ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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04.継承式

 キャモメが休む、青の上。疎らな雲が風に流れて、晴天の飾り付け。

 湖は凪いで、日輪は阻まれず、空から連なっている。

 申し分ない天候で催される継承式をすぐ傍にて見守るのは、堆さを惜しげもなく湛えたマスタ―タワー。

 門前の一本道にて向き合う少年二人は、些かせっかちな周囲の応援を受けながらも、互いに視線を逸らさずいた。

 

「わかってるだろうが――ルールは一対一の真剣勝負だ。道具は使用不可、演武を通して人とポケモンの未来をより深く見せてくれた方へ、メガストーンとキーストーンを贈与、その時点で継承者とする。ちなみに人への攻撃はなしだ。いいね?」

 

 わかりきっている禁則事項をわざわざ伝えねばならないのは、両者の仲が犬猿であるからに他ならない。

「じゃあ、ポケモンを出しな!」審判兼マスタ―タワーの管理者であるネリネが、イツとリクを眼球だけで一度ずつ見やって言うと、それぞれはモンスターボールを前へと投げ込んだ。

 ポンッ、と特有の音が光と一緒に弾けると、たちどころにボスゴドラとコイキングが顔を出す。

 背中から相棒がベストコンディションなのを確認して、重い口を開けるイツ。

 

「人への攻撃はなし……か。こんなドベには、その価値すらありませんよ」

 

 呼吸するように自然な挑発には、乗らない。とっくの昔に慣れている。そんなリクが意識を向けるのは、コイキングのことだけ。大丈夫だろうかと、思い巡らすだけ。

 一方のネリネは昨日のことを思い返しながら、無言貫く彼を黙って見据えていた。その意味を一から十まで述べるのは、恐らく野暮なのだろう。

 

「リク、大丈夫かな」

「普通にいけば、敵う相手じゃないけど……どうだろう」

「傷一つでも付けられれば、御の字じゃないか?」

 

 見届け人として遠巻きに眺める門弟らが、展開に対する思い思いの言葉を重々しく語る。

 

「……いや」

「ミカヤ、やっぱりわかる?」

「ああ。いつもと、何かが違う。あの顔は……そのまま倒れていく奴のそれじゃない」

 

 イツが圧勝するという多数の予想に反して、彼らの兄姉弟子達――いわゆる年長組は、そうとも限らないときっぱり言い放った。

 何故なら、彼らだけはこの場を包み込む異様な雰囲気に気付いていたから。もっと言えば、それがリクから発されているものだと、察していたから。

 それが気のせいか否かは、じきにわかること。

 

「それより……」

 

「なんでこいつがいるんだか」振り返って目が合って、ネリネは辟易する。

 

「みっ、見るだけならば文句はないだろう!? 見るだけだ、ほんとーーーーに、見るだけ!」

 

 そう言うと、おどおどしながら隣の人陰へ身を隠す石職人。自分の身の丈よりも一回り小さな者を盾にする絵面は、なんとも情けない。

 

「式の最中に何かやろうもんなら、承知しないからね。言っとくけど命の保証はないよ」

「わ、わかってるとも! 何もしやしないさ!」

 

 もう既に、してあるからな。

 

「おい、ほ、本当に渡したんだろうな……? お前が協力すると言ったから、私はここまでしているんだからな……!」

「問題はないと言っておろうに。気の小さい男よな」

 

 イーノはそんなモノローグを噛み締め、心底鬱陶しそうに返した。彼女が先程から扇子で涼みながら眺めるは、イツの横顔。

 

「……尤も使われるかどうかは、アレ一人で決まる事ではないが、な」

 

 聞こえることの無い独り言は、やがて重なる号令にかき消されて風化した。

 

「それじゃ、――いくよ」

 

 挙手というネリネの動作で、誰もが固唾を飲んだ。

 言葉が止まる。時流が滞る。風上から広がる水の香りは脳に至らず、嗅覚を無視して抜けてった。

 引き締まる表情に、加速する鼓動。一人は緊張で、もう一人は興奮で。

 どちらがどちらなのかは、説明も要らない。

 全部、始まってしまえば。

 

 

「――第五回継承式、演武開始!!」

 

 

 当人達ですら、わからなくなるのだから。

 

「“アイアンヘッド”!!」

「っ!」

 

 会話など要らない。手刀が空を切ると同時、ばちりと電流奔る瞳がそう言った。

 遠慮も加減もない大声が通った瞬間、ボスゴドラはもう細砂を踏み蹴っていた。雄叫びを上げ、駆ける。そして鋼鉄の頭部を跳ねるだけの敵へと全力でぶつけた。

 ズドン。猛スピードのタックルはシンプルであっても強烈で、純粋なまでに破壊という現象を見せつけて。

 

「馬鹿らしいんだ。こんなにも結果が見えた勝負など」

 

 すぐさまどよめきが起きる。やる気のない奴など、一撃で終わる。こんなものだ、と唾棄した。

『居場所に甘えて、自己の研鑽すら忘れた無能野郎が』――――内心で口汚く罵り、望んだ砂煙の向こう側。

 

「――まだ」

 

 そこにある相好は、ほんの僅かも腐っていなかった。

 

「なに!?」

 

 鈍い煌めきの直後、相棒の『ゴ!?』という短い鳴き声に意識を引かれる。彼が粉砕したはずの相手から背後を奪われている風景に、思わず目を丸くした。

 

「コイキング、“とびはねる”!」

 

 瞬発力に物を言わせた打撃が、空気もろとも鋼鉄の肉体を叩いた。

 バチンと鳴り響く尾ひれの鋭い手応えは、ボスゴドラの後頭部が発したもの。一瞬に揺らぎながらも、振り向きざまで腕を振るう。

 濡れた音と跳ねる水玉が嘲笑えば、その反撃の行方もわかるだろう。

 イツは釣り上げた目で、忌々し気にリクを見やった。

 

「勝手に終わった気にならないでよ。……まだ、始まったばかりだろ」

「貴様……!」

 

 ダメージ自体は大したものではなかった。今一つの効果で、ましてボスゴドラの耐久力だ、世界がひっくり返ろうとも致命傷にはなり得ない。

 だが、イツは歯噛みせずにはいられない。

 三年の付き合いで、初めて見たその顔に。一切知らなかったその表情に。

 ――継承者の座を確実に狙いにきている、覚悟の眼光に。

 

「何を、今更ァ!!」

 

 逃げ込んだ湖ですいすいと泳いで回るコイキングへ、吼えるボスゴドラ。

 その動作を一度で留めると、道端で顔出していた岩石を引っ掴み、投げつける。

 しかしやはり水中、抵抗で投擲の勢いを殺され、折角の質量も無用の長物と化した。

 今度はこっちの番だと言わんばかりに、再び蹴り上げる水面。

 

「馬鹿が! 二度目はくらうか!」

 

 揺れた鏡に溶ける声。学習しないはずがないだろう。構えていたボスゴドラは凄まじい速度で真横に潜り込んできたそれを必然的にキャッチし、機嫌をよくする。だが嬉々として捕えた敵を確認するやいなや、愕然。手中で伸びていたのは水草で。

「まさか尾ひれの力で打ち出したとでも――、くそっ!」気付いたところで、もう遅い。タイミングをずらした二度目の跳躍、それこそがコイキングだった。

 

「“とびはねる”!」

 

 防御行動が間に合わず、まんまともらう第二波。またも頭。

 だがそれだけにはとどまらない。指さす『もう一度』が押し通った。

 

「“たいあたり”!」

「弾き飛ばせ!」

 

 見えているなら。でもそんな見立ては甘い。振りかざした腕が止まると、コイキングは無遠慮に全身で懐へとぶつかった。

 

「!?」

「まだだ、まだ! “たいあたり”! “たいあたり”! “たいあたり”ッ!!」

 

 尚も続いて畳みかけるような猛攻は、まるで止まらない。押し飛ばして潜り、跳ね退けて隠れ、叩き打って泳ぎ――水辺という環境と持ち前の跳躍力を最大限に利用したヒットアンドアウェイが、ボスゴドラの装甲を確実に削ぎ落としていく。

『ゴオオオオオオ!!』たまらず、もう一吼え。

 

「なんだ、何故対応できない……!?」

 

 訝るイツの疑問に、

 

「……そうか、初撃の“とびはねる”か」

「へ?」

 

 観衆の門弟が遠くで答える。

 

「頭に入ったあの一発が、有効だった。外部からの衝撃で脳を揺すって、軽度の神経脱落症状を引き起こしたんだ」

「そうか! “とびはねる”は、そうやって『まひ』状態を見込める技だった……!」

「ああ。だからボスゴドラはあんなにも対応できていないし、よろめいているんだ」

 

 悲しき哉、それは当人に聞こえることはないが、しっかりと正しく答えを出していて。

 

「――“たいあたり”!」

「図に乗るなァァァァァァァ!!」

 

 意気に合わせて浅瀬を殴れど、すり抜ける。へばりつくのは水の重苦しい感触だけ。

 自重が大きいボスゴドラにとって、水中での行動は致命的であった。極端に機動力が落ちるどころか、無に等しくなるためだ。

 それを知りながらに「ここまでおいで」と、コイキングは己だけの領域から憎らしく顔を覗かせ挑発する。

 力で勝てないのなら、状況の有利を作るまで――周りが寝息を立てる中で、ただ一人筆を手に、ひっそり帳面と向き合ったリクの作戦は成功だった。

 

「この野郎、ふざけやがって……!」

「僕は、腰抜けじゃない。コイキングは……弱虫、じゃない!」

 

 人は人と、ポケモンはポケモンと、それぞれ反目し合う。

 

「初めてだ……あいつが、イツと渡り合っているなんて」

「ねえ、あれは本当にリクなのか? まるで別人に見える……」

「わからない。だが」

 

 刹那でちらついた番狂わせに、沸いた観衆。

 ネリネも、仲間達も。瞠目した先に、引っ込み思案で頼りない少年の輪郭はどこにもない。

 代わりに立つのは。

 

「あいつにも相当な決心があることに、間違いないだろう」

 

 とうとう出来ないふりをやめた、門下生の勇ましい姿。

 彼が水際に立ち寄ると、相棒も同じようにして近付き、耳を傾けた。

 

「ごめんね……僕がバトルに慣れてないばっかりに、付け焼き刃の知識しか詰め込めていない作戦だけど」

 

「無理、させちゃってるね」申し訳なさそうに鱗が剥がれたコイキングの体を撫でて、俯く。

 だが掌から返ってくる意志は、冗談のように活気に満ち溢れていて。

 

「へ……――?」

 

 びちびち、と跳ねる身体。ひれが空を叩いて、大暴れ。

 

「……楽しい、の?」

 

 まるで、喜んでいるみたいに。

 コイキングは主人と同じ眼を、していた。同じ顔して、同じ物を見ていた。

 プラスアルファで乗る、己の願望。

 それはどんなに弱虫と後ろ指さされ、身の程知らずと嗤われようと、彼の魂を熱くしていた、何よりの根源。

 彼もまた、ボールの中から流れ星に願っていた。

『恩人のために全力で戦いたい』と。『心行くまで自分を出し切りたい』と。

 

「そっ、か」

 

 そんなコイキングの強靭な決意に、静かに頷く。

 

「うん……わかってる」

 

 一瞥。言葉をなくして思い返すのは、昨夜の誓い。

 あの人が自分の命を背負ってくれたように、自分もあの人の願いを背負っていく。

 明日から前を向いて、背筋伸ばして、真っ直ぐ立って『自分だけの道』を歩いていく。

 後ろ髪を引かれていないと言ったら、きっと嘘になる。だけど。それでも。

 

「……僕は、先生の笑顔を守るんだ」

 

 剥き出しの彼女に触れて震えた心が、確かに出した答えだから。

 

「だからさ……いつまでも、心に残しちゃいけないよね」

 

『彼女のために去る』と、僕はちゃんと言ったから。

 逸らしがちだった視線も、今ではぴったり合う。最早言えないことなんてなくて、何もかもを真っ向から伝えられる。

 

「僕は――継承者になりたい!」

 

 コイキング! 向き直って叫ぶ“たいあたり”が、またもボスゴドラを身じろぎさせる。

 いくら衝撃が入っていようと、与えられる損傷は依然として焼け石に水の状態。しかしそれでも尚、勇敢な緋鯉は割れぬ壁を叩き続けた。打ち壊せる瞬間を夢見て、何度も何度も。

 まるで、天翔ける龍になれる時を待ち望み、滝へと挑み続ける魚のように。

 

「何がお前をそんなにしてるかは知らないが……、もう遅いんだよ! そんな決意!」

 

 イツは青筋を立てながら、次の一手“ステルスロック”を打つ。

 否まず、拒まず、ボスゴドラの体表の装甲が少量、剥離した。粗く生成された鋼鉄製のそれは、生まれもって湛えられた刃じみた鋭さを誇示。

 そして妖しく輝き、巨体の周囲を固めるようにしてぐるぐると回り始めた。

 

「っ、まずい、これじゃ……!」

 

 リクはそれが炸裂する前から、これが何なのかを痛いほどに理解していて。毎度のように仕留められていれば嫌でも覚えるし、嫌な物としても頭に残る。

 射程内に入れば最後、飛び込めば擦り切られ、逃げれば追い撃たれる。意地悪い全自動攻撃装置は、コイキングの手出しを阻むには十分であった。

 沸々と起こる嫌なイメージはそのまま相棒へ待ったをかけ、あまりにも不本意な膠着を呼び出す。

 

「どうした……来いよ! さっきまでの威勢はどこにいった!」

「くっ!」

 

 大きく両手を広げて煽るイツ。対するリクは虚ろを噛み締める様しか返せない。

 最も忌避していた状況が巡ってきて、かつそれに対する策が一切組み立てられていない、そういう顔。

 遠距離から攻撃を加えられる『特殊技』の一つでもあればいいのだが、生憎コイキングというポケモンは『はねる』『たいあたり』『とびはねる』『じたばた』の四種しか、技を覚えてくれない。

 どれも物理的にダメージを与える――つまり対象への接近が大前提となる技。

 この攻撃面のバリエーションの乏しさが、人々に「コイキングは弱い」と言わしめる原因の一端であり、長らくリクを勝利から遠ざけている理由でもあって。

 

「来ないのなら、こっちからいくぞ!」

 

 脳内でどれだけ電気信号を束ねて発したところで、勝負は待ってくれるものではない。

 立てた前腕に三度、立派な角を擦り付けるボスゴドラ。無意味にも思える動作だったが、徐々に黄色の発光が始まり、びりびりと風が震えるうちに、込められた意味を察した。

 推理の的中を確信した時、既に場には苛烈な雷電が満たされていて。

「――ダメだ!!」まずい、いけない。漏らしきれず独白にとどまった言葉を、

 

「“とびはねる”!」

 

 咄嗟の指示で上書きした。

 

「手遅れだ、“10まんボルト”!」

 

 のろま。輝く二本角が、そう嘲った。

 イツの発声と同時に、プラズマ化一歩手前の電気エネルギーがボスゴドラより放たれる。

 それは耳を劈く轟音で大地を揺らすと、読んでいたと言わんばかりに宙に飛び上がったコイキングを容赦なく喰らった。

 バリン。身を焦がさんばかりの高熱が。骨の芯にまで至りかねない衝撃が。水分ごと肉体を焼き討った。

 誰もが圧倒的な閃光の前で、呆然とする。

 

「コイキングーーーーーーっ!!!!」

 

 我先にと我に返ったのは、リク。一瞬で黒に染まってしまい、ただ落ちていくだけの格好になったコイキングへと走っていき、落下地点で受け止める。

 離れていても聞こえた「じゅう」という音は、ダメージの深刻さを伝えるのに一役買った。

 

「あ、っつ……!!!!」

 

 手の皮膚が剥がれ落ちそうなほどの熱が意味するのは、誰が言うまでもない『ひんし』のサインだろう。

「~~~~~~っ」リクは屈んで、灼ける感覚も構わず、ぴくりとも動かなくなった相棒を抱き締めた。

 

「ごめんね…………ごめん……っ!!」

 

 同門らも順繰りに状況の認識が追い付いていき、今しがた齎された“大きな変化”への意味を、理解した。

 

「そうか……ステルスロックは、牽制、か」

「へ……?」

「それそのもので仕留める気はなかった。ただ迂闊な行動を縛り付けて、水中から様子を窺うように、コイキングを誘導したかっただけだ」

「どういう、こと?」

「水は電気を通す。コイキングが飛ばなければ、湖に10まんボルトを撃って感電させていただろう。そして飛べば……こうする気だった。どのみち、ただでは済まなかった」

「イツは、最初から10まんボルトが確実に押し通るような戦況作りを行っていた、ということ?」

 

 無言の肯定。

 そして付け加える「大したやつだ」という賞賛。戦意をどこぞへと迷わせた敵を見据えながら行う、仁王立ちへ向けたもの。

 まさかの奥の手で辺りが騒然とする中、一人の門下生が決着を確信し、急いでネリネへと駆け寄った。

 

「先生、もう終わりました、コイキングを回復させないと……!」

「……いいや」

「!? 先生……!!?」

「もう少しだけ待つ。それで何もないようなら、終わらせよう」

 

 その判断は、誰から聞いても理解に苦しむものであったが、ネリネが指さした方を見れば、誰もが腑に落ちた。

 

「あ……!」

 

 眼下に広がっていたのは、湖。さらにいわば“タマンタ”や“チョンチー”、“テッポウオ”といった、湖に住まうポケモンたちだった。

 継承式などというヒトの都合も知らないで悠々と泳ぐ様子は、緊張さえほぐれてしまいそうになる。

「あたしの教えは?」ネリネが横目で弟子を見やると、

 

「……『世、常々万物在り。とりわけ栄えし人、都度ポケモンが為に死す。故に我ら、ポケモンと共に在り』」

 

 その真意は忽ちに伝わった。

 

「あの“とびはねる”は回避しようとしたんじゃないよ。寧ろ当たりにいったんだ、湖のポケモンたちを巻き込まないためにね」

 

『いつの時代であっても、人とポケモンは手を取り合って共存していく。だからこそお互いを大切に』

 大事な人からの言葉は一つ一つ大切にしているから、一言一句として一度も忘れてはいない。リクはネリネの教えを守って、敢えてコイキングに庇わせたのだ。

 

「ごめんね……」

 

 だから、こんなにも謝罪の言葉を重ねている。服を煤に汚して、火傷に喘ぎながらも抱いている。

 

「僕は、君を身代わりにしちゃった……、君だけに痛い思いをさせた……ダメなトレーナーで、本当にごめん……っ」

 

 ぼろぼろと涙を溢して、歯が軋むほど無力を噛み締める。

 悲嘆に暮れる声が波打ち際に消えていく。

 こうするしかなかった、なんて開き直れれば、もっともっと楽なのだろう。が、少年の甘さではどうにもそれが出来そうにない。

 どうしようもなさに悔やむことを、とてもやめられそうにない。

 

『ゥ……、ウォ』

 

 そんなもの、とっくの昔に知っている。陸上で捨て置かれ、死を待つだけだったところを拾われた時から、ずっと。

 コイキングは残り僅かな体力を振り絞り、べそかく主人の頬を尾ひれで叩いた。瞬間的な挙動に驚く躰から解放されると、再びボスゴドラの前に立ちはだかる。

 リクが手を前に出して止めるよりも先に、口を開くイツ。

 

「焼き魚が……まだやろうっていうのか? 頭にまで焼きが回って、おかしくなっちまったか?」

「ダメだ! これ以上続けたら、死んじゃうよ……!!」

 

 吃驚を隠せなかった。もう勝負はついたようなものなのに、されどぴちぴちと跳ねて戦闘態勢を崩そうとしない。

 弱々しい動作をまったく誤魔化せていないのに、それでも戦意を掴んで離さない。

 

「どうして……! なんでさ!?」

 

 何故だろう。

 

「もういいよ、休んでよ!」

 

 何故、限界を迎えて尚、退こうとしないのだろう。

 

「情けなくていいから! 継承できなくて、いいから!」

 

 何故、頑として、自分の前にどっしりと身を下ろし、消えようとしないのだろう。

 痛いのに。苦しいのに。辛いのに。恐いのに。

 

「なんで――――っ!」

 

 跳ねた一瞬で、ぶつかる視線。心と心が繋がる瞬間。意志が伝わる、その刹那。

 真っ黒に焦げたコイキングの瞳は、煌めいた。

 

「へ……?」

 

 その輝きは、負けに悲しむ涙ではない。まして絶望の証明でもない。

 ひたすら純粋になって、勝利へと貪欲に喰らい付く――純然たる戦士の眼光。

 リクはそれに気付いて、愕然とする。無理もないし、信じがたいだろう。まだ戦いたがっているのだから。

 込められた意志にもはや、継承式や主人という理屈は介在していない。

 ただ心の底から、気の赴くままに、リクと全力の勝負を楽しみ、栄光を勝ち取りたい。それだけのことで。

『まだやめるな』と。自分を救ってくれた、少年へと言っているのだ。

 

「……君は……今が最高なんだね。今の輝きを、まだ……味わっていたいんだね」

 

 甘いだけではない、強くて優しい誇り高い主へと、言っているのだ。

 

「――うん。わかったよ」

 

 ここまで、相棒が望むなら。これまでにないほど、今を欲するのなら。

 リクはくしくしと涙を拭い、大きく息を吸って、抱き締めるように青空を見た。続けて瞳を閉じ、現在の景色を目蓋の裏にしっかり焼き付ける。

 感じる風に声の震えを収めると、平静が訪れた。いつしか戦意は胸に帰ってきて、準備は完了。

 

「行くよ、コイキング」

 

 そうやって、開眼した。

 ――直後に強烈で膨大な光に包まれるとも、知らないで。

 

 

「な――――!!?」

 

 

 眩さは、突然生まれたものだった。

 誰一人として、このコイキングから発される白光を予見できなかった。

 

「ぬうおぉお!? まぶし……ッ!」

「なんだ、この光……!!?」

「……ほう」

 

 皆一様に同じ面をしているのが、その証だろう。

 となれば、真っ先に気付くのは誰か――という話になるのだが。

「まさか、ねえ」ネリネであった。多くは語らずとも、腕を組んで覗かせる満足だけでいい。あとは要らない。

 凄まじいエネルギーが空気を揺らして、すぐ傍、唯一人で直視するリクの前髪を揺らした。

 弾けるような活力が沸いて、心を焦がすような熱さが魂を目覚めさせる。

 不思議な感覚だった。初めての体験のはずなのに、彼はこれが何なのかを知っている。

 見たことと、聞いたこと。望み、思い。触れたもの、触れてるもの。

 別のところから沢山のものが流れ込んで一つになる、この溢れんばかりの温かさは。

 

「これ――『道』、だ」

「立派になったもんだよ、まったく」

 

 先生が、よく教えてくれていたものだ。

 次に視界が晴れた時。それ即ち、コイキングが『進化』を迎えた時。

 各々が逸らしていた目を向けた場所には、

 

『ギャシャーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!』

 

 露草色の龍“ギャラドス”が立っていた。

 

「進化した……」

「ふむ……上出来だ」

 

 イーノは薄ら笑いを扇子に隠し、その急激な展開の仕組みを密かに紐解いた。

 今まで叶わなかった“盟友との共闘”という経験が、『勝ちたい』と願う魂に乗り、コイキングをさらなるステップへと昇華させたのだ。

 肉体を蝕んでいた漆黒はどこかへと消失し、体長は六倍以上にまで伸びた。高い天に向かって勇猛な鳴き声を上げる姿には、進化前の面影などまるきりなくて。

 

「すごいや……やっぱり君は、弱虫なんかじゃない」

 

 けれども見上げているリクだけは、彼が未だ変わらぬままでいる自分の相棒だと、認識できた。

 

「最強で最高な、僕の仲間だ」

 

 だって、そうだ。自分の全部を背負ってくれる、この逞しい背中は――紛れもない、僕の親友だ。

 

「悪あがきを……ッ!!」

「ギャラドスッ!」

「!?」

 

 イツは再びボスゴドラに“10まんボルト”を放たせる。

 でも、飲み込めない。ギャラドスは飛龍よろしく天翔ける動作を以て、そう言った。

 同じ“とびはねる”でも、コイキングの頃よりもうんと高くまで空を昇る。襲ってきた電撃どころか、視認せんとする観衆の意識さえ置き去りにし、咆哮連れて急速落下。

 迎撃に仰いだ眼を咎めるのは、主の思いごと背負った太陽で。

 

「“とびはねる”だあああああああああああああっ!!」

『ギャシャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 叩き出された威力も、コイキングの頃の比ではなかった。

 七メートルにも及ぶ巨体は、たやすくボスゴドラを吹き飛ばす。

 ズドン。割れそうなほどの地響きで挨拶を済ませると、主の隣でとぐろを巻いて、今一度立ち上がる相手を見据えた。

 

「イツ……誰かを害するための強さだって、先生は望んでないはずだ。そうでしょ」

「黙れッ! 知ったようなことを、好き勝手言うな!!」

「嫌だ。好き勝手に言ってでも、僕は君を止める。家族が道を踏み外すことを、防ぐ」

 

 そして。

 

「先生のために――――――僕は、君に勝つ!!」

 

 彼の覚悟を聞き届けた後、全てを抱え、真っ直ぐに突っ込んでいった。

 

 

 

 これまでの自分が経てきた総てを解き放って、ぶつかった。

 包み隠さぬ本音も、今まで抱いていた考えも。仲間への言葉だって忘れない。

 全力とは、こういうものなのだろう。何もかもを出し切って、継承式は終わりを迎えた。

 

「そこまで。勝者――イツ」

 

 最後まで立っていたのは、自分ではなかった。

 俯せから望めた視界で、イツとボスゴドラの健在を確認し、リクはゆっくりと仰向けになる。

「リク!」「大丈夫?」「おい、生きてるか!?」くたくたで倒れる少年へと歩み寄る、門弟たち。

 進化の際にいくらか回復が出来ても、やはり10まんボルトの手傷は後引く根深いもので。ギャラドスの蓄積ダメージは、彼が激闘を制することを良しとしてくれなかった。

 

「リク、凄かったぞ。よくやった」

「イツと渡り合ってるところ、かっこよかったよ」

「俺、感動しちゃったよ……! ところで生きてる?」

「もう、生きてるってば」

 

 前髪で目隠しして、ふうー、と長く息を吐いた。いくら口先を尖らせようと、天には届かない。

 

「……ふふっ」

 

 それをわかっていても、彼は満たされていた。

 届かなかった手。尚も届かない手。けれどもささやかに笑って、ずっと高い遠くへ伸ばす。

 

「心に従うっていうのは……こんなに気持ちがいいんだ、ね」

 

 泳ぐ雲が、どうしようもなく愛しく見えた。

 撫でる風に首を従わせて、隣で横たわる龍を優しく撫でて。

 

「ギャラドス……、ありがとう」

 

 と言った。

 最大級の感謝を込めて、彼と出会えた幸せを喜んで。

 負けこそしても、知らない世界へと至れたリクにとって、今日という日は何にも代え難い財産となった。

 イツを止められなかったことは、少しだけ心残りではあるのだけれど……また強くなって挑もうと思った。その日を夢見た。

 同輩らの過剰とも言える賞賛まじりの手助けで起こされると、歩み寄ってくるネリネ。何も言わず、アイテム『げんきのかけら』を手渡してくれた。まずは相棒を回復させろ、ということなのだろう。イツの手中にも『かいふくのくすり』があった。

 

「それじゃあ、二人とも並びな。ストーンを渡す継承と閉式の儀を済ませて、終わるよ」

 

 受け取ったのを確認すると、ようやく開口する。

 そこからは早い。二人がそれぞれのボールにポケモンを戻し、その間にネリネはマスタ―タワーの内部まで『メガストーン』と『メガリング』を取りに行って。

 

「大見得切ったはいいけど、また明日からもよろしくな、リク」

「やめてよ、恥ずかしいなぁ……」

「明日からは、次期ネリネ一門最強を目指すのかい?」

「……わからない。次に、どうするかは」

 

 リクは待っている暇で、仲間達と談笑する。渚の音に紛れて隣のイツにも声掛けてみたが、彼は言葉どころか視線の一つすら返してくれなかった。

 彼をいつか憎しみから解放する――そんな目標を、当面のものとして密かに固める。

 そうこうしている内にネリネが戻ってきて、

 

「それじゃ、これより――継承の儀を執り行う」

 

 彼ら二人の前で、差し出した金属の箱を開いて見せた。

 中で虹色の石が輝くと、いよいよ継承の始まりだ。

 

「イツ、リク。お前たちの研鑽の成果、演武を通して存分に見せてもらった。まずは、お疲れ様」

 

 師が簡単な声掛けをする。いつも通り。

 

「どっちからも、胸の中に抱えていたものがひしひしと伝わってきたし、嘘偽りのない本当の気持ち――“本気”が見えた」

 

 次に箱を持ったまま、継承の証を手渡すためにさらに近づく。従来通り。

 

「どちらにも渡したいけれどもさ。一つしかないから、決めるね」

 

 最後に、自分の隣でイツが祝福を受ける。今まで通り。

 

「――――継承おめでとう、リク」

 

 そんなことを、思っていた。

 

「……へ?」

 

 故に拍手の準備を進めていた手はたいそう驚いて、がぐりと下に落ちたという。

 どよめきは一瞬にして広がった。驚きが添えられているのは言わずもがな。

 中でもとりわけ仰天の色が濃いのは、唖然とするイツとリク。

『まるで意味がわからない』どちらの表情も、如実にそれを語っている。

 

「は? ……何故、ですか? なんで俺じゃないんですか?!」

「イツ、あんたは確かに優れていたさね。作戦の組み立て、ポケモンとの意思疎通、基礎的な育成、バトルセンス……何を取っても申し分なかった。でもね」

「だったら! それを俺に渡してくださいよ! 継承者に相応しい器は、どう見たって俺でしょう!?」

 

 遮られても咎めず、しっかりと聞き届けてからする返事は、正気な判断力の表われで。

 

「リクが僅差で上回っていた。あたしらの都合だけで周りを巻き込まない優しさも、ポケモンを信じて立ち向かい続ける強さも――全部リクが見せてくれたものだ」

「そんなもの、屁理屈だッ……!」

「いいや。あたしは最初から『人とポケモンの未来をより深く見せてくれた方』を継承者にすると言っていたはずだよ。勝てばいいだなんて、一度も話した覚えはないさね」

「く……、~~~~~~~~ッ!」

 

「あんたは強い。けど、強いだけだ」締められる拳と歯を、視界から外した。次に向くのは、未だ目を白黒させて狼狽を続ける、優しい方の弟子。

 

「せ、先生、ぼ、ぼく、ぼくは……」

「リク」

 

 おぼつかない言の葉の向こうから、微笑みかけてやる。

 

「でかくなったね」

 

 誇りの弟子だ、と短く褒めてやった。

 

「……ふぁい」

 

 それだけあれば、十分だった。

 己の栄達を諦めてでも、教えを守ったのだから――師としてこんなに嬉しいことはないだろう。

 

「もう、なーくーな」

「泣゛い゛て゛ま゛せ゛ん゛」

 

 リクは図らずも涙腺を決壊させてしまい、目から滝のように水を流した。ぐすんぐすん、と鼻水を啜りながら、メガリングの受け取りも忘れて嬉し泣きを繰り返す。

 

「ったく、成長したかと思えばすぐこれなんだからね。本当にしょうがない子だ」

 

 ネリネもまた、押さえきれなかった独白を溢す。

 

 

「先生、後ろ!!」

 

 

 その瞬間のことだ。

 ボスゴドラが、背後からネリネへと殴り掛かっていたのは。

 

「せんせ……ッ!」

 

 予期していたかのように、刹那で顕現したガルーラが拳を止めて、事なきを得る。

 そうしてリクの震える声は響き渡る寸前に消え失せて。

 

「おいイツ、お前冗談だろ!?」

「ちょっと、落ち着いてよ……!」

「イツ……何のつもりだい」

 

 押し止める巨体の向こう側から覗く瞳には、確実な敵意が充満していた。

 

「先生が、いけないんですよ……間違った判断をするから……!」

「師に牙を剥いといて、どの口が言うのかね」

 

 茶色の巨躯が、留守だった方の手で白銀の怪獣を一発殴る。すると怪獣も空いていた手を潜らせガード、最低限の衝撃のみで損害を食い止めた。しかし勢いばかりは殺しきれなかったので、ノックバックだけは甘んじて受け入れる。

 結果として生まれる距離が、一時的に与える休息。

 それはあるところで弟子を呼び、

 

「先生、どうしよう……!」

「あんた達は安全なところへ隠れてな」

「でも、さっきの“げんきのかけら”でギャラドスは動けます……!」

「あたしが弟子に負かされるとでも思うのかい?」

「! ……いえ」

「だったら決まりだ。バカ弟子とっちめるのは、師匠の役目ってもんさね」

 

 またあるところでは、教え子をさらなる過ちへと誘った。

 血の色にも似た、光沢あるレッドのメガリング――――それは当然ネリネが与り知るものではない。

 

「あんた、それ……!」

「強さの何が悪いんですか? いいでしょう? それさえあれば、世界なんていくらでも変えられるんだから……!」

 

 イツは澱んだ希望を手首に装着し、今一度従者共々師と相対する。

「……なるほどね」さすがの彼女もその凶行には驚いて、悟った後には静かな怒りを顕にした。

 

「あたしは言ったよ、命の保証はしないってね」

「ひいぃい!!」

「そこを動くなよ。覚えときな」

 

 石職人が心臓突き刺すような睥睨から、逃げる。行き先はやはり隣の女の背中で。

 

「小娘、そう目くじらを立てるでないわ。これからが愉しみであろうにな?」

「ぬかしな、この阿婆擦れ」

 

 代理ことイーノの返しに、舌を打った。

 弟子全員が物陰に隠れたのを確認して、向き直る。そうして取られた構えは、忽ち相方の闘争心を引き出して、逸らせた。

 

「唆されたのかい……だめな弟子だ」

「まだ認められないってんなら……、いい。俺はこの力を使いこなし、あなたを超えていく」

 

 思わず長引く継承式に、暗雲が立ち込める。

 

「そうして本当の強さを証明して、自ら継承者の座を勝ち取ってやる!」

 

 その雲行きは、彼らをどこへと運ぶのだろう。

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