ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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fin.Look up at the sky...

 ――――メガシンカ。

 絆によって結ばれた人間とポケモンの精神状態を完全に同調させることで発生する、進化の上を往くポケモンの超強化のことを云う。

 

『雪解けの日――――作戦中の隊員の一人のルカリオが、突如メガシンカした』

 

 そのメカニズムは一定の深みまで解明されており、“メガストーン”及び“キーストーン”と呼ばれる二つの石を媒介にする、という点までは、今日まで多くの人が共有する情報になっている。

 

『別に、それを見越した特殊なトレーニングはしていなかった。本当に突然のことだ』

 

 人間の身に着けるキーストーンが、その思念を莫大な生命エネルギーに変換し、同じくポケモンが身に着けたメガストーンへと送信。それによって外見と能力が著しい変化を遂げ、その神秘的な現象は完了する。

 

『メガストーンとキーストーンを所持していたわけでもない。なのに』

 

 はず、なのだが。

 

『虹色の光を伴って、ルカリオはその姿を変えたんだ』

 

 

 

 今ここに転がる現実は、人々が創り出す神話の一節のような眉唾話よりも、うんと異なる様相を呈していた。

 

「フゥゥー……!」

 

 より一層の波導をその身に蓄えた闘士が、唸る。されど止まらぬそれは彼の肉体に高熱を与え、加えて淡青の燐光を纏わせる。生まれた上昇気流が、収まりきらずに垂れ流しの波導エネルギーを巻き込んで、空へと連れ去った。

 年相応の語彙力曰くは、凄まじいパワー。

 数メートル離れた人間の肌すらひりつかせるのだから、疑いようもない表現。

 

「まさか、ねえ、ほんとに少年マンガやっちゃうなんて」

 

 熱気にあてられながら、すっかり動かなくなったヒースのゴーストを一瞥。ソマリは開口した。

 思い出すのは、あの日、作戦中に突然光の柱が立ち上った光景。

 今なおルカリオとアルバの間を流れる光の色が、あの時のそれとまったく同じであることに、一抹の不安を覚える。

 

「――“バレットパンチ”」

 

 尤も、覚えたからといって、今更どうなるわけでもないのだが。

 風が吹く。

「ッ」歯噛みしてかわせ、と続けるつもりであったのだろう。しかし瞬きの間に広がった絵面は、ソマリの求めるものとは大きくかけ離れていて。

 ルカリオの拳を震える両手でやっとこ止めるメタモンが、助けてくれと言った気がした。

 

「きっつ……! “シャドーボール”!」

 

 散り散りの影が収束する。

 紛い物の亡霊は手甲を握る力を強めて、大口をいっぱいまで開いた。

 狙うのは、言わずもがな。

 

「ベェルベルベルバァッ!!」

 

 静かな睥睨を向ける敵へ、口元でこさえた影の玉を。

 

「“しんそく”」

 

 威力は一撃必殺であった。無論、当たればの話。

『そこ』にもうルカリオはいなかった。

 メタモンが目を回す。シャドーボールはルカリオでなく壁に当たり、当の自身は背後からの衝撃で地を舐めている。これらの情報をほんの一瞬の内に認識してしまったからだ。

 姿勢を御した。

 急いで向き直る。

 

「!?」

 

 あるのは、もはや望まぬ肉迫で。

 

「ウオォォォォッ!!!!」

 

 次は蹴りであった。

 しかし攻撃は止まない。

 繰り返す拳と蹴りが、手玉のようにその身を跳ね回した。

 文字通りの目にも止まらぬスピードは、音だけ残し標的を滅多打ち。

 反撃はおろか視認すらも許さぬ乱打と、一向に衰えの気配がない一方的な猛攻をぼやり捉えながら、ソマリが呟いた。

 

「ッハハ、冗談でしょ……」

 

 この場の誰もがそう思い、同じ顔をしている。

 

「全ての能力が飛躍的に上昇している、比べ物にならん……」

 

 未知が織り成す、圧倒的な力を畏れて。

 

「馬鹿な、速すぎる!」

 

 奇跡が紡ぎ出す、最上級の力に驚いて。

 

「これが、メガシンカ……!」

「――なめるなァァァァァァァ!!」

 

 ようやく苛立ちが顔を出す時。それは反撃の時。

 ルカリオは火急に飛んできたカウンターを横跳びで回避し、あまる勢いをローリングで殺した。

 ずざ、と引き摺った足を止めると、己を囲む二つの亡霊の手に、視線を当てる。

 

「手を、切り離したのか……」

「元から浮いてるからね。こういうことも、できるの、さ!」

 

 指揮者よろしく虚ろを指でなぞった。やにわに飛び出す手が、囲った対象へ次々と攻撃を加える。

 時にシャドーボールの射撃、時にシャドークローの突撃。その手は四方八方どころか十二方にも及ぶ勢いを以て縦横無尽に駆け回り、近中遠全ての距離から抜け目なく闘士を襲う。逆転だと言わんばかりの切れ間ない猛攻は、見事にルカリオを釘付けにした。

 対応で手一杯。いくら速かろうが、動きを封じれば何も脅威ではない。

 

「身をもって知ってるはずだよ、盤上はいつでも簡単にひっくり返るって!」

「くッ……!」

 

 ルカリオが強制された余所見を反復する中で、挙がる敵の手刀。彼女のすぐ傍の頭が、もう一度口元でシャドーボールのチャージを始める。

 同時にそれを見て、アルバの柔い焦燥が顔出した。

 どうすればいい? たちまち頭の中が独白でびっしりと埋め尽くされる。

 手からの多少の被弾を覚悟の上で、隙だらけの本体へ大きな一撃を加えるか。いや、あまりに不利な賭けだろう。だがしかし――。

 

「取り乱すな」

「!」

 

 重たくも静かで優しい声が、彼を平静の水辺へと引き戻す。カイドウだった。

 

「いつもここぞの場面で一歩引いて状況を見ない、それがお前の詰めの甘さに繋がっている。……焦らなくとも、お前のポケモンは強い――。早々簡単に倒れたりはしない」

「カイドウさん……!」

「行動、仕草、なんでもいい……しっかりと相手を見ろ。そして覚えろ。勝利の布石の打ち込みは、観察するところから始まる」

「――はい!」

 

 彼とのジムバトルを通して覚えたこと。しっかり「見る」こと。

 何よりの超常的頭脳(パーフェクトプラン)の強みを、今ここで実践する。

 自分に出来るだろうか。いいや、やるんだ。

 何かを解き明かすために、ずっとずっと何度だって焼き付ける――その意思が宿った目こそ、

 

「今だ、ルカリオ!!」

 

 本当の『ミラクルアイ』になるのだから。

 暗影で作られた籠から、抜け出した。

 アルバの上げた声を、ちゃんと聞いた。

 消耗が生み落とすほんの一瞬のインターバルを、見逃さなかった。

 煙に巻いた連撃をこじ開けて目指す先は、本体(あたま)。一歩、また一歩で、幾度と踏み蹴る足に、迷いはない。

 

「一気に決める! この手に全てを込めろ!」

「っ……!!」

 

 泡を食って主へ一目散に戻る掌が、神速に追い付けるだろうか。答えはノーだ。

 となれば――。

 

「ッ()ェェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 真っ向勝負しか、あるまい。

 がぱ。口が開き歯が開き舌がのけ、鳴る咆哮が砲口を開いた。

 ありったけの力をためて。この眼鼻の先を睨む。迫った闘士へ狙いを向ける。

 

「バレットパンチだァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」

 

 闘士は構えた。拳を頑強な鋼で包んだ。腰を捻って、重力から逃れた脚を放っぽった。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」

 

 速さが決める。全てを決める。もう逃げられない避けられない。もうそんな間合いではない。

 互いに互いを目交いで収め、叫ぶ。振り抜き、或いは打ち放って出した一撃は、恙なく双方の向かう先へ。

 善と悪。光と闇。闘士と悪魔。抵抗と奪取。訪れる両者の終わりと決着の時。

 

 

「グェアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 それを制したのは、ルカリオの方であった。

 メタモンがシャドーボールを放つより先に――バレットパンチはまさしく弾丸のように空気を穿ち、その一撃を顎に届かせた。歯を砕いて、口を閉ざし、天井に届くまで上げ抜いて、中で弾けた闇のエネルギーが望まぬままに暴発。そういって誘発される第二波が、亡霊の正体を晒してしまった。

 戦闘不能。目を渦巻かせたまま、くたりと液体のように伸びる様が、その証明だろう。

 

「そこまでだ」

 

 メタモンをボールに戻したソマリに、ルカリオが「動くな」と掌を向ける。

 しかし彼女がそれを飲み込むことは無かった。不審がった意識を、風船ガムの破裂音がつつく。

「何をするつもりだ」さらに続くカイドウの声で、ようやっとヒースの行動に気が付いたアルバ。

 彼は、自身のマシンにゴーストを座らせていた。

 

「まだだよ。まだ終わりじゃない」

「まさか……!」

「僕の頭脳の証明が、まだ――終わっていないじゃないか!」

「ぐ、っ!!」

 

 そのまさかだ。

『RADIATE』――コントロールパネルには、確かにそう表示された。

 ヒースが行ったのは、シエルの感情から吸い取った進化エネルギーの解放であった。矛先は他でもない、己の唯一の手持ち。

 確認した刹那、再び辺りが強烈な発光現象に見舞われる。眩んでしまうようなまぶしさだが、既のところで薄目を開けていられる時点で、先程の輝きと違うのを理解する。何よりも、先に感じた温かさがなかった。冷たい光だった。

 微かに得られる視覚情報の向こう側で、ゴーストは苦しみながら少しずつ変容していく。輪郭を変え、顔だちを変え、大きさを変え――悪しき光に撫でられた部分から、少しずつ変わっていく。こんなものを進化と呼んでいいのだろうか。そう呼べるのだろうか。

 

「ゲェェェェェェェェン!!!」

 

 光が消える。叫びが聞こえる。頭上に螺旋状の模様が起き上がる。

 次に見た時、ゴーストは“シャドーポケモン”の『ゲンガー』へと進化を遂げていた。

 

「ハハ! ハハハ! やった! やったぞ!」

「そんな……!」

「本当に人為的に進化させたのか……」

「僕の仮説は正しかった! 実験は成功だ!」

 

 それもただのゲンガーではない。腕が大きく膨らみ、額に第三の眼が浮かび上がった、進化を超えた先の形態。『メガゲンガー』だ。

 

「さあ、性能実験だ。僕が起こした奇跡と君の奇跡、どちらが強いか力比べしよう。本当に最後と行こうじゃないか!」

 

 変わり果てた亡霊はずずん、と沼みたいな形した足元の影に浸かり、その手にシャドーボールを蓄え始める。

 どうやら曲がりなりにもメガシンカらしい、うねる球体は際限なく巨大化していき、いつしか三人の人間などたやすく飲み込んでしまう程に夥しい成長を遂げていた。

 理由はわかっている。偏に底上げされた能力のものであると同時に、奇跡の片鱗だ。何なら自分も今この瞬間、しかと味わっていた。

 

「……最大出力だ」

 

 だからこそ、やるべきこともよくわかっている。

 目には目を、歯には歯を、奇跡には奇跡を。

 尤も相手が掲げるそれを奇跡と認めていないからこそ、アルバは止めねばならぬと、思った。

 

「おもしろいよ……今、この場で世界の奇跡を否定して、僕は神になる」

「あなたに何があったのかは知らない。でも、命を自分の思い通りに操ろうだなんて、それはおこがましいことなんだって、気付かないといけない」

 

 波導が気流を道にして、構えたルカリオの手に収まっていく。

 

「おこがましいものか。この世界に拒まれ続けた僕らのような存在には、権利がある。この世界の理に根底から干渉できる、その権利が」

 

 少しずつ、少しずつ、散らばった希望をかき集めるように。

 

「どんなに拒まれ続けても、自分から拒んでしまっては、全てが無意味になっちゃうじゃないか。あなたが生きた跡だって……!」

「…………」

 

 丸くなって、そのサイズを膨らませていく。

 

「意味などないよ――――はじめから!」

 

 仕上げだ。ゲンガーの咆哮がそう告げる。三人どころではない、シャドーボールは建物丸ごと吹き飛ばしかねないくらいに大きくなった。

 

「っ……止めるぞ、ルカリオ!」

 

 そして同じくした時で、はどうだんも同様に準備が完了する。

 轟々とエネルギーの寄せ集めが猛り鳴く。捩じれる空間が、時間の感覚を崩していく。場を飲み込む熱と光が一緒になって、威圧感の奔流となって、皆を押し潰しそうになる。

 

「(凄いエネルギーだ……でかい……)」

 

 次の光景を、まるで想像できない。どうなるのか。何が起こるのか。

 

「(僕が倒れると、後ろの二人は、きっと)」

 

 明日(みらい)が、想像できない。

 腹は決まっている。し、やらねばならないというのは、わかっている。それでも。

 

「(僕に……これを覆せるのか? ……僕に)」

 

 自分に出来るだろうか。未だにそんなことを考える。

 

「信じろ」

「……!」

 

 それでも、立っている。立っているから。

 アルバは、背中に触れた二つの温もりに、振り返る。

 

「カイドウさん、と、シエルちゃん……!」

 

 未だにショックで声は出せないが、いくらか回復したのを見せつけるように、にっと微笑んだ。

 そしてカイドウは言う。

 

「お前が身に纏う(それ)は、まごうことなき奇跡――正真正銘、かつてのラフエルが起こしたものだ」

「でも」

「自分の可能性に目を向けろ。何だって、そこから始まっている」

 

 それを気付かせてくれたのは、他でもない彼らであったろう。

 上を向くことを教えてくれたのは。光の見つけ方を教えてくれたのは。呼吸の仕方を教えてくれたのは。

 

「お前ならば、できる。だから恐れるな」

 

 海面から、顔出して――この空を見る手段を示してくれたのは、彼らであったろう。

 触れた背中に、彼らの波導エネルギーが流れ込んできたのがわかった。それはやがて体内を巡って、滲んで虹になって、自分の手先からルカリオに届いていく。

 アルバは、もう何かを言う事はなかった。

 静かに向き直って。確かに見据えて。息を吸って。

 ただ、吐いた。

 

 

「“シャドーボール”」

 

「“はどうだん”」

 

 

「終わりだ」叫びと共に、全力同士のぶつかり合い。膨大なエネルギーが衝突しては消えてをする内に、視界は塗り潰された。

 何もかもが、純白に飲まれていく。

 されどアルバは、地に付けた足を踏ん張り続け――最後まで、その目を逸らさなかった。

 

 こうして、全てが終わっていく。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 これからは、それからの話をしよう。

 

「……ハァ、ハァ、ハァ……」

 

 メガシンカ同士の壮絶なぶつかり合いは、終止符を打たれた。それはこの事件の決着という意味も、当然含んでいる。

 結論を急ぐと、息を切らしながらも、最後まで立っていたのはアルバであった。

 自分と、シエルと、カイドウの波導で造り出した最大出力のはどうだんで、あの出鱈目のような大きさのシャドーボールを、見事に相殺してみせたということだ。

 ほどなくして元の姿に戻ったルカリオと一緒になって倒れ込むのを見れば、どれだけオーバースケールな真似をしたのかが伝わるだろう。なんて、本人の肉体は考えているのかもしれない。

 

「動くな! ポケットガーディアンズだ!」

「大丈夫か、救出に来たぞ!」

「こちら実験室。通報通り二名のガイシャあり。負傷しているようですが命に別状はなさそうです。至急、救急車の手配を――」

「クソッ、バラル団の班長格がいないだと!? まだだ、中をくまなく探せ!」

 

 細腕で頼りなくシエルを抱えながら、アルバのそばで腰を下ろすカイドウだったが、外の荒事を片づけて突入してきたPGが、あれよあれよと彼より先にアルバに群がって状態の確認に入った。すっかり手持ち無沙汰になったものだから、雑音の中にシエルも寝せる。

 思い出したやり残しを、片付けるためにも。

 

「……いいザマ、だろ」

「本当に、な」

 

 きょろり。目だけが動いて、そっと呟く。

 カイドウはぼそりと返し、仰向けのヒースの隣に腰を下ろす。

 生命力を注ぎ込んだのは彼も同じだったようで、その反動で動けないでいる。精魂尽き果てるとは、こういうことをいうのだろう。

 

「そういや……君が馬鹿みたいに覚えててくれた、入所式でのあの言葉。僕、否定してたろ」

「ああ」

「あれ、さ。嘘」

「知ってたさ」

「ああ、本当に?」

「お前は嘘をつく直前、まばたきが僅かに長くなる」

「フッ、参ったな」

 

 恨み言を吐くでも、憎しみを露にするわけでも、まして自棄に狂う訳でもない。

 することといえば、いつもの話。他愛もない、毎朝交わすような、言ってしまえばしょうがない話。

 いつもと違う事と言えば、ヒースが寝て、カイドウが起きている、真逆の絵面になっていることぐらい……だろうか。

 

「僕も、最初はさ。人類史に残る凄い発見をして、皆を見返してやろう、って……ちゃんと、思ってたんだぜ」

 

「本当、どこで間違っちゃたんだろ」

 虚空に放り投げる言葉に、返答は重ならない。

 ああ、そうだった。こいつはいつも素っ気ない返しか、無視かの二択だった。

 青年はそうやって『戻りゆくいつも通り』を噛み締め独白するたびに、頭の中から消えていく日常の音を聞いている。

 

「シナリオでは、僕の発明で戦力増強を図ったバラル団が世界を滅ぼし、何もかもなくなったそこに、新しい世界を打ち立てる……という話、だったんだけどね」

「………………」

「なかなかどうして、上手くいかないもの、だ」

 

 薄めていく。失くしかけの意識が、枯れかけの面を、少しずつ。

 寝転がる横顔には未練一つも置かれてなくて、寧ろ清々しいぐらいだ。

 

「何をしても阻まれる――、本当に、この世界は嫌いだよ」

「……俺もだ」

 

 賢い人間のはずなのに、話す事はいつでも子供の絵空事。机上の空論。誰も靡かなければ、誰かを先導することもできない。中身も影響力も何もない、欠け落ちるべくして欠け落ちた言葉。

 そんなことを喋り続ける彼は、ついぞ一人ぼっちであった。

 けれども、そんなに侘しい夢物語でも、傾ける耳がある。

 

「だが俺は、お前がいたから、全てを呪わずにいられたんだ」

 

 この男を、孤独のままにしておきたくない男の、耳がある。

 嘘をつけ、なんて返しを遮られるとは思わなかったらしい。力の抜けきった肉体でも、眉ぐらいは動く。

 そうして続いたのは、ほんの少し溢した光が置く笑みで。

 これはきっと「ありがとう」って言っているんだろうなと、考える――で、考えて、きっとじゃなく確定なのだと考え直す。

 考え直して全てが馬鹿らしくなったから、ずっと開いてた胸の穴に納得を詰め込んだ。

 

「馬鹿。さっきも、同じようなことを聞いたよ」

 

 指で額を小突いてやった。

 

「……そんなことよりも。決まったのかい」

 

 ずっと聞きたかったことを、訊いてやった。

 それは恐らくヒースにとっての最後の質問になる。と同時に、カイドウにとっての最大の疑問になる。

 片や聞かねばならないし、片や答えねばならないこと。長らく不透明にされたこと。自分の未来を決めること。

 膨らした肩。細面が上がって、下がって、彼を向く。

 吹き返した息をす、と吸い込んで、出す答えは。

 

「――――まだ、わからない」

 

 まだだ、まだ。

 まだ、時間が足りない。

 “ここ”へ来たばかりの彼は、ここだけの自由(モノ)を捨てるにも、握るにも、少し早すぎたらしい。

 願わくはずっと、許される、許されないの単調な話で迷っていたかった、なんて思う。

 どんなに自由を味わって、どれだけ「いいえ」と答えることの虚しさを知っていても――傷付けてでも「うん」だなんて言い放つこと、簡単に出来るはずがないんだ。

 ――だが。でも。だけど。しかし。

 

「それでも、俺は」

「まったく」

 

 

『君はどこまでいっても、そういう言い方しかできないんだからな』

 

 

 ヒースがせき止めたのか。それともカイドウが詰まらせたのか。

 少年が届けようとしたその言の葉は最後、彼の耳に届くことはなかった。

 双眸に収める何もかもが、揺らいでく。

 尊いものと、忌々しいものとを含む全てが仕舞われた脳みそに、風が吹く時。青年の魂はゆっくり(ほど)けて、そのまま無くなった。

 たちどころに意識の糸がぷっつりと途切れて、動かなくなった孤独の傀儡。残ったそれに何度呼びかけようと、何回揺すろうと、視線一つも返ってこなくて。

 

「お前は俺のそういう言い方しか、聞く気がないだろうに」

 

 弱く小さく頼りなく、ため息一つを笑顔に溢した。

 受け取られないアンサーを、眠った鼓膜に置いといて。

 

 戻らない君のことを、『自分とは別の空を見に行ったんだ』と、思うことにした。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

『臨時ニュースです。たった今「ポケモンの新たな進化体系が発見された」とする発表を、リザイナ超常現象研究機関CeReSが行った模様です。繰り返します――』

 

「大丈夫なんですか、こんな場所でボクの相手なんかしてて」

「いいんだ。会見は所長等の上役が行うからな」

 

「ならいいんだけれど……」「早速始めよう」応接間のテーブルに置かれた携帯型テレビの音量を、片手間に落とす昼下がり。薄ぺらな四角の中で、中年の研究者がマスコミに話しかけられている。

 自身の大発見のせいでCeReS内が騒然としているというに、生憎とカイドウは平常運転で、来客の対応に精を出す。研究成果の発表だ。

 向かい合うアストンに手渡す資料は、ここ数日で煮詰めた発見と実験の結晶。表紙には『新たな進化の可能性について』と書かれている。

 

『まず最初に、ラフエル気象庁協力の元で研究を行った結果、このラフエル地方の地底には「莫大な量の生命エネルギーが巡っている」という事実が判明いたしました』

「今から話すのは、その前提を理解の上で、聞いてほしい」

 

 一言で、誰も彼もが、世界中がどよめいた。

 

『従来のメガシンカは、ポケモンとヒトの精神状態を調和させた際の、メガストーンとキーストーンの反応によって起こっておりました。しかし』

「今回発見された進化は、メガシンカとの類似点を持ちながらも、全く異なるメカニズムで発生していることが判明した」

 

 映像をご覧ください。雑に注意を引かれて目を向けて、アストンは吃驚の表情を形作った。

 切り替わる映像で、リザイナジム内が映って――――ルカリオはその中で、七色の光を纏ってメガシンカした。

 

「これは……! 報告書の通り……!」

 

 そうだ。トレーナーの身には石のようなものどころか、アクセサリすら見受けられない。

 

「精神をシンクロさせるところまでは、同様だ。だが反応するものが圧倒的に違っていた」

『このメガシンカに使われたエネルギーは、メガストーンのものではなく、この地底に内包されていた――』

 

 

「ラフエルのものだった」

 

 

 そして画面の向こうの研究員は、この未知なるエネルギーを、ラフエルでのみ起こる進化現象であることに因んで『Raphel Evol』と呼ぶこと。又それを『Reオーラ』と略することを、伝えた。

 最後に、煌々焚かれるフラッシュの中で、

 

 

『加えて、そのReオーラを用いての進化が伴う現象を――我々は今後“キセキシンカ”と、呼ぶことと致します』

 

 

 時代を変える未来のワードを、付け足して。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

「ええ、意識こそありませんが、確かに生きてはいます」

 

 自分が誰かの傍にいることは、やはり間違っている。

 

「ただ。臓器の動作の状態等を見るに、本当にギリギリのラインで生命維持活動が成されている程度の認識で、よろしいかと」

「事実上の昏睡状態、と?」

「はい」

 

 でも、間違えることが許されるのなら。本当に自由があるのなら。

 

「生きていても、彼――ヒースさんは、もう目覚めないかもしれません」

 

 ――――『間違えたい』と、思った。

 

 

 

 いつかは彼にも言うつもり――そんな言葉を少女へ伝えて。握手を、ゆっくりほどいた。

 

「まだ、俺がそうした先で何が起こるのか、わかっていない。好都合と不都合の話を、してる。故に」

「わかってるってば。だから、時間が欲しいってことでしょ」

「ああ」

「ふふ、ほんとに不器用なんだから」

 

 流れに流れる春の陽気にくるまれて、不揃いな背丈の少年少女は、言葉を交わしていた。

 携帯電話のメールアドレスをカイドウへと伝えるシエルの姿はまったく元通りで、かつての事件をまったく感じさせないものであった。隣のキノココが、ルカリオと仲睦まじく木の実をつまんでいた。

 彼らのやりとりは、まさしく春にふさわしい出会いの挨拶だ。

 

「でもほんとによかった、大事に至らなくて」

 

 そして同時に、別れの挨拶でもある。これもまた不本意ながらに、春らしさを醸し出す。

 やはりというのかなんというのか、頭の回転量が心許ないアルバが、わざわざ口に出しての状況整理。

 まず、事件の要となったキノココは無事であった。そしてその主であったシエルも精神面で大きな負荷をかけられたが、この数日の入院で全快に至った。

 

「アルバくんは大丈夫?」

「もっちろん! なんてったってこの僕さ、心も体もヤジロンのように、何回倒れても起き上がる!」

「そのままネンドールに進化して、どこへなりとも浮わついていけ」

「残念、ネンドールは重力が使えるのさ! だから慢心せずにどっしりと構えていける!」

「お前にも知識という概念があったんだな。アルバのくせに」

「馬鹿にしてない? すごい馬鹿にしてない?? いやしてるよね、してるわ」

 

 見ての通り、アルバもまた数日の入院で旅が再開できるまでに完治した。骨折等がなかったのは幸いと言うべきか、或いは若さゆえの必然というべきか。わからないが、喧しいことには変わりないらしい。

 

「……さて、と。じゃあ、そろそろ」

 

 尤も、その喧しさとも、今日を境にしばらく顔を合わせられなくなるのだが。

 アルバはバッジケースで輝く一個目――スマートバッジを見つめながら、再挑戦時のことを思い出す。それは数日前のルカリオの姿と、ぴたりと重なった。

 

「キセキシンカ――これを使えるようになったのは、カイドウさんのお蔭です。ありがとうございました」

「安定して発動もできない現段階では、使えるとも言えないだろう」

「あーもう、本当に手放しじゃ褒めてくれない人だなー! 今回の成長を少しは評価されても」

「感謝する」

 

 短い礼は、たぶん気のせいではないだろう。

 しかしアルバは、何に対しての感謝なのかわからなく、目を白黒させた。が、悪い気はしなかったので、そのままで受け取っておいた。

 彼の事は、彼のみぞ。

 

「近くを通ることがあれば、また来い。会ってやれるかはわからんが……キセキシンカの習熟度ぐらいは、見てやる」

「はい。また、どこかで!」

 

 意気で活きた返事が発されて、少年はくるりと自分に向く後ろ姿を、見送った。

 ここで得たものを胸に、新たなるものを得んと大手掲げて往く、夢追い人を。

 気付かぬまま彼を追いかけ飛んでいく、(ヤヤコマ)を見た。どうやら幸先はよさそうだ――。

 青空にとける一人と一体の武運に思いを馳せながら、そんなことを考える。

 

 こうして、少年の非日常は終わりを迎えた。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

「……い……おい……」

「………………」

「おい!!」

 

 カイドウは、いつものように寝るべきでない場所で目を覚ます。誰かに叩き起こされて、だ。

 またよくわからない違和感で身を起こした。自分にとっているべきものなどいないはずで、もう帰ってはこないはずだと、知るからこそ。それでも“この感覚”をおぼえるのは、きっと何かに期待しているからなのかもしれない。

 ぼやける視界を眼鏡で補助して、ピントを合わせる。

 

「ったく、何故俺がお前を起こさないとならんのだ……」

「……ドルク、か?」

「そうだ。文句があるか?」

 

 意識のスイッチが入り切っていないが故の疑問形ではあるが、正解していた。

 自分をやたらと目の敵にする奴だが――自分がラボ内の寝落ち常習犯故、大方上司にでも頼まれたんだろう。

 上が事情を知らないとはいえ、よりにもよって気の毒なものだ。嫌悪よりも内心で先行するのは、それ。

 深い干渉をしない方が双方の不利益が無くせるだろうと踏んで、しわが寄る眉間から目を逸らし、無言のまま立ち上がる。

 

「だらだらするな。さっさとブリーの実ジャムマーガリンサンドを買って仕事を始めたらどうだ、天才殿」

 

 この言葉を聞くまでは、そのつもりではあったのだが。

 

「……お前、俺の好物を知っているのか」

「だッ……! いつも食っているのを見れば、嫌でも覚えるだろうが!」

「気味の悪いやつだな……敵を知るには観察が鉄則だが、着眼点をはき違えているぞ」

「だァまァれ! 貴様のことなど見たくもないし知りたくもない! いいからさっさと行けばいいだろうが!」

 

 その案は却下だ。そうだと言わんばかりに、彼は同僚へ次々疑問をぶつける。勿論他意などないのだろう。そんなに器用でないのだろう。

 

「そもそもお前、この役目は立候補してなったわけではないだろうな」

「いい加減にしろ! 興味がないからこそ進行形で心底苦痛なんだろうが! フンッ!」

 

 準備をしながらも続く押し問答。

 そうして、彼は日常に戻っていく。

 めいっぱいの息を吸い込み、光を取り込み、また深い、深い海へと潜っていく。

 

「と、いうか、起こした時間がぴったり九時だったな……そう律儀な奴にも見えないが」

「もう喋るな!!!!」

 

 もう一度で沈んだ場所の景色は――――少しだけ、明るい気がした。




 これは、彼がほんの少しの呼吸ができるようになるまでの、ちょっとした話。
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