ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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03.一匹が誰かを愛する一日の話

「名前は“ミミッキュ”、性別は……へえ、女の子なんだ」

 

 イスと、本と、少しの医療器具。

 

「生息、アローラ地方――――タイプはゴースト・フェアリー。ラフエルやその他での発見情報はないね、そりゃ知らない訳だ」

 

 流れ着いたか、捨てられたか。

 押し掛ける様々な飛来物が、壁と床をひたすらに叩き打つ。

 

「特性は“ばけのかわ”で、受けるダメージを一度無効にする特性か」

「うひゃあぁぁぁぁっ!」

「だからあの時、バシャーモのかみなりパンチが平気だったのか……」

「くっ、なんてじゃじゃ馬だ……!!」

「……なるほど! 落ちてる布切れは戦闘で消費した化けの皮の一部か!」

 

 イリスが投げ飛ばされてくるステラを軽快にかわすと、すぐ後ろでどんがらがっしゃん、と聞きたくない音が鳴る。

 ただでさえ拒んでいたから、せめてもと聴覚情報の取得だけに留めた。そんな彼女が、依然として目を向け続ける相手、それこそが“ミミッキュ”。

 ピカチュウの活躍でなんとか捕獲にこぎ着けたものの、今度は詳細を知ろうと連れて行ったポケモンセンターで大暴れときた。同じく本件で別働していたPGらも召集し、解決を伝え祝賀ムードとしゃれ込みたかったが――どうやらそうもいかないらしく。

 今なおセンター内で大暴れするミミッキュが、如実に事実を語っている。

 

「クソッ、こいつ、甘い顔を見せていれば調子に……ッ!」

「ホプキンス警部、ここでポケモンを戦わせてはなりません! 警部!」

「放せッ! つけあがる輩には灸を据えてやらねばなるまい、こういう悪ガキのような奴は特にだッ!」

 

 話しかければ物を投げ、近づけば爪を振り回し、叱れば大声を上げて鼓膜にすら危害を加える。隠されることがない敵意の塊に、誰も彼もがお手上げ状態だ。

 

「あの子、きっと人間に何かしらの恨みを持っているんだわ……」

「やっぱ、ですよねえ。私もそう思います」

 

 単なる抵抗と呼ぶには、目に余るほどの攻撃性。

 過去にヒトと何かあったのか、されたのか――わかりはしないが、少なくともこの振る舞いの根底に、憎悪や拒絶があるのは確かであった。

 門外漢のPGはただただ狼狽し、知識があるセンターのスタッフは数人が気絶、今やカウンターに隠れるのが関の山。小奇麗だった内装が目も当てられないほど滅茶苦茶になり、足元に転がった雑誌の『ポケモンは友達!仲良くなれるたった10の方法!』という記述が、今のイリスにはなんだか虚しく感じられた。

 最悪、鎮静剤でもう一回寝てもらうしかないのかなぁ、なんて素人特有のぼんやりとした考えを巡らせる。

 そのうちに、雑然とした物の山から、ステラが再び顔出した。服はぼろぼろで、その面もところどころ薄汚れてこそいるが、彼女は、彼女だけは、いがみつける怨霊へと向かっていく。

 

「ステラちゃん、危ないよ!」

「愛を絶やしては、なりません」

 

 そうか、こういう奴なのか、彼女は。

 どんな時、いかなる者でも慈しんで、尊び、愛することをやめない。そんな彼女の生き方を目の前で思い知る。

「敬虔たれ」負をものともしない正を抱えて前進していく背中が、そう言っている。彼女という器が言葉を越えて伝わる。

 信じるために、彼女が聖職者になったのではない。聖職者という彼女を表すために、信じるという言葉があるのだ。

 その横顔は「優しい」なんて表現では収まりきらない、聖母にも似た温かさを湛えたまま、おもむろにミミッキュへと寄り添った。

 伸びる手が優しく彼女の頭を撫でると、忽ち憎しみは和らいで――。

 

『ッキューーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!』

 

 いくはずもない。そんなわけあるか。馬鹿にしているのか。

 ミミッキュはまるで駄々っ子のように腕を振り回し、修道服を大きく破ってしまった。ビリリ、という過激な音に続いた光景は、目を覆いたくなるような、焼き付けたくなるような。心なしか後者の選択は男性が多かったようにも思えるが、気にしないでおく。因みに何とは言わないが、目撃者曰く“白”だそう。

 黒いベールの向こうにある全てを露にしたステラが、無言のまま俯いた。

 そして呆然に包まれた頭を両脇からひっ掴んで、持ち上げる。

 

「――――――ミミッキュ」

 

 そんな呼び掛けの直後に覗いた顔は、後に思い出すだけで泡を吹いて卒倒してしまうほどの趣があったという。

 一匹の悲鳴が、ポケモンセンター内に木霊した。

 

 

 

 誰かを恐怖させる者は、別の誰かからの恐怖に陥って大人しくなった。

 慈愛という言葉がどこぞへと消えているような気がしなくもないが、終わりよければ全てよし。所謂結果オーライというものだ。誰一人異論を唱えることもなく、ラジエスシティ連続通り魔事件は解決と相成った。

 

「協力に感謝する」

 

 アシュリーの敬礼に、会釈で返す。

 日はとうに暮れて、いつも通り一日の終わりを運び込むが、不思議と今日はどこか清々しい。きっと彼女たちの感じ方の違いなのだろう。

 街明かりと星明かりで照らされる都市の片隅で、二人と一人は別れた。

「いやー、めでたしめでたし」イリスは見送りを適当なところで切り上げ、さっと身を翻す。

 解決祝いということで、隣の修道女を食事に誘おうと思いついた、その時であった。

 

「お待ちください」

 

 小さくなる背中を、引き留める声。ステラのものだ。

 自分のことかとアシュリーは振り向いたが、正解。夜の海に解けそうなその碧眼と、ぴったり視線が合う。

 

「なんだ?」

 

 怪訝そうに訊ねてみると、返事は聞こえなかった。遠い距離感だったり、雑踏特有の喧騒のせいかと思ってもみたが、どうやら違うらしい。発話そのものがされていない。

 

「おい、用がないなら」

「ミミッキュは」

「!」

 

 急だったものだから、少し驚いた。

 

「ミミッキュは、これからどうなりますか?」

 

 ステラは痺れを切らした聞き返しを遮るついでに、胸に取っかかる疑問を全て吐き出してしまった。

 意図を聞いたところで仕方がないので、そのまま洗いざらい事実を述べてやる。

 

「今日、一晩掛かりで検査をし明日に経過観察、明後日の朝来訪するポケモンレンジャーに保護してもらう」

「明日は一日時間がある、ということですね?」

「……何を企んでいる?」

 

 前言撤回だ。含みがありすぎる追加の問いに、思わず口が動いた。

 

「少しだけ、お願いがあります」

「……なんだと?」

 

 間がどんどん溜まっていく。なんだなんだと、イリスも興味ありげに聞き耳を立てた。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 上が黒で、下が青。

 もっといえばボリューム袖のフリルオフショルダーに、適度な露出のミディアムスカート。絡みついたいくつかのバングルは、細腕を十二分に飾ってくれていて。

 これがエリート警官の非番時の格好だなんて、誰も想像するまい。

 内側に向いた腕時計を一瞥して、腰に手を当てるアシュリー。踵を支点にしたままアスファルトを叩き続ける爪先が、丁寧にも彼女の不機嫌を教えてくれている。

 先刻から不要なまでに浴びせられている通りすがりの視線も、その心情と無関係ではないだろう。

 

「……遅い! もう三分遅れている!」

「まあまあ、言い出しっぺは私ですし、代わりに謝りますから……」

 

 クロップドスキニーのペールピンクと、デニムシャツのスカイブルー。その中でちらりと見えるグレーボーダー。

 カラフルな出で立ちで人々の釘付けを後押しするステラが宥めても、仏頂面は綻びそうにない。

 何を思ったか彼女が『ミミッキュと一日触れ合いたい』と頼み込んでから、十数時間が経過した。

 いくらポケモンとはいえ、その立場は重要参考人と何ら変わらないので、一介の市民が連れ回すなど言語道断な話。よってアシュリーはきっぱり断ったのだが、深々と下げた頭が言う「どうしても」に揺らいでしまい、結果『警察関係者が監視役として付き添う』という条件で許可を出した。

 つまり自分の休息を棒に振ったことを意味している。

 あの場で彼女のしおらしさに絆された自身の落ち度は認めているし、当然己の押し負けやすさも少しだが認めてはいる。しかし納得いくか否かは全く別の話だし、待ち合わせで遅刻される今になってみれば、断り切れば良かったとすら思っていて。

 

「お~~~い!」

 

 大半が釣り合いを気にして接触をためらうであろう見目麗しい二人に、平然と駆け寄る赤ジャージ。

 のみならず、ショートパンツもレギンスも、果てはキャップにリュックさえ。彼女だけはいつでもどこでも変わらない。

 上目遣いで苦笑しながら両手を合わせ、イリスは早々に「ごめんっ」と謝った。

 

「貴様、五分の遅刻だぞ! 何をしていた!?」

「本当に申し訳ない! 布団の寝心地にやられてしまって、ついつい寝坊を……寝袋で慣れてるとこれだから、ああ、もう……」

 

 ラジエス滞在にあたり、ほんの少しの贅沢でホテルを借りていたが、どうにもそれが仇になった。

 しかしそれ以上責める真似はせず、

 

「……今回はこいつらの遊びに付き合うだけだから、大目に見てやる。今後、私との重要な用事でそれをやらんよう、気を付けることだ」

 

 短く残して、先を行くアシュリー。

「さっすがアシュリーちゃん! よっ、かわいいよ、決まってる!」「貴様、やっぱり反省してないだろう!!?」

 同じ場所でも、立ち位置が異なるだけでこんなにも慣れなくて、落ち着かない。

 日向に晒され、人に揉まれ、物陰が恋しくなって。楽しげに賑わう後ろ姿を、ただ漠然と眺めた。

 

「うふふ。では、行きましょうか」

 

 聖女はそんな彼女に微笑みかけて、そのちっぽけな躰を和みの輪へと引き入れる。

 四者が中央区(セントラルエリア)の英雄像を後にした。どうやらここは、今日も人を絶やしそうにない。

 午前という現在を教えてくれるのは、昇る最中の太陽で。彼が消えるまで、この忙しい連中と一緒なんだなと思うと、その白日は途端に憎らしく見えた。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 いくら一口に『遊ぶ』なんて言っても、方法は色々ある。

 ショッピング、アトラクション、映画に食事に水族館、博物館と動物園と、美術館。奇を衒ったところで植物園――いずれもこのラジエスで味わえるものだから、余計に迷ってしまう。

 極論、どこにも立ち寄らず何の気なしの散策を繰り返すだけでも十分な遊びになるのだが、折角の休みを返上してくれたアシュリーへの義理もある。し、何より一日しか残されていない時間だ。計画的に使いたいから、ちゃんと計画してきた。

 ステラが皆を連れて初めに訪れたのは『ラジエスポケキッズパーク』。

 名前の通りポケモンと子供が遊ぶことに適した、年中無休の屋内遊園地だ。

 息切れを起こす滑り台やトランポリン、迷路のようなジャングルジムといった、フロアを広々と埋め尽くす大型遊具に、一周何百メートルにもなるレールを往く室内電車。加えて本格的なサーキットを駆けるゴーカートに、人工雪が敷き詰められたスノースペース。飽きたら人工芝のポケモンラン。

 アトラクション『鏡の迷宮』は別世界へ冒険できるし、『コウガ忍法カラクリ屋敷』はゲッコウガが客人を忍者にしてくれる。

 ポケモンと一緒に登って走って跳んでが出来るアスレチックエリアはエアー遊具で作られていて、安全対策も万全ときた。

 建物まるごと一つが、遊びのために存在している。此処はそういう施設。

 

「なんだか子供に戻ったみたいだ。テンション上がるなぁ」

「貴様が元気になってどうするんだ」

 

 少し場違いにも映る三人娘だが、ポケモン一匹いればその違和感もたちどころに風化するので、不思議なものだ。

 彼女らはボールプールの前にいた。溺れそうなのに幸せそうにする、そんな子供やポケモンたちの声が飛び交う中で、抱えていたミミッキュを足元に下ろす。

「どうぞ」なんて言ってみたが、立ち尽くすばかりで反応すらなくて。

 

「あら、気に入らなかったかしら」

「安直だったんじゃないのか。静かな場所を好むポケモンだっているだろうに」

「思いきり騒げれば、なんて思ったのだけれど……」

「ひょっとしてさ、遊び方を知らないんじゃない?」

 

 ポケモンと人一倍向き合うトレーナーの知恵が、悩ましげな二人の関心を集めた。

 

「人と触れてこなかったんだとしたら、人が作ったモノの仕組みや扱いを理解するのも、大変だろうし」

 

 なるほどな、と納得するアシュリーの隣で、ですが、と意見するステラ。

 

「でしたら、どうすればよろしいでしょう? どうしたら、用途を教えることが……」

「ん、なに、簡単なことさ」

「?」

「こうするんだ、よっ!」

 

「いーーーやっほーーーーーーう!」言葉をより先に、体を前に。突然走り出したイリスはミミッキュを抜いて、いの一番にボールプールへダイブした。

 飛び散るプラボールがぽよん、とマットの上で跳ねると同時、彼女の真意を理解したアシュリーが溜息を漏らす。

 

「すごいよ! ここ面積もあるのに深さもしっかりしてる!」

「恥というものを知らんのかあいつは……」

 

 行動で伝えろ。言葉も通じず、文化も異なる地を巡った旅人の言わんとすることが、これだ。

 最もシンプルにして相手を選ばない、成功が望める明快なコミュニケーション。だがこの場に限れば些か、シチュエーションに苦しい条件があった。

 ある程度成熟した女性が子供用遊具に興ずるというのは、絵面的に問題を感じないでもない。

 しかしそんな尻込みもお構いなしに「カモン! カモン!」と両手で下から手招きする女性の面持ちは、無邪気そのもので。

 

「もう、こうなったら! ……えーいっ!」

 

 半ば自棄になって、ステラも飛び込んだ。

 バラン。丸い飛沫が暴れて数秒、真っ赤になった顔を出す。

「へんなの!」「おとながやってる!」「おもしろーい!」子供たちの発言に胸を痛めながら、

 

「うう……やっぱり恥ずかしいわ……」

 

 表情隠して呟いた。

 その直後のこと、だったろうか。樹脂の海がもう一度、客を受け容れる音を鳴らした。

 次の光景にステラは大層驚き、そして喜んだ。

 ぎこちなくとも、隣で手足をばたつかせてボールの中を泳ぐミミッキュの、その姿を見て。

 心の底から、笑みがこぼれた。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 三人と一匹は、時間も忘れて盛大に楽しんだ。

 とりわけステラとミミッキュは施設という施設全てを回り、まるで童心に返ったかのように遊び尽くした。笑声も何度上げたか、わかりはしない。

 そこに人間へ爪立てる怨霊の姿はなかったし、淑やかにする聖女の静けさもなかった。ただ楽しみ、元気に騒ぐ、そんな仲の良い姉妹にすら思えた。

 ラジエスポケキッズパークを出た彼女らが西区に訪れたのは、正午を過ぎた頃の話。

 

「後でシーヴ姉ちゃんにも送ってやろ」

 

 すきっ腹でも、我慢だ。出された食事の写真を撮って、恒例の旅の記録を作らねばならないから。

 腹の虫が鳴き始めたので、昼食を取っている。

 よさげな店を、とも思ったが、万年金欠という宿命を抱えたイリスへ配慮し、ファストフードの『ビクティニバーガー』に決定。ラフエル全土で有名なチェーン店で、手ごろな価格からなる味の良さがラフエル人の舌を掴んで離さない。

「お待たせしました、ムーランドッグとバニラシェイクです」救助犬としても著名なポケモン“ムーランド”の体型のように厚く、横長なホットドッグが、ミミッキュを抱えて座るステラの前に出てきた。

 腹ごしらえにはお誂え向きのボリュームを持つそれは、メニュー表を見るミミッキュが指さしたもの。

 

「『いただきます』――出されたものを食する時は、こうするんです。真似をしてみて下さい」

 

 早速食べようとするミミッキュの眼前で、後ろからを回した手を重ね合わせてみせた。

『ぷきゅ』手本とは程遠い発話だが、彼女なりの一生懸命さが見えたので、ステラはその反復を良しとする。

 

「はい、偉いです……よくできましたね。召し上がれ」

 

 耳を撫でる温かな手が、その証明。

 

「えっ、ていうか口そっちなの!!?」

「今更ですか……」

 

 被り物の下から潜らせたホットドッグを咀嚼する様に仰天すると、忽ちフライドポテトは喉に詰まった。

 

 

 

「いらっしゃい! 安いよ、安いよ!」

 

 露店街では、読んで字の如く露店が連なっていた。

 特定の所在を持たぬまま、各地を流れて店を出す者達がいる。ラジエスでは、そんな彼らに港まで繋がる道の一本を商売スペースとして貸し出しており、申請さえあればいつでも使える取引場として機能するようになっているのだ。

 時期によって変わる店構えや風景はそれだけで飽きという概念を取り除き、今日(こんにち)まで此処を、知る人ぞ知るラジエスの穴場たらしめんとしている。

 道行く人やポケモンと何度もすれ違い、賑わいの中を通っていく。

 

「かわいいお嬢さん方、見た目通りにかわいいポケモン連れてるね! どうだい!」

 

 食べ物屋が多くあるところで、彼女らが敢えて呼び声を拾ったのはアクセサリーショップ。

「えっへへ、かわいいだってさ」「はしゃぐな、子供じゃあるまいし」クスリとしてから行われる耳打ちを一蹴し、簡素な屋根の下に並んだ。

 どうやらこのショップは出張店舗なようで、元来カロスに本店を構えているそう。

 ネックレスに始まり、リングもピアスも、鉱物資源が豊富な同地方で作られているモノだけあって、素人の一見のみでも上等とわかる。

 イリスは値札一つ一つに赤字を透かしているが、あまりに下世話なのでほどほどにしておく。

 

「どうですか? 何か欲しいものはありますか?」

 

 ミミッキュは、己の化けの皮を大切にする習性がある。汚れれば洗うし、綻べば修繕する。そして機会があれば、グレードアップだってしっかり行う。

 並み以上に身だしなみに気を遣うポケモンなのだ。

 ほんの一夜漬けで得た知識だが、こうして瞳を輝かせている彼女を見れば、意味があったなと思える訳で。

 利口にちょん、と指さすリボンを手に取って、店員に示した。

 

「では、こちらを下さいな」

「お目が高いね! これはキーストーンに使われる“輝く石”を、パウダー状にして生地に織り込んだものさ! 見る角度で色が変わるからねえ、綺麗なもんだよ!」

「二つ買うの?」

「ええ、そうです」

 

 イリスの問いかけに、支払いの片手間で応える。ほどなくして空いた手が、ミミッキュの左耳の根元にパールカラーの帯を結んだ。

 

「お揃い、です」

 

 そしてもう一つの帯を自分の横髪(サイドバング)に結び付けてやると、ステラはほんのり歯を覗かせ、眩しくにっこりと笑った。

 なるほど――はにかんで、腑に落として、

 

「うん、似合ってるよ」

 

 一言だけ。

 顔を並べて隣り合わせるのを眺めながら、本当、姉妹みたいだな、なんて思ってみたり。

 ちょっぴり温まる内心に気分を良くしながら、次の目的地へと足を運ぼうとした。

 

「あ、あの…………こ、これを……」

 

 そんな折、震える指で、ラッキーのようなピンク色を携えた“かわいい”リボン付きピアスを所望する女性警官が、目に入ってしまう。

 

「……かわいいじゃん?」

「や、やめろッ! その目を! 早急にッ!!」

「いやあ、大丈夫大丈夫。すっごく似合ってるよ」

「やめろおおおおおおおおおおおッ!!!!」

 

 赤面。はしゃいでいるのは、彼女も一緒なようだった。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 日差しの色に、黄が混じってきた。

 

「あはは、待て待て~!」

 

 横にも縦にも広大な空間は建物には建物なのだが、漂う雰囲気は厳かで、静謐で、でも寛雅で。寧ろ聖域のそれに近い。

 白色と薄黄色の抱擁が、居合わせる人々の情動を穏やかにする。

 見守るように佇む白と黒の二体一対の神像は、一目すれば罰当たりにも思えるポケモンと人の追いかけっこも、許してくれているような気がした。

 此処は英雄ラフエル、そして神と呼ばれしポケモンを祭る、ラジエス大神殿。

 ステラはイリスとミミッキュの賑わいを背にしながら、握り合わせた両手をほどく。常日頃やっていること故なのか、その恰好は違えど、やはり祈る姿は一般人のそれよりもうんと様になっていた。

 

「ポケモンに神話や偉業なんぞ、わかるとも思えんがな」

 

 ラフエルの伝説を、確かに彼が存在した息吹を閉じ込めたこの場所は、貴重だし、人によっては喜ばしいのだろう。しかしミミッキュというポケモンには。人を恨むことでしか生きられなかった存在には。訪れる意味を見出せないのではないか、なんて、アシュリーは思っている。

「良いんです」返す隣に、目を当てた。

 

「私が来たくて、祈りたくて訪れたのですから」

「ほう。その祈りとやらは、どんなものだ」

「――どうか彼女が、人を許せますように、と」

 

 柔らかな風に乗るその願い事は、ここで言わないといけなかった。

 人がポケモンを愛し、ポケモンが人を信じて世界を紡いだ証明が眠る、ここでなければならなかった。

 

「恨むだけでは、虚しすぎるではありませんか」

 

 辛さも苦しみも、拭い去りたかった。

 

「憎むだけでは、悲しすぎるではありませんか」

 

 生命は思うよりも幸せなのだと、知らせたかった。

 

「呪うだけなんて、あんまりではありませんか」

 

 人は『余計なお世話』と嘲るのかもしれないし、或いは『ありがた迷惑』と突き返すのかもしれない。

 それでも、いい。偽善と(なじ)られようが、花畑と罵られようが、結構だ。言われ慣れてる。重畳だ。

 それでも彼女は、傷付く者に寄り添っていたいから。生まれたことが祝福されてほしいから。世界に優しくあってほしいから。何が無くてもその手だけは握るのだ。握り続けて、放さないのだ。

 彼女は、何も持たない。特別なものが、無い。

 

「……お前は、おかしな奴だな」

 

 ただ折れず、砕けず、めげず――。

 

「でしょう? ある人との、約束なんです」

 

 ひたむきに願って、祈り続ける。

 

「一方的な取り付けでは、あるのですが」

 

 ステラという女性は、そういう人。

 そうやって握った手紙にも、ちゃんと書いてある。

 

 

 

 一匹が人を愛するための一日も、終わりを迎えようとしている。

 ビルの陰だけはすっかり夜の風情が漂っていて、車の駆動音よりも、ヤミカラスの鳴き声が大きくなってきた。

 何も都市は排気ガスや、喧騒といった人工物にまみれているわけではない。

 しっかりと自然もあるし、緑だって生きている。

 中央区メインストリートの、北側から入って六番目の植え込み。そこは先日の交通事故によって破損した街路樹が撤去された場所で、並木道の唯一の隙間であった。

 

「これで、よし……と。お願いします」

 

 その前で屈み、ガーデニンググローブとハンドシャベルを以て、手狭な土壌に空間を作るステラ。

 不思議そうに覗き込む二人をよそに、ミミッキュは手に持ったプラタナスの種をそこに置いた。

 土を被せてじょうろで水を溢してやれば、まるで子供のように興味津々として、湿った茶色を凝望する。

 新たな街路樹を植える――わざわざ市から任されている仕事を遊興の終わり際である今に行ったのは、ちゃんと理由があって。

 

「今日に生まれた新しいあなたは、この木と一緒に成長していくのです」

 

『この子が、愛することを知れますように』――それは彼女の、もう一つの願い事。

 時を経て、人に触れ、事を解り、やがて生きる意味を覚えた頃。

 見上げるほどに大きくなったこの木を。自分がすくすくと育んだその命を。どうか愛せますように。

 これは、そんな願掛けだ。

 

「ねえ」

「ん?」

「いずれ彼が見下ろした時、この子は、どんな風になっているのでしょう」

「……さあ、ねえ。未来の事は、誰にもわからないよ」

 

 エンディングを飾るには、少し味気ない風景。腕組むアシュリーも、伸びをするイリスも、共通してそんなことを思ってはいるが。

 

「でもさ。素敵なものになっていてほしいな――とは、思うよね」

 

 彼女の横顔が実に満足そうだったので、微笑みに仕舞いこんで、言わないことにした。

「違いない、な」アシュリーが短く呟いた時、とうとう今日という日は終わりを迎える。

 沈む夕陽を惜しまない。きっとまた一緒に見れるから。今はただ、未来への楽しみに思い馳せながら、清々しい別れを告げよう。

 笑顔で、さよならを言おう。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 なんて考えてから、数時間。ステラはマンションの自室にいた。

 電灯の下、キャミソールとショーツでシャワー上がりの好調な肌色を惜しげもなく晒しているが、一人暮らしには関係ない話。濡れてぽさぽさになってしまった髪をバスタオルで拭きながら、テーブルの前のフロアクッションに座り込む。

 

「何をしているのですか?」

 

 そうして話しかけるのは、卓上で後ろ向きのまま何やら手を動かすミミッキュで。

 別れる寸前になって「寝るまでステラと一緒がいい」と駄々をこねたのは、彼女たちだけの秘密。アシュリーも今日一日行動を共にして態度が軟化したか、許してくれた。

 自前でメイキングしたベッドの枕元で座るアナログ時計を一瞥する、二三時過ぎ。

 気になって背中から覗き込んでみると、化けの皮を修繕しているところであった。

 そういえば、彼女たちは睡眠さえ削って直すほど、これが大切なんだっけ――。

 

「なるほど、任せてください」

 

 得意げになって言うステラが取り出したのは、裁縫箱。これだけで察しが付いたか、ミミッキュは少しの抵抗を見せるも「大丈夫です、悪いようにはしませんから」という言葉を信じ、大人しくなった。

 

「少しお行儀が悪いですが、致し方ないでしょう」

 

 テーブルの上で預かった背中に、ちくちくと針と糸を通す。

 “あの人”から教えられた事が、こんなところで役立つとは……なんて、考えながら。

 

「今度はピカチュウだけでなく、色々な皮を用意しましょうか。どんなポケモンにもなれますよ。メタモンみたいです」

 

 傷が少しずつ、縫い合わされていく。ほつれが、平坦になっていく。

 損壊した生体が息を取り戻すように、回復していく。

 

「どのポケモンになりたいですか? よければ今のうちに聞いて――」

 

 そのうちミミッキュは、静かな寝息を立てていた。

 

「まあ、遊び疲れてしまったのですね……」

 

 クスリ。ささやかな笑みがこぼれる。

 作業を続けよう。拝みたい寝顔を、仕方がないと我慢して。

 

「――あなたはこれから沢山の出会いを重ね、皆から喜ばれながら、大きくなっていくのです」

 

 彼女を、癒せただろうか。この一日を振り返りながら、思う。

 

「そしてやがて、この世に翼広げて、飛び立っていくのです」

 

 今の私はあの人に、胸を張って言葉を返せるだろうか。遠い匂いを、思い出す。

 

「ええ、本当に……楽しみです」

 

 気が付けば、修繕は終わっていた。

 着替えも片付けも忘れたままの一人と一匹は、テーブルの上で寄り添うように眠っていた。

 

 

 

 翌朝、早い着信音で目が覚めた。

 いけない、寝冷えしてしまったわ。遮光カーテンが作る肌寒さにめげそうになりながら取った電話が、寝ぼけた頭を叩き起こす。

 

『アシュリーだ』

「おはようございます。今から準備して、ミミッキュをそちらに――」

『いるんだな?』

「……?」

『そっちに、ミミッキュはいるんだな?』

「へ? ええ……寝ていますが……」

『……そうか。落ち着いて聞け、そして至急こちらに来い』

 

 なんだと傾けた聖女の耳に、

 

『明け方、北区でこれまで同様の通り魔事件が起こった』

「へ……?」

 

 想像だにしない量の不穏が流れ込んだ。

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