ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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 さあ、お前の罪を数えろ。

――仮面ライダー(ダブル) (ひだり)翔太郎(しょうたろう) / フィリップ




第6話

   1

 

 そこでは、光と闇が互いに浸蝕し合い、そして反発し合っている。まるで水と油のように、弾き合い決して溶け合うことはない。天も地もない混沌の中で、翔一は纏わりつこうとする闇を払い続ける。

 

 ――アギトの力を、ここまで高めましたか――

 

 闇の中から、姿の視えない黒い青年の声が響く。

 

 ――ならば、あなたも視るといいでしょう。この世界の全てを――

 

 暖気と寒気が同時に押し寄せてくるようだった。反発し合っていた光と闇は依然として交わることはなく、放射状の線を引き渦巻いて、タペストリーのような像を織り込んで自身の体感を失った翔一の眼前に広がっていく。この世界が辿ってきた人々の想念全てが全体として1個体でしかない翔一の裡へと流れ込み、刹那ごとの感情が繰り返し芽生えては消滅していく。

 光――闇――アギト――アンノウン――拡大する街――生まれ死んでいく人々――黒い雨――爆弾を落とす飛行機――蔓延する病――魔女狩りの火炙り――神の十字軍――沈む大陸――割れる海――塩に変えられた町――倒壊するバベル――磔にされた神の子――ベツレヘムの星――

 小分けにされた時間が早回しで脳裏を駆け巡り、情報の奔流が流れては漏れ出していく。その中で、翔一はどの時間でも明滅する人々の裡にある光を視る。瞬きをする間に消える光はまた現れては消えてを繰り返し、その中で人々は俯瞰する者にとってはひどく退屈で長い時間をかけて歩き続けていく。果てしない絶望と希望が繰り返されながらも、人は生きていく。神と崇める創造主を畏れながら。

 何もかもが洗い流された荒野で、ひとりの男が空に掛かる虹に祈りを捧げている。世界を覆う海の中で、ぽつんと浮かぶ方舟が長い航海へ乗り出す。

 闇と光の軍勢――使徒と人が戦っている。人の中で光を纏い変身したアギト達が使徒の軍勢へと疾駆していく。

 それらの往き付く先は、一切に満たされながら何の形も成さない混沌。ただ全てが在るだけで、全てが無意味なヘドロのような吹き溜まり。全ての始まりのはずだったが更に先へと続き、翔一は潜り続ける。

 混沌の奥深くで広がるのは、翔一が生きる今の世界と変わらない景色だった。拡大する街に増え続ける人々。その中で、死者たちが灰色の生命体へと新生を果たす。その異形は命が短く青い炎に包まれ死んでいく。

 少しでも種としての命を伸ばそうと人々を灰に変えていく彼らに立ち向かう者がいた。

 それと戦うのは、身体に赤いラインを走らせ黄色い目を光らせた、アギトとはまた違う超合金の戦士。

 

 ――この世界が生まれる前に在った、小さな地球(ほし)の話です――

 

 小さな地球(ほし)の物語は、加筆と修正を幾度となく繰り返された末に白紙へと戻される。機械仕掛けの神の手によって。灰色の生命を洗い流し、悲劇の根源を消すことで。世界を救ったひとりの戦士が救われる、新しい物語を紡ぐために。

 

 ――私は、かつての悲劇を繰り返さないための、調停者として生まれました――

 

 この世界は、かつての世界を護った戦士が夢見たもの。ただの人として生きたかった。たとえ弱くても、俺が俺、という確信を持ったまま日々を過ごしたかっただけ。

 その願いを叶えてやるために混沌へ還された中で生まれた存在は、旧い世界で散っていった夢の残骸の寄せ集めでしかない。もう同じ悲劇は繰り返さない。人は人のまま、弱いままでいればいい。身の丈に合わない夢想や光など不要だ。ただ私の庇護の下で、慎ましやで健やかに生きられる楽園が保証される。

 でも、新しい世界の人は、旧い世界の人と同じだった。いくら血が流れても学ばず――学ぼうともせず、自分の視たいだけを視て、偽物の翼を作り太陽を目指しても翼をもがれ地に落とされる愚行を繰り返し続けた。

 

 ――所詮、人は人のままです。哀れで、醜く、それでも愛おしい――

 

 そう語る黒い青年はとても寂しげだった。いくら愚かでも、それでも彼にとって人とは自らの創造物。創り出すのに最新の注意と、そして寵愛を捧げてきた。だから赦せなかった。自身の子供である人を別物にしてしまう、アギトという存在が。

 だが真に罪深かったのは、自身が愛してやまなかった人そのものだった。子供の拳を頬に受けたとき、彼は悟った。水の使徒からの忠告は真実だったのだ、と。人はもはや、自身の愛した人ではない。逆らう悪しき獣(ネフィリム)にまで堕ちてしまった。

 

 ――それでもあなたは、人が生きるに値すると言えますか。私と同じ境地に至るあなたなら、人を滅ぼすことも容易い――

 

 翔一は頷く。迷いなんてなかった。最初から今に至るまで、俺はこの世界――皆の居場所を護るために戦ってきた。今更人間の歪さを知ったところで、変わるものなんて何もない。

 黒い青年の溜め息が聞こえた気がした。その気配が遠ざかっていく。壮大な記憶の奔流から抜け出した翔一は、神を追って日光が降り注ぐ空を駆けていった。

 

 

   2

 

 その屋敷、駿河湾を望める窓際のテラスで、沢木は紅茶を飲んでいた。空いたテーブルに青年が音もなく現れる。沢木は驚かず、自分の仕える主と、彼を追ってきた翔一の来訪を快く迎える。

「あなたに与えた命も、残り少なくなりました」

 主の宣告に沢木は恐れる表情など見せず紅茶を啜る。翔一には分かる。アギトの力によるものなのか、それとも沢木の主より与えられた力なのか、どちらにしても彼の思惟が流れ込んできた。彼の想いと、ここに至るまでの全てが。

 

 沢木哲也――本物の津上翔一が2度目の生を受けたとき、最初に抱いたのは深い絶望だった。

 1度は救おうと愛する人の手を掴んだのに、離してしまった所業に耐え切れずに後を追った。彼女の生が赦されない世界で生きる意味を失い逃げたというのに、この絶望が終わらないことに慟哭した。

 新しい命はこの世界で最初のアギト――沢木雪菜を葬った報酬だったが、沢木にとってそれは罪であり呪いでしかなかった。主から世界の成り立ちとアギトの全てを知っても、彼の中で人を越えたことの自負なんて芽生えず、ただの人間としての矮小な感情のみが残った。

 だから沢木は、2度目の命も人間としての意志の下に捧げることを決めた。雪菜の否定された生命を、今度は肯定してやるために。同じ力を抱えた者たちに更なる力を与え、使徒ひいては神を打倒するために。

 そのために最初に行ったことは、津上翔一であることを捨てることだった。雪菜を見捨ててしまった罪に耐え切れず壊れかけた意識を繋ぎ止めるためには、自身にかつての俺じゃない、という虚構を刷り込む必要があったからだ。

 記憶を失った雪菜の弟が自身の名を名乗っていることを知った沢木は、悲しくほくそ笑んで彼の名前を頂戴することにした。彼女の愛した弟の名を奪う。それは自身を欺くには悲しすぎる虚構だった。彼女が慈しみを込めて呼んでいた哲也という人物が自分と、どこかで思い込みたかったのだろうか。それは沢木自身にも分からなかった。

 

「怖くはない」

 そう、沢木のなかに恐怖はない。彼は与えられた仮初の命をアギトのために生きることを選んだ。力を持つ者たちを助け、使徒と主を打倒するために動いてきた。

 既に目的は達成された。もう彼らは彼ら自身の足で歩いていける。いずれは背から翼をはためかせ、どこまでも高く飛ぶことができる。イカロスのようにもがれることはない。ここにやってきた青年は、その境地に至ったのだから。

 沢木は翔一を眺める。アギトとしての力を極限まで高め、際限なく更なる高みへと至る無限の輝きを背負った男。彼女の弟、という程度の感情しか抱いていなかったこの青年が、アギトという存在全ての希望になった。

 その根底にあったのは、姉である雪菜が与えた深い愛情だった。彼女の想いは消え去ってはいなかった。この青年の裡に植え付けられた種は根を張り、人を世界という物語に縛り付けていた神から解放させた。

 沢木は思う。俺の手がなくても、彼なら同じ結末を導き出せたのではないか、と。所詮俺はイエスのような預言者ではなく、ただの後悔に塗れた人間でしかなかった。

 そんな自分に残された役目は去ること。もはや神の僕として生きる理由はない。

「私は人間の側から、アギトを滅ぼすための使徒としてあなたを復活させた。だが、その必要は無かったようです」

 そう言うと、黒い青年は窓から広がる海を眺めた。自分が創造した世界であり、最高傑作として書き連ねてきた物語。そこは自分の思うがままだった。産み出した使徒も、人間も全て。完璧なまま、永劫に続いてくかと思われた世界に歪が生じたのは人間から産まれたアギトという異物のせいと、そう思っていた。アギトによって、主である彼の描いてきた物語は修正不可能なまでに破綻したと思った。

 でも、人間はやはり自身の遺伝子を継いでいた。異物を嫌う性質は人間も同じで、自分たちの物語に紛れ込んだ存在をまるで病原菌のように排除しようとしている。人が人でなくなること。それは、人自身も恐れていた。

「人間は、いずれアギトを滅ぼします」

 その悲し気に告げられた言葉で、翔一は神の愛とやらを理解する。いくらアギトになろうとも、元は主が創り愛した人間であることに変わりはない。力に目覚めかけた者を手に掛けた時、痛みを感じた彼はまだ子への愛を捨て切れなかったことを自覚した。だから掃除を使徒たちに任せ、親から見捨てられた子供たちの叫びから耳を塞いでいた。

 人が人を殺してはならない。アギトもまた人である。そういくら叫んだところで、知恵の実を与えられた人の欲望や悪意は際限なく膨らんでいく。愛した子供同士の殺し合う姿なんて見たくもなかった。それでも知恵を得た子供たちは自身で物語を描こうとする。それは親がかつて祈ったものとはかけ離れた、荒涼とした悲劇でしかない。

 もはや止めることはできない。当初から大きく外れた物語は、暴走した登場人物たちによって穢され、犯され、罪に罪を重ねた破滅へと向かっていく。

「いや」

 汚泥の溜まり場となっていく世界を見つめる主を、沢木は強く否定する。

「あなたは人間を創りながら、人間のことを何も知らない」

 人間はあなたが思っているほど賢くはないが、あなたが思っているほど愚かでもない。

 そう言うと沢木は窓の外、広がる海の更なる先へと目をやった。そこは自分が存在しない世界。望み夢見た世界を、残されたアギトと人が築くことができるのか、見届けることはできない。そのことに憂いはある。人は自らを縛り付けて、また同じ過ちを繰り返し続けるのかもしれない。

 だが、希望は確かにある。揺るぎない愛が、ここにはあるのだから。

「人は、アギトを受け入れるだろう。人間の無限の可能性として」

 それは賭けも同然だった。これから生まれ続けるアギトと人が、どう歩んでいくのか。

 ふと翔一の目に、壁に掛けられた絵画が入った。かつて見た、この世界の成り立ちと使徒と人の戦いを描いた絵。白紙だった下部分が今は描き足され、完成をみている。その描き加えられた部分は、人々が歩いている姿だった。人だけじゃない、その中には金色の角と赤い目を持った異形も描かれ、人と肩を並べている。

「では、見守ってみましょう。あなたの言葉が正しいかどうか、人間とは何なのか。もう1度、この目で」

 それは、この物語の執筆を放棄する言葉だった。修正も、白紙に戻すこともしない。続きは、登場人物たちに委ねる。子供たちが自らの物語を、どう書き連ねていくのか。どんな結末を迎えるのかを。

 沢木は穏やかに、そして晴れやかに笑う。続きを見ることができなくても、彼はその結末が決して悪いものではない、と確信できる。人の裡に、無限の可能性という光がある限り。

「ああ、きっと俺が、勝つさ」

 臣下だった男から勝利宣言をされたにも関わらず、黒い青年は笑っていた。その姿が薄れ、この場から一切の気配を残さず消滅していく。どこへ往ったのか、その気配を辿ることはもう翔一にもできなかった。

 神としてこの世界の維持を務めなければならなかった彼も、自ら書いた世界に押し潰されかけていたのかもしれない。それは作者としての孤独と言っていい。決して登場人物に交わることはなく、ただ淡々と書いて、果てに全て白紙に戻さなければならなかった受難からようやく解放されたのだろう。

「この家は――」

 翔一へ目を向けた沢木が、穏やかに言う。

「雪菜と暮らすための家だった」

 だとすれば、さっきまで主が腰掛けていたこの椅子にいるべき本来の人物は、姉だったということか。ここでふたり並んで、紅茶を飲みながら海を眺めて暮らす。海が好きだった姉は、そんな日々を夢見ていたのだろうか。そしていつか自分も、たまにこの家を訪ねて料理を振る舞う。そんな可能性が、かつてはあった。

「彼女は最期に、お前の名を呼んでいたよ」

 沢木の記憶が、翔一の意識に流れ込んでくる。ビルの屋上から身を投げ、腕1本で宙吊りになった彼女の口から出たのは弟の名前と、そして懺悔だった。

 

 ――ごめんね、哲也――

 

 その懺悔が何に対してだったのか、翔一には分かる。いつか沢木と義兄弟としての対面を果たしたとき、ふたりに料理を振る舞うという約束。それを破ってしまったことを、姉は最期まで悔いていた。

 怪物になることを怖れた彼女は、最期まで沢木雪菜として――人間として果てた。

「神が去り、世界はゼロに戻る」

 世界は混沌というゼロから始まった。そこから神という1が生まれ、10になり、100になった。沢木の目指した神の打倒とは、それまで膨れ上がってきたものを、全てゼロに戻すことだった。神の存在する1では意味がない。それでは同じ10と100が繰り返されてしまうからだ。ゼロからやり直し、以前とは異なる1へと進むことで、真に新しい物語が紡がれる。

 その事実を人々は知る由もない。そもそも今まで人類は自分たちが被造物であり、神の庇護という牢獄に囚われていたことにすら気付いていなかったのだから。これからもこれまで通りに、どこまでも緩やかに何も気付かないまま生き続けていくだろう。

 だが、この青年には伝えなければならない。戦いの果てに掴み取ったものと、その意味を。

「これからお前たちが生きていくのは、お前たちだけの新しい未来だ。もう、縛り付けるものは去った。これからは自分の足で、自分の往きたい居場所を探していける」

 語る沢木の声が、弱々しく擦れていく。翔一が違和感に気付いたとき、沢木の身体はバランスを失い椅子から崩れ落ちる。翔一は急ぎ沢木の身体を抱き起こし、壁に背を預けてやる。これで少しは楽になるだろう、と思ってすぐ、それが無意味な気遣いだと悟った。

 使徒として与えられた生命が、とうとう尽きようとしている。沢木の胸に脈打つ鼓動が弱まっているのを、感じ取ることができた。この男はじきに死ぬ。この家――雪菜と一緒に暮らすことを夢見た屋敷で。

 自身の裡に抱くべき感情が見つからないことに、翔一は戸惑った。この男の死にどんな想いを抱けばいいのか、全く分からない。思えばこの男と翔一は、一時的に記憶を取り戻していたあの日まで、1度も会うことがなかった。アギトなんて存在がなければ家族になっていたかもしれないが、それはもう失われた未来でしかない。

 だが沢木のほうは、翔一に確かな感謝と、そして労いがあった。雪菜の弟であること以上にこの青年は、彼女が得ることのできなかった救いを手にし、更に他者にまで救いの光をもたらした。

 沢木は苦しい呼吸を繰り返しながら、それでも口を止めることはしない。この青年はアギトの宿命を超越し、世界を神から解放した。それによってもたらされるものを伝えるまで、まだ逝くには早すぎる。

「お前なら……、どこまでも往ける。誰も視たことのない………いつかアギトの往きつく可能性の果て――虹の彼方へ」

 俺は新しい生命を与えられながら、過去にしか生きられなかった。でもお前は未来へと往けるんだ。どこまでも高く、どこまでも遠くへ。その未来を俺の名前で生きるのなら、喜んで譲るさ。気に入らなければ捨ててもらっても構わない。神の使徒になった日から、俺はもう何者でもなかったのだから。

 沢木の粗い呼吸が、次第に弱まっていく。目も虚ろで、失いかけた意識に焦点も合わせられずにいた。

 せめて最期に、と沢木は目の前にいる翔一を見つめる。思えばこの青年とは、ひどく遠回りした奇妙な縁で結ばれていた。自分の名を奪った男。自分が名を奪った男。雪菜と同じ目をした、運命が違っていたら自分の義弟になっていたかもしれない男。

 所詮俺のしてきたことは、卑しい人間の悪あがきだったかもしれない。何も変わらないのかもしれない。でも、最期くらいは夢を見たっていいじゃないか。愛する人の命が肯定されたという夢を見ても。

 彼女が愛を注いだこの青年が、受け取った愛を無限の輝きとしてこの世界に広げてくれるという夢を見ても。

「雪菜……君はそこに――」

 穏やかに微笑しながら、沢木の目蓋が落ちた。目尻から一筋の涙が零れていく。アギトのために、人のために神を裏切った男の死を、翔一は見届ける。

 窓から射し込んでくる日差しが眩しく、翔一は目を細めた。ゆっくりと開いていくと、広がる景色はどこも光に満ちている。空も雲も、樹も花も虫も、家も草も海も。全てが微弱ながらも、光を放っている。ひとつひとつは弱くても、幾重にも連なる光が虹になって世界中へと伸びていく。

 この光に、翔一はどこか親しみを覚えていた。そう、いつも菜園で育てていた野菜たち。土から出た芽と力強く伸びる茎に瑞々しく実った姿から感じていたものだ。今はそれを、はっきりと視ることができる。

 とりわけ強いのは、人々の放つ光。一瞬のうちに消えて再び現れる輝きと時の連鎖が絡み合い虹を道標として彼方へと向かっていく。その先までを視ることは叶わない。たった1世紀にも満たない生命の人間では至ることのできない境地だが、俺なら往ける、という確信がある。

 そうなれば、この人間という肉体は不要になるだろう。全体へと溶けさせた者のみが昇華できる最果てへ往くため、翔一は身体を光の中へ解けさせ翼となって屋敷のバルコニーから飛び経つ。

 雲の上を飛びながら、虹を縫いながら響く歌の方角へと進んでいく。今この瞬間で最も輝いている居場所。九重の声と光が飛び交い、どこまでも響いていく。

 それは「今」という、刹那よりも短い瞬間を切り抜きながら駆け抜けてきた歌だった。瞬きをすれば過ぎていく日々。その時その時の抱いた想いを拾い上げ、紡がれてきた曲。

 彼女たちの光を目の当たりにした人々の輝きさえも視える。サイリウムを振る鹿角姉妹に、近くで見守ってきた親たち。志満と美渡も幼い頃に戻ったように、浦の星の生徒たちと一緒に笑顔でサイリウムを振り続けている。街頭の大型モニターに映し出された彼女たちの輝きに待ち行く人々も足を止める。

 ずっと立ち止まったままでいることが(ほま)れとされた世界でも、彼女たちは進み続けた。自分たちが抑圧された存在とか、神へと反骨とか、関係ない。自分の心の赴くままに、自ら道を探してきた。かつて垣間見たものを得るために。そのために「今」という囲いから出る事になるけど、怖れなんて抱かない。いつだって漕ぎ出したその先には、輝きがあると彼女たちは知っている。

 そう、輝きは一瞬で終わるものじゃない。その時毎に異なる輝きが放たれ、その残滓を受け取った者たちによって再び世界を照らしてくれる。そうやって人々は歩いてきた。時に立ち止まり、引き戻されても、それでも、と足掻きながら。輝きたい、という裡に灯る熱を抱きしめ、長い長い旅路へと駆け出していく。太陽目指して茎を伸ばす植物のように。光差す水面を目指す魚の群れのようでもある。

 その往き付く先――無限の可能性がもたらす虹の彼方への道を人は既に見出している。人という存在がこの世界に産声をあげたときから――いや、旧い世界に存在していた時から既に旅は始まっている。過去も未来も、そして今も、全ての時間が輝きに満ち溢れている。

 光の中に溶けつつある翔一からアギトの輝きが世界へと伝播し、全体からもたらされる温かい灯が翔一の中へと注がれていく。無数の溢れ出さんとばかりの胎動が響く、原始の海のような温もりを泳ぎ、飛びながら翔一は世界という魂の場へと身を躍らせていく。

 

 

   3

 

 全てが夢のように恍惚で、一瞬だったように思える。身体は踊っていても意識はどこか遠くへと跳んでいったかのように曖昧で、上手く歌えたかな、ちゃんと踊れたかな、という微かな不安が終わった後になって押し寄せてくる。

 ステージの床を踏んでいるはずの足裏の感覚すらも朧げで、千歌は拳をぎゅ、と握り絞める。熱と手の感触を確かめ、顎を伝う汗を拭いステージに備え付けられたモニターを見上げる。リアルタイムで集められた投票。その結果として『WINNER』とあるロゴの下に、新しく名前が表示される。

 Aqours

 水であり私たち、という意味の込められたグループ名が表示された瞬間、観客席から沸いた歓声が広いドームの空気を震わせ更に熱を上げていく。

 ああ、やっと――

 この時の想いをどう言い表したら良いのか、後になっても分からなかった。色々な感情が沸き上がってない交ぜになり、整理をするのはとても難しい。ただはっきりしたことは、終わったんだな、というどこか安堵にも似た感情だった。今までの挫折も絶望も恐怖も、全てが報われたのかもしれない。無駄じゃなかったんだ。

 会場に紙吹雪が降り注いだ。照明の光を乱反射させるその模様は雪のようでもあって、この空間をきらきらとした浮足立った場へと変え、更に観客たちを沸かせる。

「千歌ちゃん」

 不意に届いた声に、千歌は背後へと振り向く。紙吹雪の舞うステージに立っているのは、翔一だった。千歌たちのような煌びやかな衣装なんて着ず、いつもの野暮ったいジャンパーの姿で。

「翔一くん……何で?」

「せめて、千歌ちゃん達のステージは見ておかなきゃ、と思ってさ」

 疲れなのか困惑なのか、おぼつかない足取りで彼のもとへと歩く。その身体に触れようとしたとき、千歌の指先は何も掴むことなくはっきりと姿のある翔一の身体をすり抜けてしまう。彼の身体を潜った瞬間、心地良い温かさを感じた。思いもよらないことにつんのめった千歌は、いつもの笑顔を浮かべる翔一を見つめ、そして悟る。彼に何があって、どうしてステージにいるのかは分からないが、これだけは明確に理解できた。

 翔一くんは往っちゃうんだ。

 そこは翔一にしか往けない場所。千歌や、皆では到底辿り着けない居場所へと、翔一は向かおうとしている。

 翔一はステージで物思いに耽っている皆を見渡した。他の皆は翔一の存在に気付いていないようだった。実際、彼はこの場に居るのか、それすら曖昧になっているのかもしれない。

「俺、皆の輝きが視えるんだ。千歌ちゃんだけじゃない、この世界にいる人たち皆の、きらきらとした輝きがさ」

 翔一の顔には悲壮も寂しさも、一切の暗い影がない。いつもの翔一だ。これから自分が往く領域に、全く不安を感じていない。それ以上の溢れんばかりの希望が、彼の胸を満たしているようだった。

 それはいわば、どこまでも広がる群青の大海原や、緑と花の香る大草原を始めて見た幼子のような、純粋無垢な高揚。

 千歌が初めてスクールアイドルを視たときと同じ想いが、彼の背を押している。

「だから視てみたいんだよね。この光がどこに向かってるのか。その先に何があるんだろう、て」

 彼はただ、未来を見つめている。そんな彼に千歌は、喪失の予感にさっきまでの熱を急速に冷やしながら口を開く。

「嫌だよ、翔一くん。もうどこにも行かないでよ。わたしを置いて行かないで」

 図々しい我儘な言葉に、翔一は苦笑する。どうしても叶えてやれない願いに、何と言ってやればいいのか困り果てる親のようだった。

 でもその苦笑はすぐに屈託のない柔らかな笑顔に戻る。ふ、と千歌の頭に翔一の手が触れる。千歌からは触れられない温かい手で、翔一は千歌の頭を優しく撫でてくれた。

「大丈夫、千歌ちゃんにはAqoursの皆がいるじゃない。千歌ちゃんだって、とてもきらきらしてるんだから」

 その手はとても大きかった。まるで父のよう――いや、父そのものと言えるほどに。

 千歌は幼いうちに父を喪った。まだ父からの愛情を求めてやまない頃に失くしたものは永遠に戻らないと諦めていた。たとえ翔一が父のように振る舞っても決して代わりは務まらないことも理解していたし、同時に虚しくも思っていた。

 翔一はそんな千歌の傍にいて、時にはアギトとしてアンノウンと戦ってきた。人間の手ではどうしようもない障害を排除して道を空け、千歌たちを未来へと解き放つために。それは父親にしかできない役割だ。真に子を想えなければ成し得ない責務を果たしてくれたのは、海からやって来たこの青年だった。

 どうして翔一と離れることを怖れていたのか、今はその理由が分かる。彼から父としての存在を無意識に感じ取っていた千歌にとって、彼との別れとは父を2度喪う事と同義だったからだ。

 それでも彼が往かなければならないことも、同時に理解してしまった。翔一の根底にある、空よりも大きく海よりも深い愛を。どんなに過酷な宿命を理不尽に背負わされようが、それを自らの意志として選択し果たすことができることを。

 翔一にとって命とは、人間とは、世界とは、ただ在るだけで価値のあるもの。護るに値するものだ。

 止められない。翔一の大きすぎる愛の前で、ただの人間でしかない千歌では彼をこの世界に留めるための鎖にはなれない。

「もう、往かなくちゃ」

 

【挿絵表示】

 

 優しく、そして切ない言葉と共に、翔一の唇から光の粒子が漏れた。彼の身体が光の粒となって、空間に解けていく。紙吹雪と共に風に運ばれた残滓を目で追いかけ、千歌は観客席へと振り向いた。

 そこに広がっているのは、まるで宇宙に散りばめられた星々のようなサイリウムの光。

 観客たちが振る光は、まるで人々が裡に抱えるものの象徴のように見えた。翔一の視ることのできる「世界」と、このサイリウムが煌めくドームの光景はどれほど似ているのだろう。

 

 




 混沌の光より生れし子、裡なる炎を極めて闇を討ちし時、揺るぎなき愛を人の子に与え光輝の彼方へと旅立たん。

             アギトの書


次章 私たちの輝き / AGITΩ
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