ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~ 作:裏腹
そこは、八つ英雄の輝きを受け継ぎし者だけが至れる地。
ポケモンと向き合い、世を駆け抜け、鮮やかな足跡を刻みし人だけが辿り着ける地。
民はラフエル亡き後も尚、その英雄の希望にあやからんとした。
彼の者の生き様をなぞるようにラフエルを巡り、最後に開拓された地『ネオラの高原』にて、ポケモンバトルを以て頂点を決める。
“神話の再現”という、ますますの繁栄と平和を願う儀式であり、盛大な
「こちらです」
ルシエの向こうの、チャンピオンロードを抜けた先にある、荘厳且つ堆い白の建物。それはまるで城のような、或いは神殿のような様相を呈して、訪れる者達を見下ろしていた。
周りには、何もない。離れに有事で持ち出す飛行艇の格納庫こそあるが……人の気配はまるで感じない。
ただ景観を気にした花々と石像だけが、一本道の両脇に佇んでいる。それだけ。
光が差す。空気がひりつく。ひたすらに静寂。人を突き放す冷たさにも見えるし、最後の試練を見守る温かさにも思える。
職員のエリートトレーナーに導かれるまま、入り口の前に立った。すると、重々しい音と共に開いていく二枚扉。
完全に開ききる前に通過するのは、きっと無意識的な余裕の無さなのだろう。
「ようこそ、歓迎するぜ」
その日、九人はラフエルポケモンリーグへと召集された。
広大なエントランスにて鳴り響くは、少し高い、若さが残った男の声。
「……って、そんな雰囲気でもねぇか。ったくよ、雁首揃えて辛気臭ぇツラしやがって……」
四つの人影は、同じ数だけある長い階段を降りて、おもむろに彼らの元へと近づいてくる。
「仕方ないよ、アドニス。これから彼らは叱られるんだから。僕も笑わせてあげたいけれど、残念ながらここでの笑顔は似つかわしくない」
――凄まじい威圧感だった。
「叱る、か。罰を与える行為にしては、些か甘い言い回しな気もするがな……」
ジムトレーナーをもってしても、身構えずにはいられない。
「まあまあ、久しぶりの顔合わせなんだから……そんなにぴりつかないでいきましょうよ」
気配を手放しで受け入れる事が叶わない。
コツコツ、という全ての足音が止んだ時――四人の王“四天王”は勢揃いし、八人の英雄と相対した。
「説明はすっ飛ばすぜ、時間が惜しいからよ」
スポーツサングラスを頭に掛け、長袖インナーと半袖を重ね着する、いかにもといった風貌のアスリート『アドニス』は言った。
「必要もない。何故こうなったかがわからぬほど、お前達とて愚かではあるまい」
言葉を引き継ぐは、胸上から首元までがレースになったノースリーブ、及びレザーレギンスという風変わりな格好が特徴の女。名を『サーシス』。フープピアスが赤く煌めいている。
「きっかけはルシエの防犯カメラ。彼女同様に隠匿された歴史を知る“彼”がそれを見た時、声を上げた。僕たちも最初は信じられなかったけれど……何にしたって最後まで、何が起こるかわからない。それが世の常だ」
中性的な体型をした
「ごめんね、こわい事ばっかり言っちゃって……そういうつもりじゃないの。少しお話を聞かせてほしいだけなんだ」
子供へ優しく言い聞かせるように伝えるのは、彼女が人を教える立場にあるからだろうか。アイボリーのスーツを纏う、赤い眼鏡の小柄な女性『ハルシャ』は唯一、九人へ柔和に笑いかける。
はたと目が合った顔見知り……カイドウへとひらひら手を振るのは、マイペースの表れか。当の賢者は渋そうな面持ちで視線を逸らした。
「本当に、最初は驚いた。まさか月の英雄が復活するなんて」
最後の声は、九人の後ろから。それは場にいる全員を釘付けにした。
遅れてリーグの扉を潜る、銀髪の男。
英雄と、ジムリーダーと、四天王――最後に覇者『グレイ』が加わり、討論の場は完成の瞬間を迎える。
「そして、君がそれを隠し立てるなんて思わなかったよ」
「コスモス」グレイは、少しつつけば壊れてしまいそうな、そんな儚げな瞳から伸びる視線を従妹に向けた。
「事実の秘匿や、良い。まして英雄の民が代々守ってきたものを、我らが今更明かせと咎める筋はあるまいよ」
「問題はその後だね。復活を黙っていたのはどうしてだい?」
「前代未聞のこと故、慎重さと冷静さが必要だったのです。ただでさえバラル団で揺らぐこの世情、さらなる混乱を生む訳にはいかないと判断しました」
「であろうな。最もだ」
そうだろう。言う通りだろう。
しかし納得しない腕組みは、まだ言い分がある証明で。
「が、神話を丁重に取り扱うのは、何もお前達だけではない。寧ろ民と伝承の仲立ちとして、我らほどの適役はおらぬはずだ」
「まぁ要するにだ。何か一言ぐらいくれても良かったんじゃねえか――って、俺らは思ってるワケだ」
「迂愚であったぞ、不落の飛竜よ」
お詫びします。出かかったその言葉は何も言わないのと変わらないので、大人しく引っ込める。
「私たちは、これからどうなりますか」
代わりに図太く発するは、すぐにでも返答が成り立ちそうな疑問。
サーシスの目くばせを受けると、
「協会が言うには、ここで事情説明をしてもらう」
ほどなくしてグレイが開口した。本人たちが乗り気かどうかは別にして、どうやら彼らの一存ではないような言い様であった。
「事実上の拘束になるけど……一晩経てば解放するし、君たちが僕らにとって大切な仲間であることに変わりはない。おかしなことをしなければ、自由と安全は保証する」
裏を返せば、話はその段階にまで到達している、ということでもあって。
「でも――」
次の瞬間、それは明確な形となった。
「っ!?」
「月の英雄、あなたは別だ」
誰もが後ろのグレイに注意を引かれていたから、背中を越えてくるモンスターボールには気付けなかった。
無論、アリエラでさえも。
アドニスの手元から突如として頭上に投げ込まれたそれは、燐光をばら撒いて“エレキブル”を解き放つ。
一瞬の出来事だ。一八〇センチメートルにもなる巨体は、稲妻よろしく天井の照明と共に降り注ぐと、属性に違わぬ早業で女傑を組み伏せる。
吃驚したじろぐ周囲を押し退け、進むやり取り。
「ぐ、何をするか……っ!」
「どうか、先祖への不敬を許してほしい」
「……!」
「余計な真似をするなと言ったぞ、コスモス」
少女がボールを持った途端、影からぬるりと伸びる紫色の魔物。
「動くな」そう言わんばかりに、ゲンガーはコスモスの間近でシャドーボールを温めていた。
「話が見えません、詳しく説明してください」
「アリエラをここで捕え、明日、ラフエル政府に引き渡す。協会の決定事項だ」
「真の歴史を公にするつもりですか」
「それを判断するために、彼女を国へ委ねるのだと思う」
「私は、あなたの言葉を聞いています」
「……少なくとも、
暫く黙りこくってから、避けていた正論を言う。
「彼女の復活は、あまりにイレギュラーすぎた。それに彼女を政府に預けるのは、もう一つ理由がある」
「バラル団ですか」
滞りなく辿り着く明察は、別の人物からさらなる言葉を引き出した。
「カイドウくん、君なら知ってるでしょ? ここ数日、地底のReオーラの流動に乱れが生じているのを」
「……既にCeReSで観測されていたし、関連付けるつもりはあった。しかし確証がなかった」
「そりゃ、私だってないよ。でも彼らがアリエラを狙ったこと、テルス山に出入りしていたこと、襲撃された町を地図上の線で結べば、丁度テルス山を囲う形になること――状況証拠としては十分じゃない?」
ハルシャの推論にはっ、とするカイドウ。
左脳を多く働かせがちな彼にあっては、右脳を限界まで働かせた図形でのアプローチなど、まったくの盲点であった。
思えば、彼女はいつもそうだった。自分のエスパータイプ使いの適性を見出したし、ミラクルアイを用いて情報共有と演算処理を行いながら展開するバトルスタイルも考案した。どれもこれも、誰一人として至れなかった結論だ。
必ず皆が気付かないことを、最速で敏く捉えていく。
カイドウとベクトルは違えど、ハルシャもまた“天才”というカテゴリに括られる人物であった。
「Reオーラの乱れと、バラル団の活発化、そして月の英雄の復活――同タイミングで起こっているこの三つの出来事は、きっと無関係じゃない」
不穏であるが、言う他にない。
「恐らくバラル団は、近々また大きな事件を起こす」
点と点が繋がった先で出る解は、世界規模の危機。
ジムリーダーとしての自分を作った。
カイドウは身をもってこれまでの実績を知るからこそ、彼女の仮定を『何でもない凡人の憶測』と否むことが出来なかった。
されども「待ってください」とコスモスが食い下がるのは、先祖への尊重があるからに他ならない。
「彼女は『果たしたい事がある』と仰っていました。せめて身を封じるのは、その後にすることは出来ませんか」
「事は一刻を争うんだ。例えば今ここに混沌の使者が現れ、彼女を攫っていかないだなんて誰が約束できるんだい?」
「……それは」
「ああ、できないよね、できないとも。その沈黙は不格好。金や銀はおろか、胴ですらない。貴金属にも満たぬアルミさ」
即ち、感情の先走りの表われだ。竜姫の威厳が泣いている。
らしくもない振る舞いと諫められても、退かない。何故なら百も承知している。
「そもそも、彼女は今という時代にあってはならない存在だ。本来その悉くに干渉するべきでない」
だがそうではない。そういう事ではない。
自分のことでなくとも、その腕をどいてほしいと思う。乱暴をやめてくれ、と願う。
たかだか一日のことでも、彼女は誰より英雄の真心に触れたからして、知っている。
「未来を作ったのにね……皮肉なものさ。一定の保証がなければ権利もない。だから」
「“でんじは”だ」
「ッ、くあぁっ!!」
「こんな仕打ちを受けても文句は言えない」
「コスモス!」
少女はアリエラが蹂躙される光景へと、球体を構えた。
「怪我で済むのならば、痛み分けです。ジムの留守はあなた達にお任せします」
「貴様……!」
語気を強めたサーシスの威圧に、毅然と立ち向かう。
祖先だろうが英雄だろうが、関係ない。
彼の者は笑い、悲しむ。疑問を持つ。苦悩する。夢を見て歩み、誰かを尊んで愛する。その存在は自分たちと全く同じで、何ら変わらず『生きている』のだ。
であるならば、蔑ろにされていいはずがないだろう。いくら四天王と言えども、目下の蛮行は否定に値する。
「コスモス、待つんだ!」「落ち着いて下さい!」
同僚達が制止を試みる間にも、膨れていくシャドーボール。彼女がポケモンをリリースした瞬間に放つつもりだと、容易に理解が及ぶ。
だが当人は一切の躊躇なく、振りかぶった。亡霊が笑って舌を出す。紫電が迸り、立て続けに切り落とされる火蓋。
「決まりだね」
もう止まらない、止められない。
「“ブレイブバード”」
しかし開幕を告げたのは、彼女ではなかった。
駆け抜ける閃光と、赤茶の羽毛。疾風が引き連れる甲高い叫びは叛逆の一翼となりて、盛大にゲンガーを弾き飛ばす。
「……何のつもりかな。君は、本来止めるべき人のはずなんだけど」
「偉そうに決めんなよ、俺の
ランタナは不明瞭が組み立てる不気味を一蹴し、コスモスの前へ出た。
「ランタナさん……!」
「黙って聞いてりゃ、どいつもこいつも好き勝手喚き散らしやがって」
顎を上げたまま四天王へと向ける、鋭い下目。
ばたばたと低い空を叩きながら留まるファイアローの傍らで佇む彼は、今「実に気に入らない」と考えている。そういう表情をしている。
「自由な翼、よもやとは思ったが……貴様も気が触れたか」
「冗談よせよ、とち狂ってんのはどっちだ? 力で他者を思い通りにするなんざ、天下のポケモンリーグ様がやることか、ええ?」
煽るように傾げた首を回し、横目でグレイを瞥見。静観ばかりで物言わなかったので、向き直った。
さぞ意外な真似だったろう。故にこそ出し抜けの一撃を防げなかったのだが、サザンカだけはよく理解していて。
元来、ジムリーダーとは個性の塊だ。眼前の旅人にあっては、自由を求めて飛び続ける。不自由を嫌い束縛を振りほどく。その流儀を故意的に侵害すれば、どうなるかなど――想像するまでもない。
「くどいぞ。アリエラは特別だと言っておろうが」
「カンケーないね。英雄だか何だか知らねえがな、どこのどいつだろうと、ちゃんと歩ける手前の足ってもんがあんだよ。だったらいつだって、行き先は手前で決めるもんだろうが」
「自由と無法を履き違えた
「オーライ、あんたらの道案内は要らねえよ!」
応酬の果て、サーシスが取り出した水晶玉に映る二重螺旋は、ゲンガーと反応してぎらんと輝いた。
浮足立った影は少しずつ形を変えて、エネルギーの大波を立てる。周囲を震わす音を以て教える、明確な実力行使の意。
眼前で巻き起こる強敵のメガシンカに、誰もが身構えた。
「――待て」
そうやって虹の繭が編み込まれていく映像を、一時停止させたのは誰だったろうか。
少なくとも、予想していない相手だったに違いない。
コスモスが、
「何故……」
と問うてしまうくらいには。
凄まじい気迫がこもった英雄の一声に、誰もが黙り込んだ。そして漸く己の言葉が伝わる状況になった頃、アリエラは重々しく呟いた。
「……連れて行くが良い。無益な争いだ」
「アリエラ」静寂の中、消え入りそうなまま立ち上がる輪郭へ向く呼び声には、色んな意味が込められている。
なんで抵抗をやめてしまうんだ、とか。
どうしてそんなにも侘しげな顔をしているんだ、とか。
一体どんな立派な道理があって、今日までの望みを真白にできるんだ――とか。
「私のためにお前たちが傷付け合うのは、本意ではない」
かすりもしない視線の先で返る、答えにならない答え。息苦しそうに沈んだ意気。
とてもなあなあで、本当にその場しのぎで、あまりに粗末で、雑で。納得なんてするはずなくて。
「おい……、待てよ」
「政府の迎えが到着するのは明朝。それまでの間、身柄は地下で預かる。構わんな?」
「無論だ」
「利口だな……連れていけ」
「おい!!」
エレキブルが戻っていく。
続けて行われる職員二人による後ろ手の拘束を、大人しく受け入れた。
ガチャガチャと鳴る手錠の無機質は残酷でいて、冷たい。ランタナの引き止め虚しく、アリエラの自由はたやすく奪われる。
「なあアリエラ! 悔しくねえのか、あんた!」
「待つんだ、ランタナ……ッ!」
ユキナリとサザンカが飛び出しかけた躰を押さえ込む。
「俺は馬鹿だから、何が正しいかなんてのはわからねえよ! でも、あんたがやりてえことをやらせてもらえねえまま、消えちまおうとしてる! そいつははっきりとわかる!」
「ランタナさん、少し落ち着きましょう」
「いいのかそれで? おかしいだろ! 頼んでもねえ不自由を強いられてんだぞ!? もっと声出せよ! 暴れろよ!」
「――民が、民なりに」
今でも、想っているよ。
行き場のなくなった慈悲が、頭をもたげた後にそう言った。
「未来を思い描いて『お前の手は要らぬ』と先を目指すなら――それもまた、一つの答えなのだろう。拒むことはせん」
押し付けがましくてうんざりするほど大きい、受け取り手が不在の愛も。
どこにも行けなくなるほど重たくて、却って全てを潰してしまいそうになる願いも。
アリエラは何一つ捨てていない。ちゃんと持っている。相も変わらず抱き締め続けている。
「何故なら私たちは、お前たちのために戦ったのだから」
故にこそ手放すのだ、
未来へ繋いだ種が、明確な意思を持ち合わせて「消えろ」と示すなら。それもまた一つの行き先だと説くのなら。
もはや己が案ずる余地はない。憂う意味も、在る必要だって。だから――。
「ここまで、だ」
だから翼をもがれて、鳥籠に囚われる。
別れの言葉が、寂しく響いた。
あまりに呆気ない終わりだろう。そうだろう。
「短くはあったが――、有意義な時間であった」
止められるのならば、止めたい。
自由を掲げる旅人だって。
「人を知り、文明に触れ……今なお強く、そして優しく生きる英雄の面影を拝むことが出来た。十分だとも」
迷子のように、掌を揺らがせる勇者だって。
「コスモスよ」
「はい」
「数々の献身、感謝するぞ。ありがとう」
「……はい」
――共に優しさについて語らった少女は、誰よりも。
「次に訪れる時、水族館がさらに広くなっていることを願おう」
だが叶わない、果たせない。
「メリーゴーランドにもう一度乗れなかったのは、心残りであるが……忘れた頃にでも同じことが起こった折は、連れて行ってくれ」
いくら声が震えて、耳朶に絡みつこうと。
「あとは――――またソフトクリームを食べたい、な」
振り返る笑顔が、どんなに痛々しかろうと。
「善いのだ」と残して、淡くなって。
透けるように彼方へ去っていくのなら――誰も、止められないじゃないか。
「ああ……悪いことばかりではない。誇れることだって沢山あった」
物分かりの悪い子供が見る夢のような、そんな理想を掲げる馬鹿者がいた。
「どうか大切にして、生きてくれ」
ただ、それだけの話。
何でもない、ちょっと変わった日常の話。
「――さらばだ」
月の英雄は、また嘘をついた。少女が過ごしたとある一日を青に閉じ込め、なかったことにした。
連れられて遠ざかる背中が、自分の世界から消失する。
隔たるステンドグラスの光の向こうで、最後にパウダーブルーを見た。
秋雨のような、くすんだ青。濡れて滲んだ、哀しい青。
それは筆舌に尽くし難いほど綺麗なはずなのに、どこまでも、いつまでも、コスモスの胸を締め付けていた。
『待って』――そんな簡単な事すら、言えなかった。
「クソッタレ!!」
ランタナが叩く客間の壁。どうやらそれは頑丈らしい。ドン、と怒号を発しただけで、破れることもなかった。
残された八人は、ここで一夜を過ごせと命じられた。
その時、彼らは銘々に、それぞれの考えを
戸惑う者に、抗う者。迷う者、ひとまず静観を決め込む者に、無関心でいる者。
ランタナの「これからどうする」という宛先のない言葉に、無関心――カイドウは、淡白に返した。
「どうするもこうするも、ない。こうなってしまえば国を左右する事態だ、俺達の領分ではない」
「だったら、あいつを見放せってのか」
「見放すのではない。委ねるのだ」
「身動き封じられて屈服する様を、良い子ちゃんぶって黙って受け入れるだけだろ」
どこまでいっても気に入らない。
「大層なこと言ってんじゃねえや」ぐつぐつと腹の底が煮える勢いのまま、カイドウが向き合うテーブルを叩く。
賢者は手元から聞こえた大きな音で、ノートを埋める手を止めた。
熱くなる一方の旅人を見かねて止めようとしたステラだったが、
「――もしもラフエルが、本当に世界に悔恨しか残していなかったとしたら?」
カイドウはそれよりも早くに、口を開く。
誰もが脳裏にちらついていたことだ。へばりついて仕方がなかった。
同時に彼女をしがらみの向こうへと送り出してしまった、唯一にして最大の不安要素で。
「当然、言い切れない。もしかすると、そうではないのかもしれん。しかし誰が断定できる? どんな材料、基準を以て、奴の真意を量れる?」
正しさだけで、物事は語れない。
それでも今という瞬間は、正しさを目の当たりにしなければいけない。誤った時に贖うものが、あまりに大きすぎるから。
「出来るはずもない。当人のことは当人にしか知り得ん、それは全時代共通の真理だ」
言霊をせき止めるランタナ。口裏で歯噛みをするのは、ちゃんと理解している証拠。
「『きっとそうだろう』『恐らくこうだろう』――仮説を立てることはいくらでも可能だろう。しかしそれだけで動くのは、無責任になる。俺達というラフエルの守り手……ジムリーダーは、無責任で世界を動かすべきではない」
刃のような正論は、場の誰もを置き去りにしない。引き換えに、他人事にもしない。
「知らぬままの方が、良いこともある。見てみぬふりを決める方が……、救われることもある」
研究者として、吐きたくなかった言の葉だったのかもしれない。
カイドウはいくらか間を置いてから、締めくくった。
それ以降、ランタナは何も応えなかった。ただ排熱の要領で、鼻から息を抜く。そうして肩を落として、ぐったりと倒れ掛かるように座る椅子。
「……理解はするさ。あいつはやると言ったらやる、そういう目をしてる。そんなもんはわかってる」
それでもな、と言う鎖から、続きを手繰り寄せた。
「一人が割を食って得た世界平和が良いものだなんて、俺にゃとても思えねえんだよ……」
「カエン、コスモス、お前らはどうなんだ?」相次ぐ名指しの質問に、少年と少女は同じタイミングで、同じ相好をして振り向く。
共に英雄の民だなんて思えないくらい、情けない佇まいだった。
何も決まらない、どこも見ない、一つとして語らないし、選べない。
そうやって俯くだけでいるのは、答えのない正義に踊り続けている事実からなる、ばつの悪さ故だろうか。
「おれたちは、今を生きてる。だったら今をまもるしか、ない」
「――しかない、ねえ」
どのみち、そんな状態で紡がれた歯切れの悪い言葉に、一体どれだけの力があるのか。
「……しょうがないんだ。だって世界は」
「もういいぞ」
そんなもの、測るまでもない。
「そこにお前はいない……それだけわかりゃ、十分だ」
「……っ……」
「……悪かったな」
どこぞで拾った、月並みの事をそれらしく並べるだけの何でもない少年に、
それならこれ以上訊いても、きっとなじるだけになるから。酷いことをさせてしまうから。
不自由を強いる前に、ランタナは自己を遮った。迷うなら、迷わせたまま。二つに一つを決めろと迫るのは、世界だけでいいだろう。
形骸化した責が、ひたすらに二人を苦しめる。
結局コスモスも、答えあぐねた。
きっとあの中の誰だって、こんな終わり方に納得しているはずがない。
それでも、世界の安寧を取る使命があるのなら――そんな意向でいるのだと、思う。
『彼女を思うけれど、世界が』なのか。
『世界を思うけれど、彼女は』なのか。
あるのはどちら寄りなのか、というところだけ。ぎりぎりのラインで天秤を揺らしていることに変わりはない。
自分も、カエンも。アリエラの「もういい」という言葉を真に受けて諦められたら、或いは「それは違う」となりふり構わず貫ける愚かしさがあれば、どれだけよかっただろうか、なんて考える。
でもそれは英雄のすることではないからして、このような心境になるのは必然だったのであろう。
あとは一つ、ただ一つ。天秤の一方をぐっと押さえ込んで不動のものとし、自分に踏ん切りを付けるものがあれば――と、思うのだが。
容易に見つからないから、こうなっているんだ。気分転換に出た外は、冷たい風を意地悪く送り付けてきた。
遠くの見張りを待たせて、もう数分。
「……英雄というのは、やっぱり偉大ね」
迷うと、つい独り言をいってしまうらしい。
輝く者の資質を、再認識する。思い巡らすほどに立ち眩みしそうになる葛藤をいくつも超えた先で、人々に語られているのだな、と。
『
従兄の言う通りだ。もはや、要されているのはエイレムとしての選択ではない。
この大地に生きる命の、一つとして。ラフエルという虹を形作る、一色として。
世界の行き先を決めようとしている。
起源に今一度、在り方を問うべきか。それとも今は今として、始祖のように嘗てを封印するか。
彼女にしたってカエンにしたって、岐路での足踏みは許されなくて。その若さにはあり余る重さで。
「!」
おかしな顔はしていないはずなのに。コスモスは思わず独白を漏らし、忖度して現れた飛竜、カイリューに驚きを見せる。
モンスターボールからひとりでに出てきた彼女は、甘えるでもなく、叱るでもなく、ただ向き合って片膝をついて、いつものように頭を差し出す。
決して撫でろという訳ではない。ただ忠義を以て伺候する者として『いつでもあなたの味方である』と、最大級の意思表示をしているだけだ。
「……ありがとう。私がこんな時でも、あなたはやっぱり頼もしいのね」
主が撫でたい分には、いいだろう。掌の温もりを享受した。
「カイリュー?」
そのうち近付く気配に、カイリューは目を開ける。
立ち上がる動作がゆっくりなのは、遠くから飛んでくる姿に覚えがあるからに他ならない。
西日を背負って現れたのは、橙色の翼竜――『リザードン』であった。
「わっ」
降り立つやいなや、鳴いて喜びを表現し、コスモスへとすり寄る。体格差があるので主は遊ばれる一方だが、これもまたいつものことなので気にしない。
「あなた……何故ここに」
それよりペットとして家で育てているポケモンが、どうして。
その答えは、今しがた竜の背中から降りた燕尾服の古老が教えてくれた。
「お嬢様と遊びたいと言って、聞かなかったものですから」
「ちょ、困ります! 今コスモス様は、リーグでお預かりしているからして……!」
「ほっほっほ、ご安心を。すぐに帰りますゆえ。聞き分けのないところもありましょうが、どうぞグレイ様にも宜しくお伝えを……」
「子供みたいに言わないで頂戴」
「まったく、しょうがない子なんだから……」ブロンソが駆け寄ってきた見張りと話す間に、戯れる。
首を撫でてやると、ぐるぐると気持ちよさそうに喉を鳴らす甘えん坊。“黒の意志”を受け継ぐ、甘えん坊。
とあるリザードン使いから譲り受けたヒトカゲが、進化したものだ。
この子を見ていると、主たる“彼”を思い出す。特段何という繋がりはない、漠然とした関係なのだが。
されど日々を生きるうちに、ふと頭を過るのだ。
何かをしている時は「今頃何をしているのだろう」と。退屈で仕方がない時は「会いたいな」と。
困ったり、迷ったりした時は、
「――彼は、どうするのかしらね」
と。
あの人の色は、愚直なまでに磨き抜かれた黒だった。
誰にも染まらず、しかして誰をも侵さない。確かな輪郭線を引き、ただそこにあって存在を示し続ける、ひたすらに強い自己。自我。自身。
純然たる輝きは鏡のようにして向き合う者を映し出し、黙してその真価を問い続ける。
苦もなく、難もなく、握るべくして覇権を握る。英雄譚には程遠く、山も谷も落ちもない、勝ち続けるだけの味気の無い自慢話。
それが彼女の人生――
『――“ここ”に聞け』
その筋書きを揺るがしたのは、誰だったろうか。
『納得するまで頭で考えて、それでも口が答えてくれないのなら――あとは“ここ”が知っている』
紛れもない、純黒の彼だ。
『迷った時には思い出せ。きっと役に立つはずだ』
約束された勝利を否定した。分からない
常々寡黙で、何を考えているのかはわからないのだけれど。
彼女にとっての当然が失われ、ぐらついた時。一度だけ饒舌を見せてくれた事がある。
『苦しい時ほど忘れるな。いつでも君を君でいさせてくれる――』
そうだ、あの日の彼は。初めて会った日の、彼は。
「――たった一つの、証明だ」
無意識で口が動いた瞬間、青空からぶわ、と再び風が流れる。
扇がれた銀の向こうで顕になった紫の目は、大きく見開かれていた。
忽ちフィルターが取り払われたかのように視界が透き通って、鮮明になっていく。空気の匂いを感じる。音の味を覚える。
なんだ――。
「……簡単な、ことじゃない」
最後に、意識が完全に澄み渡った時。コスモスは短く唱えて、柔らかく微笑んだ。
もう迷わない。このトンネルから、抜け出したのなら。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夜が更けた。
少しずつ音が離れて、光が遮られる。闇は歓迎され、誰にも邪魔されず悠々とのさばった。
長らく一人で置かれると、孤独感というものが芽生える。もっと手近に言うなら、寂しさというやつだろうか。
英雄とて、例外ではなくて。
モンスターボールの普及率が十分でなかった頃、リーグトレーナーは用の無いポケモン達を此処――地下の檻に閉じ込めていた。無駄な広さがあるのはその名残であろう。
アリエラは面格子を通して差し込む月明かりを浴びて、一人静かにちっぽけな天を見上げる。
「交代だな……」
薄暗さの向こうで、番の職員があくび交じりにごちると、すたすたと檻の前から消えていく。
明けと呼ぶには少し足らない青黒の空に、自分の先を思う。
どうなるのだろう。何をされるのだろう。何を言えばいいのだろう……と。
足音が聞こえてきた。交代の人員だろう。知っているから見ない。背中と封じられた手を、向けたまま。
「また、夜更かし」
「……!」
透明な声は、そうさせてくれなかった。
「コスモス……!?」
思考が追い付かなかった。無理もない、入れ違って現れたのが己の子孫なのだから。
人差し指を己の口に当て「静かに」と言った。
「お前、何をして」
「ずっと、考えていました」
「!」
「私は一体何をすべきなのだろう、と」
コスモスはアリエラを遮り、彼女の当惑も構わずに続けた。
「でも、それがいけなかった。立場に縛られ過ぎていた」
静寂に溶かすように。しかし沈黙を生まないように。
「大事なのは『何がしたいか』――いつだって、そうでした」
決まった心――決心を、言葉に当て嵌めていく。
「覚悟があるのなら。答えを背負う意志があるのなら。誰だって“ここ”に従えばいい――と、思い出したのです」
胸に手を当てる。掌に鼓動が伝わってくる。
自分の意思とは関係なく脈打って、身勝手に生きたいと願い続けて。
「誰もを説き伏せる難しい理屈は必要なかった。解せない言葉を無理に扱う意味などなかった」
誰にも邪魔されない。誰も妨害出来ない。
あるものを、あるだけ、ありのまま。
そうやって存在する
「だから、私は」
――いつだって、皆の正解だ。
バキン。アリエラの自由を妨げる黒鉄が、黄色の飛竜によってぶち壊された。
「“ここ”に従います」
改めて開けた世界で、少女は一言、そういった。
無責任ではない。自分の明日を決めるために。ラフエルの未来を導くために。
「英雄ラフエルと、対話します」
それが、竜姫でもなく、ジムリーダーでもない、ただ一つの命として彼女が出した、混じりけのない答えであった。
「あなたはどうしますか、アリエラ」
コスモスは問う。
「あなたの“ここ”は、なんと言っていますか」
ただ見据えた、その純真に。
「――世界を滅ぼすのかもしれんのだぞ?」
「現代の英雄として、そんなことはさせません。そのための対話です」
「世界の答えを、恐れぬか?」
「知るべきことは、知りたいのです」
「『それでも』と叫び、前へ進めるか?」
「勿論です。でないと私は、自分の明日にすら満足に向き合えません」
アリエラは暫く黙った。
そして微笑んで歩み寄り、答えた。
「……肝が据わっている。さすがは我が末裔だ」
気持ちは一つとして違うことなく、同じで。簡単に諦められる訳がないのだ。
何故なら続けるにしろ、終わるにしろ、彼女はまだ世界の声を聞けていないのだから。何も知れていないのだから。
「――往こう、テルス山へ」
心は言った。
「まだ消えたくない」と。
「答え合わせをしたい」と。
「決まりですね」
カイリューが爪を使ってアリエラの手錠を切り裂くと、丁度のタイミングで見張りが駆けてくる。
「おい貴様ら! 何をして――ッ!」
まずい、と思った瞬間、見張りはどこからともなく現れた人影に腹を殴られ、気絶。
「サザンカさん……!」
「事が起こるならば、そろそろかと思いまして」
「どうして……」
「私も興味があるのです。ラフエルの声というものに」
「それに」達人は意識を奪った男に危険がないよう、彼を壁に寄せながら、続けた。
「誰もが何かを抱いていた。皆さんが大人しく従うとは、初めから考えておりませんよ。……とりわけ彼なんて、最初からわかっていたことではありませんか」
サザンカの肩を越えて現れるのは、予想をまったく裏切らない。
「旅は道連れってな。いい言葉だよなぁ、ほんとさ」
「ランタナさんも……」
さらにもう一人。
「……よう」
「アサツキさんまで……」
職人はヘルメットを少し上げて目を見やすくし、アリエラとじ、と見合った。
もやもやとしたままではいけないので、これから思いの丈を述べるぞ。そういう顔をしている。
「……はっきり言って、オレは何も飲み込めてねえ。世界がどうだとか、英雄がこうだとか、まるで何を話してるかわかんねえ。頭だって追い付かねぇよ」
端的に表現すると、余裕がないということだろう。
「だからオレは、お前のことしか考えてやれない。……お前がお前でいられなくなるなら、たぶんそいつは、オレが止めなきゃいけないことなんだろ」
「お前達……」
それでも、やれることはやりたい。
冷めた態度とは裏腹に温かい彼女もまた、心に素直な人であった。
「まあ、こんなところです」サザンカは四人の会話を締めて、アリエラへと向き直る。
「月の英雄アリエラ、我々はあなたに味方します」
そして彼女を、テルス山へ導くことを誓い立てた。
「……恩に着るぞ」
『アリエラがジムリーダー数人を引き連れ脱走。繰り返す、アリエラがジムリーダー数人を引き連れ脱走。コスモス、ランタナ、アサツキ、サザンカのジムリーダー四名は、彼女の脱走を手引きしていると思われる。発見次第、至急捕えられたし。繰り返す――』
非常警報が鳴り響く。館内放送が急き立てる。
ただごとではないぞと、騒いで回る。
しかし彼女たちは、止まらない。目の前に現れる職員――エリートレーナーたちを次々と退け進むは、離れの格納庫。
テルス山へと赴くにも、悠長に陸路を経由する暇はない。ラフエル洋上を一息に翔け、本土へと至る。
しかし相当な距離なので、ポケモンの体力では限界がある。そうなった時に、飛行艇は役立つだろうと判断した。
「うわあっ!」格納庫で待ち伏せていたトレーナーを打ち破り、これまで通りに眠らせる。
「はかいこうせん」
カイリューがコスモスの指示を肯うと極太の熱線を放射、格納庫のハッチを一撃で吹き飛ばす。
「アリエラ、動かせそうですか?」
「問題ない。虹の道から知識は引き出してある」
皆が乗り込む間にも追撃を警戒していたコスモスが、最後にタラップに足を掛けた。
「まったく、とんでもないことをしてくれた」
その時だった、グレイが現れたのは。
それは、いま会ってはいけない最悪な相手。おまけにハルシャも一緒ときた。
静かに視線を交わすコスモスの隣で、カイリューは身構える。
「……何故、行くんだい?」
「物語の行く末を、見届けたいからです」
多くを飾らぬ質問へ重なる、シンプルな回答。
人が創った。ポケモンが生み出した。やがて織り合って、混じり合った。コスモスはそうやって描かれた虹の行方を望む。
エンジンが立ち上がった。空気が熱くなった。
「最初で最後の一族への反抗を、お許しください」
自分が誰であろうと、どんな者が立ちはだかろうと、関係ない。
「それでも、止まれないのです。止まりたくないのです」
これは他の誰でもない、私が決めたことだから。
「これが、私の願いなのです」
私の未来だから。
「……そう、か」
グレイはそれ以上、何かを言う事はなかった。
「コスモス、発進するぞ!」コスモスは見送るばかりで何もしない彼を不信に思いながらも、カイリューを下げて梯子を駆け上がる。
腕を組み、やれやれ、といった風に苦笑いするハルシャ。
「いいの? 協会に怒られちゃうよ?」
「……構わないさ。僕は今、彼女と戦って負けた。証人もいる」
「ちょっと、巻き込むなんて聞いてないんだけど~?」
「まあ、負けたのは事実さ」
瞳に宿る、迷いない明確な心に。
「……昔からそうなんだ。こうと決めたら、聞かない子でね」
ドアが閉まる様を、黙って眺めていた。
「僕は何一つ決められていないけれど、彼女には確固たるものがある。……だったらアリエラがどこにいるべきかは、明白だ」
「あーあ、こりゃお
「どうもならないさ」
信じているからね。グレイは、動力が発する甲高い音へ隠すようにして、言い残した。
「私たちは、変わろうとしています」
ロックがかかる。
「未来を選ぼうとしています」
席に座り込んで、ベルトを締める。
「人々の先行きがどうなるべきか、どうあってほしいか。それを決めねばなりません。英雄の声を聞かねばなりません」
操縦桿をきつく握った。
「もしかすると、ラフエルは今を『間違いだ』と否定するのかもしれません。拒絶してしまうのかもしれません」
光差す進路が見えた。
「……そんな言葉、いっそ聞かない方がいいのかもしれません」
プロペラを回す。風を、置いていく。
「それでも、決して遅すぎることはないと思うのです」
スロットルを開けると、前へと走り出した。
「私たちは話し合える。いつでもやり直せるし、正すことだって出来る」
徐々に加速していく機体、肉体。
「であるならば、世界に問いましょう。より良い景色を、明日で見るために」
トップスピードに乗ったそれは最後に浮き上がって、暁の空にて大翼を広げた。
「――彼へと会いに行きましょう。答え合わせをするために」
そうしてアリエラとコスモスは、約束の地へと飛び立っていく。
ラフエル洋上を、翔ける。
星の煌めきを越え、月の抱擁を振りほどいた後のほの明るさは、紛れもない黎明のもの。
向かうはひたすらに南西。見える大陸は、まだ小さい。
「ノリノリでやったから、後悔はねえが……新しい仕事先、探さねえとなあ」
窓から目まぐるしく移り変わる景色を見ながら、ランタナは言った。
「きつい汚い危険の3Kが揃った仕事なら、紹介してやるよ」
「なるほど、工場ねぇ。検討するよ」
「私と自給自足、というのもあります。サバイバルを身に付ければ、お金もかかりませんよ」
「バケモンになっちまうのは勘弁だな……」
「では、うちのメイドとして」
「そこは執事じゃねえのか」
四人は気を抜いて楽しく言葉を交わすが、それも束の間。
「お前達――――来るぞ」
嵐の前の静けさは、思うよりもずっと短かった。
操縦席から発されるアリエラの声を聞いた四人は一斉に立ち上がり、遠い後方へ凛として目を向けた。
「追手だ」――教えられるよりも先に、認知する。
もう一機の飛行艇と、その周りを固めるように飛ぶ鳥ポケモンの大群を。
「おいでなすったな……」
「存外、早い対応のようで」
「ったくよ、おちおち喋らせてもくれねえのかい。うんざりするぜ」
とても仰々しい光景だった。
遊ぶにしては大所帯が過ぎる。争うにしては、一方的が過ぎる。
たったの五人に持ち出す規模でないそれを構成するは、総動員されたリーグトレーナー達。
“エリート”の肩書きの下で育てられた、確かな鳥ポケモン達の上に立って放つ意は、一貫しての『止まれ』で。
「……飛行艇の上を見て下さい」
それだけではない。コスモスに促されるまま望んだ先にいるのは――。
「……アイツら……!」
ユンゲラーを従える、学者だった。
「なるほど」
トドゼルガを伴う、警官だった。
「奴らはあっち側、って訳だ」
ミミッキュと並ぶ、シスターだった。
滲む険しさは語っている。
――お前たちの敵だ、と。
『警告します。あなた達の行動は、協会によって許されたものではありません』
ステラの声で、通信が入る。
『直ちに飛行艇を停め、本部にお戻り下さい』
「出来ないって言ったら、どうする?」
ランタナが即答。操縦席まで行き、言い分に応じた。
『……ポケモンリーグの命により、実力行使に訴えます』
「やってみろよ。暴力なんつー、そんなちゃちな手段で本当に俺達を止められると思ってんならな」
『ランタナさん……今は、私たちで争っている場合ではありません。敵は
「ハハハ! そいつぁ言う相手を間違えてるぜ、ステラ」
こんな時でも笑いが起きるのは、きっと彼の度量のせい。
「俺達に、敵も味方もあるかよ」
共に進む、しかして馴れ合わぬ。染め合わぬ。
「ただ譲れないモン胸にして――、いつでも好き勝手やってきただけだろうが!」
ジムリーダーというものを一番に知っている、彼のせい。
声高に自由を謳った時、旅人は既に駆け出していた。
打ち壊すようにドアを開け、大きく跳躍。放ったモンスターボールはそのまま
「フルフォーメーション、ゴー!」
残りの手持ち――ファイアロー、ドデカバシ、グライオン、ヤミカラスも呼び出すと、果敢に制空権の奪い合いを挑んだ。
「そういうことです。私たちも、望む所ではありませんが……互いに覚悟を決めましょう」
『……残念です』
通信が切れた。それ即ち、戦闘開始の合図。
「ごめんなさい、ステラさん」小さく呟いた。コスモスもカイリューとサザンドラを空に解放すると、前者の方に飛び乗り、艇内の人員へと指示を送る。
「アリエラは引き続き本土を目指してください、私とランタナさんが空の敵を蹴散らしますので。アサツキさんとサザンカさんは、飛行艇の上で防衛をお願いします」
「承知しました。ギャラドスで海からの援護も行いましょう」
「助かります」
「……難儀なものですね」
「いずれは、起こっていたことですので」
いってきます。飛竜の十八番“神速”は、微笑む言葉を置き去りに、戦場へと赴いた。
「コスモスが来るぞ! 備え――」
「“しんそく”」
致すは逆走、向かうは多勢。
その一言からなる一挙だけで、最低十体は海に落ちた。
「う、うわあああああああっ!?」
「馬鹿な……!!」
「怯むな、数では勝っている!」
「忙しいでしょうが、加減はよろしくね」
「囲んでかかれェェェーーーーーー!!」
「――“げきりん”」
また、落下する者の悲鳴が上がる。
ちぎっては投げ、掃いては捨てて。
ひたすらに繰り返されるは凌駕と、圧倒。竜姫は生真面目に勝負などしない。
戦いにならない者に、戦意を育む余裕などやらない。負けを認めさせる暇など与えない。ただ一方的に叩き伏せるのみ。
独壇場というのは、こういうことを言うのかもしれない。
「化物がああああっ!!」
“つばさでうつ”は貧弱だ。“ブレイブバード”は蛮勇だ。
掴み、殴り、回し、投げ。矢継ぎ早に襲い来る鳥たちを、原因も分からせずに沈めていく。
「止まれ、止まれーーーっ!!」
二〇体ものピジョットが一斉に放つ“ぼうふう”は、きっと
「“ぼうふう”」
でも、関係ない。飛竜は単騎で
曙を阻む影を吹き飛ばせば、咆哮。相対者たちの震える瞳に映る存在は勝利の女神か、はたまた邪神か。
聞くまでもないだろう。
薄明かりの中でも煌々と輝く
「あと、数十」
何故なら時間が惜しいから。
「余裕そうね」
目の前を真っ白にする無双は、さらに続く。
「くっ……!」
強者のポケモンは、自律行動であっても強いと思い知る。
ステラはコスモスのサザンドラと、彼が飛行艇の上に投げて寄越したエストルとパシバルを相手取っていた。
フェアリータイプの有利をあざ笑うかのように徹底された対策が、ミミッキュを苦しめる。
「マズいぞ、コスモスをどうにかしないと、本当に振り切られる……!」
一時的に吹き荒ぶ雪は、トドゼルガによるものだ。聖女と共に飛行艇の上で迎撃するユキナリが、一騎当千の光景に焦りを覚える口で言った。
「――彼に任せるしか、ありません。それよりも」
「“ブレイブバード”!」
「っ、“まもる”です!」
「今は、やれることを」言いかけたところで飛んできた火の鳥による一撃を防ぐと、続くムクホークはびゅんと頭上を過ぎ去り、風で修道服を煽る。
旋回。片方は振り向き仰ぎ見て、もう片方は傾く世界で見下ろして。ステラは至ったランタナと反目し合った。
「ランタナさん……!」
「らしくもねえな! お前はこっち側だと思ってたよ!」
「何を!」
木霊する“シャドークロー”。ミミッキュが布の下から出した数多の手は、まるでホーミングミサイルの要領で伸び、飛ぶ鳥を追尾する。
「あくびが出るようなおめでたいこと言いながら、信じてやる!」
爪の先が届きかけたところで、十時軌道を描くようなファイアローの邪魔立て。振りほどかれた。
「ただそれだけで、救われる奴だっていたろうに!」
「論点が違います! 世界を危機に晒すべきではないのです!」
「そこらの人間のことは信じてやれて、英雄のことは信じてやれねえのかい!」
「!」
「どうなんだ、聖女様!」
ドデカバシはくわー、っと喚きながら、飛行艇の下から突如現れる。
口に溜め込んだ石礫を、“ロックブラスト”という弾丸に変えて発射、
「っ!!」
空気もろとも飛行艇を穿つ。
満ちる白煙。
「――信じるからこそ」
させるものか。やらせるものか。
自分が守りたい彼女の、守りたいものは。
「私は彼が繋いだ今を守らんとするのです」
きっと自分が守りたいものに、違いないから。
石ころの全ては、それよりも立派な決意がこもった化けの皮に防がれていた。
「その“今”にあなた達も、含まれているから! 戻れと言うのです!!」
「っ……!!」
「傷付けさせない」――煙が晴れた先で、逞しく両手を広げるミミッキュ。
「あなたこそ、ジムリーダーとして然るべき振る舞いをして下さい!」
「悪いなァ、俺はダメな大人なんだ! 『やるな』って言われると、ついやりたくなっちまうんだよ!」
「この――っ、ろくでなし!!」
その隣で立ち起こるニンフィアの“ハイパーボイス”が、ランタナを追い払う。
延々と響き渡る笛の音。先行く道を守り抜くための、号令。
キテルグマ、サワムラー、ローブシンがそれに従い続けるのは、己の戦いが明日に繋がると信じているから。
拳のオーラを撃ち出す“マッハパンチ”と、伸びて鞭のようにしなる“ブレイズキック”が、コスモスとランタナをすり抜けてきた追撃隊を迎え撃つ。
かくとうタイプの射程外で回りながら様子を窺う相手は、
「“つばめがえし”」
「速いッ!?」
次々と鳥ポケモンの背中を飛び移り、それを足場にして一撃離脱。
『ゲコゲコゲコゲコゲコゲコ!!』
目にも止まらぬ速度は、そのまま機動性に利用できる。そして小さな体は運動性に。すれ違いざまに「斬り捨て御免」を唱え続ける一筋の青は、高跳びして印を結んで。
上空に放つ水の大玉を一瞬にして爆ぜさせると、残骸は忽ち“みずのはどう”と化して辺りに降り注いだ。
「む、アサツキさん!」
一体だけ、取りこぼした。目だけで意図を汲み取ったアサツキは、その飛翔体を指差し笛吹き、マッハパンチを送らせる。
しかし一向に当たらない。消えては現れ、現れては消えを繰り返し、まるで位置をショートカットするかのように連撃を処理する様は、超能力者のテレポートのそれ。
あれよあれよと間近に迫って、視線が重なった。
最後の空間移動が果たされた時、“鳥擬き”を使役する賢者は、飛行艇の上に立っていた。
「……よりにもよって、お前かよ」
アサツキは遠くで背中合わせになるカイドウへ、辟易を見せた。
「元よりまともとは思っていなかった。が――ここまで愚かとも、思っていなかったぞ」
白衣を靡かせながら、同じく背中越しで応える。
「お前、いつか言ったよな。自由でいればいい、って」
「時と場を弁えろ、と改めて付け加えてやろう」
「オレにんな器用な真似が出来るかよ」
「……そういうところが、愚か者だと言うのだ」
カイドウとアサツキ。
考える者と、動く者。
全を捉える者と、個を労わる者。
「いいよ、愚かで。オレはそれでも、一本筋しか通せねえ」
平行線上の二人は、お互いをよく知っている。
「いつだってオレは、
交われないことを、知っている。
「もはや、話し合う余地はない」
「今更。だからさ」
『解り合えない』と、解り合っている。
「――歯ァ食い縛れよ」
「演算を開始する――」
そんな二人の眼光は、よーいどんで振り返った。
あちこちから立つ轟音と煙が、身をぐらぐら揺らす。
アリエラはそれでも前を向き、進み続ける。目蓋の裏には、既に約束の地がある。ラフエルがいる。
幻想にも思える景色でも、彼女を駆り立てて仕方が無いのだ。
「っ!」
崩れかけたバランスを、整え直す。機体の上で戦闘が行われているのだと直感した。
されど行くしかない。向かうのみ。もう少し、もう少しだから――。
「熱源!!?」
その時、赤外線センサが急速にアラートを鳴らす。
最後の最後で、刹那にかかりし影が。
「な……!!」
「――“ほのおのパンチ”!」
リザードンが、行くなと言った。
ズドン。正面からコックピットに襲い掛かった拳を止める。紙一重に割り込んだカイリューは、相手もろとも飛行艇の進路からはけていった。
「……っ!」
「止めさせません」
待ちわびたと言わんばかりの妨害は、最大級の警戒の証。
小物を片付けたコスモスは、肉迫する竜越しで、満を持してカエンと対峙した。
「コスモスねーちゃん……! なんで、なんでだよ!?」
「ごめんなさい、カエンくん。私は、世界を見極めに行きます」
「それ、なんのためにやってるんだよ!? 今はどうなるんだよ!? ほっといていいのかよ!!?」
「……それは、貴方の心が本当に言っていることですか?」
まただ、また。カエンは歯噛みするだけで、何も返せなかった。
「流されるだけでは、いけないのです。縛られていては、ならないのです」
重なっているのに、交わらない視線。
別れの決め手は『決められたかどうか』――簡単な事で。
こんなに単純でも、勇者は優しいばかりに。温かいばかりに。何を取るべきかで、未だ苦しみ悩んでいる。
何を取ってもきっと後悔する。同じぐらいの哀しみを背負う。
カエンの“ここ”は、行き場をなくして漂うばかり。
「私の未来は、私で決めます」
それでもコスモスは、牙を剥く。覚悟をしたから。自らを定めたから。
「――――この、わからず屋ぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!』
がくん、と首が揺れた。カエンの叫びと共に咆哮し、凄まじいパワーを発揮するリザードン。
掴んだ両手に灼熱の炎を灯し、強引に崩した均衡。羽ばたく翼でカイリューを押して一気に海面へと突っ込んでいく。
「つ……っ!!」
『リューーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!』
コスモスが歯を食い縛った。カイリューが片手をふりほどいた。
それで不自由を押し付ける方の腕を握ると、盛大な背負い投げ。
「く……!」
「“しんそく”!」
「うあ!!」
ぶん回されて乱れた姿勢を整え直す猶予など、どこにもない。カイリューが文字通りの神速で、ヒットアンドアウェイの追撃を見舞う。
一、二、三、四、五――天地無用にして縦横無尽な三次元の連打。暴れる視界。ふっ飛んだ先でまたふっ飛ばされる、その繰り返し。
仕上げに選んだ攻撃方向は、真上であった。拳を握って突撃する。
「……!!」
ぎろり。至る瞬間に、リザードンはカイリューを仰いだ。
「口で……!!?」
不穏を覚えても、時すでに遅し。ギャンブルにも等しい間一髪を狙っていた大顎が、己に殴り掛かった手にばぐんと喰らい付く。
「いけない、カイリュー!」発話も、遅い。
「だあああああああああああああああッ!!!!」
拘束した飛竜へ届かせる仕返しの滅多打ちは、熱く、激しく、そして重々しく。
拳を噛み締められる痛みと、乱打に曝される痛みで、さしものカイリューも苦悶を浮かべた。
だが、易々と負けてはやらない。顔面を殴られようが、腹に捻じ込まれようが、片時も目を逸らさない。
「――“げきりん”っ!」
そうして湧き起る頑強な闘争心で、渾身の一発を返す。
「まだッ! “だいもんじ”!」
「“ぼうふう”!!」
飛ばされた者は反撃の爆炎を、飛ばした者は追撃の台風をそれぞれ解き放った。
真っ向から激突したじゃんけんは、あいこ――相殺で発散されたエネルギーは海を乱暴に叩いて、波紋を残し、そこから巨大な水柱を巻き上げた。
お互いの姿が、隠される。二体の竜は呼吸を整えた。
「……私も、結末を怖がりました」
「!」
雫をばら撒く白の向こう側から、漏れるように聞こえる本音。
「けれどもいつかは必ず、その時が来るから。迷うままでは、いられないから」
燃える拳を、おもむろに構える。
「私は選択します。自分の行き先を」
不定形の塔が、段階を追って縮んでいく。透明な液体に立ち戻っていく。
「――うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
「己の、道を」
とうとう視界は晴れた。邪魔するものなど何もない。
二体は拳を握っていた。駆け出していた。叫んでいた。振りかぶっていた。
全力の一撃が交差した。
――すれ違った。
「リザードン……!」
「あなたは、何を見ますか」
『……ゴァッ』リザードンは短く呻き、よろめく。胸に刻まれた正拳の傷が、痛々しくじんじんと鳴いていた。
「何を聞き、何に触れますか」
落ちかけた肉体を、持ち直す。
“げきりん”の威力は、甚大なものであった。
「そして――どこへ行きますか」
カエンはコスモスへと振り返る。
「……強くなりましたね、カエンくん」
顔を見せずとも、わかった。コスモスは微笑んでいた。一人の英雄の成長を、しかと喜んでいた。
「カエン、一旦戻れ!」
「カイドウにーちゃん……!?」
「やられた……!」
戦闘を終えたカイドウが、シンボラーに乗ってカエンの回収に訪れる。
「な……!」目配せだけで示された飛行艇は、もぬけの空になっていた。
すぐ傍で、遠ざかっていく背中――ガブリアスに跨り滑空する、アリエラの背中。伴うドデカバシとファイアローに頼る、サザンカとアサツキの背中。
「全て、時間稼ぎだった……!」
横を抜けて仲間を追うランタナとムクホークの表情を捉え、確信する。
「残りの距離を考えても、ポケモンの力だけでラフエル洋は渡りきれる……」
「アリエラさえ逃がせればいい……彼らは最初から、そのつもりで……!」
アリエラが脱出して身軽になれるタイミングまで、囮になっていた。ユキナリとステラはそう言った。
「……あなたの前途が、どうか輝かしいものでありますように」
最後に肩越しの祈りだけを残して、飛び去って行くコスモス。
追いかけようと逸った自分の意識を、律する。
「……どうすりゃ、いいんだよ……」
友は、先へと往った。
「くそ…………くそっ……」
聳える壁の、向こう側へ。立ち込める霧の、その果てへ。
「――ちくしょおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
誤魔化すように天へ吠えても。涙を浮かべる瞳を閉ざしても。
『どこへ行く』――彼女の残酷な問いかけは、いつまでも頭の中で残響していた。
勇者は未だ一人、岐路に取り残されたまま――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――泣く者がいようと。笑う者がいようと。
――善を積み重ねようと、業を繰り返そうと。
――突き進もうと、迷走しようと。
時間は流れていく。世界は、進んでいく。
そう。たとえ。
「斥候より伝達です。北西方面の上空より、こちらに接近する影あり。警戒されたし」
滅ぼす者が、いようとも。
「……ふむ、思ったよりも早かったですね。アリエラを逃がしてしまったことは大きかったでしょうか……」
通信機に流す、伝令。
『皆さん、お早う御座います。どうやら客人が此方の予定を待てなかったようです――つきましては、前倒しで作戦を開始致します』
それはテルス山を埋め尽くす灰の兵士らに、まんべんなく行き渡った。
「ワースさん、ワースさん」ベースキャンプの簡易ベッドで眠る守銭奴は、部下から揺すられて寝穢さを正す。
『なに、恐れることはありません。何故ならばこれが最後なのですから。これで終わりなのですから』
戦士はいそいそと剣となる従者と向き合い、最後のコンディションチェック。
『手厚く歓迎しようではありませんか』
大義を掲げし
『素敵に、見目好く、壮大に――終末を飾ろうではありませんか』
伝説の足跡の中心で“楔”を打ち込むは、最強の虚無が担いし役目である。
テルス山の周囲四か所から、虹の光が立ち上がった。
それはまるで四角錐を形作るようにして空へ伸び、やがてテルス山の上部を頂点として結び合う。
卵じみた球体が、生まれた。七色は一瞬で暗黒へと変貌し、力を蓄えるかのように少しずつ大きくなっていく。
それはまるで、神話の原典に見る――ラフエルが齎した“破滅の光”。
「約束の日に、約束の地で。我々は集うでしょう。争うでしょう。かつての神話のように。失われし歴史を再現するように」
山頂から太陽が顔を出す。日の出の空は、明るくなった。
照らす輝きを後光としながら、ハリアーは人気のないレニアの地で、独りにんまりと笑った。
「さあ、ラフエルの守り手たちよ――――決着をつけましょう」
テルス山にて待ち受けるは、混沌の軍勢。