ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~   作:裏腹

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Episode Guild
01.職人の羽休め


 トン。テン。カン。キン。

 ギュイン。チュイン。ジジジジジジ。

 ピーッピーッ。ガガガガガ。ウインウイン。

 今日も今日とて祭りだと言わんばかりに、擬音たちが歌って踊っての大宴会を開いている。ゴリゴリと耳の孔をこじ開け脳みそを激しく叩くそれらが、一つの材質から発生しているなど、とてもじゃないが信じがたいもので。されど表向けの看板に掲げられた『カヤバ鉄工』の五文字を見れば、偽りがないことを解ってもらえるだろうか。

 

「入庫報告まだかー! 次いくぞォー!」

「オーラーイ、オーラーイ!」

「受注番号M-5の方どうなってるー!!?」

「今仕上げにサンダーかけてるとこですー! もう少しで完成すると思いまーす!!」

「サビ止め塗料切れそうなんで、誰かちょっとストック分崩してきてくれー!」

 

 機械たちが、人々と元気に大騒ぎ――ここはラフエル最東端、工業の町『ユオンシティ』。

 かつての戦時中は軍需工場で埋め尽くされていたこの町も、歴史の移ろいと共にすっかり鳴りを潜め、世界中のあらゆる企業、組織を支えるモノづくりをするようになった。

 今では町単位で誇るその高度な技術力を学ぼうと、ラフエル地方外から留学に来る者も少なくない。

 そしてこのカヤバ鉄工もまた、ユオンのブランドを支える工場の一つだ。その名が示す通りに鉄を焼いたり、切ったり、溶かしたり、削ったりといった事を日々行っている。平たくいわば、金属加工というもの。橋一本で繋げられる二つに割れた高地のうちの東側、地元民が『旧市街』や『工業地帯』と呼ぶ所に、それは位置していた。

 

(あね)さん! 第三工場の方、今日の製造予定数に達しました!」

 

『姐さん』と呼ばれた茶髪の小柄な少女は、少し考え込んだあとに、咥えっぱなしの鉄製ホイッスルをピ、と短く吹いた。悪ふざけのようにも見えなくもないが、真顔である以上は真面目な行動なのだろう。彼を姐さんと呼んだ青年は頷き、別の方へと走っていく。

 ここに生まれ、ここで育ち、幼い頃よりここで父親の手伝いとして働いてきた彼女『アサツキ』の独特なホイッスル指示(サイン)は、もはやここの従業員で通じない者は存在しない。それほどまでに現場では重要な地位に在る。現場監督の重責を軽々と背負う背中は、見かけよりもずっと大きく感じられて。

 黄昏を映す安全第一(ヘルメット)が、今日の終わりをまだかまだかと待っていた。

 

「よーし本日分終わりだー! みんなおつかれさーん!」

「おつかれさまっすー!」

「っしゃ、今日は飲むぞォ~~!」

 

 ヤミカラスが飛んでいきそうな夕焼けで化粧する、朽ちた要塞跡や崩れた城壁跡。換気窓に切り取られた、自分も知らない戦争の傷跡をぼんやりと眺めてるうちに、工場内でチャイムが鳴り響く。本日の業務終了が告げられた。

 皆が一斉に手を止め、後片付けに入って、また忙しなくなる午後五時の話。

 今日の晩御飯はなんだろう。そんなことを考えながら鉄かすを箒で掃いているうちに、

 

「おねえちゃーん! みんなー! ただいまー!」

「ヨルガオちゃん! お帰りっす!」

 

 学校から妹が帰ってきて、また一日の終わりを、噛み締める。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

「乾杯!」

 

「かー、うめえ!」「飲め飲め!」

 お世辞にも広いといえない部屋の中で、グラス片手に快音を奏でる男達。誰も彼もがいかついせいか、より窮屈に感じられた。

 それを言ったところで、彼らはお構いなしに仕事終わりの美酒に酔い痴れるのだが。

 いいのか、悪いのか……アサツキは年季の入った木造家屋の居間で、彼らとテーブルを囲みながらそう思う。

 

「みんな、今週もおつかれさまでした」

「ありがとうございます!」

「はー、奥さんの手料理と酒のおかげで、この一週間頑張れてるようなもんだぜ!」

「あら、嬉しいこと言ってくれるのね。そうやって褒めてもらえると思ってもう一品作っちゃった」

「さっすが奥さん!」

「アサツキもまだ食べれるわよね?」

「……ああ」

 

 近所迷惑すれすれな野郎達の喧騒も、足の踏み場の確保すら危うい床も、こうして母の手からほいほい出てくる大皿も――すべては毎週恒例の、見慣れた光景だ。

 金曜夜は工場長たる父の計らいで、必ずこうして自宅に従業員を招いて、遅くまで飲み会を開く。そのうちまた父が真っ赤な顔のまま腹を出して踊り出す事だろう。

 アサツキはとりわけ苦ではないのだが、まだ法的に飲酒が出来る年齢に達していないため、早々に腹を満たして離席する、というのが普段の運びとなっている。

 の、だが。

 

「しかし、姐さんも来年で二十歳か~……」

「ん、あ、ああ、そうだな」

 

 こうして絡み酒をされると、なかなか出ることもできなくなる。

 

「ついこの間まではこーんなちっちゃかったのに……、もうすっかり大人の女性だもんなあ」

 

 一人が言った何とない一言に、父が笑声上げながら食いついた。

 

「オレからいわせりゃ、まだまだひよっこでちんちくりんなおてんば娘よ! だはは!」

「いや、ほっとけよ、うっせーな」

 

 ところに、さらに食いついたアサツキ。逆鱗に息が吹かれた。顰めた眉が微かに動いている。

 看過するにも穏やかではなかったのだろう、かねてよりの悩みだから。

 

「んおお? どっちだ? 子ども扱いされたことにキレたか、それとも女扱いされないことにキレたか?」

「どっちでもいいだろ、んなモン……」

 

 時として、小さな認識の齟齬というのは、大きなすれ違いを生んでしまう瞬間がある。

 

「そう不機嫌になるけどなあ、お前、男と遊び歩いたことあるかぁ?」

「……ねーけど」

「自撮りしたり、同性の友達とスイーツ食ったりしたことは??」

「ねーよ……」

「なんたっけ……えすえむえす、か! で、むっちゃ拘って撮った写真を投稿したことは~??」

「だからねぇーよ鬱陶しいな! あとSNSだこのアナログ親父ッ!!」

 

 これなんてものは、まさしくだ。

 

「あーそうだったか、MじゃなくNか!」

「もー、ここで性癖出さんで下さいよ親方!」

「バーカ野郎俺はSの方だよ! だははははは!」

 

 からかい慣れした子供みたいに歯を見せ、言葉通り本人的に放っておいておしいところを余計につつく様は、どうにも自分の心情が伝わっていないように見えた。

 長らく一人で抱えて話さなかったことによる弊害だろう。時には口にしてみるのも大事か、などと思いつつ、許容のため息をつく。

 デリカシーのなさは昔からのことだし、酒で頭と口が緩むのも一緒。ムキになってもしょうがない。こういった部分は大人なんだぞと、内心で育む自尊心。

 

「まあなあ、愛用ポケモンも格闘タイプだしなあ、我が娘ながらやっぱ華はねえよなあ!! はっはっはっは!!」

「………………」

 

 そして瓦解する、自画自賛。

 

「おふくろ……わり、サイコソーダもう一杯くれ」

「はいなはいな。長女はつらいよ……」

 

 またも上がる分からず屋共の笑いの渦中――ひとおもいにあおって空になったグラスの底を、テーブルに叩き付けた。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 一人は言う。

 

『お前、口悪くて男みたいだな!』

 

 二人は言う。

 

『女っぽい恰好似合わねえ!』

 

 三人は言う。

 

『お前みたいな腕っぷしの強い女がいるか!』

 

 四人目が言った。

 

『もうちょい女らしく振る舞えないもんかね?』

 

 

「ッハァ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

「う、うわぁ、な、長っ……」

 

 このため息の長さは、ハブネークか、或いはアーボックだろうか。はたまたレックウザもありうる。どのみちひと月分ほどの幸福が逃げていきそうな、そんな溜息を窓の外に向けて吐くアサツキ。寝間着で抱きかかえたヘルメットが次に反射するのは、深い夜に広がる海で、こうしてみると自分たちの部屋の位置も存外悪いものではないな、なんて考える。

 尤も、そんな気の紛れも、刹那的な話だが。

 

「どーーーーーせオレは口が悪くて女モノの服似合わなくて腕っぷしが強いゴーリキーだよ……」

「ご、ゴーリキーは言ってないと思うんだけどなー……」

「じゃあ……、カイリキー」

「腕を増やさない方がいいと思う……」

 

 幼い頃より使ってきた共用部屋(ここ)では、無愛想な顔も千変万化になるし、重く閉ざされた口も饒舌に早変わりするし、気丈な振る舞いもとろとろに軟化する。アサツキの唯一の素が出せる場所、という表現は些か大袈裟かもしれないが……ここにいる二つ下の妹『ヨルガオ』こそが、姉アサツキを誰よりも理解しているというのは、過言でもなんでもない事実だろう。

 だから彼女は、今もこうして過去にアサツキがへこんでしまった時の事を思い出している。のだけれど、どうにも今回はそうして浮かぶ全ての前例を、凌駕するほどの落ち込みようで。

 長らく気にしていたことなので、無理もないだろう、と情を寄い添わす。

『お父さん、今回のはちょっとやりすぎだよ』という、叱責を独白にして。

 

「…………オレだって、興味ねぇわけじゃねえよ……」

 

 座り込んでた窓枠から尻を離し、おもむろにクローゼットを開くと、中には女性を綺麗に飾ってくれる服が沢山眠っていた。

 レースの入ったチュニック、シースルーが大人っぽいシャツ、リボンがあしらわれたブラウスに、チュール地のキャミワンピ、丈が様々なスカート類、エトセトラ……レディース衣服がぎっしり詰まる空間は、まるで彼女の本音を包括した、心のドアのよう。

 

「……でも、みんな男っぽいなんて、言うから」

 

 悲しくも新品の匂いを発するタグの数々が消えることを願って、どれだけ経つのだろう。心のドアをまた閉ざす。振り向いた作業机の隅に立つピィやピチューの雑貨が、今日も肩を竦める自分を眺めていた。

 

『内に眠る女の子を開放したい』

 

 これがしたくてもできない、それがアサツキの悩みであった。

 環境が決めた振る舞い、そして振る舞いが定めた印象は、修正不可能なまでに周囲にしみ込んでしまって、気が付いた時には女性誌を買えば驚かれ、化粧品を持てば笑われるようになっていた。

 幼い頃から男子を取っ組み合いで泣かせていたからだろうか。父の傍で男言葉を聞き続けたせいだからだろうか。遊びも控えて家の仕事に身を捧げたからだろうか。そうやって何が悪いかを考えているうちに、彼女は自分を閉じ込めた。

 別に後悔はないし、何一つ恨んじゃいない。恨んじゃないけど、今でも「出来る事なら」と思って、焦がれ、憧れはする。女の子っぽい女の子になった自分を、夢に見たりもする。

 夢を笑われて気分がいい人間はいるまい。そんなこともわかんねえのか、クソ親父。内心の叫びが木霊した。

 

「だー、もう! 寝る!」

 

 思考すればするほど気持ちがマイナスの方面にぶれていく。良しとしないので、寝床に飛び込んだ。二段ベッドの、下の方。寝れば全て忘れるし、何よりも明日も明日で母の手伝いがある。ので、夜を更かす意味もない。

 

「待った!」

 

 アサツキが寝る前の挨拶を口にしようとした時、すぐ上からそれを阻止するヨルガオ。

「のわっ!」上の段から大きく乗り出し、逆さまに覗き込む妹の顔を出し抜けに見たものだから、酷く驚いた。

 驚かせついでにヨルガオが致したのは、

 

「休も、この土日」

 

 リフレッシュに何がいいかと悩み抜いた末に行き着いた、最もシンプルな案の提示であった。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 母の手伝い――家事もだが、受注リストの整理。そして生産予定表の更新。有り体に表現すると事務作業である。

 工場が動かない土日でするようなものだし、主婦一人でやるにも苦しいものがある。だからなるべく手伝うようにしていた。

 

『ストレスは毒! たまには外出て、好きなとこ行って好きなことしておいでよ! お手伝いは私がやっておくからさ!』

 

 ――そのはずだったのだが。

 二日限定ながら、あっさりと自分の代わりが出来てしまった。部活動もないそうだ。

 なまじ責任感が強いばかりに、これでいいのかと戸惑ったり、でも少しだけ身の軽さを覚えてみたり。

 メイクをしても物憂げだ。車窓に映り込む愛嬌無しの、向こう側を望んでいる。

 

「好きなとこ……っても、なあ」

 

 たとえ珍しくても、足音で簡単にかき消される独り言。

 アサツキは、ラフエルにおける数少ない陸上長距離交通手段『バンバドロ・キャリッジ』に揺られていた。

 小洒落た名前をしているが、ばん馬ポケモンの『バンバドロ』が引く馬車という認識で違いはない。山道の中、一〇トンにも及ぶ荷物を三日三晩不休で引き続けることができる、と言えば、その有用性は伝わるだろうか。

 

「テルス山は抜けたね。ラジエスシティへはもう少しで到着だよ、お嬢さん」

「あ、……はい」

 

 御者の老人が目的地までの距離をそれとなく伝えると、手綱を握り直した。

 

「確かー……なんだっけねえ? 今日はラジエスの方で、『あーちすと』ってのが『らいぶ』だかをやるそうでねえ。お嬢さんみたいな若いのがみんなラジエスに集まってるらしいや」

「へえ、そうなんですか」

「その口ぶりだと、お嬢さんは目的が違うんかえ?」

「ええ、なんとなくの、旅行みたいなものです」

 

 ジムリーダーという職務も果たすようになり、それなりに目立つ存在であるという自覚はあるのだが、存外気にされないし、気付かれないこともある。

 まして今に限れば『こういう格好』をしているから当たり前か、なんて風にも思ったり。

 長袖カットソーも、重なるフリル付きキャミソールも、七分丈パンツだって。「こういう時でないといつ着るんだ」という、ヨルガオの熱烈な説得の果てに着用したものだが、図らずもそれが普段の作業着姿の面影を跡形もなく消し去っている。

 極めつけにヘルメットも本日は留守番なために、いよいよこうして頬杖ついて外を眺める可憐な少女を、“拳で語る職人”であると証明するものはなくなった。

 

「(いいんだか、悪いんだか……)」

 

 わからないが、形からでも女性らしくある自分を俯瞰できている今この瞬間は、余計なことは考えるもんじゃない。そんな風に考える。

 遠くで連絡船が海を渡った。行きたいところまで、あと少し。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 人が行き交い、物が行き交い、そうやって全てが寄り集まって、最終的には一枚の絵画のように色鮮やかになる。首都というのはそういうものだろうし、国の脳みそというのはそうでなくてはならない。

 物流の最前線であり、法の根源であり、情報の最先端であり、人々の憧れでもある――ここはラフエル地方の中心にして最大規模の街、『ラジエスシティ』。

 前後左右どこを見渡しても人、人、人の様相でこそあるが、それらに囲われていても見えてしまうぐらいには高い背の建物が、いくつも立って皆を見下ろしている。中でも観光スポットにもなっている北区(ノースエリア)の電波塔『ラジエスタワー』は、圧巻の一言に尽きる。

 無いものが無い、と云われるほどには物や施設が充実する此処だから、「なんとなく」という言葉でも、来た理由としては十全な意味を持つことが出来る。アサツキの来訪動機は、まさしくそれであった。何を求めなくとも、何かを求めて歩く……この場所はそういった宙ぶらりんな欲を発散することだってお手の物だ。

 

「本日は北区のイベントホールで、シンガーソングライター『Freyj@』さんのライブがありますね」

「誰だそりゃ……ふれい、あ?」

「『フレイヤ』です。御存じありませんか? 今人気急上昇中のアーティストなのですが……」

 

「ほら、まさに」合図で耳を傾けると、ちょうどのタイミングで備え付けのテレビから流れる、アップテンポなロックナンバーのCM。鼓膜から耳を熱くするような、しなやかで逞しい女性の歌声であった。

 

「抑圧されがちな本当の自分を呼び覚ますようなリリックを、新しいスタイルのロックに乗せて熱く、力強く」

「……わり、わかんねえわ」

「ううん、そうですか……」

 

 公式サイトなんかに記されてそうな宣伝文句を一蹴すると、しゅんとした。申し訳なくはあるが、聴いても尚同じリアクションを取ってしまう、カウンター越し。

 最近まではネイヴュ復旧工事用の資材造りで本当に激務だったから、仕事終わりも早々に飯を平らげ、風呂で行水して、あくびと共に眠るだけの生活が続いていたな、なんてことを思い出す。

 であるならば、流行り廃りをチェックする暇がないのも道理か、と言外に思考を嚙み合わせた。やけに察しのよろしさが目立つが、この修道服にくるまれた金髪の女性『ステラ』は、ここ、ラジエスシティのジムリーダーを務めている。同業者なのだから、アサツキの訳知りであり、顔見知りなのも当然だ。

 

「滞在はどれくらいで?」

「一泊二日、ってとこかな」

「あら、そうですか。事前に言ってくだされば、宿を取っておきましたのに……」

「いいよ。急に決まったことだしな」

 

 現在地東区(イーストエリア)は、ラフエル地方の歴史の歩みを記すように、過去の建造物が連なっているのが特徴である。そしてそれらを管理する市庁舎『ケレブルム・ライン』も、この場に位置する。というか、今まさに二人が話している所。

 気まぐれで何か参加できるイベントはないかと、ここで働く彼女に問い合わせてみたりもしたが、どうにも期待通りにはいかないらしい。せっかくの旅行なんだがな、なんてほんのり不満を抱いてみたり。しかしぶすくれても仕方がないから、カウンターから「邪魔したな」と離席する。

 

「明日は私も休みですから、お暇でしたら食事でも」

 

 そう誘って手をひらひら舞わせるステラと、彼女の頭の上で同じ動作をする相方『ミミッキュ』を一瞥し、肩越しに掌を向けて外へ出た。

 細腕にかかる腕時計が示す時間は、午後の一時。「そうだった」昼時と認識するのと同時、思い出したように腹が空きを訴えてくる。舌のチューニング曰く、求める味は“甘いもの”。西区(ウエストエリア)の繁華街に行けば、この食欲も満たせはするが――。

 

「(……遠いな)」

 

 余談だが、三食きっちり食べる質だ。一日では到底回り切れない広さの中、空腹を抱えたまま真逆の方角まで歩くのは、本意とするところではない行動で。

 するとどうするか、近場で済ませようとする。見回した風景の中で、幸運にも屋台が一つ。看板にはクレープの四文字……まさしく甘いものだった。アサツキは迷わずそちらへ歩いていく。

 

「キャラメルホイップアイスミルフィーユ。カラースプレーましましで」

「はーい、まいど」

 

 そしてメニューを数秒で確認するやいなや、二人いる接客のうちの一人に、所望する。

 自分の髪色にほど近いキャラメルは、何よりもお気に入りで大好物。漂う甘味の香りに胸と腹を鳴らしながら、二つ目の注文を検討する脳内会議を開いた。太るだろうか、太らないだろうか? 自分で言うのもなんだがハードワークな日々だし、少々の過食ならば大丈夫ではないか? なんて、甘党な本当の自分を甘やかしてみたり。

 では、何を注文しよう。そうやって奥に掲げられるメニューを覗く、今一度の背伸び。

 

「このクレープの生地の小麦粉は、オレント産と見受けるが」

「ですから、お客様、その、商品のレシピについては企業秘密で……」

 

 隣のやり取りにそれを邪魔されるが、気を取り直してメニューを端から望んでいく。

 しかし迷惑な客だな、と考える。大方味が気に入ったので自分の手で再現したい、といったところか。

 

「使用されている卵はオニスズメのもの――とりわけドリルブランドの高級品だな。あれは黄身が濃く、滑らかだったはずだ」

「あの、えーと、お客様」

 

 おまけに喋り方が理屈っぽい。もっとシンプルに伝えられないのか、と思う。これではあまりに、とある陰気な眼鏡野郎を思い出してしまってかなわない。

 いやだいやだ。気が合わないから。

 ああはなりたくないな、そんな独白。

 

「独り言だ、客が来たらすぐにどく。気になったものはわかるまで考え続ける質なものでな」

 

 そうだ。あいつもそんな感じのことを言っていたっけ。気になったものはわかるまで考え続ける――。

 

「ん?」

 

 脳内に刷り込まれた言葉と、聞こえた言葉が一言一句違わず一致した時、アサツキは自然と首を回していた。

 

「む」

 

 ノートは手に持つ、不動の手荷物。どこにいようが纏う白は、その色味に反し、一周回って鬱陶しさすら感じるところ。

 差し込む光を不機嫌そうに突っぱねる二枚のレンズが、彼女を映した。

 瞬間、相反する二人の世界が交わった。

「なんでこんなとこにいるんだよ」腹の底で思っても、言葉は出ない。

 

『……………………』

 

 そんな沈黙を垂れ流したままでも、間抜けなもので、日常はとぼけて絡み合う。

 固まる時間。平行線上の賢者と職人。隣の客は、よく物言う客だ。

 

 彼女の言う陰気な眼鏡野郎――カイドウが、そこにいた。

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