ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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 やっと『サンシャイン』の第2話が消化できました。まさか1ヶ月もかかるとは………。




第7話

 

   1

 

 曲作りを手伝う。

 梨子がその旨を千歌と曜に告げたのは、終業のチャイムが鳴ってすぐ、同級生たちが鞄を手に教室から出ていく頃だった。どうせ千歌がまた朝からしつこく勧誘しに来るだろうからそこで言おうと思ったのだが、千歌は曜と一緒に朝は生徒会室へ部設立の直談判――門前払いだったらしい――に、昼休みは校庭でダンスの練習へ行って、梨子には話しかけてこなかった。だから夕方になってようやく梨子のほうから話を持ち掛けることになった。

 梨子の話を聞いたふたりは目を丸くしたまま数秒の逡巡を経て、ようやく咀嚼できたのか「えええええ⁉」と驚愕の声をあげた。

 「嘘?」と千歌が「本当に?」と曜が訊く。「ええ」と梨子は短く答えた。千歌は目に涙を溜めながら「ありがとう」と嗚咽交じりに言って再び、

「ありがとう!」

 抱き着こうとしてきたところをひょい、と避けた。勢いを抑えられないまま千歌は梨子の後ろにいたよしみに「うえっ」とつんのめりながら抱き着いてしまう。

 何だか早とちりしているらしい。

「待って、勘違いしてない? わたしは曲作りを手伝う、って言ったのよ。スクールアイドルにはならない」

 手伝うのは、あくまでお礼としてだ。海の音を聴かせてくれたことへの恩義はある。だから恩返しはするけれど、それとスクールアイドルになることは別の話。千歌にとってスクールアイドルが特別なものであることは理解できるが、梨子にとって特別なのはピアノであることに変化はない。

 よしみに回した腕を放さないまま、千歌は「ええ?」と落胆を顔に出す。

「そんな時間は無いの」

 そう告げると、「無理は言えないよ」と曜が理解を示してくれた。「そうだねえ……」と千歌も諦めてくれたところで、梨子は言う。

「それじゃあ詞をちょうだい」

 「し?」と千歌は反芻した。

「し、って何?」

 まさか、と梨子は思った。苦笑を浮かべた曜が代わりに説明してくれる。

「多分、歌の歌詞のことだと思う」

 「そうだよね?」と確認してくる曜に、梨子は苦笑を返すことしかできなかった。

「………ええ」

 

 まさか詞とメロディ作りを分けるものだとうは思わなかった。

 バスの中で笑いながら言う千歌に、梨子はただただ呆れ果てるしかない。スクールアイドルがどんなものかは知らないが、アイドルと名が付くのだから音楽の知識ぐらいは多少あるものと思っていた。曜によるとスクールアイドルというコンテンツを千歌が知ったのは2ヶ月前で、しかも憧れのμ’sの読みを間違えていたらしい。

 そんな音楽に関しては素人同然のふたりが作詞を行えるとなると怪しいもので、梨子の同伴が必然的になった。まずふたりがどんな歌にしたいのか、最も把握しやすいのが歌詞だ。完成とまではいかなくても、イメージさえ知ることができればいい。

 そういうわけで千歌の家で作業することになったのだが、ここだよ、と案内された木造の建物を見上げた梨子は「あれ?」と呟く。

「ここ、旅館でしょ?」

 「そうだよ」と千歌はさも当然のように答える。続けて曜が、

「ここなら時間気にせずに考えられるから。バス停近いし帰りも楽だしね」

 まさか料金を払って滞在しようとしているのか、と思ったが、この旅館が千歌の家なのだとようやく理解できた。看板にある「十千万」とはどう読めばいいのか、と考えているところで、動物の速い吐息が聞こえてくる。向くと、人間の腰ぐらいまでの高さしかない小屋の前で大型犬がこちらを見ている。

「あら、いらっしゃい」

 突然その声が聞こえてきて、梨子は咄嗟に視線を戻す。玄関の暖簾の前に女性が立っている。目元が千歌とよく似ている。

「そちらは千歌ちゃんの言ってた子?」

 「うん」と答え、千歌は女性を手で示し、梨子に紹介してくれる。

「志満姉ちゃんだよ」

 「桜内梨子です」と礼をするが、梨子は志満ではなく犬のほうにちらり、と視線をくべる。犬はじ、とこちらを見つめ続けている。

「よろしく。美人さんね」

「そうなんだよ。さすが東京から来た、って感じでしょ?」

「本当に。何にもないところだけど、くつろいでいってね」

 「あれ、お客さん?」と男性の声が聞こえてきたと同時、「すみません」と門のほうから別の男性の声が聞こえてくる。ようやく犬から視線を放して門へ向くと、スーツを着た若い男性が会釈してこちらへと歩いてくる。

「こちらに、高海志満さんはご在宅ですか?」

 「はい、私です」と志満は男性へと歩み寄り、

「もしかして、澄子に紹介された刑事さんですか?」

「はい、氷川誠です」

 そう名乗って男性はジャケットの内ポケットから手帳を出した。ふたつ折りの黒革を開くと、証明写真つきの下に「警視庁警部補」という階級と「氷川誠」という名前。更に金色のエンブレムが付いている。

「刑事さん⁉」

 と曜が感嘆の声をあげて氷川へと駆け寄る。

「制服姿の写真とか、ありますか?」

 「え?」と氷川は戸惑いの声を漏らす。そんな氷川に目を輝かせる曜は刑事に憧れているのだろうか。そこへ志満が穏やかに「曜ちゃん」と、

「ここじゃ何だし、上がってもらいましょう。翔一君、お茶淹れてくれる?」

 翔一と呼ばれた青年は「はい」と応じて中へと戻っていく。曜も「すみません」と照れ笑いを浮かべながら千歌と共に玄関へと入っていく。

 とはいえ警察が一体何の用事なのだろう。そう思いちらりと見た氷川と視線が交わる。所在なさげに会釈する氷川に梨子も同じように会釈で応え、一緒におずおずと暖簾を潜った。

 

 

   2

 

 旅館十千万の様相は、古き良き、という言葉が何よりも似合う。経年劣化による壁や柱の変色も趣を感じられて、幼い頃に祖父の家に遊びに行った夏の日々を思い出させてくれる。大きくはないがその慎ましさが安らぎを与えてくれて、旅の途中に脚を休める場としては魅力的だ。

 もっとも、居間に通された誠は安らぎを覚える間もなかったのだが。

「これが巡査時代の写真です」

 スマートフォンの中で片肘の張ったぎこちない敬礼をする自分を見るのは、何年経っても慣れないものだ。ましてや他人、それも高校生の子供に見せるなんて。でも誠の羞恥などよそに、少し癖のあるショートボブの少女は「うわあ、かっこいい」と画面を見る目を輝かせている。

「他にもありますか?」

 「ええ」と誠は画面をスワイプした。今度は少しだけ敬礼も様になった、気がする。

「警視庁へ異動になったときの頃です」

 式典くらいにしか袖を通す機会のない本庁の制服にも、少女は同じように感嘆の声をあげる。珍しいな、と誠は思った。こういう警察官の制服に憧れを持つのは少年ばかりだと思っていた。

「刑事さんにも制服ってあるんだ。ずっとスーツなのかと思ってましたよ」

 1歩引いたところから画面を見ていた少女がそう言ってくる。志満の妹だろうか。目元が似ている。

「ええ、一応。あまり着る機会は無いですが」

 そう言ったところで、「ねえ」と先ほど誠に会釈したロングヘアの少女が声をかけた。

「邪魔しちゃ悪いんじゃない? 刑事さん仕事で来てるんでしょ」

 助かった、と誠は裡で胸を撫でおろす。悪い気はしないが話が進まなくてどうしようかと思っていたところだ。「すみません」と罰が悪そうに笑った少女は友人たちと一緒に奥へと引っ込んでいく。

「すみません、お仕事中なのに」

 お茶菓子を乗せたお盆を手に、志満が苦笑しながら居間に入ってくる。「いえ、こちらこそお時間をありがとうございます」と誠は応じた。

「お茶、もう少し待ってくださいね」

 誠の前に羊羹を置いた志満の第一印象は、とても穏やか、というのが誠の感想だ。あの小沢の学友とは思えないほどに。どういう接点で知り合ったのか興味はあるが、今は置いておく。

「澄子から不思議なものを見てほしい、と聞いたんですけど」

「ええ、これについて」

 誠は懐から瓶を取り出す。被害者の家から回収した、100円硬貨の入った空き瓶を。受け取った志満が瓶を軽く揺らすと、中の硬貨がかちゃり、と音を立てる。

「飲み口が100円玉より小さいのに、何故こんな事ができたのか」

 「それと、これも」と誠はポケットから出した写真を手渡す。一見すれば沼を背景にした少年の写真を、志満は何気なく眺める。

「それは最近撮影された写真ですが、背景の沼は10年前に埋め立てられ、今は存在しないはずの場所です」

 写っている少年が殺人事件の被害者であることは伏せておく。あまり良い気分はしないだろうし、捜査上で重要なことを一般人に漏洩させることは禁止だ。もっとも、写真も瓶も事件との関連は無し、と判断されるのは目に見えているが。

 不思議そうに瓶と写真を交互に眺めた志満は誠に向き直り、

「氷川さんは、これが人間の特殊能力によってなされたもの、と考えているんですか?」

「その可能性を考慮していいか、お尋ねしたいんです」

 「大学を出ただけの私がお力になれるかは分かりませんけど」と前置きし、瓶と写真をテーブルに置いた志満は告げる。

「私は常に未知の可能性をむやみに否定すべきじゃない、と考えています。人間にはまだ謎が多いのも確かです。ですが――」

 そこで「いらっしゃいませ」という朗らかな声と共に若い男がお盆を手に居間に入ってくる。お茶が入ったらしい。この青年は旅館の従業員だろうか。確か、さっき玄関先でも見かけた。

「粗茶ですけど、どうぞ」

「すみません」

 さて、それでは続きを聞こう。誠が話を再開しようとしたところで、

「冷めないうちに、ちゃちゃ(・・)っと飲んでください」

「は?」

 そんなにお茶汲みにこだわりがあるのか。高級な茶葉でも使っているのだろうか。そう疑問が沸いたところで志満が、

「すみません、お茶にかけた洒落なんです」

 そう説明してくれると、青年は朗らかに笑みを見せる。次に青年は誠をじい、と見つめてきた。

「そういえば刑事さんなんですよね。まさか志満さん、何かしたんじゃ。そういえば最近、しごうとう(・・・・)ばかりしてるけど………」

「強盗⁉」

 まさかこんな人が犯罪なんて、と視線をくべた先の志満は笑みを浮かべ、でもこめかみに指を添えている。

「すみません。今のも仕事と強盗をかけた洒落で………」

 何て紛らわしい。というより、この青年はいつまでここに居るつもりか。お陰で話が全く進まない。察してくれたのか志満は「翔一君」と青年を呼び、

「下がってくれる?」

 

 ようやく千歌の自室に通されたところで、梨子は妙な疲労感に見舞われる。座布団の上で正座するも、溜め息をついたら力が抜けて背筋が曲がりそうになる。とはいえ、ようやく目的の手前まで来たところだ。日も傾いてきたところだし、暮れる前に済ませてしまおう。

 そう思った矢先で、「千歌ちゃん、開けてくれるかな? 両手塞がっててさ」と襖の奥から声が聞こえてくる。「はーい」と千歌が開けると、お盆を手にした青年が笑顔を浮かべている。先ほど玄関先で見かけた青年だった。千歌の兄だろうか。あまり似てはいないが。

 「あ、紹介するね」と思い出したように千歌が、

「うちで居候してる津上翔一くん」

 「よろしく」と少年のような笑みを見せる翔一に、「桜内梨子です」と挨拶する。

「もしかしておやつですか?」

 ベッドに腰掛けている曜が、どこか恐る恐る、といった声色で訊く。「うん」と頷いた翔一はちゃぶ台にお盆を置いた。お茶菓子と思ったのだが、お盆の上に乗っているのは湯呑に注がれたお茶以外は梨子の予想になかったものばかりが並んでいる。スナック菓子もチョコレートも、旅館の土産らしき和菓子もない。4つのお椀の中にある葉物野菜と根菜といったラインナップは、どこか年寄りじみている気がする。

「梨子ちゃん、大根の一夜漬けは好きかな? 庭の菜園で採れたんだけど」

「嫌いじゃ、ないですけど………」

 戸惑いながら答えると、翔一は薄く切った大根のお椀を箸と一緒に梨子の前に置く。

「どうぞ、食べてみて」

 梨子は大根から翔一の顔へと視線を上げる。翔一に「どうぞ」と促され、せっかく出してくれたんだから、と思い直す。

「いただきます」

 輪切りにした唐辛子が添えられた大根をひと切れ箸でつまみ、口に運ぶ。噛む事にぽりぽり、という音と共に酢の酸味と砂糖の甘味が丁度いいバランスで咥内に広がる。大根と仄かな唐辛子の香りが鼻から抜けていった。

「どうかな?」

「美味しいです」

 お世辞抜きで美味しい、と思った。味付けが薄めだから食べやすい。すると気を良くした――元から気の良い人という印象を抱いたが――のか、翔一は他の器も次々と梨子の前に並べていく。

「じゃあ、大根の煮つけはどう? ほうれん草の胡麻和えもあるよ。それとこれは実験的なんだけど、ほうれん草の酢の物も作ってみたんだよね」

 厚意は嬉しいのだが、食べてばかりいてはいつまでも作詞が始められない。梨子はなるべく翔一の気を悪くしないよう、苦笑と共に言う。

「すみません、外してもらえますか?」

 杞憂だったようで、翔一は笑みを崩さないまま3人分のお茶をちゃぶ台に置いて「ゆっくりしてってね」と出ていく。やっと始められる、と思うと同時に随分と回り道をした気がする、と溜め息が漏れる。

「さ、始めるわ――」

 そうふたりに告げようとしたところでまたふたりは道を逸らす。

「曜ちゃんもしかしてスマホ変えた?」

「うん、進級祝い」

 曜の最新機種スマートフォンを見て千歌が「いいなあ」と言ったところで、梨子は床を強く踏み鳴らしふたりの前に立つ。

「は・じ・め・る・わ・よ」

 自分がどんな顔をしているのかは分からないが意思は伝わったようで、ふたりは少し怯えた面持ちで「はい……」とか細い声を揃えた。

 ようやく3人でちゃぶ台を囲み、翔一の置いていった料理を時折つまみながら千歌がルーズリーフにペンを走らせていく。千歌が思いついたフレーズ、曜と梨子が助言したフレーズを書き連ねていき、10枚を優に越す曲が出来上がるのに、そう時間はかからなかった。でも千歌にとっては納得がいかないようで、没案の紙は床に散乱していく。

 因みに、ほうれん草の酢の物は意外と美味だった。

 とうとう思いつく言葉全てを出し切り、新しいフレーズが詰まる。どれも決して悪くはないと思うのだが、千歌の思い描く曲には合わないらしく、イメージと実際に並ぶ言葉の乖離(かいり)にどうしたものかと千歌は「うう……」と呻きながらちゃぶ台に顔を埋める。

「やっぱり、恋の歌は無理なんじゃない?」

 梨子が言うと、「嫌だ」と千歌は顔を上げて即答する。

「μ’sのスノハレみたいなの作るの」

 千歌の中で曲の方向性はラブソングと初めから決まっていたらしい。理由はμ’sの『Snow halation』略して『スノハレ』がラブソングだから。

「そうは言っても、恋愛経験ないんでしょ?」

 梨子が言うと「何で決めつけるの?」と千歌は口を尖らせる。確かに恋愛話をしたことは無いが、梨子が「あるの?」と試しに訊くと千歌は気まずそうに視線を逸らして呟く。

「………ないけど」

「やっぱり。それじゃ無理よ」

 何となくだが、純朴な千歌は男性を知っているようには見えない。翔一という若い男性と同じ屋根の下で暮らしているにしても、あの青年とそういう仲じゃない、とひと目で分かる。

 もっとも、梨子も人のことは言えないのだが、今はそのことは関係ないから黙っておく。

「でも、ていうことはμ’sの誰かがこの曲を作ってたとき、恋愛してたってこと?」

 μ’sで作詞を担当していたメンバーに恋愛経験があって、それを基にして『Snow halation』の詞ができたのなら、それこそ千歌に似たようなラブソングを作るのは無理な話だろう。経験で感じたものはその人だけのものだ。

 でも、梨子は果たしてμ’sが「恋愛」をテーマに曲を作ったとは、曲のメロディからは感じ取れない。先ほど参考曲として『Snow halation』を聴かせてもらったのだが、恋愛ひと括りにしてはスケールの大きい曲の気がする。もっと、たったひとりのためではなく大勢の、自分を取り巻くもの全てへの愛を告げるような。

「ちょっと調べてみる」

 そう言って千歌はノートPCを立ち上げキーを叩き始める。気になるとしても、今は曲の批評会じゃないというのに。

「何でそんな話になってるの。作詞でしょ?」

 梨子は論点の軌道修正を試みるも、「でも気になるし」と液晶を真剣に見つめる千歌は聞く耳を持ちそうにない。

「千歌ちゃん、スクールアイドルに恋してるからね」

 曜がそんな捻りの利いた例えをする。「本当に……」と何気なく相槌を打ったところで、梨子は何かがはまったように錯覚する。しかし錯覚ではないようで、曜も気付いたらしく梨子と視線が交わる。その視線を千歌へと流すと、自身に向けられたものに気付くもすぐにPCへと意識を戻して「何?」と訊いてくる。

「今の話、聞いてなかった?」

 梨子に続いて曜が、

「スクールアイドルにどきどきする気持ちとか、大好きって感覚とか、それなら書ける気しない?」

 あ、と千歌は液晶から目を離す。探していたものがようやく見つかったかのように。

「うん、書ける。それならいくらでも書けるよ!」

 千歌はペンを手に取り、ルーズリーフに芯を走らせていく。途切れ途切れだった先ほどとは打って変わって、すらすらと文字が書き連なっていく。

「えっと、まず輝いているところでしょ。それから――」

 独りごちながら詞を書く千歌は、まるで自分の頭の中にあるもの全てを吐き出そうとしているようにも見える。とても楽しそうだ。思い描くものが形になり、文字になり、音になり、歌になる。しっかりと実体を持つものを生み出せる喜びは、梨子にも理解できる。

 わたしも、前はこんな顔でピアノを弾いていたのかな。梨子はぼんやりと思った。幼い頃は、ピアノを弾くことに何の偽りもなく楽しいと思えた。教室の講師から上手、と褒められるのは嬉しかったし、それ以上に鍵盤を叩いて現れる音が、幼く小さかった自分の体を空高く舞い上がらせてくれるような、そんな浮足立った気分になれた。ピアノから出た音は光になって、梨子の周りでシャボン玉のように弾けていく。霧散した光の残滓が小さな梨子を包み込み、また梨子自身も光と一体になって夜空を照らす星のように輝ける。

 「はい」という千歌の声と視界に入り込んだルーズリーフで、梨子の意識は過去から現在へと引き戻される。

「もうできたの?」

「参考だよ。わたし、その曲みたいなの作りたいんだ」

 受け取った紙面に綴られた歌のタイトルを、梨子の唇がなぞる。

「ユメノトビラ……?」

 千歌は言う。

「わたしね、それを聴いてスクールアイドルやりたいって、μ’sみたいになりたいって、本気で思ったの」

「μ’sみたいに?」

「うん。頑張って努力して、力を合わせて、奇跡を起こしていく。わたしもできるんじゃないかって、今のわたしから変われるんじゃないかって、そう思ったの」

 千歌の声色が初めて会ったとき、μ’sを語るときと同じであることに梨子は気付いた。あのとき、千歌は自分を普通と言っていた。普通星に生まれた普通星人。自分も輝きたい、という願い。それは幼い頃の梨子と同じ、大好きなものに触れているときに願うこと。自分が輝ける場を見つけることのできた喜び。だからこそ夢中になれるし、頑張れる。

「本当に好きなのね」

 梨子が言うと、千歌は子供のように屈託のない笑みを浮かべて答える。

「うん、大好きだよ!」

 ぶうん、という駆動音が外から聞こえてきて、梨子は窓へ視線を向ける。確か十千万の駐車場にバイクが停まっていた。

「翔一くん……」

 振り返ると、千歌と曜も物言いたげに窓の外を見やっている。あのバイクは翔一のものだったのか。

「また行くんだね、翔一さん」

 曜が感慨深そうに言った。「もう夕方なのに、どこに行くの?」と梨子が訊くと、千歌はしばし明後日の方角を向き、これだ、と言うように答える。

「みんなの居場所を守りに、かな」

 

「じゃあ、何らかのトリックが使われていると」

 確認するように誠が尋ねると、志満は首肯する。人間の持つ未知の力を否定はしないが、テーブルの上にある不可思議な瓶と写真に関しては無縁、というのが志満の見解だ。

 志満は言う。

「これは合成写真と考えるのが理に叶っているでしょうし」

 「これは――」と瓶を自身に寄せると、志満は先ほどタンスから出してきたコインを飲み口の上に乗せる。飲み口よりも大きいコインは外国通貨なのか、初めて見るデザインだ。志満が手を被せると、コインは軽い音を立てて瓶の底へ落ちる。

 誠は息を呑んだ。確かにコインは飲み口よりも大きかったのに。

「一体、どうやって………」

 言葉を詰まらせながら訊くと、志満は得意げに微笑み「これです」ともう一枚、同じデザインのコインを見せる。志満が細い指を添えると、コインは折れ曲がった。だが指を離すとすぐ平面に戻り、目を凝らせば切れ目が入っているのが分かる。デザインの凹凸に沿っているから、人目では分かりにくい。

「フォールディング・コイン。雑貨屋さんで買える手品グッズですよ」

「では、瓶を割って中のコインを確かめてみれば、高海さんの説が正しいかどうか分かりますね」

「ええ」

 臨むところです、という自身が志満の笑みから窺えた。

 ふたりは裏庭に出た。裏庭には小さな畑が耕されていて、ホウレン草が植えられている。旅館の料理に出すものだろう。志満が倉庫から持ってきた金槌を受け取り、誠は瓶を地面に置く。正直なところ、中のコインが本物か手品グッズか、どちらにしても良いものか誠には分からない。手品グッズだったら誠の推理した被害者たちの共通点は否定され、捜査は振り出しに戻る。本物だったとしても、それが超能力によるものとどうやって証明したものか。上層部に進言したとしても鼻で笑われるのは目に見えている。とはいえ、確かめる価値はあるのかもしれない。現にアンノウンという不可思議な存在がいる以上は。

 金槌を振り上げたところで、誠のスマートフォンが鳴った。「失礼します」と金槌を置いて端末に応答する。

「はい氷川ですが」

『氷川君、アンノウンが出現』

 電波越しに小沢が簡潔に告げる。

「G3の修理のほうは?」

『G3システムは修理完了よ』

「分かりました、すぐに行きます」

 通話を切り、誠は「すみません、失礼します」と志満に金槌を手渡した。「ええ」と困惑気味に応じる彼女に会釈し、誠は車へと走り出した。

 

 

   3

 

「ガードチェイサー、離脱します!」

 尾室がハンガーのロックを外し、G3はマシンごとカーゴベイから吐き出される。カウルに搭載されたパトランプとサイレンを鳴らし、G3装備に身を包んだ誠はガードチェイサーを走らせた。

 パトロール中だった巡査からの通報によると、アンノウンは沼津市江ノ浦、江浦横穴群(えのうらおうけつぐん)近くにて目撃。酷く錯乱した様子の巡査から通報を受けた静岡県警通信指令センターは所轄である沼津署へ連絡し、沼津署は駐在しているG3ユニットへ指令を出した。本庁所属のG3ユニットは本部へG3システム運用申請を出して許可を貰わなければならないのだが、小沢のことだから省いたに違いない。

 誠は細い山道へと入った。蛇のように曲がりくねった道路脇に広がる地元農家の畑を抜け、山肌の斜面に空いた無数の穴を見つけると、マシンを止める。サーモグラフィ・モードで索敵すると、山中での熱源を捉える。かつて古代人が死者を埋葬するために開けたとされる墓穴を過ぎると、少女を抱きかかえて恐怖に満ちた表情を浮かべた巡査がいた。その目の前には、亀のような正体不明(アンノウン)の怪物。

 アンノウンが腕を振り上げると同時、誠はその懐に飛び込んだ。アンノウンの拳が背中のバックパックに当たるが、改修された装甲は衝撃を吸収しきれたらしく、損傷を知らせるアラームは鳴らない。

「本庁の者です。早く逃げて!」

 誠が言うと、中年の巡査は少女を抱えたまま走り出す。その目の前の地面が揺れ、巡査は脚を止めた。波打つ地面から泥と草を撒き散らし、またアンノウンが現れる。誠が相手をしている個体と姿が似ているが、色が異なっていた。

『もう1体のアンノウンです!』

 尾室が報告してくる。誠は金色の個体に肘打ちを見舞い、現れた銀色の前に立ちふさがる。巡査に近づこうとする銀色の腹に蹴りを入れたところで、背後から金色が掴みかかってくる。金色を相手すれば銀色が巡査へと向かう。銀色を阻止すれば金色が巡査へ、ときりがない。敵もそう判断するだけの知性を持ち合わせているのか、2体は標的を誠へと変える。

 銀色が誠を羽交い絞めにし、がら空きになった胴に金色がタックルをかましてくる。1度目は胸部装甲が軽く火花を散らしただけで耐えることができた。だが2度目でシステムにダメージを負った。鈍い痛みが装甲から響いてくる。

『コンバーターユニット損傷!』

 装甲から煙が立ち上っている。回路が断線したらしい。

『氷川君踏ん張りなさい! 根性見せなさい!』

『何言ってるんですか小沢さん、敵が2体じゃ勝ち目ないですよ! 早く離脱命令を!』

『市民やPM(警官)を見殺しにするっていうの?』

 ふたりを見捨てて離脱なんてできない。その点では小沢と同意見だ。だが改修を経ても、G3は2体のアンノウンに上手く立ち回ることができていない。恐らく、この2体はそれぞれ前回の個体よりもパワーがある。単純な力勝負では、完全にG3は負ける。武器を手にしなければ。そう判断はできるがアンノウンの追撃は隙をくれない。

 地面に倒れた誠の胸を金色が踏み付けてくる。まだ耐えられる痛みだが、装甲がみしみし、と悲鳴を上げ始めた。筋力補正のためのコンバーター(電力変換機構)が破壊されて重い上に亀裂でも入れば、防具としての機能性も完全に破壊される。

 誠は金色の腹を蹴り上げた。ダメージは多少なりともあったようで、爬虫類じみた皮膚に覆われた体がよろめく。立ち上がって組み付き、力を拮抗させるも破られるのは時間の問題だ。

 そこへ、バイクのような駆動音が聞こえてくる。次の瞬間、猛スピードで何かが誠と金色に衝突し、止まることなくそのまま走りすぎていく。地面を転がった誠は、突如現れたそれを見やる。金と赤にカラーリングされたバイクに、見覚えのある背中の人影が跨っている。頭頂部から見える2本の金色の角で、誠はそれが何者かを悟った。

「お前は………!」

 戦士の駆るバイクは、どうやら市販のカスタム品ではないらしい。2本のマフラーからは灰色のガスではなく光の粒子が排出されている。機関部が唸りを上げると共に、マフラーからの光の粒子も大量に噴出されていく。光の尾を引いて、戦士のバイクは巡査へと向かっていた銀色を猛スピードのまま撥ね飛ばした。

 バイクを停車させた戦士が巡査を一瞥する。巡査は突如現れた戦士に敵か味方かの判断もせず、息をあえがせ逃げていく。

「アギトおお……!」

 立ち上がった金色が忌々しげに声を発する。誠は確信した。間違いない、あの戦士の名前は「アギト」だ。何故アンノウンが知っているのかは分からないが。

 金色はアギトに飛びついた。アギトはバイクのシートに腰を預けたまま、金色の胴に手を添えて軌道を逸らし、その背中に手刀を叩きこむ。金色は地面に伏した。

『GM-01、GG-02、アクティブ』

 スピーカーから小沢の声が聞こえてくる。誠はガードチェイサーへと走り、武装パックからふたつの武装を取り出す。GM-01のアンダーバレルにグレネードランチャーの弾頭であるGG-02サラマンダーを連結させる。

 アギトは襲い掛かってきた銀色の拳をいなし、その頭をタンクに押し付けるとバイクのエンジンを吹かした。殆ど引きずられるような形で、丘陵を駆け抜けていく。

 金色の目が誠に向けられる。大口径の砲口を向け、照準が定まると同時に誠はトリガーを引いた。発射されたグレネードが金色に命中し炸裂する。金色はよろめくも、再び誠へと向いて足を踏み出そうとする。G3装備の中で最大火力を誇るGG-02をまともに受けても意に介さないその姿に誠は逡巡した。

 だが、金色の足は止まる。その頭上に光輪が渦を巻き、悶えるように身をよじらせた金色の呻きが、自身の発した爆炎にかき消された。

『氷川君、もう1体を追撃』

「了解」

 ようやく敵を倒したことへの安堵を後回しにして、誠は武器を抱えたまま走り出す。山中にはまだアギトのバイクが吐き出した光の粒子が残っていて、尾を引くそれを追っていくことができた。アギトと銀色はそう離れてはなく、丘の頂にいた。アギトが急ブレーキでバイクを停めると、慣性に乗っ取って銀色が宙に投げ出される。バイクから下りたアギトの角が開き、足元で紋章が光った。紋章の光が足に集束すると同時、銀色が向かってくる。アギトは跳躍した。突き出された右足に銀色は背を向け、甲羅にキックを受ける。

 よろめいただけの銀色がふん、と笑ったように見えた。誠はGG-02の銃口を向ける。だが、銀色は呻いた。ぼろぼろ、と甲羅の破片が地面に零れ、頭上に光輪が生じる。体内からの爆炎で身を裂かれる様子を見届けたアギトの角が閉じた。誠の存在に気付いたのか、アギトはその赤い両眼を向けてくる。

「お前は敵なのか? それとも味方なのか?」

 アギトは応えない。言葉が通じないのか、そもそも奴に言葉という概念があるのか。永遠のように思える沈黙の後、アギトはゆっくりとした所作でバイクに跨り、エンジンを吹かして丘陵を下っていく。

 肉体を燃え尽くしたアンノウンの火は既に消えている。ただ、アギトのバイクが撒いた光の粒子は、まるで霞のように山中に漂っていた。

 

 

   4

 

 帰宅して部屋でぼう、っとしているうちに陽が暮れていた。照明の灯っていない部屋のなかで、スマートフォンの液晶が朧気に光っている。大好き、という千歌の声と笑顔が、未だに梨子の頭から離れない。好き、という気持ちを語る千歌はとても輝いて見えた。自分はどうだろうか。千歌のように、大好きだったピアノを今でも大好き、と言えるだろうか。

 動画サイトにアクセスし、アップロードされたμ’sの『ユメノトビラ』のPVを再生する。画面の中で踊り歌うμ’sのメンバー達は、当時は自分と同じ高校生だった。同じ音ノ木坂学院で勉学に励みながら、こんなにキラキラしながら歌っていた。ぼんやりと思っているうちに、動画は終わる。梨子はピアノの前に立った。教室に通い始めてしばらくしてから親が買ってくれた、文字通り梨子の人生と共にあったピアノ。鍵盤蓋を開くと、舞い上がった微粒子が窓から射し込む月光を浴びて光る。

 試しに黒鍵を指で押してみる。音程は乱れていないから調律は必要なさそうだ。思い返せば当然だ。あのコンクールの日から触れてさえいないのだから。ピアノは梨子を拒絶なんてしていない。音を出す箱は奏者を選んだりはしない。選ぶのはいつだって奏者、人間のほうだ。

 梨子がなぞる指の通りに、ピアノは音を出してくれる。耳で聴いただけだから簡単なメロディしか分からないが、ピアノは『ユメノトビラ』のメロディを奏でてくれる。梨子は歌詞をハミングした。前のように、なんて意識せず、裡に沸く想いのままに。

 序盤だけの演奏を終え、何気なく向けた窓の奥に人影がある。隣家に聞こえてしまったのか。窓を開けた隣人は梨子に笑顔を向け、手を振っている。

「高海さん?」

 窓を開けて呼ぶと、「梨子ちゃん!」と千歌は応じた。風呂上りらしく、頭にタオルを巻いている。

「そこ梨子ちゃんの部屋だったんだ!」

「引っ越したばかりで、全然気づかなくて………」

 十千万を訪ねたときも家に近い、と思ったがまさか隣だったとは。

「今の、『ユメノトビラ』だよね。梨子ちゃん歌ってたよね?」

「いや……、それは………」

「ユメノトビラ、ずっと探し続けていた」

 それは、曲の冒頭にある歌詞だ。

「その歌、わたし大好きなんだ。第2回ラブライブの――」

 「高海さん」と、熱弁しようとする千歌を遮る。千歌は迷わず進んでいる。夢への扉を探しに、立ち止まることなく遠くへと歩み続けている。だからこそ際立ってしまう。未だに1歩も動けずにいる自分の苦しさが。

「わたし、どうしたら良いんだろう。何やっても楽しくなくて。変われなくて………」

「梨子ちゃん……」

 海の音は聴けた。ただ、聴けただけだ。海が音を授けてくれても、梨子自身に何の変化も起こっていない。未だにあの音を譜面に起こすこともできず、ただ梨子の裡で取りまとめのない音を鳴らし続ける。やがてそれは劣化して、錆ついてしまうだろう。

「やってみない? スクールアイドル」

 千歌はそう言って手を伸ばす。「駄目よ」と梨子は弱く答える。

「このままピアノを諦めるわけには――」

「やってみて笑顔になれたら、変われたらまた弾けばいい。諦めることないよ」

 諦めるんじゃなくて、ただ休むだけ。それまでの繋ぎとしてスクールアイドルをやればいい。千歌はそう言っているのかもしれない。でも梨子は千歌が本気と知っている。本気で打ち込める仲間を探していることも。

「失礼だよ。本気でやろうとしている高海さんに。そんな気持ちで、そんなの失礼だよ………」

 ピアノに打ち込んでいた頃の梨子は、楽しんでいても遊び気分で弾いていたわけじゃない。本気で楽譜と向き合いメロディが最も美しく響くリズムで音を奏でること。生半可な演奏は曲を死なせてしまう。曲本来の美しさを引き出さない演奏を、梨子は何よりも嫌った。スクールアイドルにしても同じだろう。涙が零れてくる。千歌から誘われて、少しの間なら良いんじゃないかな、と揺らいだ自分が情けなくなった。スクールアイドルを、音楽を冒涜しようとした自分が嫌になった。

「梨子ちゃんの力になれるなら、わたしは嬉しい」

 千歌は嫌悪も迷いも、おくびに出さず言う。冒涜なんかじゃない、という赦しを提示しているように聞こえた。

「皆を笑顔にするのが、スクールアイドルだもん。それって、とっても素敵なことだよ」

 千歌は更に手を伸ばす。窓際の柵を乗り越えようとして、頭からタオルが離れて下へと落ちた。梨子は千歌へと手を伸ばす。自分に差し伸べられた手。もしかしたら、自分を海の底のような暗闇から引き揚げてくれるかもしれない手へと。でも、距離がある。どんなに伸ばしても届かない。

「さすがに、届かないね」

 引こうとしたところで、「待って! 駄目!」と千歌は更に窓から身を乗り出した。ここで引いたら、前に進めないよ。そう叱責されているようだった。梨子は再び手を伸ばす。月光が、半分以上を外へ乗り出した千歌の体を照らしていた。半袖の部屋着から伸びる腕が白く反射している。

 光へと通じる道。この人と一緒なら、わたしも行けるのだろうか。まだ見えない、新しい世界へ――

 懸命に伸ばしたふたりの手がゆっくりと、でも確かに距離を縮めていく。伸びきって小刻みに震えながらも体を柵から乗り出して、残りの数センチを縮める。

 そして、指先が触れ合った。

 

 






次章 ファーストステップ / 哀しき妖拳
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