ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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05.呼吸

 密度の高い木々の隙間から、柔らかな光が零れ落ちる。

 積み重なった暗闇が、誰も彼もを隠し立て。

 ぞわぞわと吹く風下で、雨天の残滓は優しく揺らぎ、そこに月を映し出す。

 

「――突撃ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 

 今宵のハルザイナの森は、荒れている。

 女の意気盛んな一声で、いくつもの“黒”が殺到した。

 

「くっそ! なぜポケットガーディアンズが……!」

「森でカムフラージュは完璧なんじゃなかったのか、あの研究者め!」

「本部へ緊急連絡! こちら作戦中ソマリ班! 何者かの通報によりPGが殺到、活動拠点が攻撃を受けています! 至急応え――うわああああああッ!!」

 

 フード姿の黒は、また別の“黒”。強いて言うなら、“悪の黒”だ。

 そして活気と共に前進を繰り返し、彼らをその助けごと切り裂いていくのが、“正義の黒”。

 野生ポケモンも食うものか。だから逃げていくんだろう。

 ヒースの研究所、もとい隠れ家前は、戦争と呼ぶにふさわしい――PGとバラル団の構図が、展開されていた。

 

「一匹たりとも逃がすな! 四肢の一本や二本は無くて構わん! 敵方の還る場所を破壊してこそ初めて還れる――殲滅するまで温かいメシはないと思え!」

 

 犯罪者らにとっては指折りの危険人物である女性刑事、獄下の狂犬(ヘルハウンド)ことフィールは、今日も今日とて執った指揮棒をひたすら前に突き出している。

 そこに込められる意味は『前進あるのみ』『玉石同砕』『一敗地に塗る』と、表現は様々だが、伝わる意味はすべて一つに収束する。

 悪は跡形もなく全て破壊する――まったくもってシンプルだ。

「ガーディ! “かえんほうしゃ”!」「カラマネロ! “ばかぢから”だ!」

 あちらこちらで起こる技の応酬を、やに片手に遠目で見つめていた。

 

「状況が整った者から順に中へ侵入しろ。細かい命令は好きじゃないからな……各自生き残って殺せ! 以上だ」

 

 あまりに部隊のリーダーとは思えない、いい加減な命令の後に、取り直す無線。

 

「こちらフィール」

『大変です! 案内人として協力してくれたリザイナのジムリーダーが、真っ先に中に入っちまいました!』

「何ィ? ったくあの小僧、余計な真似を……市民の安全は最優先事項になるんだぞッ……!」

「フィール警部! 敵がそちらに!!」

 

 敵というものは、何かと残酷だ。

 

「見つけたぞ、獄下の狂犬!」

「貴様を潰せば昇格が待っているゥ!!」

 

 こうした一瞬の取るに足らない隙すら、許してくれないのだから。

 

「もら」「くら」

 

 尤も、それ以上に残酷なのが、このフィールという女なのだが。

 

「どうした? 忘れ物をしているが」

 

 モンスターボールも忘れて殺しにかかった団員二人が、あっという間に喋らなくなった。

 無理もなかろう、彼女のすぐそばを護る巨体(メタグロス)に、たったの一動で捻じ伏せられてしまっては。

 

「私の逞しい立派な彼氏だ、覚えておくといい」

 

 縮こまって震え上がる団員二名に手錠をかけ、三度の無線連絡。

 

「フィールだ! 民間人が関わってるとなれば、特例を発動する他もあるまい――――私も出るぞ!」

 

 潰れた煙草が、静かに大将を送り出す。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

「“サイコキネシス”」「“シャドーボール”」

 二人の男が別々に口にするのは、エスパーとゴースト、両タイプの高火力技。

 球状に膨れ上がる薄紅の念と漆黒の影とが、よーいどんで放たれた。

 ユンゲラー、ゴースト双方は、目先で挟んだ空白を埋め合わせるように、技同士を激しくぶつけ合う。

 エネルギーの発散。強烈な閃光が走ると、びりびりと紫雷が這いずった。

 

「うっひゃあ」

 

 忽ち広がる眩さにたまらず見物人が目を瞑る。

 隙あり――狙い通り、だ。

 

「“テレポート”」

 

 淡々とした表情は、最大のチャンスを掴み取るための冷静さの、裏返し。

 ユンゲラーの瞳がスプーンの煌めきを反射させるのと同時に、囚われだったアルバとシエル、そして彼らのポケモンが一瞬にしてカイドウの背後に出現する。

 何よりの最優先事項の達成。これで、存分に戦える条件は揃った。立て続く想定外に、ソマリは不満を漏らす。

 

「あー! 何かあった時の保険になると思ったのにー!」

「進化に十分なエネルギーは蓄えられた……いいさ」

 

「無事か」救出した二人に言葉をかけるも、一向に返らない。

 肩越しに目を配せて、その訳を理解する。

 一人は精神作用による身体的消耗でそれどころではない。そしてもう一方は――。

 

「カイドウさん……すみません……」

「…………」

「……僕は……」

 

 喋りたく、ないんだろう。

 無力を突きつけられて。弱さを思い知らされて。底を見せつけられて。

 精神を保っていろという方が、酷な話だろう。

 

「僕の、せいで……僕が弱いせいで……」

 

 壮大な夢を見て、世界に踏み出した。

 でも世界は、自分が思い描いたよりもずっとずっと穢れていて、凄惨で。

 拭っても拭っても拭いきれない悪意に満ちて、溢れていて。

 

「全部……、全部……ッ」

 

 少年が味わうには早すぎたのだ。あまりにも。

 

「……ごめん、なさい……」

 

 現実に踏み潰された夢の跡に零れるのは、無残の涙だけだった。

 尚も無言を貫く男は、宛先もわからぬ謝罪を聞き受け、ゆっくりと目を離した。

 

「お前の、言う通りだった」

「へ……?」

 

 だがそれは見捨てるということではない。

 繋がる言葉が、それを教えてくれる。

 

「少し考えたが……、俺は持つ者だ。だから持たざる者(おまえたち)の心理が理解できなかった。し、これからも理解はできないのだろう」

 

 別に貶める訳ではない。軟弱者と追い打ちする訳でも、毛頭ない。

 

「だが努力はできた。理解するために分析し、実験し、考察し、推論を組み立てて結論を導き出すことができた」

 

 だからと慰めるほどの気が回るはずだってないし、励ますのもやっぱり違う。

 

「そしてそれこそが、何より重要なファクターなのだと気付いた」

 

 もしかしたら、意味なんて伝わらないのかもしれない。

 

「見苦しく足掻いて、もがいて、届かないとわかりつつも足りない頭を捻って――それでもいつだって、何かをひたすらに求め続けている」

 

 それでも彼は、精一杯伝えるのだ。

 残念な思考回路と、粗末な言語力を以て。

 

「それは、持たざる者であるお前たちの専売特許のはずだ」

 

 最大の、賛辞を。

 

「勝てない相手がいたのなら、勝利をもぎ取らんと梃子でも動かずそいつから学習する。……頑固だ」

 

 気の迷いでもいい。偶然でもいい。得られたものは、確実なものだから。

 

「孤独が嫌になったのなら、拒絶の恐怖も恐れずに誰かへ言葉を投げかける。……蛮勇だ」

 

 なんとみっともない話だろう。そう思ったりもした。

 

「しかし持たざる者だからこそ、手にできるものがあるはずだ。そうして得られるものは、この先にもまだ広がっている」

 

 でもそれこそが、自分に欠けていたものだと。ずっと諦めて、見向きもしなかったものだと。気付くことが出来たのだ。

 ――こんなに有意義な事があるか。

 だから僅かばかりの感謝を込めて、彼は発破をかける。

 

「だから起きろ。お前が挫けるには、まだ早い」

 

 聞こえているかもわからない背中から注意を逸らして、もう一度構えた。

 目が合った。重く、ゆっくりと。

 夜の闇と静寂に包まれていても。この鈍く爛々とした輝きだけは、どうにも消えそうにない。

 

「……貴様か。CeReS(うち)の人材を不正な行為に利用しているのは」

「人聞き悪いなあ。彼から協力を志願してきたんだけれども?」

 

 食い気味なソマリの返答に促され、視線をヒースに置くカイドウ。訴える意味は、様々。

 

「『なぜお前がここにいる』……って、顔かな」

 

 こうやって言うまでもなく伝わるから、言外のままでいい。それぐらいには信じていただけに、問い質さねば気が済まない。

 

「その疑問は、今更だよ。ずっとあり得たことじゃないか」

「……なんだと?」

「知っているくせに」

「ッ! ユンゲラー!」

 

 バチィン。想定しえないタイミングでの攻撃――奇襲、というやつだ。

 

「僕と同じように、ただただ嫉妬され、ひどく疎まれ、いわれなき迫害を受け、居場所を追いやられ続けてきた君ならば――わかるだろう?」

「っ……“サイコショック”!」

 

 ゴーストの物理攻撃(シャドークロー)を、紙ならぬバリアー一重で防ぐユンゲラーだったが、守るばかりではない。念動力で浮かせた瓦礫で眼前をかっ裂いた。手応えは言わずもがな。

 

「もう疲れたんだよ。世界に」

 

 続くシャドーボール。持ち前の身軽さで、上下左右と位置を変えながら連ねて放つ。

 

「限られ過ぎた居場所を、探し続けることに」

 

 しかし“ねんりき”で軌道を捩じられたそれは、目標に到達することなく口惜しそうに壁際で爆散した。

 直後、もくもくと煙が立ち込める。

 

「だからね、考えたのさ」

 

 さりとて彼らはお互いに、お互いを見逃すことはない。視界が曇ろうと開けようと、変わらずにかち合い続ける眼光が「逃げるな」と示すのだ。

 

「世界が生き辛いのなら。それを壊して、新しい世界を創ったらいい」

 

「悪ふざけはよせ。神を標榜するつもりか」否定の下で、一蹴するカイドウ。

 

「ああそうさ、神だよ……、ッ、神になるんだ僕は!!」

「科学者が眉唾を語るのか!」

「眉唾じゃないさ! 実現できるんだ彼らなら! このバラル団ならば!!」

「お前のそれは逃避に他ならない! 今いる場所から目を背けるな!」

「逃げることの何がいけないっていうんだ!! 降り掛かる不幸から逃げて、自分に害なすものを潰して! 何がいけない!!?」

「……ッ……!」

「――……こうでもしないと、生きられない人間だっているんだよ」

 

 そもそも自由すら、手に取れない人がいるんだよ。

 この言葉を聞いた時、カイドウはすっかり問答を止めてしまった。

 柄にもなく声を荒らげたのは、憤っているから。

 何に、と問われると、途端に答えには詰まる。

 ありもしない幻想に縋り付く、同輩にだろうか。

 同輩を唆した、自ら『混沌』の名を掲げる悪魔共にだろうか。

 わからない。あまり造型したことの無い、感情だから。

 

「なあ、カイドウ」

 

 先程からの衝撃で破損した機械類が、虫のようにケーブルをうねらせて、じりじり鳴き声とスパークをひり出している。

 

「こんな風になってしまったが……、僕は今でも、君を友達だと思っているよ」

 

 それでもかつての仲間の声は、よく通る。今も変わりようがない、穏やかな笑声は。

 耳に馴染んでしまったんだ、きっとそうだ。

 

「同じ光景を見て、同じ道を歩んできて、同じ場所でこうして巡り逢えた君を……今でも大切だと、思っている」

 

 遠ざかってわかる日常を、脳が勝手に懐かしんで、尊んで。

 その度に目の前で転がる現実が、ただでさえ大きく開いた胸の穴をぐいぐいと広げてくる。

 

「だからこそわかる。僕が苦しむここは、君にとってもまた、いるべき場所じゃない」

 

 ともすれば――――何が正しいのかも、わからなくなって。

 

「カイドウ。僕と共に来い」

 

 どこか離れた別の海の底で、彼は自分の名を呼んだ。

 

「新しい世界は君を爪弾きにする者はいないし、君を否定する人間だっていない。君を異物として扱う奴だって生まれない。悪い話じゃないはずだ」

 

 自分と同じ量の水を飲み込んで。自分と同じだけの酸素を失って。自分と同じぐらいの深さにまで沈んだ彼が『一緒に上がろう』と、呼んだ。

 灰色の記憶が、死に際でもないというに、走馬燈よろしく駆け巡る。

 瞳を閉ざして、俯いた。無視じゃない。待てと言っている。

 ずっと苦しかった。

 ずっと虚しかった。

 瞼の裏では、今でも漏れ出す気泡の幻影が、ちらついている。

 そんなものから救われるのなら――悪い話ではない、と、思う。

 

「――断る」

 

 でも、だ。

 自分は、そっちには行けない。頑強な意志が再びの開眼に宿った時、青年の言の葉は跳ね除けられた。

 

「……何故だい? もう、こんな場所」

「俺達みたいな者にとっては、価値がないのかもしれない」

 

 あったところで、微々たるものなのはまず間違いはない。

「だったら」「それでも」両者の声が交錯する。

 

「何かを壊してまで、自分の居場所を作ろうとは思わない」

「……!」

「それをしてしまっては、俺達もそうやって価値なき世界の一部と化すだけだ。新しい世界など待っちゃいない」

 

 自分で傷付くよりも、誰かを傷付けることの方がずっとずっと楽。それが世の常なのだろうし、だからこそ、彼らは『こんな風』に構築されてしまった。

 それでも、折れるか、折れないか。

 同じ二人を唯一分けたのは、そこであった。

 

「『この場で研鑽を積み、自分の知識で人類史の明るい未来を切り拓きたい』……CeReSの入所式で、お前が語っていた事だ」

 

 ――少年は、今でもわからないことばかりだ。

 自分の感情も。在り方も。

 勉学は一丁前なくせに、手に入れた自由の扱い方すらも、満足に理解できていない。

 でも、今は一つだけだが、わかっていることがある。

 

「ああ……よく覚えていたね。みんなで夢を語らうその場の流れで適当に言ったことだから、忘れかけてたよ」

「適当でも、なんでもいい。俺が認めたお前の言葉だ」

 

 彼と出会って。彼女を見て。奴を知って。

 それはポケモンみたいに得られた経験値で、やっと覚えたこと。何かや誰かを、想うこと。

 

「俺はあの日の――科学者としてのお前を守るために。この凶行を止める」

 

 正しいや間違いを通り越して。何かを『したい』と思うこと。

 カイドウは、初めて誰かに芽生えたエゴを振りかざす。

 一緒にいるから止めねばならないのだ。共に在るからこそ、体当たりしてでも歩む道を正さねばならないのだ。

 

「戻れ。お前の居場所は“そこ”じゃない」

 

 眼鏡の位置を人差し指でしっかり直す。二度と見失わないように捉えた、硝子と瞳の二段構え。

 その向こう側で、ヒースは腰に手をやり項垂れた。

 

「そうか……それが、君の答えか」

「俺は。お前が教えた俺の自由で、お前を引き戻す」

「ゴースト」

「ユンゲラー!」

 

 エネルギーの弾丸、作られること一〇個。

 パープルとピンクの球体が双方でまったく同じ数練り上がるやいなや、待ちきれないぞと飛び出していく。

 矢継ぎ早の衝突と消滅とが繰り返される。

 撒き散らされる塵煙、残った宝石のような光の粒子が、超能力者と亡霊の飾り付け。

 

「突き抜けろ」

「っ!!」

 

 天然の煙幕をかき分ける、額面通りの魔の手があった。

 亡霊は今一度、その手に鋭敏化された暗影を帯びる。

 迫る悪魔的な掌。

 テレポートでは間に合わない――

 

「シンボラー!!」

 

 から待機させておいた『鳥擬き』。

「ファーォ!」秩序的に線引かれた翼が音もなく羽ばたくと、風を切って亡霊を撃ち落とした。

 たまらずグェアア、と叫ぶも、そこに助けは来なくて。

 唯一の手持ちが、負傷したまま袂へと戻ってくる。

 

「やっぱり、一筋縄ではいかないね」

 

 片や好機、片や危機……そんな状況に見えるだろう。しかしどうだ、青年は前髪の切れ間から闇色の眼を覗かせながら、不敵に笑っていた。

 その面の真意すらわかってしまうのが、相対する彼にとっての悔しいところ。

 躰から不意に抜けていく脚力を、込め直した。

 

「でも“いつもの”を出せる余力は、ないんだね」

「想像に任せよう」

「強がるなよ。対応がずっと後手後手じゃないか」

 

 慣れないことはするものではない。何度でも思う。

 この忘れた頃に襲うよろめきも、ポケモンと脳内リンクが出来ないのも、偏に残留思念の読み取りをしすぎた。これに尽きる。

 故にヒースの看破を、否定しない。

 盤上は上から見るよりも、ずっと複雑だ。

 カイドウは気付いていた。何一つ、有利なはずがない、と。

 そしてただでさえ悪い旗色を、より悪くしている要素――。

 

「ねえねえ、私もそろそろ混ぜてよ。ズッ友ごっこ」

 

 それが、満を持して動き出す。

 ソマリの最後のモンスターボールは、燐光ごとその中身を勢いよく吐き出した。

 

「変・身」

「グェェェス!」

 

 今の今まで聞いていた鳴き声が、そこからまた新たに生まれる。

 

「『メタモン』か……」

 

 場に出た瞬間、自分の不定形の肉体をうねらせて隣り合うポケモンに変形――否、変身した。一連の光景を目にしたカイドウが、その現象を発生させた存在の名を呟く。

『メタモン』と呼ばれる紫色したそのポケモンは、細胞レベルで肉体を変質させることが出来るために“変身ポケモン”の二つ名を持っていた。

 姿も、技も、身体構造も、塩基配列すらも自由自在に組み替えて、本当の意味で対象に成りきるポケモン界の百面相が此度に化けたのは、ゴーストだった。

 すばやさが高く、エスパータイプのポケモンに有利が取れて、攻撃性能が高く、催眠に幻惑と搦め手も備え……この状況では最適解と言う他にない。

 

「じゃ早速、“シャドーボール”!」

「“サイコショック”で壁を作れ!」

 

 相手のチャンスは、自分のピンチだと忘れない。

 カウンターのように指示を合わせると、ユンゲラーは“視えざる手”で再度転げる瓦礫をかき集めて壁を建造した。

 どひゅどひゅという、即席の盾の向こうで炸裂音。

 

「それは悪手だぞ」

 

 だが、インターバルはない。

 ヒースのゴーストが壁を通り抜けてユンゲラーに襲い掛かる。

 

「その悪手に食いつくのを、」

「!」

「待っていた」

 

 シンボラーへの指示が行き渡った瞬間、今にも敵に触れそうだった爪が、全身ごと遠のいた。

 カイドウの口から発されたのは、「ねんりき」の四文字。ユンゲラーの補助として鎮座していたシンボラーが、その一声の下でゴーストを突っ返して壁に磔にした。

 絶好の瞬間ほど絶望を呼び込みやすい――ジムバトルで得た経験則が、ここで活きる。

 まずは一体。即座に仕留める一発(サイコキネシス)が翳したスプーンの前で膨れ上がった。

 しかし放つのは眼前の身動きが取れない亡霊の方ではない。寧ろ、その隙に乗じて強烈な一撃を加えてくるであろう紛い物(メタモン)の方へ。

 

「今だ、突っ込んじゃえ!」

 

 来た。思い通り。スプーン握った拳が方向転換。

 獲物にありつけると確信の笑みを浮かべる、メタモン。その顔面に。

 

「カイドウ」

 

 叩き込む、はずだった。

 

「……!?」

 

 はずだったのに。

 

「知らないというのは、何よりもこわいことだな」

 

 次の瞬間に吹き飛んでいたのは、ユンゲラーであった。

 至近距離のシャドーボールが直撃。この絵面から、ユンゲラーが立っていられる道理はなかった。

 何が起こった、と点にした目へと飛び込むのは、念で抑え込まれたゴーストの、怪しく輝く瞳。

 そしてその正体を察した瞬間、カイドウはしまった、と独白する。

 

「“かなしばり”……意外と使い道があるじゃないか」

 

 バトルをしない彼だから、そんな高度な技も覚えさせてはいないだろう、などという甘い見立てを恨んだ。

 ごくごく短い時間、相手の一切の行動を封じてしまう技。状況をひっくり返したのは、そんな玄人向けの技で。

 

「くっ、シンボラー!」

「そうは問屋が卸さないってね」

 

 せめて一体を持っていく。拘束していたゴーストを捻じ伏せんとシンボラーが念を練り上げるも、フリーなメタモンに阻まれ、叩き落とされ。

 あとは簡単だった。暗黒の集中砲火を受け、あっさり倒れてモンスターボールに還っていく。

 こうしてカイドウの手元には、戦えるポケモンがいなくなった。

 目の前が真っ白になって、ポケモンセンターにでも引き戻されれば楽な話なのだが――、そんなに易しいものじゃなくて。

 諦めたわけではない。ただ、肉体を酷使した分のツケが一気に回ってきて、へたり、と足を三角にして座り込む。

 

「終わり、ということでいいね」

 

 真っ白どころか真っ黒な鋭い影が、目の前に躍り出た。喉元で止まるそれに怯える訳でも、背く訳でもなく、静かに俯くカイドウ。

 返らぬ答えは降伏の証。少なくともヒースはそのように捉えた。

 

「もう一度だけ問いたい。一緒に来る気はないか」

「答えを、曲げる気はない」

 

 爪と牙をもいだので、或いは、なんて思ったりもしたが、ダメだったようだ。

 諦めにも似た感情のスイッチを入れた。もう話す事もできないのだから、少しぐらいはいいだろう。旅立ちの前に、犬も食わぬような昔話をするぐらい。

 

「どこで違えたんだろうね、僕たちは」

「……最初から、違っていただろう」

「そう、なのかな」

「ただ似ているだけの道を歩いて、偶然同じようなものを見ていただけで……向いてる方など、別々だった。ずっと、ずっと」

 

 今からすることを考えると、その言葉の否定は叶わぬものであった。

 どんなに願っても、いくら望んでも、すれ違った果ての結末が、ここにこうして転がっているのだから。

 それをわざわざ指さし突きつけるカイドウを見つめながら、一足先に踏ん切りがついたか、なんて推し量る。

 

「だが――過ごした時間と、そこから得たものは、今でも変わらず同じだと思っている」

 

 些か早計であったようだ。

 

「なら、……それをどう扱うか、で差が出たのかな」

「どちらでもいい。間違い探しは終わりだ」

 

 珍しく強引に話を終わらせると、カイドウは面を上げてヒースへと向き直って。

 

「戻ってこい」

 

 言われたことを、そのまま返す。

 相応しくないと知りつつも、あまりのらしくなさにフフと短く笑った。

 気でも狂ったか、もしくは脳の酷使で判断力も落ち込んだか。よくよく目を合わせてみればその瞳も腐っていない。

 愉快な不可思議に、ヒースが思わず問い掛ける。

 

「君、そんなに諦めの悪いやつだったっけ?」

「さあ……わからん」

「何が君をそんなにしてるんだい? その歳でヒーローにでも目覚めてしまったかい?」

 

「わからん」もう一度聞こえた。

 自身の事を問えば、いつもそうだった。ポケモンの生態を一〇〇訊いても余さず全てを答え、技の効果を一〇〇〇問うても外さずに解くような奴でも、自分のことだけは赤ん坊のように何もかも知らない、そういう奴だった。

 

「だが、いつでも俺の目の前には、お前がいた」

 

 でも、次に聞こえたのは、想像もしない言葉で。

 他でもない、誰でもない、自分の意思を、自分の口から発した、そんな自分の言葉で。

 

「そしてこれからも、そうだと確信している」

 

 だから戻れと。不器用で下手くそな言葉遣いだけれど、ずっと言っている。

 

「……君は、最後まで面白い奴だな」

 

 ――新しい友を、見た気がした。

 尤もそれが自分にとって良しか、悪しかは、もう決める由はないのだが。

 大きく息を吸って、手を挙げる。

 これから述べるのは、自身を認めてくれた、ただ一人の者に対する別れの言葉。

 ヒースは、合わせた上下の唇をゆっくりと離した。

 

「さようなら……、カイドウ」

 

 震えた風の音、振った腕の音。

 研ぎ澄まされた影の爪は、何不自由なく頂点に上って、カイドウへと降り掛かった。

 どんなに時間をかけて育んだ関係も、一挙で全てがなかったことになるのだから、ほとほと無情なものだ。

 呆気なくても終わり。

 これで、終わり。

 

 

「――う、わァァァァァァァッ!!!!」

 

 

 果たして、本当にそうか。

 そう訊ねるように駆けた叫びが、誰しもの注意を引き付けた。

 悲鳴とは違う、そもカイドウとは違うその声。

 

「あらら?」

「……お前……!」

「まだだ……、まだ、終わってない!!」

 

 アルバだった。閉ざした眼を開き直したカイドウが背中を間近にして言うのだから、違いはない。

 カイドウとゴーストの手の間に割り込み、指と掌に当たる部分を押して、食い止めている。

 ぎちぎち歯を食い縛って踏ん張るその姿勢を前に、先刻までの虚ろな佇まいは消失していた。

 

「ふーん……まだ動けたんだ……」

「よせ、危険だ……!」

「さっきの、で、思い、出せたんです……!」

 

 ぐわ、と込められた力で、ぐらつく身体。

 なにくそ、と右足を踏み出す。

 

「どうしようもないぐらい、諦めの悪いのが……、僕だな、って!」

 

 これは、何も特別な事ではない。

 誰もが「願わくは」で手にするもう一度を、自然と、好きに行使できる力――――精神力。

 アルバは思い出したそれを、行使しているだけだ。

 お前が教えたんだぞ、と言わんばかりの強気な笑みで、後ろのカイドウを見やる。

 

「一〇〇転んでも、ちゃんと一〇〇回起き上がるのが、僕だなって!」

 

 ただ一体の手持ちは瀕死になって行動不能で、自身も負傷で日常的な動作すらも容易ではない。そのはずだ。

 それでも未だ光が失われず、あまつさえより輝きが増している少年を見て、

 

「それはさー、自分の弱さからの逃避ってやつなんじゃないのカナ?」

 

 彼を叩き潰したはずのソマリは半ば腑に落ちないまま開口する。

 

「何回倒れようが次に起き上がる、その決意は確かに少年マンガみたいでカッケ~! だけどもさ? その倒れた一回で、君は取り返せない何かを失ってしまうかもよ?」

「ああ……そうかも、しれない」

 

 にへらあ、と上がった口角を憎たらしいと思いながらも、彼は否定しなかった。

 

「だったらさ、どうせ弱いならさ。その自分の弱さや、後々来るであろう決定的に大事な何かを失う瞬間から、目を逸らして生きた方がずっといいと」

 

「それでも!! 戦わないといけないんだッ!!!!」

 

 だが、遮りはした。

 それは己を蝕むものからの逃避などでは決してないから。

 

「どんなに弱くても、それは弱いままでいていい理由にはならない!!」

 

 ただ――悪魔の囁きなぞよりも、ずっとずっとよく自分を見てくれた者の言葉を、信じただけだ。

 まやかしの知ったかぶりな演説を、続けられるものなら続けてみろ。かっ開いた瞳と放つ声に宿る気迫が、世界の悪意を一蹴する。

 

「まだ、少しだけど……旅に出て、色んな人に会って、色んなものを見た」

 

 良い人も、悪い人もいた。

 綺麗なものもあれば、目も当てられないほどに汚いものもあった。

 

「同時に、どうしようもないぐらいに、どうしようもないものも知った」

 

 悲しみと憎しみを純粋なまでに好む、世界の悪意と向き合った。

 

「怖かった」

 

 勝てないと思った。

 

「逃げ出してしまいそうだった」

 

 自分の限界を知った。

 

「足が竦んだ」

 

 今でも震えが止まらない。

 

「それでも」

 

 だからこそ。

 

「――強くなるんだ!!」

 

 立ち向かわないといけない。

 何回負けても。

 どんなに弱くても。

 どれだけ傷を作っても。

 奪われるだけじゃ、あまりに虚しすぎるから。

 諦める事だけは、絶対にしない。

「ゴースト」名前だけの指示で、押さえる手の力がさらに大きくなって、アルバもさすがに後退った。

 呻き声ですら枯れかけている。

 

「聞こえるか、ルカリオ……そのためには、お前の力が必要なんだ……」

 

 しかし、されど、アルバは発話を止めようとしない。

 

「……時間の無駄だな」

 

 何をし始めるかと思えば、すっかりのびたポケモンへの再起を促す。その愚行には、ソマリも声を上げ笑いだした。

 苦肉の策という他にあるまい。

 

「お願いだ……こんなに弱い僕でも、認めてくれるのなら」

 

 手札切れを確信したヒースが、ソマリにも攻撃しろ、とアイコンタクト。

 肯った彼女のメタモンが、指先にシャドーボールを蓄える。

 万事休す。カイドウが無意識でシエルとキノココとルカリオを庇った。

 

 

「もう一度だけでいい――、起きろォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 アルバが叫んだ次の瞬間、強烈な光が室内全域で迸る。

 色は、虹色。およそ怪異の属性が放てる輝きの色ではなくて。

「なんだ!?」「これは……!」「ッ」

 誰一人意図しなかった事態のようだ――誰もが眩さに視覚を遮断しながら、驚愕していた。

 胸を焦がすような、でも、そっと包み込むような、矛盾した感覚。しかしこの光は、アルバにとって不思議と悪い心地はしなかった。

 広がり伸びて、辺りを結んだ虹の帯が、そっとほどけて消えていく。

 

「――――」

 

 ああ、一度失った世界が、再生されていく。

 肉体や物体といった、物質的なもののずっと向こうの所で、誰かの声を聞いた。

 風景が晴れても、恐らく自分はその正体を知ることはないのだろう、と、思った。

 だが。

 

 

「――――――ルォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!」

 

 

 それはきっと、自分を救ってくれるものだろう、とも、思えた。

 

「ルカリオ……!!」

「……なに……!?」

 

 突如広がった光が完全に消え失せ、視覚情報が修復される頃。少年に被さる亡霊の姿はなかった。

 引き換えに彼の前で立つのは、今しがた名を叫んだ相棒――主よろしく鋼の心を持つ、蒼色の闘士。

 

「復活したとでも、言うのか……」

 

 アルバの前にいたゴーストを殴り飛ばしたのだろう、ルカリオは右の拳から薄い煙を吹いていた。おまけに、意識ついでに傷も全快しているようで。

 だがそれ以前に、姿を見回すカイドウが愕然とした点がある。

 

「お前、その姿……」

 

 背中越しでも理解できた姿の変容に、目を丸くするアルバ。

 黄と黒の体毛が長く伸び、グローブでも纏ったかのような深紅が拳と足先を彩っている。

 進化か何かとでも騒ぎ立てたくなる様の変わりようだが、カイドウはそれをよく知っていた。

 

「あの姿と、あの光……、ハリアー様の報告にあった『雪解けの日』の――!」

「“メガシンカ”だ」

 

 まさに自分が今研究している現象そのものだ、忘れる訳もない。

 

「本当に何のデバイスも用いずに……まさか……」

 

 本当かどうかすらも怪しかった。が……起こしてしまったのならば、仕方がない。飲み込むしかない。

 奇跡の力を得たルカリオ――“メガルカリオ”が今一度猛々しく咆哮を上げると、風は衝撃と化し波となって押し寄せた。

 

「ああ……、わかってるよ、ルカリオ」

 

 打たれ続ける鉄は、少しずつだが、着実に硬くなる。

 

「どんなに悪いモノが惑わしてきても――僕はもう、自分を見失ったりしない!」

 

「もう一度」の衝撃を受け続けて、強くなる。

 

 

「決着をつける!」

 

 

 もう一度――――そう言って立ち上がった彼らの前に、討てぬものは、ない。

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