ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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fin.I Call your name

 ベールを振り乱して、駆けている。息を切らして、走っている。

 固定されたままの夕陽に急かされて? 呼吸音しか受け入れない静寂に引っ張られて?

 ――いや、違う。

 時間を忘れるほどに遊んだ屋内遊園地も。食前の挨拶『いただきます』を学んだファストフード店も。繋がりを持てた気がした露店街も。密かに幸福を祈った大神殿も。共に命の喜びを知った並木通りも。

 私が往く道は、どこの誰に強いられたものでもない。私が、私の意志で動かす私の肉体が、選んでいるものだ。

 平凡に進んでいく日々でいい。退屈が這う日常でいい。降り注ぐ針のような雨の中、一人ぼっちで立ち尽くすなんてまっぴらだ。

 海の底に作られたプールみたいな、無意味な一生でいいから。立派でなんてなくていいから。

 どうか、どうか。それでもあなたに居てほしい。泣きながら消えないでほしい。悲しみに押し潰されないでほしい。

 

「待っていて……今すぐ、行くから……!」

 

 だから前に進むんだろう。歩みが遅くなろうとも、その足を引きずって行くんだろう。

 かりそめの街明かりが頼りなくとも。石畳の道が、名残惜しく足跡を抱いても。

 私は彼女を探し出す。昨日の温もりが、消えてしまわないうちに。

 

「いた……――!」

 

 寂しい後ろ姿は、“あちら側”と同じ場所――ラジエスタワーの前で、ぽつんと立っていた。

 決別の意思を湛えたように、偽りの空を虚ろに仰いでいた。

 ステラは構うことなく、その小さな背中に向かって真っ直ぐ走り出す。だって私は、まだあなたに何も言えていないから。

「ミミッキュ」――声を、上げる。

 そんな尊重されるべき刹那すら、邪魔をするものがある。名前を呼ぶ言霊は、聖女と少女の間に割り入った“それ”に打ち消され、効力を失った。

 

「うふふ、相も変わらず必死なのね。何もないくせに」

 

 一本道で結ばれながらも、未だ届きそうにない距離を笑う、上書きの声。

 場所が場所だから、何が起きても不思議ではないと思っていたが――その再会はあまりに衝撃的で、ステラを動揺に誘い込む。

 同じ背丈と、同じ色の髪、瞳。同じ笑みを湛えて、同じ佇まいして同じ声を出す。

 私は知っている。彼女のことを。

 私は知っている。知らず知らずに、彼女から目を逸らしていたことを。

 それは目を丸くするほど、無意識が出会いたくなかった相手。

 

「あな、たは……」

「せっかくまた会えたのだから、久々にお話しましょう。ねえ?」

 

『――私』

 相対する己の心の闇は――無力を突きつけ、憎たらしく口辺を歪めていた。

 

 

 

 温かみのない日差しに見捨てられて、皇帝は大地を転げた。

 地に伏しながらも発した青の砲撃がいくら果敢に向かってくれようが、行き先の鉄爪は嘲笑うように弾き、その十字の額を叩き付けて刑を執行する。

 

「エンペルトっ!」

「――どうした。息まいておきながら、その程度か?」

 

 “しねんのずつき”で呻きと共に、もう一転がり。

 天がひび割れ終焉が始まる世界の中であっても、聖戦は未だ続いていた。

 

「くそっ、ポケモンリーグには詳しくないが……これが最優のジムリーダーというやつか……!」

 

 吹き飛んだエンペルトは腕を杖にし立ち上がり、再度アシュリーの前に出て、健在をアピールする。

 高貴さを携えたままの眼光がメガメタグロスの沸騰する闘争心と衝突、空気をびりびりと震わせた。

 

「手がないのなら、白旗を上げる準備でもするのだな。“しねんのずつき”」

「っ、“アクアジェット”! やりすごせ!」

 

 認識が甘かった――飛び散る瓦礫と飛沫の向こうを望みながら、歯噛みするアシュリー。

 ギルガルドにハッサムという、既にイリスに削がれた戦力を鑑みて、勝負を挑んだ。実際に余力を残したまま、順当に出てきた『ナットレイ』『アイアント』『キリキザン』を倒せた。ここまではよかった。

 問題なのは、この青色の鉄騎(メタグロス)。彼一体で、アシュリーはエンペルト以外の手持ち全てを失ってしまったのだ。

 けして相性が悪かった訳ではない。彼女には鋼鉄を焼き溶かせる、ほのおタイプの“キュウコン”だっていた。それなのに。

 突き詰めようのない、研ぎ澄まされたただ一匹の強さにより、パーティーは半壊に追い込まれている。

 悔いていたくもなるだろう。まして『こうかはいまひとつ』で、呻くほどの痛みを与えられているならば。

 しかし、そこで諦める戦士ではない。

 

「む……!」

「機動性は貴様に軍配だ、だがな!」

 

「運動性ならば、まだ負けていない!」至近距離での小回りのことを、言っている。

 アシュリーが指示したアクアジェットは最小かつ最短の出力に留められた。なぜならば、最低限の無駄ない動作での回避を、求めていたから。

 それが何を呼び込むのか?

 

「――取った!」

「!」

 

 瞬時に背後に回り込むという、結果だ。

 いくらメガメタグロスのすばやさが高かろうと、その巨体ではすぐには振り向けないし、細やかで精密な動作には手間取ってしまう。俊敏性(クイックネス)の優劣は、一概に敏捷性(アジリティ)に結びつき得ない――そんなアシュリーの気転が作った好機を、エンペルトは無駄にしない。

 

「留守中に叩き込め! ハイドロ――」

「“バレットパンチ”」

「なっ!!?」

 

 紙一重で奪った背中へ、王冠状の嘴を開く。指示をなぞった行動であっても、邪魔をされれば意味がない。

 味気ない切り返しは、アッパーとなってエンペルトの顔面を打ち上げた。微々たる威力だが、いいだろう。吐き出される水流の軌道が逸れてしまえば。

「なぜだ!?」愕然として白黒させる目に映ったのは、メタグロスが背中でエンペルトを捕縛する光景――。

 

「飾りだと思ったか?」

「――まさか!」

 

 いや。正しくは『背中から生えた腕で、エンペルトを捕縛する光景』だ。

 メガシンカによって背面に追加されたメタグロスの腕は、浮遊用の電磁力を発生させる役割を持つ……とされている。

 いわばデバイスのようなものだ。だがそれが動いて、あまつさえ攻撃に転用できるだなんて。

 

「“じしん”」

 

 アシュリーは、思いもしなかった。

 がっちりと皇帝に組み付いたまま上昇した鉄騎へ、最後の指示を下す。

 静かに聞き入れ、後ろ向きで一気に地面へ突っ込んでいくメタグロス。

 いくら手足をばたつかせようが。抗って逃れることを促そうが。全ては無駄だと嗤ってる。

 トゥワイスが短く発したその一言は、聖戦に虚しい幕引きを与えたあと、盛大な轟音と共に響き渡った。

 

 

 

「……どいて下さい。あなたに構っている時間はありません」

 

 声を聞いていると、帰り道を思い出せなくなる気がする。

 ステラは歯を覗かせ、子供の無邪気を偽って笑うステラの横を通り過ぎた。

 

「いいえ、あなたは私と話す必要がある。あなたという命が、触れられざる子供に、本当に手を伸ばすべきかを知るために」

「――あなたの許しが、いるというのですか」

 

 肩と肩がすれ違った。先送りにした自分へ、振り向いた。

 

「命には意味がある。生涯には使命がある。やらねばならないことがあって、成らねばならないものがある」

「知ったようなことを!」

「あなたはあの時もあの人に、同じことを言ったわね」

「っ……!」

 

 揺らいだ前髪の向こうで目が合って、沈黙が壊される。陰から見ているのは“あの人”の言葉をそのまま引用する、“あの時”の私。

 

「あなたはいつもそう。弱くて、力がなくて、ちっぽけで、輝くものが何もない。いつも守られるばかり」

 

 絵空事が沢山に描かれた絵本を、胸にいっぱいに抱えていた、私。

 

「そのくせ人一倍大切にされたものだから、いつでも幸福が皆の身近にもあるものだと信じ込んだ。偶然から得ただけの愛も、当たり前に存在するのだと思い込んだ」

 

 夢物語の文集を、瞳を輝かせながら一ページずつめくる、私。

 

「遠いどこかの知らない誰かが呪詛のように怨み言を吐きながら死ぬ裏で、幾つもの羊雲がたゆたう空を仰ぎ見て、遠い幻想を拝んでる」

 

 育つうちに、歩む道の色が変わっていった。

 

「対岸の火事を眺めながら、(ことば)の意味も知らない少女が唄う人生賛歌に、一体何の意味があったの? 何を変えられたの?」

 

 少しずつ、舗装された跡が見えるようになった。

 

「――あなたはただ、何もできない自分を誤魔化していたかっただけでしょう?」

 

 やがて全てのそれに気付いた時。私は前へ進めなくなった。

 所詮は崇高なわけからなる、低俗な自己欺瞞。

 だから祈ったんだ。故に願ったんだ。

 何も出来なくとも、何かをした気になりたかった。そうでもしないと許せなかった。掴んだものが次々とすり抜けて零れ落ちていく、自分の手が怖くてしょうがなかった。

 

「それがあなたの罪。これが私の業」

 

 輪郭が歪んでも、自我が揺らいでも、はっきりとわかる。これは紛れもない私。自分一人満足に生かしてやれない、私。

 

「あなたはまた、自己満足であの子を助けるでしょう。自分を救いたいがために。己が報われると信じて」

 

 あの人が消えてから、ひた隠しにしてきた自分を見透かした――私。

 影法師が、動き出した。雲が流れ始めた。日がまた、傾きいてきた。

 終わりが近いのかもしれない。記憶の風化が、迫っているのかもしれない。

 

「言いたいことは、それだけですか?」

 

 それでもステラは、ミミッキュを想うことを忘れていなかった。

 どれだけ揺れ動かされようと、その子供の落書きのように描かれた笑顔を失ってはいない。ぴょんと飛び出て解れかかった糸の手触りを、覚え続けている。

「嘘をつき続けるの? そうやって」わかりやすく表情を曇らせた自分へ、儚い陽だまりに照らした微笑みを返す。

 

「嘘では、ありません。私はこの子の幸せを願っています。この子のために。この子を愛すが故に」

「いつまで耳当たりのいいお為ごかしを吐くの? 私は」

「――赦します」

「いいや! あなたは生意気なほどに自責が強い! だから!」

「であるなら、抗います」

 

 何故なら彼女は、夢を持ったから。

 

「弱い自分を赦せるように、信じ続けます。祈り続けます。願い続けます。これからも讃美歌を口ずさみ、手を伸ばし続けます」

 

 それはささやかで、とても人に話せるような立派なものではないけれど。

 

「そうして、同じような境遇の方達に――『足らなくたっていいのだ』と、教えてあげたいのです」

 

 涙と痛みを、自分が目指すべき星へと変えてしまうには、十分なのだ。

 ずっとずっと、煌めき続けているのだ。

 

「……なんで、なんでよ! なんでそんなに前を向くのよ!! どうしてそんなに必死なのよ!? バカじゃないの!!?」

「あなたを、愛しているからですよ」

「…………――っ!!」

 

「ありがとう」――私は私に、決別を告げた。

 前へと向き直る。あの人へと綴った手紙を握る。宛先のない言霊に勇気を込める。誰にも見せない決意をそっと抱く。

 肺がパンパンになるまで、大きく息を吸い込んだなら。

 

「っ!!!!」

 

 あとは遠い後ろ姿に向かって、走り出すだけ。

 大手を振れ。のめって行け。靴が擦り切れるまで、進め。

 慣性力に頭巾が脱げても。邪魔な裾を掴み上げても。どれだけ前が暗んで見えなくなっても。どんなに世界が拒んでも。その手を取りに行け。

 私の意志で。私の願いで。

 

「――“グランブル”!!」

 

 近づくな。立ち塞がった闇色のバリケードフェンスを、呼び出した闘犬と共に蹴り砕く。

 

「“アブリボン”! “ニンフィア”ッ!!」

 

 触れるな。少女を囚われにした真黒い鉄格子を、三つの叫びで吹き飛ばす。

 

「私、は……まだ!!」

 

 引き返せ。伸びて四肢に巻き付いた鎖を、全力で引き千切る。

 

「――まだ! あなたに伝えていないことが沢山あるのです!」

 

 手を取れ。交差するテープに示された『KEEP OUT』を、何度も何度も取り払う。

 

「見せていないものが、いっぱいあるのです!」

 

 人の温かさを。空の青さを。海の広さを。虹の優しさを。

 

「だから! だからっ!」

 

 だから――――、

 

「戻りなさい、ミミッキュ――!!」

 

 私は手を伸ばし、あなたの名前を呼ぶ。

 何度でも、何度でも、響かせる。この声が、枯れるまで。

 

 

 

 

 ――親愛なる、エレナ姉さん。

 

 お元気ですか。

 

 今、どこにいますか。

 

 お変わりありませんか。

 

 お困りな事は、ありませんか。

 

 こちらは相も変わらず忙しくって、時に苦しかったり、辛かったり、悲しかったりして。楽しい事ばかりではないな、と、そんな独白を毎日の終わりに萎んでいく橙へ透かしながらも、笑って過ごせています。

 あなたが行ってしまってから、もう三度の四季が巡ろうとしていますが、やはりあなたが最後に持ち去った秋だけは、還ることなく空白で、抜け落ちてしまったままです。

 私は未だに、あなたの言葉が理解できません。人の生まれる意味というものが、わかりません。探すことへの尊びを、学ぼうとも思いません。

 ただそこに在るだけで許しなど要らないし、ただここにいるだけで生まれた意味があるのだと、信じて疑っていません。

 それはこれからも変わらずに進んでいくのでしょうし、あなたも平行線の上に立って私の言葉を聞き続けるだけで、徒にその道程に足跡を刻んでいくのでしょう。

 

「ようやく、見つけました」

 

 けれど、一つ。

 

『…………カエ、ッテ』

 

 一つだけ、分かったことがあります。

 

「ええ、帰りましょう。あなたを連れて」

 

 人の世に出て。人の影に触れて。人の暗みを目の当たりにして。

 

『……行ケナイ。私ハ、生マレテコナケレバ、良カッタカラ』

 

 世界には、無条件で受けた生を謳歌出来ない者がいることを、知りました。

 

「生きることは、素晴らしいです。だって、おいしいのですから」

『!』

「ムーランドッグ、また食べに行きましょう」

 

 生きたくても、呼吸がしたくても、それすら許されない存在がいることを知りました。

 

「リボンだけが、おしゃれではありませんよ。もっともっといっぱい、色んなものを身に付けましょう。そうね、化けの皮の予備も作らないといけないわ」

『ヤ、ダ……』

「植えたプラタナスの成長を、一緒に見届けるのでしょう? 観察日記を用意するのはどうかしら」

『ヤダ……、ヤダ……!』

 

 そして。

 

『ダッテ私、ワタ、シ、強クナイ……!』

「強くないと、駄目ですか?」

 

 そういった者達のために身命を捧げることは、そう悪い気持ちでないことを、知りました。

 

『何モ、凄クナイ!』

「凄くなくては、いけませんか?」

『特別ナモノ、何モナイ!』

「特別でなくても、いいじゃないですか」

 

 在るだけでいいんだと、伝えること。命の息吹を、響かせること。見て聞いて、触れること。愛することと、笑うこと。

 

『私、ハ、ドコニモ……、イナイ』

「いいえ。ちゃんと、ここにいます」

『ア……、ア、ァ……』

「あなただって、誰だって、生きてるだけで偉いんです」

 

 彼らに生きる喜びを教えることが。

 

「だって、こんなにも一生懸命で、輝かしくて、愛しい――」

『私、ワタシ、わたし、わタ、し……!』

「ミミッキュ」

『――――』

 

 鼓動する心臓の音を、聞かせることが。

 

 

「生まれてきてくれて、――ありがとう」

 

 

 私は、どうしようもなく幸せに感じるのです。

 

 だから。故に。言葉はわからずとも、気持ちならわかるのです。

 

 あの日、あなたが彼の魂を解放しようとしたことの意味が、今なら痛いほどに、わかるのです。

 

 それこそが、あなたの成したかったことだと――ちゃんと、わかるのです。

 

 

 

 

 ――世界の、崩壊が始まった。

 ガラガラと立つ音は大地を割り、建物を分解し、あらゆる物質を空の割れ目へと送り出していく。

 偽りのラジエスは、そうやって終わりへのカウントダウンを刻み始める。

 

「チッ! ふざけた真似をしてくれたな、本当に」

 

 察したトゥワイスは大きく舌打ちをした。静まり返って下を向いたままのアシュリーを、睨みつけながら。

 鳴動する地面に押し付けられたままのエンペルトが完全に動かなくなったのを確認すると、続けて口を開く。

 

「結局願いは叶わなかったが……、勝負は私の勝ちだ。この混乱に乗じて、逃走を図るとしよう」

 

「残念だったな」正義の味方に送り付ける、明確な悪意を込めた嘲笑。それは強さの誇示であると同時に、相手の弱さを知らしめる意図もあって。

 仕事を終えたメタグロスへ、モンスターボールを向けた。

 

「――誰が、逃がしてやると言った?」

 

 それを邪魔するのは、誰でもない。紛れもない対戦者(エンペルト)

「なんだと!?」トゥワイスが見やった顔は、未だ死を迎えていなかった。寧ろ先ほどよりも鋭く、強く活きていた。虫の息で動き出す執念と、計り知れない不敵な表情に薄気味悪さを覚え、悪魔は思わず動揺する。

 

「メタグロスッ! とどめを!」

 

 ぞくりとした。動かない。氷で地面と繋げた肉体を使って、捕縛しているから。

 腕が回らない密着状態の、固定。さしものメタグロスとて、地球を持ち上げることなど不可能だろう。じたばたと間抜けに身を揺らしている様子を見れば、瞭然だ。

 

「くそっ! 今更なんだと言うのだ!? その程度の体力で、何が出来ると――」

 

 目を凝らしてみれば、エンペルトの口元に淡青の輝きが集まっているのがわかった。

「あ――」そして悟る。力を溜めているのだ、と。

 

「強さというものは、優しさが伴っているものだ」

「な……に……!?」

「力を力のままにしないんだよ。誰かに寄り添い、どこで、どう、何のために行使するかを思考し理解しようとする心持ち――それこそが強さの本質だ」

「ほざけェーーーー!!」

「お前みたいな暴力と、一緒にするなよ」

 

 彼女の手が空を切った段階で、或いは仕損じた段階で。全ては遅かった。

 抜け出せ、暴れろ。何度唱えて命令したところで通らない、その何もかもが。

 暴力なんていう紛い物には、屈しない。この力の使い道を――――本当の強さを知る、正義の味方は。

 

「――あいつに、失礼だろうが」

 

『ハイドロポンプ』。

 崩れていく天空に、巨大な水柱が立った。背負った危機を水の力に変える特性『げきりゅう』による後押しを伴ったゼロ距離砲撃は、道一本飲み込むほどの規模と勢いを以て、メタグロスを遥か彼方へと打ち上げた。

 鉄爪の姿が縮んでいく。弾けた飛沫は極めて局所的な雨となって降り注ぎ、覆された勝敗を祝って淡い虹を呼ぶ。

 

「ひ……!」

 

 最後に立ち上がって勝ち鬨を叫ぶ皇帝に、怖じた。思わず後退った脚にまとわりつく、凄まじい冷気。

 

「そこを動くな、膝から下とお別れしたいのか?」

 

 負かされた男からはまるで強さを感じられず、もはや居もしない下僕に縋る姿は、たいそう弱者のそれに似ていたという。

 哀れな末路だな。手錠に光らせるそんな嘲りが、最上の意趣返し。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 終わりが、終わっていく。

 

『目標、沈黙! “影”、次々と消滅していきます!』

 

 隊員の通信を聞いたイリスは、息を切らしながらラジエスタワーを見ていた。

 無限の黒が分かたれて、解けて空へと昇っていく。根は命を吸うことをやめて風化し、数多の光の粒となった幹は、すすり泣く魂たちを連れてどこかへ行った。

 何一つ侵すものがない。否定するものはいない。そうやってラジエスシティは少しずつ平穏を取り戻して。

 

「やった……のか……」

 

 世界の崩壊の取り消しに、なんだか実感が沸かないでいる。

 

『ダルクス、発見しました!!』

『なんだと!?』

『こちら東区、エリア3! ハーヴィン、アレル共に無事です!』

『バカな……影に飲み込まれた者達が、みな生き返っているとでも言うのか……!?』

 

 そんな意識の隙間に入り込む吃驚に、足を急がせるイリス。

 仲間達をボールに戻し、切れた息も忘れて刻む道。向かうは、形も機能も再生した電波塔。

 いつの間にか戻っていた人波の合間を縫って、駆けていく、走っていく。順繰りに点く街灯は、きっと日常への道標だろう。

 

「……――!」

 

 そうして辿り着いた先で、彼女は再会する。

 約束通り――――二人と、一匹に。

 

 

「ただいま、です」

 

 

 おかえり。思いきり泣いて、叫んで、跳ね回って。

 イリスは帰ってきた明日を、強く抱き締めた。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 トゥワイスという悪魔を乗せたパトカーが、彼女たちの前から消え失せた。

 日はとうに沈んだというのに、先ほどまでの詫びしさが嘘だったかのように活気づいている、そんな月明かりの下のラジエスシティ。

 まあ、必然であろう。

 死傷者が結果的にゼロに終わり、物的被害もそもそも発生していないのだから。影が生命体にしか作用しなかった点が、幸いした。おまけに飲み込んだ命も、後々一つとしてもれなく吐き出してくれたというのだから、本当に運のいい話。

 ミミッキュは、何一つ生命を奪わずに済んだのだ。

 

「本当に、ありがとうございました」

「礼を言うのはこちらの方だ。感謝する」

「ちょっと、何二人仲良く握手しちゃってんのー! 私のエース級の大活躍も忘れないでほしいなあ」

 

 やっと出来た握手に、頬を綻ばせた。

 向き合う二人の背中をポンポンと叩くイリスに、ピカチュウはため息をつく。せっかくの雰囲気というのになあ。そんな独白。

 

「そういえば、ジムはどうなるんだっけ?」

「正式な手続きを経た後任が来るまで、代理の方が、しばらくは。私は職員の仕事もありますし、何より未熟なものですから」

「そっかぁ……次はどんな人になるのかなぁ。すごく気になるよ」

「裏でこそこそと人間を攻撃する奴でなければ、なんでもいい気もするがな」

「あはは、そりゃ言えてる」

 

 聴取を終えたステラとイリスの横を通り、次々とPG隊員が引き上げていく。事件も解決し、任務も完了、大団円というやつだ。そうなれば居座る理由だってない。

 従って、アシュリーともここでお別れ、ということになる。

 

「また、会えますよね」

「ああ。まあ私としては、この服を着ていない状態で再会したいがな」

「お、いいね。今度は私もイメチェンしてくるよ。おしゃれ用の金と銀のジャージがあるから」

「ジャージは固定なのか」

「そして何故に金銀」

 

 いや、アシュリーだけではなく、イリスだって。

 そもそも旅人であるからして、そう謳う以上は同じ場所に留まるわけにいかない。何より彼女も、目指す者がある故に。次はこのまま北上し、シャルムまでの長旅を楽しむそう。

 そして、最後に――ミミッキュ。視線が合った瞬間、びくっと体を跳ねさせた。

 

「彼女は……」

「ああ。当初の予定通り、リザイナで精密検査を受けた後、ポケモンレンジャーに保護される」

「それなんですが……」

「?」

 

 ステラは多少言い淀みつつも、あることを切り出した。

 それはこの長い非日常の全てを経て芽生えた感情であり、彼女とふれあった果てに出した、自分の行き先を定める結論で。

 イリスが決めたように。アシュリーが変わったように。

 

 

「――この子を、私の傍に置くことは出来ませんか?」

 

 

 ステラもまた、選んだ。

 彼女の一生を背負っていくことを。彼女の成長を見届けることを。

 新しく生まれた彼女を誰よりも近くで愛し、祝ってあげることを願ったのだ。

 小さな顔がひどく驚くと、忽ち沈黙がやってくる。アシュリーは腕を組んで、そんな彼女をじ、と凝視した。それを続けられて、やがて居辛さを感じ始めた頃。

 

「……仕方がない、どうやらお前といなければ落ち着かんらしいからな。私とは目も合わせてくれやしない」

「では……!」

「ああ。検査が終わったら、レンジャーに里親申請を出しておいてやるよ」

「……感謝します……」

 

 両手を合わせて下げられた頭を見ることなく、身を翻した。後ろ姿から上げた手の甲を見せてやるだけで、十分だ。聖職者の敬虔さというのはどうにも苦手だからいけない。

 ステラはそうして離れるアシュリーを見送った後、きょろきょろ目を泳がせて戸惑うミミッキュの前へ、三つのモンスターボールを転がす。

 忽ち出てきた姉貴分のグランブルが、じろじろとその容姿を見回した。

 最も頭が切れる頭脳派であるアブリボンは、一歩引いて彼女を眺めている。

 ニンフィアは甘えん坊なので、振り返った先の主の笑みを確認した後、向き直って。

 そしてやがて三匹はにっと笑って、おどおどとした震えを止めるように、小さな躰に寄り添った。

 

『……!』

「――生きていきましょう。私たちと、一緒に」

 

 優しい声が当たると、堪えていた涙が溢れ出す。

 いてもいいよと、ちゃんと言えた。

 生きてほしいと、ちゃんと望めた。

 小さな足で一歩を刻むことを、教えられた。

 広さが足らない手でも、幸せを目一杯かき集められることを、伝えられた。

 

 ああ――――願いは、叶った。

 

 四匹をぎゅっと抱き締め、笑顔のままで咽び泣くステラ。

 人前なのに。みっともないのに。

 それでもこんなに止まらなくて、嬉しくて。

 合わせた頬と頬とが、雫の温もりを交換する。

 

 誰も馬鹿にはしない――。

 

 何故なら相棒と目を合わせて、笑いあう旅人も。

 

 涙声を背中で聞きながら、閉目して口角を上げる戦士も。

 

 皆、祝福しているのだから。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 以上が、聖女が聖女になるまでを見届けた、一人の旅人の記録。始まりの物語(エピソード・オールド)は、これにておしまい。

 ――旅の記憶は数あれど、今でもあの三日間の事は、鮮明に覚えている。

 

「……って話。なかなか面白いでしょ?」

「自分で言うのか」

「そこは素直に『うん』って言ってくれよお」

 

「まあ、否定はしないが」会話ばかりなために、遠方のステラの眼光の餌食にされたのは、発話から数秒後の話。

 次はたんこぶを作られてしまいそうな気がしたので、そそくさと本へと目を戻す。

 

「え、そんな、急だなぁもう」

 

 イリスが外を見てぼやくのも無理はない。雨雲が予報を大幅に裏切り、太陽へとバトンタッチしたのだ。

 雲を裂いて降りた日差しは図書館の天窓に切り取られ、シンジョウの手元で寝そべる一文を照らし出す。

 

「……しかし、素敵な場所だな。ラフエルというところは」

「そう? 出身地を褒められて、ちょっと嬉しいよ」

 

 だって、彼女みたいな人が、いるんだからな。

 ただこれは言わないでおこう。新たな神話を知った、この嬉しさは。ここに来たことを喜ぶこの心だけは。

 

『祈ることすらやめれば、屈してしまう。なればこそ屈さぬために祈るのだ』

 

 きっと自分が独り占めしても、罰は当たらないだろう。

 シンジョウは受け継がれるラフエルの言葉を刻み込みながら、そんなことを思うのだ。

 

「あ。今、笑った」

「……気のせいだ」

「うそだぁ、口元ちょっとにってしてたよ」

「そう思うなら、そうなんだろう。お前の中ではな」

「ちぇ、すーぐそうやって逃げる」

 

 

 

 ――四季は、それでも巡っていく。

 ステラはミミッキュを頭に乗せながら、今日も忙しなく駆け回る。

 今度は街中の花壇整備だ。どうもポケモンが荒らしていくそうで、監視カメラも設置しなければいけないときた。

 足を交互に入れ替え、落ちた木の葉の海の上を往く。鳥ポケモンが作った巣を眺めているうちに、かさ、という音に引き戻された。

「落ちたよ」と指すミミッキュの手に従い、拾う手紙。

 そして瞬間的に覚える既視感に顔を上げ、微笑む納得。

 

「――ああ。もう、三年になるのですね」

 

 葉掠れの音に、優しく撫でられた。

 中央区メインストリートの、北側から入って六番目の街路樹(プラタナス)――――ステラもミミッキュも、忘れるわけがない。

 これを見る度に、思い出す。あの日繋いだ、未来のこと。

 これに触る度に、振り返る。あの時君に、出会ったこと。

 これが笑う度に、改め知る。あのままの幸福が育ってる。

 

「ねえ、ミミッキュ」

『?』

 

 楽しいも、苦しいも、悲しいも、喜ばしいも――まだまだ残る時間の中で、彼女たちはもっともっと色々な記憶と感情が、その胸に重ねられていくのだろう。

 

「――これからも、よろしくお願いしますっ」

 

 あと何回、君と笑えるかな。

 ステラとミミッキュは、数えるのが楽しみで楽しみで、仕方がない。

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