立つ。
薄れゆく意識の中、その背にいるはずもない“あの人”を重ねたところで、アルマは完全に目を閉じた。
「へえーえ、まさかのおかわりか。願ったり叶ったりだ」
腰のホルダーから両手に握ったナイフをぐるぐる回す様を見て、すっかりスイッチが入るテンヨウ。
フードは相も変わらず揺らめいて正体の露見を避けているが、関係ない。
「今日は、最ッ高の日だよ、なぁ!」
切り捨てれば全部一緒だ。そう言わんばかりに俊足で間合いを詰め、豪雨が如き勢いで斬撃のラッシュを叩き込む。
戦士殺しによる守りを顧みぬ怒涛の猛攻は黒マントに受けを強いて、ひたすらに後退させた。
「取ったッ!!」重心をかけた切り上げの一発がその姿勢を崩し、その短刀を弾き飛ばす。
後は簡単だ。こうして、首を斬り落としてしまえば。
「意外と呆気なかっ――――!」
赤鬼の不穏な喜色を取り消す、面妖な景色が一つ。
最初に脳みそに飛び込んだのは、黒い影と、濁った音。
「なんだ……?」
――鴉だった。胴から別れた首が、首を探す胴が、突如として数多の不吉の象徴たる黒鳥に変容し、ガアガアと叫びながら思い思いの方角に散っていく。
一体どんな手品だろう。遊び心に胸躍らせ小首を傾げた、その時だ。
「え?」
当然のように背後に現れた男に、テンヨウは四肢の一本を付け根から断たれた。
メリッ。二本の短刀に鋏の要領で骨もろとも切り離されると、かつて右腕のあった箇所から鮮やかな赤が噴出する。痛いだとか、苦しいだとか、そういったものとは違う、自分を生物たらしめんとする熱が逃げていくような不思議な感触を覚えた。
呆然に使った一瞬を取り戻し、すぐさま武器を握ったままの右腕を拾い上げ、距離を取る。
振り向いた先には布切れの向こう側、白髪交じりの黒髪をした壮年の男がいた。彼もまた、瞳に鋭い獣を宿していて。すぐ上に髭を蓄えた口を結び、血に濡れたダガーを構え直す。
ふてぶてしくも頭上で鳴く“ドンカラス”を一瞥して、テンヨウは悟った。
「……幻術、か」
悪や霊の記号を備えし者が使える精神干渉の技“ナイトヘッド”による、幻覚――テンヨウが初めに刎ねたのは、それだった。
ストライクもまだ戦える。得物を左に持ち換えて続行するのもやぶさかでなかったが、足元に描かれる気味悪さだけは一丁前な紅の絵画を眺めながら、
「“しんくうは”だ」
視認を妨害しろ、と指示した。地面に激突した風の刃は淡黄色の煙を発生させ、あっという間に赤鬼とその従者の姿を隠し立てる。
次に視界が晴れた時、彼らはもうそこにいなかった。
男は気配の消失を確認すると、年齢不相応に鍛えられた肉体を、拾った黒い衣で再び覆った。勿論、ダガーを腰のホルダーに戻すのも忘れていない。ポケモンを引っ込めることだって。
続けて気を喪失している少女を数秒見つめた後、両腕で横向きに抱え上げた。
『――よろしいのですか、クロウ1。あなたは
声が聞こえる。己の輪郭を暗黒の霧でぼやけさせた“誰でもない誰か”が、影からぬうっと頭を出す。
『それに、“これ”は目標の仲間であったはずです。到底、見過ごせる状況ではありませんね』
簡素な赤い光球二つを眼として光らせ、くぐもったノイズ入りの声はそう繋ぎ、静かに男の行動を咎めた。
「……俺達はただ、氷獄の女帝を始末しろとしか言われていない。その過程で何をしようが、自由だろう」
『………………』
肩越しに言う男はそれを意にも介さず、作られた間で廃工場の出口へと歩みを進める。
『一つ、訊ねましょう。今のあなたは“鴉”ですか? それとも“ガルシア”ですか?』
「……任務中に名を呼ぶな」
『私としたことが、失礼。軽率さには、
そのままノンストップで去っていく背中を見送って、
『ふふ……さて、隊長はどうしているでしょうか』
“誰でもない誰か”も、闇に溶けて消えた。
『一人で済めば、いいのですが』
ちょっとの憂い事を、残して。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
乾燥してぱさついた空間の中を、雷がじぐざぐ描いて走り抜ける。それを打ち消すのは、水色の冷気を孕んだ線状のエネルギー。
ぶつかる二つの攻撃が残す煌びやかな細氷をかき分け、クルスとカミーラはナイフを重ね合わせた。
双方の一切譲らない強気な斬撃が、派手な大立ち回りを演出する。あの手もこの足も使われ、一撃必殺の攻勢と紙一重の守勢が目まぐるしく切り替わっていくのは立派な拮抗の証左であり、両者とも達人の域にいる裏付けでもあって。
「やけに慎重じゃない? 白兵戦だけじゃ私を思い通りに出来ないってわかってんでしょ?」
「意中の女性には及び腰になってしまうタイプでね。そんな繊細なところも、なかなかいいだろう?」
「繊細な男は、問答無用で拳銃ぶっ放してくる部下を差し向けるような真似なんて、しないわ、よっ!」
カミーラが横、クルスが縦。二人の刃が綺麗な十字を描いていた時だ。カミーラは一気に仕掛けた。
ぐわん、と逆手持ちのまま腕を振り抜くと同時、一瞬の競り合いの隙間に踏み込んで全体重をかけたタックルをお見舞いする。
「む」いくら内心を読めなくても、想定外の攻撃には驚く他ない。女だてらと侮るなかれ、突き立てた肘にはしっかりとみぞおちへの手応えを感じている。
しりもちついて眼下となった黒色十字へ、間髪容れず制裁の銃火を吹いた。
「“かげぬい”」
「!」
直後、“何か”が弾丸とすれ違う。ほぼ同じ速度で。
「……ふうん、こういうズルい真似するわけ」
首を横に寝せる反射行動の瞬間、その正体の視認は完了。黒紫の矢だ。どうやら彼女の頭をぶち抜くつもりだったらしい。
掠められた頬より流れた血を人差し指で掬い取り、ぺろりと一舐め。
「追いかけていると見せかけ、実は追いかけさせている――そういう恋もまた、あっていいだろう?」
「男のそれ、けっこう悪趣味よ」
ゆっくりと起き上がったクルスの影から、ずぞぞぞ、と禍々しい音を立てながら浮き出て、常闇の狩人と呼ばれるポケモン“ジュナイパー”の乱入は完了する。先出しした手の中には、しっかりと銃弾が握られていて。
狩りの成功率を高めるため、手段としての闇討ちに特化した性質を持つこのポケモンは、生憎なことに対人にお誂え向きだ。
カミーラは内心で腑に落とすとチルタリスを雪空に呼び出し、そのままジュナイパーに当てがった。
「“バンギラス”」
「“ツンベアー”」
味気ない号令の木霊と、上に投げるモンスターボール。手のひらサイズだった頃の勢いのままに上昇したバンギラスは、大口を開けてチルタリスに襲い掛かった。
『グルォ゛ォォ!!』させまいとツンベアーが割り込む。盾にした腕は盛大に“かみくだく”の餌食となったが、そこは歴戦の勇士か、めきめきと食い込む牙すら一緒にして、バンギラスを地面へと連れ込み叩き付ける。
二つの巨体は落下後、何事も無かったかのように取っ組み合いを始め、夜が明けぬ街を存分に揺らした。ついでに起こる塵煙は巻き上がって天へと上り、錫色を侵食し、やがて空を完全に支配してしまう。
たちどころに衣替えした暗躍街は、くすんだ茶色を抱えていた。光悦茶……とでも云うべきなのだろうか。
白雪が止んで、砂塵が舞う。一気に視界が悪くなった。
「なかなか厄介なの持ってるじゃない」
現象の正体は、バンギラスの特性『すなおこし』が引き起こした、砂塵嵐への天候変化だ。
ただでさえ強固な岩タイプの防御力を格段に向上させ、あまつさえ吹き荒ぶ砂粒で岩と鋼と地面以外のポケモンを削るようにじわじわ傷付けていくというのだから、質が悪い。
ましてや『ゆきふらし』で天気を“あられ”に固定し、フィールドから掌握して有利を作っていく戦法を取るカミーラにとっては、最悪なものであった。
しかし、血相を変えることはない。対策の対策など、とうの昔に準備してあるから。
「行きなさい、あなたの出番よ“ラグラージ”」
カミーラの手中から飛び出てきたのは、あまりに意外な存在で。氷タイプでもなければ、こう言ってはなんだが持ち主のように見てくれが良い訳でもない、ひれとえらの主張が激しい青色の沼魚ポケモン『ラグラージ』。
「“あまごい”よ」彼は多くを語らず、早速仕事を始める。数メートル先すら視認が怪しい中で仰いだ空に向け、祈るように重く、強く嘶いた。
すると続けば言葉通りに生命を殺すであろう風景、殺風景が役目を終える。それを短い命たらしめんとしたのは、他でもない、彼の新たな天候変化のお蔭だ。
錫を塗り潰した光悦茶をさらに塗り潰す
カミーラは恙なく奪還が成功した雨雲佇む空模様を一瞥、次いでクルスへしたり顔を向け、キュウコンを取り下げた。従ってマルマインが続けて戦うのは、この地面の記号を携えたポケモンということになる。電気タイプを相手取る戦場の引き継ぎに、これほどの適役はいるまい。
次々にカードが切られ、総力戦は展開していく。
「一杯、食わされたな」
「もう一杯、おかわりしていきなさい」
ポケモンたちのように――人間同士の争いも、再度勃発する。
お互いがお互いに真っ直ぐに向かっていき、切り結ぶ。
雫を踏んづけた。すれ違った。振り向いた。カミーラが速かった。即座にひゅんっとグリップを回して逆手から順手への持ち換えを行い、がら空きの背中へ無遠慮に刃を押し通す。
クルスは脇を開いて、その腕を抜いた。
「捕まえた」
そして腕とわき腹の圧力で強く捕縛し、振り向きざまに逆手の銀を突き立てた。
「っえぇい!!」足を踏ん張り、体を回すカミーラ。皮膚に冷ややかな痛みを感じたところで遠心力は作用し、強引な振りほどきに成功した。
だが、まだ終わらない。攻勢を崩すつもりなど毛頭ないようで、大振りな動作の隙を衝き肉迫、至近距離の読み合いを強いる。
コンマレベルの時の切れ間で、カミーラは腕を縦に振り上げた。
「私の勝ちだ」
「がはっ」
――が、それが良くなかった。
先にどちゅり、と臓器が破裂する生々しい音が鳴ると、胸はついに短刀に犯され、大量の血を撒き散らす。
腕をさらに押し付け、殺意をより深みへと至らせた。瞳が縮み上がり、反して拡充する強膜。
死に際でも、まばたきはするのか――なんて、彼女の細面を凝望しながら人体の仕組みに関心を示して。
「なに」
次の瞬間である。目を開いたカミーラは、にやりと口角を釣り上げた。
そして組み付き、動きを封じる。突然の奇行に吃驚を禁じ得ないクルスだったが、背後を肩越しに見てしまえば、それも消え失せよう。
「……いつの間に」
「“れいとうビーム”」
遮りの言葉は、そのまま彼を殺す。背中から冷気に喰われ、ビキビキと凍り付いていく随に思い出した。
直前の、あまりに無意味が過ぎる、彼女の大ぶりな腕の動作を。
そうか。あれはこの“バイバニラ”が入ったモンスターボールを、背後に向かって投げるための――。
思考を途切れさせる。必要なくなったからだ。
白に完全に蝕まれる頃、その黒は静かに歪んだ。まるで映像が乱れるように輪郭が崩れたかと思えば、クルスという男はそこにはいなくて。
「――ん」
スパン。雨天に飛んで宙を返る頭が最後に見たのは、まやかしのスペシャリスト“ゾロアーク”。
カミーラが捨て身で氷漬けにしたクルスは、彼が特性『イリュージョン』で化けた幻影だった。
待っていたぞと潜んでいたカクレオンは、ようやっとその保護色を解く。決定的な隙に乗じたここぞとばかりの“かげうち”で、女帝の首を鋭く刎ね飛ばした。
『……キッ』
が、甘い。自らをそう責める鳴き声。血が出ないから。手応えが浅いから。足元の人形を忌々しげに見やって、口惜しさ満点の表情を作る仕事人。
「ふむ……“みがわり”、か」
バイバニラのもう一つの手を知ったクルスの前に、本物のカミーラは無傷のまま堂々と現れる。
「馬鹿馬鹿しい化かし合い」これだけ趣向を凝らした殺し合いも、そんな風に唾棄できる程度には余裕があるというのだから、恐ろしい。
「小賢しいわねえ、さっさとくたばってくれないかしら。体のどっかしらに、一回ぽちっと押せば脳みそが爆発四散でもしてくれるようなスイッチとかないわけ?」
「慎重な男のアプローチは、外堀から埋めていくように行うものさ」
だが。繋ぎ目から先をいった言葉に、
「もう、細々とやる必要はなさそうだ」
明らかな強い意図を込めるクルス。
仕上げに入るぞ、と。準備はできたぞ、と。カミーラはそう取った。
それを確たるものとして信ずる根拠があるからこそ、余計に……だ。
ただ、馬鹿みたいに武器を振り回していたわけじゃない。それぞれの戦局だって、先方の手の操り方だって、ちゃんと覚えていた。
大前提から組み立てるに、これはポケモンバトルじゃないので、ポケモン同士の戦いというのはまず重要ではない。
それでもこれだけ風呂敷を広げて総力戦を挑むのは、この生きた殺人兵器をより早くに相手へと届かせたいから。そして同時に、相手のその行動を妨げたいから。
故に、何かしらのポケモンは鍵になっているはずなのだ。この中で、絶好の機を確実にモノにしうる
カミーラは続々と開示されていく手札を眺めつつ、ずっと探していた。そしてつい先程、見つけた。
「往け、マルマイン」
それは先程から、攻撃が控えめだった。
それは先刻より、守りを優先していた。
それは直近にて、位置を獲得している。
鈍足のラグラージを放置した電磁浮遊で飛び掛かる先は、言わずもがな。
彼女の読みが正しければ。
彼の思考パターンが彼女と共通しているのならば。
「“だいばくはつ”だ」
その存在は、一手で全てを片づけにくる。
目前に詰め寄ってきた球体から、エネルギーが煌々と輝いて溢れ出た。
それは雪よりも白く、砂の小傷も構わずに、雨を蒸発させるほどの熱波を湛えて、広がり、この場のありとあらゆるものを包み込む。でもそれは、抱擁などという優しいものではない。
膨大なエネルギーの放出、および発散。空間が捻じ曲がるほどの風と熱と光と音とが、『爆発』という最もシンプルにして原初的な破壊行為を引き起こした。
「リセット」元凶、曰く。常闇の狩人と癒しの翼竜による大捕り物も、雪原の覇者と砂塵の怪獣によるレスリングも、七色の暗殺者と生きた氷細工によるマジックショーも。何もかも無かったことにするかのように、白光の波は総てを消し飛ばしていく。
「――キュウコン!」
それに抗いし者が、一匹。
彼女が満を持して今一度出てくると、落ちゆく雨粒も、伸びた水溜まりも、一瞬にして凍り付いた。それは出力を最初から全開にしている証で、同時にこの采配があらかじめ考え抜かれたものであることも教えてくれている。
カミーラの切り札は、キュウコンだった。
悟られないため適度に戦わせ、相性有利を作る意図を装って交代させ、この瞬間のために、ずっと温存していた。
もし彼女のキュウコンに、最低最悪なこの力の奔流を受け止められる手があるとするなら。
「“オーロラベール”!!」
――“これ”しかないだろう。
その力は、女神の名に由来する。
極地の夜空でそれに照らされた人々が、地上に夜明けを告げる彼女の奇跡を想起し、希望を込めてそう呼び始めた……とか。
尻尾を揺らした。手で空を切った。暗躍街の上空に、極彩色のカーテンがかかった。そこから作られ伸びる無数の光の帯は、全てカミーラとキュウコンの元に集結する。
それはひとりでに次々と編み込まれ、彼女たちと破滅の光との間に幾層にも及ぶ壁を作り出した。
名を『オーロラベール』。氷雪が絡む気象状態でのみ発動が可能な、絶対防御の障壁。
広範囲展開し別の対象を同時に守ることが可能であり、又、効果種別は物理、特殊を問わない。
まさに鉄壁であった。圧倒的な矛には、圧倒的な盾を以て無力化する。それがカミーラの予てよりの作戦だったのだ。
そしてその策は、見事に成功を収めることとなる。
「結び付けええええええええッ!!」
力と力の衝突による強烈なフラッシュが、視える世界をぐらつかせても。ベールの繊維の筋目から漏れる風でばさばさと煽られる髪の毛が、やがて次の景色を隠したとしても。
この一歩踏み込んだ足は、決して引かず――。
ほどなくして轟音が止んだ。
塵煙もそう騒ぐことなく落ち着き、模様替えした現場はその全容を見せる。
場にいたポケモンは皆例外なく瀕死で横たわっていて、敵も味方もあったものではない。惨憺たる状況だ。
彼らを取り巻く風景もまた同様で、抉れてささくれ立った地面に、倒壊した家屋の残骸が散乱していた。
「まるで別世界ね」無傷なオーロラベールの内部から見回すカミーラが、独り言を吐いた。
それを拾ってくれる人物を、寂しくなったわね、と冗談交じりに探す。
「(五匹のポケモンを損失してる。生きていたところで、何も出来るとは思えないし……仮に最後の一匹を取っておいたところで、
何より、私にはまだ
「敵の死を確認するまで、未だ壁を解除しないその周到さ。いいね。見事と言っておこう」
そこで独白は途切れた。バンギラスとツンベアーの巨体を縦にして凌いだクルスが、姿を現したからだ。
「だが強すぎる力を持つのなら、油断はまた別の形で招かれるものだ」
「何よ、まだ生きてたの? 今度は何しようってのかし」
彼は独白だけじゃなく、発話さえ許してくれなかった。
キュウコンが振り向きざまに吠えた刹那と、自分の背中に走る衝撃の一瞬が、重なり合う。
思わなかったのだ。堅牢な要塞の中にいたものだから。
考えなかったのだ。先方の手は出尽くしたものだから。
「“クロバット”」
「――――」
知れなかったのだ――この防壁を無効化できる特性『すりぬけ』を持つポケモンが、彼の本当の切り札だったなんて。
「“どくどくのキバ”だ」
ぷじゅっ。肩の柔肉に喰い付いた牙は、その先端から死の液汁を流し込んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
どこに逃げればいい。どう逃げればいい。閉ざされた空は何も教えてくれない。
偽りの太陽は死に急いだ果てに待ち受ける結末を哀れと嗤って、見下した。それでもマンムーは、主を乗せてこの味気も先もない道を走り続ける。
遠い後ろから追手の声を聞く。振り向く最中で過った視界の中に、それはいた。
「――ッ!」
「くたばっちまいな!」
ぼろぼろと崩れかけた外壁が無人の事実を示す、褪せた廃屋の二階。そのベランダから覗く狙撃銃を、ユキナリは見逃さなかった。
尤も、対応できるかは別の話。
「ぐッ、つあ!!」
答えを急げば、『しきれなかった』。
咄嗟に抜いたハンドガンによるカウンターで、相手の頭に穴を作ることこそ成功したが、代償として凶弾に右足をくれてしまった。
苦悶に歪んだ表情に汗が滴る。
「みィーーーつゥーーけたァーーー!!」
「……!!」
悪の饗宴は、まだ終わらない。
眼前の地面を突き破って出てきたボスゴドラに跨りながら、ゴトーは心底楽し気に言った。
「“もろはのずつき”だこの野郎ォ!!」襲い来る巨躯の姿は、まるでトレーラー。反動も厭わない突進が、マンムーを一撃で打ち崩す。三メートルはあろう図体のポケモンを軽々ぶっ飛ばすというのだから、そのパワーは想像を絶するもので。
乗り物が横転すれば、搭乗者も倒れるのは必定だろう。額を打った。また血が流れた。痛みにやられ俯せて、土煙に噎せながらも、ひっくり返って動かなくなったマンムーを戻す。
「ハハハハハハハハ!!」
「ッ“ユキノオー”!!」
猛攻はかくして、彼を延々と咎め続けるのだろう。
転がり落ちたモンスターボールを、伸ばした掌が叩いた。するとユキノオーはユキナリを守らんと背を向けたまま立ち上がり、どしんどしんと迫ってくるボスゴドラに立ち向かう。
掴み合い、咆哮が重なったのを合図に、ユキナリは再び立ち上がる。そして一人になって、また道なき道を駆けていく。
「おいおいボロボロじゃねえかよォ、これ以上どこに行こうってんだァ? なァオイ」
引きずる足が逃げ込んだ先はすぐ近く、人の気配どころか畜生の気配すらも怪しい、『第一研究所』なる廃墟であった。
「ったく。困ったもんだなあ、おまわりさんも」先程と同様、下僕に目の前の戦いを預けて、ゴトーも朽ちかけの看板の向こうへと足を踏み入れる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……なによ、これ」
「あまり無理に喋らなくていい。可哀想に」
言外に「アンタがやったんでしょうに」と唱え、痺れてもつれる舌は「答えなさい」と発した。
体が別人のようだった。何よりも息が苦しい。全身から力が抜け、ずっと片膝が地面に貼り付いて動いてくれそうもない。見上げるために首を伸ばすことにさえ必死になる。何が起きたかと訊ねるのも、無理はないだろう。
「なに、神経毒のようなものだ」
「ずっと、これを、狙、って……たわけ、ね」
「君が私を知っているのかは知らないが、私は君をよく知っている。痛いほどにね」
「マルマインさえ、わざと、ちらつかせていた、って……えらく馬鹿な作戦じゃ、ない」
「そうでもしないと、君をこんな風に出来なかった」
マルマインの大爆発さえ、誤魔化しのために使い捨てたカードだと言っている。
クルスが本当に彼女へ差し向けたかったのは、今、隣でげたげたと歯を剥き出しにして笑う『蝙蝠ポケモン』の“クロバット”。
なるべく多くのポケモンを出させ、頃合いを見て“だいばくはつ”でまとめて処理し、不安要素を潰しきったところでオーロラベールを無事に発動してもらい、侵されまいと思い上がった僅かな隙を『リフレクター』や『ひかりのかべ』といった防壁をすり抜けられる特性を備えた彼で、狩り取る。
人を殺すのに強いポケモンも、特別な技も必要ない。少しの頭脳と、準備さえあれば。
そして嵌められたカミーラは、まざまざと思い知ることになる。
暗殺者クルスという男を。対人戦闘に特化した、“黒色十字”の本領を。
「どうして君は、こんな場所に立ってしまったのだろうね」
主の隣で睥睨を続けるキュウコンもお構いなしに、クルスは彼女に投げかけた。
「君は自分で、自分の価値を知っている。大きな何かを変えられる、優れた者の資質をわかっている」
「意味、わかんないこと、ぬかし、てんじゃ……な、わよ」
「自分が、自分だけが力あるのだと。それを事実としており、又、そうだと信じて疑わない。仲間すら自分の理想へと至るための願望器とし、そうしてその果てにある祝福を掴み取る。それが許される。いわば選ばれし者だ。君はそうだったんだ」
カミーラが静かになっていくのに比例し、クルスが饒舌になる。
「それなのに。どうして己を地獄へ導く道を自ら望んでしまったのか……、僕には理解が出来ない」
急に様変わるものだから、傍目から見れば薄気味悪さすら感じられて。
「いいや、本当は理解する力があっても、そうしたくないだけのかもしれない。僕は君が好きだからね」
しかし当人は至って真面目な上、表情の中に戦いの最中では出さなかった真剣さすらちらつかせてくる。
彼が何を思い、何を考え、何を目的としてこの邂逅に立ち会ったのか。それはきっと彼のみぞ。
「なればこそ。僕は僕として、君は別の何かとして――異なる可能性の中で、出会いたかったよ」
尤も、彼女は知りたくなんてないだろうが。現状を加味して表現するなら、知ろうとする余裕がない、というのが正しいのかもしれない。
霞む中でも、わかった。男の背中が遠ざかる。
置いていくなど許されない。決着はまだだろう。まだ負けてない。
「待て」――――声にならない声が虚しく響く。カミーラの体内の毒は、もはや言葉を発せなくなるレベルで回っていた。キュウコンに背中を討たせようにも、口が麻痺して指示が出来ない。ひいひいと乾いたぶつ切りの呼吸だけが喉を鳴らす。
見るしか出来ない。眺めるしか、睨むしか。
「じゃあね」
その内。胸が焼けるように熱くなって、彼女の視界は鮮やかな赤に染まった。
反射的に口を押さえた手の指の隙間から、とぷとぷと流れ落ちる血が自分のものだと理解できた時。
カミーラの肉体は、毒に細胞を破壊される。
鼻からなのか、口からなのかも判別できない程の勢いで、大量の鮮血が噴き出る。搾り出されるように、引き抜かれるように。どれだけ願えど止まらない。
ひとしきり流れたそれは、やがて雪景色に大輪のゼラニウムを咲かせた。
「さようなら、カミーラ」
どしゃ、と倒れる人の音を聞く。クルスは寒空の下に供えられた弔花だけを瞥見し、その場から立ち去った。