ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~ 作:裏腹
01.縛られない男
ブルブル、ブルブル。
携帯端末が差し込む日光に照らされ、やかましく震える朝。
太陽というものは部屋の隅に積もる微細な埃さえ輝かせて、見栄えを良くする。加えて人の意識を引き起こしてしまうというのだから、不都合ばかりで困り果てる。
「……うい」
『ランタナさん、おはようございます』
すぐ目の前にあるテーブルの上から、寝ぼけ眼で電話を取った。ソファの適度な柔らかさからは離れない。何故なら彼はまだ目が覚めきっていないので。
『その……』
遅刻です――尤も次の言葉から数秒もすれば、飛び起きているのだが。
「い! ってえ……!!」
芯ある温かい女性のモーニングコールは、黙って聞いていれば二度寝しそうになる。けれども悲しき哉、それどころではなかった。
少なくとも、とうに正午を回った時刻を確認して、転げ落ちた身にとっては。
『あの、大丈夫ですか? 焦らなくてもいいので、事故が無いよう来てくださいね』
朝だなんて、体内時計の嘘っぱちを恨んだ。
「い、今行く! すぐにッ!」速やかに返して、ジムリーダー『ランタナ』は何とも歯切れ悪く電話口の女性と別れる。
そしてインスタント食品の空容器が散乱する卓上に端末を放り投げ、立ち上がった。
「くっそ」
先程とは打って変わって、しゃっきりと開いた垂れ目。独り言を混ぜて立った流し台の前で、歯磨きを始める。旅行が趣味であるからして、癖のように常備している携帯用歯ブラシセットは、彼の必要最低限の身支度を助けてくれた。
「(トージョウ交流戦を観ていたはずなのに、どうしてこうなった……)」
悔しげに内心でぼやきながら、昨日のほつれた記憶を縫合する。
まず、ジムで散々溜めていた分の挑戦を受けていた。終わると夜遅くになっていたので、事務所を借りての泊まり込みを決行。
寝る前にテレビを使い、衛星放送のチャンネルで深夜の野球中継を観ていたはずが、
「(どっちが勝ったかすら)……わかんねえじゃねえか」
濯ぎ終えた口内は、なんとも清々しい。反して気分は最悪で。
どんな顔をしようが時間は待ってくれないので、トイレに入って着替え、鏡で髪型をセットし、大至急チャレンジャースペースへ出る。
解放されているかのような錯覚に陥る、スカイライト・ウィンドウが張り巡らされた高天井――シャルムシティジムは、閑散としていた。
それもそうだ。昨日まとめて処理したので、そこに挑戦者はいない。いるのはポケモンを戦わせてトレーニングに励む、ジムトレーナーだけで。
「ランタナさん、おはようございます!」「おう、おはようさん」彼らの挨拶に掌を見せ、簡素な返事。無愛想に見えなくもないが、彼の性格を知る者ならば何も気にならない。
ランタナは彼らの邪魔にならないよう壁伝いでジムの出口を目指すと、
「おはよう……じゃないか。こんちは」
独特なイントネーションの挨拶と突き当たる。
「シズノ、お前なあ! 俺が今日ジムリーダー集会なの知ってるんだったら、ちったぁ起こしてくれたっていいだろうに!」
「いややなぁ、なんで一介のジムトレーナーがそないなことまでせなあかんの。ウチはアンタのお母ちゃんやないで、ランちゃん?」
「あだ名で呼ぶな年下!」
“シズノ”と呼ばれるシャルムジムナンバー2のエリートトレーナーは、出身の方言『ジョウト言葉』を使い、お門違いなランタナの怒りをあっけらかんと受け流す。
陽気で呑気で、悪戯好き。ランタナはその性質を改めて思い出してから「彼女に真面目さを期待することから間違っていた」と不承不承に己の落ち度を認める。
眼鏡越しでにやにやと笑う目に、悪意の一つでもあれば……なんて思うが、きっとよくない考えなのだろう。
「とりあえず、あれだ。行くわ」
独白もほどほどにし、会話で無駄にした時間を取り返すように、駆け足でジムを出た。
「がんばりや~、ラン坊ちゃん!」
「あの野郎覚えとけよ……」
その折に背中から茶化されたことは、たぶん一週間は忘れないのだろう。
ラフエル地方は、東西をテルス山で分断されている。
――言葉では何度そうやって伝えられても、実際に肉眼で見ない事には、ぴんとこない。
とりわけ外部の地方『アローラ』からやってきた彼はその色が強く、まして現地の文化『しまめぐり』で旅慣れした感性は、誰かが言っただけの「らしい」なんて表現だけで、満足できるはずなどなくて。
だからこうして、今日も飛ぶ。好きな高さで、好きな場所を、好きなだけ。
その時だけは心の底から楽しくて、饒舌になって、子供みたいに騒いで楽しむ。
幼い頃から、何にも邪魔されない空が好きだった。生まれついて、鳥ポケモンを愛していた。
少し大袈裟に言えば、運命――ランタナという男は飛び立つべくして飛び立ち、呼ばれるべくして『自由な翼』と呼ばれた、縛られない存在であった。
くせ毛を抜ける涼やかな風に目を覚まし、より大きな陽光を浴びて抱く優越感。
「急げ急げ~、っと」
ラフエル大陸の、西側。西側の、ラジエスシティ。ラジエスシティの、東区。東区の、庁舎。
まるで電子地図を拡大するように、上から目的地に迫った。相変わらずの喧騒も、年中無休の雑踏も、ポケモンの『そらをとぶ』ならば関係ない。
都庁舎“ケレブルム・ライン”の前に降り立ったムクホークは、ランタナの「サンキュー」という礼を受け取り、ボールに戻っていく。
そこからは早い。中に入り、廊下に掲げられた「走るな」という強気な命令口調に従って、総合窓口へ行く。
そして受付嬢に空色のジムリーダー免許を提示すれば、何も言わず会議室へと連れていかれる。
どうぞ、と開き手で示されたドアをがちゃりと開け、
「すまん!!!!」
頭を下げる第一声。
「おそいぞランタナにーちゃん! 待ちくたびれちゃったよー!」
「いやぁ、本当にわりぃ……」
今回ランタナに顔を上げさせたのは、カエンだった。
室内は言うまでもなく、揃い踏み。ラフエルの強さを象徴する七人がミーティングテーブルを囲い込んで着席する様は圧巻の一言に尽き、此度もまたランタナから二度目の謝罪を引き出した。
畏まったところで良くも悪くも動じないのが、同僚というものなのだが。
今に始まったことではない、といった風に、
「今日はどうしたんだい? 髭の剃り残しがしぶとかったかな。それとも朝食作りに失敗したとか」
「いえ、目の開きが若干甘いです。これは寝坊とお見受けしました。500円は頂きます」
「言えた義理じゃあねえけど、人で賭けないでくれ……」
興じるユキナリとコスモス。そんな二人へ苦笑い。
「こちらです」ステラの案内に従って、アサツキとカイドウの間にある不自然な空白に収まると、忽ちに会議は始まった。
ホワイトボードに掲げられた議題は『昨今のバラル団の活発化について』。
「ではこれより、ラフエル地方ジムリーダー定例集会を始めます」
遅れた分、せめて積極的な発言をして、有意義に。密かな反省が熱意に変わった。
――の、だが。
「えー、その。何でしたか」
「ハリアー、だ」
「ごめんなさい、そうでした。幹部の中でも、雪解けの日の作戦を立案した参謀『ハリアー』という人物は、とりわけ危険であると考えます」
ランタナはその日の集会に、異様な雰囲気を感じていた。
別段顔ぶれがおかしいことはないし、部屋に何か特別な変化があるわけでもない。いつも通りの八人が、いつものように意見を出し合って情報や認識を共有しているだけ。
「ステラ、それはなんて書いてあるんだい? すまんがキャタピーがうねっているみたいにぐにゃぐにゃした字で、よく読めん……」
「あら、本当ですか。申し訳ありません、書き直します」
なのだが。
ただ、確かに。上手くは言えないが、確実に。
この場が作り出す空気感が、肌に合っていないように思えて仕方がなかった。
「ステラさんの仰る通り、幹部が強力なのは確かですが、班長格も増員傾向にあるようで。それ即ち、下っ端が増えてきたという風にも考えられませんか?」
「それは……あれです。あのー、その……パンティーのカードみたいな名前の」
「
そうしてランタナは突っ込みつつ、その正体を垣間見る。
ホワイトボードの前に立って進行する、ステラ。その目は虚ろになって、まるで焦点が合っていないではないか。レディ故にあまり声を大にしては言えないが、おまけに“くま”も出来ていて。
「おいおい、大丈夫かよ……疲れが出てるじゃねえか」
「大丈夫です。大丈夫ですよ。問題ありません。強いて言うならパンモロヌード所属者の個人情報を整理・保管する作業で泊まり込みの四徹をしただけですので、これぐらいどうってこと……」
「ヴァンガードな。なんかそういうビデオみたくなってるからね。聖女にあるまじきこと言ってるからね今ね」
「あら、うふ、うふふ、いけないわ、私ったら。少しお水でも飲んで一息つこうかしら」
「おい手ぇガッタガタに震えてるじゃねえか」
「あぶぶぶぶぶぶぶ」
「おい誰か救急車呼べ! こいつ死ぬぞ! 陸上にいながら溺死するぞ!」
ボトルの水すらまともに飲めず、顔に浴び続けるステラを見て、危機感を覚えるランタナ。
これでは進行が務まりそうにない。遅刻常習犯の自分は論外として、次に発言力がありそうな存在――それを取り急ぎ探す眼鏡に適ったのは、サザンカであった。
「ときにカエンくん。“たぴおかみるくてい”というのはご存知でしょうか?」
「なにそれ! はじめてきくよ!」
「たぴおか、なる摩訶不思議な食物が入った甘い茶だそうです。なんでも今、お若い方たちの間で流行しているのだとか。噂によれば、たぴおかはこの世とは別の次元に位置する世界の物質が含まれており、そこに住む存在が人間界を侵略するために伝えたらしく、味は……」
「へー、すげー! たぴおかすげー!」
「ねえ何の話してるの? どうしてよりにもよって今その話してるの?」
望んだ助け舟は、猛スピードで眼前を通り過ぎて行った。
しかしランタナは決して諦めない。まだ望みを託せる相手は、何人もいるからだ。ラフエルをなめるな。不敵に笑み、強気な独白をして見やった先には、コスモスの横顔。
「タピオカというのは、タピオカガエルという生物の卵から出来ているのです。人の腹に入ったが最後、寄生して宿主の栄養を吸い尽くし、最後はお腹を突き破って……」
「いやお前もか」
『ぎゃあああああ!』
「こっちの台詞だよ」
こうなったら、最後の手段。いつどんな時でも真面目で良識を欠かさない、自分たちの頼れる兄貴分。公務員という立場は、こういうところで活きてくるのだろう。そんなことを密かに思った。
「助けてくれ、ユキナリさん――!」
『ちょおっとお! ジムリーダーと私、どっちが大事っていうのよ!? 声だけで昼酒に付き合うなんて、楽なもんじゃないのよぉ!』
「いやだから、カミーラ……今は大事な会議の最中で……」
『ハァ~~~~そんなに若い娘が良いってわけ!? あの、いたわよね! そっちにだらしないおっぱいしたシスター! ステラだっけ、あいつが好みなんでしょ! 知ってるんだから私!』
「本当に勘弁してくれ……」
そうして目を輝かせて向いた先の男性は、電話を使った上司からのパワーハラスメントに喘いでいた。
歯を食い縛る。いよいよ後が無くなった。残る二人、カイドウとアサツキは、お世辞にも多人数の会話をまとめられる人間性を持っていない。少なくとも自分の経験はそう記憶している。
募る焦燥が、冷たい汗を呼び込んだ。しかしそれは予想外の働きを見せ、回りすぎて発熱した頭を却って冷やしてくれた。
「そういや、毎度のように会えば喧嘩してるあいつらが、今は大人しい……」
ゆっくりと気配が希薄な左隣――アサツキへ顔を向ける。
「………………ん……」
そも、論外だった。突っ伏したまま、すーすーと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っているのだから。
頭を抱えてしまう。冗談じゃないだろう。この騒音で眠れるわけがないだろう。どういう神経をしているんだ。
「ええい、ままよ!」
ランタナはもはや自棄になって、本当の最後の希望に頼った。
腕を組み、ホワイトボードをひたすらに凝視する、賢者の眼光に。
「カイドウ! お前しかいない! ここはもうまともじゃねえ! すっかり緩んでダメになっちまった雰囲気を立て直してくれ、頼む!」
肩をぽん、と叩く。この際だ、人をまとめる能力については二の次でいい。
それでも彼ならば。確かな集中力で事に臨める、彼ならば――。
「………………」
とさ、と音がした。
「おい……?」突如として椅子からずり落ちるように倒れたのだ。揺すっても、頬を軽く叩いてみても、彼は無言のまま起き上がらなかった。
そして一向に動じない眼球で、気付く。目を開けたまま眠っているのだと。
誰一人として正気でないと知った時、男はとうとう膝から崩れ落ちた。
「ミミッキュ、ハイドロポンプはいけないわ、うふふ」
ペットボトルの水で死にかけている聖女も。
「で、ですが私は負けませんよ、カエンくん! 必ずやたぴおかみるくていを食し、打ち勝って見せます! たとえ魔王アンドロボレアスの卵であったとしても! これは修行なのです!」
「が、がんばれ、せんせー! おれもおうえんしてるぞ! 心はいっしょだからな!」
「違います、魔王アンドロボレアスの卵ではなく、アンドロボレアスヌタウナギ三世の卵です」
『ぎゃあああああああ!!』
流行りものを理解不能な心情で語り合っている男女も。
『そもそもねえ、私だっておっぱい大きいわよ! ふざけんじゃないわよ! 眼鏡におっぱいよ!? 無敵でしょうが!??! 揉みたいでしょ!? 揉みたいわよね!! 揉みたいって言え!!!!』
「もう許してくれ……僕が悪かったから……」
パワハラに次いでセクハラに泣く警官も。
「んにゃ…………もう食えねえよ、ばか……」
絵に描いたようなべたな寝言を漏らす、職人も。
「……………………」
そして死人と見紛う勢いで眠る賢者も。
「……そうか」
――――みんなみんな、疲れているんだな。
急ぎでも、何でもない。十分な時間を経た上での、結論であった。
ぐったりとした頭をもたげた。混沌の渦の中心で、ただ一人正気を保ったまま、おもむろに立ち上がる。
開けた窓から聞こえるは、虫たちの大合唱。入り込む生ぬるい風は、じっとりと汗に濡れたTシャツをいやらしく撫で上げた。ここに至るまでは必死で気付かなかったが――昼下がりの茹だるような暑苦しさを、ようやっと思い知る。
人のせいだろうか。太陽のせいだろうか。恐らくどちらもだろう。
季節は真夏――――八月のラジエスシティは、燃え盛る陽炎に揺れていた。
何度呼吸をしても熱ばかりが肺を支配してきて、まるで生きている気がしない。酸素の味がわからない。
というか冷房を付けろよ。最もな意見を一人ごちったところで、誰一人としてまともな判断を下せなければ意味がなくて。
「……はぁー」
ランタナは悪態をつくように溜息を漏らした。
別に、壊れてしまうほどに働く彼らへ怒った訳ではない。進行形で人々の体力を奪っていく熱気に嫌気が差したわけでも、当然ない。
強いて言うなら、不自由に縛られるばかりで、皆に自由を提示してやれなかった己を責めた。
ゆっくりと留守になったホワイトボードの前に立って、静かに取ったマジックペンを滑らせる。
その様を誰一人として見ていないし、このままいけば今後も見られないのだろうが、構うものかと暴れる手。
ときにランタナという男は、その魂が限りなく怠惰に近い場所にある。
皆が気を引き締める場であっても欠伸をしていることがざらであるし、世間から「大人」と認められる年齢になって尚、人からの拘束を心底嫌っているし、結果的に規則を破ってそれから外れてしまう時もある。
どこまで行っても自由を愛しているし、ともすれば我が道しか見えていないのだ。マイペースとも、云うのかも。
そんなものだから、人は彼を「いい加減」と責め立てる時もあるだろう。
だが縛られない彼には、全く関係のない笑いごとで。
それはジムリーダー達の中でも一際異質に映るし、場合によっては彼らを困らせてしまうことだって大いにある。
さりとて、害ばかりではない。少なくとも皆はそう考えているから、彼は孤立しないのだろう。
「――ちゅうもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおく!!!!」
他の七人では思いつかないことを、出来ないことをちゃんと言えて、やれる。
「お前ら、会議を続行するぞ」
例えば。鳥のように浮いているから、周りをよく見ることが出来る。
「議題は変更するけどな」
例えば。鳥のように鋭い視線を持ち合わせているから、同僚の疲労を看破することが出来る。
「何がバラル団だ。何が対策だ」
例えば。鳥のように休憩を次の活力に繋げられると知っているから、堂々と胸を張って休むことが出来る。
「何がジムリーダーだ」
視線を欲しいままに集め、叩くホワイトボード。
「どいつもこいつも使命や仕事に燃えるのは結構だがな、働き過ぎなんだよ」ろくに働いていないことを棚に上げ、ランタナは偉ぶった。さぞ反感を買ったろうし、人によっては「お前が言うな」なんて返答すら引き出すのかもしれない。
しかし、それもまた味だ。今はそれでご愛嬌としてもらう他にない。
「頑張らない」を率先して行い、他者にもその選択肢を作ってやる。
これぞ、ランタナの真骨頂。縛られないけど縛らない、彼の人としての魅力。
「とりあえず――――、旅行に行くぞ!!」
『ラフエルジムリーダー旅行計画』手のひらが指し示す白い板の上には、そんな黒字がでかでかとのさばっていた。