ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
愛の力こそ、人間の無限の可能性そのものだ。
――仮面ライダーゴースト
1
小原家の自家用ヘリで千歌たちが招待されたのは、ホテルオハラの小劇場だった。富裕層向けのリゾートホテルなだけあって、楽団の生演奏を聴きながらディナーを楽しませる空間の印象は豪奢のひと言に尽きる。
柔らかいカーペット張りの床に1列に並べられた椅子に促された千歌たちに、Marie’s Motherはステージに設置されたグランドピアノで曲を披露してくれた。滑らかな指使いで奏でられる音色に素直に感激しながら、でも未だ拭えない困惑も交えながら、千歌と、不測の客人だった鹿角姉妹は劇場の隅でただ曲に聴き入っている。
一体自分たちは何を見せられているのか。それにヘリでこの婦人から聞かされた事実の意味は。
鞠莉たちと連絡が取れない。
その話を詳しく聞きたいところだけど、娘そっくりなこの突拍子もない演出を今はただ受け止めるしかない。
ようやく曲が終わった。椅子から立ったMarie’s Motherは改めて千歌たちへと向き、
「皆さんの事はMarieからよく聞かされてました。学校の事、本当にありがとうございマース」
深く頭を下げられ、千歌たちも釣られて会釈を返す。花丸が声を潜め、隣のルビィに訊いた。
「ルビィちゃんは?」
「ルビィは、せっかくの卒業旅行だし連絡しないようにしてたから」
Marie’s Motherは少しばかり険のこもった声色で、
「あのハグゥとデスワの3人、一切連絡が取れなくなってしまったのデース!」
舞台役者さながらの大仰な身振りに確かな鞠莉の遺伝子を感じる。
「ハグゥとデスワ、て?」
と曜が謎の呼び名を反芻する。
「間違いなく果南ちゃんとダイヤちゃんね」
恐らく全員が抱いた予想を梨子が告げる。どうやら、この婦人は娘の親友をあまり快く思っていないらしい。
「あなた達なら、きっとMarieを見つけられるはず!」
からん、と千歌の足元に小さい何かが軽い音を立てて落ちてきた。丸い金色のそれはコインのようで、皮切りに天井に空けられた穴から大量のコインが降ってくる。千歌たちの腰のあたりまで埋め尽くしたところで、ようやくコインの雨は止んだ。天井の穴は、本来なら紙吹雪を散らすための舞台装置だろう。「あたっ」と運悪く頭にコインが直撃した善子の隣で、梨子が黄金に輝くコインの山を見渡しながら尋ねる。
「ま、まさか、3人を見つけたらこのお金を……?」
コインの柄からして日本硬貨ではなさそうだ。円に換算したらいくらになるのだろう。そんな現金なことを考えていたところで、コインを1枚手に取った花丸が表面の塗装を指で擦る。塗装は簡単に捲れて、露になった黒い表面に鼻をひくつかせると口に運んでひと言。
「これチョコずら」
「はい」とMarie’s Motherは満足げに頷き、
「渡航費用は出す、という意味のperformanceデース」
全身に脱力感を覚えながら「ですよねえ」と千歌は呆れ半分に応じた。流石はあの鞠莉の母なだけある。
「しかし本当に見つけてくれたら、それ相応のお礼はいたしますので、是非」
とMarie’s Motherはコートのポケットから金封を取り出す。
「ふ、任せて」
と善子はコイン型チョコレートの山から立ち上がり、
「この堕天使ヨハネのヨハネアイにかかれば、3人を見つけることなど、造作もないこと!」
「お金に目が眩んだずらか?」とチョコを食べながら花丸が皮肉を飛ばす。
「何言ってんの。次のライブの資金に決まってるでしょ!」
と反論したところで、「あああ、ライブ!」とルビィが声をあげた。
「そうだよルビィ達、ライブがあるんだよ!」
そうだった。準備期間も余裕があるとは言えない。
「でも行方不明なんだよね。心配は心配かも」
と曜が言った。時間は無いけど、そっちの方も気掛かりではある。
「どうする?」
梨子も重ねて訊いてきた。行方不明なら現地の警察に任せるのが最善かもしれないけど、この引っ掛かりを抱えたままライブの準備に集中できるかどうか。3人がかつてあかつき号で事件に巻き込まれたことを鑑みると、ここでじ、としているのも歯がゆい。
「行ってきた方が良いと思います」
そう言ったのは、ずっと静観を決め込んでいた聖良だった。
「先ほど、皆さんの練習を見て思ったんです。理由はどうあれ、1度卒業する3人と話をした方が良い、て」
「でも……」とまだ決めあぐねる千歌に、聖良は更に告げる。
「自分たちで、新しい1歩を踏み出すために今までの事をきちんと振り返る事は、悪い事ではないと思いますよ」
新しい1歩を踏み出すために、か。
裡でその言葉を反芻する。次へ進むために、今は過去のメンバーになってしまった3人の想いに、もう1度触れてみるべきだろうか。
少しだけ、怖かった。3人とまた会う事で、今抱えている不安や裡にぽっかりと空いた穴が、尚更に広がってしまいそうで。
「千歌ちゃん」
梨子の声に、千歌は俯いていた顔を上げる。
「聖良さんの言う通りだと思う」
続けて曜も、
「ライブの練習はどこだってできるし、これまでだってやってこれたじゃん。大丈夫、できるよ」
そうだった、と思い出す。無謀でも自分たちはやってきた。できない理由を探すんじゃなくて、できるための方法を探して。
うん、できるよね。絶対。
「分かった、行こっか!」
決意を固めて、コインの山から抜け出す。「Oh!」とMarie’s Motherはステージから降りて千歌に抱き着く。
「Verry verry thank youデース!」
「で、鞠莉ちゃん達3人はどこに卒業旅行に行ったんですか?」
千歌の質問をMarie’s Motherが答える前に善子がまくし立てる。
「北の試練の地? 南の秘境?」
修行に行ったんじゃないんだから、と言いたくなったがそれは無視して、恐らく行き先を知っているルビィが「それが……」と言いかける。「それが?」と花丸が先を促すと、ここぞとばかりにMarie’s Motherは再びステージに登った。
「3人が旅しているのは、わたし達小原家の先祖が暮らした地」
確か鞠莉は父が日本人で、母がアメリカ人だったと聞いている。Marie’s Motherの家系は数世代ほど前に大西洋を渡ってアメリカ大陸の地を踏んだという話も。
「それって……」
「もしかして――」
曜と千歌が予想を口にしたところで、劇場の照明が暗転した。すぐにステージのスポットライトが明転して、いつの間に降ろされていた巨大な地図を照らし出した。
「ここデース!」
Marie’s Motherが両腕を広げて示す地図は、地中海の辺りを拡大したもの。海に突き出したブーツのような形の国は目立つよう赤く着色されていて、国名が記されていた。
伊太利亜、と。
2
イタリア北東部で本土から切り離されて形勢された島々は、数にして数百もあるという。それらの島をひとつの自治体に纏め上げた区画は今ではイタリアという国のひと区画として組み込まれているけど、中世の頃では共和国として独立していて他国との貿易によって当時最大の商業都市として栄えた歴史を持つ。
栄華を誇った時代から数世紀が過ぎても、街の華やかさは健在で「水の都」や「アドリア海の真珠」という呼び名で観光業が盛んに行われている。
大陸本土から結ばれたコスティトゥツィオーネ橋を鉄道で渡った千歌たちは、ヴェネチアの玄関口であるサンタ・ルチーア駅に到着した。
「ヨハネ、彼の地に堕天!」
異国でも自身のペースを崩さず、むしろヨーロッパという堕天使の「本場」という事もあってか助長された善子の口上で、周囲にいた白鳩が驚いて一斉に飛び経った。
白亜の鳥たちが教会のドームを背景に蒼穹へ飛んでいく様は、このヴェネチアでは何気ない風景でも千歌にとってはさながら映画のワンシーンのようで気分が高揚する。
「着いた!」と曜は長旅で凝り固まった体を動かし、そのすぐ傍では花丸とルビィが駅前広場で売っていたアイスクリーム――この国ではジェラートと呼ばれている――に舌鼓を打っている。
「ピスタチオ、ボーノずら!」
と覚えたてのイタリア語で満足げな花丸に「はやっ」と呆れた顔を善子は向ける。
「チョコもあるずら」
「善子ちゃんも食べる?」
ふたりから差し出されたジェラートに善子は手を伸ばしかけたのだが、
「当たり前――でも前にこのパターンで酷い目に遭った記憶が………」
「でも食べる!」と誘惑に負けた善子はチョコレート味のジェラートを口に運び頬を綻ばせた。
「それで連絡は?」
梨子が訊くと、ストリベリー味のジェラートを食べようとしたルビィは視線を落とし、
「お姉ちゃんからは何も」
身内のルビィにすら来ないとは、余程の非常事態なのだろうか。千歌も一応、連絡はしてみたのだが、
「果南ちゃん鞠莉ちゃんからも無いまま。最初にこっちに来るよ、て送ったときに届いたのはこれだけ」
スマートフォンで果南から返信されてきた写真を表示する。水路のようだけど、土地勘なんて無いのだからどこだかさっぱりだ。場所を教えてほしかったけど、メールに文面はなく届いたのはこの写真だけ。
「この写真の場所に、取り敢えず行くしかないよね」
と曜は言うのだが、看板とか目印になるような物も写っていないからどこなのやら。
「ここ、すぐ近くだよ」
そう言ったのは、この捜索に同行してくれた月だった。「分かるの?」と千歌が訊くと「うん」と曜が自分の事のように、
「月ちゃん、小さい頃イタリアに住んでたから詳しいんだよ」
知り合ってまだ間もないのに千歌たちの問題に巻き込む形となってしまったが、当の本人は「ガイド役だね」と得意げに、
「分からない事があったら何でも訊いてよ」
これ程頼もしいガイドはいない。ここまでの入国手続きや店での注文など、日本語が通じない場面で既に何度も月には助けてもらった。幼い頃とはいえ、住んでいた土地の言語はまだ健在らしい。
「さあ、レッツヨーソロー!」
と敬礼しながら先陣を切る月に、曜は悔しそうに良いながら後を追いかけた。
「こら、それわたしの台詞!」
月の後に着きながら歩くヴェネチアの街は、水の都という呼び名に相応しくどこの通路を歩いても傍らには水が流れている。
「凄いね、どこに行っても河がある」
水面を注視しながら千歌が言うと、月は本物のガイドさながらに説明してくれる。
「街中水路が張り巡らされているからね。逆に車は通れないんだ」
「そうなんですね」と梨子は嘆息した。随所に小舟が留められていて、時折観光客を乗せた船が水路を通っていく。この街では水路が道路で、交通手段は船というわけだ。
「ここだよ」
水路に渡された石橋の上で月がそう言って足を止めると同時、「ピギィ!」とルビィの悲鳴が聞こえた。危うくはぐれかけるところだったのか、千歌たちのもとへ猛ダッシュしてきて「花丸ちゃーん!」と親友に抱き着く。抱き着かれた花丸は特に驚くことなく、「おお、よしよし」と優しくルビィの頭を撫でてあげた。後で訊いたら、土産物屋のショーガラスに並んでいた仮面が怖かったらしい。ヴェネチアでは年に1度カーニバルが催されて、人々は豪奢な衣装と仮面を付けて踊るという。
橋の上で、千歌はスマートフォンに送られてきた写真を表示して目の前の景色にかざしてみる。
「本当だ」
見事に一致した。「確かにここね」と梨子も写真と景色を見比べる。指定された場所に着いたは良いものの、当の3人はどこにも見当たらない。
ジリリリ、とベルのような音が鳴った。まるで日本のひと昔前のダイヤル式黒電話に似た音だ。音のほうに向くと橋を渡った先に広場があって、その中央に植えられた樹の下に公衆電話が設置されている。
「電話、鳴ってるね」
と曜が恐る恐る言った。公衆電話は受信できるものなのか。こちらではそういう仕様なのかもしれないけど、近くにいる現地人らしき人も眉を潜めていることから常識ではならいらしい。
怪しさ満載な音に動けずにいる千歌たちの中から、月が電話へと駆け寄って受話器を取る。千歌たちが追いつく頃、ほんの数秒ほどだったのだが、月は受話器を戻した。
「月ちゃん?」
千歌が呼びかけると、月は「ボーヴォロ………」と呟くとこちらへ振り向き、
「コンタリーニ・デル・ボーヴォロだ、て」
月曰く、電話の相手はそれだけ言って通話を切ったという。月以外の人間が取っていたら間違いなく何の事か分からなかった。本当に、月が居てくれて良かった。
目的地までの経路を月は熟知していて、地図なしで入り組んだヴェネチアの路地を進んでいく。縦横に水路が張り巡らされた市街みはまるで迷路だ。そんな街並みもあって、何だか宝探しでもしているみたい。
「ったく、どう考えても怪しいじゃない」
そう愚痴を零したのは善子だった。
「もしかして元老院………」
「良いから行くずら」
確かに怪しいのだけど、異国の雰囲気に高揚する気分はどうしてもこの旅が3人の捜索という目的を忘れさせてしまう。
「こっち?」
千歌が訊くと、月もこの辺りの記憶は曖昧なのか多分と周囲を見渡しながら答える。丁度その時に建物の陰から出て、陽光の眩しさに千歌は目を細めた。
目が慣れてくると視界に入り込んだのは、建物に据え付けられた円柱の塔。
「何これ!」
塔の外周には無数の白亜の柱が並んでいて、層の間に敷き詰められた赤レンガをアーチで支えている。斜めに並ぶアーチは真っ直ぐに伸びる塔に対してアンバランスなもので、他の景色まで斜めに傾いてしまうような錯覚を起こす。
「凄い!」
「中世にタイムスリップしたみたい」
曜と梨子が感嘆の声をあげる。建物の様式が他と異なるのが素人目でも分かるほどで、この塔が建てられた当時に居るみたいに思える。白亜の柱は長い年月で汚れているけど、その年季の入り方も風情がある。
「この建物の上にいるはずだけど」
月が言った。という事は、ここがコンタリーニ・デル・ボーヴォロなのか。
塔の最上階から、誰かがこちらへ手を振っているのが見えた。
「あ、お姉ちゃん!」
ルビィがそう呼ぶ。塔の中で、彼女の隣にはしっかりとふたりもいた。
「鞠莉ちゃん、果南ちゃん!」
その姿を認めると、千歌たちは真っ直ぐ塔に入った。塔そのものが螺旋階段になっていて、ぐるぐると回るように石の階段を駆け上がっていく。螺旋階段だから分かり辛いが、この塔の高さは日本の建築からすると7もしくは8階層になるらしい。そんな建物を休みなく一気に上ったものだから、最上階に辿り着く頃には流石に息が粗くなった。
「お姉ちゃん!」
いの1番に最上階に着いたルビィは、待ってくれていた3人へと走り姉の胸に飛び込む。
「よくここまで来ましたわね、こんな遠くまで」
妹を抱き留めたダイヤは、優しく言いながら「だって、だって……」と嗚咽を漏らすルビィの頭を撫でた。
「良かった、3人一緒だったんだね」
ひとまず無事で良かった。千歌が言うと鞠莉は「Of course! ずっと一緒だよ」と応えた。見たところ、完全に旅行の際中、といった様子だ。事件に巻き込まれたようには見えない。
「どうして行方不明に?」
ルビィが訊くと、3年生たちは一斉に眉を潜めて反芻した。
「行方不明?」
何だか色々と食い違いがある気がする。頭を抱える鞠莉を見て、千歌はそう思った。
「やっぱり、そういう事になってるのね!」
盛大な溜め息と共に鞠莉は言った。
「鞠莉のお母さんは、千歌たちに何て言ってたの?」
果南からの質問に「特には」と梨子が答える。千歌も続けて、
「ただ、行方不明になって心配だから、て」
そこでダイヤはここで初対面の人物がいることに気付き、
「で、そちらの方は?」
3人に月は特に臆した様子もなく、
「初めまして、渡辺月といいます。曜ちゃんの従姉妹です。よろしく」
敬礼する彼女を、「Oh, Verry pretty!」と口にする鞠莉は気に入ったらしい。この他人との距離を簡単に縮めてしまうのは、流石は曜の従姉妹といったところか。
そこに、遅れて到着した花丸が膝を笑わせながらやって来た。
「ここの階段、目が回るずら………」
床に倒れ込んだ彼女を、善子は「ご苦労」と彼女なりに労わる。ひとまず花丸にはそのまま休んでもらうとして、
「でも、千歌たちが何も知らされてない、て事は――」
果南が言うと、続いてダイヤは忌々し気に声を絞り出す。
「だしに使われた、て事ですわね」
「だし?」と千歌が訊くと、鞠莉がまなじりを吊り上げて答えた。
「チカっち達が来る、て分かればわたし達が必ずコンタクトを取る」
「それでおびき出して」と付け加えた果南は少し疲れているようにも見えた。
「捕まえよう、て魂胆ですわ!」
そう言ってダイヤがポケットから取り出したのは1枚のチラシだった。「MISSING!!」と書かれた下のは涙を浮かべた鞠莉の似顔絵と、その下には悪そうな顔をした果南とダイヤが描かれている。
「じゃあ行方不明、て嘘だったんですか?」
と梨子が訊いた。つまり千歌たちは、Marie’s Motherの思惑にまんまと乗せられていたわけだ。そもそもの話、どうしてこんな大掛かりな逃走劇が繰り広げられる事になったのか。それを訊こうとしたところで、最上階に他の観光客が来たようだった。千歌たち――というより鞠莉たち3人に視線を注いでいて、手にはチラシが握られている。どうやら、あの手配書はヴェネチア中に広がっているらしい。
「ここはあまり
鞠莉が呟くと同時、曜がくんくん、と鼻を鳴らした。既視感と嫌な予感がする。しかも今回曜のみならず、月までくんくん、と鼻を鳴らしている。
「曜、飛べ!」
と鞠莉が外へ放ったのは、ボーダー模様のポロシャツ。ヴェネチアのゴンドラ乗りの――
「せいふくうっ!」
と飛び出した曜と月の身体を、「駄目え‼」と全員がかりで掴んで何とか落下を防いだ。
「流石、曜ちゃんの従姉妹………」
手に冷や汗を滲ませながら千歌は呟いた。血は争えない、とはこの事を言うのか。
「ごめんなさーい!」
というダイヤの声が下の方から聞こえた。階段を駆け下りた3人が、塔から抜け出していくのが見えた。
「詳しい話はnothingデース!」
その鞠莉の声を最後に、3人の姿が路地の陰に消えていく。
「もしかして、鞠莉ちゃん達お母さんから逃げてるずら?」
まだ起き上がれずにいる花丸がその予想を口にする。何とか曜と月を引き揚げ、急ぎ呼吸を整える。
「すぐに追いかけよう」
そう言った千歌だけど、梨子は冷静に、
「無理よ。どこに向かったのか分からないし」
「でも……」
まだそう遠くには行っていないはずだけど、ここは慣れない異国の地。土地勘のある月がいるとはいえ、闇雲に追いかけるのが無謀であることは自明だった。
「これは……?」
と呟く曜の手に、1枚のカードがある。制服のポケットに入っていたらしい。もしかして手掛かりが、と期待して覗き込んでみたけど、書いてあるのはアルファベットの羅列。いや日本語書いてよ、と英語の成績が赤点ギリギリだった千歌は悪態を喉元に押し留めた。
「ヨハネが守護する地を見下ろす時、妖精の導きが行く先を示すであろう」
そう翻訳してくれたのは月だった。因みに書かれていたのは英語じゃなくてイタリア語だったらしい。「ヨハネ?」と反応したのは、堕天使ヨハネを自称する津島善子。
「違うよ、ヨハネが守護聖人の地、て事だと思う」
月には場所の目星が付いているのだろうか。「そんな場所が」と善子は嬉しそうに顔をにやつかせた。そんな彼女に月は面白そうに笑いながら、
「あるよ。守護聖人ジョバンニ、ヨハネの地」
ジョバンニにしろヨハネにしろ、次の目的地は決まったようだ。
入り組んだヴェネチアの市街には、そこかしこに鞠莉捜索のチラシが貼られている。せっかくの水の都の景観が台無しだ。もっとこの街を楽しみたかったけど、これ以上長居はできないからサンタ・ルチーア駅目掛けて駆けていく。千歌たちなら、仕込んでおいたメッセージに気付いてくれるはず。
「本気でこのまま逃げるつもりですの?」
走りながらダイヤが訊いてきた。どこか楽しそうなのは気のせいではないだろう。「嫌なの?」と果南が訊くと「嫌とは言ってませんわ」と答えてみせたのだから。
果南も走りながら笑っていた。
「わたしは好きだよ。小さい頃、鞠莉を連れ出して遊んだ時みたいで」
その懐かしさは鞠莉も同じだった。自室のバルコニーから抜け出して、ホテルの従業員たちに見つかって3人で逃走劇を繰り広げたあの頃に戻ったみたい。成長した分、今度の舞台は海外とスケールを広げて。
「すっかり、お嬢様じゃなくなっちゃいましたけどね、鞠莉さん」
ダイヤはそう皮肉る。あの部屋から連れ出したのはふたりなのに。でも、お陰で鞠莉の世界は広がった。やっぱりこの3人は楽しい、と思慕を抱きしめる。ふたりと一緒なら、どこへでも行ける、という確信がある。
ふと、鞠莉は思う。今の自分は逃げているのか。それとも、まだ何かを求めて追いかけているのか。ぐるぐると同じところをずっと回ってばかりで、実はどこにも向かっていないんじゃないか、と。
でも、それも悪くない。どこへでも走って行ってしまおう。この3人一緒なら、どこだろうと怖くない。鳥篭に押し込められるよりは退屈しないし、何よりも楽しいのだから。
「Let's go!」
3
北東部のヴェネト州から中部のトスカーナ州まで鉄道を乗り継ぎ、目的地に辿り着いた頃には陽も傾いていた。
「到着う……」
流石に疲れて、鞠莉はソファに腰を沈める。きっと母の追手がそこかしこにある事が予想できたから路線の経路を迂回した。タクシーも抑えられているかもしれないから、この邸宅までもレンタカーを借りる羽目になってしまった。本当に、運転免許を取って良かったと思う。
「凄いところですわね」
やっと一息つける邸宅のリビングを見渡し、ダイヤは言った。
「こちらも小原家の別荘なのですか?」
「これだから金持ちは」と果南がいつもの皮肉を漏らす。確かにふたりからすれば、少々広すぎるかもしれない。床や壁に大理石をふんだんに使っているから。勿論家財類は全てオーダーメイド。
「Yes――と言いたいところですが、実はこちらの知り合いにちょっとだけ貸してもらったの」
そう遠くないところに小原家所有の本来の別荘がある。母はきっと鞠莉たちがそこへ逃げたと踏んで、今頃無人の邸宅を訪ねて唇を噛んでいるところだろう。
「わざと千歌さん達に会い、居場所を教えてから撒いたわけですわね」
「Yes, そしたら向こうは逃げられたと勘違いして、別の街にある小原家の別荘を探し始める」
小原家の別荘は世界各地にある。イタリア国内だけでも10戸以上はあるはずだから、そう簡単に見つかることもないだろう。まさか娘が知人の伝手を頼んだ、と考え付くまい。
「時間が稼げるわけね」
いたずらに成功した子供みたいな口調で果南が言った。
「千歌さん達はどうするんですの?」とダイヤが訊いてくる。
「多分メッセージをちゃんと理解してくれれば、気付いてくれると思うんだけど」
「でも鞠莉のお母さんに言われたから、て本当に来るとはね」
伸びをしながら、果南が言う。千歌たちをだしに使うことは予想しなかったわけではないけど、当人たちが本当にここまで来た事には驚いていた。母の行方不明なんて狂言で振り回してしまって、申し訳なく思う。
「わたし達の事なんて放っといて、新しいAqoursを始めなさい、て言ったのに」
浦の星はなくなってしまう。それはどうしようもない。だからこそAqoursは続けて欲しい。ラブライブ優勝を果たした浦の星女学院スクールアイドルとして終わらせるのではなく、統合先の別の学校で別のメンバーになっても。それは結成当初の、鞠莉たちのいた9人のグループとは別物になってしまうかもしれない。でもそれで構わない。自分たちが奮闘した軌跡の1片でも、Aqoursという名前に刻み後の代にも歌い継いでもらいたい。
それが鞠莉たちの、去る者たちからの願い。
「恐らく言われたからではありませんわ」
ダイヤは言った。
「多分、何か話したいことがあるのだと思います」
そのために、わざわざこんな遠くまで。話したいことなんて、既に全部話したはずなのに。
「あら、もう来てたの」
そこで、リビングの扉が開けられた。長身のスーツを着た青年を伴って入ってきたのは、この邸宅の本来の持ち主――鞠莉の知人の女性だった。
この邸宅に来るまでの道中で小沢から知人が来ることになった、とは聞いていたが、リビングでくつろぐその知人たちを認め誠は目を丸くした。
「皆さん……」
相手側もブロンドの少女を覗くふたりが、誠と似たような目をこちらに返している。
「氷川さん……?」
と果南が声を絞り出す。まさかこんな異国の地で再会することになるなんて、誰が予想できるだろう。
「と、そちらの方は……?」
ダイヤが言葉を詰まらせると、鞠莉はソファから勢いよく起き上がり誠たちの前へと移る。小沢は困惑する少女たちにいつもの強気な声音を崩さない。
「こうしてちゃんと話すのは初めてだったわね、小沢澄子よ。氷川君の元上司、てところかしら」
そう自己紹介すると、ダイヤはしっかりと背筋を伸ばし、果南は少しぎこちなく礼をする。
「でも、何でふたりが?」
と果南が訊いた。「さっき言った、この家を貸してくれた知り合いなの」と鞠莉が答えてくれる。ふたりは「ええ?」と驚くが、正直なところ平静を装っていながら誠も驚いていた。小沢と小原家に繋がりがあったなんて初耳だ。
小沢は初めて訪れるはずの室内を我が物顔で歩きながら、
「この春からこっちの大学に勤める事になってね。そこの学長と小原さんのお父様が知り合いで、その縁で別荘のひとつを譲ってくれたのよ」
学長との挨拶で長話したせいか、疲れたと散々ぼやいていた小沢はどか、とソファに腰を落ち着ける。果南が傍に来て、
「もしかして氷川さんもですか?」
「いえ、僕はただの付き添いです。まだまだ警察官ですよ」
そう答えておきながら、誠の処遇はまだ審議中だ。待機中だから、と半ば無理矢理イタリアまで連れてきて貰っている身。
「それにしても」と小沢は豪奢なリビングを見渡し、
「小さなアパートで良い、て言ったのに、あなたのお父様も極端なものね。こんなお屋敷ひとりで暮らすには広すぎるわ」
譲ってくれた家の令嬢に向けるには不遜な言葉を小沢は言い放つ。でも鞠莉は気を悪くした様子もなく笑いながら、
「パパにとって、あなたはこれくらいの家に見合った人、て事デース。
「professorね……」と小沢は溜め息をつき、
「啖呵切って警察辞めたけど、どうにも教授、て柄じゃないのよね。慣れるまで時間が掛かりそうだわ」
「啖呵とは」とダイヤは少し緊張気味に尋ねる。
「何かあったんですの?」
「ええ、まあ色々とね。私に警察は合わなかった、てだけよ」
半ばはぐらかすように小沢は答えた。本来なら懲戒解雇どころか告訴されてもおかしくない事を起こしたのに、実質お咎めなしで済まされたのはひとえに彼女の才能を上層部が惜しんでの事だろう。問題を内輪で処理したかった、という邪な思惑もあったのかもしれないが。気遣ってか、3人はそれ以上掘り下げるような事は聞かなかった。
「ほら何突っ立ってんのよ。あなた達も座りなさい。お互い長旅で疲れてるでしょ」
すっかりこの家の主人になった小沢は、ひとりでは大きすぎるソファに誠たちを促す。丸テーブルを囲み、棚から引っ張り出したティーセットで紅茶を飲む。ビールのように1杯をすぐに飲み干した小沢が切り出した。
「それで、あなた達はいつまでここに滞在する予定? 小原さんから事情は聞いてるけど、生憎私も今回は下見に来ただけだから、あまり長くは匿えないわよ」
「早ければ今日か明日にはチカっち達もここに来るはずだから、合流したらわたし達もおいとまします」
「千歌さん達もこちらに?」と誠は訊いた。果南は苦笑しながら、
「わたし達が行方不明、て聞いて飛んできちゃったみたいで」
それで遠路はるばる来るとは、彼女たちの行動力には驚かされる。ダイヤも溜め息をつきながら満更でもなさそうに、
「やらなければならない事、沢山あるはずですのに」
やらなければならない事。そう裡で反芻し、誠は浦の星が統廃合になった事を思い出した。この時期、彼女たちは新しい学校への編入準備で多忙だろう。
「そうそう。翔一の事だってあるのに」
何気なく鞠莉の放ったそのひと言に、誠は思わず口に含んだ紅茶を吹き出しそうになった。何とか飲み込んで、高価そうなカーペットを汚さずに済む。
「皆さんは、津上さんの居場所を知っているんですか?」
訊いてみるが、「いえ、まったく」とダイヤに即答される。でも何故だろう。3人の顔からは全く悲哀の色が見えない。
「でも千歌は、翔一さんを連れ戻すつもりみたいですよ」
果南の言葉を、誠は驚愕と共に反芻した。
「津上さんを、連れ戻す?」