ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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Episode Purify
01.先生の先生


 人は、泣きながら生まれてくる。

 誰に傷付けられたわけでも、何かに恐れたわけでもないのに。

 大粒の涙をぼろぼろ溢して、苦しそうな顔して生まれてくる。

 ひどく辛そうに喚いて、生まれてくる。

 

 僕はずっとずっと、その理由がわからなかった。知りたかった。

 だから一生懸命調べた。考えた。思い悩んだし、重たい頭を腕いっぱいに抱えた。

 殴られて、蹴られて、首を絞められて。叩き付けられて、踏みにじられて、石を投げられて。

 七年という、ヒト一人が答えに至るにはとても短い時間ではあったけれど、僕はその中で気付いた。

 

 きっと人は、その先で待ち受ける不幸せを前もって悲しむから、泣いているんだな、って。

 

 本当に苦しい時は声が声になってくれないから、あらかじめ叫んでおくんだろうな、って。

 

 死ぬ時は、何一つ残せずにいってしまうから――涙ぐらいは置いていくんだろうな、って。

 

 

 

 飲めず食えずで、とうとう訪れた死期を祝うように、ヤミカラスが輪を描いて飛んでいる。

 町の外れは荒れ果てて、人の往来なんてろくにない。

 どうしてこんなところで倒れたんだろう。もっと目立つところで横になれば良かったのに。世界の無情さに薄汚れた少年は、そんな後悔を飲み込んだ。残念ながら腹は膨れなくて、意識の糸がまた一筋、ぶちりと切れただけ。虚しいものだと思う。

 自分はもっと世界を恨むべきだったろうか。憎むべきだったろうか。他者を侵して、物を奪って、それでもなお生にしがみつくべきだったろうか。命に執着するべきだったろうか。

 ここに来るまでは考えるどころか、周りを見る余裕すらなかったくせに、いざ鼓動が止まりかけてみれば、こんなにも頭が冴える。人体というのは現金だ。

 秋風にそよぐ紅葉の音が、ゆっくりと、少しずつ意識を削っていく。樹林が落とすひだまりは、漸く彼に世界の優しさを教えてくれた。もう手遅れと言うのに。

 ああ、迎えが来るな。体が軽くなっていく。静かに目を閉じた。

 

「あーあー、みすぼらしいねえ、全く」

 

 どんな生まれをすればこんなになるんだか。聞こえた声が、最後の最後というところで、彼を繋ぎ止める。

 鈴の音色にも似た、しゃらしゃらとした煌びやかさ。抱きとめられたように、温かい。そんな女の声は、己が名も分からぬ少年に最初で最後の希望を与えた。

 

「子供がいっちょ前に人様の迷惑を考えて死のうとしてんじゃないよ、まったく」

 

 薄桃色の旗服。淡雪のように白い肌。儚くて、脆くて、それでも優しくて、強くて。

 

「そんなに頭が回るなら、石ころをおいしく食べる方法の一つや二つでも考えられないもんかね。この意気地なしめ」

 

 細く長い黒の二つ結びが、頬を撫でた。

「行くとこないなら、持ってくよ」再び開いた視界で微笑んだその女性は、力なく倒れる小さな少年を背負って、歩き出す。

 

「……あな、た……は……」

 

 そうやって秋の寒さを拭う大きな背中の温もりを、彼は今でも覚えている。

 

 

「――ネリネ。あんたみたいのを拾って集めてる、物好きさね」

 

 

 初めてもらった、人の優しさを――彼は今でも、覚えている。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 カロス地方――――それは、美を徹底した地。

 陸続きで海がなく、石資源に恵まれたそこは、一風変わった独特な文化圏が形成されている。とりわけ建築面においては、その技術が『カロス工法』と呼ばれて世間に浸透する程度には、強い個性を所持していて。

 だが、この土地を語る上であって、何よりも外せない個性がある。

 

 ――『メガシンカ』だ。

 

 進化の限界を突破した更なる進化を呼び込むその神秘が、明確にそう呼称され体系化されたのは、此処の功績によるものが大きい。

 中でも北西に位置するこの町『シャラシティ』は、人類史で初めて意図的なメガシンカが確認された『目覚めの街』として、今日まで人々の間で永く語り継がれている。

 北部の湖を割った細砂の道の先に聳える巨塔“マスタータワー”は、その奇跡の再現を祝うモニュメントとして、カロス初のメガシンカポケモン『メガルカリオ』の像と共に建てられたものだ。

 そんな北西にある町の、東部の道場――『心道塾(しんどうじゅく)』もまた、日々の鍛練の中で、ポケモンと人との在り方についてを究明しながら、メガシンカという確立された概念を世に伝えていた。

 

「ったく、どこにいたかと思えば……またここかい」

 

「芸がないねえ。まるで見つけてくれと言ってるみたいだ」塾長のネリネは、中庭の緑に囲まれて丸く縮こまる弟子の背中へ、声を投げかけた。

 今に始まったことではない。もう育てて三年経つが――彼は何かあれば、いつもいつでもここに来る。けして狭い屋敷ではないが、かくれんぼの鬼役も手慣れたものだ。

 

「リク。ほうら、泣いてないで。みんな薪拾いに行くよ」

「……泣いてません」

「嘘吹きな。お前は心が揺らぐと耳が赤くなるんだ……すぐわかる」

 

 ネリネはとん、と縁側を下りて藁の履物を滑らせると、屈んで池の前から石像のようにしてぴくりとも動かない少年『リク』へ歩み寄り、後ろからその耳に触れる。

 熱を感じた後に覗き込んでみれば、潤んだ目を伏せる。正解の証左だろう。歯を出して意地悪くにまっと頬を崩した。

 

「んで、今日は何さね。メシの取り合いでもしたかい」

「……僕のコイキングが、馬鹿にされました。跳ねるだけの弱虫と言われました」

「イツに?」

 

 無言の頷き。

 

「それでこのザマかい? 勝てないんならやらなきゃいいのに」

 

 恐らく殴り合って口が切れたのだろう、と思う。ハンカチで僅かばかりの血を拭われながら視線を釘づけるのは、眼下の水面から落ち込んだ顔出して、己を見上げる魚ポケモン“コイキング”。

 

「そりゃ、あたしは弱虫なんて思っちゃないけれどもさ……実際に“はねる”しか覚えないじゃないか。バトルでいい結果は出せないだろうに、それでも育てるのは、なんでかね?」

「弱いからと見放され続けるのは……、可哀想に思ったからです」

 

 まるでいることに意味がないみたいな、そんな扱いは辛いと思うから。

 そんな事を聞いて、ふふっ、と昼下がりの春風に笑みを溶かした。そして思い出す。言葉一つ発するにも命がけになるほど内気で、消極の擬人化と嘲られるくらい大人しい彼の、心根を。

 その愛に溢れた情動に触って「そういえば、こんな奴だったな」なんて、想起する。

 

「……先生、笑わないで下さい」

「笑いもするさね。お前は泣き虫なのに、変なところで意地っ張りだ。譲れないもんがあるってのは、いいことだけどね」

「僕はただ……理不尽に存在を否定されるのが、嫌なだけです」

 

 静かでも、芯の強い言葉。それで涙を乾かせば、外出の準備は完了だ。

「では、行ってきます」コイキングをモンスターボールに戻し、目の前から立ち去るリクを、

 

「いっぱしになったもんだよ、まったく」

 

 ネリネは腰に手を当て、見送った。

 

 

 

 シャラの樹林にて生い茂る木々の下で、どすん、と大きな音が鳴る。

 

「ひぃー、腰いったぁ……」

 

 振り下ろした斧が、木を縦割りしたことを教えてくれているのだ。

 子供たちはポケモン共々木漏れ日と木陰の間を交互に行き来して、火の燃料となる薪集めに勤しんでいた。

 誰もが一様に纏う民族衣装のような服はネリネのものと同じで、見受けられる差異は色だけで。何よりもわかりやすい、心道塾生としての身分証明だ。

 

「追加分ー、ここ置いとくね」

「待った、ちょっと誰か、交代……」

「んー」

 

 心道塾の門下生は、十数人ほどいる。年齢もばらばらで、人種が違えば生まれも異なる。となれば個性の独立なんて当たり前。

 だがしかし彼らを結び付け、その関係を強固にする、唯一の共通点がある。

 

「ミカヤぁー、イチが斧つらくなってきたって」

「ああ、わかった。代わろう」

 

 誰もが、帰る場所を失っているのだ。

 死や離別、子捨て等で本来守ってくれるはずの親が消え、幼いうちから味わわなくても良い世の不条理を喰らってきている。

 そんな子供達に知恵と安寧を与えてやるために、ネリネはこの塾を作ったと言ってもいい。

 

「あっちの木も倒してきたよ。三本」

「さすがゴウだ! よっ、ネリネ一門最強の力自慢!」

 

 彼らはその“先生の恩”に報いるから。互いの苦労に満ちた身の上を、重んじているから。結束して寝食を共に出来る。一丸となって日々を送ることが出来る。

 

「そんな木で燃えるはずがないだろう。もう少し太いものを用意しろ」

「僕は力があまり強くないから、軽いものを手早く多く集めて、役に立とうと思ってて……」

「ひょろひょろの燃えカスになって終わりだろうが。どこかの誰かみたいにな」

 

 そんな中だからこそ、例外というのはひどく悪目立ちする。

 

「………………」

「なんだその顔は。さっきの続きでもやるか?」

「やめろお前ら!」

「またかよ、もう」

 

 鋭い眼差しと、物言いたげな相好――“イツ”と“リク”のいがみ合いは、今日も絶好調であった。

 向き合ったところを他の門弟が割って入って事なきを得たが、両者は共に納得していない、といった様子。

 日頃から目の敵じみた接し方をされているリクにしてみれば特にそうだし、表情を曇らせるのも無理はない。

 のだが、門弟らはイツに対しても、その態度に理解を示せるだけの背景を知っていた。

 

「リク、あまり責めないでやってくれ。念願の継承式が近いから、気も立つんだろう」

 

 継承式。

 選ばれた二人組に、それまでで学んだこと全てを試合という形式で披露させ、より優れていた方へ絆の奇跡『メガシンカ』の手段を授ける、心道塾の伝統行事である。

 継承を完了した者は、晴れて生き方と世の理を手にし、再び外へと羽ばたいていく自由を得られるのだ。

 即ち、卒業試験。心道塾生としての集大成の発表会。ネリネの弟子としての最後の務め。

 開催は完全不定期で、選定も彼女の一存で決められ、おまけに選ばれた以上は逆らうなどせず甘んじて受けねばならないという決まりがある。

 そして此度、そんな継承のチャンスを掴み取ったのが、イツとリクで。

 

「そりゃ、僕が選ばれて面白くないのは、わかるけど……」

 

 二人は同い年だった。ネリネの元に来たタイミングもほぼ一緒であったし、心道塾で見たものも、聞いたものも、触れたものも何一つ変わらない。

 それでも両者は時を経るごとに、成績の差が開いていった。

 リクが与えられた試練に音を上げているうちに、イツはどんどん遠くへ進んで、いつしか『ネリネ一門史上最強の弟子』と、褒め称えられるようになっていた。

 彼らを決定的に分けたものは地力の差であり、それに気付いた心無い大人達は二人の扱いにも違いを付け、片や落ちこぼれと呼び、片や後継ぎと担ぎ、彼らの溝を大きな物に変えていった。

 

「でも、僕だってこの現状を理解できていないんだ。だから、あまり……その。目くじらを、立てないで……ほしい」

 

 リクは、イツどころか皆と比べても優れていない自身に継承の権利が与えられたことを不可解に思い、何度もネリネに「何かの間違いではないか」と疑ってかかった。されど「あたしの目に狂いはない」と突っ返され続けて、逃げ場すらも失って。

 真面目に取り組んできたイツにとって、最後の最後で自分よりもうんと劣る存在と同列に競わされるのは、心底腹立たしいし、さぞ屈辱的なことだろう。

 でもリクだって、ちゃんとそれをわかっている。どうにもならない気持ちで雁字搦めにされているのは、僕だって一緒だ。そう思うからこそ、イツの当たりの強い振る舞いには反発してしまう。

 余計に関係が悪化するとは、知りつつも。

 

「出来ないなら出来ないなりに、出しゃばるな。言いなりにしろ。陰に引っ込んでろ。見ててイライラするんだよ」

「……僕だって許されるなら、そうしたいよ」

 

 半ば同門らが、呆れ返っても。この軋轢だけは、どうにかなりそうもない。

 

「あいつら、確か今晩の稽古一緒だったよな……何やってんだ、ったく」

「平和に終わればいいけどね……」

「無理無理、どうせ先生そっちのけで殴り合いおっ始めて終わりだよ」

 

 離れていく二人の背中が、物悲しい。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

「――形式は一対二の変則勝負、先に全滅した方を負けとします。使用ポケモンは一人一体、アイテムはカロスリーグ公式に準拠し禁止とします。では両者、前へ!」

 

 暗くても山が見える。田舎であっても情緒がある。二人であっても一人に感じる。いずれも矛盾しているようで、成り立っている。

 夕飯を済ませると、すっかり月がのさばった。心道塾はポケモンと人の在り方を説く場所であるからして、無論バトルも行われる。従ってそのためのフィールドだってきちんと用意されていて、この屋敷で言うなれば大庭の一部がそれに値する。石畳と剪定された草木で飾り付けられた広大な空間は、ただ眺めて楽しむだけのものではないのだ。

 間隔を開けて並び合ったイツとリクは、白線のフィールド上で稽古相手――ネリネと向き合った。

 

「さて、今日はいつまで喧嘩せずに」

 

『いられるかね?』

 ネリネが言い切りと同時にモンスターボールを投げ込むと、青の光がおやこポケモン“ガルーラ”の輪郭を作って、空間にディテールを刻み込む。

 

「取り合う手と手で、道行き照らせ――メガシンカ!」

 

 そして続けざまに、さらなる光が呼びこまれる。見守る門弟たちの松明を凌ぐほどの輝きが、ガルーラを包む。

 二つの髪留めから発される極彩色は『道』となり、獣の親子へヒトの思いの力を存分に注ぎ込んだ。皆の目をひとしきり眩ませたら、やがて卵のようになって固まる可視化された絆。

 

『ガルルァァァァァァァァァァァァァァァ!!!』

「……さ、どっからでもかかっておいでね」

 

 それが弾ける時――上空に螺旋の紋章が浮かび上がる時。ガルーラのメガシンカは完了する。

 肉体が強化された母の傍ら、腹の袋に収まっていた子供は、成長した姿で地に足付けて立っていた。

 何事にあっても子を優先してやる。メガガルーラの風体には、そんな子供思いな性質が如実に表れていた。

 

「ボスゴドラ!」「コイキング」

 

 そんな勢い増した親子に怖じることなく、二人もポケモンを繰り出す。

 イツは幼少から共に育ってきた“ココドラ”の最終進化形“ボスゴドラ”を、リクは道端で捨てられていたところを助けた“コイキング”を、それぞれ召喚した。

 跳ねる者と、構える者。銘々に動作は違えど、目先の敵を違えてはいない。

「イツ」緩慢な気流が、かさかさと草場を撫でる中で、言葉を放す。

 

「僕は、どうしたらいい。跳ねることしか出来ないけれど、何かの役には」

「何もするな」

「!」

「居ても居なくても一緒だ……何もせずに黙って見てろ」

 

 リクはそれ以上会話を繋げることもせず、ただ一人で俯いた。

 

「――それでは、はじめ!!」

 

 審判が、数多の火に照らされた掌を振り降ろす。

 

「ボスゴドラ、“アイアンヘッド”!」

 

 そんな開始の合図に、駆けた。

 真っ先に通る電撃のような指示は、必然としてボスゴドラに先制の流れを与えてくれた。

 どしんどしんと大地を打ち均しながら始まるは、鉄鎧の進撃。

 

「遠慮なく行かせてもらいます、先生!」

「おやおや、せっかちだねぇ」

 

「受けて立ちな」右の爪先を二度鳴らす。するとガルーラは、真っ向からその突進に拳をぶつけた。

 ドォン。忽ち衝撃が走って、灯りが揺らぐ。鋼と肉という、勝敗が目に見えた衝突とは思えない程に激しいそれは、二体の大怪獣の動きを競り合いという形で止める。

 使徒が顔をしかめると、主も同じく渋くなって。

 

「“グロウパンチ”か……!」

 

 イツの目には、硬質化された手の皮膚がしかと映っていた。

「ご明察だ」腕を組み、今度は左の爪先で一回地を蹴る。

 

「っ! イツ、後ろ!」

「ついでにこっちも気付ければ、満点だったよ!」

「なに!?」

 

 リクの気付かせる発声と、ネリネの不敵な笑みが重なった瞬間、ボスゴドラの背後に続く地面が短兵急に盛り上がった。足元から飛び出すは子ガルーラ。親の陽動に紛れて穴掘る、知性に溢れし立派な伏兵。

 本来当てるつもりだった方の正拳をまんまと貰うと、元来喰らわなくてもいいはずだったパンチもおまけでついてきた。強烈な二発の前でたまらず転がるボスゴドラ。ダウンを一度奪われて、面白くないぞと言わんばかりに地を殴り、雄叫びを上げた。

 

「焦るな、まだ始まったばかりだからな――!」

 

 イツは起き上がるボスゴドラを宥めながら、今なお強気な眼光を飛ばしてくる親子について、思う。

 このポケモン相手ならば、多少の損害は仕方がないことだと。一度の行動で二回攻撃を行える、この『メガガルーラ』との戦いならば、無傷で勝つのは無理だろうと。そんな風に考える。

 

「一人で大丈夫なのかい? 少し苦しそうだけれど?」

「見くびらないでくださいよ……、この俺を!」

 

 そうと決まれば。地面に敷かれた石のカーペットを叩き割って、身の丈の倍以上の大岩を切り出した。人間の比率で考えれば到底持ち上がるサイズではないそれを、ボスゴドラはあろうことかいじっぱりな性格一つで抱え上げる。

「ヒュー」敬意の口笛を鳴らして見上げる光景から、次の行動を想像するのは簡単だ。それはガルーラも同じ話で。

 

「投げろ!」

 

 だから、動き出す。

『ルルァァァァァァァァッ!!』親が振り抜いた腕にしがみついていた子ガルーラは、凄まじい勢いで斜方投射され、脇目もふらずに放物線をなぞる大岩へと迫った。

 

「砕け、“いわなだれ”!」

「子は“ふぶき”! 親は“シャドーボール”、散らしな!」

 

 重力に逆らう岩石が頂点へ達した時、再び勝負が始まる。ボスゴドラがもう一回り痩せた巌を豪速で投げると灰色二つは激突、盛大に砕け散って小岩の波へと変貌した。

 しかしやらせないと咆えるのが、この親子。

 ネリネの第一の指示は、この雪崩を凍らせ脆くする。そして第二の指示は、その甲斐性を失った玉の数々をかき消す。ショットガンよろしく拡散する霊力の弾丸は、不揃いな岩たちをまるでプラスチックのようにばきばきと打ち砕いていった。

 

「つええ、さすが先生……ッ!」

「……いや、まだだ!」

 

 舞う粉塵に目をやられかけながらも、門下生らはイツの意図に気付く。

 

「それを、待っていた!」

「……――!」

 

 煙をかき分けて成されるボスゴドラの特攻を、双眸に収めて。

 正直を三度目まで待つ必要など、ない。一度の学習を経れば二度目で決まる。

 範囲攻撃は多数のポケモンを扱うバトルでは最も強い。裏を返せば、それを用いられた際のケアも相当な重要性を持つという事を意味している。

 ましてメガガルーラ親子によるコンビネーションプレーを主軸とするネリネが、そんな初歩的なセオリーを知らないはずもなく。

 だから実際、こうして“いわなだれ”に向け入念な対応を見せてくれた。

 ――狙い通りだった。あとは手応えを握り締めて、その隙を突き刺すだけだ。地響きを連れ、鋼鉄の(こうべ)を月明かりに照らすだけだ。

 

「“アイアンヘッド”ッ!!」

「“おんがえし”で受け止めな!」

 

 親に至った石頭は、トレーナーの愛情を物理的な力へと変換する技によってブレーキをかけられるが、その歩みはたとえ遅くとも止まらない。止まってくれそうにない。

 親ガルーラが掴んだ角に押されて、望まぬまま踵で地表を抉る最中に、子ガルーラはようやっと隙の清算を出来た。上空からグロウパンチを叩きこまんと、壁のような背中目掛けて真っ逆さまに落ちていく。

「!?」しかし拳がそこへたどり着く前に、その小さな勇姿は飛んできた何かに阻まれ、横へと転がされた。

 

「へえ、考えたね――“ステルスロック”かい!」

「言ったはずですよ、見くびらないで下さい、って!」

 

 先程のいわなだれには、もう一つの役割があった。

 轟音と砂煙を以て、場に石刃を忍ばせる作業をカモフラージュすることだ。

 そうして敵の目を欺いて無事撒かれた“ステルスロック”が、忙しなく動き回る子ガルーラを巧妙に搦め捕ったのだ。

 次々飛んでくる礫の中で、踊ることしか叶わぬ子供。岩窟の守護者が生むトラップは、かくも鋭い。

 ようやく一対一に持ち込めた、と強気に笑むイツ。

 

「おい……、ひょっとしたら」

 

 あと少し、あと少しだ。

 

「ああ、イツなら、いけるかもしれない……!」

 

 あと少しで、先生に勝てる。

 

「先生を、負かせるかも……!」

 

 ここを去るまでの間に、先生を超えられる。

 イツは目をさらに見開く。固唾を飲んで、拳を握った。

 いける。絶対にいける。

 

 

「――ま、一人でここまでやったことは褒めてやろうかね」

 

 

 出し抜けに通るネリネの一声が、そんな期待で膨らむ胸から空気を抜いた。

 蚊帳の外から観察していたリクは、場の雰囲気を覆す異常に、いち早く気付く。

 

「……どうした、ボスゴドラ!?」

 

 痺れるような感覚が肌を走る。

 力押しが、止まってしまった。体力や馬力が落ちたわけではない。たった今まで一歩ずつ、力強く進んでいたのだから、そんなことは万に一つもあり得ない。

 ならば、何故。増えるまばたきの向こう側で、ガルーラはその答えを教えてくれた。

 

「――グロウパンチ、だ」

 

 呆然として発するリクを一瞥して向き直った風景には、担ぎ上げられるボスゴドラの姿があった。

「馬鹿な……!」いくら四〇〇キロにも及ぶ体重であろうと。どんなに暴れて手足をばたつかせようと。

 一度持ち上げた巨体に、解放の選択肢はない。

 食い縛った歯の隙間から、熱い息が白煙のように漏れ出た。筋繊維はその一筋一筋が怒張し、瞳の輝きに連動してより逞しくなって。重さに踏ん張る足は唸りが溶けた地面を押し潰し、確かに強い母を支えている。

 

「一口に『こうげきが上がる』と言っても、色々な過程があるさね」

 

 長らく不可解であったが、ネリネのヒントでやっと悟った。

 グロウパンチが『衝撃という外的刺激で体組織を活性化させ』こうげきの値を上げる技であったことを。

 わかりやすい肉体強化――――それは、こんな鉄塊じみた生物も持ち上げられるわけだ。

 くらった段階で、勝負はついていた。覗く歯は不敵な笑みの形から、悔いる時の形状に様変わり。

 

「終わらせるよ」

 

 主の言葉を聞いたガルーラが、咆哮と共にボスゴドラを頭上へぶん投げた。

 

「く、くっ! “ヘビーボンバー”!!」

「だから言ったんだよ」

 

 ネリネは、尚も諦めないイツを称えつつも、

 

「――『一人で大丈夫かい』ってね」

 

 足らない点を指し示して、この勝負にけりをつけた。

『グロウパンチ』――最後の指示が通った瞬間、ボスゴドラは落下の重力と拳の突き上げで挟み撃ちにされ、絶叫した。そのまま意識を目の渦巻きに閉ざして、地に伏せる。

 ごく自然な流れで続けて向けられた視線に、リクはどんな対応を取ったのか。

 

「ボスゴドラ、戦闘不能! 及びコイキング、降参! 勝者、師範ネリネ!」

 

 それは、言うまでもないだろう。

 審判の終了宣言で、場の緊張が一気にほどけた。拍手をする者、言葉をかける者、感想を語らう者と、観衆は様々な反応を見せてはいるが、イツとリクの表情は翳ったままで。

 それぞれきちんと理由はあるのだが、少なくとも単に負けたことについて悔やんでいる訳でないことは、確かであろう。

 ポケモンを戻したところで歩み寄ってきたネリネは、二人の頭に手を乗せ、屈んだ。

 

「イツ、いいかい。あたしだって世辞にも若いとは言えないけどね、あんた一人に負かされるほど衰えちゃないよ。なんで二人で挑ませているか、少しは考えな。他の活殺ってのも覚えないといけないよ」

「くっ…………はい……」

 

 稽古後の反省会は、日課だ。優しく褒められる時もあれば、厳しく叱られる時もある。どうやら今日は後者のようで。じろりと物言いたげな目が自分に向くと、思わず視線を逃がすリク。

 

「リク。あんたはやる気があるのかい? まるで棒っきれだ、突っ立ってばかりで声一つ出しゃしないじゃないか」

「……ちゃんと、言葉は発していました」

「おや、屁理屈だけは日増しに達者になっていくねえ」

「ごめんなさい。頭を握り締めないで下さい、ごめんなさい」

 

 わかればよろしい、そんな解放。

 

「……少しでも勝つ腹があるのなら、イツから何をどんなに言われようが、行動してごらんな。あんたにはそれが出来るだろう?」

「……はい。すみません……」

 

 継承式が心配だよ、まったく。心残りを言い残し、去る。

「ほらみんな、風呂いくよ! ついといで!」弟子を伴い、行灯光る屋敷に戻っていく背中。

 リクはそれを暫くの間ぼうっと眺めた後、

 

「くそっ、まだ勝てないのか……力が、足りないってのか……ッ!」

 

 地面に空虚な拳を叩き付ける同門の姿を見て、眉をひそめた。

 

 僕だけが、前を向いていない。一歩も先へ進んでいない。

 ――ずっと、取り残されている。

 空いてしまった心に埋まる折角の再認識も、吹いて流れる夜風に手放し、くれてやった。

 

 リクはそうやって、地続きを求めていく。

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