ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

48 / 49
fin.さらに続く虹

『――我々は現在、サンビエタウン上空にいます』

 

 黒い輝きが、空を覆う。

 

『発生から二時間、未だテルス山の上空にある巨大な光球は肥大化する一方で、その勢いはとどまる事を知りません』

 

 広がる青を侵すように。日輪を彼方に葬り去るように。

 

『PGの手引きにより山から避難した住民は「事が起こる直前、突然バラル団が襲撃してきた」と証言しており、恐らくこの光球も彼らによって作られたものと思われます』

 

 明るいのに、真っ暗。不思議な感覚だった。

 

『専門家によりますと、この黒い物質は凄まじいエネルギーを内包しており、見立てでは大陸一つを消し飛ばすほどの規模である、とのことです』

 

 肌を焼きそうなほどのプレッシャーが人々の息を詰まらせて、ポケモン達は本能の赴くままに気配を消した。

 

『また、歴史学者はラフエル英雄譚に語られる“破滅の光”そのものであるという見解も述べており、バラル団が神話の再現を試みている、とする見方もあるようです』

 

 明日が見えなくなっていく。現在が否定されていく。過去が思い出せなくなっていく。

 

『PGはラフエル地方全域の町で一斉に出現したバラル団の対応に追われており、救援要請を受け出動したネイヴュ支部も、バラル団の防衛網を突破できず、麓で足止めの状況が続いています。よってテルス山内には、早期から異変に気付けたジムリーダー八人しかおらず、今なお世界の命運は彼らに委ねられている状態です』

 

 ――それでも、彼らは。

 

 

 

「ルカリオ! “はどうだん”ッ!!」

 

『どうか、悲しまないで下さい』

 

「みんな、早く逃げて!!」

 

 たとえ太陽が、見えなくとも。

 リザイナでは確かな光が灯っている。

 アルバという、賢者の欠片を受け継ぐ者がいる。

 

「――――キセキシンカ!!」

 

 いつかの虹を纏いしルカリオが、混沌の兵を相手に無双する。

 

『恐れないで下さい。屈しないで下さい』

 

 拳が悪意を打ち砕く。魂が道を切り開く。

 拓けたそれは退路となって、人々を続々と逃がしていった。

 

「カイドウさん……! 僕に、力を!!」

 

 

 

『ラフエルが二体のポケモンと共に絶望を振り払い、民の明日を創ったように』

 

 ラジエスの避難所は、焦燥に駆られた人々で滅茶苦茶で。

 

「おい! 押すなよ!!」

「食料は、食料はまだあるんだろうな!!?」

「子供がいるんです……お願いします、助けて! 助けてください!」

「だめだ!! 俺達はもう終わりだァァァァァァァッ!!」

 

 今、聖女がいたなら。いてくれたなら。

 きっと混乱が収まったろう。泣き叫ぶ子供なんて、生まれなかったろう。

 

『彼らも成すと、信じましょう』

 

「…………なんだ……?」

「これ……歌……?」

 

 優しい声。抱き締めるような、温かい歌。

 伴奏なんかなくたって。言葉が満足に伝わらなくたって。

 怖くたって、追い詰められたって。

 

「……Freyj@……!?」

「Freyj@よ! Freyj@が歌ってる……!」

 

 私は歌える。フレイヤ・ルウは戦える。

 皆の前に立って、逸る心を鎮め――彼女は彼女のやり方で命を燃やしながら、静かに職人を思う。

 

 

 

『未来を掴むと、祈りましょう』

 

「隊列を乱すな! 負傷者は早急に退け、一人たりとも死ぬなよ!!」

 

 テルス山の西側の麓で、アシュリーは黒服たちの鼓舞を続ける。

「“ハイドロポンプ”!!」五人を一気に吹き飛ばし目指すは、

 

「ステラ……!」

 

 聖女が祈る中腹で。

 

「特務……」

 

 アルマは東の麓を駆けながら、同志の無事を望む。

 

「……死んだら、許しませんからね」

 

『また明日を――唱えましょう』

 

 

 

 それでも彼らは、強く立ち続けている。

 

『何故なら彼は、彼らは――――英雄伝説の、担い手なのですから』

 

 エルメスは火焔の勇者に願いを託すと目を閉じて、両手を結び合わせた――。

 

 

      ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

『破滅の光、テルス山の面積を超過しました!』

「おいおいおい、そろそろシャレんなんねぇぞ!」

「まずいね……向こうの状況を把握できてないのもあって、余計に」

「奴らめ、何をやっているのだ……!」

「考えてもしょうがないことは、考えない! やれることをやるだけ!」

 

 ひたすらに沸いて減らない敵を迎え撃つ、飛行艇の上。

 目の前の戦況は優勢に変わりない。しかし思い思いを口にする四天王の、誰もが知っている。

 この光が最大にまで膨れ上がった時、何もかもが灰塵と化し、消え去ってしまうことを。

 

「急いでくれ……カエン、コスモス」

 

 オペレーターの声が、先ほどから震えている。

 されど結果を待つことしか出来ないグレイは、歯痒そうに目を細めた。

 

 

 

 思うところは、本当のところ。

 

「……おまえが……」

「神話の大英雄、ラフエル」

「いかにも」

 

「私がポケモンと共に歩み、この地を作った男『ラフエル・セラビム』である」英霊は挨拶として生前を丁寧に名乗り、目を見張る少年少女へと柔和な笑みを向けた。

 端的に言えば、嘘のように思えた。

 それはそうだろう。どんなに奇跡で満たされた土地とあっても、神話に語られし古代人、もとい神にも等しい存在が、眼前で平然として立っているのだから。

 決して疑っていたわけではない。でも、現実味が感じられない。これはきっと、仕方のないこと。

 

「まあ、楽にしろ。此処までの道のりは実に過酷なものであった、其方らも疲れたであろう」

「で、でも、おれたちは、時間が……!」

「言ったであろう、ここに時間は流れておらん。どれほど時を重ねようと、戻った後のお前達の世界では一秒たりとも経過せぬ」

 

 けれども、そう言って座り込む姿を形作る輪郭線は、虹色だった。アリエラやこの大地と、同じ色。

 だったらば信じる他ない。この威厳、及び風格を。

 

「心行くまで語らおうではないか。顔を、よく見せてくれ」

 

 ひたすらに伸びていく静寂の下、コスモスは三角座りで、カエンは胡坐で、それぞれラフエルの隣に腰を下ろす。

 そうして広いようで狭い遠くの白を眺めながら、未来の話は始まった。

 

「先ず、お前たちの思いを聞かせてくれ。それに興味が向いている」

「思い……、ですか」

「今考えていること、生まれてから思ったこと、感じたこと。解らぬことや問いたいこと、願い事でも良い。とにかくお前達の腹の底にたまっているものを、洗い浚い吐き出せ」

 

 最初にラフエルは、民の声へと耳を傾ける。

 果てなき時流の隔たりを気にしているのは、彼とて一緒であった。

 コスモスは重々しく響いた言霊をそっと受け止め、ゆっくり飲み込んで、素直な心で言葉を練って、

 

「――……喉が、乾きました」

「!?!?!?!?!?」

 

 ありのままを吐き出した。

 

「おい、なんのつもりだ!? どういうことだ!!?」

「いえ、ラフエルが仰る通り、ここまでずっと動きっぱなしだったので……」

「ではなくてだな!? わざわざ言うことか!? というかそこからか!!?」

「いえ、だって、今考えていることを吐けと言われたので……」

 

 突飛すぎる言い分に、思わず素っ頓狂な声を上げるアリエラ。

 悪ふざけが一切ないコスモスの大真面目な表情が、余計に彼女を焦らせた。

 

「……その……あ、あく…………あくしゅ、してくれ」

「カエンンンンンンンン!? お前もか、お前もなのか!!?」

「だ、だって、英雄がすぐ目の前にいるんだぜ? こんなこと、めったにないからさ……」

「うむ、構わん。サインはどうだ? チェキもあるぞ」

「貴様も乗るな!!! というかなんだチェキって!? どこで覚えた!!?」

 

 息切れをするほどの怒涛の突っ込みに、コスモスが「ぐっじょぶ」と短く親指を立てた。

 

「キレのあるいいツッコミです。成長しましたね、アリエラ」

「誰のせいだ、誰の……」

「どうやらエイレムもセラビムも、もう暫くは安泰なようだ」

 

 器が大きいというのか、我が道を行くというのか。

 子孫を讃える大笑い。陽気に言葉を弾ませ、彼らと好意的な交流を図る大英雄は本当に楽しそうで、嬉しそうで。

 やがてアリエラは気付く。これが、共に在った八千年前では、一度も見たことが無かった顔である、と。

 打ち解け綻ぶ相好は、まるで憑き物が落ちたかのように清々しかった。

 そうして思い知るのは、かつての彼が流していた涙の多さ。懊悩の日々。

 

『有難う、アリエラ』

 

 たった一人で世界を見据えて。導く者になって。行き先を示して。

 靄を抱えて、責に苦しんで、皆を救い、果てには救った皆に殺されて。

 ――私に、殺されて。

 

「――――すまなかった」

 

 それでも、彼の選択を正解にしてやることが出来なかった。

 アリエラは盟友の前に立ち、懺悔する。

 

「私は、お前から受け継いだ世界を……台無しにしてしまった」

 

 未来を想うあまり、舵を取り違えた。

 

「お前を最後まで英雄として騙り、歴史を欺き、裏切ってしまった」

 

 魔王ではなく、優しい王様だと気付いてほしかった。

 

「今なお戦火が広がる明日を……、作ってしまった」

 

 生きやすくするために生きるほど――生き辛くなった。

 愛が先走って過ちが山積する。湧く情は悉くに痛みを強いて、民を泣かせて過去に縋り付かせた。そのうちどうにもならなくなった。

 

「赦せとは、言わん。だが裁くのならば――――私だけにしてはくれまいか」

 

 笑い種だ。滑稽だ。

 後悔ばかりで、しょうがない。

 

「身勝手で無責任なのは、解っている。されど私は民が好きだ。彼らが今を愛するというのならば、尊重したく思う。望むのならば、叶えてやりたく思う」

 

 崩れ落ちるように、膝をつく。

 

「だから、頼む。彼らだけは……間違いであっても残った、この温かさだけは……、消さないでやってほしい」

 

 上体を低め、脚を折って、最後には頭を垂れた。

 カエンは愕然とした。コスモスは止めようとした。それでも彼女は両の頬に湿った温もりを伝わせ、ラフエルに土下座した。

 英傑にあるまじき真似だった。民の前でやってはならない行為だった。

 揺れる声が悲しみを呼び、吐き出される息が熱を奪う。人によっては見苦しいのかもしれない。哀れで仕方が無いのかもしれない。

 けれども常に感情を大切にし、どこまでも命が持つ情緒を慈しみ続けた月の英雄のありったけを、一体彼らの誰が咎められようか。

 ラフエルは物言わぬままアリエラのつむじを暫く眺めた後、おもむろに口を開いた。

 

「――謝るのは、私の方だ」

 

 そう放つラフエルの風情は、誰にとっても意外であったのだろう。皆を釘付けにする。

 

「私が願っていたのは、悠久の平穏だ」

 

 だがいくら意外で、思い違いでも。

 ここぞとばかりにぼろぼろ零れ落ちるこの言葉こそ、紛れもない英雄の声。

 

「諍うことなく、奪い合うこともない。豊かに溢れ、優しさに満ちて、十年、百年、千年――万年経とうが、ただ青空が広がるだけの、平和な世界を作りたかった」

 

 現在に対する、飾り気のない思い。

 

「全てが『争い』という言葉すら忘れてしまうような、そんな未来(あす)を求めていた」

 

 寂しい横顔が、少しずつ自身を嘲っていく。

 

「自分ならば、出来ると考えていた。ポケモンと解り合ったこの“奇跡”さえあれば、叶えられると信じていた」

 

「しかし、自惚れであった」今なお穢れが付き纏う掌を、握った。

 語る肩は緩やかに下がって、徐々に小さくなっていく。

 

「争いを嫌って、不戦を唱え続けた結果がこの様だ……嗤ってくれ」

 

 果てに、悔いる。

 やはり傷付けてしまったことを。最後には奪ってしまったことを。

 忌んでいた手段でしか、希望を勝ち取れなかったことを。それさえ束の間でしかなかったことを。情けないな。不甲斐ないな。自害じみた自責の言霊が、次々と出所に突き刺さった。

 

「じゃあ、おまえは……」

「……後悔ばかりさ。やり直したいことだらけだよ」

「……っ」

 

 聞きたくなかった返事に差し当たり、噛み締める唇。

 ラフエルはそんなカエンへ、構わず続ける。

 

「だが、お前達を否定することはしない。私がどうしようと栄えた現在(いま)だ、それを破壊しようだなど、如何様な道理を以て言えようか」

「ではあなたは、この世界をどうするつもりですか」

「……どうも、しない。委ねよう」

 

 そしてコスモスの問いかけに、間を置いて述べる。

 それこそ無責任な答えに他ならないのだが、虚しくも、悔恨だらけの彼に言えることは何もなくて。

 

「――アリエラ。お前に我が夢を押し付けてしまったことを、ここで詫びる」

 

 今更成せることなど、女傑と目を合わせて。

 

「カエン、コスモス。お前たちに清算しきれなかった呪いを継がせてしまったことを、謝罪する」

 

 二人の末裔を瞥見して。

 

「思い上がるばかりで楽園を作れなかった、この無力な男を……どうか、許してほしい」

 

 続けられなかった、尊い笑顔を想起するぐらい。

 罪だらけの日々に、黙って胸を切り裂かれるぐらい。

 残せたのは数多の屍だけ。繋げたのは血まみれの戒めだけ。

 落涙を堪えるようにして空虚を仰ぎ、一呼吸。

 

「何も持たない、決められない。何故なら私は、英雄などではないのだから」

 

 ラフエルは夢にも似た幻想の記憶をかき集め、息を詰まらせながら言った。

 

「……何者でも、ないのだから」

 

 誰もが、押し黙る。

 そこに、少年が追いかけた男はいなかった。

 追い越そうと思える足跡を刻んだ英傑は、いなかった。

 輝かしい軌跡はなかったし、煌めく奇跡だって存在しなかった。

 何でもない誰かが、ただただ己を省みるだけの光景。

 民が聞きたがった英雄の声は、思い残しだらけであった。

 拳を握るカエン。

 だけど、それでも彼は、確かに誰かのために生きていた。それは間違いないし嘘でもない。

 ただ、やり方を選べなかっただけだから。こうすることしか出来なかっただけだから。

 それを伝えてやりたい。言ってやりたい。言葉を発そうと、意を決して息を吸った。

 

「確かに」

「……!」

 

 しかし先に口を出したのは、もう一人の英雄の民――エイレムであった。

 

「確かに貴方たちは、英雄とはいえないのかもしれません」

 

 両足を崩し、伸ばす。後ろに手をついて、ありもしない果てを望む。

 照るアメジストは虚ろに見えて、それでもちゃんと捉えていて。

 

「困難に立ち止まり、問題に思い悩み、呵責に苛まれ、葛藤を繰り返し……そのくせいつまでも、いつまでも合理的な判断を下せない。寧ろ、程遠いです」

「こ、コスモスねーちゃん……!?」

 

 彼らの本質を、痛いほどに掴んでいて。

 ここにきて場違いな追い打ちだろうか。或いは非難だろうか。カエンは唐突ぶりに目を丸め、思わずうろたえた。

 

「加えて、苦しまなくていいことで苦しんで、愛さなくていいものまで愛して、負わなくていい傷さえ負う」

 

 されど英霊たちを抉りかねない言語の刃は、饒舌に発されていく。

「フッ……、手厳しいな」彼らが返す言葉もない、なんて乾いた自嘲をしようと、淡々と滑って止まぬ、横顔からの口車。

 

「……そうして結局間違えて、涙を流す。取り返せない血を溢す」

「なあ、もう……」

「それでも笑って、泣いて、怒って、喜んで――豊かな心を捨てられない」

「!」

 

 そうだ、下げるか。下げてやるものか。

 

「確かに、英雄ではないけれど……私はこれらの要素に該当する存在を、一つだけ知っています」

 

 ずっと喉から出かかり、半ば舌に乗っているこれは。この言の葉は。

 必ず聞かせてやりたいことだから。

 対話によって至れた、彼女なりの結論だから。

 

「――――“人間”、です」

 

 不器用なりに伝えられる、彼らへの目一杯の賞賛だから。

 

「……何?」

「貴方たちは、私たち民と何一つ変わりません」

 

 アリエラに出会った時からずっと抱いていた、不思議な感覚。英雄と呼ぶには近すぎて、神と呼ぶには温かすぎる趣。

 その正体に、やっと気付けた。

 

「ごくごく平凡でありふれた、何でもない、ただの人間です」

 

 寄り添うのも、思い遣るのも。

 ジェットコースターで喧しく絶叫するのも。ソフトクリームを美味しそうに頬張るのも。

 他者を傷付けて心を痛めるのも。背負った使命に頭を抱えてしまうのも。

 全部全部、この親近感の元だった。

 

「この土地の神話だって、そう。英雄譚だなんて、そんな大それたものではありません」

 

 ラフエルもアリエラも、偉大なんかじゃない。けして華々しくなんかない。

 泥臭くて不格好で、一つも特別なんてない。

 

「ただ優しいだけの人間が、躓きながらも誰かのために一生懸命になって走り続けた、美しい昔話に過ぎません」

 

「でも、それでいいのだと思います」人間臭くて。凄くなくて。

 だからこそ意味があるんだと、微笑みながら肯った。

 

「だって、何でもない人間に、ここまでのことが出来たのですから。これだけのものを残せたのですから――――こんなに素晴らしいことはありません」

 

 コスモスは彼らの神話を『人の、人による、人のための素敵なお話』と定めた。それがいいんだと締め括った。

 彼女の視線と言霊に連れられて、復元していく二人の原点。

 

「あの日、ラフエルという男がポケモンのために涙を流さなければ、この大地は今頃存在していなかった」

 

 ラフエルは、獣の王の前に立った時を思い出す。

 

「あの日、アリエラという女が未来を思って夢物語を紡がなければ、この少年は勇者を志していなかった」

 

 アリエラは、筆を滑らせた瞬間の事を思い出す。

 

「貴方たちが始めた物語は――過ちなんかじゃない」

 

 気付けば、振り返っていた。

 今に命を燃やす、熱い面影へ。確かに繋がっていた、虹の標へ。

 見紛うものか、この太陽のような優しさを。

 忘れるものか、この月のような慈悲深さを。

 

「……おまえらがいてくれたから、おれは今、ここにいる」

 

 自分たちが残したんじゃないか。

 

「みんながいる。ポケモンがいる」

 

 自分たちの、欠片ではないか。

 

「なあ、聞いてくれ……ラフエル、アリエラ」

 

 人と話す時は、へそを向けろ――きっと英雄でも、関係ない。

 そんな親の教えを律儀に守って、向き合った。

 

「おれな、毎日がおもしろいよ。いろんなやつと戦って、強くなって、いっしょに遊んで、いっぱいごはん食べて、いろんなところに行って――」

 

 思い出が残る昨日を振り返り、新たな今日を一生懸命に過ごして、寝る前には楽しみで仕方がない明日の事を考える。そんな彼の毎日は喋っても喋り切れないほどに忙しいものだから、いつも上手に伝わらなくていけない。

 

「あー、そうだ! 夏もみんなで海とか、おまつりに行ったんだ。楽しかったなぁー……!」

 

 生まれてから現在までのことを語ろうものなら、残念ながら自分が成長して大人になってしまう。だから今は我慢して、取捨選択を頑張って、一番に伝えたいことだけ。

 

「そりゃ、たいへんなこともあるよ。でもおれは、おまえらが作ってくれた今がだいすきだ。幸せだ」

 

 足らない語彙で、口ぶりも拙くて、浅い表現かもしれないけれど。それでも。

 

「おれの――とっても大事な、宝物だ」

 

 八千年前の君へ、はっきりと告げる「ありがとう」。

 八千年後の僕から、いっぱいの呼気で届ける「愛してる」。

 小さき大火は遠くの未来から、ただ元気に、にこにこと笑っていた。

 はっとするアリエラの傍で「――……ああ」静かに顔を伏せるラフエル。その面持ちは、先ほどまでの哀ではなくて。

 では何か? 言うまでもない。そして覗き込むまでもない。

 

「アリエラよ……我らは少し、急ぎ過ぎたのやもしれんな」

「あぁ……、そうだな」

 

 くすりと漏らすだけの、取るに足らない“人の笑み”なんて――どこにでもあるんだから。

 二人はようやっと、自分たちが人間であったと自覚する。

 どこまでも己の首を絞めて否定するくせに、誰かの肯定にはこんなにも素直に喜んで。報われた気分になって、救われて。

 簡単なことだった。

 彼も、彼女も、世界の向こう側から欲していたんだ。

『そんなことはなかった』と、言ってほしかったんだ。

 何でもない、誰かの感謝を――ずっと、聞きたかったんだ。

 

「そうか……人、か」

「ええ。貴方たちはどこまで行こうと、最後まで人でした」

「道理で……世界も救えんわけだ」

 

 満たされたように納得し、上を見る。

 

「先人の煌めきに魅せられた後の誰かが、それをなぞって、また煌めいて……その繰り返しで、良いのではないでしょうか」

 

 救済するのに、神は要らない。だってこの世界は、余さず私たちのものだから。

 

「長い時間をかけて、少しずつ繋げていって、未来について考える人を増やしていく。じっくり悩んで、しっかり向き合って、迷いながらも明るい方へと進んでいく」

「……今すぐでなくていい。いつかで、いい」

「ただ、誰かのためにひた走る。そんな勇敢なだけの人間がいれば、それでいい」

 

 信じるべきは己の力でも、まして強さでもない。

 ずっとずっと、何かを変えてきたのは『ヒトの可能性』だった。

 争うしかなかったポケモンと、解り合ったように。優しい御伽噺を愛した少年が、奇跡を起こしたように。

 

「光を受け継ぐこと――――私たちが世界にしてあげられることは、きっとこれが正解なのだと思います」

 

 世界というものは、いつの時代も手に余る。

 なればこそ美しい。麗しい。愛しくて温かくて、輝かしい。

 穏やかに頬を綻ばせるアリエラ。肩の荷が下りた気がした。心のどこかで、花が咲いた気がした。

 

『最初から、ただの人間がいただけ』

 

 永らくを経てここに行き着いた瞬間、未来の話は完了した。明日を巡る問答にけりがついた。

 もはや言うことはない。軽やかに立ち上がる四人が見据えるものは、ただ一つ。

 ラフエルとアリエラが目交いで頷き合うと、どこからともなく光の粒子が発生し、末裔二人の前に集まっていく。

 徐々に形を成していくそれは、やがて手のひらほどの球体となって、虹色の波導を発した。

 

「……お前たちに、預ける」

「こ、これは……!」

「……温かい」

 

 まるで、心臓。ドクンドクンと一定のペースで耳朶を打つ脈動は、間違いなく生命が宿っている証。

 彼らは眼前で佇むこの二つの宝玉を見るのは初めてだが、伝承によってその正体を知っていた。

 

「白陽の竜、レシラムを封印せし『ライトストーン』と、黒陰の竜、ゼクロムを封印せし『ダークストーン』……」

「どっちも、ラフエルと一緒にたたかってた、伝説のポケモン……!」

「完全となった私の力でしか、彼らの封印を解いてはやれぬ。受肉すらままなっていない魂だけの現状では、ちと細工をせねば動かぬが……されど、破滅の光を消し去るには足りよう」

 

 まざまざと凝望するカエンの前に白が、静謐を湛えて眺めるコスモスの前に黒が、それぞれ待ち受ける。

「!」「わっ!」尋常ならざる威圧感が、二人の身を今一度転ばせんとした。

 口が無くともわかる。厳かさは問うている。英雄らの肌を震わせながら、この世界をどうするのかと問うている。

 

「なあ、ラフエル、おれ……!」

「臆するな」

「!」

「今を生きている、お前たちが決めるのだ。誰の言葉にも靡かず、踊らず……ただ一つの心を以て、選択しろ」

「……――おう!!」

 

 カエンにとっては、もう慣れた話だった。

 此処に来るまで何度も悩み、沢山転んで擦り傷を作ってきた勇者に、迷う余地などあるはずもない。

 固唾を飲み、言葉よりも先にライトストーンを取った。

 

「さあ、コスモス。お前の番だ」

 

 アリエラが促すと、指先から触れるように、ゆっくりと手を伸ばす。

 きっと、この先にも苦難は山ほど待っているだろう。

 直しても直しても、虹は欠かされていくのだろうし、侵されていくのだろう。

 そのたんびに誰かが泣くのだろう。悲しむのだろう。

 

 しかし。

 

 けれども。

 

 だけど。

 

 

「――私も、現在(いま)が好き。広い世界いっぱいに描かれたこの虹が、大好き」

 

 

 コスモスは、皆と共に希望を繋いでいくことを選んだ。

 

 

      ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 ――刻限が迫る。

 理性なんかに何を言われなくても、本能で理解する。

 世界の寿命が迫っている。比喩でもなんでもなく、熱を感じる。触れた全てを焼き払う、ひりひりとした獄炎のような温度が、表皮を痛め付ける。

 太陽は完全に隠され、ラフエル中のどこからも見えなくなった。

 どこへ逃げればいいのだろう。破滅の夜だ。神話終章に記された、終わりの日だ。

 

「ふふ……諦めてはいかがでしょうか? 神話の再現はもう止まらない……もはや何をしようと、助かりませんよ」

 

 最後の一体同士――サザンドラとキセキサンドパン、メガギャラドスが殴り合う中で、ハリアーは宣った。

「はは、冗談!」滅亡が迫っているというのに相変わらずの薄ら笑いだが、それはユキナリとサザンカも一緒のこと。

 

「お前らと出会ってからというもの、僕は日増しに諦めが悪くなっていくばかりでね! どうしようって感じだよ、ほんと!」

「なにぶん、命運を握るのが私の自慢の弟子なものですから。まだ、なんとかなると思っている自分がいます」

「在りもしないものを見通し、根拠のない希望に縋りつく。人はそれを逃避と云うのです」

「違う……ただ、捨てられないモノがあるだけだ!」

 

 彼らはただ、明日を目掛けて走っている。

 救い出すと誓った人に手を差し伸べられる瞬間を、追い求めている。自分の全てを授けた教え子が道を切り拓くと、信じている。

 故に諦めないと言った。まだ倒れないと、そう叫んだ。

 誰しも、そうだ。

 

「くっ……、限界が近いぞ!」

 

 賢者は、呼吸を覚えた。この世界で息をする喜びを知った。

 明日も、変わらずに続けていたいと思う。

 

「折れんなよ! オレらが送り出したんだ、絶対どうにかなるって信じろ!」

 

 職人は、自分らしくあることを知った。少しだけ世界が輝いて見えた。

 明日は、もっと眩しくなっていると思う。

 

「こうなっちまったら、あいつらが来なけりゃどうしようが仲良くお陀仏だ! 待つっきゃねえさ!」

 

 旅人は、自由であることを授け続ける。この世界に立っているだけで上等だ。

 明日は何をしよう――気ままに生きるのが、楽しくてしょうがない。

 

「信じるのです、英雄たちの奇跡を。彼らという希望を」

 

 聖女は、世界の奇跡を信じている。命の温かさに祈って、どんな時でも前を向く。

 明日が来るのだと、意地一つで唱え続ける。

 

 みんなみんな、捨てるには惜しいほどの光を齎してきた。同じ分だけの光を浴びてきた。

 どんなに暗もうと、簡単に消せるはずがない。

 どれだけ翳ろうと、放り出せる訳がない。

 だから戦うのだ。

 非力でも。変わらなくても。それでも在ってほしいと願って、足掻き続けるのだ。

 

「――――果てしなく続いていく、虹の可能性を!」

 

 光り輝く、七色のために。虹がかかる空を、再び見るために。

 

 

 ――その時だ。

 奇跡が、起きたのは。

 

 

 柱が、立った。眩しく鋭い、光の柱。

 出し抜けに顕現するそれは天弓と同じ色を携え、遥かな高みへと昇っていく。

 突き刺すように閃いて、貫くような勢いで破滅の光へと伸びていくそれは、ラフエルに生きる人々を釘付けにした。

 

『レニア上空にて、膨大なReオーラ反応あり! これは……!!』

 

 眩しくも優しいその威光が、全ての戦闘を止めさせる。

 私を見ろと誇り示した。私が来たぞと昂進した。

 オペレーターの声に引かれてレニア方面を見やったグレイは一目で悟り、静かに確信する。

 いや――彼だけではない。

 

「……来たか……!」

 

 カイドウも。

 

「ったく、待ちくたびれたっつの!」

 

 アサツキも。

 

「ヒーローは遅れてやってくる……ってね」

 

 ユキナリも。

 

「見ていますか、先生――――あれが私の弟子です」

 

 サザンカも。

 

「大バカ野郎! 勿体ぶりすぎなんだよ!」

 

 ランタナも

 

「ああ――、戻ったのですね」

 

 ステラも。

 誰一人として、見間違えるはずがない。

 この煌々と爆ぜ散る、逞しい輝きを。

 思い悩んで苦しみ抜いた果てに、それでも闇に染まらなかった、純然たる強者の痕跡を。

 命の温かさに手を伸ばし、語りかけ続けた者だけが得られた、研ぎ澄まされた結晶を。

 最後まで諦めなかったヒトだけが持てる、

 

「――――コスモスさん、カエンくん!!」

 

 “もう一度”の、兆しを。

 

 

 

 レニアシティの空にて、黒と白――――二体のポケモンが翼を広げた。

 光と影、或いは理想と真実、或いは陰と陽で分かたれた彼らは、“終わりの跡”から湧き出るReオーラに絆されながら、まるで双子のように咆哮を共鳴させる。

 すると大地が、かつての王の再臨に打ち震えた。大空が凱歌で以て揺れ動いた。遠くの海はざわめいて、逃げるように潮が引く。

 恐れよ――盛る(おこ)し火は命じた。

 祝えよ――迸る稲光りは令した。

 二体一対の獣の王は、その伝承に違わぬ威容を見せつけ、鮮烈な復活を遂げた。

 

「これが……、こいつが……!」

 

 その獣、いつの時代も身を灼かれそうなほどの真実に「それでも」と唱え、抗い続けし者に味方した。青目の白竜、名を『レシラム』。

 彼は決して真実に目を背けず、ここまで駆け抜けてきたカエンを背に預かる。

 

「ラフエル英雄譚に名を連ねた、伝説の、ポケモン……」

 

 その獣、いつの時代も気が遠のくほどの理想を掲げて「けれども」と呟き、進み続けし者に味方した。赤目の黒竜、名を『ゼクロム』。

 彼女は理想を愛し、茨と知りながらもそれを叶えんとするコスモスを乗せる。

 

「と、いうか。戻ってきたのですね、私たち」

「あ、あ……そういえば!」

 

 きょろきょろと見回し、状況を確認。

 あまりに一瞬のことで、何が起こったかわからなかった。

 それぞれがそれぞれの宝玉に触れた途端、突如Reオーラに包まれ、気付いた時にはこの有様だ。

 が、これ以上の時間は要らない。

 成すべきことはわかってる。やるべきことは知っている。

 

「ひゃー……でかくなったなぁ……」

「ええ……、本当に」

 

 改めて天焦がす滅亡の光を仰ぎ、しみじみと呆気に取られる二人。

 

『久方ぶりに見るが――――やはり、厭な輝きだ』

「ひうわわあああああああああレシラムが喋ったあああああああああ!!??!?!?!?!」

『落ち着け、私だ』

「あ……、ラフ、エル?」

 

 予想だにしない挙動に驚き、図らずも落ちかけたカエンをどうにか持ち直して、レシラムは言った。

 

『復活には小細工がいる、と言ったな。これがそれだ』

「んー? えー、えっと……」

『私たちの魂を核とし、二体の力と肉体を纏わせた』

「アリエラ……あなたも、そこにいるのですね」

『ああ。ポケモンとしては不完全な状態であるが、お前たちだけには戦わせん』

 

『私たちも、共にある』跨る背中に語り掛けると、ゼクロムは確かに聞き慣れた声で返す。

 未完成でも、不完全でも、かくして二つの伝説は満を持して並び立つ。

 元は一つであったという。相反したから分かれたという。

 されどラフエルが矛盾を抱えずに二体ともを使役できた事実は、他ならぬ何よりの英傑の証明で。

 理想を真実にしようとした。真実を理想に近づけようとした。どちらにとっても幸せな優しい世界を、創ろうとした。

 

「へへっ」

 

 カエンはそんな男と共闘できることを、喜んだ。場違いと理解しながらも、漏れ出る笑みを抑えきれなかった。

 

『笑うには、まだ早いのではないか』

「だってな、嬉しいんだもん。英雄といっしょにとべるなんて、想像もしてなかったから」

『……光栄だ。尤も、そうする原因となったアレ(・・)を最初に生み出してしまったのは、私なのだがな』

 

 誤りではない、誤りの記憶。

 総てを飲み込んでいく暗黒を目の当たりにして。無明の世界の入り口に立って。ラフエルはやっぱり、己の所業の程を改めて認識する。

 見れば見るほどに「……醜いな」恐くて、不安で、狂いそうで、逃げ出しそうで。

 

『アリエラ。……お前たちがあの日に見ていた景色は、こんなにもおぞましいものだったのだな』

 

 自戒した。

 私はこんなものを存在させてしまったのか、と。こんなことをしてしまったのか、と。

 

「――救いにいこうよ、もう一回」

 

 それでも、それでも。

 訴える少年の言霊は火焔よろしく揺らめいて、彼の魂に熱を与える。

 

「こんどこそ、あのとき救えなかった世界を、ちゃんと救うんだ」

 

 覗き込む笑みは、たちの悪い希望なのかもしれない。ひょっとすると無謀にも等しい子供の駄々なのかもしれない。

 

「それでさ、ちゃんと英雄になろう。おれと一緒に。みんなと一緒に!」

 

 ――それでも、この手を引いて仕方がない。

 

『ああ……そうだな』

 

 為し得なかった願いを遂げよう。八千年前の忘れ物を取りに行こう。

 

『――救いに行こう、世界を』

 

 若かりし頃の面影に導かれるまま頷き合い、向き直った。

 

『迎えに行こう、明日を』

 

 そうして迷いを完全に断ち切って行うは、救済。

 

『今こそ忌まわしき因果を断ち切り、歴史を呪いから解放する』

 

 二体一対が持つ唯一無二の技を用いた、破滅の光の破滅。

 

『そして再び笑い合おう、この闇の向こうで。何でもない人々が創った、何でもない青空の下で』

 

 二人の英雄は、今度こそ見果てぬ夢を叶えるために。

 二人の末裔は、そんな素敵な物語を受け継ぐために。

 

『――――往くぞ!!』

 

 それぞれが、未来に向かって漕ぎ出した。

 

 

『レシラム、ゼクロム、共に破滅の光への進行を開始! バラル団が戦線より離脱していきます!』

「奴ら、末裔たちの邪魔をするつもりか……!」

「僕が行く。動ける者は続いてくれ」

「ち、ちょっと、グレイ!!」

 

 グレイは灰が織り成す混迷へと、リザードンを駆り立てる。

 

「最後まで、懸けるよ――君たちに」

 

 

 鳥ポケモンで出来たトンネルを、潜り抜けた。

 風に出会って、見送って。背後から襲い来る色とりどりのエネルギーを避けて、惚けるように置き去りに。

 ただ阻むものを焼き討ち、迫るものを撒いていく。

 レシラムは紅き烈火(ターボブレイズ)を、ゼクロムは蒼き轟雷(テラボルテージ)を尻尾に灯し、軌跡を刻みながら天翔ける。

 重々しくはためく翼が、ごまんといる追手の猛攻から逃げ回る、そんなレニア上空。

 活路はまだ、見えない。

 

「カエンくん、散ります!」

「任せろ!!」

 

 コスモスの声を合図にし、二体は上下に広がって狙いを分散する。

 下――町並みすれすれまで降りて低く滑空するは、ゼクロム。

「敵、散開します!」「追って各個撃破だ!」

 抜かさない、抜かせない。さらに加速し、混沌の大群を怯むことなく引き付けた。

 

『掴まれ、コスモス!』

「はい――っ!!」

 

 頸に抱き着くと放たれる、数多の技。

 流れゆく景色。人造の谷。風見鶏が舞っている。

 天が地に、地が天に。ローリングで横に揺れ、ムーンサルトで縦にぶれ、そうして視界は狂ってく。

 背後に細やかな爆発音を次々残しながら、草木の舞踏会を横切った。

 

「……ーーーーーーーーっ!!」

『飛ぶ、ぞおおおおおおおおおおおおおおッ!!』

 

 突き当たる鉄塔、舌を噛みそうな急制動、髪を煽られる急上昇。

 乱れる三半規管はいつしか勝手に上方を前方と再定義し、重力に逆らって猛然と駆け上がる。

 悲鳴にならない悲鳴が言う。いつかの絶叫マシン以上の迫力だと。

 

「“かえんほうしゃ”!!」

 

 そうして高くまで連れてきたバラルの飛行隊たちを、一陣の灼火が墜とした。

 

『アリエラ!!』

『ラフエル……!』

 

 レシラムだ。

 手が空くと、刹那のアイコンタクトを挟んで旋回、カエンとすれ違うコスモス。

 

「“10まんボルト”!!」

 

 直後に唸った稲妻は、彼の後部に貼り付くバラルを同じようにして焼き払う。

 片や炎をめらめらと燃やして、片や雷をバチバチと爆ぜさせて、背中合わせで続々と敵を叩き落としていく。

 嘗てと遜色ない伝説らの戦いぶりは、獅子奮迅と呼ぶにふさわしかった。

 だが――。

 

「くそっ、こいつら、やっつけてもやっつけても……!」

「消耗しているはずなのに……、きりがないですね」

 

 まるで包囲網に、穴が開かない。

 

『連中、倒すことは諦め、時間稼ぎに徹する腹積もりのようだ』

『そこまでして、終焉を求めるとは……凄まじい執念よ』

 

 崩しても崩しても立ちどころに修繕されていくそれは、彼らに不本意すぎる足踏みを強いる。

 

「うわああああっ!?」

「!? なんだ、横から……ぐあぁ!!」

 

 彼方より至りて二体を助ける、蒼黒の焔。竜の息吹。

 その時降臨した男の正体は、言わずもがな。

 

「グレイにーちゃん……!」

「時間がない、急ぐんだ」

「……お願いします!」

 

 グレイは交代するように戦場に踏み入り、離れていくコスモスとカエンを見送った。

 続けざまに虹を放って発する、希望を繋ぐメガシンカ。従うプテラとボーマンダが変容する。

 二体目以降の進化だ――肉体への負担は免れない。

 わかっている。でも、下がれないんだ。

 ごふ、と吹く喀血が掌を汚しても。今こそ、今だから全てを出し切らないといけないんだ。

 

「これは、世界を救う戦いだから」

 

 ラフエルチャンピオンだけが持つ個性――“複数体のメガシンカ”を発動させ、グレイは口辺の深紅を拭い取った。

 

 

『間もなくだ、近いぞ!』

「わかってる! 一気にいく!」

 

 グレイが引き受けてくれたお蔭で、敵は格段に減った。

 途中で何体かは出張ってきたものの、ラフエル全土を視界に収められるほどの高度に及んでしまった今ならば、恐るるに足らない。

 後は振り向かず、ひたすらに上昇するだけ――。

 

『避けろ!!』

 

 アリエラの一声が、数秒先の危機を知らせる。

 猛ける叫びが“ハイパーボイス”だったと理解できたのは、白黒が離れ離れにされた後のこと。

 飛んでくる音波を避けてから呼んだ名が、

 

「おまえ――、グライド!」

「禍々しい光を纏いしケダモノが……貴様の出る幕はない!」

 

 最後に立ちはだかる敵の名だ。

 

「くっ、リザードンとカイリューを倒したってのか!」

 

 虚無を背負いしメガボーマンダは、正面から“すてみタックル”を放ち、レシラムの行く手を阻んだ。

 

「ハハハ! 伝説を目覚めさせたこと、ひとまず褒めてやろう!」

「イズロード……あなたは、最後まで!」

 

 引き裂いた片割れを襲うのは、フリーザー。

 後方を陣取ると“れいとうビーム”を拡散させ、機銃のようにばら撒きながらゼクロムを追い回す。

 かくして漆黒の輝きの真下で、最後の戦いが始まった。

 勝った方が世界の命運を左右する。生かすも壊すも決められる。泣いても笑っても、明日は彼らに委ねられた。

 全てを抱いてここに至った者と、全てを捨ててここに立った者が、熾烈な激闘を繰り広げる。

 

「人の温かさ! 可能性! 情! 愛! 夢! 優しさ! そんなものをいくら育もうと、奴らは結局この天上に黒太陽を掲げるではないか!」

『短いヒトの一生で、答えを出すことではない! 幾万もの奇跡による積み重ねを断じる権利など、誰にもありはしないのだ! お前にも、私にも!』

「惚けろ! そうやって先延ばしを続けて、悲劇の歴史は繰り返されてきたのだ!」

 

 避けて避けられて、対流圏での背中の奪い合い。

 雷電と氷雪とが飛び交う。描かれる光の尾は何度も雲を割り、絡んでは解けてを繰り返す。

 

「どうする、此度もそうするか!? 不都合から目を逸らし、耳当たりが良い夢だけ垂らして逃げ回るか!?」

「彼女は逃げていない! いつでも世界の未来を憂いてきた! どんな時でも自分に正しさを問い続けてきた! その優しさは、紛れもなく英雄のものだった!!」

 

 紙一重を連ねてかわすは“こおりのつぶて”の追尾弾。

 コスモスは風に振り回されながらも、力一杯、雄弁に語った。先祖の強さを。誰にでも誇れる、命としての気高さを。

 

「もはや価値を問う時期は過ぎた! 救うに値しないのだ、ヒトは!」

『私はお前のように急ぎもしなければ、諦めてもいない! 明日はきっといい日になると信じている!』

「腑抜けた昼行燈がァ! 導き手としての矜持すら捨て去ったかァ!!」

『ぐっ……!!』

「アリエラ!」

 

 旋回の一瞬を、咎められた。逆さまの景色で腕に“れいとうビーム”をもらう。

 しかし構うか、されど彼女は止まらない。

 

『っ……私は、導き手ではない!』

 

 冷たさに打ちひしがれようと。目が眩む靄に包まれようと。

 

『彼らと同じ道を歩む――、ただの人間だッ!!』

 

 振りほどいて、進んでく。

 人間としての己に気付いた女傑は、声高にその在り方を叫んだ。

 

「“げきりん”!!」

「“すてみタックル”!」

 

 ぶつかり合ってすれ違い、睨み合う。

 黒竜と氷鳥によるドッグファイトの傍らで、幾度も身を打つインファイト。

 吼える二頭の竜は、大技を使って額と額を密着させ、その場で回転した。

 

「ミイラが……今更出てきたところで、貴様に果たせることなど何もない」

『どうかな。少なくとも、お前と戦うことは出来る』

「違う。貴様にはそれしか(・・・・)出来んのだ」

「ぐっ……! パワーが……!」

「ボーマンダ」

 

『グルァァアアアアア!!』グライドが闘志を焚きつけると、連戦とは思えないほどのスタミナとパワーを発揮し、レシラムを火花もろとも力業で押し飛ばす。

 

「わ……――ッ!!」

「破滅と共に消えゆく運命(さだめ)の人間と渡り合うのが、関の山だと言っているのだ!」

『自らを捨て去り、駒とするか。……空虚な男め』

 

 ラフエルは動揺でコントロールを忘れたカエンを助け、自発的に追撃『りゅうせいぐん』を回避していく。

 

「何とでも言え、これこそが我らが悲願!」

『ぬ……ッ!』

「予てより望み続けた結末だ!」

 

 肉迫。空気の悲鳴。

 二度目の“すてみタックル”はより速くなり、ラフエルとカエン、どちらの瞬きをも上回って盛大な突撃を仕掛けた。

 体勢を崩され、成す術なく三六〇を転がされる自由は、寧ろ今は仇になっていて。

 落とされまいと必死にしがみつくカエンだったが、グライドにとっては隙でしかない。

 響き渡った“ハイパーボイス”。咄嗟の反応で当てがう“かえんほうしゃ”。

 

「ぐ、っ! うぅ~~~~~~っ!!」

「それを妨げる貴様らは、ここで葬らねばならん」

 

 大技同士の真っ向勝負だが、優勢はボーマンダ。

 畳みかけんと決した最大出力が、その音波を炎の倍近いサイズにまで膨らませる。

 強烈な余波に押され、素肌が熱くなる。

 カエンは無意味と知りながらも歯を食い縛り、目を強く閉じて踏ん張った。

 

「終わらせねばならん! 殺さねばならん! 誰であろうと、今ここで!!」

 

 白と橙が織り成す二色の線が、少しずつ白一色に近付いていく。

 

「古代の亡霊が――貴様の時代は終わったのだ! 忌々しき記憶と共に消え失せろ!」

 

 終いに音の砲撃が目前まで近寄った。

 まずい。危ない。負ける。

 

「――違うッ!!」

 

 そんなことを思っているのは、観測者ぐらいだ。

「何!?」開き直った少年の瞳で弾ける虹を、認知。

 だが、その頃にはボーマンダの威勢などとうに失われていて。レシラムだけが持つ最上級の技に、押し返されていて。

 

「なんだ、一体何が……!!」

「これから始まるんだ!」

 

 炎は、温度が高くなると蒼くなる。逞しくなるほどに穏やかになる。

 本当の怒りが全てを見放すように。他者への関心を薄れさせていくように。暖色から寒色へと、徐々に風体を変える。

 

「おれたちは今日、ここで世界を救って! 新しく始まるんだ!」

 

 されど強く、逞しく吼え盛る火焔は、リアルタイムで“動”から“静”へ。

 健やかなる『あおいほのお』は、めらめらと燃えていた。

 

「英雄の物語を――――、あるき出すんだ!!!!」

 

 優しい熱に、燃えていた。

「……何故だ」予期しない逆転で呆然とするグライドは、迫る蒼炎を虚ろに反射し呟いた。

 

『ゆめ忘れるな、グライドよ……明日へ進むことを放棄した者に、我らは倒せぬ』

「いっ、けええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」

「何故だアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 そうして壮絶な捨て台詞を吐き散らしながら、ボーマンダごと飲まれて消えた。

 視界の端にて起こった強烈なフラッシュで、大まかな事情を察するイズロード。

 だが、注意まで向ける暇はない。何故なら、

 

「――――“らいげき”!!」

 

 雷神の証明とも言うべきゼクロムの最強技が、今しがた放たれたから。

 全身に膨大な量の蒼雷を纏い、霹靂が如き勢いで突っ込んでいく。

「ちっ、“リフレクター”だッ!」フリーザーに障壁の生成を指示。これで威力の半減は約束された。あとは耐えきれるか、どうか。

 スパークがびりびりと不規則に明滅する。半透明の盾は鋭く高い千鳥のような鳴き声を上げ、少しずつひび割れ歪んでいく。続けたい意地と、終わらせたい意地のぶつかり合い。譲れない最後の衝突。

 

『私は……!!』

「……ぐ、おお、おッ……!!」

『――……私ッ、は!! 人間が、大好きだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!』

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 ――制したのは、アリエラであった。

 パリン。エネルギーが瓦解する。全霊の一撃はフリーザーに至った瞬間、凄まじい音を立てながら爆ぜ散った。恒星にも負けぬ光で煌めいた。

 氷鳥は焼け焦げて、寄る辺もなくして落ちていく。

 そして、虚構よろしくどこぞへ消える。

 

『なんだ!?』

「……“みがわり”です。リフレクターが割れるまでの間で、拵えたのでしょう」

 

 コスモスの見立て通りだ。傷は負っているものの、彼女から少し離れた位置に現れるフリーザー。状態は確かに健在だった。

 

「フン……馬鹿な奴だ。世界を陥落させる機会は、まだあるというのに」

 

 イズロードはぼろぼろのまま気絶するグライドを抱えながら、一人ごちる。

 

「英雄共よ。貴様らの覚悟の程、確かに見せてもらったぞ」

 

 次いで四者の視線へと向き直り、彼らを讃えながらも、

 

「此度は痛み分けで手打ちとしよう。次にまみえる時こそ、決着をつけようではないか」

 

『必ず殺す』と宣言した。

 それを最後の言葉とし、渦状に吹雪を巻き起こす。そうやって濃密な白で姿を覆い隠してから、どこぞへと飛び去っていった。

 しかし黙して、何人(なんぴと)も追う真似はしない。

 それよりも大切なことを、忘れていない故に。

 

 

『さあ――救済を始めよう』

 

 

 未来を掴み取る使命を、忘れていない故に。

 何も、言うことはない。

 ただ長い長い道のりを、振り返る。何千年にも感じられた、たった数時間を思い出す。

 果てに搾り出した決心を今一度握り締め、静寂の中で首を縦に振った。

 見上げる空は暗くても、明日へと期待し飛翔する。

 白と黒、二つの光が、二つの希望を乗せて誰よりも高く、高く昇っていく。

 恐れない。闇の向こうで、虹があると信じてる。

 挫けない。積み上げたこれまでが、素敵なものだと想ってる。

 犠牲にするだけの昨日を、清算しよう。石化した今日を、解き放とう。

 

 一人は、果たせなかった願いを果たさんと、あの日の地続きを刻み込む。

 

 一人は、心の底から愛せた世界を守らんと、あの日の足跡をなぞってく。

 

 一人は、優しく温かい記憶を受け継がんと、あの日の先を目指していく。

 

 一人は、彼らの英雄譚の完結を見届けんと、あの日の終局を探しに奔る。

 

 視界が黒太陽に埋め尽くされた頃。肺いっぱいに息を吸い込んだ。

 白き獣の肉体が松明のように燃えて、黒き獣の肉体が雷雲のように弾ける。

 コスモスとカエンは呼吸を合わせて、最後の技を指し示す。

 

『クロス――!!』

 

 それは、同時に放つことで凄まじい威力となる、伝説を伝説たらしめんとする技。

 

「サンダーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

「フレェェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイムッ!!」

 

 二人が叫ぶと、巨大な雷と炎は交差し、神々しき光となって黒の球体へとぶつかっていく。

 

 次の瞬間、目の前が一杯の輝きに包まれた。

 

 喚かず、騒がず、無音のまま際限なく広がるプリズムライト。

 

 七色はいつまでも、どこまでも遠い場所を、ひたすらに照らしていた。

 

 

      ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 黒太陽が、勢いよく弾け飛んだ。

 見る者の胸をぞわぞわと騒がせた歪な容貌は跡形もなく消え去り、残った破片は綺麗な光の粒となってラフエル全土に降り注ぐ。

 広がる波紋と、顔出す橙。根拠はないけれど、なんだか果てしない間、離れていたみたいで。

「世界が救われた」――人々を安堵させるには、多くを語らずとも、この青空を見せれば十分であろう。

 一方で惜しまれ、もう一方で喜ばれつつ、それぞれの戦局は終わっていく。

 

「毎度毎度、貴方たちというものは」

 

 構えるサザンカと、息を切らすユキナリを呆れた目で眺めながら、ハリアーはそう言った。

 含みは色々とあるだろうが、全て出し切ることはせず、

 

「……チッ」

 

 一回の舌打ちにとどめる。

 

「良いでしょう。奇跡が絶え、世が事切れるその瞬間まで抗うと仰いますのなら――相応の最期を、用意しておくことに致しましょう」

 

 では。そんな置き土産にもならない言葉を、追う事も出来なくて。

 満身創痍なのは、何も彼女を乗せて去っていくサザンドラだけではない。次々と空へ引き上げていくバラル達を見ながら、その場に座り込むユキナリとサザンカ。

 

「楽な仕事じゃないよ……、本当に」

「仰る通りです」

 

 瀕死寸前のポケモンらを戻し、無駄話する。

 いいだろう。平和を勝ち取ったのだから、ばちも当たらないだろう。

 

「ですが……遣り甲斐ある仕事では、あります」

「……そりゃ、そうだ」

 

 充実感を覚えながら吐くため息には、確かな重さがあった。

 

 

 

「潮時だね、うん」

「……あん?」

 

 行儀悪く聞き返すアサツキだったが、戻されていくポケモンを前にして言葉の意図を知る。

 

「いやいや、お互い命拾い出来てよかった」

 

 彼女にしてみれば、そう言いながら胸を撫でおろす青年は、ますますわからなくなる一方なのだが。

 

「まだ自分だけ助かる方法を確立できていないからさ。どうしようか迷ってはいたんだ」

「……なんだそりゃ」

 

 モンスターボールをホルダーに戻す姿は緩慢としていて隙でしかないけれど、攻撃することはしない。

 不思議な事だったが、クロックという男は最後まで人間を狙うこともなく、トレーナーとしての振る舞いに終始していた。とどのつまり普通のバトルをしていたのだ。

 ただのバトルならば、仕方がない。

 他のジムリーダーならばわからないが、アサツキはそういう点でも無駄に律儀であるからして、大人しくローブシンを取り下げる。

 何よりも最大目標が達成された現状、彼一人を捕えるためだけにこれ以上の消耗を重ねるのも賢いことではないだろう。

 

「まあ、成り行き同士、またどこかで会おうよ。帽子が赤じゃなくて黄色なのは、残念だけど」

 

 クロックは怪訝そうな相好に「それじゃ」と簡素な挨拶を済ませ、早々に消えた。

 

「なんなのだ、あいつは」

「……オレが聞きてえよ」

 

 なかなか人の理解を得られない二人が、さらに不理解を示す相手。その他に得られた情報はないが、それでいいのだろう。

 要するにただの「変な奴」と、わかるだけで。

 

 

 

「おうさっさとしろー! 撤収だ撤収だー!」

 

 作戦が失敗したというのに、煙草咥えた口から出るのは実にあっけらかんとした号令。

 ワースは気怠い調子さえいつも通りに、先ほどまで戦っていたステラとランタナを平然と無視し、ポケモンを下げる。

 乱れがない息は、強さの証明か。それとも手抜きの痕跡か。

 

「お、おい! 堂々ととんずらしてんじゃ……つっ!」

「ランタナさん、お怪我が……!」

「なんだァ? ぶっ殺して退路作った方がよかったか?」

 

 戦闘の合間に損傷した脇腹を押さえてしゃがみ込む。そんな男を見下ろす表情は、実に底意地が悪い。

 

「手前の価値を理解出来んのァ、いつだって手前だけだ。わーったら大事にするこったな」

 

 ランタナの目下で捨てたやにを踏みにじるのは、次はこうなるぞ、という示唆なのかもしれない。

 そしてワースは、どこまでも掴めない落ち着き払った面持ちで、二人の横を抜けて去っていった。

 

「派手にやりやがって……だァーから言ったんだよ、初期段階で気合入れすぎんなって。大体今回だって――」

 

 縮んでいくぼやきは、彼の輪郭が判らなくなるまで続いたらしい。

 

 

      ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 “クロスサンダー”と“クロスフレイム”が炸裂した。

 天空に座する黒曜石(オブシディアン)が砕け散る瞬間を見届け、太陽との再会を果たして。

 

「…………ここ、は……」

 

 ――コスモスは、立っていた。

 “対極の寝床”に続き、またしても初めて見る場所に足を付けていた。

 隣のカエンとお互いの一瞥を重ねてから、辺りを見渡す。

 前も、後ろも、右も左も、上下も――延々と伸びる虹だけで満たされた、だだっ広い不思議な空間。

 先程の純白の景色で慣れてしまったのだろう、二人は現在地を「やはりこの世界にある座標ではない」と断定し、わかりやすい答えを探す。

 

「ここだ」

「わっ!? びっくりさせないでくれよ……!」

 

 いつの間にか背後にいたラフエルとアリエラに、吃驚。

 振り向いてみれば、レシラムとゼクロムの状態から元の姿に戻っており、二色の宝玉をそれぞれ携えている。

「はっはっは、すまんすまん」と茶目っ気を覗かせて謝るラフエルへ、コスモスは問うた。

 

「此処は、どこなのでしょうか」

「紡がれた数多の奇跡の中――、さらに続く虹の中」

 

 透明感を伴って響き渡る声は、精神を穏やかなものに変えていく。

 安心というものなのだろうか。いるだけで、なんだか清々しい。

 

「有り体に言えば、“虹の道”というものになる」

 

 アリエラがその正体をさらに噛み砕いて説いてやると、頭上にクエスチョンを浮かべるだけだった末裔らはしっかりと理解し、腑に落とす。

 

「破滅の光は、無事に消えた。一件落着だ」

「次に見た空は、また青が広がっていることだろう……安心して戻るが良い」

 

 なんだかぐらついて聞こえるのは、彼らの声が震えているからなのだろうか。それとも自分たちの耳が揺らいでいるせいなのか。

 

「……あなたたちは、どうしますか」

「さて、なあ。どこへ行こうか……決まっていない」

 

 こんなことを訊ねてしまうあたり、きっと後者なのだと思う。

 コスモスもカエンも、彼らが発する言葉の一つ一つを受け取るだけで、寂しくなった。切なくなった。

 薄々、わかっていた。ちゃんと考えていた。

 それでも十分に思い巡らす時間をくれないというのだから、実に人が悪い。

 

「なにぶん、心残りが無くなってしまったのだからな」

 

 ――お別れだ。

 微笑む二人が、静かに告げた。

 もう英雄が必要となることは、ない。

 既に尽きた魂が成すべきことは、ない。

 憂うこともなければ、悔いることもない。悲しみだって。

 カエンは名残惜しそうに俯いて、口を開く。

 

「……もう、いっしょにいられないのか?」

「伝承の存在が現代に甦ったところで、ややこしくなるだけだ。お前たちとて、アリエラの事で懲りたであろう?」

「メリーゴーランド、壊されましたしね」

「よ、よせ! ち、知識の不足というものもある……次は必ずや乗りこなす!」

 

 水臭い雰囲気は得手ではないからして、誤魔化すコスモス。

 でも、彼女とて知っている。本当は次なんてないと。ここでさよならだと。

 

「だからな、ここまで(・・・・)だ」

 

 こんなにも満たされた表情を見せられてしまっては、察するしかないじゃないか。

 

「これより先はお前たちが作る、お前たちの道だ。故に、お前たちだけで往くが良い」

 

 されど笑顔での別れを望むなら、気丈でいなければ。そう言い聞かせる竜姫に反し、勇者はというとどこまでも年相応に、素直に、しんみりとして、手を差し出す。

 

「じゃあ、さいごに、もう一回だけ……あくしゅ」

「フフ、どうした。先ほどまでの勇ましさが偽りのようではないか」

 

 瞳を見るのは、涙がこぼれそうで苦しい。しかし英雄の証を最後の瞬間まで刻みたいので、がっちりと掌を握り合わせた。

 

「“英雄カエン”よ――――世界を、お前に託す」

「――……!」

 

 なのに彼というのは、そんなことも知らないで少年の胸を打つ。

 

「ぇ……、……あ……」

 

 つくづく、ひどい男だ。罪な奴だ。

 生まれた時から追いかけていた夢の始まりから『英雄』と認められ。

 どんな時でも魂を熱く焦がした自分の原点から『託す』と任せられ。

 泣きながらも突き進んだ旅路の果てで――ようやく聞きたかった言葉を、聞けて。

 

「っく――……ぅっ~~~~……!!」

 

 一体どうして、感極まらないなんて思えるんだ。

 カエンは、頬いっぱいに心の雫を溢れさせていた。

 歯を噛み締め、息を詰まらせ、垂れる鼻水を啜っていた。

 

「――約束だ!!」

 

 それでも逞しく、面向いて。

 伝え聞くよりもずっとずっと大きな懐にぶつける、握り拳。

 

「おれ、おまえを超える英雄になるから!」

 

 背中を押してくれた“これまで”に、別れを告げた。

 

「そして、いつか――っ、いつか絶対! おまえの願いを叶えてみせるから!」

 

 “これから”はちゃんと一人で歩むと、誓い立てた。

 

「どれだけかかっても……平和な世界を、つくるから!!」

 

 だから、待っていろと言った。

 

未来(あした)で待ってろ! カエン地方を、楽しみにしてろ!」

 

 楽園でまた会おうと、契りを交わした。

 

「――……頼もしい、限りだ」

 

 一足先に、ラフエルの姿が透ける。

 歴史の呪縛から解き放たれた男は、八千年前の忘れ物を大切に抱えた。もう落とさぬように。二度と失くさぬように。

 外典は、正典になった。邪神は、本当の英雄へと様変わり。黒から虹に塗り替わっていく道程に手を振りながら、満足げに、ゆっくりと、粒子になって溶けていく。

 凛として向き合う子孫の瞳に、笑ってしまうほどに眩しい楽園を見た。

 

 嗚呼。

 

 嗚呼。

 

 

「救済というのは――――……こんなにも心地良いものなのだ、な――」

 

 

 始まりの英傑は穏やかな喜色を浮かべ、澱みない天を仰ぎながら、虹の彼方にほどけた。

 

「私も、時間のようだ」

「……行くのですね」

 

 太陽の英雄に続き、月の英雄の肉体も希薄になっていく。

 

「嘗てが吹かせた芽を育て、明日に種を撒いていく――そうやって一歩ずつ、歩いてく」

 

 自分とそっくりな、柔らかで懐かしい香りを抱き締める。

 するとコスモスの背中にも、温もりが触れた。

 

「あなたは、間違っていなかった」

「お前が、正解にしてくれた」

「世界は、きっと変われる」

「お前たちには、その力がある」

 

 子孫は、祖先の愛の深さを知って。祖先は、子孫の魂の強さを知って。

 彼女らが此度で得られた答えは何年経っても、どんなになってもその心の中で呼吸し続けるのだろう。

 

「……忘れぬぞ、コスモス」

「お元気で……あなたの子孫で在れたことを、誇りに思います」

 

 肩に顔をうずめる。出会えてよかったと、甦ってよかったと、万感の思いを込めて言った。

 でもまだ、まだ足りないから。

 

「――――Grauche hielia(ありがとう、友よ)

「ありがとう――我が盟友」

 

 ちゃんと伝えよう。あなたに伝わる、あなたの言葉で。

 八千年越しの私から、最大級の感謝を込めて。

 

 

「いつまでも、いつまでも――――……お前たちを、愛している」

 

 

 人に懸けた自分を、受け容れながら。優しき物語を紡いだ選択を、誇りながら。

 アリエラは満面の笑みを連れて、コスモスの腕の中から消えた。

 最後に足元に落ちていた涙は、どちらのものだったのか。それは彼女たちにしか知り得ない。

 

 

 

 虹の道から引き戻される。高すぎる空に連れ戻される。

 遠ざかる雲と青を見つめながら、仰向けのまま落ちていく。

 ばたばたと空気の層に遊ばれるうちに、回復を終えて飛んできた相棒たち――“カイリュー”と“リザードン”。

 二人の“新章の英雄”は二頭の竜に優しく受け止められ、やがてレニアに降り立った。

 

 少女が希望と出会い、幾つもの困難を乗り越え、数多の激闘を繰り広げ、未来を勝ち取るまでの勝利の物語(エピソード・ジーク)は、かくして完結を迎える。

 彼女は明日をどう生きるのだろう。何を思うのだろう。どんな顔をして過ごしているのだろう。

 

 ほんの少しだけ続いている先は、そんな疑問に回答する、とっても近くの後日談。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。