ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
第1話
1
暗闇の中から、それは光を身に纏うようにして現れた。残滓を散らしながら駆けてきたそれは、アナザーアギトに組み付き進路を阻む。だが乱入者の腕を振りほどき、アナザーアギトは顔面に肘鉄を食らわせた。
突き飛ばされ地面を転がる乱入者の姿が、涼を車へ押し込もうとしていた誠の視界に入り込む。
「アギト!」
起き上がったアギトが、間合いを置いてアナザーアギトと対峙する。傍から見てそれは異様な状況だった。全く同じ姿をした者同士が、同じ視界の中で同時に存在している。まるでドッペルゲンガーだ。遭遇してしまえば、どちらかは死ななければならない。
「丁度いい。お前もこの手で倒さねばならぬ相手。今この場でけりを付けるか」
低く唸るように告げ、アナザーアギトはアギトへ肉迫する。鋭い拳の殴打を、アギトは反撃せずひたすら防戦を貫く。だが相手のパワーが凄まじいらしく、アギトの防御態勢はあっけなく崩されてしまう。
アギトの体が宙へ投げ出され、誠たちのほうへ迫ってきた。車へ乗りかかっていた涼の体を引き戻し、接触寸前のところで逃れる。倒れたアギトの首に手が掛けられ無理矢理に立たされる。喉元を掴まれ、車のボンネットに押し付けられた戦士に、涼は苦し紛れに声を飛ばす。
「戦え! 奴の姿に惑わされるな!」
アギトの視線が、一瞬だけこちらへと向けられる。一瞬のみの隙を突かれ、アナザーアギトの拳が腹に食い込んだ。ごふ、と咳き込みながらも、アギトはアナザーアギトの鳩尾に蹴りを入れて引き剥がす。
「氷川君!」
その声に振り返ると、ヘッドライトを灯した車の前に小沢が立っていた。
「こっちよ、急いで」
それだけ言って小沢は運転席に乗り込む。果南と鞠莉の手を借りて涼を後部座席へ押し込み、ドアを閉めると間髪入れず小沢はアクセルを踏み込んで車を発進させる。
狭い山道から、伊豆市への境に敷かれた県道に出る。小沢がヘッドライトをハイビームに切り替えたところで、進路上で何者かが立ち往生しているのが見えた。すぐに急ブレーキが掛けられ、慣性とタイヤのスリップで洗濯機のような遠心力が車内に回っていく。助手席の誠はシートベルトのお陰で振り回されずに済んだが、後部席にいる3人はそんな余裕はなかったのか一気に座席の端へと押し込まれる。特に涼は打ち所が悪かったらしく、苦しそうに呻き声をあげた。
誠は窓から道路上にいる人影を注視する。ライトの光線からは外れているが、月明かりだけでその不可思議なシルエットは十分に判別できた。
「止まれ!」
車から飛び出すと同時、拳銃を構えながら怒声を飛ばす。誠の声など耳に入らないのか、そもそも耳がないのか、その人影は悠然と歩いてくる。トリガーを引くが、撃ち出された弾丸は敵に命中すらしない。GM-01でも牽制にしかならない相手だ。対人用の拳銃なんて足止めにもならない。
「逃げて!」
後方に向けて叫ぶと、後部ドアが開いて転がるように果南が出てきた。続けて出てきた鞠莉とふたりで涼を引っ張り出して、両脇から肩を支えて県道を拙い足取りで歩き出す。
直後、誠の胸倉が掴まれた。いつの間にか距離を詰めていたアンノウンの吐息を感じ取れる。ゴミ捨て場に放置された生魚のような臭気に思わず息を止めると同時、胸倉を掴まれ無造作に道路脇に投げられる。
サイレンの音が聞こえた。頭を上げると、道路の彼方からパトランプを光らせながらトレーラーが近付いてくる。
「氷川君、行くわよ」
起こしてくれた小沢の指示に「はい」と頷き、彼女と共にトレーラーへ走っていく。痛みは打ち身程度だ。オペレーションに支障はない。停車したトレーラーに乗り込むと、カーゴで尾室が既にオペレーションの準備をしてくれていた。装備一式を纏ってガードチェイサーがトレーラーから吐き出されるのに3人も掛からなかった。出動前に放たれていたドローンは既にアンノウンの姿を捉えていて、観測地点をG3-Xの視界ディスプレイに送信してくれる。AIが周辺の地形から割り出したルートに従って、マシンを山中へと向かわせた。
現場に到着するとアンノウンは既に標的へ残り数メートルまで迫っていて、標的になった3人は脚をもつれさせドミノ倒しのように転んでしまう。アンノウンが一気に距離を詰めようとした寸前で、ガードチェイサーから降りた誠は間に滑り込むことができた。
「逃げなさい!」
3人に告げると、アンノウンの腹に蹴りを入れて距離を取らせる。アンノウンは頭上の光輪から槍を引っ張り出し、すかさず誠はGM-01を抜き敵の手に発砲する。ダメージこそ負わせることはできなかったが、命中させた手から武器を取りこぼさせることはできた。武器を失った敵の下顎を拳で打ち上げる。流石のアンノウンもこれは堪えたらしく、宙に投げ出され茂みに倒れる。
すぐさまガードチェイサーへ戻り武装ハッチを開ける。GA-04 アンタレス。本来なら災害救助用のユニットを右腕に装着し、起き上がった敵に向けると同時に錨の付いたワイヤーを射出する。コンピュータ制御された鋼鉄製ワイヤーは敵に巻き付いて、その身動きを封じる。これで逃げられはしない。外した武装をマシンのハンドルに固定させた。
《解除シマス》
ロックを外したGX-05の銃口を向け、動かない的になった敵に銃弾の礫を浴びせていく。弾倉が空になる寸前のところで、体の肉を削ぎ落されたアンノウンはとうとう力尽き、爆散した。
硝煙がたちこめる山中を、サーモグラフィに切り替えたセンサーで見渡す。だがどこも真っ暗で、先までいた3人の生体反応はどこにも見当たらなかった。
「お前は――」
翔一の言葉を遮るように、アナザーアギトの拳が胸を穿つ。気道に詰まった空気を咳込んで吐き出しながら、翔一は問いをやめない。
「何なんだ!」
答えは返らず、アナザーアギトの蹴りが眼前に迫る。頭を下げて避けつつ、反撃の回し蹴りを見舞うも腕で防御されてしまう。
まるで鏡の自分と戦っているみたいだ。似ている。初めてギルスに変身した涼と戦ったときも感じていたが、このアナザーアギトは涼よりも更に強く自分との類似を感じずにいられない。
いや違う。似ているどころか、全く自分と同じ。同じアギトの力だ。
翔一は唾を飲み込む。自身を包み込み、鎧となった力。その矛先が自身に向けられている。心底ぞ、とした。涼以外でのアギトの力を持つ者との邂逅を想像したことはあっても、拳を交えることなんて考えたこともなかった。
こいつは何者だ。何故俺と戦う。何故俺を倒そうとする。
問いはいくらでも出てくるが、そんな猶予はない。涼に言われたように戦うしかない。こいつの姿に惑わされて、理由も分からないままここで倒れるわけにはいかない。
胸目掛けて蹴りを放った。予想していた通り、アナザーアギトは腕で防御する。反動を利用して後方へ跳び間合いを取ると、翔一は深呼吸した。力の流れを読み取ったのか、アナザーアギトもすう、と息を吐く。
翔一の角が開き、アナザーアギトも牙を剥く。ふたりの足元に似た紋章が浮かび、それが足に集束していく。こんな力の扱い方までそっくり同じだ。間合いを保ちながら、出方を探りつつ深く腰を落とす。
跳躍はほぼ同時だった。寸分の狂いもなく、同じタイミングで右脚を突き出す。互いの足が触れ合った瞬間に強烈な火花が散り、自分の放った力がそのまま跳ね返ってきた。工場内に放置されたドラム缶や資材をなぎ倒しながら、翔一は地面を転がる。右脚から頭頂部まで、1本の芯で貫かれたような痛みが走った。あまりの激痛に意識が飛びそうになり、感覚を失った右脚が吹き飛ばされたのでは、という錯覚に陥る。まだ辛うじて機能している視界で、右脚はしっかりと体にくっ付いていて安堵した。
向こうはどうなった。確認しようにも、痛みのせいで体が動かない。こうして変身を保っていられるのも幸いと言っていいほどだ。
呻き声が聞こえた。向こうも意識は保っているが、翔一と同じように反動のダメージはあったらしい。
「雅人、雅人か……!」
雅人? 何を言っているんだ?
「何故だ……、何故邪魔をする雅人。雅人おおおおおおおおっ‼」
苦悶の叫びが工場内にこだましている。先程までの強靭さの一切が払われた声も遠くなっていく。駄目だ。ここで意識が飛べば今度こそやられる。自身の意識を沈ませないよう奮闘するのに気を取られ、アナザーアギトに変身する者の謎の叫びはもはや耳に入らなくなる。
ようやく痛みが引いて起き上がれるようになった頃になると、アナザーアギトの姿は消えていた。
2
3年生たちを除き部室に集まっていた面々で、ウェブサイトのページを開いたままのノートPCを凝視する。何の操作もせず沈黙する画面を見る中で、口を開くメンバーは誰もいなかった。いつもなら軽口が飛び交う部室に漂う緊張感のなか、千歌は額に冷や汗を浮かべる。
ウェブページに変化があった。
「来ました」
震える声でルビィが言う。画面にはLove Live!とロゴが浮かび、次の瞬間には巨大なドーム状の建物が映し出される。
「見た事あるずら」
と花丸が声をあげる。「ここは――」と善子も息を呑みながら、
「前回ラグナロクが行われた約束の場所」
どういう事かと疑問に思った人のためなのか、梨子が通訳してくれた。
「わたし達が突破できなかった地区大会」
そう。前回Aqoursが出場し、そこで終わってしまった会場。同じ会場で、今回も地区大会が行われる。
「リベンジだね」
曜から向けられたその言葉に、千歌は強い頷きを返す。
「うん」
今度こそ突破してみせる。そして見つけてみせる。
わたし達の輝きを。
そろそろ地区予選の会場が発表された頃かしらね。
気を紛らわせようとしての反応なのか、鞠莉はふとそんな疑問を浮かべる。どこになったか、なんて後で千歌たちから聞けばいいし、正直なところ会場なんてどこでもいい。皆で歌えれば、どこでも。
これからの動向次第では、歌う機会すらも失われてしまうのだから。
「57人⁉」
鞠莉が告げた事実に、ダイヤは驚愕のあまり立ち上がる。その勢いのせいでパイプ椅子が倒れたのだが、彼女はそれを直そうともしない。こんな反応、生徒会室にこの3人しかいなければ隠していただろう。
「そう」と応じ、鞠莉は説明を続ける。
「今日現在、入学希望者は57人」
理事会からメールで送られてきた報告書をスマートフォンに表示させて提示すると、ダイヤの表情は絶望の色をより濃くする。
「そんな………、この1ヶ月で10人も増えていないというのですか?」
悲しいことにそれが現実だ。理事会だって虚偽申告なんて真似はしないだろう。ラブライブ予備予選は無事突破できたし、学校説明会でのライブも成功させた。来てくれた中学生たちが贈ってくれた歓声と拍手は本物だったに違いない。
それでも、この1ヶ月の間に浦の星への入学意欲を刺激できたのは、10人にも満たなかった。確かにAqoursはできるだけの努力をしてきた。だが予備予選は所詮本大会に参加するグループ選定の振るい落とし。説明会のライブは余興。それだけの結果で、こんな交通の便も悪い地方の高校にわざわざ通いたい、と思うだろうか。
答えはNo、と数字が示している。
「鞠莉のお父さんに言われた期限まであと1ヶ月もないよね?」
果南に訊かれ、鞠莉は頭の中で簡単に計算する。期限は来月。それまでに入学希望者を100人にまで増やさなければならない。残り43人。しかも期限の日は、まるで狙ったかのように酷な日付。
「ラブライブ地区予選大会が行われる日の夜。そこまでに100人を突破しなければ、今度こそ後はnothingです」
「つまり次の地区予選が――」
続きを言うのも躊躇い、果南は口ごもる。気持ちは理解できるが、逃げるわけにはいかない。自分は理事長。浦の星を背負う立場。向き合わなければ、と奮い立たせ、鞠莉は続きを引き継ぐ。
「Yes, Last chance」
ようやく椅子を直したダイヤが、苦虫を噛み潰したように告げる。
「そこに賭けるしか、ないという事ですわね」
これが最後。今度こそ、本当の最後になる。今まで楽しみだったライブの日。それが今はとても憂鬱になる。多くの歓声と熱気に包まれる日が、判決の日だなんて。
「それはそうと」
とダイヤが切り出し、思わず「ん?」と鞠莉は呆けた声をあげてしまう。これでこの場の話は終わりのはずなのだが。
「おふたりとも、何か隠していますわね?」
鋭い視線が、鞠莉と果南へ突き立てられる。
「何のこと?」
とぼける事は手慣れている。適当にはぐらかせば、ダイヤだって疲れてしまうだろう、と高を括っていた。
「そうだよ、今更隠し事なんてするわけないじゃん」
と果南も笑うが、明らかに声が乾いている。お願いだから余計なこと言わないで、と祈っていると、ダイヤは更に畳みかけ、
「おふたりが誤魔化すとき、鞠莉さんは耳を、果南さんは髪を触るのですわ」
指摘されて鞠莉は自分の右手が耳に触れていることに気付く。果南もポニーテールにした髪を手櫛で梳いていて、咄嗟に手を引っ込めたがもはや手遅れになっていた。
まさかこんな仕返しをされるなんて。
「さあ、観念なさい」
とダイヤは得意げな顔をする。果南と視線を交わすと、無言でお手上げのジェスチャーをされた。やっぱり、この面子で隠し事はできない。できることなら、もっと他愛もない隠し事が良かったのだけれど。
3
トングでひっくり返されたカルビは香ばしい焼き色を付け、表面に浮いた脂をてらつかせている。網の上にはすっかり焼けている肉も何枚かあるのだが、誠はどうしても箸を動かす気分にはなれなかった。
「どうした氷川君、食べないの?」
先ほどウェイターに追加の皿を注文したばかりの小沢が訊いてくる。
「すみません、食欲がなくて」
「分かるわ、木野薫のことね」
そう告げると小沢は箸を止める。
「尊敬していた人物に裏切られた。それで元気がない、てところかしら」
やはり小沢は的確に図星を突いてくる。だがそれを肯定するのも躊躇ってしまう。裏切られたなんて、ただ誠が勝手に木野を素晴らしい人間と思っていただけだ。それが勘違いだった事実を突き付けられて裏切られたなんて、子供じゃあるまいし。
「元気出しましょうよ」
隣で肉を咀嚼しながら、行儀悪く尾室が言う。
「何があったのか知りませんけど、人生色々あるんですから」
「ほら、あなたは黙って食べてなさい」
と小沢は網から焼けた肉を適当に見繕って尾室の取り皿に乗せていく。それを喜んで食べる尾室はまるで犬みたいだ。
「気持ちは分かるけど、ものは考えようじゃないかしら? 私たちの知るアギトが木野薫じゃなくて良かったじゃないの。本当のアギトは素晴らしい人間よ」
まるで友人を語るようなその口ぶりに、誠は違和感を覚える。
「どうしてそんなことが言えるんですか?」
「それは………」
と珍しく彼女が口ごもったので、誠は更に問う。
「小沢さん、もしかして知ってるんですか? アギトの正体を」
「氷川君、あなた津上翔一のことをどう思う?」
唐突にそんな質問を返され、少しばかり苛立ちが募る。
「どうして津上さんが出てくるんです? 今はアギトの話をしてるんです。知ってるなら教えてください。一体どこの誰なんです?」
「言い辛いわね、何となく………」
「何故です? 素晴らしい人間なんじゃないんですか?」
「ええ、素晴らしい人間。そしてあなたがよく知っている人間。あなたにとってはとても意外な人間よ」
何度も教えてください、とねだったのだが、とうとう小沢の口からアギトの正体が出てくることはなかった。焼肉屋から出た誠は署へは戻らず北條へ連絡を取り、彼が昼食を摂っているというフランチレストランへ向かった。
「私がアギト?」
スーツに染みついた焼肉の脂とニンニクの匂いに顔をしかめながらも、北條は律儀に誠の質問に答えてくれる。
「ええ、僕の知っている意外な人物とは北條さんかと」
考えてみれば北條の今までの行動の理由がアギトとするならば、辻褄が会う気がする。
G3ユニットの解散を企てたのは警察に自分の正体を知られたくないから。アギト捕獲作戦なんてものを立案したのは自分がアギトであることを隠すためのカモフラージュ。あかつき号事件を捜査しているのも、自分の力のルーツがあの船にあると考えてのこと。
そんな誠の推理を一蹴するように北條はふ、と微笑し、ナイフとフォークを置く。
「違いますよ、残念ながらね。しかし、意外な人物であることに間違いは無いが………」
「ということは、北條さんも知ってるんですか、アギトのこと? どうして北條さんが?」
北條は1度誠に視線を合わせるが、すぐに逸らし溜め息をつく。何で小沢といい北條といい、知っていながら口を閉ざすのか。誠が知ってはまずい事情があるのか。それとも警察上層部は既にアギトの正体を掴んでいて、それは一部の人間にしか知らされていない秘匿事項だとでも。
「お願いします、教えてください」
「氷川さん、あなたは津上翔一の事をどう思います?」
またか、とうんざりする。
「どうして津上さんが出てくるんです? 今はアギトの話をしているんです」
北條は先ほどよりも深い溜め息をついた。
「言い辛いですね、何となく………」
やはり言えない事情があるらしい。誠は知人の中からアギトとして「意外」な人物の人相を思い浮かべていく。北條の次に候補に挙がったのは河野だった。確かに警察関係者なら、上層部が隠したがるのも理解できる。もし外部に知られてしまっては、対アンノウンの貴重な戦力を研究目的で奪われてしまいかねない。だとしたらやはり河野が――
と思ったのだが、どうしてもあのラーメン愛好家の河野の体に、強靭な戦士の力が宿っているとは思えなかった。
4
沼津港の魚市場や物産エリアはまだ賑わっているが、内港を挟んだ貨物倉庫は既に今日の業務を終えて静まり返っている。建ち並ぶ倉庫のひとつはホテルオハラが買い取ったものなのだが、既に使用されなくなって久しく施錠されたドアも錆びついている。軽く角材で小突いただけで南京錠が外れたほどだ。
ある意味で秘密基地になった倉庫の重い扉を開け、鞠莉はどうぞ、とダイヤを招き入れる。躊躇うダイヤは後ろにいる果南に促され恐る恐る歩み入るのだが、中から聞こえてくる呻き声に悲鳴を押し殺し、足を止めた。鎖で繋がれた猛獣でも想像したのだろうか。
「大丈夫」とダイヤを誘導し、倉庫内で分けられた区画のひとつに入る。鞠莉たちがいない間、他の倉庫の従業員に発見されないか気掛かりだったが、何とか今日のところはやり過ごすことができたらしい。とはいえ、峠を越えただけで次がいつ来るのか分からず予断を許さないのは変わりない。
コンクリートで固められた壁に背を預ける彼の姿を認め、ダイヤは息を呑んだ。
「これは……、これはどういう事ですの?」
どこから説明したものか。ここまで至るのにかなりの段階を踏んでいるのだが、時間を惜しんでもいられない。それにここへダイヤを連れてきた時点で言わなければならないのだから、鞠莉は全てを説明することにした。木野薫という、鞠莉たちとあかつき号に乗っていた人物。彼のアギトへの覚醒。そして彼の狂行と、涼の今の容態。
「そんなことが………」
今まで隠してきたというのに、ダイヤは怒る素振りなんて見せず涼の額に浮かぶ汗をハンカチで拭き取る。シャツを捲って患部を確認すると、痣は鳩尾にまで範囲を広げていた。もはや呻く力もないのか、涼は粗い呼吸を繰り返すばかりで今にも閉じそうな眼は虚空を見つめている。
こつ、とコンクリートを叩く音が聞こえた。反射的に振り返ると、区画の入口に男が立っている。倉庫の関係者か、と身構えていると、男はこつ、と革靴の音を鳴らしながらゆっくりとこちらへ近付いてくる。そのシルエットに鞠莉は違和感を覚えた。倉庫の関係者にしては、男の背広姿は作業に不向きだ。今にも途切れてしまいそうな電球の光に照らされて、その容貌が明らかになる。
「あなたは、あの時の………」
あの日の記憶は夢のように現実味が無いが、しっかりと覚えてはいる。勿論、あの屋敷で鞠莉たちを迎え入れたこの男の顔も。
「あなたは誰なの?」
果南が訊いた。男は鞠莉たちをひとりずつ見据え答える。
「かつて、アギトを葬った者。これから、アギトを救う者。神を、裏切った者だ」
男は腰を降ろし、涼をじ、と見つめる。涼のほうは目の前に誰がいることを認識できていないようだった。きっと、もう鞠莉たちのことも視えていないのかもしれない。
「彼を助けたいか?」
強く鞠莉は頷く。「でも」と果南は今にも泣き出しそうに、
「前みたいに力が使えない………」
「いや」と男はかぶりを振る。
「お前たちは無意識に力を使っている。そうでなければ、彼はとうに力尽きていただろう」
まさかの事に鞠莉は自分の掌を眺める。それでも所詮はその場しのぎの延命でしかない。こうして涼の苦しみをただ延ばしているだけに過ぎない。
「でも、わたし達だけの力じゃ………」
最後に残された手段は、また皆の力を借りて涼を癒すこと。でもそれだと、薫の標的を悪戯に増やしてしまう。鞠莉たちの殆どが、いずれアギトになるなんて知られたら。想像するだけで背中に冷や汗が伝った。
「お前たちは、お前たちが思っている以上にアギトへ近付きつつある」
「そして彼も」とその目が涼へ向けられ、
「不完全に目覚めた力を、完全なものにしようとしている。今の苦しみは、そのためのものだ。かつては滅びるしかなかった存在が、ようやくその運命を越えようとしているのだ」
彼が何を言っているのか、鞠莉には分からない。かつて滅びるしかなかった存在。以前も涼のような、ギルスなる存在がいたのか。
そもそも、アギトは以前からこの世界に存在していたというのか。
「彼の苦しみを消そうなどと考えるな。ただ信じろ、彼の力を。彼なら運命を越えられる、と」
男は強く告げる。鞠莉は涼の姿を見つめた。不完全な力に弄ばれ苦しめられた涼。もはや痛みに苦しむ力すら残されていないのに、運命とはまだ彼に終わりの時を赦してはくれない。この苦しみを乗り越えた先で、彼はまた戦うのだろうか。
「わたしは信じる」
果南が涼の手を握った。
「せっかくまた会えたのに、こんなの寂しすぎるよ」
彼女の手が、朧気ながら光を放っているように見える。鞠莉は思う。わたし達も同じ運命にあるのなら、乗り越えられるだろうか。この男の言うように自分たちがアギトとして目覚める日が近いのなら、その先には何があるのだろう。
果南の手にダイヤが自分の掌を重ね、力を上乗せする。涼を助けたい。その想いは本物だ。だけど、涼の姿は鞠莉たちの未来でもある。玉汗で全身を濡らす彼の姿が、鞠莉の不安を掻き立てている。
「あなたは何で、わたし達を助けるの?」
未来を視る前に、鞠莉は訊かなければならない、と思った。この預言者のような男が、何の目的でアギトを救おうとしているのか。
「何でアギトなんてものが産まれるの?」
「アギトの種は、人間という種の中に遥か古代において既に蒔かれていたのだ。たったひとつの目的のために」
「ひとつの、目的……?」
反芻すると、男は強く頷く。逡巡を経て、その「目的」とやらを告げた。
「人間の可能性を否定する者と戦うためにだ」
「雅人おおおおおおっ‼」
雅人「お呼び、て解釈で、良いのかな?(ニタァ)」
猫舌「お前じゃねえ座ってろ(フーフー)」