ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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 患者の運命は、俺が変える。

――仮面ライダーエグゼイド 宝生(ほうじょう)永夢(えむ)




第3話

 

   1

 

 重いスーツケースを持ち上げて駅のホームに降りると、千歌は「ふう」とヴェネチアからの長い道程に溜め息をつく。

「フィレンツェ到着う……」

 移動に結構な時間が掛かったものだから、空も朱色を帯びてきている。「どうする?」という曜の問いに、車内販売で購入したお菓子を完食していた花丸は「とにかく何か食べるずら」と提案した。まだ食べるの、とルビィは親友の食欲に驚くけど、3年生たちを追いかけるため昼食も満足に摂れなかったから空腹は否めない。他の皆も同じようで、「賛成!」と声を揃えた。

 フィレンツェで食べるならここ、と月が案内してくれたのは、中央広場にあるメルカート・チェントラーレという名の大型ショッピングモールだった。この施設ひとつにイタリア中の食文化が凝縮されていて、メニューの豊富さからどれを食べようか迷ってしまう。

「モルトボーノずら!」

 月お勧めの名物料理パニーノ・ランプレドット・ペルファボーレ——牛のモツ煮込みをパンで挟んだハンバーガーのようなもの――にかぶりつき、花丸は満面の笑みを浮かべた。隣に座る梨子が「どういう意味?」と訊くと「とっても美味しい、て事ずら」と応えてまたかぶりつく。

「メッセージを見てここまで来てみたものの………」

「鞠莉ちゃん達どこにいるのかな?」

 千歌と曜はそう言って、広いフードコートを見渡す。流石は観光名所なだけあって様々な人種が行き交って食事を楽しんでいるけど、3人らしき一行は見当たらない。ヨハネの守護する地、とメッセージにあった土地は月曰くこのフィレンツェで合っているそうなのだが。

「待っていれば向こうから接触して……来るのかしら?」

 梨子の言う通り、期待はあまりできなさそう。何の事情から分からないけど、Marie’s Motherの追跡から逃走中の3人が自分から動くなんてリスクは犯さないだろう。

「携帯は?」

 曜に訊かれ、ルビィはスマートフォンのメール着信を表示させる。新しい着信は来ていない。電話のほうも履歴はなし。「何も……」とルビィは沈んだ声で応じ、

「多分、携帯だと鞠莉ちゃんのお母さんに分かっちゃうようになっているんだと思う」

 「そっかあ」と千歌は椅子に項垂れる。お姉ちゃん、とルビィは裡で姉を呼ぶ。せっかく会えたのにすぐ行ってしまった。姉妹なのだから、せめてルビィには何か伝えてほしかった。

「はいお待たせ!」

 と料理の注文に行っていた月が、ルビィ達のテーブルに厚みのある大振りのステーキの皿を置いた。

「わ、何これ?」

「でかっ!」

 と千歌と曜はその肉の巨大さに目を剥く。

「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ。ここの名物だよ」

 月はルビィに無言のままウィンクをする。大丈夫、と言われたような気がして、少しだけルビィの寂しさも紛れることができた。

「頂くずら!」

 と真っ先にフォークを手に取った花丸は「善子ちゃんも――」と近くの席にいるだろう善子を呼ぶが、当の本人は近くのどこの席にも座っていない。

「あれ、善子ちゃん? 善子ちゃーん。ヨーハーネーちゃーん!」

 花丸がヨハネの名前で呼んでみても反応はない。「消えた?」と千歌が呟くと、梨子は呆れた表情で、

「あの堕天使。今度は自分が行方不明になってどうするの」

 施設が広いからはぐれてしまったのだろうか。というよりいつからいなくなったのか。

「心当たりは?」

 月が訊いた。「あるとすれば」と曜が唸る。心当たりも何も、善子もイタリアは初めてのはずだから勝手にどこかへ行きそうにはないのだが。

「………ヨハネ」

 ここまでの記憶を辿ってみて、ルビィは思い出した。電車の中、善子が憑かれたようにガイドブックを見ていた事を。

「善子ちゃん、ヨハネ、てずっと呟いてた」

 食事を早々に済ませ――というよりは料理の大半を花丸に食べてもらって――ルビィ達は中央広場から出発した。

「ったく、いつもいつも」

 花の都と名高い街並みを楽しむ余裕もなく走りながら、梨子は愚痴を零した。善子が向かったと予想される場所はフィレンツェ市街でも指折りの名所らしく、建物の周囲に他の観光客たちが集まっている。外壁にも彫像が立ち並んでいて、まさに荘厳という言葉が相応しい。

「うわあ、でっかあ!」

 その箱型の巨大建造物を見上げ、千歌は声をあげた。あまりにも高いものだから、ずっと見上げたままだと首が疲れてしまいそう。「何これ、凄い!」と曜もすっかり善子捜索を忘れて建物に見入っている。

「ドゥオモ」

 月が言うと、梨子が「どうも?」ととぼけた返しをしてしまう。後で訊いたら、ドゥオモとは大聖堂の意味。月は笑いながら、

「この街で1番有名な建物だよ」

 箱型の建物の奥をよく見ると、空高くドームが屹立している。見るだけでも目が輝くフィレンツェの街で、このサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂はまさに街のシンボルと言っても過言じゃない。

「凄いわね。こんな大きいものが街中にあるなんて」

 この辺り一帯は歴史地区として登録されているはずだから、この大聖堂も建てられた当時のままの姿を保たれているのだろう。当時の街中の人々が、ここに集まって神に祈りを捧げていた。ルビィが産まれるよりもずっと過去の光景を想像していたところで、梨子が険のこもった声で言った。

「――てそれより、あの堕天使は?」

 どこへ行っても目立ちそうなのだが、生憎それらしき人物は見当たらない。

「いないね」

 徒労に終わってしまった事に疲れながらルビィが言った。

「探し人ですか?」

 そこへ、背後から声をかけられる。イタリアなのに日本語で話しかけられたことに何の違和感も覚えることなく、「はい、そうなんです」と千歌は疲れた首筋を揉みながら答える。

「ルビィ達と同じ年頃で」

「身長も同じくらいで」

「いつも騒がしくて」

 ルビィと曜と梨子も、探し人の特徴を順に述べていく。

「自称堕天使の痛い女の子ずら」

 と花丸が最大の特徴を言ったところで、ルビィ達はその親切な人物へと振り向いた。

「なるほど、それはとても崇高なお方………」

 大聖堂の前に建っている小さな礼拝堂を背に立つその姿を目にして、ルビィ達は「わあっ!」と一斉にたじろいでしまう。

「善子ちゃん!」

 間違いなく善子だった。何故か背中に白い翼を、頭のシニヨンにはいつもの黒じゃなくて翼と同じ白い羽を挿している。

「何してるずら?」

 花丸がおずおずと訊いた。「善子ではありません、ヨハネです」と返される。いつもは噛みつくようなのに、今は何故か余裕が窺える。高貴、というには少しずれたような振る舞いだが。

「本当に心配したんだから」

 と言いながら梨子は善子のどこの歌劇団か分からない出で立ちを足元から見上げ、

「で、その恰好は何? 捕まるわよ」

「落ち着きなさい、凡人リリーよ」

「もの凄く落ち着いてる。て、リリー禁止、て言ったわよね」

 凡人、という言い方にルビィは違和感を覚えた。いつもならリトルデーモンなのに。それに堕天使なら翼は黒いはずでは。

 善子は言う。

「わたしは今、堕天使ヨハネではありません。守護聖人ヨハネのこの地で、天使の洗礼を授かったのです!」

 突き出された彼女のスマートフォンには写真が表示されている。いつものピースサインで目を囲った自撮りの背景にあるのは、すぐ後ろにあるサン・ジョバンニ洗礼堂の天井画だという。ジョバンニとはヨハネのイタリア語発音。確かにここはヨハネの名を持つ聖人ゆかりの地だった。

「色んな子がいるんだねAqours、て」

 月が面白そうに言った。退屈はしないけど、流石にここまで振り回されるのは勘弁してほしいところだ。「心配して損した」と梨子が肩を落としている。何にしても、無事だったことは喜ぶべきだろう。

「さあ皆さん、この天使ヨハネの導きによって、あの天上界を目指しましょう」

 と善子が指さしたのは、大聖堂のドーム。「天上界?」と反芻する曜に「クーポラだよ。ドゥオモの天蓋」と月が言った。

「丁度本日最後のお導きが空いておりました」

 と善子は懐から紙の束を取り出し、

「はい、おひとり15ユーロお納めください」

 「お金取るの?」「それ単なるチケットじゃん」と梨子と千歌が突っ込みを入れる。払えば導かれるとは、随分と安上がりな神様もいたものだ。

「全然天使じゃないずら」

 と花丸がその慈悲の無さに呆れ果てる。現世で徳を積めば天国や極楽浄土に逝ける、なんて話は聞いたことがあるけど、その徳とはまさか金銭では、なんてあまり熱心でもない信仰心が完全に失せそう。でもやっぱりドームには登ってみたいから、ルビィ達はチケット代を立て替えてくれた善子にしっかりと15ユーロを渡して大聖堂に入った。

 大聖堂内部には至る所に絵画や彫像といった芸術作品に溢れている。月によると、様々な芸術家たちが聖書の場面を切り取ってこれらの作品を作り上げたらしい。祈りを捧げる教会というよりも美術館みたいだ。ドームの真下から見上げた天井には『最後の審判』が描かれていて、ずっと見ていたら本当に天へ昇ってしまいそうな錯覚にとらわれる。

 屋内の鑑賞を楽しんだ後、ルビィ達はドームの頂にある展望台に登る。

「赤い屋根ばっかり」

 一望できるフィレンツェの街を見渡して、曜が感嘆の声をあげた。

「日本だとあまり見ないわよね。こんなに統一された街並み、て」

 梨子が言う。あまりの高さに少し慄きながら、ルビィも眼下の街を見下ろしてみる。本当に、どこの家屋も赤褐色の屋根だった。民家も店も関係なく。

「何百年も前からずっと同じなんだよ」

 と月が説明してくれた。中世にルネサンス文化が花開いた都。芸術が盛んだった当時のまま、街全体が保全されているらしい。何気なく見下ろした家も、かつては工房やアトリエだったのかもしれない。

「ここの階段、急すぎるずら………」

 展望台に据え付けられたベンチに深く腰掛けた花丸は、まだ街の景色を眺める余裕がないらしい。

「昔の建物だから、エレベーターとかないもんね」

 とルビィは言った。あの急な階段を上り切っただけでも十分凄い事だ。途中で息を切らして休憩していた観光客と何度も遭遇したのだから。

「満ちている。ヨハネの精霊たちが囁く、祝福と福音の空気が」

 善子がそんな事を言っていた時、きら、と光がルビィの目に入り咄嗟に目を瞑った。再び目を開く。西陽を直視したと思っていたが、どうやら違うらしい。

「あれは……妖精の瞬き!」

 善子にも同じものが視えていたらしい。「何?」と呟く千歌にも。ルビィの目を射貫くような赤い光は、フィレンツェ郊外の丘の方角で瞬いていた。一定間隔で点滅していると思ったが、よく見るとリズムが不規則であることに気付く。

「合図、してるみたいだけど」

「そういえば妖精の導き、て………」

 曜と月はそう言って、鞠莉が制服に仕込んでいたメッセージカードを眺めている。

 ヨハネが守護する地を見下ろす時、妖精の導きが行く先を示すであろう。

 ルビィは思い出す。以前ダイヤから教えてもらったことがある。幼い頃に果南と一緒に鞠莉を連れ出す際、鞠莉の部屋から見えるよう懐中電灯をトン・ツーのリズムで点滅させていた、と。モールス信号という、昔使われていた通信技術らしい。

「あの光は、お姉ちゃん!」

 

 

   2

 

 光の瞬いていた、と大雑把な目印だったが、タクシーを手配した千歌たちは難なく目的地に到着することができた。何せ郊外の森林地帯は富裕層たちの別荘地区で、広大な土地に建つ邸宅は所狭しとは並ばず森を挟む余裕があるのだから。光のあった場所を目指すと、その辺り一帯を所有する邸宅は1戸に限られる。

 そのとても立派な屋敷の前に到着する頃になると、既に陽は暮れていた。入口にある門の前に立ったところで、インターホンらしきものが見当たらないから仕方なく千歌は大声を張り上げる。

「こんばんはー!」

 彼女の声が辺り一帯に反響していく。すぐに玄関の両扉が開いて、長身の人影が門へと駆け寄ってきた。

「皆さん、よくここまで」

 丁寧な口調で門を開けるその人物を、庭に立てられたランプが照らし出す。

「氷川さん⁉」

 使用人かと思ったらまさかの知人に、千歌は驚愕の声を漏らす。「何で氷川さんが?」「氷川さんも鞠莉ちゃん達を?」と曜や梨子からも質問の雨がやまない。

「そう、あなたも妖精に導かれたのですね」

 善子の言葉には「は?」と眉を潜められたが、そこは花丸が「相手にしなくて良いずら」とフォローしておいた。

「取り敢えず中に入ってください。3人が待っていますよ」

 そう言って、誠は門を開けて千歌たちを迎えてくれる。

 

 千歌たちを邸宅に入れると、誠は3年生と小沢の待つリビングへと案内した。ここで残りの面々と初対面である小沢は誠の元上司として、千歌たちの方からは渡辺月という曜の従姉妹から互いに自己紹介を交わした。

 小沢はひとりで住むには広すぎる、なんて文句を言っていたが、少女たちにとってこの邸宅の豪奢さはおとぎ話から出てきた光景のように映っているらしく目を輝かせている。

「今度は着けられなかった?」

 ソファでお茶を飲んでいた果南が訊くと「大丈夫」と曜が敬礼で応えた。

「何度も道を変えたりして、ここまで来たから」

 慣れない土地で疲れているだろう彼女たちのために、誠はテーブルにティーカップを並べる。流石は上流階級の邸宅。大勢の客人をもてなすための道具が一式揃えられていて、この広間とも呼ぶべきリビングに10人以上が集まってもまだ余裕がある。

 「お姉ちゃん!」とルビィがダイヤの胸に飛び込んだ。妹を大事そうに抱きしめ、ダイヤは千歌たちに訊く。

「それにしても、本当にこんなところまで来るなんて」

「ママからは何か連絡あったの?」

 鞠莉の質問に千歌は「ううん、特には」とかぶりを振る。

「一体何があったの、お母さん?」

 梨子の質問に鞠莉は「うん、ちょっと」とはぐらかそうとする。

「ここまで来たんだよ、教えてよ鞠莉ちゃん」

 千歌が急かした。ろくに事情も聞かされないまま来てくれたのだから、打ち明けるべきだとは思う。もっとも、鞠莉の気持ちも理解できてしまうのだが。

「確かに千歌さん達が可哀想ですわ。このまま隠しておくのは」

 とダイヤが言った。「でも……」と鞠莉はそれでも口をつぐもうとする。痺れを切らしたのか、紅茶をひと口のんで果南がさらり、と言ってのけた。

「実はね、鞠莉が結婚するの」

 その告白に場の全員が沈黙する。しばし逡巡した後、千歌が口を開いた。

「誰かと戦うの?」

 「それ決闘」と果南が突っ込みを入れる。次に曜が、

「綺麗好き?」

 「潔癖ですわ」とダイヤが突っ込む。

「面白い話?」

 ルビィには「傑作ね」と小沢が。

「マルはそのラストが気になるずら」

 花丸には「結末です」と誠が。

「ぐぬぬぬ……」

 とどこへやら手をかざす梨子に善子が「結界かしら」と便乗する。

「だから結婚だ、て」

 果南が再び告げると、おとぼけ合戦は終了し「ええええ⁉」と千歌たちは大声をあげる。

「結婚?」

「いつの間に?」

「誰と誰と誰と誰と?」

 曜と花丸と梨子に詰め寄られた鞠莉は「Wait」と宥め、

「しないよ。果南、ふざけないで」

 抗議を向けられた果南は至極冷静に応じる。

「でも実際このままだったら、そうなっちゃうでしょ」

「だから、そうならないようにしてるんでしょ」

 千歌たちを待つ間に誠と小沢も聞いたが、彼女たち程でないにしろ驚いた。千歌はまだ状況が咀嚼しきれていないのか頭を抱え、

「もう分かんないよ、どういう事?」

 「つまり」とダイヤが答える。

「縁談の話がある、という事ですわ」

「しかも相手は1度も会った事もないような人」

 鞠莉は深い溜め息と共に言った。断固拒否したから相手の事についてはろくに聞かなかったそうだが、何でも小原家と交流のあるスマートブレイン社の若社長だとか。

「どうして?」

 ルビィの率直な質問に、果南は溜め込んだ苛立ちをぶつけるようにカップをソーサーに乱暴に置き答える。

「鞠莉の自由を奪いたいから」

 そのあまりにも理不尽な理由での縁談だからこそ、誠も小沢も大人として「親の言う事は聞け」なんて屋敷から追い出せなかった。これでは、人間という種の可能性を潰そうとしたアンノウンとやっている事が一緒じゃないか。

 ダイヤが重苦しそうに言う。

「鞠莉さんのお母様は、昔からわたくし達の事を良く思っていないのですわ」

 続けて果南が、

「それまで素直に言う事を聞いていた鞠莉が、わたし達と知り合ってからどんどん勝手に行動するようになって」

「高校も勝手に浦の星に戻って、理事長に就任して」

 ダイヤが告げた事に、誠は内心で驚いていた。鞠莉が浦の星の理事長という話はでたらめな噂だと思っていたから。そんな誠の驚愕など知らず、ダイヤは続ける。

「スクールアイドルに対しても、良い印象は無かったのかも」

 「だから、て……」と千歌は言葉を詰まらせた。誠も親の気持ちは理解できなくはない。鞠莉たちにはあかつき号事件に巻き込まれた過去があるから、尚更に娘の前途が気に掛かるのだろう。困難から護るための善意なのかもしれないが、護るのと籠の中に束縛するのは違う。

「じゃあ、もしかして卒業旅行も?」

 曜は早くも察しがついたらしい。「そ」と鞠莉は応じ、

「ママに分かってもらおうと思って書き置きしてきたの。わたしはもうあの時のわたしじゃない、て。自由にさせてくれなきゃ戻らない、て」

 「計画的犯行じゃない」と、ここまで来させられた苦労を思ってか梨子が溜め息交じりに言った。そう、要は壮大な家出というわけだ。

「まさかここまで必死に追いかけてくるとは思わなかったけど」

 そう言って果南は伸びをした。どちらの事情も分かるだけに、誠はどっちの味方をしてやればいいのやら。親子の相反する強引さはどっちもどっち、と言うべきか。

「私から見れば、どっちもどっちね。あなたもお母様も」

 誠が喉元に押し留めていたものを、小沢が逡巡もなく言ってしまう。

「お母様はあなたの意思を、あなたはお母様の言いつけを無視し続けた。これはお互いの言い分に耳を貸そうとしなかったツケよ」

 容赦のない言いようだが正論だ。似た者親子の、1歩も譲らない強情さが招いた騒動なのだから。

「わたしは、ママに自分の人生を狭めてほしくないだけ。これ以上わたしを縛り付けるなら、勘当されたって構わない」

 と意地なのか鞠莉は反論する。だが小沢に反論なんて無謀なもので、

「ならお母様にそう伝えて本当に勘当してもらう? ご実家からの援助もなくなって、路頭に放り出される覚悟はあるの? 言っておくけど、あなたのようなお子様が自力で生きていけるほど世の中は甘くないわ」

 ああ、と誠は頭を抱えた。少女相手にここまで畳みかける事もないだろうに。本当にこの元上司は手加減というものを知らない。

「まあ、あなたの家の問題だから私は口出しできないけど、よく考える事ね。本当にやるべき事は何か」

 そう言って小沢はソファにふんぞり返る。見事に論破された鞠莉は勿論、他の誰も小沢に何も言えずにいる。物申したところで、1言えば10倍にして返されるのは目に見えているのだから。

「すみません、あれでも小原さんの事を気に掛けているんです」

 と誠は小声で鞠莉に囁く。フォローになっていれば良いのだが。口を結んだ鞠莉は小沢を睨んだが、すぐにそっぽを向いてしまった。

「争いごとは止めましょう。皆、心穏やかに」

 なんて声がバルコニーから聞こえたから出てみたら、善子が柵の上に立って夜空を仰いでいた。

「何やってるずら?」

「津島さん、危ないですよ」

 花丸と誠の忠告も聞かず、善子は説教じみた事を言い続ける。

「それがこの、天使ヨハネの願――」

 言いかけたところで、善子は足を踏み外してバルコニーから落ちた。「いいいいっ!」という彼女の悲鳴と共にがさがさ、と葉や枝が擦れる音がする。その音で事に気付いた中にいる面々が出てきて、全員でバルコニーの縁へと駆け寄った。

「善子ちゃん!」

「大丈夫?」

 花丸とルビィの呼びかけに、すぐ傍に植えられた樹の中でもぞもぞ、と何かが動いた。目を凝らして見ると、枝葉に運良く受け止められた善子だった。「良かったあ」と千歌が安堵の溜め息を漏らす。

「本当堕天使ね」

 梨子の言葉に、枝の中から善子はまくし立てる。

「何上手いこと言ってんのよ! てか助けなさいよおおおおお!」

 「やっと元に戻ったずら」と花丸が言うと全員で吹き出した。誠が救出に向かったところ、善子にこれといった外傷は無かった。服も少し汚れたが、破れた箇所はない。

「堕天使降臨!」

 少なくとも、戻った広間でこんな口上を述べるくらいには健在だ。運が良いのか悪いのか。

「ていうか、元がこれ、ていうのがそもそも問題なんだけど………」

 と溜め息をつく梨子に善子は人差し指を向ける。まだ服にこびり付いた木の葉が一挙一動する度に床に落ちた。

「お黙りなさい、リトルデーモンリリーよ!」

「リリー禁止!」

 ひとまず善子の無事が確認できたところで、果南が切り出した。

「小沢さんの言う通り、これからどうするか。千歌たちも巻き込んじゃったんだから、ちゃんと考えないと」

 「ですわね」とダイヤが同意を示す。「そうだわ」と声をあげた鞠莉が、不意に誠へと視線を向けた。

「氷川さん、ママの前でわたしの恋人の振りしてくれない?」

 突拍子もない提案に全員が「ええ?」と眉を潜める。当然、誠もだ。

「え、僕がですか?」

 「そうそう」と鞠莉は名案とばかりに誠と腕を組んできて、

「アンノウンから助けてもらった時にお互い好きになった、ていう設定で」

「それは不味いです。小原さんはまだ高校生で――」

「もう卒業したわよ。それに果南だって涼とずっと前から付き合ってたんだから」

「葦原さんと? そうだったんですか?」

 と転嫁された果南は「いや、まだ付き合ってませんから」と慌てて両手を振る。「まだ?」と鞠莉が反芻すると墓穴を掘ったことに気付いたのか、果南は顔を耳まで朱くして黙りこくってしまった。

「とにかくお願い。もう相手がいれば結婚なんてなくなるし、せめてママの前だけでも」

 そんな事をしたら誠の立場が危ういじゃないか。嘘にしても警察官が未成年の少女に手を出した、なんて噂が本庁に広まってしまったら、と思うと冷や汗が背中を伝う。

 そこへ、小沢が口を挟んだ。

「小原さん、からかうもんじゃないわよ。氷川君は恋愛経験ないんだから」

 「小沢さん!」と誠は抗議する。だが小沢は涼しい顔のまま、

「あら、あるの?」

「それは………、ありませんが」

 学生の頃はテニス、警察に入ってからは仕事に打ち込んできたから恋愛なんてしている暇がなかった。我ながら何て寂しい青春だろう。腕を離してくれた鞠莉から背中を優しく叩かれた。何だか酷く惨めな気分だ。

 ばん、と乱暴な音と共に広間の扉が開けられた。誠たちが一斉に視線を向けた先にいるのは、鞠莉とよく似たブロンドの婦人。

「ま、ママ……!」

 と鞠莉が声を絞り出す。不敵に微笑んだMarie’s Motherは唯一平静を保ったままでいる小沢へと向き、

「Thank you, Ms.小沢」

 「小沢さん?」と誠は彼女に目を向けた。小沢は短く溜め息をつき、

「ごめんなさい。あなたのご両親はパトロンだから、いつまで隠すわけにもいかなくてね。でも逃げても解決はしないわ。そうでしょ」

 Marie’s Motherはまなじりを吊り上げて娘のもとへ歩いていく。

「こんな所で隠れているとは、またハグゥの入れ知恵デスカ?」

「違うわ」

 とうとう腹を決めたのか、鞠莉は母を向き合う。

「わたしが考えたの。ママがしつこいから」

「しつこくしてこなかったから、こうなったのデス。小学校の頃、家から抜け出した時も。学校を救うために、こっちの高校をほったらかして、浦の星に戻った時も。パパに言われてぐ、と堪えてきマシタ。しかし、その結果がこれデス」

「これ、て………」

「分からないのデスカ? 何ひとつ良い事は無かったではないデスカ。学校は廃校になり、鞠莉は海外での卒業の資格を貰えなかったのデスヨ」

「待って、でもSchool Idolは全うした。皆と一緒にラブライブは優勝したわ」

 「それが?」とMarie’s Motherは撥ねつけるように返す。

「一体、School Idolとかいうのをやって、何の得があったのデス?」

 反論がないのを良い事に、Marie’s Motherは吐き捨てた。

「下らない」

 その言葉に、誠は無意識に眉間に皺を寄せていた。娘の努力を下らない、なんて母親の言う事か。娘のみならず、この場にいる彼女の友人たちをも侮辱する言葉に憤っていたのは誠だけじゃない。誠が微々ながらも頑張りを見てきた千歌はき、とまなじりを吊り上げていたのだから。

 Marie’s Motherへ足を踏み出そうとする千歌だったが、寸でのところでダイヤが腕を伸ばし制止する。冷静だったが、ダイヤもMarie’s Motherへ険しい視線を向けているのは変わらない。

「こういう人なのデス」

 鞠莉は諦めのように零した。彼女の隣に果南が立ち、

「だから、わたし達が鞠莉を外の世界に連れ出した」

 「Shut up!」とMarie’s Motherは一蹴し、

「とにかく、鞠莉の行動は私が――」

 娘の手を掴み無理矢理にでも引こうとしたのだが、「下らなくなんかない!」と鞠莉は抗う。鞠莉の手を果南とダイヤが掴み、Marie’s Motherのもとへ行かせまいと留まらせた。

「School Idolは、下らなくなんかない!」

 鞠莉は繰り返す。Marie’s Motherは手の力を緩めたが、それでもまだ娘の手を離そうとしない。

「もしSchool Idolが下らなくなんかない、て、凄く素晴らしいものだ、て証明できたら、わたしの好きにさせてくれる?」

 鞠莉たちの周囲に、千歌たちも集まっていく。一緒にスクールアイドルを、Aqoursとして共に努力してきた者として。

「ママの前で、School Idolが人を感動させる事ができる、て証明できたら、わたしの今までを認めてくれる?」

 「縁談なんかやめて」と果南も強気に告げる。続いてダイヤも。

「わたくし達と自由に、会う事を認めて頂けますか?」

 Aqours全員から注がれる視線と、Marie’s Motherは臆すことなく対峙し続ける。所詮は子供。烏合の衆と見ているのか。

「良いでショウ」

 ようやく、鞠莉の手が離された。「ママ?」と呼ぶ娘に、Marie’s Motherは厳しい口調を崩さない。

「ただし、駄目だったら私の言う事を聞いてもらいマース」

 つかつか、とブーツを鳴らして広間から出ていく彼女を、誠は小沢と共に礼をして見送る。

 ひとまず嵐は去った、という事だろうか。ほ、と胸を撫でおろす少女たち、その中の千歌のもとへ行き誠は尋ねる。

「千歌さん。津上さんを連れ戻す、と伺ったのですが」

 「え、ああ」と思い出したように宙を眺める千歌に、立て続けに質問を連ねていく。

「どうやって連れ戻すんです? 彼がどこにいるのか、知っているんですか?」

「実は……?」

「実は?」

 苦し紛れにはにかみながら、千歌は答えた。

「まだ、考えてなくて」

 

 

   3

 

 イタリアまで来たにも関わらず、小沢に付き合っての夕食は現地のレストランではなく、彼女にあてがわれた邸宅で摂る事になった。ピザやパスタといった洒落たものを好まない彼女が当然のように選んだ献立は、日本にいた時と同じ焼肉。

 じゅう、とホットプレートの上で焼かれた肉が、脂を跳ねさせている。ビール瓶片手にトングで肉を次々と並べていく彼女に、高価そうな家財に匂いが移ることなんて気にならないらしい。

「こっちのビールはいまいちね。日本から取り寄せようかしら」

 わざわざグラスに注がず現地銘柄のペローニをラッパ飲みした小沢はそう零した。「はあ……」とがらんどうに応じながら、誠は行儀よくグラスに注いだアイスティーを飲む。

「何、まださっきの事引きずってるの? まあ具体性もなく突っ走っちゃうのは、あれくらいの歳頃ならよくある事よ。大目に見てあげなさい」

 千歌のおとぼけに肩を落としたのもある。

「それもあるんですが………」

ローマに向かうと彼女たちが出ていった屋敷の広間は酷く寂しいものに感じた。近いうちに、小沢がここにひとり暮らすことになるなんて想像もつかない。

「少し、不安になってしまって………」

「不安? 何も心配する事なんてないわよ。私が口添えしておいたんだから、氷川君が警察をクビになる事は無いわ」

「いえ、そうではなく……、小沢さん無しで、G3ユニットはこれからどうなるのか、と」

 「そうね……」と小沢は肉をひっくり返し、

「まずユニットは解散になるでしょうね。今度こそ間違いなく」

 やはりそうか、と誠は深い溜め息をついた。そもそも結成当初から色々と問題が指摘されていた部署だ。本当に運用するに足るのか、予算を多く割り振り過ぎなのでは、とか。アンノウン出現で有耶無耶になっていたところだが、誠たちが起こした行動で今度こそ止めという事。

「まあでも、ユニットの名前が変わるだけよ。今後アンノウンがまた現れる可能性もあるわけだし、全部まっさらにするほど上もどアホじゃないと思うわ」

「どういう事です?」

「正式に退職するまでの間に、新しいユニットのコンセプトを残しておくつもりよ。私も無責任に辞めるつもりはないわ。それに私以上に優れたシステムを、警察が作れるとも思えないしね」

「新しいユニット? どんな?」

 無意識に身を乗り出した誠を「落ち着きなさい」と宥めながら、小沢は焼けた肉を誠の皿に移していく。口を潤すためにビールをあおり、

「今までG3、G3-Xと単身でのオペレーションを前提としてきたけど、根本から変える必要があるわ。いくらシステムが完璧でも結局は装着員次第よ。結局、G3-Xも氷川君だから扱えたようなものだし」

 言われてみれば、G3-Xは誠の戦闘オペレーションを元にG3から発展させた。普遍性はある程度持たせているのだが、それでも誠専用機という見方はあながち間違ってはいないのかもしれない。

「G3よりもレベルを更に落とした部隊ユニットとして構想するわ。1個人の戦力よりもチームでの連携を重視する。名前はそうね、G5てところかしら」

 まだ試作段階だったG3に、実戦配備型として発展させたG3-X。システム上は完璧だったが装着員を殺してしまう欠陥を抱えたG4。難産だったGの系譜も、第5世代でようやく安定する事ができるのか。小沢の腕なら心配はいらない。誠がそのユニットに携わる事がなくなったとしても未練はない。

 ただ、やはりそれでも気に掛かる。ユニットそのものに、小沢の存在は大きすぎたからだ。

「でも、小沢さん以外にそのユニットを扱えるとは………」

「大丈夫よ、後釜はちゃんと考えているわ」

「誰を?」

「尾室君よ」

「尾室さんですか?」

 まさかの人選に誠は目を剥いた。「ええ」と頷いた小沢は微笑しながら、

「彼は私やあなたという人間に挟まれながら、必死に食らいついてきたのよ。その根性は確かだわ。尾室君ならきっと、上手くやってくれるはずよ」

 あの尾室がリーダー。いつも小沢に叱咤されている姿しか思い浮かばないけど、彼もまたユニットメンバーとして一緒に戦ってきた。その点で信頼はしている。本人がこの場にいたら、嬉しさのあまり号泣してしまうんじゃないだろうか。

「世界を変えるのはひと握りの天才かもしれない。でもその世界を生きて時代を作っていくのは、その他大勢の凡人よ。まさに尾室君みたいな人間がね」

 そう言うと小沢は肉を頬張り、ビールで流し込む。

「また北條透に乗っ取られないか、それだけが心配だけどね」

 その言葉に誠はつい吹き出してしまった。

「そうですね」

 

 フィレンツェから鉄道で1時間半ばをかけて渡ったのは、この国の首都であるローマ。紀元前から続く長い歴史を持つ街を巡るのに朝早くから丸1日を費やしたが、月曰くまだ行っていない名所も多いらしい。流石は芸術と宗教の中枢と評される都市。街そのものが美術館だ。

 既に夜もすっかり更けているが、国内どころかヨーロッパ圏でも有数の観光都市なだけあって人々は眠りに就く気配がない。

「ボンジョルノ!」

 レストランで料理を楽しみながら、月が持つハンディカムのレンズに向かって曜がレポーターさながらに挨拶をする。

「こんばんは、はボナ・セーラだよ」

 と月が訂正した。改めて料理をリポートする曜たちと別のテーブルでは、花丸が脂とソースの滴るステーキ肉を口に運んでいる。

「オッティモずら!」

 何となくだが美味しい、という意味だろう。同じテーブルに座る善子は机上に積み上がった皿の山と、それを作り上げた花丸を凝視する。

「一体どうなってるの。これだけ食べてるのに全然変化がない。人なのか?」

 しかもまだ余裕が窺える。腹の奥にブラックホールでも抱えているんじゃ、なんて妄想が膨らむ。

「このラザニアも美味しいずらよ」

 と花丸から差し出されたフォークにあるチーズと具材の層が今にも零れそうだ。促されるまま口に入れたラザニアは、思わず感想を率直に出してしまうほどの味だった。

「うまっ!」

 既に自分の分の料理は食べてしまったけどもうひと品注文しようか、なんて考えてしまう。

「それで決まりましたの?」

 ダイヤがおもむろに訊くと、ペスカトーレを食べていた千歌が「何だっけ?」とすっとぼける。「歌う場所ですわ!」とダイヤは危機感のなさに声を荒げた。

「楽しかったよね。トレビの泉とか、真実の口」

 と曜がこの日に回った名所を告げる。「本当」と1日中ご機嫌だった鞠莉が、

「皆で一緒だとverry exciting!」

 「何言ってるんですの!」とダイヤはどこまでも日和見な雰囲気を一喝する。

「あなたが言い出したのでしょう。こっちでライブをやってお母様にスクールアイドルの素晴らしさを見せる、と」

 「分かってる分かってる、て」と面倒臭そうに手を振る鞠莉に、ダイヤはより眉根を寄せた。

 Marie’s Motherにスクールアイドルの魅力を伝える方法。最も相応しいのはライブ、と話し合いに時間を掛けることなく満場一致で決定した。そうなると歌う場所はどうするか。フィレンツェの街も良いが、どうせならこの国で最も華やかな街をステージにしたい、という鞠莉の提案でローマにまで渡ってきた。街の名所を巡っていたのも、観光ではなく本来の目的はステージ探し。

「実際どこも綺麗だし、人も集まってるし。ステージとして歌えば、結構盛り上がってくれそうだけど」

 という果南に「そうね」と梨子が同意する。

「泉も綺麗だったし、階段も素敵だし」

 流石は世界有数の観光都市なだけあって、どこの遺跡や広場もステージとして映える。どこも申し分ないのだが、いまひとつここ、と言える場所が無いのも現状。

「全部使っちゃいたいくらいだよね」

 千歌が言った。「流石に全部というのは――」とダイヤが漏らす。本当にやってしまいそうなところが、このグループの恐ろしいところでもある。

 まさか、またこの9人でライブの打ち合わせをするなんて、と善子は不思議な感慨を覚える。ラブライブを経て、もうこの9人は揃わない、と思っていたのに。

 やっぱり、3年生がいると何でもできてしまう安心感がある。6人でいる時よりも倍以上に。悔しいけど、聖良の評価は間違っていなかった。3年生たちの持つ力が、Aqoursを牽引してきたと言っていい。

「コロッセオとかは?」

 と曜が提案してみる。確かにローマといえば、な場所だ。「ビデオカメラは僕に任せといて」と月がハンディカムを構える。

「お、良いじゃん!」

「そうね、人もいっぱい集まりそうだし」

 千歌と鞠莉が同意を示す。いつもと同じ光景だ。主に考えるのは3年生と2年生で、善子たち1年生はそれに着いていくだけ。元々スクールアイドルに興味のなかった自分たちが、口を出すべきじゃないのかもしれない。先輩たちの言う事に素直に従っていれば良いのかもしれない。

「なら決まりかな」

 果南がそう纏めようとしたとき、善子は対面にいる花丸と視線を交わす。無言のまま頷くと花丸はフォークを置き、

「ちょっと、聞いてほしい事があるずら」

「わたし達1年生でも話し合ってみたんだけど」

 善子がそう続くと、ルビィが立ち上がった。

「今回のライブの場所は、ルビィ達に決めさせてほしい」

 「え……」とダイヤは呆けた目で妹を見上げている。

「これまでのルビィ達は、千歌ちゃん達やお姉ちゃん達に頼ってばっかりだったから。だから、このライブは任せてほしいの」

 

「お腹が、危機的満腹………」

 腹を苦しそうに押さえながら善子が呻いている。あの後もうひと品追加注文していたが、結果として胃に詰め込み過ぎたせいで歩くこともままならなくなったらしい。

「ステージまでに何とかしておきなさいよ」

 と心配する梨子とは逆に、いつのも事のように花丸は善子の肩を支え「お休みずら」とホテルへと入っていく。

「何でわたしばっかりこうなるのよ!」

 という善子の文句が聞こえた。苦笑しながら千歌と曜もホテルへと入ろうとしたとき、

「何かごめんね」

 と背後から果南に声をかけられ足を止める。果南は鞠莉へ呆れの視線を向けながら、

「鞠莉が急にあんな事言い出すからだよ」

「つい、sell wordにbuy wordで」

 「売り言葉に買い言葉?」と推測する曜に「多分」と千歌は答える。

「もし抵抗があるようだったら、わたし達3人だけで何とかする、て方法もあるから、千歌たちは――」

 「ううん、いいの」と果南の言葉を遮る。曜も同じく笑みを零しながら、

「むしろわたし達も嬉しい、ていうか」

 「そうなの?」と意外そうに鞠莉は訊く。彼女なりに、自分のお家事情に巻き込んだ責任を感じているのかもしれない。

「うん。実はね、こっちに来たのも鞠莉ちゃんのお母さんに言われたからじゃなくて」

 そう告げる千歌の後を、曜が引き継ぐ。

「実際、わたし達も含めてルビィちゃん達も不安だったんだと思うし」

 首を傾げるふたりを見て、長い話になりそうだから、とホテルのロビーに入った。備え付けられたソファに腰かけ、千歌は抱えていた懊悩を打ち明ける。

「皆、ちょっと悩んでいたんだよね。新しいAqours、て何だろう、て」

 「新しいAqoursか」と果南は宙を眺めた。こんな事を、ふたりに相談することが正しいのかも分からない。何せ、その「新しいAqours」とは果南と鞠莉、ダイヤのいない形なのだから。

「自分たちで見つけないといけないのは分かってるんだけど、中々………」

「そしたら聖良さんが、1度会って話してきた方が良いんじゃないか、て」

 曜の言葉に、鞠莉は「そうだったんだ」と応じる。続けて欲しい、という3年生の意思は尊重したい。でも続ける事で、千歌たち残った者たちの不甲斐なさでAqoursが、スクールアイドルが誤解されてしまう事が悔しい。

 ステージで笑顔を振り撒く姿は、傍から見たら真剣さが足りず遊んでいるように誤解されやすい。梨子が以前そう言っていた。Marie’s Motherの言い放った「下らない」は、その誤解の最たる例じゃないか。

「果南ちゃんは、どう思う?」

 千歌の問いに、果南が答えるのにそう時間は掛からなかった。

「千歌の言う通りだと思うよ」

「え?」

「千歌たちが見つけるしかない」

 「そうだね」と鞠莉も頷き、

「わたし達の意見が入ったら意味ないもん」

 当然とも言える回答だけど、いざ突き付けられると溜め息が出てしまう。「だよね」と肩を落とす千歌の胸に、果南は「でも」と指さした。

「でも、気持ちはずっとここにあるよ。鞠莉の気持ち、ダイヤの気持ち。わたしの気持ちも変わらず、ずっと」

「ずっと………」

「そう、ずっと」

 でもそれは、3人には力があるからじゃないか。3人だけじゃない。他の皆にも、千歌にはない、彼と同じ輝きの果てへと昇華する力が――

「わたし達には力があるから、とか考えてる?」

 思考でも読んだのか、果南の優しい言葉が千歌の懊悩を遮る。

「そんなの関係ない、て千歌は証明してみせたでしょ。ラブライブ決勝のステージで、わたし達の気持ちは千歌と一緒だった。違う?」

 無言で千歌は首を横に振った。あのドームで、自分たちはひとつだった。曖昧で夢心地な瞬間だったけど、それだけは確信できる。

 あの感覚は、あの心地良さは、ステージでの一瞬だけで終わらないのだろうか。果南の言うように、ずっと裡に残滓として光り続けている。そう思うと、不思議と笑みが零れた。

「さ、明日も早いから、もう寝るよ」

 鞠莉がそう言ってソファから立ち上がる。「うん、じゃあお休み」と果南は鞠莉の背を追って外へと歩いて行く。ふたりの背中が通路の陰に消えてすぐ、鞠莉の白い手がひょっこりと出てきて千歌たちへバイバイ、と振られた。「よ、と」と千歌もソファから勢いよく立ち上がる。

「千歌ちゃん」

 と呼びかける曜の両手を掴んで、上下に激しく振りながら千歌は今の裡にある想いをそのまま告げる。

「何か、ちょっとだけ視えた。視えた気がする」

 ひどく曖昧な予感だけど、それで良いんだ、と思えた。自分たちはずっと、この曖昧だけど胸が高鳴る予感のままに走ってきたのだから。だから今のこの想いも、きっと千歌たちを良い方向へと導いてくれる確信がある。

 そんな千歌の断言に、曜は皮肉のない笑みを返してくれた。これが千歌、というよりはAqoursらしい。この曖昧さに実体を持たせるためにも、良いライブにしよう。

 大丈夫。いつも通りに、楽しみながら歌って踊ればいい。

 

 

   4

 

 千歌からのメールで指定された場所と時間に、誠は小沢と共に向かった。

 昼過ぎのローマは晴天も手伝ってか観光客で賑わっている。メールにあった中心街の階段は、名所に溢れたローマ市内でも特に有名な場所のひとつ。トリニタ・ディ・モンティ教会の前に伸びるその階段自体は中世時代に造られたもので芸術品としての価値もあるのだが、その価値を高めたのは半世紀以上も昔に上映された『ローマの休日』のロケ地として使用された事。この映画で世界的女優へと飛躍したヘプバーンが踏んだ地として、ローマに来たからには訪れるべき名所になっている。

 誠は映画なんて殆ど観ないけど、有名女優のヘプバーンと舞台になったこのスペイン広場くらいは知っている。つまりは誠でも知っているほど、この広場は有名だという事だ。因みにローマにあるのに何故「スペイン」広場なのかというと、すぐ近くにスペイン大使館があるから。

 階段の目の前には小舟が浮いているかのような彫刻が施されたバルカッチャの噴水があって、その前に立った月がハンディカムを構えている。

「月さん」

 声を掛けると、月は一旦ハンディカムから目を離し誠たちへ屈託のない笑顔を向けてくれる。先日挨拶したときも思ったことだが、確かに曜との血縁を感じさせる溌剌さだ。

「あ、氷川さんに小沢さん。丁度始まるところですよ」

 となると、このスペイン広場がライブのステージという事になる。Aqoursの面々はもう広場にいるのだろうか。辺りを見渡してみるけど、世界中から観光客が訪れるローマの地に彼女たちの姿は埋もれていて見つける事ができない。

 街頭スピーカーからだろうか、アップテンポな曲が流れ出す。突然の曲に広場の皆が困惑の表情を浮かべている中、どこからともなく9人の少女たちが階段を駆け上り、踊り場で歌い始める。

 流石は観光地といったところか、誰も彼女たちの歌を妨害しようとはしない。むしろこれを粋なパフォーマンスと受け入れ、存分に踊れるよう脇に逸れていく。

 ひとりの女性がすぐ傍に立っている事に気付き、誠はちらりと視線をくべる。そこにいたのはMarie’s Motherだった。彼女が娘たちへ向ける視線は他の観光客とは違う、まるで審査するかのような険しいものだった。

 彼女からの視線に気付いていないのか、Aqoursは堂々とした歌声とダンスを披露している。曲はいかにもAqoursというグループらしい、明るく底のないパワーに満ち溢れたものだ。まるでこの異国の地に至るまでの過程、その根底にあったものを歌い上げているように聴こえてくる。

 今はちっぽけな子供と自覚していながらも、それを理由にして前進する事を諦めない。ひとりの力が小さくても、皆と一緒に居る事で大きな力や光が生み出せることを、彼女たちは知っている。そうして辿り着いた「今」という瞬間が、未来への過程でしかない事も。

 勿体ないな、と誠は隣の婦人に哀れみにも似た感情を抱き始めていた。このステージを素直に楽しめないなんて。無骨で不器用な誠も、アイドルなんて興味なさげな小沢も、日本語の歌詞が理解できないだろう観光客たちでさえ、自然と頬を緩ませているというのに。

 ふと周囲に目を向けてみると、観衆がいつの間にか増えている。スマートフォンのカメラを向けている人もいて、中には吊られてダンスのステップを踏む人もいる。

「伝わってくるものね。ただ見ているだけで」

 小沢が呟いた。いくらスクールアイドルについて知らなくても、歌詞の意味が理解できなくても、直感で裡に響いてくるものがある。彼女たちが歌声や、ステップに乗せている想いが、誠たちの目と耳朶から中へと潜り込んでいくようだった。だとすれば、今この瞬間に誠の裡にある童心に還ったかのような高揚は、ソロパートを歌い上げる鞠莉の想いそのものだろうか。

 曲がフィナーレを迎えて、Aqoursがポーズを決めた。曲が止むと観衆たちが一斉に拍手と、指笛で突如現れたスクールアイドル達に賛辞を贈っている。強い風に吹かれ、階段に植えられた花の飛ばす花弁が紙吹雪のように舞台を彩る。花々も彼女らのステージを楽しんでいるように。

 「綺麗ね」と嘆息する小沢に誠は「ええ」と返す。それ以外に言葉が見つからなかった。どのメロディが、どのステップが良いのかなんて音楽に疎い誠には分からない。ただ何となく、でも確かに「良い」曲だということは理解できる。ほんの数分で、異国の人間をこんなにも虜にしてしまうのだから。彼女たちだけじゃなく、彼女たちを取り巻く人々も、何て温かい空間だろうか。

「津上翔一も、こんな世界だから戦えたのかもしれないわね」

 階段で笑い合う彼女らのもとへ歩いて行くMarie’s Motherの背を見送りながら、誠はふと思い出したことを告げる。

「小沢さん、前にアギトは人間の可能性そのもの、と言っていましたね」

 「ええ」と応じる小沢に更に尋ねる。屋敷で彼女たちと会ってから、ずっと裡で燻っているものを。

「正直、千歌さんの願いが正しいのか、僕には分からないんです。勿論、僕も津上さんには帰って来てほしい。ですが、彼が僕たち人間にはとても辿り着くことのできない存在に進化したのなら、その進化を止めてしまっていいものなのか」

 かつて涼も言っていた。翔一は可能性の先に往ったのかもしれない。人の目指してきた最果てへと翔一が至ったのならば、そのまま前進させる事が人類のためになるのではないか。いち個人のエゴで、彼を矮小な人間の領域に戻していいものか、ずっと答えが出ないまま。

 小沢はしばし逡巡したが、聡明な彼女らしく淡々と、でもはっきりと答える。

「そうね、確かにあなたの言う通りだわ。でもね、種の中で優れた個体が生まれたとしても、それが果たして種全体の進化を促すとは限らない。アギトとして進化できたのは津上君だったからかもしれないし、彼の他に進化を遂げる個体は現れないかもしれない」

 そんなの身も蓋もないじゃないか、と思った。たとえアギトになっても翔一と同じ境地に至れないなんて。

 小沢は嘆息し、

「私としては、高海千歌に賛成ね。彼女がどうやって彼を連れ戻すのかは、分からないけど」

「本当に、それが正しいんでしょうか?」

「正しいかどうかは微妙なところね。私の立場で言うと、科学や技術というものは万人が同じ水準で扱えるようにしなければ意味がないわ。それは力も同じこと。強力な力をひとりで独占してしまえば、そこで消えてしまうだけよ」

 確かに、エンジニア然とした小沢らしい意見だ。でも彼女でさえ、千歌の願いの成否に明確な答えを提示する事ができていない。小沢はあくまで、自身の科学者としての信念に基づいた事を言っているだけでしかない。

 小沢は微笑を零すと、不意に誠の腕を小突いてくる。

「何うじうじ悩んでるのよ。前も言ったじゃない。正しいか間違ってるかなんてどうでもいいの。男はね、気に食うか食わないかで判断すればそれで良いの」

 それこそ本当に身も蓋もない。さっきよりも彼女らしい意見に、誠は「そうですね」と返した。

 

 観衆たちの拍手喝采を浴びながら、鞠莉は満たされた気分のまま深呼吸する。久々のライブだから、少し汗をかいた。でもこの体の熱さが心地良い。

「お姉ちゃん」

 また一緒にライブができた喜びに表情を満たしながら、ルビィが姉を呼んだ。ダイヤはルビィを労うように告げる。

「もう、ルビィは何でもできるのですわ。何でも」

 本当に、あの小さかったルビィが成長したものだ。いつもダイヤにくっついている印象しかなかったのに。「うん!」と頷くルビィは、もうダイヤに抱き着こうとはしない。もうこの子も、自分の足で歩けるんだな、と鞠莉は感慨を覚える。

「どうしてスペイン広場にしたの?」

 曜の質問に「それは——」と善子が得意げに腕を組むが、回答は花丸に奪われる。

「何となく、沼津の海岸にある石階段に似てたからずら」

 何て安直な。でも、その1年生たちが決めてくれたお陰か、この階段でブランクを感じない歌を披露できたと思える。どこかで鞠莉も、故郷と同じ心地良さを見出していたのかもしれない。

「鞠莉」

 その低い声で呼ばれ、鞠莉は表情を強張らせる。

「ママ………」

 鞠莉たちのもとへ歩いてきた母の姿を認め、皆の笑みが消えた。観客たちの拍手も収まりつつあって、ライブの気分が急速に冷めていくのを感じる。

 でも、まだ冷え切ってはいない。ドームから少し時間が経ったけど、またこうして皆で歌えた鞠莉には熱が残っている。

 母へ歩み寄り、鞠莉は告げる。一切の拒絶も嫌悪もなく、ただ自分の意思のままに。

「わたしがここまで皆と歩んできたことは、全てもうわたしの一部なの。わたし自身なの。ママやパパがわたしを育ててくれたように、Aqoursの皆がわたしを育てたの。何ひとつ、手放す事なんてできない。それが今のわたしなの」

 だから、どうか認めてほしい。鞠莉と一緒に歩んできたAqoursを、この9人を巡り合わせてくれたスクールアイドルを、下らないなんて言葉で片付けないでほしい。

 逡巡の後、母は結んでいた口元に微笑を浮かべた。そのまま何も言うことなく、階段の頂上にある教会へと歩いて行く。

「どうなったの?」

 曜が訊いた。「さあ」と鞠莉は肩をすくめる。言葉はなくても、親子だからこそ通じ合うものがある。何せ、鞠莉が金色の髪と強情さを受け継いでしまった母だ。我が親ながら呆れてしまう。少しくらい素直になれば良いのに。

 ひら、と先ほどたくさん舞い上がっていた花弁の1枚が降りてきた。そう、と優しく、両手で瑞々しいピンクを色付かせた花弁を受け止める。

「でも、分かってくれたんだと思う」

 

 






 大変お待たせしました。体調不良がぶり返し長く書けない状態になっていましたが、やっと少しずつ再開できるようになってきました。
 あと少し、頑張ります。
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