ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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04.Libertas

 あの時、どう思ったか。

 彼女を突き放した時。彼から突き放された時。

 自分は何を思っていた?

 どうしたかった?

 いつもいつも、漠然と見ているだけだったが。それでもいつかは答えが必要なのかもしれない。

 だから訊いてる。さっきから。

 あの時、どう思ったか?

 

「今日も今日とて缶詰かい?」

 

 ただ、今だけは、それは重要ではない。

「ヒースか」CeReSに戻って机と睨めっこしていた――もとい、本来の務めを果たしていたカイドウが、肩に置かれた手の正体を当てる。目が合わないのは毎度の事なので、ご愛嬌。

 

「上がるのか」

「そんなところ。ここ最近のどこぞの無能くんに倣って、僕もたまには定時上がりしようか、なんてね」

「ドルクの奴か……」

「結果はなくとも口だけは一丁前だからねえ……同じポケモン生体学の研究者として、恥ずかしいよ」

 

 忘れかけていた時刻だが、PCのディスプレイの隅には17:48の表示。

 

「それはそうと、どうだった、おでかけの方は」

「……どうもこうも、語るような特別なことはないが」

 

 不適切な言い回しをすげなく退けてやると、ヒースはたちまち残念がった。

 

「ん~もっと何かないのかい? 連絡先が交換できたとか、一緒に何か食べたとか、どこか行ったとかさ」

「お前は俺の親か何かか」

「何ってわけじゃあないけど、強いて言うなら、友達ってやつなんじゃないか?」

 

 刹那、オフィスチェアが後ろへ往く。

 おっとっと、ヒースが短兵急な動作で慌てて引き下がった。

「どうした」次の反応は、至極真っ当なものであった。

 

「……俺は、“それ”を持っていい者なのか?」

 

 なるべく避けているのが、透けて見える。

 長らく考えていたこと。ずっと思っていたこと。誰かに委ねるようなものでは、ないけれど。

 勝手に、口が動いてた。それだけ何かに期待していたのかもしれない。久しぶりの感覚だから、忘れた。

 

「全ての物事には、あるべき姿や状態というものがある」

 

 柄でもない、なんて、後々思う。

 

「俺は、誰かを近くに置いておく必要がない。すなわち一人で完結するべき存在のはずだ」

 

 実は、少し頭を働かせればわかることなのだが、

 

「それでも、誰かと在ることは許されるのか?」

 

 働かせる詳細な部分をわかっていない、とでも言うべきなのだろうか。

 まるでスイッチが入ったかのように豹変し、湯水よろしく言葉を紡ぐものだから、少しだけたじろいだ。

 

「……君は、本当にそういう言い方しかできないんだな」

 

 でも、わかっていた。

『いつものことだ』と、ヒースにはわかっていた。

 ふっ、と鼻で短く吹く笑いが、証明。

「いいか、一度しか言わないから、しっかり頭に入れときな」そして訝るカイドウを小突く。

 

「君の言う通り、水は生物にとってマストであるべきだし、チャンピオンはポケモンリーグ最強であるべきだし、羊羹は甘くあるべきだし、雨が降れば傘を差すべき、だし――天才は孤高であるべきだ」

 

 おもむろに開封した羊羹は、おそらくどこかの地方の土産物であろう。シンオウあたり、だろうか。

 

「でもね、それを否定したっていいんだよ」

 

 窓でうねる水の膜が、入り込む光を歪めても。

 

「水で死んでしまう生き物がいたっていいし、弱いけれど、その分優しいチャンピオンがいたっていい。辛い羊羹を作る人がいてもいいし、雨の中で傘をささずに踊り続ける人がいたっていい」

 

 立て続く雫の音が、耳を塞いでも。

 

「孤高と知ってもなお寄り添おうとしてくれる人を、受け容れたっていい」

 

 男は語り続けた。

 

「世の中は、思ったより自由に出来てるよ」

 

 立派な立派な、しかしどこか抜けた残念な友のために。

 

「その自由を味わった上で、どうするかは――自分で決めな」

 

 謎を解くことをこよなく愛する友のために。

 ヒントを並べ続けた。

 

「『在り方』というのは義務じゃなく、権利だよ」

 

 外の世界を、一瞥する。語った手前『雨に濡れながら踊り続ける手本』を指し示したかったのだが……なかなか上手くいかないね、と苦笑い。

 

「たまには休みなよ」

 

「じゃ、また明日」と残して、項垂れる男の前から立ち去った。

 それでも男はしばらく、その場所から微動だにしなかった――。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 ビルが作り出す無機質な渓谷の中で、閃光が奔り抜ける。

 辺りがすっかり暗がりになったのもあるのだろう――逐一の明滅が、その観測者の水晶体に深刻なダメージを与える。

 

「――“しんそく”!!」

 

 それでも、少年アルバの瞳は片時たりとも欠かさずに、討つべきものを捉えていた。

 ルカリオがこの宵闇に蒼白の軌跡を刻んで襲うは、使用者に質に似合わぬほどの白色をこさえた芸術家ならぬ芸術犬。

 

「ちっ! また……!」

 

 外した。なかなかの跳び蹴りだった。

 今に始まった事じゃないのは、今しがたの舌打ちで瞭然だ。

 

「なーかなかやるっしょ? うちのこ」

「僕は認めない! 悪行のために育てられたポケモンの強さなんて!」

 

 ドーブル――どれだけレベルを上げて成長しても、“スケッチ”という技しか覚えない特異なポケモン。

 ただ、何よりもその一点が問題であった。

 

「ルカリオ! “はどうだん”! 周りに人はいないから、遠慮なく撃ち込みまくれ!!」

「ドーブルーーーー、もーいっかい、」

 

 このスケッチという技の効果は、

 

「“しんそく”」

 

 一度見た相手の技を、一生ものとしてコピーしてしまう、というもので。

 ルカリオが球状に錬成した波導エネルギーを飛ばす前に、ド―ブルはその場から消えていた。

 かつていた場所なんて聞こえはいいが、結果的に何もない空間を穿つ光球。そんな様子が六回も繰り返される。

 

「ダメだ、こんなんじゃ埒が明かない……!」

 

 同じ動作で。同じ攻撃方法で。

 アルバは、まるで己で磨いた刃をそのまま向けられているような感覚に陥った。

 鍛え上げてようやっと習得した技を、こんなにも容易に真似てくるのだ。苦戦しない方が変だろう。

 このまま長期戦に持ち込み、誰かが通りすがるのを待つのもやぶさかでなかったが――どうにも場所が場所で、確実性に欠けてしまう。

 純粋な打開ならばもっと他に冴えた方法があるはずだ。派手な破砕音と閃光に晒されながらも、この集中は切らさない。

 

「(……そうか!)」

 

 それが功を奏した。ルカリオがドーブルの攻撃を間一髪で回避する。

 

「ルカリオ!! 地面に“バレットパンチ”! そしてもう一度“はどうだん”連射!」

 

 そんなギリギリのタイミングに眉間で起こったひらめきを、アルバは間髪容れず実践した。

 まずは、拳を鋼鉄化させての連打。全てを地面に叩き込む。するとこの一区切りの空間の中のありとあらゆる座標に、砕けたアスファルトが浮かび上がった。

 次に、――睨む。確かに眼光であたりを付けたその先に、今一度多数の波導弾を解き放つ。

 

「あれれ? 疲れてめんどくなっちゃった?? でも舐めプレイは感心しないなあ」

 

 デジャブよろしく繰り返された、数刻前の光景。

 空虚を撃つルカリオに、

 

「いいや、舐めてるのは――」

 

 容易に避けるドーブル。

 

「……あれ?」

「ド、ド、ブ――!」

「どっちかな!」

 

 だが、宙空を舞う瓦礫にぶつかるドーブルは、どうだろう。

 今まで見られなかったシーンであり、今まで見たかったシーンでもあり――とかく、新鮮な瞬間であったことに変わりはない。

 たちどころに白目の面積を拡げたソマリの眼が、証拠だった。

 アルバの疑念が、確信に変わる。

 

「やはり、いくらコピーしたところで! 技の練度だけは真似できない!」

 

 ルカリオはこの瞬間を逃さなかった。

 

「出すことが出来ても!」

 

 捕らえたドーブルに膝蹴り。

 

「制御は出来ない!」

 

 後退る一歩を詰めて、ヘッドバット。

 

「経験値は模倣のッ、例外だった!」

 

 電光石火のワンツーパンチ。

 いずれも波導沁み込ませた肉弾フルコースを、耐えることなど許さぬと、ここぞとばかりに浴びせかける。

 どんなに精巧に他人の車を模倣しても、それを動かす運転技術までは真似できないように。

 どれだけスピードを上昇させる技をコピーしても。そのスピードで動く肉体の制御方法は、コピーのしようがなかった。

 だからこそ、進路上のアスファルト片に激しく衝突するんだ。

 勝負は、それに気付いたアルバの作戦勝ちであった。

 

「あーらまぁ」

「一気に決める!!」

 

 尚も頭頂をわしわし、と掻くソマリの余裕ごと叩き潰さんと、アルバは最後の指さしを行う。

 これで終わりだ――。

 

「――こんなに空けちゃってサ」

 

 発声が出来なかった。あまりに一瞬のことだったから。

 

「え?」

 

 にたぁ、と歯を剥き出しにして出る笑みから、一八〇度目を逸らした方向。

 どむん、という鈍く痛々しい音が鳴ったのはそこからだった。

 でも、どうだろう。出し抜けに己に食いついた激痛は、そこからさらに一八〇度回った向きで。

「視認できない何かに後頭部を殴打された」といったら、信じてもらえるだろうか?

 

「そ、――な」

 

 思考が白む。

 視界が狭まる。

 意識が、ぶつりと、千切れる。

 アルバは振り向こうとした勢いのままに、倒れた。背負ったリュックがクッションになり、後頭部はこれ以上傷付くことこそなかったが――トレーナーとポケモンの指示系統は、無残にズタズタになった。

 

「結果オーライ、勝負に勝てなくてもいいのさぁ」

 

 ドーブルを撃破後、ルカリオが形相で振り向くも、時すでに遅し。横たわったアルバの前には、光学迷彩よろしく透明化を解いた色変化ポケモン『カクレオン』が佇んでいた。

 言うまでもない、ソマリの第二の駒。

 

「戦いで勝っちゃえば、さ」

「――――オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」

 

 薄ら笑いに闘士は憤った。激情のままに、波導の光芒を放った。

 それだけで、次に取る行動は理解できた。

 

「おおひい~~~~~~、こっわ~~~~い! ご主人様大好きなんだワン! ってところかな?」

 

 いくら増援に囲われようと、主人らを救出するために恐れず立ち向かっていくのだと――理解できた。

 

「よ~し、君たちも一緒に材料にしちゃお」

 

 それからルカリオが動かなくなったのは、数十分後のこと。

 闇が、二人と一体を攫って消えた。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 雨足が、弱まってきたような気がした。

 

「帰ってない、のか」

 

 いいや、気がするのではなく、弱まったんだろう。傘に付着する水滴のサイズが小さくなった。判断材料には十分だ。

 鳴らすインターホンに反応が返らないのを知って、気持ち下向きになる視線。

 カイドウは今一度シエルの部屋の前に訪れていた。勿論意味を求める職業だから、当然この行動にもれっきとした意味はある。別にセンチメンタルな気持ちに駆られたとか、忘れ物をしただとか、そういうしようもないものではない。

『悪いことをしたと思うのなら、謝る』

 成否以前にある、シンプルにして真理じみた誰もが習う思想を、実践しにきた。

 言ってしまえばそれだけなのだが、彼女は確かに自分の言葉で泣いたし、自分の振る舞いで自分から離れていった。であるならば、これは重要な行動だとも、考える。

 

「出直す、か」

 

 尤も不在となれば意味がないわけなのだが。

 ふう、とその場でため息をつく。

 そこで、自分が「与えられた自由の先のこと」を考えていなかったことも、思い出した。

 ごめんねの後に恐らく訊かれるであろう、彼女から投げかけられた問いへの答えを、未だに出せていない。

 どうにでもなることはわかっても。どうしたいかはわからない。

 傘を差した。濡れたくないから。

 謝りに来た。過ちを正したかったから。

 でも、そんなに簡単じゃない。“これ”に関しては。

 今でも己の中でどうなってほしいのか、わからない。

 相手が望んだ事を、自分も望んでいるのか。本当に自分は間違えたいのか。

 わからない。解らない。判らない。

 改めてそれを考えるためにも、だ。カイドウは鉄の戸の前で身を翻す。

 

「! ……お前は」

 

 そこで、思わぬ再会を果たした。

 雨と滲んだ血に濡れる、半ば人の形を成した蒼の獣――アルバのルカリオだった。

 認識の刹那、風に解けて霧散する。

 ただでさえただごとではないとわかるそれが、更なるただごとではない現象を起こし、そして、消えた。

 

「今のは、波導エネルギーで作った影分身……?」

 

 早急に伝えねばならない何かを、伝えようとした。

 伝えなければ何かが起こる事を、報せようとした。

 

「……まさか」

 

 そうとわかれば、することは一つ。

 口出すよりも先に、シンボラーを出していた。今から行うのは、未だ自身の身体的都合で控えねばならぬとされている、残留思念の読み取り――。

 だが仕方がない、誰がどう見てもわかる非常事態なのだから。あまりに想定外の状況なのだから。

 光の粒に変わり漂う伝達者(メッセンジャー)の残骸に、手を伸ばした。瞳に蓋した。

 

「――読取(リーディング)

 

 脳内に戦闘の記憶を流した。

 すると目蓋の裏で虹の光が広がって、いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのようにしたのかが、ルカリオの視点の映像となって高速で再生される。

 壁で御された、ぐらつく躰。それでも進行は止まらない。

 しばらく後に短い呻きが漏れると同時に一つの作品は終了した。

 

「ッ……、PG、に、連、絡する……」

 

 しかしカイドウは、額を押さえながらもシンボラーを下げることはしなかった。

 何故ならまだある、次がある。この場所に――現場に残る、記憶の読取が。

 がくり崩れかけの膝で踏ん張って、再び開いた劇場。公開されるのは、今しがた上映された悲劇の、そのプロローグ――。

 

「教えろ……お前は、誰だ? お前の名は――」

 

 そこに、全てがあった。

 真実が、映っていた。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

「……ん……」

「やあやあ、目覚めたかい?」

 

 気絶していた人間にかけるには、あまりに陳腐な言葉。それを聞いて、アルバは目覚めた。

 離れで屈んで頬杖ついて、愉快そうに目を向けるソマリに気付き、火急の臨戦態勢。

 モンスターボールを手に取ろうとした瞬間に、気が付いた。

 

「うっ……!? 動け、ない……!!?」

「あ~、やめときなよ、抵抗が無駄になるパターンのヤツだから」

 

 ――手と足を金属の拘束具で、封じられている。

 

「なんだ、これ。僕は確か、負けて、そこから……」

 

 途切れた記憶をつなぎ合わせるのに、そう時間はかからない。

 続けて思い出したルカリオも、自分と同じ状況で。

「いや~とんだ暴れ馬だったよ。捕獲までにカクレオンもダメにしてくれちゃってさ」

 く、と強く噛み締めた少年に、ここまでの経緯が話される。しかし与えられた分以上の情報を求める声が、足りんとばかりに辺り一帯に木霊した。

 

「ここはどこだ!? シエルちゃんとキノココはどうした!?! 一体何をするつもりなんだ!!?」

「君はほんっとに質問が多いなぁ」

 

 パチン。ソマリがそう言って辟易を笑みに混ぜながら指を擦り鳴らすと、この場を支配していた薄暗さが忽ち和らいだ。室内のあらゆるものを照らし出す、そんなライトアップ。

 

「アルバくん……」

「シエルちゃん! それに……キノココ!」

 

 部屋の端は、銀色で埋め尽くされていた。専門家でもない限りはさっぱりであろう、用途も仕組みも不明な装置が立ち並んで。

 そのうちの一つ、椅子型のマシンが、シエルと“ずっと探していたもの”を己に括りつけて離さない。

 アルバが確認したのは、そんな状況だった。

「あとは、この人が教えてくれるよ」加わる扉への瞥見。

 パチンと膨らませた風船ガムを、噛んで割る。破裂音が合図になって、広がる薄灰の殺風景にひとつの人影を呼び込んだ。

 ゆっくり耳朶に迫る、光の落とし物を踏んづける足音。肌に伝う冷徹と非情と陰惨とがないまぜになって、背筋を一瞬で凍てつかせた。

 確認は要らない――そこまでに異質な情調だった。ソマリが言っていた第三者。この事件の首謀者。

 

「ただいまより入場致しますのはー、冷静、冷徹、冷血、三つの『冷』を兼ね備えた正真正銘のアイスハートマン。冷酷を地で往く天才デビルサイエンティスト……」

 

 その姿を目の当たりにした時。いいや、してしまった時。

 

 

「――ヒース・ハーシュバルトさんでーす!」

 

 

 アルバは言葉を失った。

 だって眼前に現れた人物は、そこにいるはずのない存在なのだから。

 

「……ようこそ、僕の研究所(ラボ)へ」

 

 慕っている人と、とてもとても親しい人だったのだから。

 開いたままの口が、ぱくぱくと動く。呆然、というやつなのだろう。

 

「そんなに驚いてくれて、ありがとう。ふざけた口上でも胸を張って出てきた甲斐があった」

「なんで……なん、で……?」

「その『なんで』には、たぶん色々なニュアンスが含まれているんだろうけれど……有り体に言えば、僕はそもそも“こちら側”の人間だったんだ。ただ、それだけ」

 

 含む微笑も。陽気な冗談も。滑らかな口調も。残念ながら全てが本人のそれで。他人の空似でも、精巧に作られた偽者でもなくて。淡い望みすら簡単に踏み潰す。そして続ける、

 

「資金援助やモルモット集め、ゴミ掃除にエトセトラエトセトラ――諸々のサポートをしてやる分、研究成果をバラル団(こっち)に提供してもらってる、てとこかな。ギブアンドテイクってやつだネ」

 

 本当の答え合わせ。

 

「じゃあ、シエルちゃんと、キノココは……」

「さしずめモルモットってところだね。ある発明の実験体になってほしかった……『ポケモンへの愛情が深い人間と、そのポケモン』を必要とする発明の実験体に、ね」

 

 おもむろにアルバから臍を逸らして注意を向けるのは、装置のコントロールパネル。弾むような軽やかさで実験の準備を進める青年の後ろ姿からは、躊躇どころか良心すら感じられない。

 少年がふざけてる、と呟こうとした時、隣の壁から彼の手持ちであるゴーストが顔を出した。

 

「……そう、か……そうやって、シエルちゃんの家に……」

「透過で壁を通り抜けさせ、中から鍵を開き侵入、彼女を技“あくむ”で一時的な昏睡状態に陥れるまではよかった……」

「ココッ!! ココーーッ!!」

「ただ、途中でこいつが起きちゃってね。抵抗されていっぺんの捕獲は失敗」

 

 そして身動きを封じられて尚、少女を守らんとじたじた暴れるポケモンに、再び“さいみんじゅつ”を浴びせかけた。

 

「――……」

「キノココ!」

「だから一旦こんな風に眠らせて、先に持ち帰ってきたという訳だ」

 

 おわかりいただけたかな? 振り向きざまの問いかけでも、アルバは未だ納得を見せない。

 

「……まだだ。何の発明で、なんの研究をしていたのかを聞いていない。あなたが悪魔に魂を売ってまで、極めようとしているものを……」

「お、そんなことも聞いてくれるのかい? いやぁ、嬉しいな」

 

 ――『人間の心的作用によって行われるポケモンの強化について』。

 さして高くもない天井を仰ぎ、両手を広げ、まるで高説を垂れ流すかのような格好で掲げたテーマは、それだった。聞いたところでしかめっ面を覗かせるアルバだが、それも織り込み済みなのだろう、次いで先刻の発言を噛み砕いて聞かせる。

 

「一時的にポケモンを超強化する現象『メガシンカ』……これは特定のポケモンと人間の精神状態がぴったりとシンクロした際に起こるものだ。しかしながらその発生確率の低さ、起こせる種が限られるという自由度の低さ、そして習得までの難易度の高さから、総じて『奇跡の力』と、昨今まで云われ続けている」

「素晴らしくゴキゲンな話だよね~。強さを求めるトレーナーには嬉しい話、いい話。でもでもとっても難しい、そんなそんな惜しい話」

「僕がしようとしているのは、その難解にしてハードなプロセスの簡略化。つまり誰でも簡単に、トレーナーが望んだ瞬間に、メガシンカさせられる技術を生み出そうとしている。それによってトレーナー間のバトルもより活発化するし、非力なポケモンもより実用的に」

 

「――――ふざけるな!!」

 

 あまりに食い気味だった。

 でも、最もな反応だった。

 アルバが聞くに堪えなくなった理由――努力に対する軽視や、奇跡を奇跡のままとしないヒトの傲慢さ等、考え付くものは多くあるだろう。

 でも。それより何より、根本的な部分で憤怒していた。

 

「そうやって人間の意思一つで勝手に強化されたポケモンの気持ちはどうなるんだ!?」

 

 ポケモンがどうなるか、それについては一切触れられていなかったからだ。

 

「弱いままでいることを喜ぶポケモンなど、いるはずな」

「そんな簡単に考えるなッ! 総意みたいに! まとめ上げるなッ!!」

 

 蔑ろにされていたからだ。

 

「人の一方的な都合の押し付けで手に入れた強さなんて、そんなの本物の強さじゃない!」

 

 本当の強さは、こんな紛い物ではなかった。不確かで不安定で、影を帯びなければならないものではなかった。もっともっと輝かしいものだった。

 それを知るからこそ。今でも身に焼き付いているからこそ。

 二度目の遮りが、より強く行われる。断言を用い、否定を用い、信念を用い、強く、強く、実験室いっぱいに響き渡るように、

 

「僕の、目指すものじゃない!!」

 

 アルバは叫んだ。

 焼き切れんばかりの熱さを持った声帯を意気で振るわせ、椅子の捕縛から脱するように、身を乗り出して。

 

「がっ!!」

 

 間もなく、殴打されるとも知らないで。

 

「あちゃ~」

「アルバくん!!」

 

 ごしゃっ。手始めに聞こえた音だ。とてもじゃないが人体が鳴らしていいものではなかった。

 一挙でぶびゅるっ、と吹き出した鼻血は、殴った青年の力加減のいかれようを如実に表す。

 生まれて初めての痛みにたまらず俯いた。ヒースは暫く鉄仮面じみた表情でその様子を見つめた後、お構いなしに横から椅子ごと蹴り倒した。

 続けて上がる短い呻き声。赤黒く生臭い体液が、今度は頬を伝って床を汚す。

 

「大した力も持たないくせに、格上の者を否定する――――君みたいなのは、僕が一番嫌いな人種だ」

 

 図らずも蹲った少年の腹部に、容赦も忘れた爪先が叩き込まれた。声にならぬ声がまた漏れる。

 

「ひえ~~、きっついわぁ」

「いやああっ!」

 

 少女が涙に包まれた双眸を目蓋で隠しても、この蹂躙が止むことはない。

 

「弱く、ちっぽけで、何の影響力もない」

 

 背中を蹴飛ばした。噎せた。

 

「だのに声は大きく、妬み僻みは一丁前。他者の否定だけは一級品」

 

 頭を足蹴にした。額がひどく汚れた

 

「そうやって何人の人間を潰してきた。どれだけの多様性を滅ぼしてきた」

 

 首を握った。痛々しく悶えた。

 

「そんなことすら考えずに今日までのうのうと生きている、貴様ら無能な凡人は――ヘドが出るほど許せない」

 

 そうやって苛烈な暴力に淡々と言葉を乗せ続け、ひとしきりいたぶっても尚、その全てを氷漬けにしてしまいそうな眼差しは、収まることがなかった。

 

「ねえねえ、彼もモルモットなんでしょ? 殺しちゃダメなんじゃないの~?」

「かはっ……、こほっ」

「もう、やめて……」

 

 大分先の段階で見かねていた少女が、すすり泣きながら唯一の自由が許された首を振る。

 するとヒースは思い出したようにアルバを解放し、乱雑に投げ捨て、血濡れた手をハンカチで清掃しながらシエルの元へ歩み寄った。

 

「そうだね……、実験しないと」

「……」

「大丈夫、痛くしないよ。ただ、ここに座ったままキノココのことを思い浮かべるだけでいいんだ。そしたら君のキノココはもっと強くなる……そして、キノガッサに進化する」

「……嫌だ」

 

 涙枯れぬまま、シエルは重ねて首を振った。

 

「どうして? 何もポケモンを傷付けるわけじゃあないんだよ? 安全性にだって注意しているのに」

「……それでも、嫌だ……」

 

 それは抵抗ではない。勿論、反抗でもない。できるわけがない。自分も彼のように真っ赤で生臭いじゅうたんを敷いてしまうのかもしれない。怖い。苦しい。辛い。

 何ならば言う通りにした方がこんな地獄絵図もすぐ終わるだろう、なんて考えている。よくわかっている。

 

「あなたは、誰かを傷付けるためにこの研究をしてる……、そんなことのために、私の大事な友達を利用されたくない……」

 

 でも、自分を想ってくれる友達は。友達だけは。絶対に手放してはいけないと、思った。

 

「……して……」

 

 自分に負けない強さをくれる、笑う事の出来る安らぎをくれる、一歩踏み出す勇気をくれる、そんな友達だけは。

 

「私の友達(キノココ)を、返して!」

 

 恐怖にすら、明け渡してはいけないと思った。

 少しの沈黙が挟まり、僅かに時間が止まる。

 ヒュー。こんな状況でもおどけていられるのは、きっと正常な人格ではないだろう。ソマリは彼女の決意を前に、賞賛とも喜悦とも取れない口笛を吹いて、手をぱちぱち叩き合わせた。

 

「よくぞ言った! うんうん、抗う意志ってすごく大事だよね! 屈しないっていうの? お見事だよシエルたん!」

 

 そしてその手を、静かに壁へと翳した。

 

「そういうものが崩れる瞬間ってのがサ。見てて最高に楽しいんだよね」

「――え?」

 

 どけていく。

 ゆっくりと。

 掌が。

 その先で顔を出したコントロールパネルが、『BOOT』の文字を浮かばせて。

 

「一名様、ごあんな~い!」

「!? いや! やめ――!」

 

 ヒースの無音の挙手が、終わる。瞬間、阻まれる視界。機械音を纏って降りてくるリング状の機械が、シエルの頭をすっぽり覆い隠した。

 きっと「やめろ」の意味なのだろう。アルバが意味を成さないままに大声を上げるが、時間というものはそんなもので止まってくれるほど都合のいいものではない。

 

「ああ、わかっていたさ。簡単に頷いてくれないことぐらい」

 

 同じように他人だって、そうも都合のいいものじゃない。

 ヒースはとうにそれを知っていた。だからゴーストを隣に呼び出した。

 

「彼女に“ナイトヘッド”だ」

 

 故に力ずくで、眼前の少女を動かそうとした。

 

 

「――――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 指示を受けたゴーストがその魔獣じみた手を向けて数秒。

 ひょっとすると親ですら聞いたことがないのではないかというほどの少女の絶叫が、この場にいる全員の耳を劈いた。

 喉が引きちぎれそうな甲高い声音と、そこにへばりつく咽び。汗と涙にまみれてびくん、びくんと跳ね回る身体。正常じゃない事なんて、言うまでもないじゃないか。

 

「やっべえかわいい!! アハハハハハハハハハ!! 思った通りだァ!!」

「な、……っにをしたァァァ!!!!」

 

 げたげたと大笑いし悦に浸る黒い方の悪魔へ、口辺の唾液ごと怒号を飛ばす。

 

「“ナイトヘッド”でとびきり恐ろしい幻覚を見せて、恐怖を煽っているのさ」

 

 しかし答えたのは、白い方の悪魔だった。

 

「なんだと……!?」

「恐怖というものは急激な感情の爆発を誘発するものだ。これによって溢れ出た感情をマシンが吸い取り生体エネルギーに変換、それをキノココに注ぎ込む……!」

「そん、な、酷いこと……!!」

「うわ、あ、あ、あ、あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」

「シエルちゃん!!」

 

 目を覚ませ。聞いてくれ。何度言ったところで、焼け石に水。

 (にえ)を孕んだ白銀の卵の中で、宵闇の白昼夢が広がって、すくすく絶望が育ってく。

 

「感情がみるみるうちに溜まっている……! そうだもっとだ! もっと恐怖しろ!」

「あああああああ、あああああああーーーーーーーーーああああああああああッ!!!!!」

「絶望に狂え! 顔面が溶けるほどに泣いて叫んで暴れるんだ!」

「や、め、ろおおおおおおおおお!!」

「ここはハルザイナの森の奥! 外からは誰も助けてくれなければ何人も来れやしない! さあ早くキノココを思い浮かべろ! 鼻水と唾垂らしてお友達に助けを乞え!」

 

 いくら叫ぼうが、この手を封じる輪が消えることは無い。この足を包む輪が解けることも無い。

 誰も見ないし聞いてない。もはや、少年は蚊帳の外であった。

 さりとて呼びかけ続けるのは、少女の身を案じてのこと。

 こんなことを続けていては精神が崩壊し、廃人に堕ち、まともな生活を送れなくなる。そんなもの馬鹿でもわかる。

 だから――

 

「あのさ、もう諦めたら?」

 

 もう一度。だが、黒の悪魔が涼しい嘲りでそれを遮る。

 ソマリは今しがたの態度とは打って変わり、静かに屈んで、アルバに顔を近づけた。

 

「なにを……」

「君は弱いんだ。だからこの子を救えないまま終わる……何回吠えたって、無駄だよ」

「そんなこと! 今は関係……!」

 

「ありまくりなんだなァー、これが」言い切る前に積んだ。そうやって続ける彼女は、何一つ笑っていない。

 

「彼女がこうなっているのは君のせいでもあるんだよ?」

「……は……!?」

「君があの時、戦わないで逃げて、ここにPGを連れてきていたなら……どうなってたかな?」

 

 思い出した事。興奮で吹き出したアドレナリンと、目の前の壮絶な光景とで、忘れていた事。

 誰もが、というか本人すら置き去りにしていた事実を耳打ちで突きつける。責任をちらつかせる。今更になって。

 

「もしかしたら私たちをまとめてお縄に出来て、キノココとシエルちゃんも無事に救えて、一件落着だったかもよ……?」

「……ッ違う! ここを早くに見つけられなくて、手遅れになってた可能性だってある! だから!」

「だから。自分なりの考えがあったから。正しいと信じた上での判断だったから。こんなに無駄な被害を出しても仕方ないだろう、って?」

「……!」

 

 なんと意地が悪いんだ、なんて思う。

 

「自分の愚かしさを棚に上げるのはさ……よ・く・な・い・ぞ?」

「……――あ」

 

 でも、そんな意地の悪さで数々の人間を堕としてきた。し、心というものをへし折ってきた。そもそも意地悪という表現で済むかどうかすら曖昧で。

 何故か?

 ソマリという人心を取り扱う悪魔は、それを至上の喜びとするから。

 時に道を踏み外させて、奈落にずり落としたり。

 時にどん底に手を差し伸べて、暗黒の中に引き込んだり。

 時にきまぐれで、ただ光り輝くものをズタズタに踏み砕いたり。

 

「もうわかったよね? 君は弱い……、そんな弱さが、今から一人の少女を跡形もなく壊すんだ」

 

 色とりどりの花が咲く園の真ん中で、バケツいっぱいの墨をぶちまけるように。

 透き通る水の中を、沢山の泥で埋め尽くしてしまうように。

 

「なーにが『本物の強さ』だ」

 

 ソマリはこうしてまた、人を真っ黒に染め上げる。

 

 

「――笑わせるなよ」

 

 

 少女は今も終わりなき夢の中心で、地獄を見ている。

 喚いて、鳴いて、唸って、深淵に嬲られている。

 助けないと。なんとかしないと。

 

 ――不思議だった。

 

 そう思えば思うほどに、自分の目の前に靄がかかる。

 

 僕のせいで。

 

 そしてこう聞こえるのだ。靄の向こう側から。

 今はこんなことしている場合じゃないと、知っていても。

 肉体と精神が乖離して、この体は、まるでぜんまいの切れたおもちゃのようにぐったりと動かなくなって。

 

 視える全てが、虚ろになった。

 

 でも、視えるものが悪いんじゃなくって。

 視るものが、空っぽなだけで。

 無力感に打ちひしがれたまま、アルバはとうとう外界からの刺激全てを遮断し、物言わぬ人形と化した。

 

「ックク……一丁あがりっと」

 

「そっちはどうだい?」「もう少し、もう少しだ」

 仕込み終えた抜け殻の耳元から、話した口の形を変えて、ボリュームを変更。ヒースの方へと向き直る。

 返す言葉の通り、極上の悲鳴から取り出したエネルギーはみるみるうちに溜まって、装置のメーター越しでもわかるほどの存在感を放っていた。

 相も変わらず悲痛な叫びがのたうち回るが――助けてくれるものは、誰もいない。

 

「ああ、これで、僕の才能がまた、世界に知れ渡る!」

 

 亡霊がより一層精神を汚染した。望みの達成が近付いた。思わず笑みがこぼれた。

 野心に駆られてぎらつく瞳に、倫理はあるだろうか。良心は残っているだろうか。

 答えは言うまでもないだろう。

 

「もう少しで僕の居場所が――――選ばれし者だけの、新たな世界が誕生する!」

 

 光も声も届かぬ場所で、少女はひっそりと破壊されていく。

 歪んだ意思の犠牲になっていく。

 誰の邪魔にもならない、そんなささやかな願いも、叶えられないまま。

 

 

『“サイコキネシス”』

 

 

 そんなことは許さない――と、言った気がした。

 シエルの絶叫すらも一発の下にかき消す出し抜けの爆発音は、誰も彼もを釘付けにした。

 少女に苦痛を強いていた亡霊も。狂気の沙汰に踊る青年も。人を過ちへと誘う悪魔も。

 

「……へ……?」

 

 そして地獄の底で挫けてしまった少年もまた、例外ではなくて。

 刹那的に轟いた『念』という不可視の力が、実験室の扉をぶち破り、外で見回っていた下っ端共を放り投げる。侵入後という、あんまりなタイミングの緊急用アラートが煙にくるまれ大騒ぎ。

 否、侵入者の手際がよかっただけの可能性もある。

 

「間に合ったようだな」

 

 この、悲しくも果てしなく天才と呼ばれ続ける男の、手際が。

 

「うーわぁ……すごくめんどくさいのに絡まれちゃったなぁ……」

 

 やっと逸らした横目。

 助けはない、という口ぶりは、訂正せねばなるまい。

 

「……まさか、こんな所で君と顔を合わせる日が来るなんてね」

 

 事件について嗅ぎまわっていると、ソマリを通じて聞いた時から。

 

「思ってもみなかった」

 

 嘘をつけ。そんな憎たらしい独白を取っ払う。

 彼ならば或いは、と。

 自分を誰より理解してくれて、自分と肩を並べてくれる、この男ならばもしかしたら、と。

 薄々でも考えていた事だ。

 

「……どう、し、て……」 

「さすがだね」

 

 ヒースは予感が的中した喜びにも、邪魔をされた口惜しさにも似た表情を湛えて、友へと振り返る。

 

 

「なあ? ――カイドウ」

 

 

 ここに至るには理由が多すぎる、そんな友の方へと。

 

「訊ねたいこと、と……話したいことがある」

 

 粉塵が晴れた時、同じくして彼の者の姿も明瞭になった。

 

 

「答えてもらうぞ。――ヒース」

 

 

 そうしてかち合わせる眼には、確かな光が宿っていた。

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