ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~ 作:裏腹
複数の絵画と、いくらかのオブジェ。シャンデリアも特段大きくて、それは部屋の広さをわかりやすく伝えてくれる。
応接間というのは文字通り客人に見せる場なので、やはり映えというものが重要視されるのだろう。
エイレム家によるもてなしが、メイド達の手際を通して成される。
紅茶やコーヒーといった飲料や、ケーキなどの軽食が並ぶダイニングテーブルの上で、九人の会合は行われていた。
「うーん――少し、整理していいかな」
側頭部を人差し指で押さえるユキナリの表情には、大きな戸惑いがあった。
いや、彼だけではない。ステラも言葉を失っているし、ランタナだってわかりやすく目を白黒させている。カイドウは眉間にしわを寄せて手元のノートと睨めっこするばかりだし、アサツキにあっては一周回って無表情で考え込んでいた。
誰もがしけた面になっているが、コスモスもアリエラも、彼らを責めることはしない。
ただでさえ世上が揺らぎ始めているこの状況で、突然召集され、英雄を自称する女から露ほども知らないことを語られれば――こんな反応にもなろう。
「ラフエル地方に伝わる英雄は、実のところラフエルの他にも七人存在していて、その中の一人が此方の御仁『アリエラ』である――と」
サザンカは紅茶で一服した後、口を開いた。
「延いては彼女を祖先に持つ君もまた、英雄の民だった」
首での肯定に、ユキナリが続く。
「そして、お前たちの方で続く英雄の民――便宜上“エイレムの民”としよう。は、今日までこの地に伝わるラフエル英雄譚とは異なる神話『原典』を保有しながらに、その内容を血筋共々歴史の裏に封じてきた。違いはないな?」
「はい」
カイドウの質問を、正面から認めた。
「隠していてごめんなさい」とも言った。しかし誰も咎めない。
「ま、しゃーねーだろ。ご先祖様が丁寧に紙に記してまで末代に頼んだことだ。平たく言っちまえば家庭の問題さ」
「……っつか、規模がデカすぎて、オレは何に謝られてるのかも正直わかんねぇ」
「んあぁ、同感だ。何にせよ、俺達がやいのやいの言えるような事じゃあねえのは確かってこった」
そもそも隠されていたことが問題ではないから。
気にするべきは過去でなく、現在の話。カイドウはその旨を伝え、さらなる深みを問う。
「何故これまで黙っていたことを、このタイミングで話そうという決断に至った?」
「それは……」
「私が行動を起こすのに、必要な行為だからだ」
コスモスから回答を引き継ぐは、アリエラ。
「それがなくとも、現代のラフエルの英雄は“ジムリーダー”なる立場を取るお前達なのだろう。嘯いたまま守ってもらおうなど、虫がよすぎる……甦った今、そんな風に思ったのだ」
「……ではこれからお前が口にするのは、偽り無きラフエルの行いの全て、ということでいいな?」
訝る賢者が納得したかはわからないが、少なくとも額の強張りは多少和らいだ気がした。
「待ってください」しかしそこでストップをかけるは、ステラの最もな意見で。
「確かに、ここまでは理解しました。ですが、本当にあなたが八千年前の月の英雄であると、私達はどのようにして信じれば良いのでしょうか? 決して疑う訳ではありませんが……情報が多く、やはり思考は追い付いていきません」
「……本物だよ、こいつ」
「! カエンくん……」
それを、意外な人物が解消する。
ここまでひたすらに『原典』を読み込み、柄にもない沈黙を貫き続けてきたカエンであった。
少年の表情に、いつもの朗らかさはない。パーツの悉くが引き締まって、厳かさを湛え、ややもすれば別人にさえ見えてくる。
人はそれを“覚悟”と呼ぶらしい。
「正直者のにおいがする。ラフエルがもってた盾からも、おなじにおいがしてた。それに」
テーブルで滑らせて続けざまに示すは、英雄ラフエルが黒の光と化す、例のページ。
「おれは、これとおなじ絵をテルス山で見た」
「……誰かが記したのだろうな。私が持ち去った真相を、広めようとしていたのかもしれない」
「そっか――これ、ほんとのことだったんだな」
消え入りそうな独り言が、かすれた樹皮紙の表面を撫でる。
そっと俯く薄目は、日陰に咲く花のように寂しげだった。
自分は彼になりたい訳ではない。寧ろ彼を超えていきたい。彼より優れたい。だから彼に憧れたでも、生き様をなぞろうとしたでもない。
それでも自分が夢を持つ、きっかけだった。目標だった。道しるべだったし、通過点だった。
自分の中の英雄を生み出した、希望だった。
「覚悟は出来たか、カエン・セラビム。太陽の末裔よ」
「……ああ。おしえてくれ、アリエラ」
きっとそれは、今でも変わらない。
よって嫌わない、絶望だってしない。
「どうしてあいつが、こうしなくちゃならなかったのかを」
ただ、訊かねばならぬと思った。
たとえ、目が当てられないほどに残酷でも。耳が引き千切られそうなくらい悲痛でも。
知らねばならぬと思った。
自分たちの始まりとして、何故彼がこの終わりに辿り着いたのかを。どんな大義で彼女が世界を欺いてしまったのかを。
「世界を、ほろぼそうとしなくちゃいけなかったのかを」
――
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『今から遡ること八千年前、世界は戦火に満ち満ちていた』
例外はあったが、主にヒトとポケモンの対立だった。
『わかりやすく言うならば、種族戦争だ』
当時は今のようにポケモンを知ろうとする者は少なく、そのための技術も多くはなかった。
よってあの頃のヒトにとってのポケモンとは、ただ自分たちの領域を踏み荒らす、得体の知れない化物でしかなかった。尤もそれは、ポケモンから見たヒトも同じだったのであろうが――。
悔やむべきは『歩み寄ろうとしなかったこと』だ。不理解から生まれる衝突ほど、悲しいものはない。
彼らは少ない海の水を取り合い、狭い陸の土地を奪い合った。限りなく広がる空の大きさも、知らないで。
『やがてポケモンとの戦により安息の地を奪われた人々は、新天地を求めて舟で大海原へと漕ぎ出した』
その間も、絶えずポケモン達は襲ってきた。世界そのものが牙を剥いたかの如き猛攻だったという。
そうして争う合間に、舟からこぼれ落ちたひとりのヒトがいた。
『それが、ラフエル・セラビムという男だった』
彼は戦乱の世にあっても、武器を持つことはしなかった。何故ならば数少ない『理解者』だったからだ。
ポケモンの言葉を解し、意志を汲み、寄り添おうとする者だったからだ。
どんなに苦しみ喘いでも、声高に不戦と和平を呼びかけ続けていた。
その行いが天に伝わったのかはわからぬが――ラフエルは命を落とすことなく、ある大陸に漂着した。
『後に己の名を付けられる、ポケモン達の大陸にな』
そこは、ポケモン達の国であった。ヒトとの死闘に心を痛め、傷付き、疲れた獣たちが寄り集まった島であった。
その国の長――“黒陰”と“白陽”を司りし二体一対の獣の王は、彼を焼き殺さんとした。
当然のことだ。敵対するしかない存在だったのだから。
周囲に炎が立ち起こり、頭上で雷が唸りを上げる。その時、男は言った。
『私はポケモンを愛している』
こんな考え自体が稀だったのだ、珍妙な事を宣う敵に興味を抱いたのかもしれない。
二体の獣の王“真実神レシラム”と“理想神ゼクロム”は、静かに耳を傾けた。そんな彼らへ、
『私は、ポケモンと人間が解り合える日が来ることを信じている』
ラフエルはこう続けたのだ。
さらに願った。脈打つ衝動を吐き出すように。魂一つで身を焼くように。
『故に、私に機会をくれ。ポケモンと人間の懸け橋となりて、彼らを繋ぎ止める宿願を果たすための時間をくれ』
もはや、それを醜い命乞いと嗤う者はいなかった。
涙を流し、強く願う姿を前にして、彼も一緒だとわかったからだ。同じ世界の下で心を痛めていると、理解したからだ。
そして彼らは、初めて解り合った。
「ここまでが、ラフエル英雄譚の序章だ」
「概ね、合っているね。尤も戦争がきっかけだったってのは、僕らが知る外典の記述にはなかったけど……」
「当然だ、私が捻じ曲げたのだから」
「……不都合があったから、ですか?」
「神話というのは、言うなれば後の世に伝え聞かせる夢物語だ。戦争が繋がりのきっかけなど……、こんな皮肉もあるまい」
次へ行こう。アリエラはそう言って紙を捲り上げ、続きを語った。
『ラフエルは彼らがこの地に訪れたばかりだったことを知り、開拓を買って出た』
ヒトがポケモンよりも多く携えるもの“知恵”を用いて、汚れた水を浄化した。草木を刈って整えて、緑に等しく陽が差すようにした。荒れ地を耕して、命の根源となる果実の種を植えた。砂地に埋まった塵芥を取り除いて、巣穴を作りやすくした。
『加えて将来的にヒトが暮らすための整備も行った』
大地を均して道を作り、山の一部を掘り抜き、谷には橋を架けた。
時にはその土地の主であるポケモン達と、「縄張りの一部を分けてほしい」と危険を顧みず交渉したこともあった。
当たり前に快く思わないポケモンもいたが――戦の虚しさを知る彼は決して武力を持ち出さなかった。何度虐げられて殺されかけても、毅然として彼らへ呼び掛け続けたのだ。
『民の住まいをより良くする。たったそれだけのことだったが、彼はそうやってポケモンを助け、そしてポケモンに助けられながら、数百年かけてその大陸を切り拓いた』
終わる頃には、その土地は『ラフエル』と呼ばれるようになっていた。
ポケモン達に認められた男は、甚く喜んだ。讃え合い、涙を流して彼らと抱き合った。
『その時からだ。ラフエルが英雄と呼ばれるようになったのは』
かくしてラフエル英雄譚の上編と中編が、完結する。
「ここまでも、ほぼ外典通りか……」
そう言うカイドウの横で通る、ランタナの気だるげな欠伸。
「……ここからだ」それを押し返すように下編を語らんとするアリエラを、カエンはずっと見ていた。
終盤だ、という確信がある。歴史の歪みがあるとするならば、
『ラフエルはレシラムとゼクロムに認められ、この大陸を統べる王となった』
言葉通り、ここからだろう。
残酷な真実に目を逸らさず、最後まで向き合い続けた者として。
されど絶望することなく、見果てぬ理想を求め続けた者として。
そしていかなる時も、理想を真実に近づけようとした者として。
彼は出会いの日に刻んだ『始まりの証』を反故にすることなく、平和の国を築き上げた。
ヒト、ポケモン問わず、己と同じようにして流れてきた者達を受け容れ、助け、愛を説き、共存を教えた。
傷付けず、苦しめず、話すだけで世界は収束するのだと、声高に謳った。不戦の思想を唱えた。
『やがて、戦争でヒト側の主力となっていた、“奇跡”と呼ばれる特異な力を持った人々も、彼に賛同した。後にラフエル共々数えられることになる、私も含めた“八人の英雄”だ』
組織の主力ということは、即ち象徴。彼らが揃って矛を捨てることは、終戦を意味する。
それを見たポケモン達も爪を収め、牙をしまった。
そうやってラフエルは、長きに渡る種族間の争いに
『後は簡単だった。ヒト、ポケモン問わず、誰もが一つの“民”として手を取り合い、助け合う日々を送った』
加えて我々がラフエルを手伝ったのもあり、文明は目覚ましい速度で繁栄していった。
双方が慰め合い、傷を癒す。そうする事が出来るようになった頃、我々は空の青さを知った。充ちる煙にも、起こる火柱にも阻まれない幸せを知った。
何も起こらず、何百年と連なっていく平和な日々。明日も、明後日も、明々後日も……皆この日常が、果てしなく続いていけばいいなと思った。そう願っていた。
『――――だが、世界は許してくれなかった』
ヒトがポケモンの食べ残しを、放り捨ててしまったせいなのかもしれない。
ポケモンがヒトの住居を、侵略してしまったからなのかもしれない。
どちらから始まったかはわからなくとも――きっかけは些細なことだった。
されど双方が致した愚行に感謝はなく、愛情も欠けていて。
時間というものは残酷だった。“経年”というたったの二文字が両者への想いを、罪を、痛みを忘れさせた。
呼び覚まされた傲慢が他を蔑ろにする。再生していく憎しみが命を奪い、言った。
「やはり解り合えぬ」と。「滅ぼすしかない」と。
『――戦争は、また始まってしまった』
ラフエル大陸の、暗黒時代の突入だった。
ヒトは森に火を放ち、ポケモンは村を食い潰した。
かつての涙が染みた大地はまた血に濡れて、青い空には再び黒煙がかかった。
作物が実る畑に亡骸が転がり、整えられた道は音を立てて崩れ去っていく。誰もが悲しみを失念の彼方に追いやって、あてもない憎悪の下で存分に殺し合う。
私たち英雄もその凶行を止めようとしたが、叶わなかった。
ヒトに与し、ヒトによるポケモンの支配を望む“新世主義”と、ポケモンの自由を尊重し、彼らに味方する“原理主義”に分裂を起こし、またしても武器を持ってしまった。
私もそうだった。原理主義へと傾倒し、新世主義へと仇成した。
『あの頃は、それが正しいと考えていた』
皆が次々と他者を手にかけていくのを見て、もう昨日に帰れないと思った。
彼らという花を散らした黄昏には、もう戻れないと確信した。
鮮血にまみれた闇に入る。明けを知らぬ宵が来た。
愛した者が、物凄い形相と共に襲い掛かってくる。
同じ明日を見た者の身を、真っ二つに切り裂く。
続いていく「奪った」「奪い返した」の連鎖。
何体もの同胞が私を庇って死んだ。幾人もの同族が私を憎んで潰えた。
『……覚めない悪夢を、見ているようだったよ』
さらに何十年と経ち――この耳朶が嘆きしか捉えてくれなくなった頃だろうか。
「どちらにも属さず、奇跡で争いを止めて不戦を呼びかけ続けていたラフエルが、とうとう
「――破滅の、光」
「そうだ」
アリエラの手が指すは、原典の例のシーン。
『繰り返される悲劇に心を痛めたラフエルは、レシラムとゼクロムを伴い、総てを滅ぼさんとする破壊者となった』
太陽が、黒太陽と化した瞬間である。
真実神の炎剣で人々を焦がして、理想神の雷槍で獣を焼き払った。
燃え盛る世界の中で、ラフエルは言った。
『この争いは、民に叶わぬ夢を見せた我が咎である』
と。
『なれば、我が手で終わらせてやるのが務めであろう』
と。
彼にとってはポケモンもヒトも、もはや関係なかった。
目に入る全てを消し去って、世界を真っ新にしようとしていたのだから。
我らは、憤怒に身を委ねて悉くを壊していくラフエルを見てなお、戦争を続けることは出来なかった。
それはそうだろう。望む明日を掴むために今日を切り捨てているというのに、明日そのものが失くなってしまっては、戦う意味が消える。
気が付けば、我らは同じ方を向いていた。暗い空に佇む破壊神、ラフエルの方を。
そして敵、味方という理屈も廃れていた。
そこにいるのは、ただ“何でもない明日”を掴み取ろうとする、民草たちだけであった。
『七人の英雄は再び寄り集まり、残る全てのヒトとポケモンを率いて、ラフエルという破滅の光に挑んだ』
皆が一丸となり、一斉に、一方へと突き進んでいく。
何度ぼろぼろになり、転げ、倒れ、仲間が力尽きようとも――太陽を取り戻すため、誰もが明日に向かって叫び、走り続けた。
その時の我らの瞳の輝きは、間違いなく虹の色をしていたと思う。
『やがて私はかつての敵の助けを得て、そして仲間の屍を乗り越え――至ったラフエルの胸を貫いた』
すると蝕まれていた太陽は忽ちに戻って、再び魂たちを照らした。
草木が芽吹き、湖からも血の色が抜けきった。
『そうしてラフエルはレニアの地で崩れ落ち――二体の獣の王と共に“対極の寝床”で眠りについた』
その後、世界には平和が還ってきた。
数多の命を奪った黄昏を抜け、宵の中で共闘し、最後に訪れた暁。
民はそれを数千年と受け継いで、大切にしてくれたのだ――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――以上が、私の知るラフエルの全てになる」
捲り続けた原典のページが、一番最初に戻ってくる。
無音。アリエラが全てを打ち明けた時、誰一人として繋げる言葉が出なかった。
葬られた事実は、それほどまでに余る衝撃だった。
「……何も言えない、か」
特に、カエンにとっては。
「だが案ずるな、セラビムの末裔よ」――神妙な沈黙を打ち破る補足が入る。
「歴史の生き字引として誓って言うが、ラフエルは正真正銘の英雄だ。讃えられるべき対象であることに変わりはない」
「アリエラ、今は慰める時では」
「慰めではない。事実として言った」
遮るコスモスを一瞥してから、面と向かったカエンへと核心を紡ぐ。
「ラフエルはな……この結末を見越して、敢えて魔王となったのだ」
「……わざと、ってことか? でも、なんでそんなこと、わかるんだ」
「――今際の際にな」
竜骨の剣で、ラフエルの躰を貫いた時。返り血を浴びながら、彼の者の顔を間近にした時。
『有難う、アリエラ』
穏やかな声が、聞こえた。
「静かに、笑っていたのだ」
それはいつまでも、どこまでも――。
「『永遠の楽園を作りたい』という夢を語っていた時と、同じ面をしていたのだ」
復活した今でさえ、脳裏で残響し続けている。
「――どこまでも、ふざけた奴だった」
ラフエルは、希望を諦めたのではなかった。
自ら世界を脅かす巨悪を買って出て、全てを一つにしようとしたのだ。
「確かに、命を奪った。誉れあるやり方ではない」
最後まで民を想い続け、温かい夢を見ながら死んだのだ。
「だが過去を悲しんで立ち上がり、現在を奔走して希望となり、未来のために泥を被って贄となった存在を――英雄と云わずして、何と表せようか」
彼女にとって、偽ってでも栄光を伝えたいと思うほどに、偉大な男だったのだ。
コスモスが横顔から覗くその微笑は、どうしようもないくらい寂しく映った。
「正史をエイレムに閉じ込めたのは、それが理由ですか?」
「『も、ある』というだけだ。終生ほらを吹き続けるのだ、一時の感情に任せて下せる決断ではあるまい」
「であるならば、何故……」
「私はラフエルが生涯を賭して得た楽園を、永らえさせようとした。その時、考えたのだ」
未来にどんな記憶を残すべきなのだろうか、と。
「えてして民は、歴史に倣いがちだ。そこに英雄がいたらばそれを目指す者が現れるし、神がいたらばそれを信ずる宗教が出来上がる」
視線を、カエンからステラへ。
「『呪いの記憶、故に隠してくれ』と頼めば――律儀に聞き入れてくれる」
そしてコスモスへ。
「これが答えであろう」アリエラはそう言って、ステラが持ち込んだ外典を手に取り、ぱらぱらと項を走らせて流し読みする。
「争えば滅ぶ絶望ではなく、平穏を守り抜いた希望に、語り継ぐ必要を見出した」
「だからあなたという“月”は、夜明けと共に消えた」
「左様……邪神による悲劇より、英雄による活劇を以て、後世の民を導きたかったのだ」
これが、全ての真相。
ラフエルという大地の成り立ちであり、英雄の軌跡であり、歴史を葬りし者の思いの丈。
「これから、どうする。先ほど『行動を起こす』と言っていたが、その具体的な意図はなんだ」
だが、まだだ。まだ聞き忘れがある。
二指で持ち上げられたカイドウの眼鏡は、女傑を逃さなかった。そういえば、といった風に傾く皆の耳へ、答えが流れ込む。
「……テルス山に赴き、今のラフエルの声を聞く」
「なんと。古代人は、死人の声も聞けるのですか」
「可能だ。“虹の道”があるのならば」
八人中八人、誰もが聞き慣れない言葉であったが、思い当たる表現『虹』さえあれば、彼女が話さんとしていることは労せず理解出来た。
ラフエル大陸の地底に流れるエネルギー『Reオーラ』の事を指しているのだろう。
生物の秘めたる力を解放し、時に傷を癒し、損壊した物すら復元する、とかく魔法のような現象を引き起こす未知の物質だ。
「アレはラフエルが持っていた異能“奇跡”が、肉体という器から漏れ出たモノだ」
言及しようとした事が、先立って話される。
「……要は、昔にラフエルが使ってた特殊な力、ってことか?」
「そうなる。ラフエルの地を媒介し、必要な時に必要な分だけお前達に流れ込んで、貸し出されている状態だ。魔術のようなもの故、ある程度の条件は求められるが……その魂を限定的に復活させることならば、容易だ。そして甦った彼奴は虹の道を通じ、今日までの道程を余さず知るだろう」
そこで、彼にその胸中を問う。アリエラはそう言った。
「聞くに世界は、未だ絡み付く因果に囚われているそうだな」
少し息を詰まらせた後、こうも言った。
「“バラル”という存在が、憎しみの種を振り撒いている。だから相容れない世界は、終わりなく続いている」
うんともすんとも、返らない。
何よりも、誰よりも返しようがない。
深い因縁で悪意と結ばれている、彼らだからこそ。逃げられないほどに繰り返した激闘が、脳裏にこびりついているからこそ。
無責任に「大丈夫」だなんて、間違っても吐ける訳がない。
「もしもラフエルが、今を『過ちだ』と嘆き、嘗ての行いを悔いたのなら」
次いで出てくる言葉など、とうにわかっていた。
本当は止めなくちゃならない。言わせてはいけない。それでも。
「――私は今度こそ、世界を終わらせようと思う」
民を考え抜いた果ての、重く苦しい決意が込もった口を塞ぐ術など――どこにもあるはずがなかった。
「おいおいおい……ラフエルの守り手の前で堂々と世界破壊宣言ってか。参ったぜ……スケールがデカすぎて、どうすりゃいいかわかんねーよ」
あーあ、言っちゃったよ。頬をぼりぼりと掻きながら、そんな顔。さしものランタナの軽口も引き攣り、ぎこちない。
彼のこんな姿は、同僚たちが見る中でも初めてのもので。
「お待ちください、月の英雄。どうか怒りを収め、今一度我々に温情を……!」
「怒りなど、ない。お前たちへの温情を絶やしたことだって、一度たりともない」
「では、どうして!」
「愛ゆえに、だ」
アリエラは哀しみを抱えるステラと同じ相好をして、伏目で繋げる。
「過ぎ去りし日々の果てに平穏など無いというなら、ただ辛く苦しいだけであろう。……元は我々が始めた物語、終わりも我々で齎してやるのが道理だろうて」
「そんな……!」
ドン。その時、卓上の全てが揺れた。
「……なんで、そうなるんだよ」
カエンだった。立ち上がって、ぐっと目を閉じ、垂れたを首をゆっくり振る。
「セラビムの末裔……」
「……ラフエルは、やっぱりすげー英雄だって思ったよ。アリエラだってつらいなって思った。――でも、ほろぼすのは違うだろ!?」
それは、目一杯の叫び。誰もが絶句する中でただ一つ上がる、現在に息吹く勇者の熱。
「あくまでも可能性の話をしている。何も、最初から消そうというわけではない」
「そういう話をしてるんじゃない! どうして自分のしてきたことを、そんな簡単になかったことにできるんだ、って言ってる!」
月の英雄は世を救った。そして、民の存続を願った。
その物語は決して美談と言えずとも、知る者の夢になったろうし、光にもなったろう。憧憬さえ抱かせたのかもしれない。
信じて進み続けた英傑の
魂を燃やした証憑――即ち己の行いを否定する行為を、少年の中の英雄は「許されざる」と糾弾するのだ。
「誇れよ、おまえだって英雄だ……だから今があるんだ! それでいいだろ!?」
「繰り返すぞ、カエン。始めたのは私だ。なればこそ、思案を止めることは冒涜に値する」
「託せよ! なんでみんなを信じてやれないんだ!」
「――信じてやれぬのは、お前の方なのではないか?」
「……!」
刹那、視線の奥が揺らぐ。震えた唇が咄嗟に返事を探した。
見つからないままでいるうち、あれよあれよと白百合色の手が頬の傷に伸びていく。
女傑は息を詰まらせる様を見て、確信に至る。
「……違うな。お前の眼は紛れもない虹の担い手のそれ――大英雄の面影そのもの。お前は寧ろ人を信じられる、温かく優しい子だ。誰かの気持ちになって、笑って泣いてをしてやれる」
そっと一撫でする優しさに反してつつく、さらなる図星。
「それ故に、お前は考えているのではないか」
「……っ、やめろ!!」
『もし自分がラフエルだったなら』と。
「哀しみを抱かずにいられる自信がない」
「ちがう!」
「『それでも』と言い続けられる確信が持てない」
「そんなこと、ない!」
「先人の意志を改めることに、迷いがあるのではないか」
「……おれは……っ」
「~~~~~~っ!!」そうして慈悲で苦しむ顔を掌から解放すると、少年はもがくようにして己の頭を掻きむしった。
「カエンくん」向かいの席で一声かけるコスモス。さりとてそれで取り戻した理性など、推測するまでもなく脆くって。
くたくたになった身を再び椅子に座らせ、項垂れる。
「……おまえの言うとおり、世界はかなしいことばっかりだ」
肯定なんて、したくなかった。
「……くるしいよ。つらいよ」
けれども“英雄になる夢”を夢で終わらせないためには。大人の笑い種で済ませないためには。
世界と向き合わなければいけない。真実を背負わなければならない。
「生きていたくないやつだって、きっといっぱいいる」
偉物は耳にたこが出来るほど言う。
『理想だけで夢は語れぬ』と。
「――雪解けの日の被害者をテレビでみたとき、なみだが止まらなかった」
そんなこと、カエンはとっくにわかっていた。
ラフエルよりも、ずっとずっと世界を見ている自負があるから。
「『じぶんがもしそうなったら』って思うと……息がくるしくなった。胸が締めつけられるみたいに、痛くなった。変になっちゃいそうだった」
本当は、綺麗なのがいいんだ。
だからどんなに汚れてしまっても、綺麗事を謳い続ける。
「でもな、一生懸命やってるやつだっているんだよ。かなしいだけじゃ、ないんだよ」
平和なのが、一番なんだ。
だからどこまで馬鹿にされようと、平和呆けして笑顔を湛え続ける。
「だから、おねがいだから……『消す』なんてこと、世界中のみんなのことばみたいに、いわないでくれ……」
カエンはいつだって、人一倍世界の惨たらしさと対面してきた。
今なお疼く傷だらけの胸も、零れて止まぬ涙も、そうやって得たものだ。
だからこそ、簡単に捨てられる訳がない。
止めねばならないと思った。
たとえ後ろ髪を引かれ、嘗てから過ちだと否定されようとも。
先祖の意向に、背くことになってしまおうとも。
――対話を臆してしまうほどに、彼の言い分に理解が及ぼうとも。
「それでもおまえが、ぜんぶを壊すっていうなら――――おれは、おまえと戦わなくちゃいけない」
血の運命を断ち切って、躊躇いを噛み潰して、飲み込んで、涙拭って。
当代の英雄は今を守るため、アリエラへと向き直った。
「……争う気はない。お前たちにこれを話したのも、我が決意の表明に過ぎん。協力を強いる気もなければ、邪魔をするなとも言わん。ただ、罷り通るのみだ」
双方にとって譲れないものが明確になった瞬間に生まれる、特有のどん詰まり。それは話し合うことがなくなった証明でもあって。
周囲を巻き込み、居心地の悪さを煽る沈黙。
――出来立てのそれを破壊する轟音が、一つ。
一手に倒れてしまいそうな衝撃であった。
地鳴りのような響きを引き連れて発生したそれは、間近――庭での異常事態を伝えるのに、十分で。
「コスモス、様……お逃げを……」
「皆さん……!」
駆け付けたコスモスは、いや、九人は愕然とした。
警備も兼ねるメイド達が、手持ちポケモンと共に負傷し倒れていたのだ。
駆け寄った一人が震える指で示した先に、敵はいた。
山すら崩すと云われし巨体を持つ砂塵の怪獣『バンギラス』及び、人魂を食い荒らす伝承がある亡霊『ゲンガー』。
荒れた大地の上でけたたましい咆哮が上がる。
「ブロンソ」人の家での斯様な悠長、主が許すはずもない。執事に救護を任せるのと同時に、コスモスは“ガブリアス”を呼んでいた。
「……サワムラー」
「ユキメノコ、頼む!」
ステラが執事の補佐に駆け出す。アサツキとユキナリが加勢する。
「“シャドーボール”、ゲンガーだ!」
練り上げた附子色の球を打ち出すユキメノコ。
鋭く響く隣の笛の音は、彼女に合わせての突撃を指図。サワムラーは足に炎を纏わせる技“ブレイズキック”を見舞わんと、シャドーボールと共に前進する。
「当たった!」
亡霊は影の弾丸をかわしきれなかった。半身が綺麗な丸型に穿たれ、欠け落ちる。
ここで決着だが、念には念だ。右の飛び蹴りで続くサワムラー。
「――“おにび”」
確かに正解だった。周到さまでは。
「!?」
『シ、シェヤァーーーーッ!!』
ゲンガーの残骸は己を侵した肉体に忽ち絡みつき、やがて消えぬ火と化して闘士の全身を蝕んだ。
かくとうタイプを殺すに力は要らぬ。ただそこに火傷があるのなら。
『ゲェーーヒヒヒヒヒヒ!!!!』のたうち回るサワムラーを嘲る笑い声。
「初めから幻影だったのに」と底意地の悪い種明かし。
「くそっ、どこに……!」
「遅い」
「何――ッ!!」
女の声が鼓膜に至る頃、既にゲンガーはユキメノコの背後にいた。
ぬるりとその影から沸き出るやいなや、零距離のシャドーボール。瞭然たる決着で。
『早く、片付けなくては』
ガブリアスをバンギラスへと向けていたコスモスは、“げきりん”の四文字を発して極めに入る。
“がんせきふうじ”でバランス崩した躰に差し込む一撃。
「“すてみタックル”」
「!」
そんな勝ちを確信したところで、忌むべき横槍が地竜をふき飛ばした。
空からの鮮やかな特攻。そのポケモンは荒々しいはずなのに、美しく繊細な攻撃だった。
戦場を汚さず、侵さず、ただ目標のみを、風と共に正確無比に狙い打った。
「――すまない、手荒な真似を許してほしい」
正体は飛竜“ボーマンダ”であった。
暫し転げて立ち上がった地竜は抗うように天を睨み、風に吹かれる竜姫は横髪をおさえて静かに仰ぎ見た。
「次から次へと、今度はなんだってんだ……!?」
「はて……少なくとも、バラルではないようです」
必要以上に吠えない、堂々たる竜の気品を知っている。
多くを見せない、伝説じみた竜の神秘を知っている。
「……もしかすると、バラルの方がまだましだったのやも、しれません」
これは紛うことなき、竜の一族が育みし戦士――。
「僕たちは、戦いに来たのではない。ただ、同行を求めようと訪れただけだ」
足元に影がかかる。甲高い音が、上空から近づいてくる。付随して緑は波打って、無作法が過ぎる闖入者を迎え入れた。
「よもや、とは思っていたが」
「……何故、あなた達が出張るのですか」
飛行艇が全員の目に入った頃。相手の正体が明確になった時。
「――四天王」
ボーマンダはゆっくりと降り立った。
「八人のジムリーダー、及び月の英雄『アリエラ』――君たちをポケモンリーグ本部の命により、連行する」
その背に立つラフエルチャンピオン――“グレイ”を、誇るようにして。