ポケットモンスター虹 ~Raphel Octet~ 作:裏腹
『中央区、ビッグタス公園行き。ビッグタス公園行き』
人が作り出す大波を、縫っている。
『出発致します』
呼吸を荒くし、風に汗を流して、湿った肌を乾かして。
『間もなくドアが閉まります。ご注意ください』
少年少女は三人で、走っている。
「乗り――ッ!!」
「まあああああああああああああああす!」
遠ざかろうと走り出した路面電車に、縋るように飛び乗った。
ぐわん。一度は慣性にやられた三半規管も、数秒もすれば元通り。駆け込み乗車なんてタブーの所為で襲ってくる視線も知らんぷりで、出入り口の縁を掴む。ギリギリで乗り出した身を踏ん張りながら、未だ追い付けずにいる一人に手を伸ばした。
「彼女に掴まって!」
「追い付けるか、一緒にするな脳筋!」
「言ってる場合か!? ちったあ根性見せろメガネ!」
必死に走っているのだが、どうにも日常で運動が遠い場所にあるのがわかる、そんな早歩き。
「早く!」「く、っ!」
白衣が揺れる。髪が靡く。フリルが暴れる。各々気流に遊ばれるまま、つんのめって手を出すカイドウ。柄にもない、そんな形相が伸ばした掌をアサツキはしっかりと握って、
「うお、らああああああああああっ!」
全力で引き寄せた。
一瞬浮ついた長身はどうなることかと思ったが、きちんと箱の中に吸い込まれてくれて、安堵するように壁面に寄りかかった。尤もこうして肩でする息は、安堵のそれとは限らない。
寧ろ怒りの類、なのかも。
「お前、な……何考えてんだ……!」
「助けを求めたかと思えば、バトル中に突如として逃走……正気……では、ないぞ……」
呼吸の合間に物言うのか、物言いの合間に呼吸をするのか、三者の誰もがまるでわからないので、事の説明が多くなくてもいい。
つい先ほど、追手から助けてくれと半ば泣きついてきた少女が、その追手を追い返している最中に逃げ出したのだ。それ以上でも以下でもない、発生してしまった単なる一人の奇行の話。
そして二人が即刻バトルを切り上げ、大急ぎで彼女を走って追いかけ、今に至る――。
「ごめんごめん……、人が集まっちゃったから、さ……あんまり目立っちゃいけなく、って」
軽く折り曲げた膝に両手を置いて、目一杯酸素を取り込みながら少女は言う。
「お前な! さっきから滅茶苦茶言いやがって――!」
先程からまったく話の内容が見えない事に対しての苛立ちもあったのだろう、アサツキはいよいよ彼女への語気を強めた。
の、だが、少女がへとへとになりながら行った指さしで、それが遮られる。どうも背後の何かを示していたようだったから、おもむろに振り向いた。
爪が向く先、それはつり革で甘く固定された客でも、流れていく景色でも、まして座席でもない。何とない車内の吊り広告で。
載っているのは、今現在車両に乗っている、彼女の顔であった。
「――――は?」
繰り返そう。
「騒がしくなるのはまずいな~、って、そんな感じ」
近日中に発売する新曲宣伝の意図を込めた、彼女の――アーティスト『Freyj@』の顔であった。
それからアサツキは、何十回と平面と立体の彼女を幾度と交互に見比べていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ステラとのやり取りから、色々な事を思い出す。
Freyj@というアーティストがいるという事。
そしてその人物が、有名人であるという事。
又、今夜この街で、ライブを行うという事。
果てに、目の前の少女がその人だという事。
「ほんっとに諸々ごめん! んでありがとう! アタシの名前はフレイヤ。フレイヤ・ルウ――って本名言っちゃダメなんだっけ」
そしてこれからカイドウが話すのは、今現在わかった事。
「ライブを当日に控えた中で、マネージャーと進行予定を巡って言い争い、その勢いでホテル待機の指示を無視し、街中に飛び出してきた……ということで間違いはないな」
「そだね。強いて言うなら街中うんぬんの前に『息抜きのために』って付け加えてくれると嬉しいかも?」
「じゃあ、さっき戦ったアイツらは」
「ま、雇われのボディガードってとこかな。頼んでないしアタシに限ってあり得ないと思うんだけど、近頃なんか物騒らしいしさ。それで、事務所が」
「っつーことはなんだ。オレらは無駄に戦って、無駄に走って、無駄に疲れたってことか……」
そう言うアサツキはバン、と叩かれたテーブルの音で、小さく跳ねた。
「そう、そこなんだよ! 無駄じゃないんだ、全くもって!」
大層な元気で開口するフレイヤだったが、己に集中する無数の目で速やかに声のボリュームを落とす。人が憩う喫茶店の中となれば、それはまさしく必要な行為で。
「ごゆっくりどうぞ」注文したコーヒー『グランブルマウンテン』を出すウェイトレスの笑顔の一言も、途端に嫌味たらしく聞こえてきた。
「無駄じゃないってのは、どういうことだよ」
アサツキは今しがた掴み損ねた言葉の真意を望む。こちらは優しい甘さで定評があるエネココアを、一口。
ロズレイティーで一息置くタイミングが、それに応え始める頃合いだ。
「マネージャーと喧嘩して、空気悪くなって……そん時アタシ、けっこうムカつくこと色々言われたワケ」
「……まあ、喧嘩となったら、な」
「つまり今、気分ががくっと下がってるわけ」
「で? その落ち込んじまった気分を変えたいから、この逃避行に付き合ってくれってか」
察しの良さからかはわからないが、アサツキは彼女よりも先に彼女の言わんとすることを並べる。これが正解か不正解かは、両手で指さすジェスチャーで確かに伝わった。ビンゴ!と思わず口走った後に、すぐに「じゃなくて」と、取ってつけたようなしおらしさで、頭を下げるお調子者。
「このままいても、きっとアイツらがまた探してとっ捕まえに来るんだよ~……。こんな気分でステージの上に立ちたくないし、歌いたくないんだ。だからお願いっ! ちゃんと準備開始の五時には戻るから、その間だけでも、このお姫様を守ってはくれないでしょうかっ……!!」
「自分で言うかお姫様」
垂れた首の上で合わさる掌が、切実さを如実に表している。
渋い顔、とでも云うのだろう。そんな表情で腕を組むアサツキの内心は、けして明るいものではなくて。
折角の休日を願ってもない、なんなら願い下げたい面倒事に丸ごと費やすこととなるのだから、無理もないだろう。特段次にすることを定めていたわけではないが、それとこれとは話が別。
悩み抜いた末、現状同じくテーブルを囲うカイドウの腹積もりが気になって、視線を向ける。図らずも同時で、彼の口が開いた。
「結論を急ぐと、断る」
ばっさりだった。ガムシロップとスティックシュガーをコーヒーに溶かしながら。
「お前がどこの誰で、どんな奴から逃げて何をするのも勝手だ。が……それに巻き込まれてやるかどうかも、また俺の勝手というものだ」
「そこをなんとか!」
「駄目だ。身の危険がある訳でもなし、守ってやる義務もない。他を当たるんだな」
「ぬっ……」
カイドウは無慈悲、という訳でもない。ただ良くも悪くも『平等』であるだけだ。そんな根底に対しては拘りどころか自覚すら持っていない。だから子供でも、大人でも、老いも若きも男も女も人畜生も、皆あるべき姿のままで接することが出来る。
こいつにはそういう強みがあるんだなと、場違いながら隣で納得するアサツキ。
カフェインの摂取と糖分補給を一度に済ませる飲料を飲み干し、カイドウは席を立った。
「俺の分の金は置いていく。後はそこの脳筋とでも話を付けろ」
「お、おい」
続けてポケットから取り出した黒の財布を開ける。煮え切らないままのアサツキの事など、構うこともない。元々行動を共にする予定だってなかったのだから、当然か。
寸分の狂いもなく、自身が注文した分きっかりの額を小銭で並べた。それと同時に視界へと躍り出る一枚の紙は、見逃そうにも見逃せなかった。
しかしそれでいいし、それがいい。少なくともフレイヤにとっては。
ぎょ、という表現で、通じるだろうか。どちらにせよ滅多なことでは表情を変えない、鉄仮面という曰くすら付くような男が目を白黒させているのだ。よほどの事であるというのは、間違いない。
「……何の真似だ」
「何の真似も何も、そのまんまっしょ? お好きな額を書いたらいいんだよ」
「こ、小切手……」
「ちなみに本物だよ?」
紙の差出人であるフレイヤが、強調するようにそれへ指の腹を置く。
「まあつまり、『日雇いでどう?』って言ってるんだけど」
こんな人生初の遭遇だ、驚くのはアサツキも同じであった。こんな場所でそれを見るなんて思わなかったし、自分よりも若いこんな人がそれを出すなんてことも思わなかったから。
「カイドウは、研究所務めだよね。そこらへんあんま詳しくないけど、お金が増えたら研究が進むっていうのは、アタシでもわかるし……、アサツキは、そうだね。こういう格好してるぐらいだから、きっと遊びにきたんでしょ? その分のお金が全部誰かによって支払われるんだとしたら、どうかな?」
当惑と、驚愕。二人は、どうやらフレイヤを過小評価していたようだった。もしかするとわがままでお調子者なだけの小娘とでも、思っていたのかも。そうやって失念していた。
彼女は曲がりなりにも早くに世間へ出て、活動し、賃金を貰う社会人だ。こういった『大人のやり方』というのも、無論熟知しているわけで。気付けない方が悪いのか、気付かせない方が悪かったか。その議論は別の機に譲るとする。
立場が、一気に対等になる。均衡が保たれた途端、無邪気な笑みに不敵な意思が加わったような、そんな気がした。
「改めて『ご依頼』です。今から数時間、アタシのボディガード――どうかな?」
単純なわがままから改まる取引の申し出に、視線を漂わせるアサツキと、足を止め見下ろすカイドウ。
片や、行政局に頼んだ通行許可証が手元に来るのは五時。片や、この先に予定らしい予定はない。
一時的に背負う肩書は荘厳なものかもしれないが、ほんの僅か少女の道楽に付き合ってやるだけで金が貰えるというのなら――二人が下す決断は、一つであろう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それは駆動音なのかもしれないし、電子音声なのかもしれない。いや、ひょっとするともっとシンプルな、人の声の塊かも。空調の怠慢で生ぬるい空気がのさばるその中で、フレイヤは立っていた。
「お縄に付けい……ミュウツーっ!!!!」
騒音にも負けず猛々しく叫ぶと同時、手に持ったモンスターボールを対面する大きな機械の箱へと全力で振った。
すると、箱の中のいでんしポケモン『ミュウツー』は、すっぽりモンスターボールに収まって、大人しくなった。かちり、と発される星のエフェクトが、ダメ押しの知らせを届ける。
「いよーーーーーっしゃあーーーーー!」
遺伝子操作の果てに生まれた人工生物――フレイヤは実在すら危ぶまれた伝説のポケモンと遭遇するばかりか、なんとゲットまでしてみせた。これは後世に語り継がれるべき偉業に他ならない。
『特別ステージクリア、おめでとう! よくぞ150匹目のポケモンをゲットしてくれた! 君のようなトレーナーを助手に持つことが出来て、ワシも鼻が高いわい! 祝いと言ってはなんじゃが、景品を受け取ってくれい!』
それでもこの場に居合わせる誰一人として関心を示さないのは、きっとこれが「ゲームの世界の話」だから。
『ぜひともまた遊んでくれ! みんなもポケモン、ゲットじゃぞ!』
筐体にあしらわれた画面の向こうで、ポケモン研究の権威と呼ばれる博士がそう言った。続けて取り出し口から出てくる景品は、今しがた掴まえたミュウツーのフィギュア。
フレイヤはガッツポーズをつくり、もう片方の手に持ったバッグにそれを仕舞う。
誰でも本格的なポケモンゲットを体験できるシミュレーションゲーム『Let's GOポケモン!』は、まさしくフレイヤのような非トレーナーの層から人気を博している。少なくとも家庭用からアーケードに移植され、こうしてアミューズメント施設に置かれるくらいには。
「やっぱゲーセンはいいね。思いっきり騒いで遊べる」
休憩がてらの独り言。
週末というのも手伝ってか、人が多い。どの趣味にも一定数の愛好者がいるというのは不変の事実なもので、このアーケードゲームとて例外ではない。たとえいくら金がかかっても、だ。
『K,O!!』
「……よっし!」
そしてここにも、多くの時間を割けてはいないものの、愛好者が一人。
ポケモンを操作し、リアルタイムで多種多様な技を出しあって戦う対戦格闘アクション『ポッ魂』は、アサツキのお気に入りゲーム。ラジエスに来たら、必ず遊んでいく。
「フン、馬鹿らしい」
フレイヤの「すごいじゃん!」という賞賛も遮り、立ち上がる
「へっ?」
「一秒でも意味ある時間消費ができればと考え、騙されたと思ってプレイしてみたが――本当に子供騙しだったな。心底呆れた。し、時間を無駄にしたぞ」
「ん? えーと? つまらなかった、って言ってるの?」
発言の意図が理解できない、といったフレイヤの表情は、霧がかった知らぬ道を歩く者のそれ。心の底からの不理解とそこに添えられた不安だが、さしておかしなこともなく。むしろ初対面なら正解でもある。
「ほっとけよ。下手くそなのをゲームのせいにして勝手に騒いでるだけだ」
「お前はつくづく人の神経を逆なでする奴だな。他人と言葉を交わさないからそうやって短絡的な面だけが肥大化していくとわからんのか」
「……対戦の続きでもやりてえのか? 今度はもうちょいリアルなグラフィックでやれそうだけど、どうだよ?」
「悪い話じゃないな。少なくともカイリキーに手も足も出せないまま倒れるサーナイトや、スイクンを一方的に撃破するバシャーモが出るゲームよりかはうんと楽しめそうだ」
不正解の瞬間を目の当たりにした時の一瞬、ほんの少しだけ「雇う相手を間違えてしまったか」と後悔したのは、秘密の話。
ぐん、と背面に伝わる力で、注意がそれる。フレイヤが二人の背中を力一杯押していた。
「おい、何すんだよ!?」
「まあまあ喧嘩はここまでにして、せっかくだしプリでも撮ろう、ねえ!」
「はあ!? なんでそうなんだよ!」
「おい、プリとはなんだ!」
「仲良くしようって! 親睦を深めるにはプリが一番だって、ラフエルも言ってた!」
「ラフエルそんな十代みてえな感性してねえだろ!」
「それよりプリとは一体なんなのだ! よく知らんが、俺はこいつと顔を合わせるだけでも精神的負荷がかかるというのに、何かをするなど可能なはずがない! まっぴらだ!」
「はあ!!? オレだってお前と一つ同じ宇宙の下で生きてるだけで一苦労だっつの! 自分だけみてぇな言い方してんなよ!」
ゲームセンター特有の騒音にもまったくひけを取らない賑わい。ぎゃあぎゃあと竜巻よろしく巻き起こる、文字通り三者三様の大喧騒。
迷惑を誤魔化せてしまうのは、果たして良しなのか悪しなのか。それを知るのは、こんな悪戯を仕掛けた神のみぞ。
交差する職人と賢者の時間は、もはや他者をも巻き込みひとつの奇譚に飛躍して。
「なんか、こういうところでは息が合うよね」
『合ってたまるか!』
「喧嘩するほど仲が良いって」
『言うわけないだろ!』
「そういうとこね」
約束の時を目指して、珍道中は続いてく。