ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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fin.背負い物

「……騒がしいな」

「アル、マ……」

 

 氷結という名の極刑を告げる監獄は、いともたやすく破壊された。

 決して、万に一つも打ち破られないと思っていたわけではない。物事に完璧は存在しないから。

 それでも、よりにもよってその相手が仲間であったというのは、ユキナリの想像が及ばなかったところだ。

 

「おまわりさんの残りカスかァ。そんなボロ雑巾みてーなナリで、今更どうしようって」

「“ガブリアス”」

「おっ、……と! っへ、こいつァわかりやすくていいや!」

 

 悪漢と悪魔の視線をすげなく跳ね除け、アルマは問答無用に彼らへ地竜を差し向けた。口より体で伝えるのは、彼女が最も得意な表現の仕方。

 お前たちに話す事はない、と言外に意思表示している。

『グァオオオオオオオオオ!!』ガブリアスが束の間の沈黙を取り消すように叫ぶと、三つ巴が再開する。

 助けにきてくれたのに。援護しにきてくれたのに。それなのに。

 ユキナリは乱戦の中を潜っておもむろに歩み寄ってきた彼女に、なんと声をかければ良いかわからなかった。

 

「い、生きてたのか。よかった」

 

 だから当たり障りのないことを喋った。

 ばれているのは、知っている。彼女の物言いたげな相好を見ていれば、わかる。突き刺さる視線から逃れられそうもない状況証拠。

 それでもあわよくば誤魔化せれば、なんて思って、目交いで苦々しいぎこちない口八丁を披露してみたり。

 

「……それよりも、この状況をなんとかしないとな。僕が時間を稼ぐから、カミーラを連れてなるべく」

「どうして、ですか」

 

 もういい。向き合う彼女の眼が、短く言った。

 耳当たりがいい、優しい嘘つきの言い分なんて聞き飽きた。

 閉ざした瞳を撫でる、温かいほら吹きの晴朗な笑顔なんて見飽きた。

 もう、道化ごっこは終わらせよう。

 

「どうして、そうやって勝手に抱え込むんですか」

 

 絞まる喉から必死に搾って出した言霊を、とっくに見透かした胸の(うろ)に押し込んだ。

 

「どうして、一人で全部を持っていこうとするんですか」

 

 それはどこか煩わしさがあって、説教くさかったけれど。

 

「どうして――――遠くへ行こうとするんですか」

 

 置いていかれることをよく知っている彼女の言うことならば。きっと仕方がないのだろうと、思う。

 影に咲く光の花畑に、ぽろぽろと心緒の粒を溢し落とす。ユキナリが仰いだ先で見下ろす少女は、静かに泣いていた。声を詰まらせたまま立ち尽くしていた。

 男はいよいよばつが悪くなって、目線を逸らす。

 

「……僕の代わりは、いくらでもいる」

「いません。誰だって誰かの代わりになんか、なれるはずがない」

「アルマ、わかってくれ。僕一人の力では、もう」

「あなたは、一人じゃない!」

 

 どん、と押された感覚は確認こそ遅れたが、けして気のせいではない。掴まれ激しく皺寄る胸ぐらが、丁寧にも教えてくれている。

 初めて見る、顔だった。そしてこれからも二度と見ることはないであろうと思う、顔だった。音量も構わず、目の前で腹の底をありったけ吐き出す彼女は、

 

「私たちは別々のものを見てきたし、歩んできた道も違う――だけど、それでも!」

 

 そういう顔をしていた。

 

「こうして同じ未来を望んで、そのために集まって、一緒に進んできたはずでしょう!?」

 

 そんな顔して『あなたには仲間がいるでしょう』なんて叫ぶものだから。

 彼も驚いてしまって、決心が揺らいでしまって。

 まるで別人みたいだった。だって、そうだろう。

 

「……私たちが作る世界なんです。私たちがいないと、意味がないんです」

 

 彼が知る彼女は、仏頂面で馴染んでいる副支部長ですら、鉄仮面と揶揄してしまうほどに表情が固いのだから。

 こんなに面と向かって情意を露にするはずがない。

 

「勝手にあがりを決め込まないで下さい。一人で逃げないで下さい」」

 

 彼が知る彼女は、手先も人当たりも不器用で、年下である部下でさえ生き方が下手くそだと茶化してしまうほどなのだから。

 ここまで淀みなく饒舌に言葉を紡げるはずがない。

 

「どこにも、行かないで下さい」

 

「一人ぼっちはもう、たくさんだ」――心細く滲むネオンだけを頼りにし、深い水槽をゆらゆらと泳ぐ金魚のように、呟いた。

 彼が知る彼女は。知りすぎた彼女は。気が付けば、目の前の少女との齟齬を訴えていた。

 一緒に食べ過ぎた時間が、吐き出されていく。そうして繊維になって絡み合って、追いつけない程のメモリーが織り込まれていく。

 春の音も、夏の匂いも、秋の手触りもあったものじゃない、いつもいつでも散々な、冬の痛みばかりだったけれど――彼は確かに、彼女たちといたのだ。同じ地を志した“仲間”がいたのだ。

 そうだ。陳腐な自己欺瞞なんかで、上書きできるわけがないじゃないか。

 

「御託をォ、ぬかしてんじゃねェェェェ!!」

 

 その時、ダイノーズの最大火力技“ラスターカノン”が、放出される。組み合っていたグソクムシャから盾にされる形で受けたガブリアスは、指示者不在というハンデも手伝って急所に直撃、瀕死となって端に転がされた。

 それを合図に面持ちを引き締め、状況へと向き直る。アルマは地を舐めるガブリアスを下げ、次に送り出したロズレイドに“エナジーボール”を命じた。無論、この混沌への参戦表明を意味する。

 

「……奴ら二人を退け、そのまま離脱します。特務も――」

「今でも、夢に見る」

「! ……」

 

 彼女が自分の輪郭を捉えなくなったからだろうか。本音を吐露したからだろうか。だから話そうと、思ったのだろうか。

 わからないが、一呼吸。ユキナリは遮りのほつれから流れる言の葉を、その背中へとぶつけた。

 

「“あの日”のことを」

 

 今でも彼のネイヴュでは、幾体もの土塊の巨人が地均しをしている。

 命も、その営みの記憶も、何もかもを踏み潰して、消し去っている。

 撒き散らされる破滅の光は白雪を解かし、落ちた涙ごと蒸発させる。

 

「その都度、考えるんだ。どうすればよかったんだろう、って」

 

 あの時、自分が“奴”を打倒していたら。ゴルーグが落ちてくることはなかった。

 ちゃんと、捕え直すことが出来ていれば。あそこから人が消えることはなかった。

 無限数のたらればが脳みそに絡みついて、彼を釘付けて、そこに縛り付ける。

 

「許されたいなんて、思ってないよ。当然やり直せるとも思ってない」

 

 さよならすら言えないままに親と別れた少年が、二つの納体袋の前で空虚を見つめ立ち尽くしている。

 明日には希望を抱いて飛び立つはずだった青年が、形の無くなった家族の傍らで泣いて叫んでる。

 未だに響いているのだ。行き場を失くした者の、行き場のない悲嘆が。

 助けてほしかった。救ってほしかった。守ってほしかった。どうして。なぜ。なんのために。沢山の絶望を浴びせられ、その中で溺れて沈んだ。前が見えなくなった。

 

「でもね。僕の残された力と時間で、彼らに返せる最も大きなものは何か――そんなものを探していたりは、する」

 

 憎まれるのが怖いのではない。恨まれるのが嫌なのではない。救われたいなんてとんでもない。

「情けないヤツさ」自嘲が交じって、背筋が萎びて、項垂れた。

 

「けれども僕はもう、こうすることでしか全部を清算出来そうにない」

 

 ユキナリは、断じて死に場所を求めていたわけではない。ただ彼らに捧げたこの命の、その終わりにすら意味を与えられる瞬間を、場面を、ずっと待ち望んでいた。

 

「――僕はね。僕が礎となった世界さえ残れば、それでいいんだ」

 

 そこに僕は要らない、と、言った。

 平和を過ごすには抱え過ぎた。背負い過ぎた。

 

「何も知らない人が、何も知らないまま、何も知ろうとせずに生きる。なんとなく来る明日を嫌がって、昨日楽しかったことを思い出し、今日を空っぽに過ごすんだ。さぞ無意味で、無駄なことだろう」

 

 だから消える。それが正しいから。あるべき姿だから。

 

「でも、それでいいんだ。沢山の人のそれが成り立つのなら、きっとそこは平和な世界に違いないから」

 

 そして、どうせ失くなるならば。ありったけの希望を置いて行こう。

 

「そのために、僕は僕という存在を対価としたい」

 

 これこそが、あの日の“それから”を見て誓い立てた、ユキナリの決意だった。

 出会ってそれなりの時間を経ているが、初めて剥き出しの本心を前にしたものだから、多少の当惑はあったのだろう。しかしアルマはそう間を取らず、口を返す。

 彼女にだってまだ、伝えなくてはならないことがある故。

 

「……あなたに、救われた人がいます」

「……何?」

「その人は、あなたに『生きろ』と命じられました」

 

 ユキナリは黙りこくった。それは話を聞く態度というよりかは、突飛な事を言い出した相手に対する、戸惑いのようなもので。

 だが気にするものかと、肩越しに続けた。

 

「その人は健気にそれを守り、未だに生き続けています」

「おい……、何を」

「居場所を追われ、社会にも見放され、こんな地獄に堕とされ、命があることに喜びを抱けなくなっても……まだ、一生懸命に守り続けています」

 

 これは、願い事である。

 

「あなたに『ありがとう』と伝えたくて。もう一度、あなたが番を務める門を潜って、故郷に戻りたくて」

「……!」

 

 皆と違う歩幅で。合わない呼吸で。遅いかもしれないし、遠いかもしれない。

 それでも確かに前を向いて、手探りしながらでも明日へと進み続ける、たった一人の少女の願い事である。

 

「それでもまだ、あなたは行ってしまうつもりですか」

 

 僕はその名を、知らなかった。

 

『君、大丈夫か!』

『……もう、いいの』

 

 必死なあまりに、訊ねることすら忘れていた。

 

『疲れたんだ。お父さんもお母さんも、潰された。生きていても、いいことなんてない』

『そんなことはない! お父さんもお母さんも、幸せになってほしくて君を生んだんだ! ここで力尽きちゃいけない!』

 

 ただ、ひたすらに残った命を掬い集めるばかりで、顔も見ていなかった。

 

『全力で走るから、しっかり掴まってろよ……落ちたら最後だ。振り返る時間で、木っ端微塵だろうからね』

『……どうして……、なんで、そんなにしてまで……』

 

 あの日、空が落ちていく中で、立つことすら諦めた少女がいた。

 

『終わらないトンネルはない。やまない雨もないし、乾かない涙だって存在しない』

 

 足が動かないと言ったから、その縮こまって震える小さな体躯を背負って走った。

 

『今は辛くても、いつか……いつか必ず、笑える日が来る。僕が約束する』

 

 聞いていたかどうかなんて、わからなかったけれど。

 

『だから、生きろ。精一杯に生きてくれ。生きて、生き延びてくれ』

 

 確かに僕はあの子に、生きろと言った。

 

「――――僕、は――」

「あなたがあの日に残したのは、悲しみだけじゃない。希望もしっかり残してる。明日の種を、ちゃんと蒔いている。芽吹いている」

 

 暗闇に包まれるばかりに欠け落ちていた記憶が復元される頃、ユキナリがあの子(・・・)へ抱いていた違和感は、完全に拭い去られた。

 伝えられたそれは悲しみに比べてみれば、うんと小さいものなのだろう。世界を救うなんて滅相もない、取るに足らなくて、何の力もないささやかなものなのだろう。

 

「だから、どうか見届けて下さい。その行く末を」

 

 でも、彼を閉じ込めていた氷を解かすには、十分なもので。

 

「どうか、生きてください――ユキナリ特務」

 

 ああ――――そう、か。

 僕はもう、救っていたのか。

 この手を、届けられていたのか。

 誰かの未来を、ちゃんと作れていたのか。

 

 

 

 凍ったままだった時間が、再び動き出す。温かくて柔らかい傷だらけの手のひらは、“あの日”に囚われだった一人の男の背中を押した。

 その時のことだ。

『虹』が、彼の元に降り注いだのは。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

「大変じゃ! 虹が、虹が出とる!」

 

 最初に聞こえたのは、祖父が発するそんな嘘みたいな仰天の声だった。

 少女は急かされるまま外へ出ると、西の方に光の柱が立っていて。それはちゃんと七つの色を携え、ぬくもりを抱き締めたまま雪上がりの暗い空に伸びて、偽りの日輪にすら負けない輝きを解き放つ。

 何が確信させるかはわからない。でも、頭が明らかに理解している。

 これは誰かを救ってくれるものだと。守ってくれるものだと。道を照らしてくれるものだと。

 

「……お姉さん……!」

「こ、これ! どこ行くんじゃ! おい!」

 

 何がそうさせたのかはわからない。でも、体は勝手に動いていた。

 何も変わらないだろう。少女は今まで通り、真っ直ぐ前見て走っていく。ただ己を呼ぶ、虹の方へ――。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 不可視なままに広がる不可思議な力は、波紋を通して常夜の街の人々の注目を独り占めする。

『隊長、空を!』潜伏する部下からの通信で、発見に至った。

 撤退の道を歩む最中のクルスもまた、その光で足が止まって。

 

「これは……」

 

 その(いとま)に、肩の肉もろとも穴を開ける閃きが一つ。

 

「ぬっ……!」

 

 反応にタイムラグを残しながらも、クルスは敵襲だと気付いた。そうなっても不思議ではない場所にいることに加え、つい先程まで嗅いでいた硝煙の匂いがしたから。

 背後からの一撃だった。誰の弾丸だろう。そんなことを考えながら振り返る途中で、黒色十字の独白は綺麗さっぱり霧散した。

 漂っているつい先程までの香りは、硝煙のものだけではなかったのだ。湿る暖かさの中に甘く鋭い毒々しさを溶いた、まるでジギタリスのような――。

 

「――ボンジュール、地獄の底から戻ってきたわよ。あなたの熱さが忘れられなくて」

 

 完全に相対して、絶句した。目の前に殺した女が立っている。鋭い上目で。

 座から引きずり下ろした氷獄の女帝が笑っている。喪失した分の赤を、艶めかしく舌で還元しながら。

 

「何故だ。致死量の四〇倍は仕込んだはずだ」

「“コールドスリープ”って、知ってる?」

「……! まさか、自分の肉体を一度凍結させ、それもろとも毒素を殺したとでも言うのか!?」

「アハハッ! そうよ、そういう顔が見たかったのよ!」

 

「ピンポーン♪」カミーラは散々拝みたがっていたクルスの表情の揺らぎを確認すると、上機嫌に立てた人差し指で自分の胸をさした。

 

「毒っていうのは細菌やウイルスのように、超高温ないし極低温の環境ではその性質を維持できないでしょう?」

「……有り得ない、滅茶苦茶だ。解凍した時に息を吹き返す保証など、ないのに」

「『私は私の価値を知っている』」

「!」

「アンタが言ったんじゃない。私なら、生き返られる。この私が認めたこの子なら、蘇生させられる……仰る通りだったわ」

 

 隣の主の喜色とは対照的に、戦慄する男を冷ややかに見据えているキュウコン。その相好に興味や注意のようなものは一切感じられず、まるで処理前の死体を眺めているようだった。

 主が主なら、ポケモンもポケモンだ。一歩間違えばトレーナーを殺しかねない判断を、二つ返事で行ったというのだから、正気の沙汰でないとすら思う。

 結んだ唇の向こうで歯噛みした。ミスの原因は色々ある。キュウコンを放置したこと。外傷を与えなかったこと。

 しかし、何よりも。

 

「さて、ピロートークと洒落込みましょうか。一流の男はアフターケアもしっかりしているものだけれどー……アンタはどうかしら?」

 

 カミーラという女を、侮ったこと。

 

「私に最後まで付き合う姿勢は、褒めたげる」

 

 人智が至り得るものの先にある、その思考を。常識を忘念の彼方に追放した、飛躍的過ぎる発想を。

 可能性として、含めなかったこと。

 

「でも『この先』は――どうなっても、知らないわよ」

 

 これに尽きる。

 金の爪型の装飾と、編み目模様が入った真っ青なモンスターボールのようなもの(・・・・・)を取り出した。すると反射光越しの眼光が、忽ちターゲットマーカーに豹変する。

 これから起こる事を知らない彼と、それを体験する彼が迎える結末を知らない彼女による、秘密の会合を始めよう。そう言わんばかりに球体は、世界すら知り得ぬ禁忌を吐き出した。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 その場の誰もが、直視も叶わぬ煌めきに目を覆った。

 

「なんだ、これは……!!?」

 

 ユキナリは、突如として虹色の眩さを一手に受けるサンドパンを目下に、吃驚する。

 いや、それだけではない。自分の心臓が奥底から燃えるように熱い。魂の在処を示すような、そしてそれが何かと繋がるような感覚が、先程から彼をずっと、ずっと突き動かしている。

 己の肉体を先程から食い潰していた痛みが、どこぞへと消えた。血液の出口が塞がっていくのがわかる。視界を塞ぐ手をどける頃、相棒は七色の衣に包まれた。

 

「キセキ……、シンカ……!」

 

 傍らでその優しき波動を受けながら、呟く。

 アルマは“これ”をよく知っている。ばかりか一度経験している。

『守りたい』と猛烈に願った果てに生まれた、祈りの欠片。闇を照らし、影を払い、生きとし生ける者全てを導く虹の道。ヒトが残した、“奇跡”という望みの結晶。

 彼の声がする。ユキナリの下ろした目蓋の裏側に、相棒の感情が流れ込んできた。

 負けて悔しいのは、彼も一緒だった。救えなくて悲しいのは、彼も同じだった。無力な自分を呪ったのは――彼だって、そうだった。

 だから強さが欲しかった。たとえ自分が融け落ちて灰になってしまったとしても、託せるものを探してた。

 

「そうか――――お前も、だったんだな」

 

 ありがとう。前を歩く背中に、短く言った。

 その時、サンドパンを覆う虹が弾ける。

 全身を纏う氷が水を経て、気化する。剥き出しになった鉄の皮膚は錆びるように赤く色付き、灼熱を帯び、やがて火の記号を宿した。

 背中から噴き出す焔と、焼け朽ちる棘。代わりを務めてやるよ、と地獄の業火のように燃え盛る。

 いつか君を見つけよう。どれだけ黒に塗り潰されても、この火で照らして。

 いつも君を思い出そう。この赤錆びのようにこびりついた、記憶を辿って。

 君を背負い前に進もう。失った時の痛みを忘れないように、この焔と共に。

 絶望も、無力も。悲嘆も喪失も悔恨も。もう大丈夫だ。何もかも飲み込んだから。

 

「いこうか――相棒」

 

 焦げた爪の漆黒に、討つべき敵を映し出し――“キセキサンドパン”は顕現した。

 天に逆らうような一吼えが、どこからか橙の光を集め、上空に球体を作り出す。

 

「チッ、今度はなんだってんだ!?」

「“ひでり”……馬鹿な、このサンドパンが発動させた、だと」

 

 それが発するエネルギッシュな眩しさを前に、思わず手を隔たりにしてぼやくゴトー。そんな彼へ、天を仰いだグライドは偶然にも答えを提供する。

 正解だった。キセキサンドパンの特性はあめふらし、すなおこし、ゆきふらしに続く第四の天候支配系特性『ひでり』で。太陽にエネルギーを送り込み勢いを与え、日照の強さを増幅させる。

 それが作り出す空は、生命の象徴兼知恵の具現化である、炎の力を宿す者の味方をしてくれる。

 無論、地底であっても例外に非ず。見えないのなら、そのものを生み出すだけ。この光はそれ故のもの。

 虹の石なんて目ではない程の輝きが、埋もれた退廃都市の全域に等しく降り注ぐ。しかし元を正せば、結局はこれも紛い物になってしまうのかもしれない。

 さりとて、今。この瞬間に訪れている暗躍街の夜明けは、まごうことなき本物で。誰もが夢見て渇望していた、大空が広がっていて。

 喜んでいい。望んでいい。有り難がってもいい。

 

「グソクムシャ、“アクアジェット”」

「“メタルクロー”だ!」

 

 それを伝えるために、サンドパンは前へと出た。

 空気を掻っ裂いて奔ってくる水色の爪を、黒鉄化した同じ部位で受け止める。

 高熱に蒸発。水分の発散。

 衝撃の余波が水玉を連れ、解凍されかけの焼却炉内に行き渡った。

「押し返せ!」かち合う眼光を、拒め。一見無茶な指示でも難なく聞き入れ遂行するサンドパン。繋がっているユキナリは、彼がそれを出来ると知っている。

 一メートル以上の体格差を一笑に付すように突き放し、バランス崩すその巨体へ“ほのおのパンチ”をお見舞い。

 しかし手応えは、虚空に投げ捨てられる。

 

「それがキセキシンカか。目の前で確認したのは初だが」

「!」

「タイプ相性までは覆せまい!」

 

 裂けていく水の残像。映し出された背後の空に奴がいた。

 グソクムシャは甲冑型の外骨格をガシャリ、と鳴らして太陽を背にしたまま再度肉迫、裏拳を重たく叩き込む。

 

「速い……!」

 

 第一印象を裏切るその敏捷性は、足より発される噴水“アクアジェット”が生み出す推進力からなっている。

 これにより一気呵成の進軍も、命を守る戦略的撤退も、思いのままだ。

 無論――単騎のポケモンを、嬲ることだって。

 飛ばされ、たまらず地面に爪立てた。そうやってブレーキ掛けるサンドパンへ、更なる攻撃が追いかけてきた。

 それも一発なんて安いものではない。二発、三発、六発、十発。

 

「どういう理屈かは知らん。が、炎タイプに変わったのが運の尽きだ」

「ユキナリ特務……!」

「畳みかけろ!」

 

 豊富な手数が、凄まじい猛攻が、視覚情報さえ処理落ちさせる縦横無尽の俊足に乗って、矢継ぎ早にサンドパンを虐げる。まるで四方八方からの集中砲火を叩き込むように。

 垂れた頭を、がくついた膝を、逃さない。

 

「仕上げだ、“アクアブレイク”!」

『ジュアアアアアアアアアッ!!』

 

 グライドの号令を合図に空気中の水分が水浅葱の鎧武者に集結、するとそれは球状のフィールドへと変容し、グソクムシャの全身を包み込んで煌めいた。

 その風体は傍目から眺めていれば障壁(バリア)でしかないが、そうじゃない。

 

「潰えろ」

 

『これ』は、こう(・・)使うのだ。

 白波のブーストで、青い結界は一息に太陽神を攫う。アクアブレイクという技は、水のエネルギーを纏った突撃のことを指す。

 火よ消えろ――飛び散る水声(みごえ)はそう唱えている。

 エッジの効いた二本爪は、捕らえたままの標的を勢いごと壁に叩き付けた。

 ドン。氷塊が砕け散った。瓦礫が爆ぜ散った。轟音という格好で明確な危害に糾弾する土くれは、当事者の断末魔すら許してくれなくて。

 効果は抜群だ。まさしく、そんな有様。

 完全に開いた視界で、その終わりを拝んでやろう。散らばった水蒸気が晴れていく中、グライドはその場で黙して待つ。

 

「……僕はもう、立ち止まらない」

 

 そんな確証のない期待など、裏切られるとも知れないで。

 

「!?」

 

 何故立っている。グライドの声が飛んでいく先で、サンドパンはグソクムシャの得物を逞しく押さえ込んでいた。

 壁にめり込みながらも。弱点を真っ向から貰いながらも。傷だらけになりながらも。その眼を開き続けていた。

 理由なんてない。理屈だって、どこにも。ただ、耐えたのだ。特攻属性の直撃を浴びて、ただ、立っていたのだ。

 

「前へと進む」

「くっ……! 振り払え!」

 

 叶わない。逃がさない。覚悟のこもった手は、仇を掴んで到底離してくれそうにない。今一度敵意の水流を迸らせても、たちどころに風化していく。

 いかなる水でも、風でも、この火は消せやしない。

 

「たとえこの身が焼け落ちても、生きていく! 進み続ける!」

「世迷言を……ッ!」

 

 いくら忌々し気に見やろうと。歯噛みしようと。彼の心に灯った、平和という宿願を燃料に燃え盛る、この火だけは。

 

「そして僕は、僕の明日へと必ず至る!!」

 

 何人にだって侵せやしない。

 

「“フレアドライブ”!!」

 

 ユキナリがその身を空にするほどの叫びを上げると、サンドパンは呼応して咆哮を上げた。

 虹の果てに重なり合った彼らの声が、業火を嘲り、烈火を蔑むほどの火――爆炎を呼び寄せる。

 息吹を吸い込み、火山が如き意気を以てサンドパンの全身から噴き出るそれは、密着状態のグソクムシャをも巻き込んで圧倒的な火柱を立てて。

 やがて大きくなり、熱くなり、日輪に迫る頃には塔と化していた。

 

「……この、俺が……!?」

 

 鎧武者を焼き焦がした断罪の焔が、静かに消える。されどこの身は、未だ冷めず。

 思わず後ずさりするグライドから目を離し、次に捉えるのは、言うまでもない。

 どうやら彼も取り込みが終わったようだった。倒れたロズレイドがそう伝えている。

 次のポケモンを出そうとするアルマを静かに止め、ユキナリはゆっくりとサンドパンを敵へと歩かせた。

 

「奇跡だか偶然だか知らねえがよォ、調子乗っちゃってんじゃあねェぞォ!!」

 

 ダイノーズがそんな彼を迎え撃つように、磁力で浮かせた三つの遠隔操作ユニット『チビノーズ』を用い、三発の岩の光線(パワージェム)を発射する。

 まただ、また当たっている。

 

「ゴトー、お前は言ったな。僕らのしていることは、無駄だと」

「何故だ……何故くたばらねえ!?」

 

 それでも歩みが止まらないのは、どうしてだろうか。

 

「今はそうなのかもしれない。手が届かない今だけは、お前が正しいのかもしれない」

「とっくに限界迎えてるダメージだろォが、意味わかんねェことしやがって……ッ!」

 

 焼けた鉄となった皮膚が、耐久力を上げているのだろうか。

 

「でも僕らは忘れない。本当に救うべき人々が、ここにいることを」

「さっさと倒れやがれよ……!」

 

 速度を犠牲にした分の筋力が、助けてくれているのだろうか。

 

「闇に囚われて、影の下で泣いている者たちのことを」

「そんなに死にてェのか!!?」

 

 何発、何度くらっても倒れないし、退かない。その前進の足跡は一向に絶えそうにない。

 

「だから絶対、ここに戻ってくる。今度は全てを救いに。彼らを日向に連れ戻すために」

「止まれ、止まりやがれ!」

 

 蓋を開けた先の仕組みは、そんなに難しいものではない。

 

「そして、僕たちの行動が無意味なんかじゃなかったと――必ず証明してみせる」

「止まれってんだよォォォォォ!!」

 

 サンドパンに“彼”が居るのだ。たった、それだけ。

 でもたったそれだけで。それさえあれば。

 どこまでも行ける。どこへでも進める。

 

「チクショオがァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 最後の一撃を越えると、サンドパンは走っていく。

 今なお前を見続ける、飽くなき誰かの希望を燃やして。願いを“フレアドライブ”に変えて。

 人が追い求める限り。明日を描き続ける限り。背負った彼は止まらない。

 

 

 

 爆炎が広がる。

 

『さよなら』

 

 ホワイトアウトする視界に現れた幻へ、囁くように別れを告げた。

 きっとまた、どこかで会うけれど。

 その時はまた、乗り越えて往くよ。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 太陽どころか、起きた爆発すら見られない。遠い場所で寂しく響く轟音だけを聞いている。そんな路地裏に、クルスはいた。

 

「……は……は……」

 

 四肢を全損した状態で。

 捨てられていたゴミ袋と死骸が血の池に沈んで、より一層ビジュアルを穢らわしいものに変えていく。

 呼吸にならない呼吸をしながら、カミーラの足でいいように転がされる。俯せから仰向けへ変わった景色の中で、彼女は冷血に満ちた眼球で彼を見下ろす。

 

「言ったじゃない。どうなっても知らない、って」

 

 そんな女帝の顔の横で、ひらひらと舞う小さな影が一つ。

 それはまるで人の形に造られた折り紙のような姿をしていて、抱えた白銀に、その哀れな達磨の姿を鮮やかに映していた。

 だくだくと今なお流れ出る血液が真っ赤な水溜まりとなる頃に、痛覚の隙間を縫って思い出す。

 こいつにこうされたのだ、と。

 

「……なんだ、それ(・・)は」

「私のおまもり、みたいなものかしら。手のひらサイズでかわいいでしょう? 切れ味良すぎるのが、ちょっと困ったところだけれど」

 

 知らない生物だった。図鑑に記載がなければ、発見の記録にすら覚えがない。まさしくノーデータ、アンノウンと呼ぶべき存在であった。だからポケモンと定義していいのかすら、わからなくて。

 彼女がそれ(・・)を出す時は、相手がその存在を墓場まで持っていってくれると確信できた時。

 見られてもいいと、思えた時。

 例えば、口を失うことが約束された瞬間。

 例えば、自分の勝利が不動となった瞬間。

 例えば。誰かの明日(いのち)を、明確に絶つ瞬間。

 彼女はこうして、これまでこの力を隠してきた。

 この、禁忌とされるほどに大きすぎる力を。

 

「そろそろ、お別れかしらね」

「……君は」

 

 遺言、とでも思ったのだろう。カミーラは余命幾ばくも無いクルスの言葉を、最後と思って聞き入れる。

 

「君は、自分の命が惜しくないのか?」

 

 なんだか、聞き耳によっては命乞いにも聞こえる、そんな言葉を。

 

「私は、惜しい。私の命は、大きく、この先にも繋がる……、意味あるもので。だから」

 

 そして聞くだけ聞いて、その首を落とした。

 

「ええ――ちっとも」

 

 答えだけを、律儀に残して。

 スパン、と事切れる音を鳴らした後に夥しい赤を噴き出すオブジェへ、背を向ける。恐怖したのではない。ただ、禁忌を再び封印しただけだ。

 

「私はただ、素晴らしい事をしたいの」

 

 そこに立つ権利はない。意味もない。必要だって。

 だから彼女は束の間であっても、無機的な山の谷間から、その朝焼けを拒絶する。

 

「無邪気さを盾におもちゃブッ壊して遊ぶだけのクソガキも、なりたいモノ目指して必死に人生を消費してらっしゃる若者の皆様も、椅子にふんぞり返って保身と搾取にしか精を出せない老いぼれ共も、みんな、みーーーーんなが跪いて、私を崇め奉るような事がしたいの」

 

 されど悦に浸り、焦がれるように仰ぐそこへと語り掛けるのは、彼女の夢の先で待ち受けるものが、この光景だから――なのかも。

 撫でられた九尾の白狐は(こうべ)を垂れると、女帝の足に染みついた生命の搾り滓を綺麗に舐め取った。

 

「長く語られ、教科書に載り、何百何千年先の世の中でも名前を出されるような……そういう真似がしたいのよ」

 

 仲間が願いを叶える器と言ったが、それは違う。

 彼ら、或いは彼女らは、己が己で選んだ、己の成す偉業の記録者だ。

 

「それを果たすまでの過程に。私の命の有無は問わない」

 

 女帝が紡ぎ出す歴史の、目撃者だ。

 

「覚えときなさいな」

 

 カミーラは自分の見ているモノをばらばらの骸に語り聞かせ、その場から立ち去った。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 そこに何が待っているか。どんな光景が広がっているか。

 そんなもの、知ったところではない。

 

「はあ、はあ……!」

 

 少なくとも、彼女にとっては。

 ただ心が赴くままに。足が求めるままに。大手を振って、息を切らして、あの虹の彼方目掛けて走っていく。

 いくら戦乱の呼び声が近かろうと、関係ない。

「愛すならば、急げ」と、暁の温もりが背中を押すのだ。

 減速忘れて角を曲がった。石ころを飛び越えた。建物の森を潜り抜けた。風の海を渡って、輝きに満ちた空を駆け抜けた。

 少女は生まれたばかりの頃を思い出し、そして気付く。これが本能というものなのだと。

 

「避けろーーーーーーッ!!」

 

 それは、誰もが想定出来た。暗躍街各所で行われている、住人とバラルによるポケモン同士の空中戦を、あらかじめ恐れていたのなら。

 しかし少女の双眸は虹にばかり取られていたものだから、直前になるまで気付くことが出来なかった。

 

「……!!」

 

 流れ弾ならぬ、流れ火――“フライゴン”が放った『だいもんじ』が、図らずも彼女の下へと迫る。

 

「――“ほのおのパンチ”!」

 

 短兵急に割り込む拳は、同様の力で破壊の意志を相殺してみせた。

 舞い踊る火の粉と不慣れな熱さで、思わず伏せた少女。

 

「また、同じ出会い方をしてしまったね」

「……へ……?」

 

 次に彼女が(おもて)を上げる時。

 果たして一体、どんな顔をしてくれるのだろう。

 

「やあ」

「…………あ……、あ……」

 

「大丈夫かい」そんなことを考えながら、ユキナリはもう一度彼女の前に立つ。

 

「どう、して」

 

 込み上げる想いが、一杯になる。視界が揺らぎで、満ち満ちていく。

 どうしてだろう。不安な夜も、あなたを思い出して過ごしていたのに。影に飲まれそうな昼も、逃げたくなった朝も、あなたの声を聞いていたのに。

 どうして、その顔がよく見えないのだろう。なんで、その言葉は胸をきゅうきゅうと締め付けるのだろう。

 

「おまわり、さん――」

 

 何故私は、こんなにも、会いたかった――。

 

「君の声が聞こえた。僕を終わらない悪夢から引っ張り出す、君の温かい声が」

「っ……えうっ、――っ」

 

 少女は立ち上がるのも忘れ、息を詰まらせたままぼろぼろと大粒の雫を溢した。

 まるで一人ぼっちみたく感じていた灰の日常が、息を吹き返したから。色が生まれた日のことを思い出したから。

 押し寄せる情動の波に溺れながらも、一生懸命に言語能力を手繰り寄せる。

 

「おまわりさん……っ私、わたし……」

「ありがとう」

 

 救ってくれて。前を向かせてくれて。指で涙を押し退けた向こうで、彼は同じ目線にいた。そして自分が伝えるはずだったことを、先立って口にする。

 

「今はまだ、僕からしか言えない。だからどうか、その言葉は大切に取っておいてほしい」

 

 唇に当てた人差し指の意味を知った。

 それはきっと、呪いの重ね掛けにも等しいのかもしれない。

 今だけは誠実さをひた隠しにしてその手を握りながら、馬鹿みたいで出鱈目な嘘を吐いた方が、いいのかもしれない。

 その方が悲哀を拭えるから。少しは報われるから。握る拳が、ほんの少しでも緩んでくれるから。

 

「……うん、わかった」

 

 でも、彼女は知っている。

 彼が嘘を付かないことを。果たせない(まこと)を言わないことを。

 ――離れていても、一緒に戦ってくれることを。

 

「特務、追手が……、限界です」

「!」

「……それじゃあ、またね」

 

 再会の場を守護するラプラスに跨ったアルマに促されるユキナリは、口惜しそうに翻り、その後部に座った。

 赤胴のサンドパンが人工物のジャングルを先行する。次々と障害を叩き伏せ、出口までの道を切り拓いて。

 するとラプラスはまた進み始める。空気中の水分を凍てつかせて作った氷のカーペットの上を、ボートのように、滑らかに。

 遠ざかっていくあの日のままの小さな輪郭を、唇噛み締め見ていた。

 

「――約束だよ!」

 

 伸ばされた手に、凛とした悔しさだけを置いて行く。

 

「必ず、必ず助けに来て! 私はここにいるから! ずっと待ってるから!」

 

 だが、今はそれでいい。

 

「ちゃんと、生き続けるから!!」

 

 届かずとも、触れるだけで。命そのものじゃなく、温度だけで。

 

「ああ、約束だ!」

 

 もう一度ここに訪れる――やがて、そんな誓い言になるから。

 

「次に会うとき、僕は君をここから救い出す! だから忘れないでくれ! 思い続けてくれ!」

 

 目一杯に搾り出された二つの声を握り締めた掌は、言霊同士を強く結い合わせた。

 そうしてある者は糸として、絆した胸に染み込ませ。またある者は鎖として、心臓に縛って刻み込む。

 

「僕らのことを! ――故郷(ネイヴュ)のことを!」

 

 それは思い思いの形となって、未来まで二人を繋ぎ続ける――。

 

 

 

 一五時四二分――――暗躍街潜入作戦は、失敗で終了。

 参加人員計三名中二名重傷、一名が軽傷。

 話だけを聞くならば散々でこそあるが、彼らの帰りを出迎えた同胞らは誰一人として責を問わなかった。

 生還すら奇跡的と思えるほどの状況が記された、その報告書を見れば。帰還時の様態を、目の当たりにすれば。

 あまりに道理に適った、反応だった。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

「ア゛ル゛マ゛ぜん゛ばあ゛~~~~~~~~い゛!!!!!!」

「ちょ」

「なんでまた死にかけてるんですかぁ~~~~~~~!!!!!!!!」

 

 痛いんだけど、の一言も掻き消す強烈な抱擁を、泣く泣く受け容れた。

 リンカは上司の手術痕を痛ましく思うあまり、公共の場であることも忘れてぴーぴーと泣き喚く。

 

「レイドぉーーーー、喉が渇いたわーーーーーー」

「今すぐ出せる水分は小便ぐれえしかねえが、構わねえな」

 

 見舞いというのに相変わらずの調子で切り返す右腕に、舌を打った。ドブ川みたいに汚いジョークセンスとは、カミーラの談で。

 今回の件で負傷した面々は、リザイナ中央病院の一室に集められていた。

 並ぶベッドの上で、思い思いの姿勢と態度を取ってくつろいでいる。

 ユキナリが、ふ、と一息。およそ警察組織と呼ぶには締まりのない光景だが、壮絶な日々を過ごす合間の休息と思えば、許せよう。

 それに。

 

「出揃ったところで、聞かせてもらおうか」

 

 長続きする様子でもないから、余計に咎めることは出来ない。

「お前らが殺り合ったものをな」レイドの一声が、一瞬にして緊張を呼び込んだ。支部長不在時の指揮を執る存在としての威厳なのだろう、誰もが視線を彼に注ぎ、暗躍街潜入作戦の報告会が始まる。

 いの一番に口を開いたのは、アルマであった。

 

「“暴獣”の構成員と、交戦しました。名前はテンヨウ。着物と赤い鬼の面を着用していました」

「なに……、戦士狩りの赤鬼(レッドオーガ)だと? どこぞで屠られたか野垂れ死んだかしたと思っていたが……まだ生きてやがったのか」

 

 暗躍街の、サイドだった。アルマの注釈で、それぞれがそれぞれに思い思いの事を口走る。

 

「奴らも一枚、噛んでいたのか……」

「さすがは『闇の総合商社』と呼ばれる犯罪シンジケート――悪事あるところにその影あり、ってわけね」

「今回でわかったのは、表舞台から姿を消し、何らかの形であそこに流れ着いた犯罪者はまだ相当数いるであろう……ということです」

 

 勢いのまま挙手、続けて口を開くユキナリ。

 

「結果的に、バラル団と暗躍街の取り引きは存在した。巷を騒がせる薬品Rを巡ってのものだ。よって、今回のメールは少なくとも連中が仕込んだものではなかったと推測する」

「一理ある。こんなクソ辺境に閉じこもって、遭難したようなシケた面でギリギリ生きてる奴らを、わざわざテメーの隠し事明かしてまでブッ殺してえかってと……そうじゃねえよな」

「実際、ゴトーもグライドも諸々の対応に追われ、僕の相手に手間取っているように思えた。準備があったと考えるのは不自然だろう」

「ってところで、なんだが……じゃあ、なんだと思う?」

「!」

「お前には、何が見えた? 事件の奥に、何がいると思う?」

 

 レイドのこの問いは、代弁に過ぎない。それは誰もが知りたがっていることであり、絶対に至らなければいけない核心でもあって。

「……わかった」ユキナリが言葉を詰まらせる様を確認したレイドは、それだけ残して次へ進む。

 

「私はー、パス。ヒントもなかったし、正体知る前にバラしちゃったから」

「バラしちゃった、って……」

「しれっと恐ろしいこと口走らないで下さい、どっちが犯罪者かわかりませんよ……」

「あら、照れちゃうわ」

「褒めてないです!」

 

 おどけた態度だが、カミーラが彼女らに伝えられるのは、本当にそれしかない。

 それをいち早く察したのはやはり懐刀故か、レイドであった。こうなってしまえば訊ねるだけ無駄と踏んで、窓に寄りかかる。逆光の向こうで発した溜息は、じきに「もういいぞ」と、解散の合図を連れてくる。

「外の空気が吸いたい」「ダメですよアルマ先輩! お体に触ります」「まあまあ、いいじゃないか。僕も同じ気分だ」再び起こる賑わいの中で、また銘々の時間を過ごす面々。

 嗚呼、本当に、察しがいい。

 

「助かるわ」

 

 ユキナリ、アルマ、リンカが出ていった後、カミーラは横になっていた体を起こす。

 そして訪れる静寂に甘え、よれて乱れた入院着を整え直し、レイドを瞳に収めて呟いた。

 

 

 

「アルマ先輩、重くなりましたね。車椅子が全然押せない……っ」

「あなたが貧弱になっただけじゃないの」

 

 間違われがちだが、多少のデリカシーはあるんだぞ。そんな内心を風に溶かしながら、見下ろす学術都市。

 三人は屋上に来ていた。干されたシーツが、心地よい太陽の香りを先程から振りまいている。

 

「ま、まあまあ、戻りは僕が押していくから」

「特務も怪我人です! そういう訳には!」

「キセキシンカのおかげでいくらか回復したから、ほぼぴんぴんだよ。実際、三人の中では一番軽い容態で済んでる」

 

 隣の少女による雪解けの日の報告を聞いてから、ずっと信じがたい事となっていたが――身をもって経験した今となっては、事実であることを認めるしかないだろう。

 

『キセキシンカが発現する際に発生する“Reオーラ”は、浴びた生物の傷を治癒する性質がある』

 

 間違いない、その通りだ。

 全快とまではいかないが、機能停止に追い込まれていた四肢を一瞬で回復させる程度、とでも言えば、伝わるだろうか。

 額面通り命懸けで得た貴重なサンプルだ、ジムリーダーとしての同僚に渡すことを、明日の自分に約束する。

 

「感謝、しないとな」

 

 ついでに、拾った命を大事にすることも。

 

「私には」

 

 なんて思いながら柵に手を掛けると、隣で声が聞こえた。

 他人の独り言を拾う行為そのものがなかなかに奇特なことではあるのだが、彼女はそもそも自ら進んで誰かに話し掛けることが少ないので、輪を掛けた珍しさがあって。

 横顔とも正面とも云い難い微妙な角度から刺さる視線に不思議と痛々しさを感じたのか、ユキナリは困り気味な返答をアルマに渡す。

 

「も、勿論感謝してる。君がいないと、僕は彼女が生きていることも知らないまま」

「ではなく、謝罪を所望します」

「し、謝罪……感謝ではなく?」

「勝手な真似をしたのだから、謝って下さい」

「え、ええ……」

「早く。早急に」

 

 相好は真顔、であるはずなのだが。得も言われぬ威圧感にたじろいでしまって、

 

「す、すまない」

「ではなく、『ごめんなさい』を所望します」

「ええ!? ごっ、ご、ごめん、なさい」

 

 結局、謝る。渋い顔で。その追及の成すがまま。

 

「わかれば、いいです」

「ね、ねえ、ひょっとしてまだ怒ってる?」

「……さあ、どうでしょう」

「え、特務何やったんですか!? ずるい、気になります! 私にも教えてくださいよ~!」

 

 やっぱり真顔、であるはずのだが。

 その口元は、僅かに緩んだ気がした。その瞳は、ちょっぴり輝いた気がした。柔らかな夕陽に焼ける彼女の心は、なんだか笑っている気がした。

 

「今回の事」

「ん?」

「覚えていて下さいね」

「……ああ、勿論」

 

 全てが終わって、この背負い物を降ろした後。

 

「お姫様を、待たせちゃってるからね」

 

 あの子もこんな風に、頬を綻ばせてくれるだろうか。

 ユキナリはそんな淡い期待を黄昏に重ねて、そっと目を閉じた。

 

 

 

「……おい、こいつは」

「敵のスーツに付いてたものよ」

 

 レイドに手渡したダークボールのバッジは、戦利品などと喜べる代物ではなかった。

 

「あの日、確かに居たのよねえ、“あいつら”は」

 

 頬杖付いて外のビル群を眺めながら言うカミーラは、誰にも見せたことがない顔をしていた。

 

「それってつまり、“そういうこと”よねえ?」

 

 確かに、今回の件で言えることはなかった――但し、『彼女ら』には。

 この紋章が何なのかを知る人間でないと、話せない事があった。伝えられない事があった。

 その日、存在が証明されたのは、暗躍街だけではなかった。

 それは、あってほしくないと、人々が意識的に排除した可能性。認知を避けた、闇の中の闇。戦士たちが目を逸らしてしまった、正義が生み出した亡霊。

 

「……同情するぜ、本当にな」

 

「他人事じゃないでしょうに」少々の沈黙を経て開口するレイドへ、重なる言葉。

 今まで玉虫色にされていたそれとの構図が、いよいよ今をもって、明確に提示される。

 

「んま、やるしかないでしょう。ここからは想像でしかないけれど……きっと私がぶっ倒れたら、ラフエルは終わるでしょうし」

「何とも茨の道……だな。おまけに向かい風も吹いてやがる。クソッタレで最高のシチュエーションだ」

「同感よ」

 

 バラル団、暗躍街、暴獣以上に、無視が出来ない敵――、

 

「……かかってらっしゃい。全部、ブッ壊してやるわよ」

 

 PG暗部『ダーク・サイト』との、対立が。

 

「健闘を祈るぜ、支部長様」カミーラはまだ見ぬ激動の激闘へと思いを馳せながら、置き土産の缶コーヒーを、おもむろに飲み干した。




『作戦は失敗、か』

 誰も知らない場所で、誰も知らない人々による、誰も知らない会議が開かれた。
 どこからともなく飛んでくる男たちの声が、黒の集団を取り囲んで、それは進む。

「申し訳ありません」
『……我々は詫びの言葉よりも、あの女がどのような終わりを迎えたかを、聞きたかったのだがな』
『そう憤り召されるな。収穫は決してゼロではありますまい』

 広がる暗中で存在の誇示を許されているのは、極めて僅か。恐らく最新技術なのだろう、ドーナツ型の会議机に着席する立体映像達が口にするのは、闇色の正義を掲げる者たちへの不平不満。
 触れられる距離であるのに触れられない場所から会話をするのは、きっと支配者たる男達とて、彼らと関わりたくないからなのであろう。

彼奴(バラル)らが起こした混乱の中へ躊躇なく踏み込んでくれたお蔭で、薬品Rの製造プラントの襲撃に成功したのです。これは後の世に大きな意味を持つこととなりましょう』
『防衛が手薄になったところを“鴉”が攻め落としただけであろう。猿でも考え付く浅知恵ではないか』
『それに――彼の活躍で、虎の子を引きずり出すこともできた。“SLASH”はやはり、保有されていた』
『目の上のたんこぶが思いのほか大きかったことが判明しただけだ。何も進めちゃいない』

 無理もない。彼らは生まれながらにして、正義の傀儡であるからして。
 より強く、より大きく、より正しい存在に傅く。故に。いくら己が今日まで大切に抱えていようと、その刃は明日になれば喉を掻き裂いている。
 それを理解するからこそ。男たちは『利用するだけ』なのだ。

『あの女の首を飛ばし、ネイヴュを支配できねば、意味がないのだ。あそこだ、あそこさえ奪還できれば……』
『焦っておられますな』
『当然だ、本来ならばこんなはずではなかったのだからな! そもネイヴュ支部は来るべき時を見越し、倫理無くとも実力はある狂犬共を飼い慣らして、“キュレム”共々管理しておくために用意した場だぞ!』 
『というのに、力に目が眩んだあの浅ましく忌々しい女狐は、「命だけは」と思ってやった我々の温情も忘れ、前任者(バンタス)共々支部の人員を皆殺しにしてくれた……』
『何を言おうが後の祭り、致し方ない。あの女の底を知らずに、調教を試みた我らの過ちですな』
『チッ……さりとて、時間がないのだ』

 誰がそうしろと言ったのだろう。

『おい、引き継ぎ(・・・・)は終わったな』

 誰がそうあれと定めたのだろう。

「ええ。どうやら私は、首を刎ねられて死んだらしい(・・・)ですね」

 答えはきっと、彼らさえ知らない。

『……十分だな。懸命しよう』

 彼らはただ、執行するだけである。

一人で済んだ(・・・・・・)のは不幸中の幸いだった。以前以上の活躍を期待するぞ』

 世を導く、偉大な正義を。

「高い目標――――、実にいい」

 妄執を越えた先で甦り続ける、誰でもない亡霊として。


「お任せください。この黒色十字の、名にかけて」


 ――クルス。
 黒服の高官がその名を呼んだのを最後に、箱の中は真黒に染まった。
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