ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~ 作:裏腹
「っ!!」
ドタン。切羽詰まった戸が泣き喚く。ラジエスジムが業務開始早々から騒々しいのは、既に応接間いっぱいに
そして今しがたそこに入室したステラの血相が正常じゃないのは、完全に想定外の出来事が起きたからに違いない。
言った相手が言った相手だったので、質の悪い冗談と笑うこともできなくて。ステラは挨拶も忘れ、トゥワイスとアシュリーがいる中心のテーブルまで一目散に駆け寄った。
抱えられたミミッキュが、ただならぬ空気に圧されて窓へと目を逸らす。昨日が濁ってしまうほどの曇り空だった。
「来たか……これを見ろ」
早速差し出すのは、件で撮影された現場の写真。被害者が倒れていないだけで、他はそのままの状態で写されている。
点々とした血痕の上で無造作に転がる、開きっぱなしのモンスターボール複数個。
「被害者はジムに挑戦するため、昨夜にオレントからラジエスに入った
アシュリーの言葉に続くトゥワイスが、何を言わんとしているか。
「そして、やはり“覚えていない”そうだ」
そんなこと、考えるまでもなかった。
ゾクリと、悪寒すら走る。折角結びついた糸が、自分の与り知らぬ意図一つでほどけてバラバラになってしまうのだから。
単独犯という前提が瓦解する。まだ彼女以外の“何か”が潜んでる。とぐろを巻いて、この街の陰から自分たちをじっと見ている。
悪質なイメージのせいで、頬の上を滑った冷や汗。故意的とも取れてしまうこのタイミングの振り出しは、誰にとってもあまりに耐え難いことで。
しかし嘆いたところで何一つ変わらないので、人々は再び事に当たっていくしかない。
「……ミミッキュとは、ずっと一緒だったのか?」
アシュリーら警察は特に、だ。
「え、ええ。共に寝ておりました」
「睡眠……意識を失っている時があった。つまり、こいつから目を離すタイミングがあった、ということでいいな」
「……何を仰りたいのですか」
なればこそ、疑うことを続けなくてはならないのだが――心の余裕の無さなのだろう。こんな形式的な聞き込みにすら、角を立てる。
ぴりついた雰囲気は、辺りを嫌な静寂で埋め尽くして。
不理解なまま発されたステラの言葉が、必然的に鋭くなった。
「……模倣犯って、線もあるしね。まだまだわからないことがいっぱいだね、あはは」
柄にもなさすぎる振る舞いに危うさを覚えたイリスが、咄嗟のフォロー。
「手口が一緒で、状況証拠もある――理由が揃い過ぎなんだ。そんな中でアリバイ証明が出来ないのなら、真っ先に嫌疑をかけられても仕方がないだろう。何故しっかりと見張らなかった? ……いや、いい。結果論の押し付けだ。そもそも許可を出した私の落ち度もある」
だがそれも虚しく、アシュリーは無遠慮且つ無容赦に口車をぶつけた。
されどそこに感情や、個人の思いのようなものはこもっていない。ともすれば寧ろただ淡々と、使命のみを飲み込んで果たしていく冷たい人形にも空目出来る。
「……何故、そうなるのですか?」
「す、ステラちゃ」
「昨日の事は、忘れてしまったのですか。無邪気な子供のように綻ばせたあの表情を見て、どうしてまだそんなことが言えるのですか?」
「我々は感情でなく、事実を知る必要がある」
「この子は私と一緒にいました。間違いなくいたのです。確かに」
「でもお前はそれを証明できないじゃないか」
どちらも語調は穏やかなままなのに、会話には第三者を拒絶する明確な壁があるのだから、不可思議な話。
重なっているようでまるで合っていない視線が、悲しくも二人のすれ違いを浮き彫りにした。
もしかすると、事前に予見できたことなのかもしれない。
何故なら信じる者と疑う者は――本来対極にあるのだから。
仲良く祈ることも。共に希望を見届けることも。一緒に日常の空白を喜ぶことも。本当は出来ていなくて。見せかけに騙されて気付けなかっただけの、単なる『つもり』だったのかもしれない。
そう思った途端、ステラはどうしようもなく虚しくなってしまった。言葉を紡げなくなってしまった。
部屋から、出て行ってしまった。
「ステラちゃん!」
イリスが見えぬ足跡を追ったのを機に、アシュリーが部下へと目配せ。それは自分が行っても仕方ないと知る故の、代理派遣の合図。
かくして煮え切らないまま、濁されたまま、事件の捜査は再開される。それ以上、誰かが口を開くことはなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――あの子を救えるのは、自分だけなんだ。
そう思った途端に、頭が冴える。足が動く。使うべき正解の言葉が勝手に出てきて、やるべきことが理解出来る。
ステラは嘆こうとも、止まっていなかった。行動の重要性を承知しているために。
メモとペンを手に代理PGとイリスを連れ、車を使い、路面電車を用い、時には足のみで奔走し、とにかく情報をかき集める。
些細なことでも鬱陶しがられるほど訊ねて、街のあらゆる景色に目を配り、びっしりとメモに字を詰めて。最終的にはパッと見で読解できない程になった。
誰に話しかけるかさえ迷っていた一昨日の姿が嘘のようだし、体よりも先に考えばかり巡らせる二日前の自分とは別人みたいだった。
「ふう」
休憩。どか、と西区にある町中のベンチに腰を下ろす。
捜査開始から既に一時間――連続的に凄まじい集中力を発揮しても、真実は何も掴ませてくれない。
情報はどれもこれも耳からすっぽ抜けるものばかりで、嘘でも有用とは言えなくて。あえて悪く表現するなら「しょうもない」というやつだ。
でもまだだ、まだ諦めない。生まれ変わった彼女の無実を晴らすんだ。潔白を証明するんだ。メモ書きを噛み締めながら、何度でも己に言い聞かせる。
「大丈夫?」
背中に当たる言葉には、優しさが感じ取れる。情報整理を中断して振り向けば、イリスが背もたれに腰かけて、なんとなしに人の往来を眺めていた。
「根を詰めたって逆効果なこともある。PGだって、同じように捜査してくれているし……もう少し楽に構えていいんじゃない?」
「ええ……ありがとう。でも、今なんです」
「今?」
「たとえやったのが彼女でなくても……今犯人を見つけないと、私たちと彼女は、わだかまりを残したままお別れすることになります」
見つけないと、ならないんです。そう話す喉から出る声色はどこまでも険しくて、誰かの意見を払いのけてしまいそうなぐらい鋭利で、刺々しくて。
頑固さというのは時として息が苦しいな、なんて独白。
糠に釘を刺すような手応えを覚えたから、項垂れる後ろ姿への言葉かけを止めた。
「そういやミミッキュ、いなくない?」
「……いつの間に……!?」
尤もそんな静寂、すぐに破られてしまうのだが。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おや、小さいお客さんだねえ。いらっしゃい」
ステラとイリスが焦燥に駆られている頃、ミミッキュはそんな心配をよそに、単身で露店街に来ていた。
ワゴン車を改造して作った簡易店舗が掲げる看板は『きのみ飴』の四文字。様々なきのみを飴でコーティングし、それに棒を取り付けた、屋台グルメの定番だ。
「はいよ、“モモンのみ”でいいんだね」
指さしに伸ばした腕を戻す。金が必要なのは、知っている。教わった。
ラジエスに遍在する自販機の下をひたすらに漁って集めたから、心配は無用。彼女を元気にする一本を買えれば、それだけで十分だ。
「気を付けるんだよ」昨日を必死に思い出し、聖女の見様見真似で銀貨と品物を交換する。香った甘さに少しだけ誘惑されたが我慢して、緊張ごとぎゅっと持ち手を握った。
「おつかいかな? えらいねえ」
見上げた落書きのえくぼの赤色は、ちょっぴり濃くなっている気がした。
ちょみちょみと歩く。極めて短い足なので背が低く、人波の中ではあっという間に攫われかけてしまう。
ぎこちなく障害物をかわしながら、一生懸命に守るきのみ飴。
喜んでくれるだろうか。落ち込んだ顔をやめてくれるだろうか。照りに包まれた桃の果実を見て想像するのは、大好きな彼女の笑顔で。
あの人の感情は思わず伝染してしまうから、面白いものだと思う。人間とはこういうものなのだろうか。本当はこうして健やかな気持ちを、分け合えるものなのだろうか。
『こいつは、ボツだな。親にするにも価値がねえや』
――捨ててしまうだけの生き物では、ないのだろうか。
継ぎ接ぎだらけの魂が、そっと外の世界を覗き込んだ。
「――ぐあああああああああああああああああああああああああッ!!!!」
その時だ。耳を千切り取ってしまうような悲鳴が聞こえたのは。
ミミッキュは急な事への驚きでびくっと体を跳ねさせたが、すぐに転びかけから立ち直り、その不穏だらけの音の出所へと走った。
「い、痛い、痛いぃ……ッ!」
辿り着いた先は、コンクリの森の奥深く。自分が住処にしていた、暗闇が支配する路地裏であった。
数体のポケモンが瀕死で転がる中で、名も知らぬトレーナーは痛々しく血と生傷に悶える。ぶつ切りの声はダメージの大きさを伝達するのに十分すぎた。
どうすればいい? 何をしたらいい?
初めての事で、不測の状況で、バグが生じた脳内から大量のエラーコードが吐き出されるミミッキュ。これは昨日経験したことではない。彼女が教えてくれたことではない。こんなにおぞましい光景が広がるまで痛め付けたことなどない。
私は。私はここまでやった覚えが、ない。
怪しい曇天が、ついに雨天に変わった。湿った匂いが血みどろのそれと混ざる。不快だ。色の濃度が一段上がったアスファルトは、悲しむ空をいい加減に反射した。
降りしきる水滴に頭を冷やされたミミッキュは、ようやく満足な思考力を入手。とりあえずは人を呼ぼうと思い立ち、身を翻す。
「……なんだ、これは」
後ろに、見慣れた顔の戦慄があるとも知らないで。
『ミ』短い鳴き声が先だったろうか、それとも彼女の手が先だったろうか。
わからないが、被り物にひどく皺が寄った。
「――――何故だ!!?」
そして間近で、怒声がぶつかった。それだけは確かだった。
「何故、こんなことをする!? どうして人間に危害を加える!!?」
大きく開いた目。怖いものだった。
「お前にとって昨日という一日はなんだったんだ!?」
食い縛られた歯。遠ざけたくなる、恐ろしい様相をしていた。
「明日に前を向くためだったのではないのか!? 人の中で生きていこうと、一瞬でも考えたのではないのか!?!?」
私たちという魂を食い潰す、ヒトの顔を思い出してしまった。
「答えろ! そして言え! 面と向かって私たちに、
頭の中がぐちゃぐちゃにかき回されて、終いには真っ白になって。
「こんなことはしていないと――否定しろッ!!」
何も、話せなくなってしまった。
熱を奪われていても、わかる。すっかり縮こまって動かなくなった小さな躰をアシュリーから奪い取ったのは、ステラの手だった。
「私が、否定します」
発されるはずだった言を代弁するのは、ステラの口だった。
「お前の言葉など、聞いていない!」
「あなたはこの子の言葉だって、聞くつもりがないでしょう!?」
輪郭歪んだ残響に、濡れる灰が踊る。
「犠牲者は減らさねばならない! 時間がないんだ、私たちには!」
「それは、誰だって一緒でしょう!? 耳を傾けることさえ放棄して、一体何を得られるというのですか!?!」
溺れてしまいそうになる潤いに、飲み込まれる。
「お前だって同じだろうが! こちらの腹を、知ろうともしないくせに!!」
「あなたがわかりやすく伝えてくれたことなんて、一度もなかったッ!!」
雷雲は、滂沱として降りてくる雫に晒され続ける女性たちを、嘲笑った。
でも、それに気付いているのはイリスだけで。
「もう、いいです――」ただ壁に寄りかかったまま俯く彼女が、立ち去る一人と一匹を寂しく見送った。
握ったままのきのみ飴を今更差し出しても、もう遅い。
聖女は笑ってくれない。喜んでくれない。何一つ、言ってくれない。
雨に濡れてぐしゃぐしゃに溶けてしまったからだろうか。モモンのみが嫌いだったのだろうか。
それとも。
――この人も、自分を手放してしまうからだろうか。
立ちどころに出来た水溜まりを踏みつけて、吐き散らした感情の残りかすを落としながら、当てもなくさまようばかり。
私はこれからどうなるのだろう。どこへ行くのだろう。不思議と息が詰まって、胸は栓がされたように苦しくなった。
辛いって、こういうことなんだろうか。切ないって、こういうものなのだろうか。
「どうして、みんな――――わかってくれないのでしょうね」
悲しいって。こんなにも引き裂かれそうになるものなんだろうか。
水気で伸びきった前髪の隙間から覗く瞳が、さめざめと泣いていた。
消え入りそうな声。抱き締められて、より悲しくなって。いつしかミミッキュはステラと同じ面持ちをしたまま、ぴいぴいと鳴いていた。
どうにもならないことを、どうしようも出来ない。どうやらそれは心を激しく乱されるのだと、知った。
そうして不本意に成長した一匹、及び一人に、傘を差し出す一名。
「……! トゥワイス、さん……」
「風邪を引くぞ」
トゥワイスと呼ばれた男は多くを語らず、静かに彼女たちを見下ろしていた。
「付き添いのPGには引き取り願った。私で十分という事でな」――何より彼らと顔を合わせたい気分でもないだろう。配慮の行き届いた付け加えは、ステラの情緒を落ち着けた。
テルス山から流れる水路の表面が、忙しなく形を変えている。なんとなしに橋の上からそれを眺めつつ、再び開口するトゥワイス。
「聞いたぞ。君は、ミミッキュを救いたがっている……らしいな」
ええ、と返事こそするが、それは雨音に紛れそうで、耳を澄まさねば聞こえそうにない。
しかし横顔は尚も、構うものかと続ける。
「又、それ故に、彼女が今回の件に一切関わっていないという主張を続けている……と」
「違い、ありません」
確かめたいことがあるからだ。
彼という人間が、ずっと彼女に抱き続けてきた疑問のようなものの、答え合わせを望むからだ。
「確証は?」
「ありません」
「ならば、何故」
「信じているからです」
ただ愚直になって聞かず、捻じ曲げず、梃子であってもひとたび決めれば動かない。
「この子が私を信じてくれたように、私もこの子を信じています」
芯という呼び方すらかわいく思える、このステラという人間が持つ本質の、正体を。
一聞だけではただの感情論に過ぎないだろう。恐らく唾棄することだってたやすい。
「……ついてこい」
だがそれは、常識に当てはめればの話。
一息。暫しの閉目から、開眼した。どうやらこの男もまた、並から逸脱した“何か”を持ち合わせているらしい。
「ミミッキュの無実を、証明できるかもしれない」
「! 本当ですか……!?」
ステラはトゥワイスから滲むそれを汲み取り、先行く背中を追いかけた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
事件の痕跡と共に、諍いの記憶すらすすぎ落していく。この雨には、そういう役割があるのだと思う。
救急車が傷だらけの被害者を連れて行って暫く経った。現場は黒服の出入りが激しくなっていきやがて封鎖、そうして実況見分が始まった。
「いいのかい? このままにしておいて」
「……私の職務は
「ふうん」イリスが、先程とは打って変わって下がりきった肩へぶつけると、
「の割には、手に付いてないみたいだけどね。本職」
布きれという物証を拾いかけた素手が、大急ぎで引っ込んだ。
「貴様、知っているならば最初から教えろ」
「カウンセリングが要るのは、君なのかもしれないね」
「冗談を抜かせ……」
傘を小脇に抱えて、ビニールの手袋を着用する。
そのために俯いたのではない。さっきから、ずっと俯いていた。きっと彼女には自覚がないのだろうから、黙っておくが。
「……私だって、違っていてほしいさ」
仕方がないじゃないか。己を捨て去ることでしか、真相に辿り着けないのだから。
「誰が、昨日まであんなに楽しそうにしていた奴を、悪者にしたいと思うんだ」
全てを解き明かすことでしか、彼女を助けてあげられないのだから。
「どうして、誰かへの祝福を台無しにする道理があると思うんだ」
ならば。いっそ。
「それでも、私は――」
冷たくなるしか、ないじゃないか。
雨足に踏み潰されて消えたはずの胸中が――残骸として、まだ、ここにある。
白む息と共にこぼれて、砕けて、散った。
「自分に、腹が立つ」
「うん」
「目の前で助けを乞う命一つも満足に導いてやれない、自分にだ」
「……ふふ、優しいんだねぇ」
イリスはその微かな呟きを、アシュリーに届けようとは思わなかった。どうせ「からかうな」なんて目尻を釣り上げながら怒るんだろうし。
それに多分、これは彼女が隠しておきたいことなのだと、考えるから。
だから。今はただやれることを、やれるだけ。何も言わず、誰もが笑って終われるように行動するだけ。
欲しいのは大団円だけだ。ひたすら、そのためだけに。
「……しかし、酷い状況だね。ポケモンを総動員させた上で叩きのめしてる」
「たまにあるんだ。過剰な時が」
転がるモンスターボールを眺めつつ話題を展開させると、思わぬヒントが提示される。
不可解な事ではあるのだが、この通り魔事件、大まかな犯行内容に違いは無くとも、細かく突き詰めれば微妙な差異が存在していた。
ずばり、巻き込まれたポケモンの数、だ。
より具体的な表現をするならば、トレーナーに襲い掛かったであろう存在が、応戦として出されたポケモンに与える損害の度合いにばらつきがあるのだ。
例えば今回と前回のものは、壊滅レベル――全てのポケモンを瀕死に陥れ、いわゆる目の前が真っ暗になるほどの打撃をくらわせていた。
かと思えば前々回は一匹の瀕死に留めてあって。他にも二匹や三匹の時もあり、どうにも統一感がない。
『そもそもトレーナーが倒された分の数しかポケモンを所持していなかった』線や『ポケモンが強すぎて壊滅させるまでトレーナーを攻撃できなかった』線も考えてみたが、まるで腑に落ちない。
前者は事実確認の時点で被害者本人に否定されたし、後者は理屈の上で成り立ちそうもない。
ポケモンが瀕死になった時や、そのポケモンの退き際等、バトルの最中で生まれるトレーナーの隙は絶対に存在するし、実際にそういった注意と注意の切れ間を狙って人に危害を加えるという犯罪も少なくはない。
であれば、この違いを作る要素は何か。一体どんな意図があって分けられているのか。
他の捜査員はまるで注目していないが、アシュリーはずっと
「……妙だよ」
「何?」
詳細を聞かされたイリスが、素人であることに対する恥も臆面も忘れて意見を述べる。
言葉を練りながらのリアルタイムな頭が想起しているのは、一昨日のミミッキュとの戦闘。
「彼女は、こっちが出したバシャーモを無視して、真っ先に私を攻撃してきたんだ」
イリスは直に見ていた。ポケモンをすり抜けてでも奥のトレーナーを狙う、人間に対する確かな執念を。その攻撃性を。
「わざわざ律儀に戦って負けて、捕獲されてしまう危険を冒してでもその相手を狙う意味ってなんだい? ……そもそも、必要あるのかい? 『殺意を含まない程度の恨みを晴らす』っていう行為に於いて」
リスクとリターンが、釣り合わない――そう言った。
「……確かに、言われてみればそうだ。特定の個人に対する怨恨ならいざ知らず、大まかな括りの下だけで相手を決めているのならば、手強いと感じた時はすぐに逃走を図ればいい。あまつさえ全滅させるだけの力があるなら、ことさらバトルに付き合う必要性が薄い」
「そもそも、だよ。いくら強かろうが野生のポケモン一匹で、トレーナーご自慢のフルメンバーを倒せるなんて――私には到底思えないんだ」
見下している訳ではないと、誓う。
ただ、ポケモンと密接に関わり合う者ならではの経験と知識が、警察の推理を補填しているのだ。
噛み合って、結び付く謎。ようやっと解錠音を立てた扉の向こう側が、二人をある結論にまで導いた。
「……まさか、人為的なものが絡んでいるとでもいうのか?」
黒幕の中に、人がいる。
「多分だけど……、ミミッキュという化けの皮を隠れ蓑にして、裏で何かしらを働いている“誰か”がいる」
トレーナーのポケモンに対して明確な目的意識を持った、人物がいる。
「ああ、そうだ。間違いなく、人間が関わって――」
『そんな中で、こういった一般の人間が起こす犯罪だ』
「……ねえ」
「なんだ?」
そして、その確信は。
「――どうしてトゥワイスさんは、私達に事件の説明をする時、犯人が人間であることを前提にしたんだろう」
決定的な核心を、呼び込むことになる。
――そんな、まさか。
最悪なビジョンが過った。気のせいであれと思った。
『ポケモンの扱いにめっぽう長けた人間』が模倣犯として介入すれば、何もかも合点がいく――そんな推論が間違いであれと。強く願った。
「ステラちゃんが、危ない!」
口が出る頃には、二つの影は走り出していた。
もう止まらない、止まれない。どれだけ遠ざけたい真実であっても、これだけは目の当りにしなければならないのだから。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
目が及ばない路地裏に連れてくるのは、容易だった。事件の発生場所が、決まってそこだからだ。
「トゥワイスさん。それで、この子の無罪を証明できるもの、というのは」
「……ああ、それなんだが」
振り向いた先の彼女を叩き伏せるのは、簡単だった。殴られる訳ないと、信じ込んでいたからだ。
「な――っ」ステラが突如として背後に感じた気配へ振り返った時には、もう何もかもが手遅れだった。
腹部にめり込む“ハッサム”の拳が、その事実を丁寧に彼女の痛覚へと伝えている。
ドムン。気持ちの悪い残響が頭の中で跳ね回り、平衡感覚を行方知れずにした。呼吸の滞りに引きずられた咳は、蹲った躰からげほげほと予定調和のように吐き出される。
傘ごと細腕からこぼれ落ちるミミッキュ。出し抜け過ぎて現状への理解が追い付かないまま、ぽて、っと不時着。ハッサムは続けて、そんな少女へ容赦ない『バレットパンチ』を叩き付けると、化けの皮は忽ちアスファルトと鉄拳に挟み潰され、夜なべの記憶ごとぐちゃぐちゃになった。
「ミミッキュ!!」
ぎらりと光る赤い悪意が主人へ振り向くと同時に、ステラは今一度トゥワイスを見やる。
雷鳴が響いた瞬間、背筋が凍り付いた。そこには厳格で、強く、優しい上司の面影など微塵もなかった。ただ半開いた口を三日月よろしく釣り上げて歪め、瞳にどす黒い意志を滲ませる、悪魔みたいな男が立っていた。
ステラは全てを察してしまう。瞳孔開きかかった双眸に、彼を映して。
「そんな……何を……、どう、して……」
「彼女の無実を証明すると、言ったではないか」
「こういうことだ」衝撃と悲嘆で混濁とした表情が捻り出すありきたりな問いかけに、トゥワイスという怪物は微笑んで答えた。
でも、そうじゃない。聞きたいのはそんなことじゃない。
「誰からも慕われ、尊敬される、あなたという人間が……何故……」
「強さだ」
「……へ……?」
「慕われるのも、尊ばれるのも、敬われるのも……全ては私に強さがあるからだ」
呻きが混じった不理解の表明を認知し、さらに掘り下げていく、己の底。
「ポケモンという、強さがあるからに他ならない」
地位も、名誉も、富も――誰かを叩き潰す力を鍛えて、鍛えて、鍛えぬいた果てに手に入れたものだと。こういった積み重ねの先に得たものだと、言っている。
「その“強さ”とやらを得るために、こんな真似をしたと、言うのですか……」
「親、子供、或いはパートナー、居場所に、思い出……とかく生物というのは、大切なモノを脅かされた瞬間、我々が想定しえない力を発揮する。火事場の馬鹿力、というものだ」
ポケモンとて、例外ではあるまい。
「信頼するトレーナーが危害を加えられた時。痛め付けられた時。奴らは皆一様に怒りと憎しみを胸に、凄まじい力を行使しこちらに襲い掛かってくる。野生を遥かに凌駕する、闘争本能を以てな」
「だから」「そうだ」重なる声。
「それを討った時に得られる経験値たるや、通常のバトルで手に入るそれの比ではない。上質で、高級で……私をより高みへと運んでくれる」
「そんな……」
「わかるか? 打ち倒した時の悲鳴は。引き裂いた時の絶叫は。敗北を教えた時の嗚咽は」
「そんな、ことの」
「――私に強さを、くれるのだよ」
「そんなことの、ために――」
聞いたのは、とてもジムリーダーが発していい言葉ではなかった。いや、もしかしたら人の言葉とすら呼べないのかもしれない。
だって、そうだろう。あまりに身勝手だろう。ポケモンを力としか思っていない。誰かを踏みにじるものとしか考えていない。私は。私が。私の。自分の話ばかりをしている。そこに仲間はいない。パートナーはいない。相棒など、どこにもいない。
強さを知らしめる道具でしかなくて、武器でしかない。
こんなことがあっていいはずがない。こんなものがいていいはずがない。
こんな、こんな――――他を侵すことでしか輝けない、戦闘マシンのような眼をした生物が、存在していいはずがない。
「……あなたは、歪んでいる……」
修道女は悲しみに涙を溜め、絞り出すように許されざる凶行を糾弾した。
「責めたくば、責めるがいい。されど世界の真理――弱肉強食は、変わらない」
その景色に、憧れた最優のジムリーダーはいない。
ポケモンとの在り方を説く、厳しくも優しいトゥワイスはいない。
「弱きは見向きもされないし、触れられない。ただ何者にもなれず透明になったように扱われ、やがて自然に飲み込まれて朽ちていく。そうして強きの糧になって終わる」
残っているのは、
「人もポケモンも、弱い者に存在価値などないのだ」
ひたすら存在証明に拘泥する、おぞましい魔物だった。
「“ギルガルド”」
王剣ポケモンを呼び出した。これから彼がすることは、これまでもずっとしてきたこと。
いけない。ステラはそれを知るからこそ、苦しくとも手を動かさねばならなかった。
「くあ……っ!」
しかしさせるか、と言わんばかりにハッサムが彼女の首を掴んで妨害、その細身を拘束して乱暴に持ち上げる。
「大丈夫だ、死にはしない」
「ミミッキュ駄目、お逃げなさい……!」
狭窄が軽いうちに発した声が、ミミッキュに向いた。狙いを定める悪意と一緒にぶつかったものだから、小さな体躯は当惑に揺れる。
悶えながらも訴えるのは、ステラの表情。
「お前には、感謝している。お前のお蔭で、PGの捜査の目を攪乱し続けられた」
――「あなたが狙いだ」と、言っていた。
「そしてこれからは、私の糧になってくれるのだからな」
「っ!!」
空いている方のハサミが修道服の背中側を大きく破り裂くと、露になった素肌が冷ややかな雨に晒される。底意地悪い雨雲は再び笑って、この悲劇を良しとした。
「ずっと、影から見ていたよ。そしてお前に友が出来る瞬間を待っていた。底なしの強さの原石を持つ、お前にな」
「ミ、ミッキュ……早く……!」
『!? ……!! …………!!?』
「さあ、見せてみろ」
「――――いッ――!!!!」
「お前の、強さを」
その促しを合図に、最低最悪の試練は始まってしまった。
ぶちり。初めに、皮膚の裂けていく音が聞こえた。
みちり。続けて、肉に切っ先が突き刺さる音が鳴った。
ずぶぶ。最後に、剣が痛点と血の海を横断する音が響いた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
約束された絶叫が、上がった。
浅い傷でも、範囲が広ければ意識を千切り取ってしまう程の痛みが生じるもので。マジシャンのように実演して見せる、真っ赤な種明かし。
腰を流れる血は、ばたついて助けを求める足を伝ってぼたぼたと落ちていく。悲痛な叫びと共に剥き出しの背中に引かれる深紅の一本線は、この雨でも洗い流せそうにない。
「こいつはお前を信じているそうだ」
「ああ、あ、あ、ああ、あぁ、あっ――――!!」
「お前の唯一の味方だそうだ」
「いいのか? 立ち尽くすままでは、死んでしまうぞ」
「ああああああああぁぁーーーーーーーーーーーッ!!!!!!」
「一人ぼっちに、戻ってしまうかもしれんな」
瞳を閉ざしたまま仰いで歪む相貌は、もはや泣いているのか、単に水滴に打たれているだけなのか――それすらわからなくて。
そんなものは
だが一つだけ、わかっていることがある。
『――――――ヤ、メロ゛――!!!!』
この男を、殺してやらねばならないということだ。
視界が赤く染まった瞬間。思考が灼け果てた刹那。頭の中に、白紙が生まれた。
殺してやる。殺してやる。
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる。
――殺してやる。
思い出した怨嗟が再ダウンロードされて、アップデート。
そうやって初めての感情が書き込まれた時、既にミミッキュはハッサムへと飛び掛かっていた。
極限まで鋭くした爪を伸ばすも、不発。横から突っ込んできた“メタグロス”に、壁ごと押し潰された。
ひしゃげたコンクリから、惨めに吐き出される。化けの皮は汚れ、破れ、禍々しい中身を覗かせる。
結んでもらったリボンはどこだろう。きのみ飴はどうなったんだっけ。この水面に映る醜悪な化物は誰なんだろう。
『アイアンヘッド』は効果抜群であった。
「どうした、そんなものか」
ごみくずを見下ろすようにして、もみくちゃに倒れる少女へ言う。
「人間一人も満足に守れんのか。そんなものだからお前は人に見放されるんだ」
『……――!』
どうして、私は生まれてきたのだろう。
「弱い。脆い。役に立たない。情けない」
なんで、ここにいるんだろう。
「ただ世界を圧迫して、ろくな対価も支払わず徒に時間だけを消費する」
誰からも望まれなかったのに。求められなかったのに。
「――孤立して当然だ」
だったらいっそ、こんな命――――最初から無ければ、良かったのに。
ミミッキュは、ぴくりとも動かなくなった。外道が湛える薄ら笑いを、見ることしか出来なくなった。
虚空に敷かれていく悲鳴を、聞くことしか出来なくなってしまった。
「……期待外れだな。それとも死ねば、気も変わるか?」
ため息が連れる、不満。そのまま聖女を犯すギルガルドに、禁断の指示を送ろうとする。
「“ボルテッカー”」
が――怒りに震える雷光が、事前に惨劇を阻んだ。
「……とうとう、悟られたか」弾き飛ばされたハッサムとギルガルドが後ろの壁に激突するのを一瞥し、乱入者へ向き直る。
「ずいぶんと趣味が悪いことをするんだね、トゥワイスさん」
イリスは帽子を深く被り、つば越しでこれまでにないほど鋭利な眼差しを向けていた。
「強さの秘訣、とでも言ってもらいたいがね」
「冗談も悪趣味。――私に『見損なった』なんて嫌いな言葉、お願いだから使わせないでよ」
四つん這いで自然にも負けぬ稲妻を迸らせる
「おい! しっかりしろ!」
水溜まりを踏み蹴り、倒れるステラへと歩み寄るアシュリー。
「あ……あの、子は……無事、でしょう、か……」
「馬鹿者が、自分の心配をしろ……ッ!!」
抱え上げた顔を見て、悔いるように歯噛みした。
「動くな!」アシュリーは他のPG達がトゥワイスを取り囲んだところを確認すると、空いた隊員へミミッキュの保護を指示。虚ろに呟くステラを抱え、救急車を呼ぶ。
「第二ラウンドといくのもいい。けれど、今度は私一人ではないよ」
「……腕試しも、いいかもしれんな」
強がりか、自棄か、真意を煙に巻いたまま、メガシンカの姿勢を取るトゥワイス。
その時だ。
『ア…………オ……ア………………』
アシュリー警部! ミミッキュの保護に向かった隊員の声であった。
そちらの方へ向くと、隊員は飲み込まれかけていた。
「――――!!?」
「よ、様子が!! 何か、おかし……っ!!」
何に?
――わかれば苦労しないだろう。
「う、うわ、あああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
有り体に話すならば、化けの皮の裂け目から伸びた“影のような何か”だ。
それはやがておどろおどろしいほどに巨大化し、PG隊員の肉体を吸い込んでしまった。
一斉にどよめく場。混沌が生み落とされて、誰もを不安に駆り立てる。
「な、なんだ、これ……!?」
「うわああああああああああッ!!?」
尚も止まらずもう一人が飲み込まれるのを確認し、人々はようやっと危険性に気が付いて。
「各員、一旦ミミッキュから離れろ!!」
異質だった。
『ア、ガ、ギ…………消゛エ………………ダ……』
ぼろ布を突き破って、一本ずつ挨拶を始める黒の触手。それは本意で御せていないことがわかった。
『……要、ラ゛……ナイ………………要ラ゛、ナ゛……ッ!!』
――暴走していることが、わかった。
少なくとも、激痛で途切れそうな意識を、必死に繋ぎ止めて望んだ聖女には。
「……いいぞ。それだ。私が、私の求めていたものは、それだ……!!」
――強くなっていることが、わかった。
少なくとも、ただ一人瞳を輝かせて歩み寄る、強さに取り憑かれた悪魔には。
「おい! やめろ! 前に出るな!」
「見込んだとおりだった、こいつは――!!」
『ア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』
終いに皮に収まりきらなくなった中身は、肥大化の動作一つでそれを破り捨ててトゥワイスを嚥下。この場に居合わせる全員――いや。
ラジエスという街全てに広がり、襲い掛かった。