ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

100 / 160
記念すべき100話!
だからといって特別編というわけではありません。通常通り本編です。
どうぞ!




第4話

 

   1

 

 沼津市街地のなかに整備された中央公園は、芝生広場や花壇といったごくありふれた公共施設だ。遊具は設置されていないから子供の遊び場としては少しばかり味気ないが、そのまっさらな空間と市街地という立地から使い勝手が良く、年間を通して大小様々なイベントに使用されている。

 秋のフリーマーケットは、市民にとってはお馴染みの恒例行事と言って良い。主婦は成長して子供が遊ばなくなった玩具を出品し、また他の店で掘り出し物の食器や部屋のインテリアになる小物はないか、と密かに目を光らせる。

「これならあまり時間も取られず、お金も集まりますわ」

 最も手軽で、かつ手っ取り早く資金を調達できる手段として、ダイヤはフリーマーケットへの出店を提案した。メンバー9人からそれぞれ家から不要になった物を集めてもらい捌き切れば、それなりの額にはなる。

「凄いお姉ちゃん」

 ルビィが自分のことのように誇らし気に言ってくれる。

「ダイヤさんはこんなことも思いつくずらね」

「流石ダイヤさん!」

 花丸と曜も持ち上げてくれ「そ、それほどでも……、ありますわ」と乗ってしまう。泣く泣く秘蔵のスクールアイドルのライブDVDをネットオークションに出品するという手もあったが、それは葛藤とルビィの制止で踏み留まった。あれは手放せない。入手困難でプレミア価格をルビィと小遣いを出し合ってようやく手に入れた代物だ。いずれダイヤが家督を継いだら正式に黒澤家の家宝にするつもりでいる。

「あなたにこの堕天使の羽を授けましょう」

 と善子が黒い羽を渡される。

「こ、光栄ですわ」

 いらないが、後輩からの厚意は無下にできない。それに、ようやく手応えを掴めた。これで打ち解けて信頼を得られれば――

 

 ――一緒に帰ろう、ダイヤちゃん――

 

 ――これ読むずら、ダイヤちゃん――

 

 ――はい、この前の写真だよ。ダイヤちゃん――

 

 想像するだけで自然と笑みが零れてくる。「だ、ダイヤ……?」と果南の声が聞こえないほどに。因みに後から果南から聞いたら、この時のダイヤはかなり不気味な笑みを浮かべていたとか。

「お待たせ!」

 そこへ、千歌の声が飛んできた。着替えてくるから、と遅れてきたのだが、それを視界に収めると先ほどまでの笑みが一気に消える。

「その恰好……」

 ルビィが辛うじて口を開くのだが、何とも言えない千歌の恰好に声を詰まらせる。

「美渡姉の会社で使わなくなったから、て。どう?」

 どう、と言われても。輪切りのミカンから顔と手足が出た着ぐるみに対してどうコメントしたら良いものか。

「使用目的が謎すぎますわ」

 何らかのイベントに使われていたのは違いないだろうが、新品と見紛うほどに汚れていないあたり、きっと不評ですぐに倉庫の奥に追いやられたのだろう。

「ミカンのお姉ちゃん」

 と、そこへ幼い声が聞こえてくる。気付けば、まだ小学校低学年ほどの少女が千歌を見上げている。呼ばれた千歌は少女と同じ目線まで身を屈ませ、

「お、ミカンだよ。冬にはミカン。行け、ビタミンCパワー!」

 そのフレーズはどこから来ているのか、少女も理解できないらしく少し戸惑いながらも、両手に抱えたペンギンのぬいぐるみを掲げる。

「これ、いくらですか?」

 「どうしようかなあ」と千歌は宙を仰ぐ。果南出品のぬいぐるみは状態も良いのでそれなりの価格設定なのだが、少女は所在なさげにポケットから硬貨を差し出す。

「でも、これしかないけど………」

 小さな掌に乗っているのは、金色に輝く穴の空いた5円玉。「えっと……」と千歌は言葉を探しあぐねている。ぬいぐるみが大層気に入ったのか、少女はすがるように千歌を見つめている。その無垢さに根負けし、千歌は5円を受け取った。少女は表情に笑顔を花開き、大事そうにぬいぐるみを抱えて「ありがとう!」と走り去って行く。

「まいどあり!」

 受け取った5円を握りながら、千歌はそう言って少女を見送る。これで活動資金は5円から10円。

「やった、倍だよ!」

「弁天様のお陰だね」

 なんて曜とルビィが呑気に言っている。確かに倍にはなっている。だが情に流されてばかりでは、商売は成り立たない。この後輩たちは、商売のことを何も分かっていない。

「何を言ってくれてるんですの? ちゃんとなさい。Aqoursの活動資金を集めるためにここに来てるのでしょう。まずは心を鬼にして、しっかり稼ぎませんと」

 「だってえ」と千歌は口を尖らせる。だってじゃありません、と言おうとしたところで、お客がやってくる。

「すみません、これ千円で良いかしら?」

 「見てなさい」とダイヤはお客の前に立つ。手本を見せるのに丁度いい。

「いらっしゃいませ。残念ですが原価的にそれ以下はブッブー、ですわ!」

 「で、でも……」と女性客はたじろぎながらアザラシのぬいぐるみを持っている。成人が両手に抱えるほどの大きさだから、いくら中古品とはいえ千円では妥協できない。

「はっきりと言っておきますが、新品ではございませんが未使用品。出品にあたってはひとつひとつ丁寧にクリーニングを施した自慢の1品。それをこのお値段、既に価格破壊となっておりますわ!」

 遠慮なく女性客に人差し指を向ける。言い終えると周囲に口を開く者はなく、秋の冷えた風が吹きすさぶ音が鮮明に聞こえる。しばしの沈黙の後、接客に慣れた果南がひと言。

「………お客さん指さしちゃ駄目だよ」

 

 夕方になって撤収作業もひと段落した頃、本日の売上を花丸がそろばんで清算する。彼女は電卓でもあまり馴染みが無いとか。

「アヒルボート決定ずら」

 溜め息と共に吐き出されたひと言で、この日の売上がどれ程のものだったかは想像がつくと思う。一応、売れるものは売れた。曜の制服コレクションの1部や、花丸の蔵書。他にもメンバー達の家から引っ張ってきたぬいぐるみ。それでも出品数からすれば微々たるもので、本日の売上から出品にあたってのクリーニングや整備費用、出店にあたっての会費を引いて純利益としては500円が良いところ。Aqoursの活動資金、当初の5円から100倍に。一応、淡島の弁財天は願いを叶えてくれたらしい。

「それにしても」

 と曜が目を向けるのは、公園の縁石でうなだれているダイヤ。続きを梨子が感心したように引き継ぐ。

「何者にも屈しない迫力だったわね」

 「流石ダイヤさん」という曜の言葉は皮肉なしだとは思うが、当の本人には痛いものだろう。ダイヤも乾いた笑い声を返すしかできずにいる。売上が散々な要因はダイヤの一切の妥協を許さない接客と商談のせいなのだが、流石にそのことをからかうほど果南も鬼じゃない。

「それに引き換え、鞠莉はそんなの持ってくるし」

 果南がちらり、と一瞥すると、丁度鞠莉が自身と同じ姿の像を軽トラックの荷台に積み込んでいるところだった。ホテルオハラのロビーに飾ってあったところを運び出した品で、見た目は石膏に見えるが中が空洞になっている分、鞠莉ひとりでも抱えられるほど軽い。

「これ売る気だったの?」

 トラックを出してくれた美渡が呆れ気味に言う。因みに値段は50万円。オーダーメイドでの発注額からすれば格安だろうが、富裕層の桁外れな金銭感覚での値段設定だ。鞠莉はマーケット中ずっと像を磨いていたのだが、趣味と値段のせいで客からは目を背けられた。もっとも、売れるとは鞠莉以外誰も思っていなかったのだが。

「それ言ったら、善子も売り上げnothingデース!」

 なんてレベルの低い反論をしてくる。「ヨハネよ」と弱く告げた善子の抱える段ボールから、大量の黒い羽が風に乗って宙を踊る。今日のために大量に仕入れてきたという在庫品が夕空に乱舞する光景を眺めながら、善子は「ふふふ」と悲し気に笑っている。

「まるで傷付いたわたしの心を癒してくれているかのよう。美しい………」

 なんてポエムは美渡に通じない。

「バカなこと言ってないで急いで拾いな!」

 という千歌の姉に従い、メンバー総出で辺りに散らばった羽の回収にかかる。まるでカラスが大乱闘した跡みたいだ。こんな迷惑行為が学校に報告されたら、次回のマーケットから浦の星は出入り禁止になってしまう。もっとも、次回まで学校が存続していればの話だけど。

「果南ちゃん」

 拾っている際中、千歌に呼ばれ振り返る。

「ダイヤさん、何かあった?」

 見れば、ダイヤは羽を回収せず縁石でうなだれたまま。

「どうして?」

「何となく………」

 そんな曖昧な答えを聞いて、ふと笑みが零れる。

「千歌はそういうところ、不思議と鼻が利くよね」

 一見何も考えていないようで、千歌は他人の変化に敏感だ。だから果南も妹のような幼馴染がリーダーであることに異論はないし、この鼻の良さがつい最近まで落ち込んでいた翔一に再起を促したのだと思える。本人はそのことに気付いていないみたいだが。

「それ褒めてる?」

「褒めてるよ、心配しないで。わたしと鞠莉が、ちゃんとやっておくから」

 千歌は納得がいかない、とばかりにむくれた顔をする。幼い頃からこの顔を見るとつい意地悪したくなるもので、敢えて何も言わない。

 「はあ」と軽トラの運転席で、美渡が頬杖をつきながら深い溜め息をついて、

「翔一が来たらもっと大変なことになってたよ。よかった食べ物のお店なくて」

 フリーマーケットは応募すれば誰でも出店できるが、衛生管理の規約として食品の出店は禁止されている。食べ物が出せるのなら、翔一は間違いなく出店していただろう。

「翔一さん、残念がってたんじゃない?」

 果南が訊くと、千歌は気まずそうに頬を掻きながら苦笑する。

「うん、新しいメニュー出せたのに、て言ってたよ」

 何となく察しはつくのだが、好奇心から「どんな?」と訊いてしまう。翔一の料理は当たり外れが激しい。本人は美味しいものを作ろうとしていて、食べてみると実際美味なのだが初見だと口にするのを躊躇してしまうものがとにかく多い。

 千歌と美渡は顔を見合わせ、一瞬の間を置いて声を揃えて告げる。

「煮干しのモンブラン」

 食品禁止で良かった、と心底思った。

 

「で、話って何です? 明日では駄目なのですか?」

 後輩たちの乗ったバスを見送ったダイヤが、果南と鞠莉に訊いてくる。あくまでも普段通りの佇まいな彼女の顔を鞠莉と揃って覗き込みながら、果南は確信と共に訊く。お堅い性分でも、彼女がこの3人でいる時間を疎むことは、大抵があまり顔を合わせたくない理由があるから。

「やっぱりダイヤ、何か隠してるでしょ?」

 更に鞠莉が畳みかける。

「下級生と仲良くなりたいなら、素直に言えばいいのに」

 「違いますわ。わたくしは別に………」とそっぽを向き、ダイヤは口元を指で撫でる。

「どう?」

Bluff(うっそ)デース」

 やっぱり予想は正解だったか。

「ダイヤは誤魔化すとき、必ずほくろのところを掻くんだよ」

 動揺を隠そうとしても、行動として無意識に出てしまうことはよくある。髪を触るとか、貧乏ゆすりをするとか。ダイヤの場合、口元のほくろに触れるという行為が果南たちにとって分かりやすいだけの話。

 ダイヤは苦笑しながら、ほくろに触れた指を止める。そんな彼女をふたりで取り囲み、

「もう逃げられないよ」

「さあ、話すがよい」

 ダイヤは咳ばらいする。

「いえ、わたくしは、ただ………」

 「ただ?」と声を揃えて先を促す。

「ただ………。笑いませんか?」

「笑う?」

「そんなことするわけアリマセーン!」

「でも………」

 「あーもう!」と盛大な溜め息をついた。こうなったダイヤは強情だと分かっているけど、じれったくて仕方ない。

「何年の付き合いだと思ってるの?」

 鞠莉も促し、ようやく観念したのかダイヤは固く閉ざしていた口を開く。

「じゃあ、言いますけど」

 周囲には誰もいないのに、ダイヤは顔を近付けて、声が漏れないよう口元を両手で覆いながら果南たちの耳元で囁く。

 笑わない、とは言った。でも駄目だった。鞠莉と揃って街中で、文字通り腹を抱え大口を開けて笑ってしまう。見事に約束を破られたダイヤは顔を真っ赤にして怒ったが、その顔が更に果南たちの笑いを誘った。

 

 

   2

 

 アンノウン出現時に迸る戦慄は、どんな時でもお構いなしに翔一を戦いへと向かわせる。この日も夕飯の仕込みをしていた際中、敵の気配を感じ取った翔一は夕陽に焼かれる街へとバイクを走らせた。

 静浦ダイビングセンター。そこへ近付くにつれて敵の気配が強くなっていく。ボート置き場でバイクを停めると、危険の接近を知らない若い女性が犬を散歩に連れている。そこへ、黒翼を大きく広げたカラスのようなアンノウンが、上空から降下してきた。翔一はバイクから降りて駆け出すが、生憎なことに距離がある。

 でも、女性は助かった。横から割って入ってきた人影に強引に伏せられ、紙一重のところでアンノウンの突進は避けられた。標的を仕留め損ねたアンノウンは、宙を旋回して再び突進してこようとする。

「逃げろ!」

 そう女性に告げたのは涼だった。女性は愛犬を抱え、佇む翔一には目もくれずに走り去っていく。邪魔をした者もまた標的と見たのか、アンノウンは涼へと向かっていく。

「変身!」

 ギルスに変身した涼の拳が、避け様にアンノウンの腹を突いた。咳き込みながら地面に叩きつけられたアンノウンは、翼を生やした腕で涼の攻撃を受け止める。女性のような細身の体躯だが、アンノウンはそれなりの力自慢らしく、涼の突き出した拳を受け止めたばかりか顔面に裏拳を見舞う。

 アンノウンが翼を広げた。飛翔し体当たりで涼を地面に伏せ、そのままの勢いを衰えさせることなく更に突進を仕掛ける。

 翔一は裡から(たぎ)る熱い奔流を解き放つ。

「変身!」

 燃え盛る業炎の戦士(バーニングフォーム)へと変身を遂げた翔一は駆け出す。地に降り立ったアンノウンの背中に拳を打ち、こちらに気付き振り返った腹に更にもう1撃を食らわせる。

 アンノウンが逃れようと飛び経った。すかさず翔一は敵の足首を掴み、地面に叩きつける。立ち上がろうとした敵に涼が襲い掛かった。敵に組みつき、腰を掴んで投げ飛ばす。

 起き上がった敵めがけて涼は跳躍した。踵から伸ばしたヒールクロウを振りかざし、肩口から深々と突き刺す。頭上に光輪を浮かべたアンノウンを無造作に蹴り飛ばすと、敵の体は宙に投げられながら爆発四散した。

 炎がアンノウンの肉片を燃やし尽くすと、ボート置き場はいつもの静寂を取り戻す。波の音と、時折道路を走る車の音。脅威を葬った涼は元の姿に戻り、翔一も光と共に変身を解く。

「やりましたね」

「ああ」

 短いやり取りだが、翔一は今までにない充実感を覚えていた。こうして同じ力を持った仲間と戦える。これ程に心強いことはない。

「この間お前に言ったっけな。俺は俺である意味を見つけたい、と」

 その言葉はしっかりと覚えている。俺は自分を哀れんだりはしたくない、とも涼は言っていた。望まない力に弄ばれても、それでも前へ進もうとあがき続けてきた涼の決意。それを瞳に込めながら、涼は強く言う。

「やってみるよ。俺は片っ端から奴らをぶっ潰す。俺の手で、人を助けるのも悪くない」

 翔一は満面の笑みを浮かべた。

「何か良い感じですね葦原さん。頼もしいなあ」

「お前どうでも良いが顔に粉が付いてるぞ」

 呆れ顔を浮かべながら涼は翔一の肩を叩く。頬を拭ってみると、指に片栗粉がこびり付いている。夕飯にキャベツの餡かけを作っていたから、その時に付いてしまったのだろう。

「ああ、すいません」

「相変わらず調子の狂う奴だ」

 自分のバイクへと歩く涼に、翔一は尋ねる。

「そうだ、葦原さんうちで晩ご飯食べていきませんか?」

 この時、翔一は気付いていなかった。

「遠慮しとく。また今度食わせてくれ」

 自分たちと同じようにこの場へ駆けつけていた、もうひとりのアギトの存在に。

 

 帰り道、翔一はバイクを走らせながら新作メニューの思案にふけっていた。涼に振る舞うための料理は何が良いだろう。彼の好物は何か、リクエストを聞いておきたい。氷川さんも誘おう、と思った。一緒に戦っているのだから、同じ釜の飯を食べたい。でも氷川さん不器用だからなあ、パスタとか上手く巻けなさそうだし。

 そうだ、鍋にしよう。そろそろ寒くなるし、温かい鍋を囲むのが1番良い。ふたりの好きな具を聞いておかないと。

 そんなことを考えていたとき、バイクが急に失速し始めた。アクセルを捻っても全く加速しない。速度は落ち続け、とうとう止まってしまう。メーターを見るにガス欠でもないしバッテリー上がりでもないようだが。

 バイクに乗っていながら、翔一は機械に関してはからっきしだ。整備は前の持ち主だった美渡に手伝ってもらっていたし、扱い方も料理のように呑み込めないからスマートフォンも持てない。

 仕方ない、家まで遠くないし押していこう。そう思っていたところで「翔一くーん!」という声が遠くからやってくる。千歌と曜と梨子だった。

「あれ、皆フリマはもう終わったの?」

 「うん」と千歌は息をあえがせながら答える。先に呼吸が整った曜が、

「千歌ちゃん()に行ったら、丁度翔一さんが出て行くの見たんですよ」

「え? やだなあ言ってくれれば良かったのに」

 「呼んでも無視したじゃないですか」と梨子が口を尖らせた。「ごめん」と翔一は笑いながら謝る。アンノウンの気配を感じると、他のことが視界にも耳にも入らなくなってしまう。

「またアンノウン?」

 千歌が不安げに翔一を見上げた。

「うん、まあそんなところかな」

 負けるつもりはなくても、いつも心配をかけてしまうのは申し訳なく思う。でも、だからこそ必ず勝って、この子たちに美味しいものを食べさせてあげよう、と帰ることができる。

 機械の異変に気付いたのは曜だった。

「バイク、どうしたんですか?」

「何か調子悪くなっちゃって。ここんとこ、ろくに手入れしてなかったから」

 人数が増えたとはいえ、機械音痴の男にバイクなんていじったことのない3人の少女。誰が見たところで不具合の原因なんて分かるはずもない。素人が悪戯に構ってもむしろ悪化してしまうものだ。諦めて押していくのが1番だろう。

 そこへ、1台のオフロードバイクが停まった。黒いバイクに乗っていた男がヘルメットのバイザーを上げ「故障ですか?」と訊いてくる。

「は、はあ……」

 返事をしながらも、翔一は誰だろう、と思っていた。会ったことのない男だ。

「少し見せてもらえますか?」

「はい……」

 ヘルメットを脱ぐと、男は翔一のバイクのセルスイッチを押す。キュルキュル、と間の抜けた音が鳴ると、男は自分のバイクに括りつけたバッグから工具袋を出した。

「え、もう分かったんですか?」

「ええ、恐らくプラグの不具合でしょう」

 そう言いながら男は専用レンチでエンジンプラグを抜く。先端が黒い煤に覆われ固まっていた。美渡からはエンジンの掛かりが悪くなったらすぐ交換するように、と言われたが、最後に交換したのはいつだっただろうか。

 男はブラシでプラグの煤を落とし、ライターで先端を炙る。ネジ部分に潤滑油(グリス)を塗って元の位置に戻した。

「これで大丈夫だと思いますよ」

 「はい」と返し、翔一はセルスイッチを押してみる。エンジンはすぐに駆動し、アクセルを捻るとスムーズに回転数を上げていく。

「本当だ、ありがとうございます」

 礼を言うと、男は穏やかな笑みを返してくれる。そのとき、曜と梨子がしゃっくりのような声をあげた。曜のほうは脚をもつれさせ、体が傾く。危うく転びそうになった彼女を、隣にいた千歌よりも素早く立ち回った男が肩を抱き留めた。

「大丈夫?」

「あ、はい。ありがとう、ございます………」

「貧血かもしれない。家でゆっくり、休むんだよ」

 そう告げると、男は自分のバイクに跨って走り去っていく。その姿が見えなくなったところで、翔一は名前を聞き忘れたことに気付いた。お礼に料理でもご馳走したかったのに。

「へえ、今時珍しく優しい人じゃない」

 復活したバイクのタンクを撫でていると、不意に曜と梨子がその場にしゃがみ込んだ。

「曜ちゃん? 梨子ちゃん?」

 千歌がふたりの前に屈む。翔一も「どうしたの?」と顔を覗き込んだ。ふたりとも顔色が青ざめている。まるで吹雪の中にいるみたいに、肩を小刻みに震わせている。

「あの人見たとき、寒気がして………」

 梨子が歯を鳴らしながら言う。曜の肩に触れてみると、とても冷たかった。震えで上手く回らない口で、曜は声を絞り出した。

「あの人……、怖い………」

 

 

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