ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第2話

   1

 

 決定事項は、週が明けた全校集会の場で理事長から生徒全員に通達された。

「浦の星女学院は、次年度より沼津の高校と統合することになります。皆さんは、来年の春よりそちらの高校の生徒として明るく元気な高校生活を送ってもらいたいと思います」

 壇上でいつも賑やかな鞠莉だが、この日ばかりは淡々とした口調だった。失礼ながら、初めて彼女が理事長らしい、と思った。休日の間に保護者を通じて伝わっていたのか、生徒たちの間にどよめきは起こらなかった。皆揃って行儀よく、静かに話を聞いていた。

 列の中から、曜は何人か挟んで前に並んでいる千歌を見やる。彼女がどんな顔をしているのか曜からは見えないし、想像もつかなかった。

 

「千歌ちゃん」

 席で窓からの景色を眺める彼女に呼びかける。曜の声が届かないのか反応がなく、再び「千歌ちゃん」と呼んでようやく気付いてくれた。

「次、移動教室だよ」

「ああ、そっか」

 そう応える千歌は、いつもと同じ顔をしている。明るくて、元気な。

「千歌」

 そこに、同級生たちが千歌の席へ集まってくる。いつも協力してくれた、よしみ、いつき、むつの3人。

「いよいよ決勝だね、ラブライブ」

 いつきが言うとむつも、

「このまま優勝までぶっちぎっちゃってよ」

 よしみも続けて、

「また良い曲聴かせてね」

 3人も心遣いはありがたい。でも、出来ることなら構わないであげてほしかった。今の千歌にとって、他人からの善意は痛みにしかならない。

「アキバドームだもんね。思いっきり動き回らないと。皆に見えるように」

「あたし達も声が届くように、大声出して――」

 最後まで聞かず、千歌は立ち上がる。椅子が結構な音を立てたものだから、3人は肩を一瞬だけ震わせてしまった。

「そうだよね。優勝目指して頑張る」

 意気揚々と千歌は言った。それが表面上の言葉なのか、それとも本心なのか、曜にも分からなかった。

 

 声をかけられたら、千歌は普段通り明るく振る舞っている。傍から見れば変わりないかもしれないけど、梨子は彼女の変化に気付いていた。曜も同じで、千歌に向ける言葉を選んでいる、と分かってしまう。

 受け止め切れない。

 一緒にやってきたのだから、ほんの微かな変化でも分かる。他愛もない会話をしている時、千歌がふと見せる虚しそうな、空っぽな顔に。

「今は前を向こう」

 手洗いに行く、と教室を出た千歌を追いかけ、何の前触れもなく言う。

「ラブライブはまだ終わってないんだから」

 辛いのは分かるけど、それは皆だって同じ。そう言おうとしたところで、

「分かってる」

 冷たく言い放たれて、何も言えなくなった梨子は足を止める。つかつかと歩き続ける千歌の背中を、ただ見送るしかなかった。

 

 行く末が決まったとはいえ、日常にこれといった変化はない。学校で授業を受けて、放課後は練習。プラザヴェルデの屋上に集合すると、前に立った3年生たちが述べる。

「学校が統合になったのは残念ですが、ラブライブは待ってくれませんわ」

「昨日までのことは忘れ、今日から気持ちを新たに決勝目指して頑張ろう」

 ダイヤと果南がそう述べると、善子が立ち上がって、

「勿論よ。5万5千のリトルデーモンが待っている魔窟だもの」

 そういえば、アキバドームの収容人数はそれくらいだったっけ、とぼんやり思い出す。想像もつかない数字だ。それだけの人数が1箇所に集まるだなんて。

「皆善子ちゃんの滑り芸を待ってるずら」

「ヨハネ!」

 「そ、それに!」とルビィが挙手する。

「お姉ちゃん達は、3年生はこれが最後のラブライブだから。だから、だから………、絶対に優勝したい!」

 ルビィの言う通り、どの道3年生にとって最後の機会であることに変わりはない。統廃合になろうがなるまいが、それだけは最初から決まっていたこと。

「Yes! じゃあ優勝だね」

 と張り切る鞠莉に、果南が「そんな簡単なことじゃないけどね」と冷やかしを入れる。そんなこと言いながら、果南だって負けるつもりはないだろうに。

「でも、そのつもりで行かないと」

 そう言って、梨子が笑みを向けた。そうだよね、と千歌は裡で零す。昼間にだってラブライブはまだ終わってない、と言われた。何も変わらない。本当の終わりは、まだ先なのだから。

「うん、優勝しよう」

 「じゃあ皆upして」と鞠莉が指示を飛ばす。「ライブ後だから念入りにね」と果南が付け足すと、皆で「おー!」と元気よく返事してストレッチに取り掛かる。

 そうだよね、今はラブライブに集中してよっと。

 ここまで来たんだし、せっかくだから優勝したいよね。

 凝り固まった筋肉を解しながら、千歌は毎日のように繰り返されてきた光景をぼんやりと眺める。

 今年の春から始まって、メンバーもどんどん増えていって。学校がなくなるかも、なんて聞いて憧れのグループと同じ偉業を成し遂げよう、なんて意気込んで。悔しさを味わって、たくさん泣いて、それでもやっぱり輝きたくて。

 わたし達の願いをたくさんの人たちが応援してくれて、そんな皆がいるこの街と学校が大好きで、だからこそ護りたくて――

「千歌ちゃん?」

 曜に呼ばれ、ストレッチの手を止める。気付くと全員が止めていた。皆で千歌に、重苦しそうな顔を向けている。

「どうしたの? 皆?」

 ふ、と果南が優しく微笑して、

「今日は、やめておこうか」

「え、何で? 平気だよ」

 「ごめんね」と告げる鞠莉の声も優しい。何でそんなに優しいのか、全く分からない。

「無理にでも前を向いたほうが良いと思ったけど、やっぱり気持ちが追いつかないよね」

 どういうこと、と思ったところで、ふと自分の頬に暖かいものが伝っていることに気付く。乱暴に服の袖で拭い、

「そんなことないよ。ほら、ルビィちゃんも言ってたじゃん。鞠莉ちゃん達最後のライブなんだよ。それに、それに――」

「千歌だけじゃない」

 果南はそう言って、千歌の手を取った。

「皆そうなの」

 ダイヤも目を伏せながら、

「ここにいる全員、そう簡単に割り切れると思っているんですの?」

 割り切るも何も、ラブライブは待ってくれない。優勝を目指すのなら練習あるのみ。そう言いたいのに、言葉が出ない。

「やっぱり、わたしはちゃんと考えたほうが良いと思う。本当にこのままラブライブの決勝に出るのか、それとも――」

 出る、と皆で声をあげてくれることを願った。そうじゃないと、今までの奮闘が本当に無駄になる。ここまで来たのに、今更になって自分たちで足蹴にしてしまうなんて。

 皆は無言だった。出たい、優勝したい、と声を上げるメンバーは、誰もいない。

「そうですわね」

 ダイヤがそう言ったところで、「待ってよ」と千歌は止める。

「そんなの出るに決まってるよ。決勝だよ。ダイヤさん達の――」

「本当にそう思ってる?」

 鞠莉に遮られ、言葉を詰まらせる。ここですぐ反論できない自分自身が分からない。今の自分が何を望みに頑張れるのか、何を求めているのか。

「自分の心に訊いてみて。チカっちだけじゃない。ここにいる皆」

 

 

   2

 

 たとえ地方でも、港町というものはどこも栄えているものだな、と思える。水門びゅうおのすぐ傍で営業している飲食店併設の魚市場は今朝水揚げされたばかりの新鮮な魚を求め混雑していて、道路には駐車場の空きを待って車が渋滞している。

 沼津港には何度か訪れたことはあったが、それは夜間だったりG3-Xオペレーションだったりで人気なんて無かった。だから平時での賑わいというものは誠にとっては戸惑ってしまうもので、売店でソフトクリームを購入するだけでも結構な待ち時間を要した。

「そうですか。では津上さんも何故アギトになったか分からないんですか」

「はい、すみません」

 びゅうおの展望デッキで翔一とそんな会話をしながら駿河湾を眺めてみる。どこかにあの日のような光の柱はないか、と探してみるが、そんなものはどこにも見当たらない。時折船が見えたが、小さな遊覧船で大型のフェリーボートなんて無かった。

「いえ、こちらこそ済みません。突然お呼び出しして」

 海から隣へと視線を転じると、翔一は食いしん坊なわんぱく小僧よろしく両手にソフトクリームを持っている。右手にバニラ味、左手にチョコレート味、と。因みに誠はバニラ味ひとつだけ。

「でも津上さんがアギトだと知ってから、まだ十分にお話ができていないような気がするんです」

 翔一は両手のソフトクリームを交互に舐め、

「別にそんなお話することなんかありませんて。見たまんまですよ、見たまんま」

 そんな回答だと思った。誠も釣られるようにソフトクリームを舐める。港の潮の香りを嗅いだからか、知った味よりも甘く感じる。

 「あ、そうだ」と翔一は思い出したように、

「葦原さんも何故変身するようになったか分からない、て言ってました。ある日突然なっちゃった、て」

 葦原涼か――。

 肩が強張る感覚を覚えながら、誠は溶け始めたソフトクリームを舐めながら海へ視線を戻す。確か彼もまた、アギトの力を持つ者だった。彼の変身した姿は、どうしても翔一の変身するアギトとは似つかない。同じ力から生まれる別の存在、とでもいうのか。いずれにせよ、本人も力の出自が分からないのなら推測したところでどうしようもないが。

「そうそう、俺の方こそ氷川さんに訊きたいことがあるんですけど」

「何でしょう?」

「ほら、前にアギトみたいな奴が、俺や氷川さんや葦原さんを襲ってたじゃないですか。あれって………」

「木野薫」

 溜め息と共にその名前を吐き出し、ソフトクリームをひと舐めする。

「彼もまた、アギトですよ」

「ですよね。でも何で氷川さん達のこと襲ったんです? そのうえ俺にまで」

 苛立ちを食欲にぶつけているのか、翔一はしきりにソフトクリームを舐める。既に両手とも半分近くは減っていた。

「同じアギト繋がりなのに」

「ええ、僕の方が訊きたいくらいですよ」

 誠も苛立ってきて、翔一と同じようにソフトクリームへ向けた。

「人間を愛する立派な人だと思っていたのですが、一体何を考えているのか………」

「会わせてもらえませんか? その木野、て人に」

「会いたい気持ちは僕も同じですが、どこにいるのか………」

「そうか………」

 住所は知っているが、あのアパートに戻っているとも考えにくい。そういえば、北條がとうとう家宅捜索に踏み切った、と河野から聞いている。木野もあかつき号の乗客だが、果たして彼の部屋から何か手掛かりになる物が見つかるかどうかは微妙なところだ。

「もしかしたら、葦原さんに訊けば分かるかもしれませんよ」

「葦原涼ですか………」

 無意識にまた肩回りが強張ってしまう。G3システムを修理不能まで破壊された日の記憶は、まだ鮮明に残っている。彼の尖刀が少しでもずれていたら、G3のマスクどころか誠の顔面まで抉られたことだろう。

「君は親しいんですか、彼と?」

「まあ、最近良い感じ、ていうか」

「木野薫もそうですが、葦原涼も分かりません。彼は君にも襲い掛かったことがあったはずだ」

「まあ、色々誤解があったみたいで」

 そう言うと、翔一はまるで遠い過去を懐かしむように笑った。まだあの頃から3ヶ月も経っていないというのに。

「でも、大丈夫ですよ。根は良い人ですから」

 そう言って翔一は階段へと歩き出す。だがすぐに「あ」と誠へ振り返り、

「でも葦原さんのこと誰にも言わないでくださいよ。特に北條さんには。また捕獲作戦とかやられちゃ、あれですから」

「分かりました」

 返事をしてすぐ、誠は違和感に気付く。捕獲作戦の現場に翔一はいなかったはずなのに、何故翔一が知っているのだろう。あの後に2度目の捕獲作戦なんて、あっただろうか。

 

 練習が無くなると手持ち無沙汰になって、どう暇を潰そうか悩みどころだ。Aqoursに入る前はどう過ごしていたか思い出そうとしても、曖昧ではっきりしない。確かあの頃は理事長の業務で忙しかった記憶があるが、もう統廃合が決まった今となってはやる事がない。

 深く溜め息をつきながら紅茶セットを乗せたワゴンを引いていると、ドアを挟んだ向こうから声が聞こえた。

「はい、分かりました。城南医大病院ですね。すぐに伺います」

 すぐにドアが開けられた。薫は通路上にいる鞠莉をまるでいない者のように素通りしていく。

「薫!」

 ワゴンを置いて、鞠莉は薫を追いかけた。

「まさか手術(オペ)に行くつもり?」

 追いついた薫は顔をしかめながら胸のあたりを手で押さえている。涼に手ひどくやられた傷もようやく癒えてきて、先日鞠莉が部屋まで運んだ食事にようやく手を付けてくれたばかりなのに。

「無理よ、その体じゃ」

 「どけ」と肩を掴む手は無造作に払いのけられる。

「お前には分かるまい。俺にとって全ての患者は雅人なんだ。俺は雅人を助けなければならない」

 苦し気に言うと、薫は重そうに足を引きずりながら客室から出て行った。

 

「木野薫に会いたい?」

 突然訪問してきた要件を、涼は眉根を寄せながら反芻する。「はい、是非」と翔一は物怖じすることなく言ってのける。依然に拳を交えたことは、いくら翔一でも忘れたわけじゃないだろうに。

「何故? 何のために?」

「そりゃあ同じアギトなのに何故俺らを襲ったのかな、て」

 そこで、翔一と一緒に訪ねてきた青年が割って入ってくる。

「あなたも、僕と津上さんに襲い掛かったことがありましたね」

 そう言われて、あの顔面抉った青いやつか、と思い出す。木野に追いかけ回されたときに庇ってもらったことも。

 「改めて紹介します」と翔一は青年を手で示し、

「こちら警視庁の氷川誠さん。もう知ってると思いますけど」

 紹介されると、誠は律儀に会釈する。何で警視庁の刑事が静岡県に、と疑問は沸いたが、今それはどうでもいい。

「木野薫か……。これは俺の勘だが、奴は過去に生きている。依然俺もそうだった」

「過去に? どういう意味です? 彼の過去に何があった、ていうんですか?」

 刑事らしく、誠は詮索してくる。

「俺も詳しくは分からないが………」

 鞠莉から彼の右腕について聞いたことはあったが、いくら刑事とはいえ誠に話して良いものか。この男もアンノウンと戦っているようだが、アギトでない彼がこの件に関わるのは良くない気がする。

「あんた、この前は世話になったが、あんまり俺たちのことを詮索してほしくない。あんたは普通の人間だ。俺たちとは違う」

 アンノウンのことは、俺たちに任せておけばいい。それがこの男のためでもある。

 はっきりと告げてやったのだが、この緊迫を北風のように吹き飛ばしてしまうのが翔一だ。

「やだなあ葦原さん、そんなとんがることないじゃないですか。とにかく木野さんに会いに行きましょうよ。俺、アギトの会とか作るの夢なんです。俺と葦原さんと、木野さん? あ、氷川さんも入れてあげて良いですよ。補欠ですけど」

 ははは、と声をあげて笑う翔一の隣で、誠はがらんどうに「補欠……?」と呟いている。俺は何を見せられているんだ、と思いながら、

「相変わらず能天気な奴だ。木野薫は俺たちの命を狙ったんだぞ。そんな甘くはない」

「それはそうかもしれませんけど………」

「………補欠」

 お前は呆けてないでこいつを止めろ。

 

 

   3

 

 あまり玄関口で騒がれるのも迷惑だから、仕方なく涼は翔一、誠と共にホテルオハラへ向かった。まだ療養中なら滞在しているかもしれない。

「Welcome! 皆ゆっくりしていってね」

 3人で押しかけても鞠莉は快く歓迎してくれて、涼たちにお茶と豪勢なお菓子を出してくれた。

「今日は練習ないのか?」

 紅茶にレモンを入れながら涼が尋ねると、鞠莉は気まずそうに顔を逸らし、

「うん、ちょっとね………」

「何かあったのか?」

 鞠莉は何度も涼と宙に視線を交差させていたが、それでも逡巡を経て言ってくれる。

「学校の統廃合が決まっちゃってね。それで皆、しばらく気持ちを整理させることにしているの」

 「統廃合?」と誠が反芻する。鞠莉は丁寧に説明をしてくれた。

「Yes, Aqoursが入学希望者を増やせれば存続、て条件だったんだけど、まあ駄目になっちゃって」

 ちろ、と鞠莉は舌を出した。そのおどけた仕草が、涼には虚しく思えて仕方ない。ショートケーキを食べていた翔一は「そっか……」と得心がいったように、

「やっぱそれで千歌ちゃん元気ないんだ」

「チカっち、やっぱり落ち込んでる?」

 鞠莉が訊くと翔一はフォークを持った手を止めて、

「うん、この前のライブの日にご馳走作ったんだけど、あまり食べてくれなくてさ。元気そうではあるんだけど………」

 まあ、学校のために頑張ってきた努力が報われなかったのなら仕方のないことだ。鞠莉だって来年には卒業するにしても、居場所がなくなることは辛いだろう。

「何か好物を作ってあげてはどうです?」

 誠が訊くと翔一は「それが――」と、

「俺もそう思って昨日ミカン買ってきたんですけど、全然食べてくれないんですよ。あの子風邪引いて食欲なくてもミカンだけは食べられるんです。今年のお正月なんて、家にあったミカン全部食べちゃったから鏡餅に飾るのがなくなっちゃって」

 当時を思い出してか、翔一は大笑いした。千歌のミカン好きも凄まじいが、それを暴露する翔一に涼は呆れながら言う。

「お前少しはデリカシー持ったほうが良いぞ」

 そんなんだから余計な反感を買って殴られるんだ。殴ったのは俺だが。

 「それよりも」と涼は本題に入る。危うく目的を忘れるところだった。

「木野に会いたい」

「薫に?」

「ああ、どこにいる?」

 鞠莉は答えてはくれず顔を俯かせる。

「心配するな。奴を傷付けよう、てわけじゃない。少し話がしたいだけだ」

 努めて優しく言うと、鞠莉は口を開く。

手術(オペ)がある、て。城南医大病院に行ったわ」

 「手術(オペ)、て――」とケーキを平らげた翔一は感心したように、

「へえお医者さんなんだ。凄いなあ。でもお医者さんなら人を助けるのが仕事じゃない? そんな人が何で俺らを襲ったりしたのかな?」

「やはり彼の過去と何か関係が」

 誠の推測は、ここにいる全員の共通認識だ。やはり、木野の右腕にまつわる過去が、彼に歪んだ意志を芽生えさせてしまったのかもしれない。

 ずっと顔を俯かせたままの鞠莉は、膝の上に組んだ指をせわしなく動かしている。落ち着かないときの癖なのだろうか、試し半分に「どうした?」と訊いてみる。

 しばし逡巡し、鞠莉は顔を上げた。

「わたし、前に薫の記憶を視たことがあるの」

「どういうことだ?」

「薫は、弟さんと雪山で遭難したの。薫は助かったけど、弟さんは亡くなって………」

「それで、弟の右腕が奴に移植された、てわけか」

 鞠莉は首肯し、

「薫、言ってたの。全ての患者は雅人だ、て。きっと雅人、ていうのは弟さんのことなんだと思う」

 それだけ聞ければ、大体の察しはつく。後は本人に直接確かめるだけ。

「そっか………。確か城南医大病院だよね。じゃあ行きましょう」

 そう言って翔一は紅茶を飲み干してソファから立ち上がる。

「鞠莉ちゃん、ご馳走さま」

「ご馳走さまでした」

 誠も礼をして、翔一の後に着いて部屋から出て行く。

「急に来て悪かったな」

 そう言って涼も出て行こうとしたのだが、「ねえ涼」と呼ばれ足を止める。涼を見る鞠莉の目は、どこかすがるように映った。

「涼はまだ知りたい? あかつき号のこと」

「知れるものならな」

 煮え切らない答えで悪いとは思うが、これが今の本心だ。もうあかつき号の真相を追う事は、涼にとって殆ど意味を持たなくなっている。木野の意志を継ぐと決めたあの日から。

「俺はいいが、果南とダイヤは知りたいと思う」

 「でも――」と鞠莉は言いかけるが、すぐに口をつぐんでしまう。それを良いことに、涼は続ける。

「お前がそうやって悩んでいるのは見てられないからな」

 鞠莉は何も言わない。そんな彼女に背を向け、今度こそ涼は部屋を出た。

 

 

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