ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

140 / 160
 僕は生きてみたいんだ。
 人間とかファンガイアとかじゃなくて、僕は僕として。

――仮面ライダーキバ (くれない)(わたる)




第4話

 

   1

 

 どこの土地でも、やはり果南が落ち着ける場所は海だった。吸い込んだ潮の香りはどこか都会の喧騒を含んでいて、内浦とはまた違う。海外に渡ったら、そこの海もまた違う香りがするのだろうか。

 靴を脱いで、海水に足を浸す。まだこの季節の水温は冷たい。

「急にどうしたの?」

 昨晩、千歌からの問いは意外だったけど、同時にあの子らしいな、と思った。幼い頃から、平気な顔して土壇場になると一気に不安になるような子だったから。

「わたしはせっかくここまで来たんだし、勝ちたいかな。でもそれ以上に楽しみたい。鞠莉やダイヤとの最後のステージを楽しみたい」

 あの頃に夢見て、自分から離れた。本当に、些細なボタンの掛け違いだったせいだ。それぞれ隠していたことがあって、突き放して。

 それでも強引が過ぎる仲間たちのお陰で、こうして諦めていた場に立とうとしている。

「本当は清々してるんだけどね。やっとこれで終わりだ、て」

 せわしない1年だった。スクールアイドルだけでなく、裡の力のせいで怖い目にも散々遭って。色々な感情に振り回されてきたけど、この日に至るまでには必要なものだった、と思えるのは終わりが近いからだろうか。

 いずれアギトになるかもしれない。彼らと同じ苦悩に苛まれるかもしれない。でも、果南に怖れはない。アギトになっても、懸命に生きる人を見てきたから。自身の未来にも、可能性があるという希望が視えたから。

 だからこそ勝ちたい。今を、もっともっと楽しみたいから。

 そのためにも、この喉元につっかえたような気持ちを終わらせなければならない。先へ進むために。いい加減、この気持ちにも踏ん切りをつけないと。

「どうしたんだ? こんな所で」

 後ろから聞こえてきたその声は、前よりも大分気力に満ちたように思える。決めたのに、いざ声を聞いて、振り向いて顔を見たら果南の想いは波のように揺れ動いた。

 

 待ち合わせの場所が海とメールで来たとき、ここでもか、と思うと同時に彼女らしい、と笑みが浮かんだ。住む世界が違っていたら、彼女は人魚として生きていたのではないか、と思ったほど。

 本番まで残り数時間もないのに、涼へと振り向いた彼女の顔から緊張は感じられなかった。むしろ、これからが楽しみ、とでも言いたげだ。

「こっちで暮らし始めた、てわたしには何にも言ってくれなかったよね」

 その意地悪な質問に涼は強がりを返す。

「言う必要あるのか? 別に俺たちはそんなんじゃないだろ」

 あくまで涼と果南はダイビングショップの親しい客と娘という間柄だった。それが偶々、アギトという同じ因果で少しばかり強固になっただけ。自然とそういった想いは芽生えていたのだろうが、どちらからも明確に告げることはなかった。ただ同じ恐怖を体験しつり橋効果で錯覚しただけ。

 だから、何もかもが落ち着き始めた今はもう赤の他人。そうけじめを付けるつもりで、都内への転居は告げないままだった。

 果南は微笑み、

「確かに、そうかもね。わたしも卒業したら海外行く、て涼に言ってなかったし」

「おあいこだな」

「そうだね」

 何となくだが、涼も察してはいた。果南は、ひとつの居場所に留まっているような少女じゃない。常に動いていなければ気が済まない彼女が、他の海へ行きたい、と願うのは当然の事と思った。

「涼は、夢とかある?」

「無いな。夢なんか無くても生きていける」

 そう答えてすぐ、それが自らへの欺瞞と気付いた。

「いや、普通に生きていくのが俺の夢だ。例えば、花は夢を持ってると思うか? それでも花は咲く。花は枯れる。そういう風に、生きていければ良いと思う」

 花は、自身が何のために産まれたかなんて考えはしない。ただ種から目を出し、土に根を張り、太陽の光を燦々と浴びて咲く。そしてすぐに枯れて種を撒く。ただ生きて死んでいくだけだ。でも、その姿が涼にとっては羨ましい。産まれた命のまま、迷うことなく懸命に生きていけることが。それこそが生命のあるべき姿じゃないか。

 この人間でなくなった命を受け入れ日々を穏やかに過ごせていけるのなら、それだけで涼の人生は幸せだ。

「叶うと良いね、その夢」

 見方によっては虚しい涼の願いを、果南は嘲笑いなんてしなかった。

「わたし、ずっと涼のこと待ってたんだと思う。いつか、迎えに来てくれるんじゃないかな、て」

 ああ、俺もすぐに迎えに行きたかったさ、と涼は果南からの恨み節ともとれる言葉を受け止める。

「でも全然来てくれなかったよね。それどころか勝手にいなくなっちゃうし」

「それは………」

 何を言っても言い訳がましくなってしまう。自分から突き放しておきながら植え付けられた力はふたりを引き合わせてしまったし、切れない繋がりに涼がどこかで安堵していたのも事実だったのだから。

「お前を巻き込みたくなかった。アギトとかアンノウンなんて知らないままでいるのが、1番良いと思ってた」

「やっと素直になったね。でも、もう遅いよ」

 そう言って、果南は悪戯っぽく笑った。

「わたしも待ちくたびれちゃったから。じ、としてるのは性に合わないし」

 その言葉の意味することを、涼は理解する。

「確かにな」

 果南は、先に進むと決めたということだ。彼女の往きたいところへ。そこに涼は一緒に往くことはできない。

「ぼう、としてたら、どんどん先に往っちゃうからね。涼の視えないところまで」

 子供だと思っていたのに、彼女を見ていると自身の矮小さを思い知らされる。本当に俺は未練たらしい男だな、と自嘲が沸いた。

 俺と違って、果南はどこへでも往けるんだ。自分の想いのまま、俺には視えないものがある。俺はもう、果南にとっては重荷でしかないんだな。

 寂しくはある。もう自分たちの道が交わることはない。でも、それで良い。離れることになっても願いは変わらない。

 果南が希望を抱いて生きていけるのなら、それは十分に涼の生きる理由なのだから。

「じゃあね」

「ああ」

 その素っ気ない言葉の応酬は、涼が果南のダイビングショップに通っていた頃によく交わしていた別れの挨拶だった。また来てね、ああまた来るよ、という意味合いを含んでいたあの頃とは違う。

 さようなら、を込めた言葉はこの時も変わらず、ふたりを離した。

 

 

   2

 

 あの日と同じ賑わいの秋葉原に行ってみると、やっぱり千歌はいた。人々が止まることなく行き交う街の中で、彼女はビル群とそれらに囲まれたような内浦よりも狭まった空を見上げている。

「ほい」

 駅の入口付近で配られていたチラシを差し出すと、千歌はようやく曜の存在に気付いた。

「曜ちゃん」

「千歌ちゃん、どうしてここに?」

「何となく、見ておきたくて」

 もう1年経つのか。そう思うと、街の様子に変化がなくても感慨深く思える。

「千歌ちゃんも?」

 「え、じゃあ――」と千歌は意外そうに曜を見つめた。やっぱり考えること一緒なんだな、と思いながら、曜は懐かしさと共に告げる。

「うん。だって、始まりはここだったから」

 千歌にとって、この街が始まりの場所だった。千歌がスクールアイドルとの出会いを果たして、自分も同じ輝きを、と願ったからこそ、Aqoursの物語が生まれた。

 強いビル風が吹いて、曜の手からチラシを離した。駅の吹き抜け口へと飛んでいくチラシを見て、曜は千歌と揃って笑みを交わす。同じだ、あの時と。一緒にチラシを追いかけて、途中で見失ってしまう。けど、往くべき場所は分かっていた。脇目も振らず走り、高架橋を登って曜たちはそこへ辿り着く。

 UTX学院ビルに設置された、街頭モニター。

 あの日は憧れのグループの映像が流れていた画面は、今は「Love Live!」のロゴが表示されている。

 始まりの場所に戻った千歌は呟く。

「見つかるかな。わたしがあの時見つけたいと思った輝き」

「きっと見つかるよ、もうすぐ。あと少しで、必ず」

 もうあの時の、ただ憧れを追い求めていた千歌ちゃんじゃないんだから。憧れのグループじゃない、Aqoursとしてここに戻ってきたんだから。

「勝ちたい?」

「ん?」

「ラブライブ、勝ちたい?」

 その問いに曜は逡巡する。始めたとき、曜に千歌ほどの、輝きへの憧れはなかったかもしれない。ただメンバー集めに苦心していた千歌への情けで付き合っていただけかもしれない。

 始まりはどうであれ、今の想いは明確だった。嘘偽りなんてない。

「勿論」

 答え、曜は千歌の背に頭をもたれかける。

「やっと一緒にできたことだもん」

 ずっと抱いていた願いがようやく叶うのだから。千歌と一緒に何かやりたい。親友と同じ場所へ往って、同じ景色を視たい。

「だから良いんだよ、いつもの千歌ちゃんで」

 終わってしまうのは寂しいけど、結末に向かって駆け抜けてきた。その先で、また道は別れるのかもしれない。何が起こるのか分からなくても、それは怖れるものじゃない。

 きっとわたし達は、望んだものを手に入れることができる。

「未来のことで臆病にならなくて、良いんだよ」

 背中から離れ、潤みかけた目元を拭い告げる。

「ひとりじゃないよ、千歌ちゃんは」

「ありがとう」

 今は、9人一緒。怖さも寂しさも、皆で抱きしめられる。心にぽっかりと穴が開けば埋めてくれる。

 曜たちのもとへ、同じ想いを抱く仲間のひとりが近付いてくる。

「あ、梨子ちゃん」

 晴れ晴れとした顔で来る梨子に曜は尋ねる。

「ピアノ、弾けた?」

「勿論」

 なら、答えは出たんだな、と嘆息する。確かめたい気持ちを、彼女はかつての母校で実感できたのだろう。そんな梨子に、千歌は訊く。

「梨子ちゃんは、ラブライブ勝ちたい?」

 「うん」と梨子は即答し、

「わたし、自分が選んだ道が間違ってなかった、て心の底から思えた。辛くて、ピアノから逃げたわたしを救ってくれた。千歌ちゃん達との出会いこそが、奇跡だったんだ、て」

 梨子の言葉が嗚咽を交じり始める。鼻を啜りながらも、梨子は続ける。自分の想いを、今ある感情のままに。

「だから勝ちたい。ラブライブで勝ちたい。この道で良かったんだ、て証明したい。今を精一杯全力で、心から――」

 梨子の腕が、千歌と曜の肩へ回ってくる。梨子の決意が耳元で告げられる。

「スクールアイドルをやりたい!」

 3人でしばし固く抱き合って、離れても手を取り合った。初めてのライブも、この3人だった。まるで遠い過去みたいだ。

「千歌ちゃんは、勝ちたい?」

 自分たちへ向けられていた問いを、今度は千歌へと戻す。千歌はすぐには応えず、ポケットから出した折り畳んだ紙を広げる。

「その紙……」

 昨日の出発前も見ていた、東京スクールアイドルワールドの結果表だった。自分たちに告げられたゼロ。誰からの応援も得られず、誰も感動させられず、誰も輝けなかった。そこまでの努力も奮闘も憧れも、全てが無駄という烙印を押された。

 でも、そのゼロこそがAqoursの本当の始まりだった。そう肯定するように、千歌は語る。

「ゼロを1にして、1歩1歩進んできて、そのままで良いんだよね。普通で、怪獣で、今があるんだよね」

 そうだよ千歌ちゃん、と曜は目の前の普通怪獣の全てを肯定する。

 わたし達と同じ力なんて無くったっていい。

 千歌ちゃんは普通怪獣ちかちーだったからこそ、ここまで来られたんだから。

 普通だから、輝きへ突き進んでこられたんだから。

「わたしも全力で勝ちたい! 勝って、輝きを見つけてみせる!」

 一条の風が吹いた。風が千歌の手から紙を離し、遠くへと運んでいく。千歌は追おうとはしなかった。小さくなり、やがて見えなくなっていく紙をただ眺めて呟く。

「ありがとう、ばいばい」

 今の自分たちに、ゼロはない。応援してくれる人が、想いを託してくれる人が沢山いる。「もう大丈夫」と曜は安堵した。千歌の目に映っているのは前だけ。「行こっか、千歌ちゃん」と梨子が促すと、千歌は満面の笑みで応えた。

「うん!」

 

 

   3

 

 しばらく海岸でひとり呆けた後に、涼はバイクで会場へと向かった。ラブライブは人気らしいから、早く会場に入らなければ渋滞が起こってしまうらしい。

 そういえば、会場のバイク置き場はどこだろう。そんな事を考えていたところで、脳裏に忌々しい戦慄が走る。こんな大事な日に、何てタイミングだ。

 バイクを停め、涼は橋上でこちらを見据える風のエルを睨み返す。またお前か。アギトを掃除するつもりだろうが、好きにはさせない。皮肉なものだな。倒すべき敵としてお前らがいることが、俺が俺であることを認識させてくれる。

「変身!」

 涼はギルスに変身し、風のエルへと雄叫びをあげながら突っ込んでいく。体に次々と拳を浴びせていくが、風のエルは全く意に介さない。

 突き出した涼の手首を掴み、腹を膝蹴りされ咳き込んだ。涼しい顔をする敵の顔面を蹴飛ばそうと脚を振り上げるが、その寸前に強烈な風を浴びて倒される。

 風のエルは頭上の光輪から弓を引っ張り出した。矢は無いが、弓に付いた刃が怪しく光っている。突き出された刃を咄嗟に避けたが、首筋に滑り込み筋線維を僅かに裂かれ血が滴り落ちる。

 こんなところで、と首に食い込んだ矢を掴み立ち上がろうとしたが、再び突風が吹き涼の体は橋から投げ出され、成す術なく川へと落ちていく。

 

 東京駅の改札は、いつにも増して人でごった返しているように感じられた。改札に向かう者よりも、改札から出てくる者のほうが圧倒的に多い。それに、皆何故かペンライトを手にしている。

 駅舎の壁に掛けられた看板を見て誠は得心する。そういえば、今日はラブライブの決勝大会の日だった。アキバドームが会場らしいから、全国から観客が駆けつけてきたのだろう。ということは、Aqoursの面々もこちらに来ているのだろうか。どの道仕事で応援には行けなかったが、こうなるのならせめて「頑張って」のひと言くらいは伝えたかった。

 改札の前で足を止めて、同伴してくれた今は元となってしまった上司と向き合う。

「小沢さん。本当に色々と……お世話になりました」

 もっと伝えるべきことは沢山あるはずなのに、そんな陳腐な言葉しか思いつかない。本当に僕は不器用なんだな、と思った。

「何言ってるの、それはこっちの台詞よ。でも寂しいものね。本来なら英雄であるはずのあなたの見送りが、私ひとりなんて」

「いえ、十分ですよ。小沢さんが来てくれれば」

 G3ユニットがアンノウン保護へと転換した今となっては、これまでアンノウンと戦ってきた誠は愚かな道化でしかない。アンノウンを人類の希望を知らず敵として葬ってきた、時代に翻弄された男。後世ではそう記録されているかもしれない。

「忘れないわ、あなたの事。私にとって、あなたはいつまでも最高の英雄よ」

 晴れやかに告げられた賛辞に、目頭が熱くなった。自分には勿体ない言葉だ。装着員としての誠を支えてくれたのは、いつだって小沢だった。英雄氷川誠を作ったのは、紛れもなく小沢澄子だ。

 この人と一緒に戦ったことは、この先もずっと誠の人生で最大の誇りだ。

「ありがとうございます」

「元気でね」

 名残惜しいが、もう新幹線の発車時刻が迫っている。

「じゃあ――」

 そう言って、誠は改札へと歩き出す。悔いは、沢山ある。自殺者は増加の一途を辿っているし、これからアギトの力を持つ人々は警察の庇護も受けられず滅ぼされる。でも、誠にはもう関われるものじゃない。故郷の田舎で、世界に起こっている事を知りながら歯噛みしつつ、それでいて力を持たない自身に安堵して過ごしていく。

 改札に切符を挿入し、誠はゲートを潜った。

 

 

   4

 

 ベッドで2時間ほど眠っていた聖良は、ゆっくりと目蓋を開いた。

「あ、目覚めた?」

 脇で看ていた翔一を認めると、聖良は眠気眼のまま「津上さん……」と呟き、頭をもたげてホテルの客室を見渡す。

「理亜は……」

「薬局に行ったよ。薬とか、色々買いに」

「そうですか………」

 力の覚醒に伴う発作なら、すぐに治まるだろう。今は聖良の身体が慣れていないだけで、次第に落ち着いてくるはずだ。

「すみません。紅茶を買ってきてもらえますか? ロビーの自販機で売ってたレモンティーが美味しくて」

 風邪引いたときの千歌ちゃんもこんな感じだったな、と懐かしく思いながら、翔一は「はいはい」と部屋から出ていく。

 エレベーターでロビーに降りて、指定通りに自販機で暖かいペットボトルのレモンティーを買った。ついでに自分用にともう1本。戻りのエレベーターの中でひと口飲んでみたが、本当に美味しかった。これは体調が優れないときでも元気が出る。

 部屋の階に出ると、廊下にまで「姉様!」と先に戻っていたらしい理亜の声が聞こえてくる。走って部屋まで戻ると、翔一に気付いた理亜が鬼気迫った顔で詰め寄ってくる。

「あなたどこ行ってたのよ?」

「え、どうしたの?」

「姉様がいないの! 電話しても繋がらない!」

「え?」

 奥にある聖良の寝ていたベッドはもぬけの殻になっている。律儀な彼女らしく、布団は畳まれシーツの皺も綺麗に伸ばしてあった。

「わたし、探してくる」

 薬局の袋を放り理亜は部屋から出ていった。翔一も部屋を出て、理亜が駆けていったエレベーターとは反対方向へと向かう。外の非常階段へと繋がるドアを開けると、強いビル風が一気に吹き込んでくる。

 非常階段のどこかにいないか、と視線を右往左往させる。ホテルの別棟へと目を向けて、下から見上げていくと、屋上に人影がぽつり、と立っているのが見えた。

「聖良ちゃん……!」

 その姿を認めてすぐ、翔一は階段を駆け上がった。途中で見つけた別棟への連絡通路を抜けて、階段を1段飛ばしでペースを上げていく。屋上の柵は関係者以外立入禁止の札が立てられていたが、鍵もない骨組みだけの扉は開け放たれている。

 躊躇いなく屋上へ踏み込むと、聖良は縁に立って街を見下ろしていた。

「聖良ちゃん」

 翔一に気付いた聖良が振り返る。「津上さん」と呼ぶその顔はとても穏やかだったが、目の奥にとてつもない悲しみが感じ取れる。

「理亜とAqoursの皆さんに伝えておいてもらえますか。ごめんなさい、て」

「何言ってんの。何だってそんなこと………」

「津上さんも見ましたよね、わたしの体。何が起こってるのか分からないけど、これだけは分かるんです。もう、今までのわたしじゃいられないんだな、て」

「落ち着いて、何でもないから。聖良ちゃんは聖良ちゃんのままだよ。絶対」

 語り掛けながら、翔一はゆっくりと聖良へ歩み寄る。戸惑うのも無理はない。翔一だって最初の頃は自分が自分でなくなるようで怖かった。だから聖良の気持ちはよく分かる。

 何であの時気付いてやれなかったんだ、と自分の鈍感さを悔いた。昨日聖良が語っていた弱音は、裡で胎動するアギトへの恐怖故だった。人でなくなった自分がこれからどう生きていけばいいのか、彼女はその答えを求めていたというのに。

 作っていた聖良の笑顔が、堪え切れずに絶望の色を浮かべていく。

「何で、わたしが……わたしが――」

 また発作が起こったのか、聖良は息をあえがせながら腹を抑えた。立っているのもやっとだったらしく、もつれさせた足を外苑から踏み外す。

「聖良ちゃん‼」

 足元から滑る聖良へ、翔一は駆け出した。伸ばした手は地上へ落ちようとする彼女の手を掴み、反動で肩が外れそうになったが何とか堪え手に力を込めて握りしめる。

「聖良ちゃん……!」

 翔一ひとりの片手で、重力に上乗せされた聖良の身体を引き上げるのは困難を極めた。外苑の塀を掴むもう片方の手を手放してしまえば、翔一も一緒に地上へと引きずり込まれてしまう。

 片腕で宙吊りになっている聖良は、翔一の手を握り返してはくれなかった。彼女は縋るように翔一を見上げながら、がらんどうに言う。

「お願いです……放して………」

「何を言ってるんだ、聖良ちゃん………」

 絶対に放さない。まだ未来のある彼女を、ここで終わらせるわけには――

 その時、聖良の顔が歪んだ。髪も服も、姿形が変わって、翔一が手を掴んでいるはずの人物は聖良ではなくなった。

 姉さん――!

 翔一を見上げているのは姉だった。髪形も服も、最期に会ったあの日と同じ。まるで現世に残された姉の怨念が聖良に憑りついているようだった。

 ――放して、お願い――

 姉の声が聞こえる。そうか、と翔一の裡にあの頃の虚無が蘇った。姉はこうして最期を迎えた。自分の力の膨大さに怯えて、更なる悲劇をもたらす前に自ら終わらせようと。

 駄目だ、と翔一は姉の手をきつく握りしめる。

 姉さんは、間違っていたんだ。アギトだから、て自分を追い込んで自殺するなんて。

 ――放して――

 もう全て去った事だ。今更何をしようが、姉は戻っては来ない。それでも翔一は、幻影になった姉に告げた。同じアギトの力を抱え、それでも生きると決めた自身の出した答えを。

 姉さん。俺はアギトになっても、楽しいことがいっぱいあった。

 アギトになったって、人は人のままで生きていけるんだ。

 ――違うわ。人はいずれ、アギトを憎むようになる。アギトを怖れるようになる。アギトはきっと、人の手で滅ぼされる――

 そんな――

 翔一の脳裏に、誠の言葉が蘇った。

 世の中には、アギトを怖れる人たちもいるという事ですよ。いや、むしろそういう人間のほうが多いかもしれない。

 それが真理なのだろうか。神に忌み嫌われた命は、人間にも憎まれるのか。翔一だって、自分の都合の良いことばかりに目を向けてきたわけじゃない。自分の力で苦しむアギトも、アギトによって悲しみをもたらされた人々も否応なく見させられた。

 ――人間に、憎まれるのは嫌。だから、放して――

 そんなことが――

 今はまだ人間を護るために振るう拳も、いつかは恐れられ、憎まれる。いくら護られても、人間はかつて傷付けられた痛みは忘れない。

 この世界に、俺たちの居場所なんて無いのか。

 ――お願い、放して――

 手に汗が滲んで、少しずつ姉の手が滑っていく。手首から掌へ、掌から指先へと。いくら力を込めても滑り落ちようとする姉の手に、どこからかもうひとつの手が伸びてその手首を掴んだ。

 視線を転じると、すぐ隣にいたのは沢木哲也だった。

「あなたは――」

「放すな! お前の手は、人を護るための手だ!」

 視線を戻すと、そこにいたのは聖良だった。翔一は聖良の手を掴み直し、沢木とふたり掛かりで引っ張り上げる。聖良の身体が屋上へ戻ると、3人で一斉に緊張が解けてか息を荒げた。しばらくそこにいたが、落ち着くと階段を降りてホテルの近くにある公園のベンチで聖良を休ませる。

 翔一の買ったレモンティーを受け取っても、聖良は飲もうとせずペットボトルに視線を落としたままだった。

「以前、君と同じような境遇の女性がいた」

 沢木の口から出たその女性が姉だと、翔一はすぐに気付く。だから口を挟むことはせず、沢木の語りに聖良と共に耳を傾けた。

「彼女は死を選び、俺は彼女を救う事ができなかった。だが所詮人は、自分で自分を救わねばならない。君が君でいられるか、君でなくなるか。それを決めるのも自分自身だ」

 そう、アギトだからといって、全てが変わるわけじゃない。変わらないこともある。翔一がそうだったように。翔一は聖良の前に屈み、告げる。

「聖良ちゃん。俺、思うんだ。聖良ちゃんの歌やダンスを見て幸せになれる人がいっぱいいる、て。だから、また歌おうよ。理亜ちゃんや、Aqoursの皆と一緒にさ」

 翔一には、そんな言葉を並べることしかできない。結局のところ、聖良を救えるのは彼女自身でしかない。人を殺めてしまった姉は自身を救えなかったけど、聖良はまだ救えるはず。でも、彼女はまだ答えを出せずにいた。

「わたしは、分からないんです。どうすれば良いのか、本当に………」

 彼女はまだ気付いていないだけだ。自分が自分でいられる根拠。それは拍子抜けするほど近くにあるということを。

「姉様!」

 その根拠となる少女が、公園へ入ってくる。先程翔一が連絡してから、ずっと走ってきたのだろう。理亜は勢いを落とさないまま聖良へ抱き着き、

「姉様、良かった………」

 理亜には、聖良が身投げしようとしたことを伏せている。聖良への配慮というのもあるが、何より彼女に知ってほしかった。何も知らなくても、彼女が生きることを望む人が、確かにいるということを。

 聖良の目に涙が浮かんだ。翔一は安堵の溜め息を漏らす。聖良はようやく気付くことができた。自分の裡に変わらないものを。妹への愛しさがあれば、自身が鹿角聖良でいられるという確証を。

「理亜………、ごめんなさい」

 固く抱き合う姉妹を見て、翔一は少しばかり羨ましいな、と思った。後悔なんて無意味だが、あの日に姉を見つけてこうして抱きしめてあげたら、運命はどこかで変わっていただろうか、と。

 でも、今は今のままで良いじゃないか。こうして姉と同じ結末を辿ろうとしていた人を救えたのだから。聖良はこれからもアギトの力で苦しむかもしれないけど、それ以上にきっと輝かしい未来がある。千歌たちと同じように、輝きたい、という意志さえあれば。

 脳裏に戦慄が走ると同時、その声は地の底から響くように翔一の耳朶を打った。

「塵に還るがいい。塵から産まれし者ども」

 地のエルの掌から砂が零れる。砂の熱が周囲の空気に陽炎を漂わせた。

「ふたりをお願いします」

 翔一が言うと、沢木は頷き鹿角姉妹を連れてその場から走り出す。逃げようとする3人へ目を向ける地のエルの前に翔一は対峙し、裡の力を呼び起こす。

「変身!」

 湧き出す光を浴びて、翔一は変身する。聖良が怖れた力の顕現、アギトの姿へと。

「津上さん⁉」

 足を止めて振り返った聖良が理亜と共に、翔一の姿に目を剥いた。

「聖良ちゃん、生きて。俺も生きる」

「津上さん……」

 俺は生きる、人間として。

 そして戦う、アギトとして。

 この世界が在る限り。

 目の前に倒す敵がいる限り。

「俺のために

 アギトのために

 人間のために!」

 







【挿絵表示】


――目覚めろ、その(サンシャイン)――
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。