ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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fin.私のこのごろ

「まさか……本当に……」

 

 黒雲が、空を覆い隠しても。

 

「あいつ、やりやがった……」

 

 無限数の雨粒が、濯ぎ落としても。

 

「いくよ」

 

 確かに残り、消えないものがあるとするなら。

 

「ギャラドス」

 

 ――それはきっと、人の意思なのだろう。

 表情を引き締める。師が残してくれた奇跡を、無駄にはしない。

 いつしか棒のように固まっていた足はほぐれ、荒れていた息は穏やかになり、周りの景色がよく見えるようになっていた。

 仲間が望む横顔は、猛々しくて、凛々しくて。まるで師を髣髴させて。

 見据えた先の物の怪が、やがて狙いを一つに絞った。

 

『グワ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!』

 

 一際目立つ(みずち)へと、突っ込んでいった。

 

「“たいあたり”!」

 

 ギャラドスとサザンカは、真っ向から受けて立つ。

 虚空を歪ませ、水滴を次々に砕いて進む。

 ドン。鈍い音が戦場にて寝そべり、人々の鼓膜を殴打した。

 ひしめく唸りと、押し問答のような競り合い。

 肉迫した視線が交錯して、頼んでもない均衡を繋ぎ止める。

 

「暴走は、ない」

 

 意識が透き通って、どこまでも続く場所と繋がっている感覚。その地続きにいる存在、ギャラドスと一体化しているような感触。

 先程、進化した時と全く同じだ。確信を持てる。

 不思議なほどの安定感。相棒の精神状態に知見が及ぶ。相棒に己の何もかもを伝えられる。であるならば自分の心は今、虹が目一杯に広がる『道』の上にいる。

 先生の助けだろうか。内心で強気に唱えた。

 これならいける。意気巻く独白を紡いだ。

 

「いっけえええええええええっ!!」

 

 ――メガギャラドスの胴体の側面には、後ろへ向く“孔”が存在している。

 それは初期こそ『排熱のため』とされてきたが、実はそれは誤りで、本当は『推力を獲得する』という生態的意図があった。

 もっと突き詰めるならば、さらなる機動性の確保。より限界まで迫った言い方をするなら、狩りの成功率の飛躍的向上――それに尽きる。

 ギャラドスはサザンカが叫ぶと同時、体内に溜め込んだ水を孔から一気に噴射し、ロケットの要領で鉄塊じみた巨体を押し動かす。

 今この瞬間、勝機はあると、身をもって知った。

 

「一気に、湖まで運んで!」

 

 引き摺る足が渚に侵された時、伝う冷ややかさを拒むように咆えた獣。

 怪力に意地を込めて龍の突撃を一旦塞き止めると、残るスペースの余裕の全てを消費して身を捻り、ギャラドスを受け流した。

 青龍は半ば投げ飛ばされる格好でどぼん、と水面に消える。

 伴って立ち起こった水柱と、その残滓である飛沫に濡れながら、ボスゴドラが向くのは。

 

「……っ!」

 

 もはや、言うまでもないだろう。

 彼らを結ぶ直線の上には、何一つとして障害がなかった。

 つまり、嫌気がするほどによく望めた。

 

「くそ、まずい!」

 

 だからだろう、狙いを彼に定めたのは。

 ギャラドスと距離を作られたサザンカは、何も出来なかった。

 いくらメガシンカを発現させられて、修行を積み重ねたとしても、その地を形作るのは所詮人間のもので。

 故に身の丈の何倍にもなる巨躯にぶつかって来られれば、バラバラに砕け散るに決まっている。この道理はどうあっても覆せない。

 “アイアンヘッド”が道を往く。進路上に妨害の意図で置かれた同門のポケモン達を、雑作もなく撥ね飛ばして。

 戦えるポケモンが消えた。地獄絵図に筆が乗った。また惨状が描き足される。

 ある者は「もうやめて」と願い、またある者は届かぬ手を伸ばした。万事休す。

 

「く……!!」

 

 歯を食い縛って、脳内の辞書で引いたそんな言葉を、否定する。

 そして水から飛び出した。ギャラドスは再び地上へと顔を出し、猛スピードで割り込んで丸腰の主を庇った。

 身代わりになって受ける、四〇〇キロからなる四本角の突進。いくら有利な相性であっても、その物理的な衝撃は想像を絶するものがあった。

 

「か――ッ!」

 

「生身がバラバラに砕け散ることがなくなった」なんていう仲間達の安堵は、なんとも刹那的なもので。

 言うことも聞かないで吹き飛んだ横長の肉体は、すぐ後ろの主を巻き込んで、湖まで宙を転げて行った。

 遥か遠くの深いところで、派手な白波が立つ。

 地上の者らが最後に視認したギャラドスは――白目を、剥いていた。

 

「……そんな……」

 

 泡だけが、ぷかぷかと乱雑に浮いてくる。

 

「おい……」

 

 どれだけの時間、揺らぐ湖上を眺め続けても、一人と一匹が浮いてくることはなかった。

 

「嘘、だろ……」

 

 それが意味することを知った時。

 

「リクーーーーーーーーッ!!!!」

 

 ようやく絶望は、大輪の花を咲かせる。

 地獄絵図の加筆は、避けられなかった。使う絵の具の色が、変わっただけだ。

 兄弟子らも途方に暮れ、とうとうがくりと膝をついた。

 未だ動き続ける鉄鎧を仰ぐことしか叶わず、ひたすらに生まれる呆然。

 衝突する折に手からこぼれ落ちた彼のキーストーンだけが、虚しく雨に濡れていた。

 

「……潮時、か」

 

 呟くイーノ。傘越しで行っていた事の静観を、そろそろやめようか――と言っている。

 

「道楽とは思いながらも、久方ぶりに心躍り、少しは期待というものが持てた頃と云うに……」

 

 興覚めよな。短く、そして静かに吐き捨てた。

「さて、次はどこへ往こうかの……」この場から離れんと背を向ける。

 

「な、い、イツ!?」

 

 そんな折だった。

 急に大きくなる少年の声に、振り向かされたのは。

 行く当てもなく振り回される暴力の隙間を抜け、走って来た少年――イツ。

 息を切らし、全速力で駆ける彼の瞳は、サザンカと同じ色をしていた。

 

「使えるポケモンもいないのに、なんで出てきた!?」

「決まってる。まだ、やれることがあるからだ!」

 

 藤色。温かくも穏やかで、全てを包み込んでくれるような、優しい色。ネリネという、人の色。

 それは、他ならぬ彼もまた恩師の志を受け継いだという、何よりの証で。

 

「おい、やめろ! 先生から助けてもらった命を、無駄にする気か!?」

「無駄にしないために、ここにいる!!」

 

 間近に迫ったかつての相棒。やはり、自分を見てくれそうにない。

 そうだろう、妥当だろう。

 認めよう。底無しの憎悪を振り回した、己の罪を。あまつさえそれを名ばかりの絆に乗せ、相棒へと押し付けてしまったこの業を。

 ――痛かったろう。苦しかったろう。

 

「……切なかったろう。辛かったろう」

 

 そう漏らし、醜く膨れ上がった映し身の前で、立ち止まる。

 目を少しだけ、細めた。悲しげに口にするは、

 

「だが、俺にはもう、お前を連れ戻してやる力はない」

 

 救えない、なんて宣告。

 

「だがそれでも、やれることはやろうと思う。罪滅ぼしとは言わないさ」

 

 それでも、何もしないなんてことは、しない。

 自分が最大限形に出来る、自分なりの愛を、彼へと届けよう。

 

「ただ――待っていてくれ」

 

 そのために、彼はさらにボスゴドラへと詰め寄った。

 忽ちに上がる拳が、間も忘れて下りてくる。

 惨劇を確信して、上がる悲鳴。風が押さえ込んだ。頭頂部に爪の感触を覚えた。

 

「――うおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 だが、イツは砕かれなかった。

 一気に懐へ飛び込み、紙一重で破壊を避ける。

 見上げればすぐに接するは、銀色の腹。しかし目的はそちらではない。足元のキーストーンだ。

 手早くそれを拾い上げたイツは即座にボスゴドラから離れ、そのまま湖へと一目散に走った。

 

「まさか……やめろ!!」

 

 察した兄弟子の声も受け取らず、段階を追って上がってくる水に、躊躇なくその身を沈めていく。

 

「ほう……面白い」

 

 イーノは思いとどまって、再度事態へと向き直った。

 

「(どこまで行っても……今この状況を何とか出来るのは、あいつしかない。……だったら!)」

 

 そうやって言葉さえ届かない、冷ややかな暗闇に身を委ねる少年を眺め、口角を釣り上げながら――。

 

 

 

 ――何も見えない。聞こえない。

 触れたくても触れられなくて、動きたくても、動けない。

 ひっそりと呼吸することさえ、許されない。

 ただ、自由なのに窮屈な水の中を、ゆっくりと落ちている。

 ぼやける視界の中で、輪郭という僅かなヒントから、すぐ傍の存在を感じる。

 ギャラドスだ。いつの間にかメガシンカが解けていて、意識も失っているようで。

 自分と同じく不本意なままに底へと向かっているようだが、彼なら安心だ。水の中でも生きていられるし。

 自己よりも先に、他者の心配をするところは、なんとも彼らしいが――助かるためにすることがあるだろう、なんて咎められると、今回ばかりは言い返せない。

 

「(ダメだ……体、動かな……)」

 

 だが、ギャラドスとの衝突で怪我を負っているのもまた、事実で。

 泳いで、上まで浮いていけないのだ。それまでの力が足りないのだ。

 それを誰かに伝えられれば、まだ良かったのだけれど。

 生憎、水中でエスパータイプのポケモンはいないので、諦めることにした。

 ごぱっ。肺に取り置きしておいた息が、とうとう漏れる。白い気泡が、自分を見捨てて逃げていく。

 

「(悔しい、なあ)」

 

 せっかく、継承できたのに。認められ、宝物まで貰ったのに。

 こんなところで、こんな場所で。消えてしまうのだから。

 反射的に、口が開いた。水を飲んだ。

 走馬灯、というものだろうか。死にたいと願っていたあの頃の記憶が、目まぐるしく脳内を駆け巡る。

 蔑まれて、捨てられて。幾度となく虐げられて――辛い人生だった。悲しいことばかりだった。

 

 

『――ネリネ。あんたみたいのを拾って集めてる、物好きさね』

 

 

 彼女と過ごした時間は、恵まれない子供が思い描いた、束の間の夢物語だったのかも。そんな風にすら、思う。

 

「(……終わりたく、ないなぁ)」

 

 けれども。そうであっても。

 リクは『生きていたい』と、願った。

 サザンカは『死にたくない』と、願った。

 嘘であろうが、真であろうが。

 先が暗かろうが、明るかろうが。

 泣いていようが、笑っていようが。

 彼を強い力で前へと押すのだ。その手を引いて、明日へと連れて行くのだ。

 

 幸せな思い出に、変わりはないから。

 

 彼の中に、いつでも彼女はいるから。

 

 この先も――彼と一緒に、在るから。

 

 

『ここからは――あたしの一方的な我儘、なんだけれどもさ』

 

 伸ばした手に、温かさが伝わった。

 

『先に向こうにいっちゃうけど、あんたの先のことは気になるんだ』

 

 それをそっと握ると、別の熱がその手を包み込む。

 

『ああ、心配じゃないよ。単純な興味さね』

 

 目を開けた。彼がいた。

 

『だからさ。いつでも、どこでもいい――旅をしておくれよ』

 

 共に育った、家族がいた。

 

『そしてあんたの見たもの、聞いたもの、触れたものを、いつかまた会った時の土産話に、聞かせてよ』

 

 同じ師から、同じものを授かった、友がいた。

 

『――――約束、だよ』

 

 あの日、一緒に小指と親指を繋ぎ合わせ指切りした――かけがえのない、兄弟がいた。

 

 

 光が、天へと立ち昇った。

 誰もを釘付けにするそれは柱となって、

 

「イツ、リク!」

 

 闇に飲み込まれた彼らを連れ戻してくれた。

 爆ぜ散る渦巻き。大量の水を巻き上げ、今一度浮上したギャラドスは、前代未聞の連続メガシンカを果たし、少年二人を背に預かっていて。

 

「……なんと」

 

 まさしく、奇跡。

 さしものイーノも思わず目を丸くし、その神々しさに瞳を奪われた。

 逃げるように、雨が上がる。暗雲が縮んで隙間が出来て、果てから差し込む黄金(こがね)の陽気。それは隣り合う二人を、確かに祝福していた。

 柔らかな虹がかかると、もう怖くない。心配だって、要らない。

 サザンカは立てた小指を眺めて、静かに微笑んだ。

 

「約束ですよ――、先生」

 

 そう言うと、最後の声が大きく響く。

 それはギャラドスに、たった今、新たに習得した藍色の突撃『たきのぼり』を使わせた。

 向かう先は、我を失った怪獣。行うは、ネリネが作ってくれた未来の奪還。

 ただ一つの目的の元、成長した三者は一体となり、欲する明日へと突き進んだ。

 憎悪が希望に倒れて、潰えていく。崩壊した化物は受け止めきれなくなった水を吐き散らしながら、かつての姿を差し出して、意識を手放して。

 

「……見事だ」

 

 散々長引いた継承式が本当の終わりを迎える頃、空は晴れを取り戻した。

 イーノはそうして全てを見届け、それだけ残し、立ち去った。

 

 

 

 一歩ずつ、重々しく足を刻んで、灰色の塔を昇っていく。

 鼻につく湿った香りが、拭い忘れた自分のものであると気付けたのは、最上階に到達してからのことで。

 もし一生、髪が濡れたままでいてくれれば。

 もしバルコニーの柵に止まった一羽の鳥が、ああしてずっと鳴き続けてくれていれば。

 

「……ネリネ先生」

 

 ――真っ白になって動かなくなった彼女を見ずに、済んだのだろうか。

 泣き崩れる門弟たちの涙声をかき分けて、サザンカは静かにネリネの元へ歩み寄った。

 

「僕、やりました」

 

 腰を下ろして覗き込んだ顔は、あまりに綺麗で、幸せそうで。

 

「メガシンカを、成功させました」

 

 もう目を開けないだなんて、とても思えなくて。

 

「継承者に、なれたんですよ」

 

 懐かしい声が聞こえてこないだなんて、信じられなくて。

 

「ねえ、先生」

 

 いけない。

 二度と触れられなくなるその瞬間まで、しっかり瞳に焼き付けようと決めていたのに。

 

「お願いだから……何か……、何か、言ってくださいよ……」

 

 ――次々に涙が滲んできて、全く仕方がない。

 

「また……っ、褒めて下さいよぉ……」

 

 願わくは、もう一度だけ。

 

「先生ぇ……――っ」

 

 あなたの手に、優しく撫でられたかった。

 サザンカは止まらぬ感情をぼろぼろと吐き出しながら、安らかに眠るネリネの胸を濡らした。

 

 

      ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 ネリネは、最期まで笑顔であった。

 その事実は遺された子供たちにとっての、唯一の救いなのかもしれない。

 色々な人が惜しんでくれたし、悼んでくれた。泣いてくれたし、励ましてくれた。そうやって彼女の葬儀が終わって、またなんでもない日々へと戻っていく。

 だが彼らは、彼らの心は、そうではない。

 あの悲劇で受けたショックは、愛する者を失った悲しみは、その幼い身にはあり余る。少なくとも、嘘でも「平気だ」なんて言えないほどには。

 しかし、知っている。誰だって、前を向かないといけないと。ちゃんと進まなければいけないと。

 だから彼女の意志は――心道塾は、消えることなく、未だに続いていく。

 

「……そっか。それじゃあイツは、心道塾を継いで、経営し続けるんだね」

 

 “レンギョウ”だ。かつてのイツが、サザンカの言を訂正する。具体的には、呼び名の部分を。

「ごめん、まだ慣れてなくて」頬をぼりぼりとかいて、誤魔化した。

 

「まだ未熟者だから、師範にはなれないけどな。けど皆と一緒に暮らしながら、看板を守り続ける。そしていつか一人前になった時、俺達みたいな子供を拾って、育ててやれたらなって思う」

 

「先生みたいに」――そう付け加えるレンギョウの双眸は、よく光が灯っている。

 心配性であるからして、自分が離れても大丈夫そうだ、なんて柄にもなく独白して微笑むサザンカ。

 

「何笑ってるんだよ」

「……なんでもない。レンギョウ先生って、なんだか不思議な響きだなと思って」

「はは、サザンカ先生も、大概だ」

 

 生い茂る木々も、爽やかな緑の香りも、あの日のまま。

 二人はミロワール通りのはずれの樹林、ネリネの修行場所までの道中にある、四角い石の前にいた。

 それは以前彼女が作った、生まれずして亡くなってしまった息子の墓で。そして今では、同時に彼女が眠る場所でもあって。

 寝かせるようにして、花『ネリネ』を置いてやる。

 

「先生。僕、約束を果たそうと思います」

 

 布と紐でくるまれた手荷物と、笠。これらを身に着ける彼が今から何をするかは、大方の察しが付くであろう。

 継承式から、二週間経った今日。諸々の事柄を片付け、サザンカは約束通り旅に出る。

 心道塾の伝統を守り、継承者として巣立って、計り知れない前途を歩いていく。

 ゴールどころか、すぐ後に続く道さえ決まっていないけれど……それでいい。

 ただ見て、聞いて、触れて。曰く“土産話”の種さえ、出来れば。

「それじゃあ」改めて別れの挨拶をしようとした時、首は別の方を向いた。

 

「言葉通り、また会ったな」

 

 それは身に覚えのある怪しい声が聞こえたからに、他ならない。

 

「イーノ、貴様……!」

 

 女狐じみた面妖さを包み隠さぬまま、木陰から現れたのを見るやいなや、少年は険しい面持ちで構えた。彼女もまた、二週間ぶりで。あまりに不意の再会に驚き半分、警戒半分といった表情で、言う。

 

「何のつもりだ……」

「そうだ、その顔でいい」

「レンギョウ、この人は」

「継承式の前日、個人的に俺と接触し、紛い物のメガリングとストーンを渡してきた女だ」

 

 どこからも否定の声は上がらない。レンギョウの言う通りだった。飲まれた彼自身が話すことは出来なくとも、確かに云える。

 彼女こそ、継承式という門出の日を台無しにした遠因であると。

 ――ネリネが死んでしまった原因、そのうちの一端であると。

 何故、今になって出てきたのか。なんで、わざわざ自らの立場を示すのか。

 

「そうよな……主らにとっては仇、ということになるな」

 

 どうして、そんなに口を捻じ曲げて笑っていられるのか。

「くっ!!」レンギョウは怒りと悔しさで噛んだ歯を剥き出しにしたあと、モンスターボールを手に取った。

 

「やめよう」

 

 だが煽られて燻った炎を、清い水は優しく鎮めた。

 どうにもその行動は予想外であったようで、口一つで兄弟を止める少年を見やるイーノ。

 サザンカは彼女を問い質すべきだと、考えている。答えによっては報復だって必要なのかもしれない、なんて思っている。

 自身のそれらに対し、己から「違う」と言ってしまうのは、真っ赤な嘘であることも知っている。

 

「――僕は、あなたを恨まない」

 

 それでも彼は、弾劾しなかった。

 正面から魔性と向き合って、澄みきった真心の泉から沸く、偽りのない本当の言葉で「許す」と紡いだ。

 

「僕の力の無さが、いけなかった。彼の心の弱さが、よくなかった。それでいい」

「それは、自己欺瞞というものではないのか? 煮えくり返る己が腹の底を穏やかにさせたいがための、嘘なのでは」

「僕は」

 

 何度くすぐってやっても、おちょくっても。

 その花は闇色の光を遮り続けて、最後まで毒を持つことはなかった。

 珍しくもなんともない、どこにでもある、たった一輪であるのに。

 

「彼女に『旅をしろ』と言われた」

 

 風にそよぐ姿は、逞しくて。

 

「あの人に『生きろ』と言われた」

 

 陽に照らされる姿は、実に美しい。

 

「愛する人に『歩め』と言われた」

 

 倒れないし、手折れない――――そのサザンカは、初めて“花”を知った日の気持ちを、魔女に思い出させた。

 

「だから、あなたを決して傷付けない。呪ったりしない」

「……!」

 

 色づいた世界を、ただ謳歌する。

 それが彼女との誓いだから。約束だから。

 サザンカがすぐ傍のネリネへと、微笑む。それを一瞬のものにして向き直ると、イーノはもう消えていた。

「な……」目を離さずにいたレンギョウさえ仰天しているところをみれば、その退去は早業だったに違いない。

 消える折に舞い散って、今も漂う白いキクの花びらは、一体どういった意味なのだろう。彩りが豊かなので、弔花として都合よく受け取ることにした。

 

「今度こそ」

 

 取り戻された静寂の中で大きく深呼吸して、発する。

 決心に振り返る日々を込めた。今までの自分を誇って、背筋を伸ばして、家族を見る。

 

「留守は任せておけ。お前の食器も布団も、ちゃんと取っておくから」

「……うん」

「だから戻りたくなったら、いつでも帰ってこい」

「ありがとう」

「――――達者でな」

 

 小さく頷いた。固く手を握り合った。幸福の彼方へと消えていく“イツ”と“リク”の日々に手を振り、別れを告げる。

 

「それじゃあ、いってきます」

 

 一歩ずつ、大切に大地を踏みしめ、遥か先で引かれた地平線に、思いを馳せる。

 サザンカはそうやって一人で明日を歩きながら、思い出を追い越していく。

 

 

      ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 先生。私のこのごろを聞いて下さい。

 

 

 

 一五の歳になりました。

 背が伸び、声が変わり、見える世界が変わってきて、高いところにも手が届くようになりました。旅の最中で知り合った子供を抱けるようにもなったし、おんぶもできるようになりました。

 とても重くて、驚いています。彼らに触れる度に、命の価値というものを、身をもって知る日々です。

 でも少しだけあなたのことを理解できた気がして、嬉しくなりました。

 

 

 

 二〇の歳になりました。

 今はカロスを出て、メガシンカの原典があると云われる、ホウエン地方にいます。

 人が温かく、かつ自然が伸び伸びとしていて豊かで、心が洗われます。いずれ道場の皆を連れて、再び訪れると決めました。先生もご一緒にいかがですか?

 そうそう。カロスの頃はただ地を巡るだけでしたが、ギャラドスもそろそろ体が疼いているようなので、ポケモンリーグにも挑戦してみようと思います。新しく出来た友人と共に目指すので、応援して下さいね。

 

 

 

 三二の歳になりました。

 遠くの便りで知ったのですが、同輩のフウカが結婚し、子が出来たそうです。

 すぐに行ける場所でない時のお祝いというものは、どうしたらいいのでしょう。ひとまずペリッパーに手紙を預けましたが――届いていることを願うばかりです。

 そういえば伸びた髪が野暮ったくなってきたので、先生の髪留めを使わせて頂いています。いかがでしょう、似合っているでしょうか?

 

 

 

 五七の歳になりました。

 ある程度の経験が積み重なり、自分なりの技も形になってきたので、不肖ながら行く先々で子供たちに手習いを教えるようになりました。生意気と笑われてしまいますね。

 ですが、彼らのその小さな手を眺めていると、私は愛しくてたまらないのです。そしてそんな彼らが少しずつ育っていく様子を見ていると、嬉しくて仕方がないのです。

「先生」なんて呼ばれるのは、まだまだむず痒いものですが……いつか堂々とその二文字を受け止められるよう、精進致します。

 

 

 

 一〇一の歳になりました。

 ラフエル、なる地方におります。

 なんでもここは、大昔に一人の男とポケモンが手を取り合って開拓した場所、なのだとか。

 そのような成り立ちも手伝ってか、人とポケモンの結びつきの証明であるメガシンカの伝承は、行き届いているようです。

 それよりもなんと、聞いて下さい。旅の途中、現地のポケモンリーグから「ジムリーダーにならないか」と声をかけて頂きました。勿論滅多にない機会ですからして、二つ返事にてお受けしましたよ。修練というのは続けてみるものですね。

 だから旅は、一旦お休みです。ここ最近は『キセキシンカ』なる、ラフエルの神話に因んだ不可思議な現象を調べたり、生活の合間に挑戦を受けたりで、慌ただしい毎日を送っておりますが――――面白い人々に囲まれ、刺激的な環境の下で、なんやかんやと今なお楽しく生きております。

 あと、最後に一つだけ。

 

「せんせー! せんせー! サザンカせんせー!」

 

 私にも、とうとう弟子が出来ました。

 

「そんなに戸を叩かなくても、ちゃんと出ますよ。どうしました?」

「おけいこしようよ! おれなー、キセキシンカをもっと安定させたいんだ」

「おやおや、メガシンカの稽古はおさぼりですか? 継承者の私は、なんだか寂しいです」

「あー! ううん、ちがうんだ。バラル団のやつらとも戦わなくちゃいけないから、そのために……!」

「ふふ、わかっていますよ。冗談です」

「うわあ、からかわないでよー!」

 

 澄んだ目をした、とても真っ直ぐないい子です。

 

「ねえ、せんせー」

「なんでしょう?」

「前にしてた、せんせーのきょうだいの話、あるよね」

「ああ、そういえば……、言っていましたね」

「それを思いだしたらさ、会いたくなってきちゃって」

 

 ポケモンと対話が行える、凄い子です。

 

「だからさ、今度、その……か、かお……かおすちほー?」

「カロス地方ですよ」

「そう! カロスちほー! そこに、つれてってよ!」

 

 どこかの誰かのように元気で、温かくて、強い――素敵な人です。

 

「ええ、わかりました。君のことだから、きっと仲良くなれますよ」

「ほんと!? へへ、楽しみだなあー……!」

 

 あなたが私に全てを授けてくれたように。

 私もまた受け継いだ全部を、彼に託そうと思います。

 

「んじゃ、やくそく!」

 

 あなたのように、上手に渡してやれるかはわかりませんが。

 どうか、見守っていてください。

 

「ええ、約束です」

 

 サザンカとカエンは、小指を結び合わせる。そして一緒に親指を重ねることも、忘れずに。

 それはどちらからともなく出来る、二人だけの約束の仕方。二人だけが知っている、誓いの儀式。

 先生の先生から、弟子の弟子へと伝わる、明日という名の眩しい希望。

 飾られた写真の中にいる女性は、二人の少年の肩を抱いて、目一杯に笑っていた。

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