ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~ 作:裏腹
01.忘れ去られし月
門番の一族。
それは、強くなくてはならない。守ることが使命だからだ。
それは、女性が背負わなくてはならない。初代からずっと引き継がれてきた決まりだからだ。
いつからそんな風に呼ばれているのかは、わからない。どういう経緯でこの役目が生まれたのか――初代が自ら請け負ったのか。それとも何かに押し付けられたのか。それもわからない。
が、ただ一つ、明白になっていることがある。
いつの時代も、当主たちは『
時に恐れられ、憎まれ、嘆かれ、果てには泣かれ――彼女たちは、数多の旅人の夢に終止符を打ってきた。
誰かの希望を絶つのだ。難儀な使命だと、思う。
喜びを感じることはないし、それらしいやり甲斐だって覚えたこともない。誇りなど、もっての外。
だからといって務めを疎ましく思うかといえばそうではないし、この血が苦になったこともない。
生まれた時に、ただなんとなくやれることが目の前に転がっていて、それを拾い上げて地続きを歩いている。小奇麗で整然とした惰性。単にそれだけの話。
百年に一人の逸材と謳われる当代の竜姫“コスモス”にとって、己の立場はその程度のものでしかない。自覚はあれど何でもない。ひたすらに何でもないのだ。
「また、違う」
それは、柄にもない独り言だった。
いつでも思考を整えてから発話する彼女であるからして、頭をすり抜けて言葉が出てくるのは、非常に珍しい。
一人で使うには勿体ないほどの広さがある
壁に添う沢山の額縁に注目されながら紡ぎ始めた新作も、ゴールする前にイーゼルから外してしまう。
テーブルにはらりと置かれた画用紙の上で、かかる虹。コスモスはそれが気に召さなかった。
数えて五度目の失敗だ。ここまで難産となれば、そもそも画材の選択から間違っていたのか、なんて思ったり。
木の香りにつられて棚を瞥見し、閉目。上手くいかなくて、何かのせいにしたがっている。いけないなと戒める。
そうしてまた筆を握り、新たな無に色付いた水を滑らせた。
「……ん」
ほどなくして鳴る、携帯端末。
「もしもし」コスモスは画面で『ステラ』の表示を確認すると、筆洗に波紋を置いて、受話器を取った。
『ステラです。今朝のニュースは確認されましたか?』
その声はとても神妙で、遊びが無くて。
「観ました、今度はシャルムシティでしたね。ランタナさんはご無事でしょうか」
『訪問しましたが、幸い目立った怪我はありません。街の方も事前の警戒があったので死者もなく、最小限の被害で食い止められました。が……』
「これで、四度目」
『リザイナ、オレント、モタナ、そしてシャルム……もはやどこに現れても、おかしい状況ではありません』
平和を至上とする聖女が、不安を買ってしまう言葉を、はっきりと口にする。
所構わず冗談を言わない人柄を知るのなら、この言い回しに含まれる深刻さが理解できよう。
彼女が重々しく語る、ただならぬ異常。何もコスモスだけではない。他のジムリーダーにも注意を促す意味合いを込めて、伝え続けている現状。
「PGの動きは?」
『機動部に加え、保安部からも各地へ人員が派遣され、厳戒態勢です』
今、人々は震えている。
「目的は未だにわかっていませんか?」
『色々と状況を整理していますが、まるで見当が付きません』
かつて齎された地獄を、思い出している。
「幹部クラスが突然街中に現れ、破壊行動を繰り返す……しかし全てを果たすことなく、決まって途中で消えていく。ネイヴュの前例を知る者から見れば、不気味以外のなんでもないですね」
『ええ、形だけ捉えるならば無意味なのです。でもそれは、まるで』
悲劇の再現を、近い未来に予見している。
「何かの下準備をしているみたい、でしょうか」
――各地で連日相次ぐ、バラル団の侵攻によって。
『活発化する
読み返して、辟易して、伏目になる。強いてコスモスの調子を乱すものがあるとするなら、きっとこれだろう。
ステラは図らずも無音を連れた。肯定せざるを得ないマイナスの可能性の提示に、返す言葉が浮かばなかったから。
『……こちら側で何か進展があれば、また連絡します。コスモスさんも、お気を付けて』
「ありがとうございます。そちらも、お変わりなきよう」
そうして嫌な雰囲気を拭えないまま、終わる通話。
座って揃えた両脚に、重ね合わせた手を乗せる。そうやってコスモスは、西日が生み落とした染みのような小さな影を、ずっと眺めていた。
十月四日――ラフエル地方は、これまでにないほどの不穏に包まれている。
脳裏にかかる虹を描こうとしている。なのに、一向に進まない。
流線を作る一つ一つの絵の具に拘り、満足いくまでパレットとにらめっこ。そうやって考えた色なのに、いざ紙上に乗せてみれば、忽ちに不格好になる。
虹色というより、玉虫色。まとまりが悪いというのか、出来が荒いというのか……一色は良くても、何かと合わさった時に、くすむように輝きが落ちる。
目の錯覚だとか、水彩なら含む水の問題だとか、理論的な話も執事に持ちかけられはしたが――そうではない。
そも芸術は、感性によって完成する。
とりわけヒトが持つそれは、一から十まで理屈だけで片付くものではない、というのがコスモスの持論である。
確かに技術は大切だが、誰かが見る景色の中には黄色い海があってもいいし、白色の空が広がっていてもいいと考える。己の感性が他と異なる世界を容認するように、自分で描いた虹も、感性はただ御託を追い抜いた先で「違う」と訴えているのだ。
「ブロンソ」
短く執事の名を呼ぶ。
趣味が趣味と思えなくなったら、休み時。通説だ。
展望が悪すぎる作業に些かの苦痛を覚えたので、コスモスは絵を切り上げ、自室に戻っていた。
「はい、なんでございましょう」
執事は年代物の家具の間をこなれた様子で抜けていき、ペルシャ絨毯の上を優雅に歩く。至った机と向き合う主人が見ていたのは、複数枚の紙であった。
しかしただの紙ではない。防腐や防虫加工さえ無意味に思えるくらい、古めかしい香りの樹皮紙。さらに言うと、経年でかすんでこそいるが、壁画調の絵が描かれている。
「あなたには、これがどんな風に見えて?」
「おお……何度目ですかな、これを拝見致しますのは」
恐らく、この絵の事を指して言っているのだろう。
一族お抱えの執事、ブロンソはこれが何かを知っていた。
竜姫の血筋に代々伝えられる、ラフエル地方を作りし英雄“ラフエル”の活躍を描いた、“ラフエル英雄譚”――その『原典』と謳われるもの。
尤もただそう記されているだけなので、事実かどうかは定かでない。今更、証明できるものもない。
そもそもラフエルの血縁でもないコスモスの家系が、いわば本当の歴史を持っているというのも、整合性の取れないおかしな話。
「気分転換に、と思って読んでいたけれど……やっぱり、わからないわね」
だから彼女はこれを話半分に捉えて、真実として世に広めることはしなかった。
「ほっほっほ……若き日の
「“彼女”が、どうしてこれを持っていたのか。何故この選択を取ったのか」
何よりも。
「どんな意図があって、隠すことを望んだのか」
そうしてくれと、記述者たる“始祖の竜姫”が願っているのだから、聞かない訳にもいくまい。
終章――英雄が破滅の光と化し、泣き叫ぶポケモンと人を一緒くたにして焼き払う様子が描かれたページ。世に出回る活劇とは似ても似つかぬ、惨憺たる光景。
『葬られるべき真の記憶を、戒めとしてここに封じる』
その下部に刻まれた古代ラフエル語は、そう云っていた。
門番の一族の、もう一つの務め。それは伝説の守護であった。
原典、ないしは正史とされるラフエル神話を保有し、外の目に触れぬよう閉じ込め続ける。
――初代の願いに倣い、まるで開けてはならぬパンドラの箱のようにして。
「……わからないことだらけ。そしてそれを知る由は、もうどこにもない」
取っていた木の皮を放り、背もたれに身を預けて「お手上げ」といった具合に面向くコスモス。
「しかしてこの奇跡が溢れる世の中、何が起こるかもまた、わかりませんぞ」
伴って垂れる肩から心中を察したブロンソは、慰めのつもりで声を当ててみた。けれどもすっかり意図が見透かされており、結局「ありがとう」と優しく受け流される。
「でも答えのない謎を追い求めることほど、虚しい話はないわ」
「探している時は、楽しいでしょうけれど」窓枠にトリミングされた秋の日差しを浴びながら、物憂げに頬杖をつく。望んだ外の景色は、もう橙に染まっていて。
「別に『理解できない物事を守りたくない』なんて、我儘を言う気はありません。ただ……」
「ただ?」
「何も知らぬまま受け継ぐことが、本当に守護と言えるのかしら」
「はて……、どうでしょうなあ」
仮に、自分達もまたラフエルと関わりがあって、この地の守り手としての意義があるならば。
「もしこれが正解だとするのなら、一体誰の、何にとっての正しさなのか――そんな疑問は、常々付き纏っています」
この箱の中身が持つ意味は、しかと解き明かすべきなのではなかろうか。
好奇心を抱きやすいひとりの人間としても、今なお決まりに従う律儀な当主としても、コスモスはそう思ってやまないのだ。
「コスモス様!」
ガチャン。部屋の扉が勢いよく開かれる。
出し抜けの音が耳朶に殺到し、何事かと振り返った。そんなコスモスの前にいたのは、メイド。ノックでワンクッションを挟んだ後の行動だったが、荒い呼吸は正直で、その慌ただしさを如実に物語っている。
「どうした」返るブロンソの問いに顔向けしながら、
「ルシエジムより連絡です! 都市部上空に、バラル団と思わしき複数の影あり! 至急対応に当たってほしい、と……!」
メイドは沈黙を破りし悪魔の襲来を告げる。
「なんと。とうとうこのような離れの地にまで……」
言葉のみで驚きを表現するブロンソ。しかしコスモスは動じなかった。
すく、と静かに立ち上がり、机上のモンスターボールを手に取る。
「お嬢様、護衛の者を」
「結構よ。すぐに終わらせます」
いずれこうなることは、わかっていた。
いや寧ろ、遅かったぐらいだ。
ネイヴュを陥落させ、復興まで最短一年――順調にその道を辿りつつある世界を、彼らが放っておいてくれる保証など、今の今までどこにもなかった。
民が勝手に安心していただけ。あれだけ壊せば満足だろうと、自分たちの曖昧な物差しで彼らを測って、自己暗示するように不安を紛らわせていただけ。
平和ぼけのつけが回ってきたのだろう。まったく嫌になる。だって人は光に縋りたがるのだから。
「では、行って参ります。あと、今晩はカロス料理がいいわ」
「かしこまりました。ご武運を」
だが、縋りたくなるほどに光を欠かす存在を討たねばならないのも、また現実で。
その役目は自分が担う。それを知るからこそ、彼女は行くのだろう。
「カイリュー」
屋敷を出てすぐに転がしたモンスターボールから、相棒が解き放たれる。
跨って名を呼ぶだけで、彼女という飛竜は全てを理解した。
はためいて空を打つ翼。風が巻き上がるとカイリューは徐々に浮いて、やがてその場を後にする。
庭でそよぐ草木は、飛翔する一人と一頭を消えるまで見送っていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
もし、混沌がどこにでも存在しうるものならば。
約束された明日など、虚構のものであるならば。
一体どこへ行けば、安寧は手に入るのだろう。
悲鳴を引きずって逃げ惑う人々は、そんなことを思っている。
「――宇宙生まれる前。その者一人、呼吸する」
高いコンクリが、壊れて舞った。
「その者、時空に“物”を、心に“祈り”を生ませ、世界形作る」
上がる火の手は、助けてくれと遠い天に手を伸ばす。
「世界の一部の、ある者は言いました――『誰が生めと頼んだ』と。『誰が創ってくれと願った』と」
煙は続く道を塞いで、命を路頭に迷わせて。
「在ることが救済でしょうか。産声を上げることが祝福でしょうか。誰にとっても望まれたことでしょうか」
ミニカーのように軽々持ち上がった車が、泣き叫ぶ命を下敷きにした。
「誰かを虐げ、何かを侵し、穢し、蔑み、踏みにじり――そのような無価値な肉塊が溢るる世界が、真の美なのでしょうか」
「かかれェェーーッ!!」
サイレンが喚き散らす街の中で、三人の黒服の戦士が、一の混沌目掛けて全力で襲い掛かる。
「否、断じて否」
「か――ッ!!?」
一人を影より伸びし爪で切り裂いた。
「学べず、歩めず、享楽にふけってただただ限り有る
「が、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! う゛あ゛あ゛ァァァァッ!!」
次の一人を消えぬ火で蝕んだ。
「愚か者。空け者」
「馬鹿な……!」
「――戯け者」
最後の一人を球状の闇で飲み込んだ。
「人はいっそ、生まれぬ方が幸せだった。無でいた方が救われていた」
漆黒の人形が女の影から現れた時、三つの魂は終局を迎える。
「なればこそ、人が人の手で終わらせましょう。焼き払え、打ち砕け、捻り潰せ」
足元に転がった骸を越えて踏み出す、一歩前。
やったぞと勝ち誇るでもない。ざまあみろと嗤うわけでもない。ただ障害物があったので、跨いだだけ。それだけ。
「悉く無意味。かくしてあるべき姿に戻りましょう。――救済を受け容れ、真っ新に還りましょう」
本当に全てを等しく壊し尽くせるのは、憎悪ではなく、無頓着なのかもしれない。
ハリアーは口角を釣り上げながら、嬉々として夕焼けに照らされるルシエシティに降り立った。
足を瓦礫に粉砕された少年が、泣いている。
「可哀想に……」横目だけで合図してやると、隣のメガジュペッタは突き出した手中から“シャドーボール”を放つ。
「……おやおや」
少年へ至りかけたそれを、切り裂く存在。ツバメポケモンの『オオスバメ』だった。
ばさばさと低い空に留まりながら、虹色の目でハリアーの相棒を睨みつける。
「利口ではありませんね。大人しく隠れていればよかったものを……」
「ハァ……ハァ……」
「我々が貴女に入用なのは、知っていたでしょう?」
にたりと歪む視線の向こうには、長い銀髪の女性が一人。
古代人がよく着用していたであろう白の装束を身に纏っており、そのゆったりとした一枚布は、服と呼ぶには時代錯誤が過ぎるほどに古いものであった。
「お前たちは、世界を導く者ではないのか」
瞳をすぐ隣のオオスバメと同じ色に輝かせながら、彼女は問う。
静謐を湛えてこそいるものの、呼吸が荒い。しかも布の所々は薄汚れて損傷しており、血すら滲んでいた。それこそがハリアーと争っていた証左。
「正答。間違いではありません」
「であるならば何故、罪無き民を巻き添えにする。王の器として心構えはないのか」
「陳腐。心までもが骨董品……美しいものが、美しいままに時計の針を回し、そこで時間が固着している。重畳、結構。流石。少女のように純粋で汚れを知らぬ。趣があってよろしいではありませんか」
「ですが」挙手する。
「『我らが王の導く世界に、民の居場所は無い』と申し上げれば、ご納得頂けるでしょうか」
「っ!!」
女性の背に傷が入った。会話の最中、ひっそり後ろまで伸ばしていた“かげうち”による一撃が、再び流血させる。
突然の痛みで歯を食い縛ったが、既のところで前へ逃れて得る軽傷。
ただでは転ばない。倒れ様に睨みつけ、こちらの番と言わんばかりにノーサインで奔らせるオオスバメ。
「あるがままの世には、要らないのです」
が、甘い。伏兵『コジョンド』が悠然として割り込んだかと思えば、回し蹴りでその鳥を叩き落とす。
鮮やかな手際で以て、あっという間に戦闘不能。
「くっ……やはり、力が……!」
「貴女も、私も」
立て続けに召喚した
何故なら息を大きく吸い込む姿を、一度見ている。
空が煌めく様子を、先ほど確認している。
「やめ――!」
「“りゅうせいぐん”」
幾つもの凶星が街を破壊する光景を、目の当たりにしている。
地に伏したまま「やめろ」の一言も発せないで、ルシエ全域へ飛来する青の輝きに、手を伸ばした。
「サザンドラ、“りゅうせいぐん”」
まるでオウム返し。追いかけてきた第三の声が唱えるそれは、ハリアーの絶望と全く同じものを閃かせ、見事に相殺。最悪の事態を回避する。
「嗚呼……来ましたか」ハリアーにとって、仰いだオレンジより降臨する存在は、大方予想通り……といったところ。
「強く、気高く、美しい。泥にまみれた地にあっても貴女は、貴女だけは、唯一つとして綺麗なままで咲いている。切り立つ崖は
焦げ臭さを振り払いながらズシン、と地面を割って着陸する勇姿は、堂々と腕を組んでいる。
背負われた少女はパープルの双眸に冷徹を携え、ゆっくりとアスファルトに足を付けた。
「……ご機嫌良う、勝利の姫君」
そうしてコスモスは逆光の中、静かに悪意と対峙する――。
「バラル団幹部のハリアー、ですね」
「如何にも。貴女のような高潔な御仁に記憶して頂けているとは、恐悦至極」
「行き過ぎた謙遜は、快いものではないわ。命そのものに対する不敬が、却って浮き彫りになっている」
「心外ですね。肉の塊を尊ぶ意志は、私にもありますのに」
「人の真似をするのなら、もう暫くの練習をおすすめします」
「ッフフ……言ってくれますね」
薄ら笑いにも怯まず、毅然とした両手で二つのモンスターボールを開放。
忽ち二体の“ジャラランガ”が起動すると、近衛兵よろしく少女の前で肩を並べ、敵を睥睨した。
物言わぬまま白銀の鱗を鳴らす前傾姿勢が、臨戦態勢の合図だ。
「然し、奇妙な巡り合わせです。いえ、彼女がこの地まで逃げてきた時から……予測できた事でしょうか」
発言と共に見やる動作につられ、コスモスも女性の存在を認識する。
「お前、は……」
「……少なくともあなたの敵の敵、ということに違いはないかと」
「ええ、ええ。話が早くて助かります。どこかの聖女様とは大違い」
「相容れないこともある。それを知っているだけです」
「善哉」呟けば、戦闘開始。ジュペッタが先行した。
「時間が惜しい」
コスモスはそうやって突っ込んでくるぼろ人形のルート上へ、ジャラランガ兄弟の兄『エストル』を立たせる。
「一気に決めるわよ」
交差する前腕が擦り合わされると鱗が振動、メタルカラーの輝きは立ちどころに弾けて、周囲の空間が歪んだ。
「“スケイルノイズ”」再び同じ動作が繰り返された瞬間、凄まじい規模の音エネルギーが爆発を起こす。
避難が進んで抜け殻になったビル群のガラスが、次々に断末魔を上げながら絶命、砕け散った。
人体で受けようものならば、鼓膜が破れるだけでは済まない威力。まさしく音の爆弾。
甲高い風の叫びは、僅か一挙でコジョンドとメガジュペッタを飲み込み、黙らせた。
「……なるほど」
手元に忍ばせたオーベムの“まもる”で手繰るは、紙一重の無事。
ハリアーは直撃を受けた二体のうちの動けなくなった方、コジョンドをボールに戻し、コスモスを直視する。
「パシバル」
お前にそんな余裕があるのか。目で語って、手で示した。
弟の闘竜『パシバル』が、手負いのジュペッタまで一目散に駆ける。濃紺に輝く爪の正体が“ドラゴンクロー”と知れる時は、その一発が目鼻の先に迫った時だ。
「見事」
刹那、言葉だけが先走った。
木霊してから、コスモスは瞳を丸にする。
「“いたずらごころ”からなる先制の鬼火を警戒し、前もって特殊型のジャラランガで弱らせる、と」
別に、意識の外から意識していなかった声が聞こえたから、ではない。
「取り立てて物理攻撃で仕留めに来たのは、やはり街の被害を最小限に抑えたいからでしょうか?」
危機に瀕したハリアーがなおも笑っていたから、という理由でもない。
「お優しいのですね」
「まさか……!」
ポケモンを庇い立て、自ら技を受けるなど――誰も想像しないだろう。
パシバルが咄嗟に手の向きを逸らしたお蔭で、人体を屠ることは避けた。が、浅くなぞられた脇腹の傷は、無容赦に鮮血を吐いて彼女を蹲らせる。
ぼたり。地面で赤い玉が割れるのと同時に向き直った細面は、
「――貴女も
前髪越しにて最大級の笑みを覗かせた。
「!?」
乾ききった血のような、赤黒。コスモスはハリアーの色を知って、背筋が凍てついた。
だって、これは。この色はあまりにも、到底生き物が出すものではない。
「教えましょう、姫君」
まるで、戦闘マシンのような――。
「我々にとっての勝者とは、ポケモンが多く残っていた方を指すのではない」
「っ!」
ぎゅるりと首を囲う、湿った感触。動揺の隙を衝かれた。
「しまっ……!」
「た」言い切る頃には巻き付き、締まっていて。直感で危険を察知した左腕が、反射的に割り込んでくれはしたものの――拘束は免れなかった。
強く張られるゴムにも似た弾性と、ロープにも似た剛性。正体は長い舌。
振り返り、辿るようにその大元を見やれば、手品じみた迷彩は解けていく。
「(カクレオン……!)」
「最後まで命が残っていた方のことを、言うのです」
全貌を明かした闇討ちのスペシャリストは、妖しく唸っていた。
「さあ、施しましょう」「――っ!!」踏ん張り虚しく、軽々と引き回される繊細な体躯。
ぐわん。風景が暴れた。臓器が飛び出てしまいそうなほどの勢いで横方向へ振られ、やがて宙空に投げ出される。
「貴女に
次いで牙を剥く三つ首の黒竜は、揺らぐ視界を御すことすら許してくれなくて。
コスモスは発声もままならぬ状態で、大口開けるサザンドラに曝される。
「――“ガブリアス”!」
真っ逆さまになって漸く繋ぎ止めた言葉の語気は、ここ一番の強さであった。
少女の純白を食い散らかさんとした罰当たりな黒翼は、地鳴りと共に顕現するコバルトブルーによって裁かれる。
無機質な足場を突き破って放つフルパワーの“げきりん”が、サザンドラを盛大に打ち飛ばした。
「消え失せろ」――憤怒で荒ぶる地竜の咆哮が、ルシエ中に響いて渡る。
すると瞠目するハリアーの隣で、その巨体はズシンと落下。
コスモスは掬われたカイリューの手の中で、続けざまに処されるカクレオンも見ていた。
「……悔しいですが、あなたは賢いわ。こうして私に真っ向勝負で勝てないことを、知っている」
そして乱れたドレスを整えながら、言う。
「だから、どこか――必ずどこかで。私という人間を狙いにくることは予見できた」
『ハリアーは、決まってトレーナーを狙う』
手の内の看破は、ここまで暴れた代償か。
何のことはない。タイミングを図れずとも、先立って対応役を待機させればいいだけのこと。ジムリーダー達の間で共有された知恵は、確かにコスモスを助けてみせた。
「かつての私達がバラルに勝てなかったのは、私達がいつでもあなた方に無知だったから」
「でも、今は違う」背中にかかった影。
「私は、あなたが何をするかを知っている」
バックを取ったジュペッタを、エストルは容易に捻じ伏せる。とどめを刺し、額面通りボロボロになったパペットを、主の前へ乱暴に放り捨てた。
「ただ後手に回るだけじゃない。あなたが困る手段を、取ることが出来る」
覆された盤上すら、覆えし直して勝ちを取る。
いつでもその場のルールに合わせ、生まれついての力で圧倒するだけ。
そうやって勝負を制すれば、全て一緒だ。
「ごめんなさい。私はポケモンバトルが大好きなの」
世界で一番高貴な「勝てばいい」が、ここに在る。
竜たちが堂々と完封を誇示すると、ハリアーはそれ以上抗う事はしなかった。
「五体中、四体が機能停止。……此度は明確な目的がありましたが、いいでしょう。この場は貴女にお譲りします。何故なら必須要素ではない」
空へ逃げていく部下に合わせ、動けなくなったポケモンを戻していく。
随に装束の女を一瞥した後、コスモスと目線を重ねた。
「勝利の姫君……いえ、不落の飛竜」
「……なんでしょう」
「貴女はこの世界の
最後に、もう一笑。
「期が熟した折、その真白い掌は果たして何を取るのか……心の底から、楽しみです」
「では、またお会いしましょう。約束の日に」ハリアーは捨て台詞のような口舌を吐くと、傍らのオーベムの“テレポート”で消えた。
「追わないで。今は救助を優先します」上空でしたっぱの迎撃を続けていた己のサザンドラを制止し、コスモスも自分の戦力を畳み始める。
意味深長な言動を内心で気にかけつつも、優先事項を処理。
「大丈夫ですか」
「ああ……すまない、助かった」
おもむろに歩み寄った先の女性は、その出で立ちだけで特異な存在だと理解した。
貸した手を使って立ち上がる様を見るに、重い傷ではないようだ。
コスモスは、改めて合わせた相好を前にして、言葉を詰まらせる。
見上げる少女と、見下ろす女性。体型は大きく異なっているが、同じ長髪で、銀色。肌はまるで人形のように白く透き通っており、鏡さながらの瞳には紫水晶が光っている。
断じて彼女に兄弟姉妹は、いない。だからこそ絶句している訳で。
「……お名前をお伺いしても、よろしいですか」
とても他人の空似では片付きそうにない彼女へ、やっと口が追い付く。
「“アリエラ・エイレム”だ」
視線を逸らさないし、逸らせない。
「お前の、名は」アリエラと名乗る若い容姿をした女は、逆にコスモスの事が気になっていたようで、真似るように名を訊ねた。
コスモスは微かに眼の開きを大きくした後、暫く間を置いてから、答える。
「コスモス」
とても冷静ではいられなかった。
クエスチョンマークが頭蓋さえ突き破ってしまいそうなほど、脳裏を支配するのだから。
「――コスモス・エイレムです」
風にかき分けられた髪の向こう側には、同じ顔があった。
いるはずのない存在の、顔があった。
ラフエルの『太陽』に対し、原典で『月』として語られる――エイレム一族の始祖たる、英雄の顔があった。
これはラフエルが辿りし、偽り無き歴史である。
葬られるべき真の記憶を、戒めとしてここに封じる。
我が血を継ぐ者が、忘却の彼方でこれを永劫守り続けんことを、切に願う。
――アリエラ・エイレム