ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
今は痛いが、治ればもっと強くなる。
――仮面ライダーフォーゼ
1
式を終えても、生徒たちは帰る気配が無かった。放っておいたら、明日も明後日も残っていそう。まるで籠城だ。そうしたら学校存続というお達しが来るかも。そんな幼稚で下らない妄想が現実になれば良い、と何度思ったことだろう。
普通の卒業式ならば、学校を去る卒業生が在校生との別れを惜しむものだ。でも今日の浦の星は違う。卒業式も兼ねた閉校式。卒業生も在校生も関係なく、今日この学校から去る。皆に平等に与えられた最後のひと時だ。こんな時くらい、思い思いに過ごしたって良いだろう。
このひと時で、ちゃんと終わらせないと。これはAqoursの9人だけじゃなく、皆で決めたことだ。
2
「すごーい!」
教室に入ってすぐ目に入った黒板に、千歌は感嘆の声を漏らした。色とりどりのチョークで描かれているのは、ステージ衣装でポーズを決めるAqoursの9人。
「綺麗……」
「ほんとだ……」
梨子と曜も、声を詰まらせながらも呟く。本当に綺麗に描かれている。今日だけしか残らないのが勿体ないくらいに。
「でしょ?
「皆で思い出しながら描いたんだよ」
「あの時、わたし達から見えてた千歌たち」
むつといつきとよしみが、得意げに言った。
「輝いてたなあ」
「本当、目開けていられないくらい」
他のクラスメイト達も口々にそう言ってくれる。そんなことない、と謙遜する気持ちは、千歌の裡にはなかった。何故なら――
「わたし達にも、視えてたよ。輝いてる皆が」
あの日、あの場所、あの瞬間。全てが輝いていた。ステージも観客席も関係なく。眩しすぎて思わず目を閉じてしまいそうなほどで、まさに雲の上の、全く違う世界に入り込んだかのように思えた。
「会場いっぱいに広がる、皆の光が」
あの瞬間、アキバドームはこの世界で最も輝きに満ちていた。その輝きが、翔一を導いてくれたに違いない。そして彼には、あの輝きが会場を越えて世界へと広がっていくように視えたのかもしれない。
「じゃあ、全部輝いてたんだ」
むつの言葉に千歌は「うん、そうだよ」と強く頷き、
「全部輝いてた」
あそこに満ちていた光は、あの場限りで消えてしまう篝火も同然だったのだろうか。それとも、更に先へと飛んでいくのだろうか。後者が真理なのだとしたら、一体どこへ。翔一が飛び経っていったのは、きっとその答えのある境地なのかもしれない。アギトという輝きと、この世界への愛を携えた彼のみが往ける無限の輝きの果て――
クラスの全員が談笑交じりに教室を出ていく。誰がとも言わず、最後に出た千歌が戸に手をかける。
「じゃあ閉じるよ」
クラスメイト達に見守られながら、千歌は毎日通っていた教室の戸をそう、と閉じた。窓越しに見える教室の中には、もう誰もいない。机も教卓も片付けられた殺風景な空間の中で、黒板に描かれたAqoursのイラストだけが彩りを残していた。
「これで終わりずら」
本を隙間なく詰め込んだ最後のダンボールを閉じて、花丸はひと息つく。図書室の片付けについては業者の手配も可能だったのだが、図書委員である花丸は自ら名乗り出た。短い期間だったけど、自分の居場所だった図書室。最後は感謝の念も込めて、1冊ずつ箱詰めをしてやりたかった。
「全部なくなっちゃったね」
作業を手伝ってくれたルビィが、寂しげに片付いた部屋を眺めながら告げる。書棚に詰められていた本は、この日に向けて数日かけて少しずつ箱詰めしてきた。もう1冊も残っていない。空っぽになった書棚のみが、この部屋が図書室だったことを示している。
「捨てられたわけじゃないずら。鳥みたいに飛び経っていったずら」
「ぱたぱた、て?」
「新しい場所で、また沢山の人に読んでもらって、とても良いことだ、て思えるずら」
片付けられた蔵書は他の学校や幼稚園や図書館と、それぞれ置いてもらえる場所へ引き取ってもらう事になっている。とある場所で読まれていた物語が別の場所へと移り読み継がれる。それは花丸にとっても嬉しいこと。もっと多くの人に読んでもらいたい物語が、この図書室には沢山詰まっていたのだから。
「ルビィたちも、新しい学校に行くんだよね」
「………ちょっと怖いずら」
本たちと同じように、花丸たちの物語も浦の星から移る。どんな同級生たちがいるのか、浦の星から移ってきた自分たちが馴染めるのか。未知というものは常に恐怖が大なり小なりつき纏ってくる。
「ルビィだって。でも花丸ちゃん達とスクールアイドルやってこれたんだもん。大丈夫かな」
すっかり逞しくなったな、とまるで保護者のような感慨に耽る。1年前だったら、慰めや励ましの言葉をかけてやるのは花丸のほうだったのに。
「堕天!」
なんて声と共に、善子が入ってくる。
「ほら、行くわよリトルデーモン達!」
善子の堕天使設定は、新しい学校でも続けていくつもりなのかな。そんなことを思っていると、何だか自分たちの不安がとても小さく思えてしまう。どこへ行っても自分たちは自分たち。
ならば翔一は、とふと考えてしまう。花丸たちが到底届かない領域へと飛び経った翔一は、彼のままでいるのだろうか。それとも、アギトをも超えた全く新種の存在へと変わってしまったのだろうか。人がその存在を定義するときは、一体何を根拠とすれば良いのだろう。自分という存在を自覚できる花丸自身でさえも、この確信の根拠はひどく曖昧なものだった。
図書室から出るとき、戸にはルビィと一緒に手をかけた。それは大事な儀式のような気がして、それに加わろうとしない善子に花丸は声をかける。
「一緒に閉めよ」
「嫌よ」
いつも変な魔法陣を描いたり呪文を呟いたりするくせに、この時の善子は強情に儀式を突っぱねる。
「一緒に閉めるずら」
「嫌だってば」
「一緒に閉めるずら!」
思わず荒げてしまった声に、隣にいたルビィがびくり、と肩を震わせた。
「お願いだから……」
か細い声で言うと、逡巡の後に「分かったわよ」と善子は渋々といった様子で応じ戸に手を掛ける。「ごめんね」と花丸が謝罪すると、「良いわよ別に」と善子はそっぽを向いた。
改めて、3人で手を掛けた戸の、その奥にある1年にも満たない日々への思慕へ告げる。
「今まで、マル達を護ってくれて、ありがとう」
ゆっくりと戸が閉まり切ると同時に、善子とルビィも呟いた。
「ありがとね」
「ばいばい」
音楽室の机や小さな楽器類といった備品は既に撤去されていたけど、グランドピアノだけはそのまま残されていた。運び出すには大きすぎるから、後日専門業者が手配されるらしい。それが良い、と梨子は思った。ここのピアノも手入れが行き届いていて、奏者の思うままの音を奏でてくれる。
鍵盤で指を躍らせながら、梨子はこのピアノの行く先に想いを馳せた。他の施設に寄付されるそうだが、何処なのかは知らない。でも、また誰かが弾いてくれる。そう思えるだけで十分だった。贅沢を言えば、定期的に調律をしてほしい。これがいつでも、どこでも最高の音を奏でられるように。
「良い音だね」
傍で聴いてくれていた曜が言った。
「ここのピアノ、とても良い音がするの」
「広くて音が響くからかな?」
「そうかも」
楽器の音の質は、楽器自身だけじゃなく設置場所の広さや室温といった様々な要因にも左右される。コンサートホールは楽器が最高のポテンシャルを発揮できるよう設計されるが、学校の音楽室はそこまで徹底はされていない。今日このピアノがとても良い音を奏でられるのは、学校の立地や天候が好条件に運んでくれたからだろう。
最後に弾いた鍵盤の音が、開け放たれた窓から外へと飛び経つように感じられた。発せられた音がシャボン玉のように宙を漂い、やがて弾け残滓を散らしながらどこまでも高く舞い上がっていくよう。幼い頃に視えていた音の放つ光。この世界の海や山が奏でる音が、今の梨子でも確かに聴き取ることができる。
「綺麗だよね、この景色」
窓辺で呟く曜の隣に立って、梨子も内浦の景色を眺める。
「最初転校してきたとき思ったな。東京じゃ絶対見ることができない景色だ、て」
正直、田舎だな、とは思った。海と山ばかりで、バスも電車の本数もあまりない地方集落。でも、今となってはこの何もない景色が愛おしい。東京と比べたらものは少ないけど、その分本当に大切なものを、ここで見つけることができた。わたしの居場所は、ここじゃなければいけなかったんだ、と確信できる。
「わたしね、ずっと言っておきたいことがあったんだ」
窓の縁に腰を預け、曜が切り出す。
「実は、梨子ちゃんのことが――」
険しい顔で梨子を見上げながら大きく口を開け、
「だーい好き!」
次に向けられたのは、満面の笑顔。その不意打ちに戸惑いながら、梨子も応じる。
「わたしも」
わたしも、大好き。
この街も、学校も。街の人々も、学校の生徒たちも。
Aqoursも、わたし達を護ってくれた人たちも全て。
「皆と一緒に過ごせて、本当に楽しかった」
音楽室を出るとき、曜はそう言った。
「うん、楽しかった」
この想いが本当だから、この戸を閉めるのは名残惜しい。でも、その時が訪れることは前から知っていたし、覚悟もしていた。だから梨子は、思慕と寂しさの両方を抱きしめながら、ゆっくりと戸を閉めた。
備品があらかた片付いた理事長室は、もう主を必要としていない。式典で理事長として最後の職務を果たした鞠莉は、もう着くことのないデスクをただ呆然と眺めていた。このまっさらになってしまった理事長室が、自分の職務の成果だ。こんなに分かりやすい事も、そうないだろう。
本当、何のために戻ってきたんだか。全てが決してしまったあの日から何度も反芻される問いが、未だに燻っている。父に散々我儘を言って理事長の座に就いて、期限を延ばしてもらって、結果はこの有様。経営者としての鞠莉の初仕事は、見事に失敗に終わってしまった。経営者といっても父の代行で、お飾りも同然だったけど。
「いつまで見てるつもり?」
後方で開けられたドアのほうから、果南の声が飛んでくる。「分かってる」と応じながら、鞠莉は目元の涙を乱暴に袖で拭う。
「鞠莉さん」
ダイヤに呼ばれ振り向くと、鞠莉は驚きのあまり目を丸くした。ダイヤが両手で大事そうに掲げる賞状。進呈される者の名前として記載されているのは――
「あなたへの卒業証書ですわ」
「わたしの………?」
ダイヤは持っている賞状の右端から手を離す。彼女の隣に立った果南が開いた右端を手に取ると、ダイヤは文面を読み上げた。
「卒業証書、感謝状、小原鞠莉殿。右の者は生徒でありながら、本校のために理事長として――」
続きを果南が引き継ぐ。
「尽力してきた事をここに証明し、感謝と共に表彰します。浦の星女学院全校生徒一同。代表、松浦果南」
「黒澤ダイヤ」
ふたりから差し出された賞状を、ただぼんやりと見下ろす。これを受け取る資格があるのか逡巡してしまう。
「果南、ダイヤ……」
「受け取って」とダイヤに促されるままに伸ばした手を、宙で泳がせる。これを受け取るという事はつまり、本当に終わるということ。この3人が、離れ離れになってしまうということだ。
「大丈夫」
と果南は言う。
「空はちゃんと繋がってる。どんなに離れて、視えなくなっても」
それは、決勝の日に鞠莉が告げた言葉だった。いつだって、皆は同じ空の下にいる。
「いつかまた一緒になれる」
ダイヤの告げた願いもまた、鞠莉の言い出したこと。流れ星に捧げた祈り。同じ空の下、同じ世界にいる限り、きっとまた一緒に居られますように。
受け取った卒業証書兼感謝状の両端を、鞠莉はきつく握り締めた。強く握ったせいで皺ができて、零れた涙が滲んだけど、そんな事は気にもならなかった。
「ありがとう………」
思えば、いつも泣いてばかりだった気がする。どうしようもない現実をどう変えるか考えもせず、ただ突き付けられた事実に対して自身の感情を吐き出すしかなかった。本当、お子様なままだ。全部背負うつもりが果南やダイヤ、他の皆にも背負わせておいて、何もしてやれなかった。
ふたりが傍にいなくて、大丈夫かな。そんな不安に襲われるけど、いつまでも子供じゃ駄目なんだ、と強く思った。そんな情けない姿、鞠莉を未来へ送り出してくれた薫が望むはずがないのだから。強く生きる。優しく生きる。だからせめて、今だけは最後の涙を流させてほしい。
ひとしきり泣いた後、鞠莉は理事長室を後にした。奮闘してきた場に、「さようなら」とひと言だけを残して。
3
それぞれの場所で、それぞれの想いを馳せていた千歌たちが最後に自然と集まったのは部室だった。体育館に隣接した、9人で使うには少し狭い部室。
全員集まったからといって、互いに言葉を交わす、なんてことはしなかった。裡に抱える想いは溢れ出しそうなほどにあるけど、それを表す言葉はどれも曖昧で、的確なものが見当たらない。ひと言では収まりきらない。この手狭な部室には、それだけの思い出が、物語が詰まっていた。
ここがあったから、皆で頑張ってこられた。
ここがあったから、前を向けた。
毎日の練習も。
楽しい衣装作りも。
腰が痛くても。
難しいダンスも。
不安や緊張も、全部受け止めてくれた。
帰ってこられる場が、ここにあったから。
ひとり、またひとりと部室から出ていく。「じゃあ、待ってるね」と曜が告げたのを最後に、部室に残ったのは千歌ひとりになった。自分の輝きを追い求めた居場所。馳せる想いは沢山あるけど、生憎もう時間がない。そう長く留まることなく、千歌も部室から出た。
入口の真上に立てられた、スクールアイドル部の札。「部」が「倍」に間違っていて、バツ印で訂正したのがそのままになっている。そのうち書き直したものに替えないと、と思っていたけど、結局放置したままだった。
「ありがとう」
もう過ぎた日々にそう告げて、深く礼をする。ひょい、と枠から部の札を抜いた。せめてこれひとつくらいは、日々の思い出の品として持ち帰っても良いだろう。
夕刻になり式典はとうに終わったにも関わらず、校門の前には全校生徒と父兄たちが集まっていた。帰宅したのは来賓くらいじゃないだろうか。
見上げる校舎はいつもと同じ佇まいで、夕陽を背に濃い影を落としている。朝登校するときにいつも見上げていた校舎だけど、こうして出るときに振り返ることなんてしなかった。下校するときに想う事といえば疲れた、お腹空いた、くらいしかなかったから。
校舎の外縁に植えられた樹々から舞う桜の花弁が、どこか物悲しい。とても綺麗な光景なのに、もう来期からは誰も見られないなんて。
もう誰も校舎に残っていない。生徒も、教員も。そろそろ門を閉めないと。その役目を与えられたのは、千歌たちAqoursだった。1年生と3年生たちが、錆ついた門扉の右半分を引っ張り出す。
「千歌」
果南に優しく促される。残りは千歌が。その大役を、朝に自分で言ったように笑顔でこなすべきだ。それなのに、当の千歌自身は嗚咽を抑えつけるのに必死だった。肩も震えていただろう。後ろで控えていた曜が「千歌ちゃん……」と心配そうに呼んでいたから。
何気ない風を装って、千歌は門の左半分に手を掛けて、力いっぱいレールに沿って滑らせる。とても重かった。学校自身が閉じないで、と抗っていると思えるほどに。
いよいよ左右の扉が触れよとしたところで、ふ、と力が抜けて止めてしまった。皆で約束したじゃないか。
「浦の星の思い出は、笑顔の思い出にするんだ………」
その約束を律儀に守れるほど、皆は強かではなかった。1年生も3年生も、互いに身を寄せ合って泣いていたのだから。この現実に向き合うのに、千歌たちはまだ幼な過ぎて、弱すぎる。
「泣くもんか……。泣いてたまるか………」
この校舎にある思い出は、楽しい事ばかりが詰まっている。毎日がとても楽しくて、そんな日々が続いて受け継がれていくことを願っていた。この今の想いは、込み上げてくる涙は祈り駆けてきた結果でしかない。
ここは、翔一が護ってくれた居場所。
千歌たちが護れなかった居場所でもある。
「千歌ちゃん」
左扉に、梨子と曜が手をかける。
「一緒に」
「閉じよ」
3人がかりで力を込めた扉が再び動き出す。鈍い耳障りな金属の軋む音を立てて、左右の扉が隙間なく合わさり、閉ざされた。