ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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02.文殊の知恵、或いはかしましさ

 寝耳に水―――否、ハイドロポンプ。

 

『ちょっと、私、聞いていません!』

『当然だ、言っていないからな。だが庁舎の方にはしっかり話を通している、安心してくれ』

『言ってくださいっ! そういうお話も込みでっ!』

『案ずるな、あくまでも試みの段階であり、我々がするのは協力のみだ。先方とて、何も自発的に危険を冒すような真似をしろと言っているわけでもないからな……君の安全は保証されている』

 

「……そういう問題ではありませんでしょうに……」

 

 ステラは、深いため息と共に一人ごちる。

 あまりに急で、それでいて強引な展開に。この運命の悪戯とも思いきれない、寧ろ災難にも似た非日常に。

 流れる陽気が回転しきらない頭に元気をくれる、そんな午前一〇時のラジエスシティの南区(サウスエリア)。都市故にいつであろうが人が多いのは変わらないが、通勤ラッシュはある程度落ち着いてきたようで、公園のベンチから緑越しに眺めていても、それがわかる。

 目の前で噴水が白を吐き出した。柱のように立ち上ったかと思えば、崩れてコンクリへ落ち伸びていく。弾ける雫が乾く風を潤して、彼女のぼやきを呼び覚ます。

 

「自分がジムリーダー業で動けないというのなら、何故受けたのでしょうか……まったく……」

「おい」

「あの人はいつもそうです。肝心なことは何一つ言ってくれないし、重要なことほど事後報告」

「おい」

「実力はあるのに、どうしてそういう所でマイナスを」

「おい!!」

「ひゃいいっ!?」

 

 やっと気づいたか、まったくはこちらの台詞だ――立ち上がったベンチの後ろで仁王立ちする女警官は、そういう顔をしていた。

 彼女『アシュリー』は、ただの警官とは訳が違う。PG警察学校を準主席で卒業し、巡査や巡査長といった前段階を飛ばし、いきなり現場監督の権限をも行使できる警部補(スーパーボール)という役職から、人々を守るその務めをスタートした。

 俗にいうエリートというものであり、遅々として解決しないこの事件に満を持して投入された切り札でもあって。

 

「ずぶの素人と公務を共にするのは、私としても気は進まんのだが……上の取り決めに牙を剥けるほど、愚かしい警官にもなれん。すまないな」

 

 そのプライド故なのかはわからないが、なかなかに取っ付きづらい。ステラはファーストコンタクトでそんな印象を抱いた。

 

「改めて、アシュリーだ。よろしく頼む」

「ラジエス市職員の、ステラと申します。この度はよろしくお願い致します」

「ノーサンキューだ。どうせこれきりだろうからな」

「あ……」

 

 差し出した手から、平然と身を逸らす。それは即ち握手の拒否を意味していた。

 アシュリーのそのリアクション一つで、ステラは彼女の考えていることが察せてしまった。面白くないのだな、と確信した。

 気持ちは、理解できる。自分の仕事場に知識も技術もない部外者がいては、それは仏頂面にもなるだろうし、あまつさえ共に職務をこなせと言われれば、当然煩わしくもなるだろう。

 しかし、されど、肩を竦めて迎合するような真似をしないのが、このステラという人間の性質で。

 

「お待ちください」

「……握手ならば、要らないと言ったが」

「これも、何かのご縁です。せっかくなのですから」

「…………」

 

 だからわざわざアシュリーの前に回って、再び掌を求める。

 眉の角度が僅かに鋭くなったが、毅然としていよう。関係ない。

『与えられた務めは、全うする』――そんな彼女の信条の前では。

 いくら素人で、どんなに門外漢であっても、任された以上は絶対にいい加減な過程を踏みたくない。この握手、もとい彼女との結びつきは、己が事を成就するために必須だと、ステラは判断している。

 

「……君は、少し勘違いしているな。いや、いい。君のような奴が、たまにいるんだ」

「どういう意味でしょうか」

「何かを成す力も保証もないのに、当然のように『自分ならば』と思い上がり、やれる気になっている奴が」

「邪魔ならば『邪魔』と、素直に仰ることは出来ないのですか」

「行動で示すだけでは伝わらなかったか?」

 

 かち合う眼光。まさに一触即発だった。きっ、と凍り付くような視線が突き刺す先で、唇の中の歯を噛み合わせる。ぴりぴりと尖る空気は、なんと肌触りの悪いことか。

 

「君がやれることはない。私の隣で社会見学でもしていろ」

「そちらがその気でいるのなら、私も私なりに行動させて頂きます」

 

 くつろぐマメパトが、知ってか知らずか宙へと逃げ出した。居心地が悪くなったことに変わりはないのだろう。

 

「おーーーい!」

 

 すると入れ違う人影が、刺々しい反目を終わらせる。

 続けて声の方を見やった先に、

 

「やあ、待った!?」

 

 本当の部外者は、息を切らして立っていた。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 何故、君が。

 

「やだな、旅人はいつでも興味一つで行動さ。エリート警官と特例捜査員の事件簿……うん、刑事ドラマみたいだ」

「あのなあ、遊びじゃないんだぞ……」

 

 そんな問いかけに対するイリスの答えに、アシュリーは額を押さえて呆れ返った。

 昨日の待ち合わせの約束にたまたま居合わせただけの彼女に至っては、来る意味も、必要もないからだ。

 どいつもこいつもふざけすぎている。こんな脳内が花畑な連中のために自分たちが働いていると思うと、やるせなくなる。

 

「大丈夫大丈夫、決して邪魔はしないからさ。ね、ね!」

 

 この、少年のように瞳を煌めかせた女は、平気な顔して独白にすら水を差すというのだから、たちが悪い。

 三人が思い思いの足取りで歩く、ビジネス街。一人はうっすらと影をかけてそっぽを向きながら。また一人は眉間に皺寄せながら。そんな二人に挟まれながら生まれるイリスのごくごく当たり前な訊ね事は、火に油を注ぐことになってしまう。

 

「ところでお二人さん、私の気のせいじゃなければ物凄く、こう……感じ悪くなってない?」

「足枷付けられた状態の捜査を強いられて、どこの誰がご機嫌に振る舞えると思う?」

「あなたは、どうしてそう人との繋がりを蔑ろにする言い方しか出来ないのですか? そのようなことではお友達も減ってしまいます」

「なんだと!? 余計なお世話だ!」

「だー、ストップストップ!」

 

「ごめん、私が悪かったよ……」責任を取るように、間で両者へと手を伸ばす。

 邪魔をしない、本当に見聞きするだけのスタンスでいたが、どうやらそうも言っていられない状況であると踏んだ。

 

「アシュリーちゃん、だったよね。確かに君一人で捜査を進める方が早いようには思うんだけれど、この街に対する知識は圧倒的にステラちゃんの方が足りている――そんな風にも思わない?」

「む……」

「ステラちゃんは、真面目にやりたいんだけなんだろう? でもそれは危ない、っていうのがアシュリーちゃんの考えにある訳だし、だったらば自分なりの活動の仕方を見つけるのがいいと思うんだ。違うかい?」

「……確かに、もっともです」

「だよね。私たちは事件の解決を目的にしているのだから、無益な衝突で捕えられるものも逃がしたら、それこそご機嫌に振る舞っていられないよ」

 

 旅をすれば、人と関わる。人と関われば沢山話すし、沢山話せば人慣れする。

 そして人慣れすれば、人付き合いというものにもある程度の答えが見えてくる。

 

「一理……ある、な」

 

 平和な静寂を前にし、旅人という己の身の上に最大級の感謝を抱いた。

 ふ、と安堵の下に胸を撫でおろすのも束の間にして、

 

「それじゃ、聞き込みといきますか」

 

 次なるアクションの提示も行って。

 三人の表情が一様に引き締まって、同じ方を向く。かくして特例捜査チームは正式に結成され、皆の大きな期待を背負っての、一大捕り物が始まる。

 

「まずは直近で事件が起こった、南区(サウス)で聞き込みを開始する」

「いえ、まずは様々な人が行き交う中央区(セントラル)で情報を仕入れましょう」

「量は聞き込みの数に伴って増えていく。情報で大事なのは鮮度だ」

「効率のいい情報の集め方というものがあります。新しいものばかりが手掛かりになるとは限りませんでしょう」

「素人がプロに口出しするな!!」

「私はあなたよりもこの街を知っています!!」

 

 イリスは何も言わず、頭を抱えた。

 

 

 

 争わずとも時間はたっぷりあるということで、順繰りに回ることを提案するも、そうなればなったで『どちらの意見を先に通すか』でもう一悶着起きたのは、ここだけの話。

 急ぐ者や、彷徨う者。誰かと共に往く者や、そんな人々を呼び掛ける者と、多種多様。十人十色の波にぐらぐらと視界を揺らされる中で、一体どこの誰に話しかけるべきか――ステラはそんな基本的な事を迷いの材料にする。

 その合間にも刻まれ続ける、アシュリーがアスファルトを踏み蹴る音。

 

「すごい、テキパキとしてるんだね」

「おかしいか?」

「ううん、ただ、ドラマでよく見るようなモタつく感じはないんだなあ、って思って。途中でジュース飲んだり、なんとなくその場の景色を見たりさ」

「時間が惜しい。被害者の証言が使い物にならん以上は、私たちの見聞きすることが全てだ」

 

「死人が出ていないうちに、片を付けてしまいたいしな」背中越しに付け加えられるのは、正義の味方が頑として譲らない方針。

 旅人は、己の知り得ない世界を生きる彼女に感心を抱いた。当たり前のことでありながらも、掲げた何かしらを行動で示して厳守する難しさを知っている。このアシュリーという女性は、若いながらも人を守る者として、その覚悟を既に持ち合わせているんだな、と再認識したのだ。

 同時に、ステラもきっとそうなのだろう。彼女たちにはそれぞれ、彼女たちにしか見えない世界が、確かに存在しているのだろう、と。そう思う。

 

「おい貴様、PGだ。ここいらで起きている傷害事件について、少し話を聞かせてもら」

「なんて声の掛け方をなさるのですか。そんな怖いお顔では相手の方も委縮してしまいます」

「ぬああ~~いちいちうるさいな貴様はッ! 少しは黙ることが叶わんのか!!?」

「大人たるもの、人を呼び止める時は『お忙しいところ失礼致します』ぐらい言わなくてはいけません! せっかくの端麗な容姿、言葉遣いで台無しになってしまうのはいけないことです!」

「ほっとけ! まるで論点が違う! 捜査さえ進めばなんでもいいだろうが!」

「高圧的な態度は時として誰かの表現を妨げる、というお話をしております!」

「説教をするな!! 貴様は私の母親か!!?」

 

 たぶん、恐らく、メイビー。そんな風に、思う。

 

「え、あの、えっと……」

「はは、ごめんね、彼女たちは無視していいから。それよりちょっとあっちで話を聞かせてほしいんだけど……、大丈夫かな?」

「は、はい」

 

 こりゃあダメだ――独断で新たな捜査員(ピカチュウ)を召集しても、ばちは当たらないだろう。

 イリスは街に繰り出す黄色い背中を見送った後、通行人からメモを取りながら、嘆息まじりにそんなことを考えた。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

「お待たせ致しました、ごゆっくりどうぞ」

「ええ、ありがとうございます」

 

 取ってつけたような笑顔でも、ないよりかは断然いい。そういった考えからなる店員のスマイルに、優しく礼を返した。

 凹凸どころか、互い違いにかけられたボタンのようにまるで噛み合わない三人娘の捜査は、難航しながらも座礁することなく続いていた。

 一度、情報整理のために立ち寄った西区(ウエストエリア)のカフェは、ステラが日頃利用する場所で。職場である庁舎『ケレブルム・ライン』からは区画二つ分向こうなのだが、テラス席で海を眺めながら食するハニートーストは絶品で、ついつい休憩時間全てを使い切ってでも来てしまう程。

 

「おい、聞いているのか」

「ちゃんと耳は動かしてるよ~」

 

 シーリングファンが生み出す風の心地よさに表情筋を腑抜けさせる旅人へ、アシュリーが語気を強める。

 イリスは溶けたアイスクリームのようにぐったりと伸びたまま、足元に下ろしたリュックの表面を撫で、ふにゃふにゃと言葉を発していた。

 その様子とは真逆の内容の返事であっても、今は信用して、再びその口を開く。

 

「――事件は、元より断続的に発生していた。最初に確認されたのは一年以上も前だ」

 

 トロピカルきのみジュースを、一口。体と共に頭を冷やし、発話を入れ込むステラ。

 

「犯行方法は一貫して鋭い刃物による切りつけを、複数回。病院から得た被害者の傷口の情報から逆算するに、凶器は刃渡り八センチにも満たないペティナイフ、ないしはフォールディングナイフと思われる」

「それで、内容は決まって人間、状況によってはポケモンも含めた襲撃。たぶんポケモンは被害者の抵抗という形で繰り出され、巻き込まれた格好、になるのかなあ」

 

 寝せた首から発される声は、弱々しくも確かな言葉を紡いでいた。

 

「被害者の方々が負った傷はいずれも浅いものであり、又、これまで二〇人以上が襲われながらも不自然なほどに死人が出ていない事から、殺意による犯行の線は薄い……と」

 

 続くステラが繋げると、そうだ、と言わんばかりにアシュリーは頷く。

 

「盗みを働かれた形跡もなく、トレーナーであるということ以外にも共通点がないため、現時点では愉快犯である、と――判断を下す」

 

 私はな。ぺたん、と閉じるメモ帳の音が、情報整理を締めくくる。が、その面持ちは誰一人として満足していると言い難いものであった。

 

「……まだ、だな」

「そうだねえ」

 

 逮捕されていないことは当然なのだが、まだ、パズルのピースに物足りなさを覚えているため。

 スタートしてからもう数時間、一日で解決に導けるほど簡単なものだと楽観視していた訳じゃない。ただ、こうも手掛かりが不足した状態に陥るとも、想定していなくて。

 

「断片的に、惜しい要素はあるはずだ……」

 

 黒服にしわが寄る。窓に切り取られた橙の陽光を遠くにしながら、アシュリーが顎に手をやり呟いた。

 

「東西南北中央、事件発生の場所については法則性が関する所ではありませんが、何よりも『決まってラジエスで起こっている』という事実は、明確なヒントになっているはずです」

「それと、鑑識さんが全然特定できていないっていう、現場に毎回落ちている“謎の布切れ”だっけ? あれもちゃんと何かの意味がありそうだよね」

 

 そうだ。少ないヒントながら、犯人のぼんやりとした輪郭だけは描けたのだ。

『ラジエスから離れられない理由を持つ、何者か』という、イメージだけは掴めているのだ。

 ただ問題は。

 

『被害者が誰一人として、その顔を覚えていないこと』

 

 やはり、ここに至ってしまうのだ。

 何故覚えていないのか。忘れさせられているのか。忘れさせられているのなら、どういった手段を用いているのか。ポケモンなのか。ポケモンとしたら、どんな技を使っているのか。

 掴みかけた解決への糸全てを、大迷宮へと連れ去るリードに変えてしまうのだから、たまらない。

 ステラは口を結んだまま渋く俯いて、イリスは緊張をほぐすように背伸びとあくびを一緒にする。

 恐らくこれに悩んでいる限りは、いつまでも犯人に辿り着くことは出来ないだろう。アシュリーはそんな確信を抱いた。

 尤も抱いたところで、どうにもなりはしないのだが。

 

「おっ」

 

 軽食達が織り成す美味な香りに、胃袋くすぐられ始めた頃。テーブルに頬の熱を奪わせていたイリスが、短兵急に立ち上がる。

「なんだ」というアシュリーの声も、何事かと首を傾げるステラの相好にも、一律で短く「すぐ戻るよ」と返して、外へ出ていく。

 黄色いとんがり耳に、波を描く尻尾。町並みを映す大窓の外に、仕わせたピカチュウが立っていたからだ。

 物言いたげなその佇まいは意味こそ不明でも、含みがある事さえわかれば十分。チリン、と手動ドアのベルを鳴らして、ほんのり磯の味する空気を吸い込むと、ピカチュウは足早に雑踏の中へと入っていった。

 

「(もしかして、割と緊急かな?)」

 

 何も伝えない。ただこっちへ来い。そういう意図が見える。よほどの事かと思って一瞬だけ店内の二人を望んで逡巡したが、小さな後ろ姿が消えてしまいそうだったので、急かされるままに追いかけた。

 イリスがピカチュウを駆り出したのは、しっかりと意味がある。街に住まうポケモンたちの声をも情報にするという、明確な意味が。

 ペットは飼い主に似る、なんて言葉を信じる訳では決してない。が――どうにも彼女の初めてのポケモン、マサラタウンのとある博士から譲り受けたこの“ピカチュウ”は、どこぞの誰かのように話し好きときている。

 なんとも奇妙な巡りあわせと言わざるを得ない。ただもしもそれが何かに役立つというのならば、彼との出会いもまたさらに悪くなかったなと思えるもので。

 

「ここかい?」

 

 しばらく駆け足で追いかけていると、手狭な空間に招かれる。

 一般に路地裏と呼ばれるそこは、光が届かない構造になっている。無論、この夕焼けも然り。

 入口から視認出来るかどうかの深さで止まって、ピカチュウはイリスへ向き直った。鳴き声一つ漏らさないのは、あまりに珍しい。よほどの事があったのだろう、と推察する。

 その影が落とす物々しい雰囲気に誘われ、彼が立つ場所へと今一度足を動かした。

 

「まったくもう、何か伝える努力はしてくれたまえよ」

 

 あらゆる音が遠ざかる。

 

「君は私と同じで、お喋り好きだってもっぱらの評判なんだからね」

 

 匂いが離れていく。

 

「うん、わかってるって」

 

 そのくせ闇は近づいて、ここがどこかを曖昧にしてしまう。

 

「今行くよ」

 

 身に覚える寒気は、まるで世界との繋がりが切れたかのような感覚を齎して、イリスの注意力に隙間を作る。

 

「で、どうしたんだい。ピカ――」

 

 

 そうして凍らせた背筋ごと、ピカチュウは彼女を切り裂いた。

 

 

「……っ……!!?」

 

 間一髪、だった。

 救われたのだ。顔を近づけた瞬間に、それがピカチュウではないと気付けた自分の目に。

 咄嗟に頬の薄皮を支払って無事を購入したイリスは、即座に“ピカチュウのような何か”から距離を置く。

 驚愕の余韻に逆らうことなく攻撃で落ちた帽子を被り直すと、続けざまにモンスターボールから“バシャーモ”を呼び出した。

 彼はその危険性を本能で感じ取ったか、屈む主の前に腕を出し「下がれ」と合図。

 

「……君は、誰だい?」

 

 項垂れる影に、問う。

 何故ならピカチュウは、こんなに長く鋭い腕を持っていないから。

 

「どこから来たんだい?」

 

 立ち尽くす闇に、訊く。

 だってピカチュウは、こんなにくすんだ色を備えていないから。

 

「――君が、そう(・・)なのかい?」

 

 唸りを上げる怨念に、質す。

 だって彼は、ひりつくような敵意を滲ませているから。

 

『ミ……タ……』

 

 ポケモン図鑑を、遠くで禍々しくなっていく“何か”にかざした。

 

『ミミッキュ、ばけのかわポケモン』

「!? 反応した……!」

『正体不明。ボロ布の中身をみたとある学者は、恐怖のあまりショック死した』

 

 “ミミッキュ”――と、いうらしい。

 図鑑がポケモンとして認識はしてくれたが、当の持ち主が知らないポケモンであった。

 

「でも、すごい……!」

 

 六つの地方を踏破してなお、こうして全く知らないポケモンがいるというのだから、世界は広い。そんな場違いな喜びを漏らす。

 どんな技を使うのか? どんな特性なのか? どんな動きを見せるのか?

 

『ミタアーッ!?』

 

 ミミッキュはそんな彼女の興味に対し、過剰な答えを以て返した。

 ビコン。初めに、眼が光る。そして足元で広々と寝転がる影が起床すると、一斉に彼女目掛けて牙を剥く。次には数十にも及ぶ漆黒の細腕が、地獄へ引きずり込まんとする勢いで獲物に襲いかかった。

 

「バシャーモ! よろしく!」

『ヴァァッジャェアァ!!!!』

 

『フレアドライブ』で全身を発火させ行う、格闘術。厳密には、回し蹴り。

 それは轟炎を撒き散らし、幾重にもなる『かげうち』を暗闇もろとも焼き払って。

『ミタアアアアアッ!!?』でもまだ足りない。怯ませてすらいない。敵が立て続けに取った『闇色の爪(シャドークロー)による突撃』という選択で、イリスはミミッキュと目が合った。

 

「ごめんね! とりあえず話は、後で聞くからッ!」

 

 しかし怯まないのは彼女も一緒。裏拳の要領で握り拳を水平に振るう。

 伴うバシャーモが真似ると、矢が如き雷光が発生した。技“かみなりパンチ”の電気エネルギーだけを抽出、遠距離攻撃として飛ばしてみせたのだ。

 光が空虚な顔面を照らす。飛び掛かる折に頼った勢いが、まんまと裏切り仇になる。

 後悔しても既に遅い。ミミッキュは電撃を直にもらった。

 バチィン、と鼓膜まで痺れそうな音を聞き、勝利を確信。

 

「いっ……!?」

 

 それは早い。傾いた首が、そう言った気がした。

 

「ちょ、やば……!」

 

 ホラー映画のゾンビよろしくぽきりと折れ曲がった頸部が、雷の矢のダメージを実証している――そのはずなのに。

 物の怪は止まらなかった。止まってくれなかった。

 頭をがくがく揺らしながらバシャーモの拳を避けて、脇をすり抜けて。思考さえ無に帰す爪が、やがてイリスの眼前へと伸びて、至る。

 

 まずい――――。

 

 声にならない声が、腹の中で反響した。

 

「“じゃれつく”!」「“れいとうビーム”!」

 

 その時だ。救援が現れたのは。

『バウワァァァァァァァァッ!!』背後からのそれは、叫びと共にイリスの傍らの空気を巻き込んで、ミミッキュにご自慢の太い腕を叩き付けた。

 そうして視界が震えたところに、さらなる追撃。鋭い水色の光線を浴びるとたちどころに吹き飛んで、肉体の一部が凍り付く。

 怒りに任せて立ち直るミミッキュの前に、ようせいポケモン“グランブル”と、こうていポケモン“エンペルト”は立ち塞がった。

 

「ふうー……、ナイスタイミング」

「遅いなと思って来てみれば、これか」

「大丈夫ですか、お怪我は!」

 

 ステラとアシュリーが、遅れてイリスの両脇に立つ。

「まあ、血が……!」「はは、こんなの擦り傷さ」頬にあてがわれたハンカチという心配を受け容れながらも、最新の情報を彼女たちに届けるイリス。第一声は「それよりも」

 

「あのポケモンが、事件の犯人でいいと思うよ」

「鋭い刃物での切りつけ……そのようですね」

「図鑑が言うにはゴーストタイプだ。人の意識や記憶に干渉する技なんて、いくらでもあるだろうしね」

「ああ、何より――」

 

 彼女らが断定する材料はそれらだけではない。

 ボロ布で作られたピカチュウ型の被り物を、手元の“謎の布切れ”の写真と照らし合わせれば、事の意味が自ずとわかってくる。

 経年と共に褪せた黄色も、よれよれなままでいる質感も、何もかもが。

 

「一致、しているしな」

 

 答え合わせをするまでもない程に、主張するのだ。

 そこからは早かった。アシュリーは仲間にどうするか指示するよりも先に、エンペルトへ目配せした。

 僥倖とは、こういうことをいうのだろう、なんて独白。しかし好機は好機、当然それを逃す真似はしない。なればこその独断で。私の方が早く、確実で。

 アイサインに従い、掌を前へ突き出す皇帝に向かって、

 

「決めろ、れいとうビー」

「“じゃれつく”です!」

「は!!?」

 

 大声で叫んだ。ステラと一緒に。

 エンペルトは思わずぎょっ、とする。

 次の瞬間、青白い閃光は確かに狂わずミミッキュへと飛んでいった。

 が、凍らせた対象は彼ではない。では誰か? 割り込んだグランブルに他ならない。

 恐れていたことが起こってしまった――。

 惨状とは、こういうことをいうのだろう、なんて独白。こちらはイリスのものだ。

 

「ご、ごめんなさい! 私ったら……!」

「く……っ~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!!」

 

 プチン。彼女の頭では、確かにそんな音がした。ごくごく僅かな間を挟み、いよいよアシュリーの堪忍袋の緒は切れてしまった。

 

「いい加減にしろ!! 貴様に指示を送らないということは、貴様が邪魔だということに何故気付かんのだ!!? どうして一から十まで言われなければわからんのだ貴様はッ!!!!」

 

 ブチン。彼女の耳には、ちゃんと音色が響いた。ほんの少しの沈黙を程なくして破り、ステラもまた怒髪で天を衝いてしまった。

 

「そんな言い草はありませんでしょう!!? 一人よりも二人がいいと思っての行動でした!!! お詫びは致しますが、一人で決めたいと思ったならばその旨を教えてもらわなければ伝わるはずがないとわからないのですか!!??」

 

 ガクリ。旅人が額を押さえて肩を落とす音だ。なんとシンプルでわかりやすいことだろう。

 

「察しが悪すぎるんだ! この局面ならば普通、れいとうビームで確実に足りるだろう!!」

「私をエスパーのように扱わないで下さい! そして何事も絶対はありません! 特にポケモンバトルは万一も考えねばならないのです!!」

「その万一が貴様の妨害か!? 傑作だな!!」

「ご自身が人を使う適性に恵まれていないとは考えないのですか!」

「なんだと!?」

「なんですか!」

 

「ちょっと、ミミッキュ逃げるよ!!?」――両者はイリスの一言で、は、と我にかえる。

 しかしいくら騒いで声を上げようが、後の祭り。ミミッキュは入り口に使ったところとは逆の通過口へと走っていく。こうなってしまえば、エンペルトで氷雪の煌めきを放とうが。グランブルで大岩を投げようが。バシャーモを奔らせようが。何もかもがもう遅い。

 げたげた上がる笑い声が今まさに、再び外界へと躍り出た。折角掴んだ手がかりを、みすみす取り逃してしまう。

 

『――ヂューーーーーーーーーーーーッ!!』

 

 そんな間抜けな事実をギリギリのところで取り消したのは、一つの稲妻だった。

 弾ける鳴き声と共に現れ、怨霊へと“ボルテッカー”を叩き込む、第四の捜査員であった。

 全てを聞きつけ帰ってきた、イリスのピカチュウであった。

 

「……はじめから、君一人でよかった気がするな……」

『ピカ?』

 

 ぐるぐると目を回すミミッキュを捕えながら、イリスは心底疲れきった顔でピカチュウを撫でた。

 そして寂しく思う。解決に文殊も姦しも要らない。そもそも一人で済むであろう、と。

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