ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~ 作:裏腹
「アリエラ・エイレム――始まりの
表情に出ていない、ただそれだけ。
依然“こんらん”状態は続いているし、ともすれば訳もわからず自分を攻撃してしまいそうになる。
「又、エイレム一族に伝わるラフエル英雄譚の原典に登場する英雄であり、世に出回る……便宜上の外典としましょう。そちらでは、ただの人間として描かれる存在」
たちの悪いいたずらであれ。コスモスは、この一から十まで説明が付かない状況に対し、何度そう思ったかわからない。
問答を重ねる今この瞬間だって実感が沸かないし、好奇心という鎖も、潰えかけの正気を繋いで軋むばかり。受け入れられる不可思議にも、限度があるというもの。
そこをぐっと堪えて、聞き取りを行う。その肝っ玉は母譲りであろうか。
「そして――破滅の光を齎したラフエルを“竜骨の剣”で貫き殺し、民を守った救世主」
コスモスが「違いはありませんか?」と訊ねた時、女傑は小さく頷いた。
ラフエルが大陸を開拓し、総てを照らすようにして民の前途を作った『太陽の英雄』とするならば。
その太陽に添い、彼の者の力となって最後まで支え続けた存在――残る影にすら優しい光を与え続けた『月の英雄』。それがアリエラだ。
一呼吸置いて、逸らす瞳。思考を一旦休める意味がある。
「コスモス様、お飲み物をお持ち致しました」
「ありがとう、入って」
扉を叩く伺いに許可を出すと、メイドによって二杯のコーヒーが運ばれてくる。手際よくトレンチからラウンドテーブルに移して、あっという間に退去。室内を二人きりに戻す戸の音を合図に、両者は再び見合った。
「これは……」
が、アリエラは集中が続かないようで。どうやら目の前のカップから立ち起こる芳しさが気になって仕方がないらしい。
コスモスは少し思い巡らせた後、何も言わず向かいの席に与えられたコーヒースプーンを文字通り取り上げた。
「……!
「ふむ」
次に、伸ばされた手に大人しく戻す。
「
「シュガーとミルクは要りますか?」
「
匙から啜った一口で、表情は忽ちに苦くなった。
「……
眉をひそめ、唇をやんわり押さえる彼女へ甘味を差し出して、
「何事も、咄嗟に出るものがその人の素と言います。古代ラフエル語を扱い慣れているようですね。発音もお綺麗です」
最後に覗かせる満足。
「確実な証明たり得ませんが、本人確認としては十分でしょう」
「まだ疑っていたのか。お前の言う通り、今や私を私だと示せるものはないが……この肌色と瞳だけで、理解は及ぼうに」
「裏付けというものは、どうあっても欲しいものです」
「そういうものなのか……」
試すような形になってしまったのが申し訳なくはあるのだが、習った知識が活きるのは嬉しかったから、ほんの少しばかり頬が綻ぶ。
「現代ラフエル語をも巧みに使いこなしているようですが、その知識の源泉は、どちらから?」
シュガースティックを入れ、撹拌。続けて回る表面のブラウンへ、ミルクを垂らした。
「……わからない。気が付くと頭の中に、存在している。ただそこに情報があって、言葉が解る。転がっている道具が使えるし、積んでもいない経験が身に付いている。まるで他者に憑依して、その脳を扱っているような感覚だ」
湯気ごと一口を含むのは、白い渦巻き模様が落ち着いてから。
「……ああ、わかったぞ。これはコーヒーだな。無論口にしたことはない……が、豆から作られる飲み物だろう」
「現代知識が補強されている……ということで、いいのかしら」
「そう呼ぶ他にあるまい」
どこまでも珍妙にして、面妖な話だった。
『しかしてこの奇跡が溢れる世の中、何が起こるかもまた、わかりませんぞ』
数時間前にブロンソが言っていたことを思い出し、鼻から息を抜く。
「(所構わず起こる気まぐれな奇跡も、考えものね)」
今なら発しても許されるのであろうが、コスモスは大人であるからして、やはり独白で済むものはそこで終わらせる。
戸惑っているのは、何も彼女だけではなかった。
気が付くと復活していて、目が覚めるとテルス山にいて、顔を上げればバラル団に襲われ――そんなアリエラにしても、同じ話で。
曰く『力』でオオスバメの助けを得て、ルシエまで逃げてきて、今に至るそう。
その間に彼らから何の説明も受けていなければ、何をすべきかも知らされていない。
だからそもそも偶然なのか必然なのかも、わからなくて。
つまり今後どうすべきかで悩む姿勢は、二人とも一緒であった。
「あなたは、どうしますか?」
先に口火を切ったのは、コスモス。
「どう、とは?」聞き返すアリエラへと続ける。
「これからのこと、です。まさか私の部屋で、来る日も来る日もコーヒーを飲み続けている訳にもいかないでしょう」
正直、自分だけでは決めかねる。それが本音であった。
ラフエル地方を作った英霊の一人が、何千年という月日を経た現世で受肉――あまつさえ世に知られる同地方のルーツとは、全く異なる事実を保有しているときた。
伝承を厚く信じて寄り添い生きてきたラフエルの民にとって、この情報を共有することがどれほど迂闊か。それを知らぬと吐き捨てるほど愚かではない。
「原因不明ながら、実際に甦ってしまったのはあなたです。そしてイレギュラーであろうと、今ここにいるのもあなたです」
一歩間違えば、混乱。事は慎重を要する。
故にコスモスは、帰った今でも「先程の件で怪我をした友人の介抱」という体裁を繕って、口を噤んでいる。母が日頃から家を空ける人で良かった。今回ばかりは感謝する他ない。
「復活の英雄として世間へ公表するにしても、素性を隠してここに居着くにしても……まずあなた自身のご意向を聞かないことには、始まりません」
丸投げのように聞こえなくもないが、彼女なりの最善を尽くした結果だ。
転生したのなら果たしたいことがあるだろうし、やり残しだってあるのかもしれない。そういった小さなことでもいい、曖昧で抽象的であろうが、とりあえずは何かの行動のきっかけになれば……そんな風に思う。
「……私にも、選択権が与えられるのだな」
じ、と見合わせた目にポジティブを込めていたつもりだったが、当のアリエラは俯き言った。
「お前たちに解けぬ呪いをかけたというのに……当代のエイレムは随分と優しいものだ」
卓の中央、シャンデリアに照らされる英雄譚の原典に触れ、続ける。
とてもばつの悪そうな顔をしていたが、彼女のことは彼女にしかわからない。極めて偶然の産物ながら、話してみて改めて何の考えもなしに歴史を歪める人物でないというのはわかったし、嘗ても明確な“色”の元で動いていた、というのも理解出来た。
「もちろん、あなたが真相を葬った理由は、いずれ話して頂くつもりでいます。ただ今は、優先順位が低いというだけです」
コスモスにしてみれば、今はそれだけで十分だった。
歯切れの悪い言い回しにぴしゃりと放つ。しかし返る言葉は、
「……わからない」
という、活気のないもので。
「その言葉、二回目です」
「わかっている」
まだ現代語がおぼつかないのか、とも推察するが、次いで出る言い分があるようなので、黙る。
「なにぶん、一度は天命を全うした身。いかなる時にあっても、辿れる道は一つと信じ歩んできた……相応の事はしてきたし、為せる総てを為してきたつもりでいる。今更二度目の生を与えられ『好きにしろ』と放られたところで……満足に答えが出るはずもあるまいよ」
その逡巡が当惑からなっていると気付き「でもまぁ、そうね」――小さく同意。
確かにそうだ。知り合いもいない、記憶も頼りにならない遥か未来で自分が生き返った時、子孫から「何をしたいか」なんて問われところで、簡単に決められる道理はない。
コスモスは無音でコーヒーを啜りながら、今一度考え込んだ。
カチャリ。皿にカップを座らせる。そして暫しの間を置き、やがて言った。
「では、改めて世界を見に行くというのはいかがでしょう」
それは、英傑の選択を助けるための提案――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
“青の街”――海に面し、澄んだ空を阻むものがないルシエシティだからこそ、持つことが許される通称だ。
ビルやドームなど、近代的な建物が林立する区画『シティエリア』と、歴史的建造物が密集する地区『ヒストリーエリア』に分かれているのが特徴。
新しきと古きが共存する街は、ラジエスやユオンが同様のものとして存在する。だが前者ほど複雑化していないために住みやすく、後者のように片方が商業利用されていない故に観光が楽しめる。
ラフエル地方の覇者を決める三年に一度の大会『ラフエルチャンピオンシップ』にばかり目が行きがちだが、「遊ぶ都市ならラジエス、住む都市ならルシエ」などと唱えられるぐらい、利便性、住みやすさ、美観の三要素全てがバランスよく纏まっているのも、この街ならではの強みと言えるだろう。
市街地区と歴史地区を分断するように走る高架橋の上を、市内電車で往く。
空気が澄んだ日は、遠いラフエル洋が望める。天の色がホワイトの街並みに映写される。眼下の絶景はさしずめ白日のブルーモーメント。より宇宙に近い場所を飛ぶキャモメが、ふと羨ましくなった。
僅かばかりの旅路を楽しんで、下車。降りたのはシティエリア。昨日バラルから被害を受けたのもこちらであったが、早期の段階で食い止めたのもあり、幸い街機能に支障はなかった。
「着きました。足元にお気を付けて」
「あ、ああ……」
『コーラル区、コーラル区です。ご乗車ありがとうございました、お忘れ物にご注意ください。次の発車時間は一一時――』到着アナウンスに押されて停留所に降り立つコスモスとアリエラは、ひどく人の目を引いた。
コスモスの方はルシエのジムリーダーという立場上、ホームで注目を浴びるのは必然であろう。
問題はアリエラ。
「……これは本当に、現代人の服装なのか?」
コスモスの黒紫とは正反対の彩りを持つ、パールホワイトのドレスに包まれながら、困惑していた。
「白装束で歩くのは目立つ」と言われるがままに与えられ、着てはみたものの――突き刺さる視線を前にした途端に、自信を無くす。
しかし周囲にしてみても何のことはなく、見目麗しい姉妹じみた並びに思わず目を引かれた、ただそれだけのことで。
「おい、やはり不安だ。これは違うぞ、何か違っている」
「言っても仕方がありません。これよりも社会に溶け込める服はないこともなかったのですが、私のものではサイズが合いませんので。着られるものを探した結果、この母のドレスの予備しかありませんでした」
「ぬう……だが、やはりこうも全身を布でくるまれては、動きにくい。敵襲に備えられん」
「あなた方が生きていた時代よりもずっと平和なので、ご心配なく」
すたすたと歩きながら、アリエラの焦りを一蹴するコスモス。
「それに、何かあれば昨日同様、私が守って差し上げますのでご安心ください。姫様」
「これでも英雄なのだがな……」
後ろをついて歩く彼女が、片手で頭を抱える様を見て、うっすらと意地悪く笑んだ。
たとえ先祖であっても、その調子は狂わないらしい。
無邪気な悪戯好きなのか、頼もしい大物なのか。女傑が己の末裔を知りきるには、まだまだ時間が要りそうだ。
世界を見る。
大言壮語を述べ立てても、実際特別なことはしない。ただルシエの街を遊び歩くだけだ。
一見すれば無意味にも見える。が、自分達が拓いた地を、現世に生きる民草は何を考えて生きているのか。齎した未来に、何を思って歩んでいるのか。それを知るには、彼らの生活に近付くのが最も冴えたやり方だろう。
現在に触れ、見聞きし、感じ取る。そこで得た感情を元に、自分の先行きを決めるという算段だ。
アリエラはコスモスの提示した選択肢に、快く頷いた。
「ここは、様々な水のポケモンを集めています」
「なるほど……見栄えがいいな」
そして至る、今。
トンネルよろしく広がったガラス越しの深い青色は、中で泳ぐ生物たちの輪郭をゆらゆらと揺り動かす。差し込むライトは湛えられた水にほどかれ、至る所に散りばめられた。
三六〇度、どこに視線をやっても大小様々な水棲ポケモンが遊んでいる。
ともすれば一体どちらが閉ざされているかわからなくなる、そんな幻想的なチューブ水槽が名物としてあるのは、水族館『ルシエアクアワールド』だ。
「確かに観るだけで楽しめる。人々が訪れるのも納得だな」
「今は少ないですが、休みの日にはもっと人が多くなります。綺麗ですから」
平日なので空いているだろうと推測したコスモスの勘は、見事に的中していた。
まるで貸し切りのように二人きりになって、静寂の中で飽きるほどに眺め回す。
「……現代語では“キレイ”、というのか。こういうものは」
「ええ。美しいものや、汚れないものを褒めたい時は、この言葉を使っておけば間違いないです」
基礎という名の知識は多数あっても、応用という名の知恵はない。
言葉の使い方にしたって、そう。覚えたての子供と何も変わらないので、精密さには些か欠ける。
それを慮ったコスモスから親切を受け取るアリエラであったが、含みがある風に「だが」と言って、おもむろに水槽に触れた。
「これを綺麗に思えるのは、私達だけだ。
それはきっと、ポケモンと共存する時代を生きていたからなのだろう。話すアリエラの感性は、ポケモンの側に寄っていた。
人の技術の進歩には、確かに驚く。感動することもあるし、考えた者に尊敬の念を抱くことだってある。
しかしいつもポケモンと共に在り、ポケモンに助けられ、ポケモンのために命を捧げてきた彼女にとって――ポケモンという概念を用いて金を得るという考えが、今一つ理解出来ない場所にあって。
「このように不自由な容器に閉じ込め、見せ物になるために生まれて……彼らは喜ばしいものなのだろうか?」
どの時々であろうと、世間には風潮がある。アリエラが生きていたタイミングの風潮と、コスモスが生きる今の風潮に、齟齬がある。だから認識も食い違えば、ズレも生じる。ジェネレーションギャップならぬ、ピリオドギャップ。仕方ない。仕方がないのだ。
「そんな風に、思う」
どうしようもなく、どうにもならない話。
「理解は、示しましょう」
とコスモスは前置きし、彼女の意見を認めた上で開口した。
「見せ物というのに、違いはないと思います。決して綺麗言は並べません」
アリエラへゆっくりと歩み寄り、隣に立つ。
「ですが、滅んでほしくないから、種を保護して温存する……そういう心持ちで、こうする者もいます」
「存続を願う、ということか?」
こくんと頷き、同じようにして触れる水槽。
「自然の摂理に反した利己思想と言えば、それまでかもしれませんが――人の手が無くば、今日まで生存してこられなかったポケモン達も、ごまんといます」
ガラス越しの白魚のような手に何を見たのかはわからないが、すいすいとポケモンが寄ってきた。
たおやかに透明を撫でると、引かれてさらに集まって。そのうちの一匹と目を合わせ、アリエラは驚く。
「まさか……“プロトーガ”か……!?」
「絶滅しても、こうして復活を遂げたポケモンだっているのです」
「馬鹿な。私たちの時代では、既に終わりを迎えて……」
「この子が見たい。この子に触れたい。この子との時間を思い出にしたい。そんな子供だって、きっといるのかもしれません」
人懐こい化石ポケモンは彼女の傍でたゆたい、笑っていた。
「彼らを生き永らえさせんとする気持ちの根底は、なんでしょうか」
続けて眼差しを向け、問う。
「私は愛と見つけました。彼らと共に在りたいから、一緒にいたいから――そう思う者なしでは今頃、この水槽にもこれほどまでの彩りは出ていなかった、とも考えるのです」
表情は笑わない。笑っていない。固くて変化に乏しくて、声音だって抑揚が少ないから、まるで何を考えているかわからない。
アリエラは内心、そう思っていた。
「現代人の見識の、お一つとして」
「いかがでしょうか」そのアメジストを、見るまでは。
目交いの紫水晶は、夜を抱擁する月輪のように、優しく煌めいていた。
正答でなくとも。総意でなくとも。何かを思って雄弁に語る末裔に、英雄は少しだけ熱を感じた。
「……悪く、ないな」
そして、嬉しくなった。
「今、笑いましたね」
「……そんなことはない」
「いいえ、笑っていました。この辺が緩んでいました」
「や、やめろ! 気安く触れるでない!」
「子孫特権です。末裔向けサービスです」
「そのような権利はない!!」
暫くの間、綻んだ頬をつつかれ続けたのは、内緒だ。
誰かが言った。よく学んだ後は、よく遊ぶものだ、と。
出所のわからない教えに従い、次に赴くは遊園地。
これまた程よく、ぺガスに及ぶ規模ではないにしろ、古代人が現代の娯楽を知るには十二分の場所だ。
「おい、よくわからんまま拘束されたが……この上り坂をゆっくりと進む箱はなんなのだ」
「ジェットコースターです。あまり喋り過ぎない方がよろしいかと」
ジェットコースターに乗った。
「……ああ、これか。ふむ。遊園地の代名詞とされる乗り物であり、これの出来で遊園地のレベルが決まるといっても過言ではない遊具、と。よって往々にして作り込まれたものが多――――ッ!!?」
「だから言ったのに……」
ぎゃあああああ。コスモスは真横で延々と響き続ける悲鳴に耳を塞ぎ、アトラクションを楽しめなかったという。
「おい、ギャロップがいるぞ。これはなんだ」
「メリーゴーランドと言います。跨がれますよ、その子」
「なるほど。手綱はないが……馬術には覚えがある。やってみよう」
メリーゴーランドに乗った。
「くっ、こやつ、なかなかの暴れ馬! 何度腹を蹴ってやっても、曲がらぬ……!」
「蹴りが足らないのではないでしょうか?」
「む、そうか。はッ! はッ! はァッ!!」
「ちょっとお客さん壊れる! 壊れちゃうよォォォォォ!!」
当然ながら二度目は乗せてもらえなかった。
「……この冷たい、白い螺旋は」
「ソフトクリーム、といいます。ミルタンクやメークルのお乳から作られる、ポケモン達の恵みです」
食を学ぶのも重要だ。休憩所でソフトクリームを食べる。
「ふむ……頂くとするか」
「召し上がれ」
「……!!」
「いかがですか?」
一口目以降、無言のまま狂ったようにその甘味を頬張り続け、七つ平らげた頃にようやっと言葉を発した。
「気に入ったようで、何よりです」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
お化け屋敷や、観覧車――時間も忘れて動き回っているうちに、気付けば園内を一周していた。
そうなる頃には、
「なあ、コスモス」
「なんでしょうか、アリエラ」
すっかり二人も打ち解けて、お互い呼び捨てに違和感がなくなるほどになって。
睦まじい様子は、時の隔たりすら忘れてしまいそうになる。
「見ろ、こやつだけ毛の色が違う」アリエラが指差す先は、ガラスケースの向こうにいる子犬ポケモン『ヨーテリー』。
日の色が橙になった。残り僅かな輝きを、目一杯に放ち始めた。斜陽が正念場を迎えても、二人の物見は続いていく。
二人はペットショップを訪れ、ポケモンを身近にしていた。
ピチュー、トゲピー、ブビィ、エレキッド等々……陳列された成体進化前のベビーポケモン達が、客と触れ合う。
ポケモンを傍に置きたいが、野生を捕獲するのは難易度が高いので、泣く泣くその願いを諦めてしまう者がいる。此処はそういった人たちのためにある。今ならば理解が出来る。
アリエラは小さくも逞しい命と向き合い、微笑んだ。
「……アリエラはわかるのですか? この子たちの言葉が」
「ん?」
「伝承上のラフエルは、ポケモンと会話が出来たと云います。かつて彼と肩を並べていたあなたも、何か特別な力があるのかな、と」
「ああ……彼奴ほどではない、アレは特異だっただけだ。私は感情を読み取ることと、共有してやることしか出来ん」
「それでも、便利なものですね」
「そうだな。尤も今は部分的に欠け落ち、不完全なものに成り下がっているが」
会話までは出来ない。コスモスの問いにそう答える。
「しかし、これはこれで悪いことばかりでもない」そして付け加えた。
「決してラフエルを否定する訳ではないがな、私はこう思うのだ。――『理解出来ない領域や、知りきれない場所があってもいいのではないか』とな」
「想像の余地、ということですか?」
「左様。確かにその心を曇りなく、包み隠さず伝える事は美徳だろうて。誰に限らずとも対話し、通じ合う接し方は、全を豊かにしていくに違いない真実だ。しかしな」
ポケモンを眺める横顔は、さらに言葉を続けていく。
「解せぬ、或いは聞けぬからこそ相手を考え、想うことが出来るのもまた、我らの趣のように考える」
『理』解しようとする『想』い――理想。
「嫌だ」と言ってもらえないから、されたくない事を想像できる。
「好きだ」と伝える手立てがないから、してほしいことを一生懸命になって探せる。
知らないからこそ、いつでも他者の立場になって、あれやこれやと頭を回して思い遣れる。
「温かい愚かさ、ですね」
意味を悟ったコスモスが達者な言い回しで切り返すと、ふ、と思わず声を漏らすアリエラ。
「命が、皆それぞれ違う心と形を持って生まれてくるのは……優しさを育むため、なのかもしれん」
ありがとう、これからよろしくね――弾む声に振り向けばポケモンがまた一匹、買われていく。
名も知らぬ少女は抱きかかえた“ピンプク”に、目一杯の頬擦りをしていた。
「いや――そう信じている。今だって」
その時、虹を見た。
人々が思い思いに発する色の総てを受け止め、背負う者の色。底無しの愛を持つ者の色。
されどけしてそれらに染められることなく、混ぜることもせず、ただ受け容れて己の彩りや輝きとして昇華させる、強き者の色。この地と、一つも違わぬ同じ色。
コスモスはそうして確信を得る。
彼女は紛うことなき英雄だと。魂朽ち果てるその
くすり。ようやっと目の当たりに出来た子孫の情動は、喜色だった。
「すまんな……、おかしな話をした」
「いいえ。好きですよ、そういう考え方は」
「……そうか」
真意は明かさずとも、繋がれているのだろうと思う。
今は今なりのやり方で、皆が手を取り合っている。血で紡がれた道の向こうから世界を見据え、穏やかになれた気がした。
答えを出す材料は、得た。もたもたしていれば日が暮れるので、あとは戻って決めるだけ。
「コスモス、そろそろ――」
『帰ろう』言葉は十全に伝わることなく、突如として鳴り響く銃声にかき消される。
「――動くな! 全員、レジの前に並べッ!!」
パリン、と蛍光灯を砕く一発が引き連れる悲鳴とどよめきに、二人は成す術なく屈した。
立てこもり。有り体に言えば、そういう状況。
犯人は年増ほどの女性一人で、風貌も一般的で変哲もなく、とても拳銃を持ってこのような真似をするようには思えない。
「や、やめ、て……」
「暴れなけりゃ、殺したりしないわよ……」
幼い少女とピンプクを人質に取る、ようには。
女は女児の首に腕を回したまま、まだ冷めきっていない黒鉄をその頭に押し付けていた。
残された者達は座り込んで、ひたすらに刺激すまいと俯くばかり。ペットショップは一瞬にして恐怖が渦巻き、地獄のような様相を呈する。
それでもコスモスとアリエラだけは、彼女から目を離さなかった。
女傑がそうかはわからないが、コスモスの方は決して臆していない訳ではない。いくら倫理の外にいる者共と争っているからといって、決して慣れることなどない。そも、慣れてはいけないとすら思っている。
しかし力がある以上は、恐怖の支配を甘んじて受け容れる選択も毛頭なくて。なればこそこういった時にも、打開の方法をあれやこれやと浮かべねばならない。いや寧ろ、浮かべてしまう。
徐々に日常からあぶれるそんな自分に呆れつつも、耳を澄ました。
『周囲を完全に包囲した! おかしな真似はやめてただちに出てきなさい!』
サイレンに続く、メガホン越しの声。外にPGが集った証。こんなに派手な真似をすれば必至だろう。
だが女はそれが狙いだったと言わんばかりに少女を伴って歩き出し、自動ドアが開いたところで、
「――バラル団を連れてきなさい! さもないとこの子と中の人質、ポケモン達を全員殺す!!」
と要求した。
忽ちに騒然とする。気でも触れたかと言い出す者まで現れる始末だ。
女はすぐさま中に戻り、口を開く。
「ごめんなさいね。あなた達には、私の復讐に付き合ってもらうわ」
目的が明らかになった。
「……彼らを呼び出して、何をするおつもりですか」
「決まってるじゃない。これでぶっ殺すのよ」
シンプルで汚い、とても嫌な即答。コスモスは問いかけを一度きりに止め、押し黙った。
「昨日、ここらでバラル団が出たんでしょう? だったらまだいるわよね……潜伏だってしているかもしれない」
曰く復讐を掲げる女の耳に届かぬよう、希薄な声音で話す。
「……バラルとは、昨日私を襲った連中か?」
「はい。世間を騒がせる、犯罪組織です。目的は不明ですが、既に数々の犠牲者を出し、もはや国単位で無視できない存在になっています」
「なんと……、そんなに大きな徒党だったのか。だがそれほどまでの存在が、同じ場所に長々と居座るとも思えんが……」
アリエラの推測はまさしく、であった。
誰にだってわかる。ひとたび見つかれば通報を免れない彼らが、安易に人前で留まらないことぐらい。
そうだ、来るわけがない。
「バラル団はポケモンのことになると一生懸命って言うわよね? なら、ここで事を起こせば来てくれるじゃない」――どんなにそれらしく頭を働かせようが、違う。
彼らには大義がある。目的のために小を切り捨てる覚悟を知っている。それが前提として含まれていない時点で理屈など破綻しているし、こんな行為だってただただ無意味で。
「馬鹿言わないで下さいよ! 来るわけないでしょう!? 付き合いきれない!」
二人の背後で店員の怒号が上がった。
今取る行動としては最悪のものであるが、それを伝える手立ては何もない。
だから脚を撃ち抜かれるのを、指をくわえて見るしかなかった。
「があぁぁあっ!」
「いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「……!」
ぴゅっと跳ねた血が目下の床で弾けた瞬間、人質の戦慄はとうとう絶叫と化した。
「うるさいわよ! ふざけてこんな真似するわけないでしょうがッ!!」
女は店員の倍以上の怒声を放つと、再び弾丸を床で跳ねさせる。
もはや秩序などない。人々は耳を塞ぎ、口を閉じ、目を瞑って必死に伏せた。焦げた匂いだけが虚しく残って、惨劇の序章を飾り始める。
コスモスは急いでスカートの一部を破き、それを痛い痛いと倒れて悶える男性の太ももに縛り付けるが、
「余計な事をするなッ!!」
女はそれすら許さない。
「一人でも死人が出れば、すぐにPGは突入して来ます。そうならないための手当です。少し落ち着いて下さい」
「落ち着けですって!? 無理に決まってるじゃない! 旦那と娘奪われて、どうやって正気保ってろって言うのよォ!!」
「っ」
「コスモス!!」
さらにもう一発。さすがのコスモスも真横を抜ける凶弾に怯み、目を閉じてしまった。
自身が言う通り、女の瞳はもはや正常な人のそれではなかった。憎悪に澱み、絶望に歪み、憤怒が無尽蔵に沸いて出る、生きながらにして地獄に堕ちた者の色。
「あんた達が何を知ってんのよ……」
安らぎを踏み潰され。
「雪解けの日をただ見ていただけの、あんた達がッ!!」
愛する者を引き裂かれた。
「私の何を知ってるって言うのよ!?」
そういう人間が出す――赤に血を用いた紫色。
「何がわかるって言うのよォォォォ!!?」
深淵を沈む、闇の色。そういう色を湛えていた。
耳を劈く叫びのせいだろうか。それとも立て続けに鳴る銃声のせいだろうか。
少女も抑えきれなくなった涙を溢し、わんわんと声を上げて泣き出して。
「ちょっと、黙りなさい! 黙れ……黙れ!!」
続々と爆発していく感情。
最も恐れていたことが起きた。閉じた唇の向こうで歯噛みする。
呼吸が荒い。目が開く。息が抜ける。
制御しきれない指が引き金に至る。
「――黙れェェェェェェェェ!!!!」
「駄目!!」
コスモスは手を伸ばした。
「か――――ッ!!?」
その刹那。
彼女の掌が向く方に、ポケモンが突っ込んだ。
バン。バレルは約束通りに殺意を放り出したものの、銃口が逸れたために、虚無だけ撃ち抜き大人しくなる。
女は、突如ケージを突き破って飛び出してきたピチューに体当たりされた――当惑する中でこれだけの視覚情報を得られれば、十分だろう。
「走って!」
「ぐっ!!」
解放された女児とピンプクが、コスモスの合図で、倒れる女の元から一目散に逃げ出した。
させるか、と落とした銃を持ち直そうと顔を上げるが、もう遅い。
「な、なあああああッ!!?」女の視界は、ピチューの後を追いかけるようにして殺到する
一人と一匹を抱きとめた後、罪人が小柄な勇姿達にもみくちゃにされる光景を認知するコスモス。そこから九〇度首を回すと。
「アリエラ……あなた……」
「力が、戻ったようだ……」
立っていたのは、瞳で虹を輝かせる英雄であった。
救急車、野次馬、被害者――大事の象徴が次々と現場から撤退していく。
PGの事情聴取で言う気は一切ないが、アリエラのお蔭で早期の解決、と言えるだろう。
怪我人は一名こそ出たが、この時世、死者がいなかっただけでも喜んでいい。
パトカーも日輪に置いて行かれる前に、引き上げようとしていた。
「……お前」
「何よ」
連行され、今にも車両に乗り込もうとしていた女へ、声をかけるアリエラ。
コスモスは先程の勢いが嘘のような消沈ぶりに半分驚くものの、曲がりなりにも為そうとしていたことを阻まれれば、こういう顔にもなるだろうな、と納得を追い付けた。
「復讐と言ったな。悪いことは言わん……よせ」
歩み寄った先の横顔を、自分へと向かせる。
「奴らに奪われた娘も、夫も、お前が復讐の炎に身を灼くことなど望んでいない」
真っ直ぐ視線を当てる彼女が今、何を思っているのか。
諭すような静かな語り口の向こうで何を考えているのか。コスモスにもわからない。
「家族が健在の頃は、ただ純粋に幸せを願っていたはずだ」
しかして、思うところがあったのは確かなのだろう、と内心で言い聞かせる。
「何も恨まず、永遠の安らぎを欲していたはずだ」
『私は、ここに永遠の楽園を作りたい』
――女傑の中で、英雄が言っている。
「思い出せ、その日々を。憎しみの連鎖からは何も生まれぬことを」
『誰も啀み合わず、憎み合わない。ただ在るだけで誰もが幸福を感じられる、そんな世界を創りたい』
――女傑の胸で、今なお願っている。
「お前を覚えている彼らは、お前が復讐を完遂したところで、喜びはしない」
『私がもし朽ち果てた時、我が夢をお前に託すことを、許してくれるか』
――女傑の体を、突き動かしている。
「だから、前を向いて歩け」
『有難う、アリエラ』
――女傑の魂を、揺らし続けている。
アリエラは知る者として説いた。
続く痛みの罪深さを。繋がる怨嗟の忌々しさを。その果てに待ち受ける、虚しさを。
誰かが止めねばならぬ、と言った。どこかで断ち切らねばならぬ、と話した。
正しいだろう。美しいだろう。それが出来れば。叶うなら。誰一人として傷付かぬだろう。
「……フフッ、ハハハ! アハハハハハハハハ!!」
――でも世界は、そんなに甘くない。
「何が、おかしい……?」上向き、大口開けて笑う女へ、少々の沈黙を置いて問うた。
「復讐は何も生まない? 皆が喜ばない? ――んなもん知ってるわよ」
胸元を掴みかかられ、吃驚。
尋常でない力は、爪と一緒になってドレスにくしゃくしゃの皺を寄せる。
「私が仇討ちしたってねえ……あの子達にそれを見る目は、もうないのよ」
「……!」
「死人に何が出来るっての? 喜びを表現する口だってない。私の言葉を聞く耳もない。 握ると温かい手も! 作ったご飯を興味津々にして嗅いでくれる鼻も! 何もかも! 全部全部全部! ぜんぶッ!! どこにも残ってないわよッ!!」
「ならば、なおのこと……!」
「どうして耐えないといけないの!? 奪われた私が! 誰を苦しめた訳でもない、私がッ!!」
「っ……」
肉迫する遮りにたじろぐばかりで、アリエラは何一つとして返せなかった。
「置いてく方は言うわよ、『恨むだけじゃ悲しい』って。何も知らない方は言うわよ、『復讐は虚しい』って」
伝う涙が、深紅に見えた。
「なら置いてかれた方はどうしたらいいの? 知ってる方はどうやって真っ暗な明日を生きればいいの?」
発される言葉が、呪詛に聞こえた。
「奪われたなら、奪い返すしかないじゃない! 報われるまで! 救われるまで! ずっとずっと!!」
間近の顔面が、怪物のものに思えた。
「これは私の戦いなのよ。私が前を向くための……先に、進むための……!」
崩れ落ちて、縋り付いて。
「――そんなに言うなら返してよ! 私の昨日を、家族を! 返してよ! 返してよおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
そう叫びながら、黙るアリエラの胸を叩いたところで、女はPGに引っ張られ消えていった。
痛々しく立ち尽くす後ろ姿に、なんと言ってやれば良かったのだろうか。残されるコスモスは見つめるだけで、最後の最後までわからなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
静寂の中で、月光に照らされている。
夜風に煽られたナイトドレスが柔らかく波打つと、影が主に反して楽しげに踊った。
揺らぐ草葉の音色に包まれながら、一人大きく丸い空の鏡を眺め、精神を落ち着けようと思ったのだが――そうもいかないようで。
「夜更かしですか」
「……コスモス」
長い夜の一瞬だったらば、ばれることもないだろう。そんな軽々しい気分で足を踏み入れた、石造りのテラス。
後から訪れたコスモスはアリエラの背に声を当て、
「感心しませんね」
佇む様を茶化した。
「お前こそ、とうに寝入ったものと思った。まだまだ若い、しかと眠らねば成長できぬぞ」
「精神的な成熟で補っていますので、ご心配なく」
「ほう、そうきたか」
巧みな口車に感服するアリエラだったが、彼女も彼女で一朝一夕の習熟とは思えないほどの達者さで現代語を扱うので、おあいこだろう。
何をするでもなく並んで、二人で遠くの玄兎を見据えていた。
「……私は、ラフエルと戦った」
暫しを放した先祖が語るは、外典には存在しない、真の記憶の欠片。
「いや、ラフエルに限らない。剣を握り、ポケモンと共に戦場を駆け、数多の者と幾度となく争ってきた。そうしてこの手にかけてきた」
存在しないとされた、争いの歴史。
「だがそれは、未来が
「……正しい歴史を封印したのも、そういった思いの下ですか?」
「無論だ。どこかで終わるだろう、ましになっているだろう――そんな風に思ったからこそ、走ってこれた。友を討てた」
『嘘をつけた』罪と成り下がりし正義が、冷たい虚空に解けていく。
アリエラは風にそよぐ髪を押さえて振り向くと、自嘲にも似た儚い笑みを湛えていた。
「だが、違った。民は今なお終わらぬ争いを続けている。世界に消えぬ火をばら撒いている」
思い返すは先刻の、醜く歪んだ復讐鬼の相好。
それを目の当たりにした時、彼女は存在を否定された気がした。
「彼女の目がな、同じなのだ」
燃やした命を「無駄だった」と吐き捨てられた気がした。
「――八千年前の人々のそれと、何も変わらんのだ」
己の描いた虹を「夢物語でしかない」と、放り投げられた気がした。
胸を刃で抉るように痛めながら。目玉を針でくりぬくように苦しみながら。足のつかない水の中で溺れるように、息を詰まらせながら。
「私は決めたぞ、コスモス」
答えを出す。
そんな彼女の声は、心なしか震えているようだった。
「我が名はアリエラ・エイレム」
最初に響く一声で、誰もが驚いたことに違いない。
「復活せし、ラフエル神話に名を連ねる“八人の英雄”が一人である」
場所は、コスモス宅の応接間。
「――今から其方らに、真のラフエル神話を語り教える」
その日、そこに八人のジムリーダーが集結した。
閉ざされた箱――葬られし原典が今、開かれる。